よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

中学生サミット2017その② 中学生の疑問にNUMOが答える

瑞浪超深地層研究所で地下500メートルの坑道から地上に戻るとすっかり日が暮れている。宿泊先のホテルへ移動して夕食後、地層処分に関するトークセッションが行われた。長い一日だ。

この「中学生サミット」は東京工業大学の学術フォーラム『多価値化の世紀と原子力』(代表:澤田哲生助教)が主催する企画で、ここ数年、毎年1回開催されてきた。

・・・サミットのテーマは、『どうする!?核のごみ(高レベル放射性廃棄物)』である。その目標は、中学生の目線で、ダイアローグ(対話)やファシリテーションを行うことである。ポイントは二つある。①議論を自分たちで内省的かつ発見的に構築し、議論を楽しめるか、②立場(出身地域、原子力立地地域―都市消費地、学年、ジェンダーなど)を超えて、相手に配慮した意見の表明や対話ができるか、である。・・・(月刊『世界と日本』No.1263&No.1264合併号 澤田哲生著「原子力問題の諸相ーパラダイムシフトに向けて」より)

今回ファシリテーター役を担当する横浜の中学2年生の男子生徒3人から主催の澤田先生宛てに、「どんなサミットにしたいか」という要望書が事前に提出されており、オブザーバーも目を通す機会があったが、これが実に見事な内容。

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趣旨  国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」では、核燃料サイクルの一環として使用済み核燃料の再処理をした際に出る「高レベル放射性廃棄物」を埋めることとなっている。しかし応募自治体は未だにない。また、核燃料サイクルは、高速増殖原型炉もんじゅで続いたトラブル、その検証があいまいなままでの高速実証炉開発、さらに高速商用炉開発までの代替とされているプルサーマルの遅れ・経済性の悪さといった問題があり思うように進んでいない。

そんな中、国は、思い切って核燃料サイクル政策を捨て、これから出る使用済み核燃料は直接「地層処分」することを地味ながら研究し始めた。さらに国は、核燃料サイクル政策を続けるにしても、高レベル放射性廃棄物を「海洋底処分」することについても研究を始めた。私たちもこれらを選択肢の1つとして検証をすべきである。

よって本企画では、高レベル放射性廃棄物の地層処分、使用済み核燃料の直接地層処分、高レベル放射性廃棄物の海洋底処分について、それぞれメリット、デメリットを洗い出し、どれが良いのかを共に考えていく。

要望  超深地層研究所での見学事前講習では、昨年通り国が高レベル放射性廃棄物の地層処分を進める理由とその詳しい内容、および超深地層研究所の概要について参加者に説明していただきたく存じます。

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さらに、1日目の夕食後に参加者が説明を聴きたい5項目が列挙されている。

  1. 国が進めている核燃料サイクルとは何か。
  2. 国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」は、核燃料サイクルの一環であること。しかし、応募自治体は未だにない。また、核燃料サイクルには現在さまざまな問題が生じていて、あきらめるべきとの声もあること。
  3. 核燃料サイクルをあきらめる場合、使用済み核燃料は直接処分になること。
  4. そんな中、国が使用済み核燃料の直接地層処分の研究を始めたことと現在の研究状況。また、フィンランドスウェーデンでは使用済み核燃料を直接地層処分することになっていることとその詳しい内容。
  5. さらに最近、国が高レベル放射性廃棄物の「海洋底処分」の研究も始めたこととその理由、および高レベル放射性廃棄物の「海洋底処分」の内容、および現在の研究状況。

いやいや~ よく調べ、よく考えた堂々たる要望書。下手な大学生より大人っぽい文章に感心する。

かくして夕食後のトークセッションは、中学生からの上記疑問にNUMOが答えるという形で行われた。

NUMO=Nuclear Waste Management Organization of Japan(原子力発電環境整備機構)は、原子力発電により発生する使用済燃料を再処理する過程で発生する高レベル放射性廃棄物の最終処分(地層処分)事業を行なう日本の事業体である。

今回の回答者であるNUMOの加来謙一課長のクールで丁寧な解説に、中学生と一緒に耳を傾ける。

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そもそも核燃料サイクルとは何か?という説明の後、その実現性に関してよく受ける質問とそれに対する回答が紹介された。

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Q:「青森県六ヶ所村の再処理施設は本当に稼働できるのか?」

A:技術的な課題は解決済みだが、東日本大震災福島第一原発を踏まえて制定された原子力規制委員会の新基準に適合するための取り組みが進められており、現時点では再処理工場の竣工時期は2018年度。

Q:「もんじゅ廃炉が決まったが、核燃料サイクルは機能するのか?」

A:政府は2016年12月に原子力関係閣僚会議を開き、JAEA高速増殖炉もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉を正式に決定。一方、エネルギー資源を有効活用する「核燃料サイクル」政策を維持するため、もんじゅよりも実用化段階に近くなる「実証炉」の開発に踏み出す方向性を打ち出した。その一つの選択肢として、フランスが開発に取り組んでいるASTRID炉の研究開発に参画することも検討されている。

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そして、再処理・ガラス固化体処分と使用済み燃料の直接処分の比較、直接処分に関する検討、地層処分事業で先行しているフィンランドスウェーデンの事例、さらに、海洋底処分について、パワポのスライドを見せながらの説明が粛々と続いた。

寡聞にして知らなかったのは、沿岸海洋下処分のことである。

海の底に処分する海洋底処分はロンドン条約により禁止されているが、陸域から沿岸海底下にアクセスする処分方法であればロンドン条約に抵触しないという。なぜ沿岸なら良いのか、その法解釈は今一つよくわからなかったけれど、一つの可能性として検討されているらしい。

「沿岸海底下等における地層処分の技術的課題に関する研究会とりまとめ」を 策定しました (METI/経済産業省)

なお、直接処分と再処理を比較したこの興味深いスライドについて、高レベル放射性廃棄物軽水炉で再処理した場合は直接処分に較べてコストが高くなる一方、高速炉で再処理した場合は「試算なし」となっているが、コストダウンの可能性がある・・・という澤田先生からの補足説明もあった。

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総合資源エネルギー調査会原子力小委員会第6回会合資料3
「核燃料サイクル・最終処分に関する現状と課題」(平成26年9月)より

生徒たちからの事前質問状にある通り、国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」は核燃料サイクルの一環である。原子力発電というものが、使用済み燃料の有害度の問題もサイクル全体のコストの問題も高速炉が実用化されればかなり解決できるということを想定して(期待して)進められてきたことがわかる。

現在既にある使用済み核燃料の処分の観点からは「核燃料サイクル」政策を維持するのが得策というか必要である(本当にできるのかどうかは別として)という説明をしてくれたら、もう少し国民合意に近づく可能性があると思うのだが、どうなんだろう? それでもやはり「もんじゅ」は廃炉すべきなのだろうか? 目的や手段がわからなくなる。

www.huffingtonpost.jp

現にある使用済み核燃料(プルトニウムウランを含み95%再利用可能?)を
潜在的な有害度(仮に人間の体内に入った場合の有害度。放射能とは異なる)が
天然ウランと同程度になるまで、10万年間埋めておく方法を考えたほうが良いのか?

あるいは、高速増殖炉の稼働による核燃料サイクル完結の可能性に賭けて、使用済み燃料からプルトニウムウランを取り出す再処理をした残りの核分裂生成物などの高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にして処分するほうがよいのか?

・・・難しい問題だ。

中学生たちにはNUMOの説明がどう聞こえただろうか?

事前の質問状の立派さとは裏腹にその場ではシーンとしてしまいがちではあったが、2つほど質問が出た。

Q(中一女子):少しおかしな質問だとは思うんですけど・・10万年単位の変化などは予想しづらいが、もしも大きな変化が予想され危ないと思われるような場合には(放射性廃棄物を)移せるような準備をしているのでしょうか?

A:ありがとうございます。結論から言うと、よほどのことがない限り移すことはないと思いますし、そういう移さなくていいような処分をするというのが我々の考え方です。六ヶ所村で地表の近くに処分している(低レベル)廃棄物というのは、ある一定期間(300年間とか)人間が管理をして、その後はもう管理しなくていいよというやり方ですが、地層処分というのは、人間がずっと管理を続けていると、何万年間もずっと管理しなくてはならないので現実的にはできないということで、人間の管理に頼る処分ではなくて、安定した地下深くに処分して自然に任せようという考え方ですので、何万年間もモニタリングを続けていて何かあったときに「あぶないから取り出そう」ということは想定していないですね。そういうことが必要ないような処分をするということです。(との回答の後、確かに何万年後の状況を正確に言い当てることはできないが、悪いデータを積み重ねた最悪の場合を想定してもそれほど人間に影響を及ぼさないような処分を設計していくという趣旨の補足あり)

Q (中二男子):日本以外にこの沿岸海底下処分を検討している国はありますか?

A:高レベル放射性廃棄物を沿岸海底下に計画として処分しようとしている国は私が知っている範囲ではないですね。ただ、先ほどスウェーデンの例で申し上げたように、中・低レベル放射性廃棄物を実際に海の底に処分しているという国はスウェーデン以外にもあります。フィンランドの処分場は半島の先の方にあり、周りは海なので、陸線から出ないように処分するということですが、海水域が変われば部分的に海の底に入る可能性もじゅうぶんあるわけで、地下水もあの辺は海水になりますので、ほとんど沿岸海底下に処分するのとあまり変わらない条件で処分しているという事例はあるということになります。

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さてさて、実際に地下500メートルがどんな所か自分で体験してみて、それから地層処分を担う機関の専門家の説明を受けた上で、明日はどんな話し合いになるのだろう。(続く)

 

 

 

 

中学生サミット2017その① 瑞浪超深地層研究所見学

新年早々、冬休みが明けるか明けぬかという週末に一泊二日で開催された「中学生サミット」にオブザーバーとして同行した。

原発の「核のごみ」の地層処分について、最先端の研究施設を見学した上で中学生なりに考えるというユニークな試みである。何回かに分けて振り返ってみよう。

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その① 瑞浪超深地層研究所見学
その② 中学生の疑問にNUMOが答える
その③ どうする!?核のごみ
その④ ダイアローグは難しい?

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まずは地の底へ。

岐阜県瑞浪駅に集合した中学生と、主催・引率・オブザーバーの大人たちで総勢約20名。駅から車で5分ほどの瑞浪超深地層研究所へ向かう。

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この研究所と、お隣の土岐市にある土岐地球年代学研究所の2つの研究所を有する国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)東濃地科学センター(Tono Geoscience Center)。略してJAEATGCと言うようだが・・原子力関係の機関名は、漢字を並べた日本語でも英語の頭文字でも、何とも長ったらしく似たようなものが多くてわかりづらい。

JAEATGCでは原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)を安全に地層処分するための基盤的な研究開発を行っている。

なぜ岐阜県の山あいにそういう研究施設があるのか?

もともとは1962年にこの地でウラン鉱床が見つかり、旧・原子力燃料公社(原燃≠日本原燃⇒のちに動力炉・核燃料開発事業団=動燃⇒1998年に核燃料サイクル開発機構⇒2005年にJAEAに統合・再編←とにかくややこしい組織の変遷!)により竣工した東濃鉱山で、1971年からウラン鉱床の形態や鉱石の分布状況を明らかにする目的で坑道を掘っていた。1986年からは地層科学研究の場として、主に堆積岩を対象に「岩盤中の物質移動に関する研究」等を行う。東濃鉱山は2004年に休止され、閉山措置が進行中。

日本では1976年から地層処分の研究が始まり、茨城県東海村などで研究開発が進められてきた。1999年に核燃料サイクル開発機構(現JAEA)は地層処分の技術的信頼性を示し、この成果を受けて実際の日本の地下深部に関わる研究を実施するために、2002年に瑞浪超深地層研究所の建設に着工。地層処分や深部地下環境に関わる研究が行われている。岐阜県のほか北海道に幌延深地層研究センターがある。

瑞浪では、2014年に深度500メートルの水平坑道の掘削が終了しており、深度500m研究坑道や深度300m研究坑道を見学させてもらえる。

事前に改めて知識を仕込んでくる余裕がなかったけれど、このJAEATGCのサイトはなかなかしっかりしていて、私のような門外漢や中学生にもわかりやすい「もぐら博士の地下研究室」という楽しいページもある。

もぐら博士の地下研究室

地上でJAEAの担当者からひと通りのレクチャーを受けた後、つなぎ服に着替え、反射ベスト・ヘルメット・安全長靴・軍手を身につけ、坑内PHS携行という安全装備の上、いざ地下500メートルへ。ちょっとドキドキ。

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3班に分かれて10人乗りの鳥かごのようなエレベーターで立坑を降りていく。坑内は真っ暗だが、100メートルごとに水平坑道との連結部があって一瞬その明かりが見える。1分間に100メートルのスピードで降りて5分もすると地下500メートル近くに到達する。高層ビルから降りる時と同じように耳がツーンとする。

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エレベーターから降りて、最後の20メートル余り(=ビル8階分ぐらいの高さ)は90段の螺旋階段を降りる。地上より温かくて湿っぽい。

「“地温勾配”と言って、地下200メートルあたりからは100メートル降りる毎に2~3℃温かくなります。このあたりでは10℃ぐらい温かくてモワッとしています。」

JAEAの福島さんの丁寧な説明を受けながら地下の坑道を歩く。

 坑道は思ったより広く、壁面の下の方には剥きだしの花崗岩が見える。

だんだんと下り坂になり、その突き当りには止水壁があった。再冠水試験のためだと福島さんからの解説。

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「元々、全ての岩石は水に浸かっていました。ここをいずれ土で埋め戻すと、また水に浸かります。この坑道はまだまだ向こうにも続いていますが、あの扉の向こうには今は水がたまっています。その圧力がどのぐらいなのか?どれぐらい水がたまるのかを試験しているのです。」

「そんなことはまずないけれど」と前置きしながら、万が一扉が壊れても坑道が水没しないように、止水壁の手前は下り坂になっているというお話だった。

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止水壁から上り坂をゆるゆると引き返して、エレベーターがある立坑の反対側に行くと同じ深さの通気坑がある。反対側の坑道には地下水の湧水が多い場合の湧水抑制対策として、地下水の通り道となる岩盤の割れ目にセメントミルクなどを注入するグラウト作業を施した壁面も見られた。 

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 万が一の場合の退避場所が設けられ、簡易トイレや飲料水、非常食、救急箱なども準備されている。

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見学コースの壁面に沿ってあちこちにパネルが設置されこまごまと説明が書かれているが、そんなに綿々と読む余裕もなく、福島さんのお話を聴きながら歩くこと、小一時間もいただろうか。

自分が地中深くを普通に歩いているのが不思議だったが、一方で、人間は地表からこれぐらいの所まで掘り進むことができてしまうことが実感できた。もっともっと深いところまででも掘ろうと思えば掘れるのだろう。

地下と言えば、私にとっては完全にファンタジーの世界だった。暗くてジメジメしていて水がたまっているイメージだ。中学生の頃に夢中で読んだ『指輪物語』のシーンは映画『Lord of the Ring』で見事に再現されていた。滅びの指輪を拾ったゴラムがホビット族のビルボに会うまで何年もの間ひっそりと隠れ住んでいた地中の水辺である。実際に地下に来てみると、果たして水があった。

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岩の隙間からしみ出た地下水が管から流れ落ちて貯水されポンプで汲み上げられ、地上の排水処理設備で処理の上、狭間川に放流される。毎日約800㎥排水されているようだ。

瑞浪超深地層研究所の日常の排水管理状況等

 

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何万年も前に降った雨がじわじわと浸透して、地下ではごくわずかしか動かない。坑道を掘ったことによって流れこむ場所ができるから動くわけで、大量の地下水が沁み出してくるのである。

rengetushin.at.webry.info

 

ここをそのうち埋め戻すのか・・・

瑞浪には「核のごみは持ち込まない」という地元との約束がある。

いつか日本のどこかが最終処分場に選ばれ、高レベル放射性廃棄物が地下350メートルより深い地層に埋設されるというプランが地層処分。以前は地下500メートルなんてうんと遠い所に思えたが、実際に来てみると、あっさりとアクセス可能で拍子抜けするぐらいだ。地下に「そういうモノ」があることを知れば、盗み出して悪事を働こうとする人間がやって来るんじゃないだろうか? たとえ埋め戻してあっても、一度掘れたのだから、また掘ることだってできそうじゃないか。

・・・遺跡のような地下の坑内にドリルで穴を掘って潜入するテロリストから前時代のお宝ならぬガラス固化体に再処理された高レベル放射性廃棄物を守ろうとする主人公が秘密のトンネルで暗闘を繰り広げる・・・サスペンスアクション映画みたいな妄想が膨らんでしまう。

数万年間の地下水の動きや地殻変動は重要な研究課題に違いないけれど、近未来の人間の侵入のほうが怖いような気がした。

もちろん、地上に保管していたら、地震、隕石、津波、台風などの天変地異から爆発事故や火災、戦争にテロリストの侵入など人間が絡む話まで、リスクはもっと大きいだろう。だから、地層処分するのがベターなんだろうなぁという気はするけれど、「伝説の危険物」を見張る「守り人」がどうしても必要だと思う。それは誰だ?政府直属の特殊な科学者集団?!何年ぐらい?数百年?数千年? 世代、時代を超えてどうやって引き継いでいくのか?その頃、日本ってあるのか?

そういう人類の文明の時代も過ぎ去った(?)何万年も遠い未来には、地下深くは比較的安全かもしれない・・・しかし、近い将来のいつか埋めれば終わりというわけにはいかないだろう。

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帰りはビル8階分ほどの螺旋階段を昇るのが少しキツかったけれど、エレベーターに乗れば5分で再び地上に戻る。今や地下500メートルが近く感じられる。

中学生たちはどのように感じたのだろう?(続く)

 

カレンダーをめくる時

お正月休み。実家に帰ったらトイレのカレンダーが変わっていた。

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2017年の新しいカレンダーではない。

父が何年も使っている相田みつをさんの日めくりカレンダーだ。

日めくりだけど、毎日めくっているわけではないようで。

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ここしばらくは、いつ帰ってもこのページだった。

久しぶりになぜ、ページをめくったのか?

そもそも誰が見ることを想定しているのだろう。

普段は両親が二人で暮らす実家。それもリビングや玄関の壁ではなく、トイレというプライベートスペースの扉の内側に掛かったカレンダーを見るのは、どう考えてもほとんど自分(父自身)だ・・・どういう観点で言葉を選んでいるのだろう? 何らかの意味付けがあるのだろうか? いつ変えたのだろう? ぺージを変えようと思う心境の変化があったのか?・・・カレンダー1枚でいろいろ想像が膨らんでしまう。

80歳を超えた父はここ1,2年、いわゆる「終活」に取り組んできた。昔から用意周到であることを自他に求め、石橋を叩いても渡るのを止めておく(含:止めとけと言う)ような用心深い父。

ひとつひとつ片付けて、ある程度片付いたのかな・・具体的に。

実家に帰るのは年に数回程度だが、数日の滞在中このカレンダーはずっと同じページだし、かと思えば、別の帰省の折にはふと違う言葉になっていたりすることも。
こういうページの時もあった。

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その時の自分の状況にも妙にフィットして、なにやら励まされているような気がしたものだ。

そしてこのお正月に初めて見たこの言葉。

「この我執の強さ そして この気の弱さ

共に佛さまがわたしに授けてくれたもの」

父の独白のような、この「時々めくる」カレンダーの心を娘がどれだけ理解できているか、心もとないところではあるけれど、そこはかとなく伝わってきた年頭の辞である。

 

 

愛の喜びと悲しみのクライスラー

本年初記事は1月6日付でジャパンタイムズに載った。今年も前職への感謝の気持ちを忘れず、少しずつでも書き続けていこう。

www.japantimes.co.jp

元々は、あるヴァイオリンリサイタルについて小さなお知らせ記事を頼まれサラッと書いて昨年末掲載予定だったのだが、プラスαで膨らんだものが新年早々カラーバック面に大きく載るとは驚き。ネタというのはわからないものだ。活字になっているものの背景には、内容面のアピール以外に人のご縁やタイミングなど、さまざまな事情がある。

今回の企画は、1730年代のグァルネリの名器でフリッツ・クライスラーが愛用していたヴァイオリンの精巧なレプリカを東京在住のドイツ人ヴァイオリン製作者が作り、それを使って1920年クライスラーカーネギーホールで行ったリサイタルのプログラムを再現しようという実に凝った趣向で、リサイタルのみならずヴァイオリン製作の話も取り上げることになったのだ。

www.japantimes.co.jp

ネタが少ないというより書き手が少ない(みんな休みたい)お正月。「やります」と言うと年末年始の帰省の道中もゲラを抱えて歩き、3日には出社してきたカナダ人エディターからどんどんメールが来てぎりぎりに校了という感じになる。無事に発行できてホッとした。新年早々、追加の質問に返信して下さったプロイス氏や岩住氏にも感謝したい。

Re-creating musical genius
Tokyo-based luthier brings oiginal flair to art of replication
Violinist to restage Fritz Kreisler's famed 1920 recital

という記事の見出しや、

A TUNE THAT BEARS REPETAING
Musician to replicate famed recital right down to the violin

という1面ティーザーのキャッチを見ただけで、だいたいどんな内容の記事なのか想像がつくようになっているのはさすが新聞というもの(だから詳しく知りたいと思わない記事は読まなくてもいいのだ)。要は何なのかを端的に表現するエディターの用語のバリエーションに素直に感心する。(なるほど~~そういうふうに言うんですね・・)

ちなみに、ジャパンタイムズの見出しは紙面とオンラインで随分違っている。邦字紙の場合は知らないが、紙面はレイアウト・デザイン上の長さの制約があるし、あくまでも読者の目を引くキャッチ―な言葉が選ばれるが、ウェブでは当然ながら検索キーワードでヒットしやすいことが優先なのだ。

こういう見出し類からは、究極の理想の音を求めて楽器も演奏も究極の再現を繰り返すのがクラシック音楽なのだということが伝わってくる。そして、究極の理想というのはなかなか辿り着けない永遠の憧れのようなものである。

こういった紹介記事はたいていプレビューなので、書いた記事の演奏会は極力聴くようにしている。と言うより実際に確かめずにはいられない。

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ヴァイオリニストの岩住励氏はニューヨーク在住なので今回はメールでのインタビューになったが、その回答ぶりにいたく感銘を受けたのだった。同趣旨の解説が当日のプログラムにも掲載されている。

「20世紀初期のヴァイオリンリサイタルは現在のものとは多少違った。ピアノ伴奏での協奏曲が弾かれることも珍しくなく、小品を並べたプログラムもごく普通であった。必ずしもソナタ、あるいは華麗な曲芸のような曲で終わるわけでもなかった。コンサートの内容や長さが多様だった19世紀からの影響と考えられる。

その中で、1920年12月5日にクライスラーが弾いたプログラムは異例だった。翌日NYタイムズ紙が『彼が前に弾いたコンサートに比べてシリアスなものだった』と述べており、クライスラーが考え抜いたプログラムだったのだろう。・・・(以下略)」

当時人気絶頂だったクライスラーカーネギーホールでのその演奏会は、「立って弾く場所がやっとのほどにステージ上にも客が詰め込まれ、超満席だった」そうだ。

昨日のプログラムには、1920年当時のプログラムのコピーが広告まで含めて丸ごと掲載されていて面白い。

フランク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ1番
(休憩)
クライスラー:ロマンスとカルチエ様式による『シャス』(狩り)
コルンゴルトシェイクスピアの「から騒ぎ」のための音楽より

・・・ということで興味をそそられる意欲的な試みだった。

使用楽器であるグァルネリのレプリカを作ったプロイス氏の流暢な日本語による極めて日本的な挨拶に続き、岩住氏のヴァイオリンと江口玲氏のピアノ伴奏による演奏が繰り広げられた。書かれる文章からも窺える造詣の深さとさらなる探求心がにじみ出るような知的な演奏だった。元のグァルネリによる演奏を生で聴いたことがないので厳密には較べられないけれど、その精巧なレプリカであるヴァイオリンから発せられる中・低音部の柔らかく豊かな響きがいいなと思った。良く鳴っていたように私は感じたのだが、さすがに製作者本人はもっと厳しい。

終演後、プロイス氏に「で、どうでしたか?楽器の響きは」と声をかけると、
「うーん、もっと『質』がほしいです」という答えが返ってきた。
「『質』ってどういうことですか?」と聞き返すと、「それを説明するのは難しい」けれど、もっとグァルネリらしい倍音をたくさん含んだ音を求めているようだった。

さすがは職人のこだわり。やはり、究極の理想はちょっとやそっとで実現できるものではないようだ。彼はストラディバリのレプリカ製作にも取り組んでいるところである。

演奏者からも楽器製作者からも、そのような飽くなき理想の追求といえる謙虚な姿勢が前面に出た演奏会だった。冒頭で大好きなフランクのヴァイオリンソナタを聴かせてもらえたのも嬉しかったが、いちばん心に響いたのはアンコールの「愛の悲しみ」だった。

なんだろう?「琴線に触れる」とはよく言ったものだ。

www.youtube.com

 

年末年始帰省の旅

2017年になっている。

恒例の年末年始帰省の旅。東京に戻って我に返るのも恒例。

年々1年経つのが早くなる気がする。なんていうと年寄り臭いが、実際「ジャネーの法則」というのがあって、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するそうだ。19世紀のフランスの哲学者が考えた法則とか。いわく、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1だが、5歳の人間にとっては5分の1も占める。5歳の子どもの10日間が50歳の大人には1日ぐらいにしか感じられない。そうか・・これからますます「1年の長さ」は人生全体において短くなるばかり。月日は飛ぶように過ぎていくのだ。

なので、ついこの間やったような気がする例年通りのルートで新幹線と在来線とバスを乗り継いで、関西方面の両家の両親を訪ねる旅で年が暮れ年が明けた。

f:id:chihoyorozu:20170107025922j:plain四国三郎吉野川

「1年の長さ」がそれぞれの人生に占める割合は違っていてもそれなりに1年分の変化はある。老親はまた一段と年老い、夫も自分ももはや若くはなく、息子たちもいつまでも子どもではない。ついに三男も成人した。

「帰省っていつまでやるもの?」と口に出すか出さぬかは別として、息子たちがそう思うのも無理はないけれど、これをやめると祖父母や親戚に会う機会はほとんどない。夏休みにはほとんど帰らなくなったので、家族全員で帰省するのはお正月ぐらいなのだ。

これは戦後の核家族化の結果であり、夫も私も東京に出てきたからであり、さらに高齢化社会の進展によるものでもある。

実家の母に「我が家でお正月をやるようになってかれこれ40年になる」と言われて愕然とした。そう言えば私が中学に上がる前に家を建てたのを機に、祖父母も長男である父の家に迎えてお正月を祝うようになった。もっとも祖父は間もなく他界したが、母が祖母の介護で大変だった頃、私は高校生だった。祖父母が亡くなった年齢より今やはるかに高齢になった両親。成人した孫がいる一方で昨年生まれた孫もいるという驚異的な年齢幅。おせち料理やお鍋を囲んで杯を交わせるのはなんと喜ばしいことだろう。まさに「有り難い」ことなのだが、すでに銀婚式も過ぎた私がいつまでも父母に迎えられる娘一家でいるのもどうなんだ?と思わざるを得ない。

私が自分の家に家族を迎えてお正月を祝うようになるのはいつだろうか?
いや、息子たちには将来親の家に集まるという発想はあるだろうか?
そのとき老親はどうなっているのだろうか?

昔と違った家族の有り様と長寿がもたらす、何と言おうか、例年の行事を延々と繰り返す長い年月。めでたいことには違いないのだが、それを支える体力、気力、経済力。互いを縛るものでもあるかもしれない。それが家族の絆というものなのだが。何か他のやり方があるだろうかと思案を巡らせる・・・

今年はとりあえず例年通りではあったけれど、親兄弟孫たちが全員揃ったことにはそれなりの理由もあり、今後もこれまでと全く同じわけにはいかないだろうという予兆を孕んだ年明けとなった。

いつの間にか自分たち世代も50代に入り身体もあちこち故障が出始める。もちろん若者ではないが、上の世代から見ればまだまだ若いだろう。中途半端な年代だ。高齢化社会と健康の関係は想像以上に悩ましい。誰だって元気でいたいし、元気でいてもらいたい。これだけ高齢者がいて、だんだん年老いて弱ってくるのを見ていると次の世代が元気でいないわけにはいかないというプレッシャーすら感じる。元気でいないと何もできないと自分を戒める。

帰宅すると届いていた年賀状の中に、ここ数日共に過ごした両親からのものもあった。

「無理は禁物」と母の字で書かれている。

2017年は健康第一。

 

 

 

白熱教室2016@東工大『甲状腺検査って・・・どうなんだろう?』

日曜の昼下がり。大岡山の東京工業大学蔵前会館で高校生向けの「白熱教室」が開催された。

テーマは、東日本大震災で起きた福島第一原発の事故を踏まえ、県内の子どもたちの健康を長期的に見守るために福島県が実施している甲状腺(超音波)検査。

私がこの検査について現地の方々の話を聞いたのは、震災から2年近く経った2013年1月に開催されたシンポジウム「生活のことばで科学と社会をつなぐ『ミドルメディア』の必要性―福島県甲状腺検査をめぐるコミュニケーションを題材に」に参加した時だった。

www.life-bio.or.jp

検査の意義や検査結果を保護者にどう説明するのかというコミュニケーションひとつをとっても微妙な問題だと思ったし、福島の甲状腺がん原発事故の放射線の因果関係をどう見るかも専門家によって意見が異なり、実際のところ何が正しいのかわからない。チェルノブイリ原発事故5年後あたりから子どもの甲状腺がんが多発したように、日本でも多発するのだとしたら時期的にはこれからなのかも知れない。すぐには断定できず、長期の経過観察が必要だろう。

www.huffingtonpost.jp

今回の「白熱教室」でそのような難しく重いテーマを扱うことに関しては主催者側でも議論があったようだが、検査を受けている当事者である福島の高校生と首都圏の中学・高校生が互いの現実を伝え意見を交わす姿からは、見守るギャラリーの大人たちも学ぶことが多かったのではなかろうか。

甲状腺検査の問題は甲状腺検査にとどまらなかった。

福島県浜通りから参加した高校生3人と横浜の中学・高校生9人、そして、ファシリテーター役として東北大学工学部の女子学生が輪になって座る。

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司会の澤田哲生先生の導入後、まずは福島の高校生の話を聞く。

浪江町出身の高校3年センパイ君:

「自分は毎年、甲状腺検査を受けていますが、今年から自分は受けないと言っている友達もいます。首だけを診てもらうためにわざわざ受診するのが面倒で、どうせ検査を受けるなら甲状腺だけでなく他の異常がないかも調べてもらいたいです。それとも甲状腺検査を全員義務ではなく、希望制にするなどにしてその分の予算を除染やその廃棄物の除去など復興に使ってほしいです。」

高校2年マッツン君:
「この夏、チェルノブイリ原発で被害を受けたベラルーシという国に行ってきました。放射線区域の近くまで行って交流して感じたのは、現地で生活している人たちと遠く離れて暮らしている人たちの考え方や情報のギャップがあることです。日本でも福島県内のニュースが震災当初は流れていましたが今は全国で流れていますか?福島県の現状が知られていないのが気になっています。それから教育の問題。自分たちは甲状腺検査のことをほとんど知らないんですよ。学校でも甲状腺放射線について全然教えてもらっていないんです。ベラルーシでは、小学生から週1回放射線の授業があるのに。」

高校2年ヒヨコさん:
福島県内でも意識の差はあると思います。センパイやマッツンは避難区域で今も帰れないけど、私が住んでいるのは茨城に近い市で、ほかの所と比べて線量が低いのであまり気にしていません。でも、このあいだ地震が起きた時には原発のことが心配になりました。震災後、都内で20万人規模の反原発のデモがあったとかいう話が出たけれど、東京の人たちが現地に行かないでニュースで流れる情報だけで判断して、そのイメージが先行したデモは、被災者がさらに風評被害を受けることにもつながります。当事者を置いたまま、よく知らない人たちが行動を起こすのはあまり嬉しくないです。だったら福島に来てもらってちゃんと事実を知ってもらってその上で原発に反対でも賛成でも主張してほしいと思いました。」

このような討論会に参加しようというだけあって、どの子も自分の考えをしっかり語るのにまず感心。それぞれの発言を受けて、横浜の生徒たちが質問や感想や意見を述べる。

「(甲状腺検査が面倒って)自分たちの健康よりも風評被害のほうが心配っていう話にびっくりしました。」

「検査は学校で受けられるんですか?自分から出向かなければいけないんですか?」

今日のテーマである「甲状腺検査」について、その是非を議論する以前に、彼らが検査のことをほとんど知らないという現実が明らかとなる。横浜の生徒たちはもちろん、当事者である福島の高校生でさえ、「なぜこの検査を受けているのか」を知らないとは驚いた。県から甲状腺検査についてパンフレットが配布されているが、ちゃんと読んでみたことがなさそうだ。よくわからないけれど全員義務だから検査を受けているということ。検査を受け始めた時点ではまだ中学生になるかならぬかという年齢だったから無理からぬことなのか・・・

「知らない」ということについて、横浜の女子生徒のしごく正直な発言に妙に共感した。

「私たちはもちろん何も知らないんですけど、私たちが外からの情報で不安になっちゃうことに対して(福島の人が)モヤモヤした感情を持つっていうのは・・・すみません。言いたいことがまとまっていないんですけど・・・どういうことに感情を持っていくというか考えたらいいのか・・・何を知ってほしいのか・・・私は福島のことに対して、原発あぶないなという感情とか、日常生活大丈夫かなっていう心配とか、当事者じゃないほうが大きいのかなと感じているんですけど・・・ああ、ごめんなさい。うまくまとめられないで・・・」

いえいえ、あなたの言いたいことはわかるし、うまくまとまらなくても言おうとした気持ちが切々と伝わってくる。まとまらない発言でもいいのだ。何でも言ってみる。それをバカにせず耳を傾ける空気が生徒たちの輪の中に醸し出されて、それぞれの率直な発言を促していたように思う。

もちろん、このような会に自主的に参加しようとするのはそもそも意識の高い生徒たちであるのは間違いないけれど、「発言しない」とか「議論できない」とされている日本のイマドキの若者たちが一生懸命に話をしている様は建設的で、感動的ですらあった。

何を知ってほしいのか?

センパイが答える。全国の高校生と交流するイベントに参加した時に、今でもフクシマではみなマスクや防護服を着ていると思っている人たちがいて、普通に暮らしているということを全国では知らない人が多いんだなと思ったと。

原発事故前と同じではないけれど、普通に生活しているというのが一番伝えたいことです。」

福島と横浜の生徒たちの「知りたい」「知ってもらいたい」という気持ちがだんだんと噛み合ってくる。

休憩時間中には生徒たちもギャラリーの大人たちも思い思いに質問や意見を付箋に書いて壁に貼るという趣向になっていて、さまざまな言葉が並び、生徒たちの手で分類された。

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おのずといくつかの論点が浮かび上がってくる。

  • 甲状腺検査⇒なぜ受けるのか?わかりやすく説明してほしい。
  • 教育⇒ 放射線のことをちゃんと教えてほしい。
  • 情報発信 ⇒ 福島の現状を正しく知ってもらいたい。

壁に並んだ付箋の中に、「中高生のみなさんは甲状腺がんが170人を超える人から見つかったことを知っていますか?」という書き込みがあった。

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「この質問を書いて下さった方に聞きたいんですけど、その170人というのは何人分の170人かわかりますか?」という女子生徒からの問いかけに対し、それを書いたギャラリーの大人が「それ書いたの私です」と名乗り出て回答。

「県民健康調査で当時18歳以下だった全員である30万人を対象に甲状腺検査を行ったところこの5年間で甲状腺異常が170人出てきたというのが県から出てきた数字です。」

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それに対して福島の高3センパイ君が即座に質問。

「えっと、異常が見つかったということなんですけど、原発事故との因果関係というか、潜在的ながんの可能性だってあると思うんですけど、原発に関することで異常が見つかったということになるのか、その点に関してはどう考えているのかを教えてください。」

「すごいやん。ええ意見や」と背後から感嘆の声が。参加されていた関西の大御所科学者女史のようだ。

今日はそこまでの議論をする設定ではなく、どうやら直に話をして問題意識を共有するところに眼目があるということだったが、次のステップではこのように大人がたじたじとなる「白熱教室」への可能性が感じられた。

少し時間を延長して1時半から4時前までの2時間半。まだまだ話し足りないようだったが、それなりに充実感があったのは、最初から最後まで輪の中で全員参加の話し合いが続いたからだろう。

発表者によるパワポのプレゼンがメインのよくあるパターンの会では、質疑応答の時間はほんの少ししかなくて受け身で聞いている時間が長い。しかも、発表内容が難しくてイマイチ理解できない場合は質問できる気がしなくて終わってしまい、結局あまり主体的な学びにならないことになりがちなのだ。

そうではなくて今日は、人の話を聞いて自分が思ったことを自由に出し合う中から「何をどう考えたらいいのか?」や「もっと深く知りたいこと、もっと話し合いたいこと」をみずから発見するというプロセスだった。もちろん、それなりのファシリテーション(誘導ではなく)は必要だが。

ただ、実際に時間が足りなかったことからもわかるように、今日のセッションは「ブレインストーミング編」であって、本当に「白熱」するのはこれからだ。ギャラリーに聞かせるのは本当はそれからのほうがいいのかもしれない。もっと多くの大人たちにも、ほかの生徒たちにも聞いてもらいたい。と言うか聞きたいし、なんなら自分も発言したくなるだろう。無関心だった生徒たちまで思わず引き込まれるようなセッションだったら。

今日出てきた「甲状腺検査」「放射線教育」「情報発信」について、もっと話し合うのだとしたら、たとえば敢えて意見の異なる専門家を呼んできて、それぞれの見解について中高生が徹底的に質問するというやり方も有効かもしれない。それもプレゼンは抜きで、お互いしっかり事前準備してきた上で最初から最後まで質問攻めの会はどうだろう。どんな質問にもわかりやすく穏やかに答えてくれる大人の専門家の方々にぜひ参加していただきたい。

若者たちは自分の先入観や固定観念に凝り固まらずに人の話を聞くことができる。若者たちは無知を晒すのを怖れない。大人もそういう心を失くさずに向き合いたい。

「次はぜひ福島でやりましょう!」の声で盛り上がって終了。

 

 

 

バイエルン放送交響楽団来日公演@ミューザ川崎

大学時代の先輩に誘っていただき、来日中のバイエルン放送交響楽団の演奏会に出かけた。

久々のミューザ川崎は早くもクリスマスムードに包まれている。

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今回は舞台下手を見下ろす3階席だったので、舞台上のハープやオルガンあたりは死角になったものの、盛りだくさんな打楽器群が近くに並び、ビオラ、チェロ、コントラバスの奏者が正面から見える。各パートの動きがほぼ上から眺められるという位置だった。そして、現れたマエストロ、マリス・ヤンソンスの横顔と棒の動きを感じながら、身を乗り出し気味にかぶりつきで見守るという贅沢な時を堪能した。

まずはハイドン交響曲第100番「軍隊」。ふわりと軽やかな出だしからして凄いオーケストラだと感じ入る。

100曲を超える膨大な交響曲を書いてこのジャンルを確立した“交響曲の父”ハイドンは、似たような曲が多かったり、退屈に感じられたことも過去にはあったのだが、今日の「軍隊」はオケの動きを上から眺めて飽きることがなかった。指揮棒と右手指先を巧みに使い分けたマエストロの繊細な指示にピタッと反応して絶妙なアンサンブルが繰り広げられ、なんて素敵なハイドン!と思っているうちに曲がどんどん進んでいく。

皮張りのティンパニにはほとんどの場面でミュートが置かれ、硬めのバチを駆使したユニークなフォームの首席ティンパニストは神経質なまでに歯切れよく、時に小太鼓でやるような2つ打ちのロールを繰り出すのに驚く。2楽章の終盤では大太鼓とシンバルとトライアングルがひとしきりトルコの軍楽隊風にドンドンシャンシャン軽快なマーチをやって一旦舞台から出て行った。楽器を持って出て行ったので、いずれ舞台裏で何かやるのかと思っていたら、フィナーレで客席最前列の前に下手側から行進しながら入ってきてびっくり。先頭にはお祭りのシンボルのような大きな鐘のついた飾り物が掲げられ、ハイドンは華やかにしめくくられる。よく見ると大太鼓の白い面にはWe  Japanと書いてあった。

休憩後にはハイドン編成を片づけたステージに夥しい数の椅子が並べられて巨大編成の交響曲を予感させる。ファースト・ヴァイオリンの後ろのほうは死角だが9プルトあったのだろう。セカンド8プルトヴィオラ6プルト、チェロ5プルトコントラバス4プルトと弦楽器だけで64人、管楽器も4管以上、ホルンはワーグナーチューバとの持ち替えも含めて8人、様々な打楽器にハープにオルガンにチェレスタという総勢150人によるリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」が始まった。

夜。静けさに闇がしたたり落ちる感じの中でトロンボーンとチューバの和音が厳かに響く。夜明け前がいちばん暗いのだ。最後の星のようにグロッケンがキラリと鳴ると夜が明ける気配が盛り上がり、シンバルの炸裂と共に日が上る。太陽の光が山頂から谷底まで一面を照らすのを感じて、それだけで泣きそうになる。

なんとまあ、オーケストラ冥利に尽きる曲であろうか。すべてのパートに美味しいところが割り振られて全員が存分に活躍できる感じ。適材適所に人材をうまく配して絶妙のチームワークでプロジェクトを進める優良企業のようだ。舞台裏から狩りのホルンが聴こえてくる。木管金管の見事なソロ(これは何の鳥だろう?)や和音に感服し、次は誰が出番だっけとワクワクしながら見せ場が続く中、曲は夜が明けてから山に登って頂上に到り、嵐に遭いつつ山を降り、また静かになってやがて日が暮れるまでの雄大なアルプスの風景を描いていく。

首席ティンパニスト以外の4人の打楽器奏者がそれぞれの持ち場にセットしてあった大中小さまざまなサイズのカウベルを大真面目にランダムに鳴らす姿が微笑ましい。また、ウィンドマシーンをぐるぐる回して風の音を煽ったり、サンダーマシーンという薄い鉄板をビラビラと揺すって叩いて雷鳴を轟かせたり、というこの曲以外では滅多に見聞きすることのない効果音が出てきて、あれ触ってみたいなあ・・などと思うのであった。

嵐の後、ひとしきりファースト、セカンドのヴァイオリン全体のユニゾンが続き、その間、ヴィオラとチェロとコントラバスがザザザザ、ザザザザ、ザザザザとざわめき続ける場面が妙に印象的だった。全員で一斉に同じことをやる。どんな単調なことでも自分の役割であれば淡々と真摯にこなす。もちろん、ここぞという聴かせどころは全体とのバランスを取りながらバッチリ決める。出番がたった1回ならば、ひたすらその出番を待つ。その集積がオーケストラだ。

世の中の秩序はそういうことをきちんとこなす職人と組織人によって支えられている・・・オーケストラを聴くと、いつもそう思う。革命を起こすのは違う人たちだろう。

リヒャルト・シュトラウスが十代の頃のドイツ・アルプス登山の思い出を温め、それから40年近く経って、1911年に亡くなったマーラーへの思いを込め、ニーチェからの影響も受けて「キリスト教的でないもの」ということで作り上げたこの交響曲。とにもかくにも圧倒的な音の物語に包まれていやおうなく大自然への畏怖の念に打たれるばかりである。

そういうアイデアを人間の集団による音として構築するために作曲家が150人もの人間にこまごま割り振った役割を各人が愚直なまでの職人芸で最高のパフォーマンスを繰り出し、指揮者の采配で絶妙にまとまって整然と前へ進んでいくと、そこに、1915年にリヒャルト・シュトラウスが志向した「偉大な大自然」が立ち現れるとは、この職人組織の仕組みのなんと凄い事だろう。

少し前にインタビューしたソロ・パーカッショニストは、たまにオーケストラに加わって「そのタイミングでその音量でその一発だけ」のような出番のほうがずっと緊張すると語った。好きなように表現できるソロや前衛的な打楽器アンサンブルのほうが自分は合っていると。また、ある元ティンパニ奏者は指揮者の指示にどうしても納得できず、バチを投げつけてオケを飛び出し、ソロのマリンバ奏者に転向した(これはきわめて珍しいケースだが)。

どちらが良いとか悪いとかということではなく、ソリストに向いている人からすると、オーケストラは全くジャンルの違う音楽であり、オケの奏者を「職人」として尊敬するということだった。

とりわけこれほど大掛かりでダイナミックな音楽は、超一流のマイスターたちが150人集まって最高のパフォーマンスを結集させればこそ実現できるのだ。その響きに酔いしれながら、こういう音楽に何故かくも心を揺さぶられるのか、何度も自問するのだった。