よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

中学生サミット2017その④ ダイアローグは難しい?

一泊二日にわたる中学生サミット。2日目最後のランチタイムを前に早退せざるを得なかった悔いが残り、この際もう一度、生徒たちに会いに行こうと思った。

さすがに六ヶ所村は遠いのでとりあえず横浜へ。最寄り駅から歩いて20分ほどの高台にある立派な校舎で再会した彼らは、旅先でのような「借りてきた猫」感がなくリラックスして声もワントーン落ち着いている。

ファシリテーションは難しかった?

中2K君:後半は「もっとみんなの近くに入ってサポートしたほうがいいよ」という(澤田先生の)アドバイスを受けたので、そういうことをしてみたら、ちょっとうまく行ったかなあと思ったんですよ。前半もそういうふうにできたらよかったと思いました。

― 後半というのは輪になって話し始めてからですね?じゃあ、隣の人と話すようなことをもっとやれば良かったと思いました?

中2Y君:でも、付箋を貼って、それをメリットとデメリットに整理して考えることが対話の前提条件じゃないですか。それがわかっていなかったら対話すら成り立たないから。

― それはみんな一生懸命やってましたよね。

中2K君:その時にも、もうちょっとみんなの近くでサポートできたらよかったかなと思います。

「核のごみ」のいくつかの処分方法について、それぞれのメリットとデメリットを自分なりに考えて付箋に書いて貼り、他の人が書いた付箋も見て整理するという作業自体は楽しかったと1年生の女子がみな肯く。

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― そういうお勉強はみんな得意のようだけれど、それを元に話し合いをするのは難しそうですね。周りで大人がいっぱい見ていることも気になりましたか?

中1Sさん:それはあまり気になりませんでした。

中1Yさん:大勢の人が聞いているのでちょっと緊張はしました。

― まだ自分の意見を言うのは難しいのかな?

中1Nさん:そうですね・・・

もうちょっとよくわかってから言いたいという感じ。でも理解をするにはまだ時間がかかるようだ。大人だってよくわからない難しい問題だから当然だ。

家に帰ってお父さんお母さんにはどんなふうに報告したかと問うと、そんなに詳しい報告はしなかったが「安全に帰れた」とか「勉強になったよ」ぐらいのことは言ったらしい。保護者の方々はとりあえず安堵されただろう。それにしても地下500メートルの坑道の見学なんてなかなか経験できない。行ったことは「良かったです」とみな声を揃えた。

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― これから自分としてはどうしたいと思いますか?

中1Sさん:因果関係やメリットやデメリットをもっと知って、どうしたらいいっていう、考えられる対策とかを発言できるようになりたいなと思います。

― ふーん、そうすると本当はもっと言いたかったんだけど、そこまでの知識もなく、あの場で初めて見聞きする話が多いし、自分の考えがまだまとまる手前ということだったのかな?

中1Sさん:はい。まだ自分の意見がまとまっていなくて、どういうメリットとデメリットがあって、どういうのはダメでというのはまとめたんですけど、それで最善の策というのを取っていくんですけど、なんか実感があまり湧かなくて、どうしたらいいって単純に言えないので、理解するのがきつかったです。 

― (ファシリテーター役だった2年生の)3人でイメージしていた話し合いというのはどんな感じだったの?

中2T君:正直もうちょいポンポン意見が出ると思いました。

中2Y君:自分の考えを持ってたら、それこそ付箋にバンバン書いて貼ってもらえると思いました。去年はもう、とにかく書きまくって貼りまくったんですよ。

今回司会じゃなくて、自分も話し合いに入っていたら3人とも言いたいことがいっぱいあったそうだ。そこは、ファシリテーター役に徹するなら出しゃばってはいけないと思い、「自分の意見」を述べるのは差し控えていたという。

六ヶ所村の生徒さんたちと少し話して、印象に残っているコメントはありますか?

中1Sさん:放射性廃棄物があることについて、イヤだなあとか怖いなあというのは感じてなくて、東京のほうだと土地が高いとかそういう問題があるからこっちにあるというふうに思ってて、別にイヤだとは思っていないというのが意外でした。

輪になっての小声の話し合いの中で「地層処分を六ヶ所村でやってもいい」という発言がチラッと聞こえたが、「それはすごく驚きました」と中2の男子たちが答えた。隣の席になった六ヶ所村の生徒と話したそうだ。「もう(低レベル放射性廃棄物が六ヶ所村に)来てるのだから、これ以上悪くなることはないと思っているようだった」という。「輸送する手間もあるし、六ヶ所に埋めちゃえばいいんじゃないかなというようなことを言ってました」と。みんなが同じ意見ではないだろうけれど、六ヶ所村の中学生の生の声を聞くのは貴重な機会に違いない。そして都会の子たちは、彼らなりに「東京の押しつけ」を申し訳なく思っているのである。

― では東京に埋めますか?

中2K君:僕は電力を使う都市圏に埋めるべきだと思います。

中2Y君:正直、埋めてほしくはないです。こういうところに。でも、それ日本国民というか全員だと思うんで。わざわざ埋めてほしいっていう人は絶対いないわけですから。

埋めること自体は「必要だ」と思っている。今回の新しい話題として出てきた沿岸海底下処分は「住民の反対もまだ少なそうだし」「海を汚染するリスクはあるけれど」一つの可能性としてはありうるという反応を見せつつ、本当に地下に埋めていいのかどうかと突き詰めると、それこそ「大人たちの意見を鵜呑みにすれば」安全だということになるけれど、そこは本当にわからない・・・わからないからその場がシーンとなる。わからないけれど、わからないなりに意見が出ればよかったのだろうか。

―(話し合いのテーマに関わらず)シーンとなった時って、シーンとなったまま、自分もシーンとしてますか?

中1Nさん:私はそうです。

中1Yさん:言う人は決まっていて、その人が言わなければそのままです。

中1Sさん:私は、沈黙を破りたいと一時的に思うんですけど、みんなが考えた意見などを整理する時間としては適切なので、悪くないとは思っています。

― ふーん。しばらく黙って考える時間も必要ということね。時間配分の問題もあったんでしょうか?8日の午前中だけじゃ足りなかったのかな?でも時間が余るのを心配してたよね。

中2Y君:3時間の予定だったんですけど30分早く始めたんで、結果的には15分延びたんですよ。なので「対話の時間」がもうちょっと欲しかったかなと思います。

メリットとデメリットを整理する段階では、そのあとどう進めるかあまり考えていなかったらしいが、輪になって隣の人と話す「対話」をやり始めてみると面白くて、続けていたらもっと意見が出そうだなぁと思うところで終わった・・という状況のようだ。

― じゃあ続きをやりたいですか?

中2K君:やる機会を設けていただけたら。

六ヶ所村に行ってみたいですか?と水を向けると、「あ、行ってみたいですね!」「あれ(再処理工場)が見られるのなら」「日本原燃には言いたいことがいろいろある(!)」と2年生の男子たちが前向きの反応を見せる。彼らは昨年の秋、浜岡原発を見学した経験もあるのだ。やはり、現場を見るのは大事だと思う。

六ヶ所村を訪ねて、今回のサミットで一緒だった生徒たちと再会すれば、ワンステップ進んで、彼らの意見も聞きたいし自分の意見も言えるようになりそう・・・中1女子の面々も。

難しいテーマだが、「中学生サミット」はざっくり言って「今回参加して楽しかった」し、「来年もまた行きたい」ということで意見は一致した。そして、来年行くときには自分なりにこうしようと思うことが各々あるようだ。

 前回サミットでファシリテーター役を務めたのは、昨年12月に東工大で開催された「白熱教室」にも参加していた現中3女子の先輩たちだ。

中2Y君:あの人たちすごくしゃべれるんですよ。今回、自分たちは1年生に対して「これやってください」って遠くから言うだけで、しゃべれなかったじゃないですか。

中3の先輩たちはすごい!とそこは感服しているようだ。中3の彼女たちには、とにかく発言しようという積極性があるのは確かだ。先日の「白熱教室」でも、途中で何を言っているのか自分でもわからなくなる迷走発言があろうとも臆することなくとにかくしゃべる。

― 意見をいう時はもっときちんと言いたいということ?

中1Sさん:そこまでではないんですけど、あまり文が整っていないと、何が言いたいの?という質問が多く出て答えられないのがきついので、やっぱりそんなに疑問が出ないぐらいには言えたほうがいいなと思います。自分の中でこんがらがると会話が成り立たなくなるので、それはイヤだなあと思います。

中2K君:でも、突っ込まれてもそれに対応することも社会では必要なので、それでもいいから言ってほしかったと思いますが、促すのも少し足りなかったというか。

― いえいえ、一生懸命促してましたよ。でもそう言われても・・という感じなのかな?責めてるわけではないんですよ。

中1Sさん:建設的対話をしようとは思うんですけど、頭の中で意見がまとまっていないとどうしても否定的な会話になってしまうと思って(言いませんでした)。

― みなさんの中にそんなに対立する感じはあったんでしょうか?みんなそんなに違った意見じゃないかもしれないけどそれをお互い言わないで終わった感じですか?

中2K君:お互いの意見もそう違わなくて、よくわかんないなあという、わからなさがみんな似ていたんだと思います。内容が難しかったからかもしれませんし、こちらの運営の問題もあったと思います。

昨年は話し合いが盛り上がったそうなので、改めて聞いてみたところ、確かに意見は活発に出たけれど、(瑞浪の)研究所や初日の夜のセッションで地層処分について受けた説明、つまり大人の考えを鵜呑みにしている感じだったと振り返る。また、昨年はディベート形式だったので、自分の考えはさておき、地層処分に賛成の立場と反対の立場に分かれて、それぞれの立場から意見を戦わせたので話はもっと単純だったようだ。

今年はディベート形式ではなく、様々な処分方法のメリットとデメリットを整理したうえで、「自分の考え」を出し合う対話を目指したのだが・・・

中2T君:去年のディベートをそのまんまパクッてやるのはいやだなあと思いました。

中2K君:バトルするのもやめたいなあって。

ディベートと言うのは、地層処分に賛成と反対に分けてバトルするんですね?

中2Y君:どっちの側になってもいくらでも意見が出てくるんです。

― 自分の意見はさておいて、どちらかの立場に立って意見を言うんだったらもっと言いやすかったですか?

中1Sさん:いちおう議題が決まっていたら話し合いの筋というのはあるので、するとどうしても・・・(しばし黙考)・・批判することはできるんですけど、なぜこちらのほうがいいのかはあまり意見を出せないほうなので、対立型だと相手を批判してもなぜこちらのほうがいいのか出せなくなります。

― すごくよく考えてるよね・・そうかそうか。つまり、今回はディベートじゃなくて、「核のごみ」の複数の処分方法について、それぞれのメリットとデメリットを挙げて、それをみんなの共通認識にした上で、自分はどうするのがいいと思うかをいろいろ出してもらおうと思ったということですね?そうしたらまだまだ整理しきれなくて、難しくて、自分の考えを言えなかったということ?

中2K君:大人でもわかんないでしょ?

― わからないですよ~ 難しい問題です。ウェブサイトにもありとあらゆることが書いてあって読み出したら本当にわからなくなります。みんなは中学に入ってすぐぐらいからこの問題について考えていること自体がすごいと思いますよ。

理科部という部活動でこのような取り組みがなされていることに感銘を受けた。「なんで理科部を選んだの?」と聞いてみたら「それ聞かれるのいちばんヤバイんです」と言いながらみんな口々にあれこれ言ってひとしきり盛り上がる。いい仲間だね・・・

大人の専門家の説明ぶりがどう聴こえたかも敢えて尋ねてみた。大人の言うことは信用ならん、何かもっともらしいこと言っているけどどうなんだろう本当は?という印象を受けたのか、それとも、やっぱり専門家としてその分野のことをよく知っている人たちが言ってることだからそうなんだろうと思ったのか?

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今年初めて参加した1年生の女子たちは「半信半疑」「だいたいは本当なんだろうけど少しは盛ってるのかなと思ったり」と比較的クールだったが、それぞれの分野の専門家たる大人が、中学生にもわかるようにいろいろ説明してくれているということは、素直に受けとめているようだった。一方、2年生の男子たちは「昨年は完全に鵜呑みでした」と振り返った上で、今年は「疑問を持ちながら話を聞いた」とか、「とりあえずひと通り聞いておいてあとでネットで調べて照らし合わせたりした」とか。なかなかの批判精神だ。

一足先に下校したK君は、いち早く今回の「中学生サミット」の感想を提出していた。理科部の宿題らしい。そのパソコンで打った文書がまた事前の要望書に劣らぬ立派な書きぶりである。

「①参加決定までの経緯
11月に部活動顧問より、主催する澤田氏から来年の中学生サミットに司会としての参加を求められるかもしれないとの旨が伝えられ、参加する意欲があるか尋ねられました。そのとき私は・・・(以下略)」

机の上に置かれたK先輩の感想文を読もうと1年生の女子たちが身を乗り出してくる。顔を寄せ、こちらの顔とも最も距離が縮まった瞬間だった。どちらかと言えばおとなしく慎重な彼女たちに「書くほうが得意?」と聞いたらニコッと笑って肯いた。

もちろん、話し合いは盛り上がったほうが楽しいし、充実感や達成感もあるに違いない。しかし、仮にそこまで活発でなかったからと言って、「話し合いの訓練が足りてない。だから日本の学校教育はダメだ」と断じるのではなく(確かにそういう面もあるが)、気軽に意見を言える積極性だけでない思慮深さも一方で評価したい。あの場であのような巨大なテーマに取り組んで、一人ひとりの生徒たちはそれぞれ刺激を受けている。心の中で様々な動きがあるのが感じ取れた。このままでいいとは思っていない。次に同じ話を聞くときには違った耳で聞こう。自分の考えを整理して次には言えるようになろう。そして、建設的な話し合いができるようになりたいと。(完)

 

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中学生サミット2017その③ どうする!?核のごみ

翌朝、討論会場に移動し、この「中学生サミット」のメインイベントである中学生によるダイアローグ(対話)セッションが行われた。

今回参加したのは、横浜の中学1年女子4名と中学2年男子3名、青森県六ヶ所村の中学1年男子3名の合わせて10名の中学生達。全国6地域の中学生が集まったという昨年と較べると今年は学校数も生徒数も少ないが、少人数ならではの話しやすさもあるかと期待して会場に向かう。

この企画の眼目でもある中学生自身のファシリテーションによる話し合い。ファシリテーター役を務めた横浜の中学2年男子3人組は、昨年のサミットにも参加した生徒たちで今年は先輩として話し合いをリードする立場に回った形だ。彼らはどんなふうに話し合いを進めていくのだろう。

・・・すぐに話し始めるわけではないようだ。

まずは、「核のごみ」の処分方法として、

  • 高レベル放射性廃棄物の地層処分
  • 使用済み核燃料の直接処分
  • 高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分

それぞれについてメリットとデメリットを整理するという作業が始まった。

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各自が付箋にメリットとデメリットを書き出し、ホワイトボードに掲げられた模造紙に貼っていく。ふーん。先日見た高校生の白熱教室ではしばらく話し合ってから、この付箋を貼って話を整理する手法が使われていたが、今回は最初にこれをやって論点を整理してから話し始めるということだろうか。いずれにしても中学生自身のアイデアだし、そう言えば、事前に提出された要望書(企画趣意書)にもそう書かれていた。

時々ファシリテーター役の3人が「思いつきでもいいので」とか「疑問とかあったらNUMOの方に聞いてもいいので」などと声をかける以外は粛々と作業が続き、会場はシーンと静まり返っている。

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話し合うんじゃなかったっけ?と思ったけれど、とりあえず大人は黙って見守ろう。8時半前から始まった付箋を貼る作業が9時過ぎまで続いた。

次に、1年生の7名が2グループに分かれ、今まで作業した3つの処分方法のいずれかについて似たような付箋を整理してメリットとデメリットをまとめるようにと2年生のファシリテーターから指示があり、「使用済み核燃料の直接処分」と「高レベル放射性廃棄物の沿岸海洋下処分」について、それぞれまとめることになった。グループは2つだから「問い」が1つ余るが(ん?)・・・まあいいか。中学生の発想は大人の形式論とはちょっと違うのかもしれない。

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グループは、六ヶ所村の男子3名と横浜の女子4名をそれぞれ2つに分けて組み合わせる形で作られたので、他校の異性と話し合う格好だが、自分の中学時代を思い出しても、思春期の微妙な年頃の子たちにそれはなかなか難しいだろうと思われた。六ヶ所村の男子1人に横浜の女子2人というグループではかろうじて会話があったようだたが、もう一方のグループは同じ中学の男子同士、女子同士でメリットとデメリットを分担してしまうと相互の対話はほとんど見られず、相変わらず静けさが支配する会場である。

グループワークの間に、ファシリテーター役の3人にこっそり声をかけてみたら、昨年と雰囲気が全然違って時間が余りそうだと焦っていた。昨年は地層処分に賛成の立場と反対の立場に分かれて議論するディベート形式の会だったそうだが、「昨年と全く同じことをやるのではなくて」、今年は違った“対話”をしたいと考え、その前提として参加者が知識・認識を共有しようという趣旨で、このメリットとデメリットの洗い出しを行うことにしたという。なるほど。なぜグループが2つなら、地層処分と直接処分の2つを較べる形にしなかったのか?と聞いてみると、今回せっかくNUMOの方に沿岸海底下処分という新しい話題を聞けたので、そのことについても考えてみたいと思ったからという話だった。ふーん。それにしても、昨年はもっと参加者数が多かったし積極的に発言する生徒が多くて大いに盛り上がったのに、今年は参加者が少なく、みんなおとなしくて困った。どうしよう・・と言っている。

9時20分から10時過ぎまでグループでのまとめ作業が続いた後、各グループからまとめた内容の発表があった。

中1Sさん:直接処分のメリットは、原子炉が少ない国ではあまり燃料を使用しないので、軽水炉で再処理するよりもコストが安くていいということで、しかし、高速炉で処理した場合はそれよりもコストが安くなると言われているので、全体的に見ると、軽水炉で再処理する場合はメリットとなります。

中1I君:直接処分のデメリットでは、固化体にするときよりも・・・・(しばらくメモを見ながら相談)・・・再処理していないため資源がもったいないこと、(有毒でなくなるまで)時間がかかること、また、熱を持つために間隔が必要で(最終処分場の)面積が多く必要なこと、放射能が漏れだしたりすることなどが考えられます。

中1Nさん:私たちのグループは高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分についてまとめました。最初にこの処分方法のメリットです。まず、沿岸海底下処分はロンドン条約に抵触していません。また海の深い所では水の流れが遅いため今後の予想がしやすく、地震津波の影響を受けないので安全です。そして海底なので場所を広く使うことができます。このようなことを含め、地域住民の人への影響が少ないことも沿岸海底下処分のメリットだと思います。

中1Ki君:高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分のデメリットは、海水準が約10万年周期の気候変動によってプラス5メートルからマイナス120メートル程度の範囲で変動すると考えられているため管理がしにくく、300メートル以深を確実にするのは不可能ということと、斜めに作ると真っすぐに掘るより長い距離を掘ることになるのでコストがかかるし、傾きがない場所に較べて事故が起きやすいということと、海岸線の変化により多様な地下水の動きが存在してしまうことです。最後に、「領土問題」についてまとめることができなかったので、書いた人から実際に説明してもらいます。

中1I君:えっと、処分する所が他国に入ったりしないように、そういう問題点を挙げました。

(拍手)

今回は大人のギャラリーのほうが人数が多いぐらいの場で、やや緊張気味の訥々とした発表だったけれど、言っていることはなかなかしっかりしている。こうして真摯に課題と向き合い、考えようという姿勢はすばらしい。さて、いよいよこれから「話し合い」が始まるのか。

休憩後10時半過ぎから再開。相変わらずの静かな雰囲気に、ファシリテーター役の3人組はここから先どうやって話し合いを進めたらいいのか困惑しているようだ。「自由に話し合えって言ったら絶対に身内同士で固まる」とか「そういう風にしたら発言しにくいと思う」とか言っている。澤田先生が助け船を出す形で10人が輪になって座って話すことになった。このあいだの高校生の白熱教室と同じ形式だ。

「全員で考えて」「何か決めなきゃいけない場合どうしたらいいと思う?」「論点を決めて話してみたら」という澤田先生のアドバイスに「そんなのできるか?」と半信半疑の司会のK君だったが、とりあえず隣同士で話してみることに。

隣の生徒と話す囁き声は間近まで寄っても聴こえないぐらいだったが、時折「対話」が辛うじて聴こえてきた。

「どうですか?核燃料サイクルは続けるべきなのかな?どう思う?俺は止めるべきだと思ってんだけど」

「まあでも使用済み核燃料で捨てるものはこれ以上減らすことはできないからね」

「ほかの国も諦めているんだから日本もとっとと諦めるようにと思ってるんだけど。だいたいできると思う?ぐるぐる回す高速炉なんて大人が夢みたいなこと言ってるけど、できなさそうじゃん。え?そういう話じゃないの?」

隣の人としばらく話してみるものの、ファシリテーター役3人組はなおも進行に苦心する。

・・・「人変えてみる?今度右隣りとか」「それ変わんない変わんない」「じゃあT君」「急に振るのやめて」「じゃあねえ、私を基準に右隣りの人とお話できる?みんな静かだから。俺だとなんかみんな文句言うからY君ベースで進めていいよ。いい?いい?じゃあどうぞ」・・・

内輪もめし始めるセンパイ達の迷走に苦笑いを浮かべて顔を見合わせる中1女子。隣同士で話し合う第2ラウンド(?)が始まる。

・・・・ひどいと思わない?東京の人が六ヶ所村に再処理工場を作ってしまったんだよ。今は中間貯蔵施設。最終処分場となったら、昨日の話でも掘り起こすってことはないわけだから永遠にそこに埋めとくんだよ。俺は都会人が責任を持って東京とか神奈川に埋めるべきだと思うんだけどなあ。土地がないと思います。ああ、土地がない?なるほどねー。無人島?東京の人たちはどう?あ、神奈川の人。今まで地方に原発を押しつけていたわけだよ。最終処分場が来ていいと思う?これも押し付けなんだけど、福島の本当に原発の近くで線量が高くてもう二度と住めないようなところに最終処分場を作るっていうのはどう?線量が高くて近寄れないからそういう施設を作るのも無理だと思います。あーそもそもね。北海道?いや、北海道は条例でダメっていうことになってる。地方っていうのは人が住みにくいから人が少ないんでしょ?・・・

「また椅子チェンジしますか?」「えーっ?このタイミングで?」「え?もっと話し深める?」

・・・ガラス固化体。かわいそうに思えてきちゃうよね。なんか東京のせいでね。俺たちひどいことしてきたんだよね。俺達じゃないよ。上の世代がね。申し訳ないなって思うんだよね・・・

聴こえるか聴こえないかぐらいの様々なつぶやきがブツブツ言っているのは、なんだか大人の世界でも表立っては言わずに内輪でヒソヒソ話しているのと似ている。「子は親の鏡」と言うから、やはりこれは日本的な有り様なのか?はがゆい。それともファシリテーションの問題なのだろうか?とにかくこの声の音量を上げるにはどうしたらいいんだろう?まともな意見や対話の芽のようなものも聞こえてくるのに、全体で話し合う感じに発展しないのはもったいないなぁとぼんやり考えながら、できるだけ近くに寄って「隣の人との話し合い」を聴き取ろうと努めた次第。

・・・「じゃ、人変えるか?」「変えよう」「どうやって変えるの?」「これでいいっか。じゃ、私を基準に左隣の人とまた5分ぐらいしゃべってください。じゃ、どうぞ」・・・

・・・何か疑問とか出ました?そこのお二人、いちばん活発に議論してたみたいだけど。無人島に入れる場合に、人間の管理がなしでもいいのかあったほうがいいのか話し合ってました。だって、地層処分っていうのはそもそも人間の管理は要らないんでしょ?私はあったほうがいいと思います。テロとかが起きる可能性はあると思うから。いや、ここに埋めたとは言わないと思う。いつの間にかさら~っと埋めてると思う。憲法を改正したら核の軍事利用ができるのか?(と話が飛ぶ)・・・

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・・・「じゃあみなさん、11時18分ですが・・・そろそろこれも終わりにしてもよろしいでしょうか?もうお弁当食べたいですか?それともあと5分話したいですかね?」とY君の提案でこの場は一旦終了。

「じゃあお弁当食べながら聞きたいことがあるので」という澤田先生の言葉もあり、このあとも食べながら少し話が続くようだったが、私はここで別件のため急ぎで帰京せねばならず、後ろ髪引かれる思いで会場を後にした。

こうして、盛り上がったとは言い難いままダイアローグセッションの時間は終了した。最後のランチタイムはどんな感じだったのだろうか。(続く)

 

 

 

中学生サミット2017その② 中学生の疑問にNUMOが答える

瑞浪超深地層研究所で地下500メートルの坑道から地上に戻るとすっかり日が暮れている。宿泊先のホテルへ移動して夕食後、地層処分に関するトークセッションが行われた。長い一日だ。

この「中学生サミット」は東京工業大学の学術フォーラム『多価値化の世紀と原子力』(代表:澤田哲生助教)が主催する企画で、ここ数年、毎年1回開催されてきた。

・・・サミットのテーマは、『どうする!?核のごみ(高レベル放射性廃棄物)』である。その目標は、中学生の目線で、ダイアローグ(対話)やファシリテーションを行うことである。ポイントは二つある。①議論を自分たちで内省的かつ発見的に構築し、議論を楽しめるか、②立場(出身地域、原子力立地地域―都市消費地、学年、ジェンダーなど)を超えて、相手に配慮した意見の表明や対話ができるか、である。・・・(月刊『世界と日本』No.1263&No.1264合併号 澤田哲生著「原子力問題の諸相ーパラダイムシフトに向けて」より)

今回ファシリテーター役を担当する横浜の中学2年生の男子生徒3人から主催の澤田先生宛てに、「どんなサミットにしたいか」という要望書が事前に提出されており、オブザーバーも目を通す機会があったが、これが実に見事な内容。

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趣旨  国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」では、核燃料サイクルの一環として使用済み核燃料の再処理をした際に出る「高レベル放射性廃棄物」を埋めることとなっている。しかし応募自治体は未だにない。また、核燃料サイクルは、高速増殖原型炉もんじゅで続いたトラブル、その検証があいまいなままでの高速実証炉開発、さらに高速商用炉開発までの代替とされているプルサーマルの遅れ・経済性の悪さといった問題があり思うように進んでいない。

そんな中、国は、思い切って核燃料サイクル政策を捨て、これから出る使用済み核燃料は直接「地層処分」することを地味ながら研究し始めた。さらに国は、核燃料サイクル政策を続けるにしても、高レベル放射性廃棄物を「海洋底処分」することについても研究を始めた。私たちもこれらを選択肢の1つとして検証をすべきである。

よって本企画では、高レベル放射性廃棄物の地層処分、使用済み核燃料の直接地層処分、高レベル放射性廃棄物の海洋底処分について、それぞれメリット、デメリットを洗い出し、どれが良いのかを共に考えていく。

要望  超深地層研究所での見学事前講習では、昨年通り国が高レベル放射性廃棄物の地層処分を進める理由とその詳しい内容、および超深地層研究所の概要について参加者に説明していただきたく存じます。

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さらに、1日目の夕食後に参加者が説明を聴きたい5項目が列挙されている。

  1. 国が進めている核燃料サイクルとは何か。
  2. 国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」は、核燃料サイクルの一環であること。しかし、応募自治体は未だにない。また、核燃料サイクルには現在さまざまな問題が生じていて、あきらめるべきとの声もあること。
  3. 核燃料サイクルをあきらめる場合、使用済み核燃料は直接処分になること。
  4. そんな中、国が使用済み核燃料の直接地層処分の研究を始めたことと現在の研究状況。また、フィンランドスウェーデンでは使用済み核燃料を直接地層処分することになっていることとその詳しい内容。
  5. さらに最近、国が高レベル放射性廃棄物の「海洋底処分」の研究も始めたこととその理由、および高レベル放射性廃棄物の「海洋底処分」の内容、および現在の研究状況。

いやいや~ よく調べ、よく考えた堂々たる要望書。下手な大学生より大人っぽい文章に感心する。

かくして夕食後のトークセッションは、中学生からの上記疑問にNUMOが答えるという形で行われた。

NUMO=Nuclear Waste Management Organization of Japan(原子力発電環境整備機構)は、原子力発電により発生する使用済燃料を再処理する過程で発生する高レベル放射性廃棄物の最終処分(地層処分)事業を行なう日本の事業体である。

今回の回答者であるNUMOの加来謙一課長のクールで丁寧な解説に、中学生と一緒に耳を傾ける。

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そもそも核燃料サイクルとは何か?という説明の後、その実現性に関してよく受ける質問とそれに対する回答が紹介された。

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Q:「青森県六ヶ所村の再処理施設は本当に稼働できるのか?」

A:技術的な課題は解決済みだが、東日本大震災福島第一原発を踏まえて制定された原子力規制委員会の新基準に適合するための取り組みが進められており、現時点では再処理工場の竣工時期は2018年度。

Q:「もんじゅ廃炉が決まったが、核燃料サイクルは機能するのか?」

A:政府は2016年12月に原子力関係閣僚会議を開き、JAEA高速増殖炉もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉を正式に決定。一方、エネルギー資源を有効活用する「核燃料サイクル」政策を維持するため、もんじゅよりも実用化段階に近くなる「実証炉」の開発に踏み出す方向性を打ち出した。その一つの選択肢として、フランスが開発に取り組んでいるASTRID炉の研究開発に参画することも検討されている。

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そして、再処理・ガラス固化体処分と使用済み燃料の直接処分の比較、直接処分に関する検討、地層処分事業で先行しているフィンランドスウェーデンの事例、さらに、海洋底処分について、パワポのスライドを見せながらの説明が粛々と続いた。

寡聞にして知らなかったのは、沿岸海洋下処分のことである。

海の底に処分する海洋底処分はロンドン条約により禁止されているが、陸域から沿岸海底下にアクセスする処分方法であればロンドン条約に抵触しないという。なぜ沿岸なら良いのか、その法解釈は今一つよくわからなかったけれど、一つの可能性として検討されているらしい。

「沿岸海底下等における地層処分の技術的課題に関する研究会とりまとめ」を 策定しました (METI/経済産業省)

なお、直接処分と再処理を比較したこの興味深いスライドについて、高レベル放射性廃棄物を軽水炉で再処理した場合は直接処分に較べてコストが高くなる一方、高速炉で再処理した場合は「試算なし」となっているが、コストダウンの可能性がある・・・という澤田先生からの補足説明もあった。

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総合資源エネルギー調査会原子力小委員会第6回会合資料3
「核燃料サイクル・最終処分に関する現状と課題」(平成26年9月)より

生徒たちからの事前質問状にある通り、国が使用済み核燃料の処分方法としている「地層処分」は核燃料サイクルの一環である。原子力発電というものが、使用済み燃料の有害度の問題もサイクル全体のコストの問題も高速炉が実用化されればかなり解決できるということを想定して(期待して)進められてきたことがわかる。

現在既にある使用済み核燃料の処分の観点からは「核燃料サイクル」政策を維持するのが得策というか必要である(本当にできるのかどうかは別として)という説明をしてくれたら、もう少し国民合意に近づく可能性があると思うのだが、どうなんだろう? それでもやはり「もんじゅ」は廃炉すべきなのだろうか? 目的や手段がわからなくなる。

www.huffingtonpost.jp

現にある使用済み核燃料(プルトニウムウランを含み95%再利用可能?)を
潜在的な有害度(仮に人間の体内に入った場合の有害度。放射能とは異なる)が
天然ウランと同程度になるまで、10万年間埋めておく方法を考えたほうが良いのか?

あるいは、高速増殖炉の稼働による核燃料サイクル完結の可能性に賭けて、使用済み燃料からプルトニウムウランを取り出す再処理をした残りの核分裂生成物などの高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にして処分するほうがよいのか?

・・・難しい問題だ。

中学生たちにはNUMOの説明がどう聞こえただろうか?

事前の質問状の立派さとは裏腹にその場ではシーンとしてしまいがちではあったが、2つほど質問が出た。

Q(中一女子):少しおかしな質問だとは思うんですけど・・10万年単位の変化などは予想しづらいが、もしも大きな変化が予想され危ないと思われるような場合には(放射性廃棄物を)移せるような準備をしているのでしょうか?

A:ありがとうございます。結論から言うと、よほどのことがない限り移すことはないと思いますし、そういう移さなくていいような処分をするというのが我々の考え方です。六ヶ所村で地表の近くに処分している(低レベル)廃棄物というのは、ある一定期間(300年間とか)人間が管理をして、その後はもう管理しなくていいよというやり方ですが、地層処分というのは、人間がずっと管理を続けていると、何万年間もずっと管理しなくてはならないので現実的にはできないということで、人間の管理に頼る処分ではなくて、安定した地下深くに処分して自然に任せようという考え方ですので、何万年間もモニタリングを続けていて何かあったときに「あぶないから取り出そう」ということは想定していないですね。そういうことが必要ないような処分をするということです。(との回答の後、確かに何万年後の状況を正確に言い当てることはできないが、悪いデータを積み重ねた最悪の場合を想定してもそれほど人間に影響を及ぼさないような処分を設計していくという趣旨の補足あり)

Q (中二男子):日本以外にこの沿岸海底下処分を検討している国はありますか?

A:高レベル放射性廃棄物を沿岸海底下に計画として処分しようとしている国は私が知っている範囲ではないですね。ただ、先ほどスウェーデンの例で申し上げたように、中・低レベル放射性廃棄物を実際に海の底に処分しているという国はスウェーデン以外にもあります。フィンランドの処分場は半島の先の方にあり、周りは海なので、陸線から出ないように処分するということですが、海水域が変われば部分的に海の底に入る可能性もじゅうぶんあるわけで、地下水もあの辺は海水になりますので、ほとんど沿岸海底下に処分するのとあまり変わらない条件で処分しているという事例はあるということになります。

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さてさて、実際に地下500メートルがどんな所か自分で体験してみて、それから地層処分を担う機関の専門家の説明を受けた上で、明日はどんな話し合いになるのだろう。(続く)

 

 

 

 

中学生サミット2017その① 瑞浪超深地層研究所見学

新年早々、冬休みが明けるか明けぬかという週末に一泊二日で開催された「中学生サミット」にオブザーバーとして同行した。

原発の「核のごみ」の地層処分について、最先端の研究施設を見学した上で中学生なりに考えるというユニークな試みである。何回かに分けて振り返ってみよう。

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その① 瑞浪超深地層研究所見学
その② 中学生の疑問にNUMOが答える
その③ どうする!?核のごみ
その④ ダイアローグは難しい?

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まずは地の底へ。

岐阜県瑞浪駅に集合した中学生と、主催・引率・オブザーバーの大人たちで総勢約20名。駅から車で5分ほどの瑞浪超深地層研究所へ向かう。

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この研究所と、お隣の土岐市にある土岐地球年代学研究所の2つの研究所を有する国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)東濃地科学センター(Tono Geoscience Center)。略してJAEATGCと言うようだが・・原子力関係の機関名は、漢字を並べた日本語でも英語の頭文字でも、何とも長ったらしく似たようなものが多くてわかりづらい。

JAEATGCでは原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)を安全に地層処分するための基盤的な研究開発を行っている。

なぜ岐阜県の山あいにそういう研究施設があるのか?

もともとは1962年にこの地でウラン鉱床が見つかり、旧・原子力燃料公社(原燃≠日本原燃⇒のちに動力炉・核燃料開発事業団=動燃⇒1998年に核燃料サイクル開発機構⇒2005年にJAEAに統合・再編←とにかくややこしい組織の変遷!)により竣工した東濃鉱山で、1971年からウラン鉱床の形態や鉱石の分布状況を明らかにする目的で坑道を掘っていた。1986年からは地層科学研究の場として、主に堆積岩を対象に「岩盤中の物質移動に関する研究」等を行う。東濃鉱山は2004年に休止され、閉山措置が進行中。

日本では1976年から地層処分の研究が始まり、茨城県東海村などで研究開発が進められてきた。1999年に核燃料サイクル開発機構(現JAEA)は地層処分の技術的信頼性を示し、この成果を受けて実際の日本の地下深部に関わる研究を実施するために、2002年に瑞浪超深地層研究所の建設に着工。地層処分や深部地下環境に関わる研究が行われている。岐阜県のほか北海道に幌延深地層研究センターがある。

瑞浪では、2014年に深度500メートルの水平坑道の掘削が終了しており、深度500m研究坑道や深度300m研究坑道を見学させてもらえる。

事前に改めて知識を仕込んでくる余裕がなかったけれど、このJAEATGCのサイトはなかなかしっかりしていて、私のような門外漢や中学生にもわかりやすい「もぐら博士の地下研究室」という楽しいページもある。

もぐら博士の地下研究室

地上でJAEAの担当者からひと通りのレクチャーを受けた後、つなぎ服に着替え、反射ベスト・ヘルメット・安全長靴・軍手を身につけ、坑内PHS携行という安全装備の上、いざ地下500メートルへ。ちょっとドキドキ。

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3班に分かれて10人乗りの鳥かごのようなエレベーターで立坑を降りていく。坑内は真っ暗だが、100メートルごとに水平坑道との連結部があって一瞬その明かりが見える。1分間に100メートルのスピードで降りて5分もすると地下500メートル近くに到達する。高層ビルから降りる時と同じように耳がツーンとする。

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エレベーターから降りて、最後の20メートル余り(=ビル8階分ぐらいの高さ)は90段の螺旋階段を降りる。地上より温かくて湿っぽい。

「“地温勾配”と言って、地下200メートルあたりからは100メートル降りる毎に2~3℃温かくなります。このあたりでは10℃ぐらい温かくてモワッとしています。」

JAEAの福島さんの丁寧な説明を受けながら地下の坑道を歩く。

 

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坑道は思ったより広く、壁面の下の方には剥きだしの花崗岩が見える。

だんだんと下り坂になり、その突き当りには止水壁があった。再冠水試験のためだと福島さんからの解説。

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「元々、全ての岩石は水に浸かっていました。ここをいずれ土で埋め戻すと、また水に浸かります。この坑道はまだまだ向こうにも続いていますが、あの扉の向こうには今は水がたまっています。その圧力がどのぐらいなのか?どれぐらい水がたまるのかを試験しているのです。」

「そんなことはまずないけれど」と前置きしながら、万が一扉が壊れても坑道が水没しないように、止水壁の手前は下り坂になっているというお話だった。

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止水壁から上り坂をゆるゆると引き返して、エレベーターがある立坑の反対側に行くと同じ深さの通気坑がある。反対側の坑道には地下水の湧水が多い場合の湧水抑制対策として、地下水の通り道となる岩盤の割れ目にセメントミルクなどを注入するグラウト作業を施した壁面も見られた。 

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 万が一の場合の退避場所が設けられ、簡易トイレや飲料水、非常食、救急箱なども準備されている。

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見学コースの壁面に沿ってあちこちにパネルが設置されこまごまと説明が書かれているが、そんなに綿々と読む余裕もなく、福島さんのお話を聴きながら歩くこと、小一時間もいただろうか。

自分が地中深くを普通に歩いているのが不思議だったが、一方で、人間は地表からこれぐらいの所まで掘り進むことができてしまうことが実感できた。もっともっと深いところまででも掘ろうと思えば掘れるのだろう。

地下と言えば、私にとっては完全にファンタジーの世界だった。暗くてジメジメしていて水がたまっているイメージだ。中学生の頃に夢中で読んだ『指輪物語』のシーンは映画『Lord of the Ring』で見事に再現されていた。滅びの指輪を拾ったゴラムがホビット族のビルボに会うまで何年もの間ひっそりと隠れ住んでいた地中の水辺である。実際に地下に来てみると、果たして水があった。

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岩の隙間からしみ出た地下水が管から流れ落ちて貯水されポンプで汲み上げられ、地上の排水処理設備で処理の上、狭間川に放流される。毎日約800㎥排水されているようだ。

瑞浪超深地層研究所の日常の排水管理状況等

 

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何万年も前に降った雨がじわじわと浸透して、地下ではごくわずかしか動かない。坑道を掘ったことによって流れこむ場所ができるから動くわけで、大量の地下水が沁み出してくるのである。

rengetushin.at.webry.info

 

ここをそのうち埋め戻すのか・・・

瑞浪には「核のごみは持ち込まない」という地元との約束がある。

いつか日本のどこかが最終処分場に選ばれ、高レベル放射性廃棄物が地下350メートルより深い地層に埋設されるというプランが地層処分。以前は地下500メートルなんてうんと遠い所に思えたが、実際に来てみると、あっさりとアクセス可能で拍子抜けするぐらいだ。地下に「そういうモノ」があることを知れば、盗み出して悪事を働こうとする人間がやって来るんじゃないだろうか? たとえ埋め戻してあっても、一度掘れたのだから、また掘ることだってできそうじゃないか。

・・・遺跡のような地下の坑内にドリルで穴を掘って潜入するテロリストから前時代のお宝ならぬガラス固化体に再処理された高レベル放射性廃棄物を守ろうとする主人公が秘密のトンネルで暗闘を繰り広げる・・・サスペンスアクション映画みたいな妄想が膨らんでしまう。

数万年間の地下水の動きや地殻変動は重要な研究課題に違いないけれど、近未来の人間の侵入のほうが怖いような気がした。

もちろん、地上に保管していたら、地震、隕石、津波、台風などの天変地異から爆発事故や火災、戦争にテロリストの侵入など人間が絡む話まで、リスクはもっと大きいだろう。だから、地層処分するのがベターなんだろうなぁという気はするけれど、「伝説の危険物」を見張る「守り人」がどうしても必要だと思う。それは誰だ?政府直属の特殊な科学者集団?!何年ぐらい?数百年?数千年? 世代、時代を超えてどうやって引き継いでいくのか?その頃、日本ってあるのか?

そういう人類の文明の時代も過ぎ去った(?)何万年も遠い未来には、地下深くは比較的安全かもしれない・・・しかし、近い将来のいつか埋めれば終わりというわけにはいかないだろう。

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帰りはビル8階分ほどの螺旋階段を昇るのが少しキツかったけれど、エレベーターに乗れば5分で再び地上に戻る。今や地下500メートルが近く感じられる。

中学生たちはどのように感じたのだろう?(続く)

 

カレンダーをめくる時

お正月休み。実家に帰ったらトイレのカレンダーが変わっていた。

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2017年の新しいカレンダーではない。

父が何年も使っている相田みつをさんの日めくりカレンダーだ。

日めくりだけど、毎日めくっているわけではないようで。

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ここしばらくは、いつ帰ってもこのページだった。

久しぶりになぜ、ページをめくったのか?

そもそも誰が見ることを想定しているのだろう。

普段は両親が二人で暮らす実家。それもリビングや玄関の壁ではなく、トイレというプライベートスペースの扉の内側に掛かったカレンダーを見るのは、どう考えてもほとんど自分(父自身)だ・・・どういう観点で言葉を選んでいるのだろう? 何らかの意味付けがあるのだろうか? いつ変えたのだろう? ぺージを変えようと思う心境の変化があったのか?・・・カレンダー1枚でいろいろ想像が膨らんでしまう。

80歳を超えた父はここ1,2年、いわゆる「終活」に取り組んできた。昔から用意周到であることを自他に求め、石橋を叩いても渡るのを止めておく(含:止めとけと言う)ような用心深い父。

ひとつひとつ片付けて、ある程度片付いたのかな・・具体的に。

実家に帰るのは年に数回程度だが、数日の滞在中このカレンダーはずっと同じページだし、かと思えば、別の帰省の折にはふと違う言葉になっていたりすることも。
こういうページの時もあった。

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その時の自分の状況にも妙にフィットして、なにやら励まされているような気がしたものだ。

そしてこのお正月に初めて見たこの言葉。

「この我執の強さ そして この気の弱さ

共に佛さまがわたしに授けてくれたもの」

父の独白のような、この「時々めくる」カレンダーの心を娘がどれだけ理解できているか、心もとないところではあるけれど、そこはかとなく伝わってきた年頭の辞である。

 

 

愛の喜びと悲しみのクライスラー

本年初記事は1月6日付でジャパンタイムズに載った。今年も前職への感謝の気持ちを忘れず、少しずつでも書き続けていこう。

www.japantimes.co.jp

元々は、あるヴァイオリンリサイタルについて小さなお知らせ記事を頼まれサラッと書いて昨年末掲載予定だったのだが、プラスαで膨らんだものが新年早々カラーバック面に大きく載るとは驚き。ネタというのはわからないものだ。活字になっているものの背景には、内容面のアピール以外に人のご縁やタイミングなど、さまざまな事情がある。

今回の企画は、1730年代のグァルネリの名器でフリッツ・クライスラーが愛用していたヴァイオリンの精巧なレプリカを東京在住のドイツ人ヴァイオリン製作者が作り、それを使って1920年クライスラーカーネギーホールで行ったリサイタルのプログラムを再現しようという実に凝った趣向で、リサイタルのみならずヴァイオリン製作の話も取り上げることになったのだ。

www.japantimes.co.jp

ネタが少ないというより書き手が少ない(みんな休みたい)お正月。「やります」と言うと年末年始の帰省の道中もゲラを抱えて歩き、3日には出社してきたカナダ人エディターからどんどんメールが来てぎりぎりに校了という感じになる。無事に発行できてホッとした。新年早々、追加の質問に返信して下さったプロイス氏や岩住氏にも感謝したい。

Re-creating musical genius
Tokyo-based luthier brings oiginal flair to art of replication
Violinist to restage Fritz Kreisler's famed 1920 recital

という記事の見出しや、

A TUNE THAT BEARS REPETAING
Musician to replicate famed recital right down to the violin

という1面ティーザーのキャッチを見ただけで、だいたいどんな内容の記事なのか想像がつくようになっているのはさすが新聞というもの(だから詳しく知りたいと思わない記事は読まなくてもいいのだ)。要は何なのかを端的に表現するエディターの用語のバリエーションに素直に感心する。(なるほど~~そういうふうに言うんですね・・)

ちなみに、ジャパンタイムズの見出しは紙面とオンラインで随分違っている。邦字紙の場合は知らないが、紙面はレイアウト・デザイン上の長さの制約があるし、あくまでも読者の目を引くキャッチ―な言葉が選ばれるが、ウェブでは当然ながら検索キーワードでヒットしやすいことが優先なのだ。

こういう見出し類からは、究極の理想の音を求めて楽器も演奏も究極の再現を繰り返すのがクラシック音楽なのだということが伝わってくる。そして、究極の理想というのはなかなか辿り着けない永遠の憧れのようなものである。

こういった紹介記事はたいていプレビューなので、書いた記事の演奏会は極力聴くようにしている。と言うより実際に確かめずにはいられない。

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ヴァイオリニストの岩住励氏はニューヨーク在住なので今回はメールでのインタビューになったが、その回答ぶりにいたく感銘を受けたのだった。同趣旨の解説が当日のプログラムにも掲載されている。

「20世紀初期のヴァイオリンリサイタルは現在のものとは多少違った。ピアノ伴奏での協奏曲が弾かれることも珍しくなく、小品を並べたプログラムもごく普通であった。必ずしもソナタ、あるいは華麗な曲芸のような曲で終わるわけでもなかった。コンサートの内容や長さが多様だった19世紀からの影響と考えられる。

その中で、1920年12月5日にクライスラーが弾いたプログラムは異例だった。翌日NYタイムズ紙が『彼が前に弾いたコンサートに比べてシリアスなものだった』と述べており、クライスラーが考え抜いたプログラムだったのだろう。・・・(以下略)」

当時人気絶頂だったクライスラーカーネギーホールでのその演奏会は、「立って弾く場所がやっとのほどにステージ上にも客が詰め込まれ、超満席だった」そうだ。

昨日のプログラムには、1920年当時のプログラムのコピーが広告まで含めて丸ごと掲載されていて面白い。

フランク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ1番
(休憩)
クライスラー:ロマンスとカルチエ様式による『シャス』(狩り)
コルンゴルトシェイクスピアの「から騒ぎ」のための音楽より

・・・ということで興味をそそられる意欲的な試みだった。

使用楽器であるグァルネリのレプリカを作ったプロイス氏の流暢な日本語による極めて日本的な挨拶に続き、岩住氏のヴァイオリンと江口玲氏のピアノ伴奏による演奏が繰り広げられた。書かれる文章からも窺える造詣の深さとさらなる探求心がにじみ出るような知的な演奏だった。元のグァルネリによる演奏を生で聴いたことがないので厳密には較べられないけれど、その精巧なレプリカであるヴァイオリンから発せられる中・低音部の柔らかく豊かな響きがいいなと思った。良く鳴っていたように私は感じたのだが、さすがに製作者本人はもっと厳しい。

終演後、プロイス氏に「で、どうでしたか?楽器の響きは」と声をかけると、
「うーん、もっと『質』がほしいです」という答えが返ってきた。
「『質』ってどういうことですか?」と聞き返すと、「それを説明するのは難しい」けれど、もっとグァルネリらしい倍音をたくさん含んだ音を求めているようだった。

さすがは職人のこだわり。やはり、究極の理想はちょっとやそっとで実現できるものではないようだ。彼はストラディバリのレプリカ製作にも取り組んでいるところである。

演奏者からも楽器製作者からも、そのような飽くなき理想の追求といえる謙虚な姿勢が前面に出た演奏会だった。冒頭で大好きなフランクのヴァイオリンソナタを聴かせてもらえたのも嬉しかったが、いちばん心に響いたのはアンコールの「愛の悲しみ」だった。

なんだろう?「琴線に触れる」とはよく言ったものだ。

www.youtube.com

 

年末年始帰省の旅

2017年になっている。

恒例の年末年始帰省の旅。東京に戻って我に返るのも恒例。

年々1年経つのが早くなる気がする。なんていうと年寄り臭いが、実際「ジャネーの法則」というのがあって、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するそうだ。19世紀のフランスの哲学者が考えた法則とか。いわく、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1だが、5歳の人間にとっては5分の1も占める。5歳の子どもの10日間が50歳の大人には1日ぐらいにしか感じられない。そうか・・これからますます「1年の長さ」は人生全体において短くなるばかり。月日は飛ぶように過ぎていくのだ。

なので、ついこの間やったような気がする例年通りのルートで新幹線と在来線とバスを乗り継いで、関西方面の両家の両親を訪ねる旅で年が暮れ年が明けた。

f:id:chihoyorozu:20170107025922j:plain四国三郎吉野川

「1年の長さ」がそれぞれの人生に占める割合は違っていてもそれなりに1年分の変化はある。老親はまた一段と年老い、夫も自分ももはや若くはなく、息子たちもいつまでも子どもではない。ついに三男も成人した。

「帰省っていつまでやるもの?」と口に出すか出さぬかは別として、息子たちがそう思うのも無理はないけれど、これをやめると祖父母や親戚に会う機会はほとんどない。夏休みにはほとんど帰らなくなったので、家族全員で帰省するのはお正月ぐらいなのだ。

これは戦後の核家族化の結果であり、夫も私も東京に出てきたからであり、さらに高齢化社会の進展によるものでもある。

実家の母に「我が家でお正月をやるようになってかれこれ40年になる」と言われて愕然とした。そう言えば私が中学に上がる前に家を建てたのを機に、祖父母も長男である父の家に迎えてお正月を祝うようになった。もっとも祖父は間もなく他界したが、母が祖母の介護で大変だった頃、私は高校生だった。祖父母が亡くなった年齢より今やはるかに高齢になった両親。成人した孫がいる一方で昨年生まれた孫もいるという驚異的な年齢幅。おせち料理やお鍋を囲んで杯を交わせるのはなんと喜ばしいことだろう。まさに「有り難い」ことなのだが、すでに銀婚式も過ぎた私がいつまでも父母に迎えられる娘一家でいるのもどうなんだ?と思わざるを得ない。

私が自分の家に家族を迎えてお正月を祝うようになるのはいつだろうか?
いや、息子たちには将来親の家に集まるという発想はあるだろうか?
そのとき老親はどうなっているのだろうか?

昔と違った家族の有り様と長寿がもたらす、何と言おうか、例年の行事を延々と繰り返す長い年月。めでたいことには違いないのだが、それを支える体力、気力、経済力。互いを縛るものでもあるかもしれない。それが家族の絆というものなのだが。何か他のやり方があるだろうかと思案を巡らせる・・・

今年はとりあえず例年通りではあったけれど、親兄弟孫たちが全員揃ったことにはそれなりの理由もあり、今後もこれまでと全く同じわけにはいかないだろうという予兆を孕んだ年明けとなった。

いつの間にか自分たち世代も50代に入り身体もあちこち故障が出始める。もちろん若者ではないが、上の世代から見ればまだまだ若いだろう。中途半端な年代だ。高齢化社会と健康の関係は想像以上に悩ましい。誰だって元気でいたいし、元気でいてもらいたい。これだけ高齢者がいて、だんだん年老いて弱ってくるのを見ていると次の世代が元気でいないわけにはいかないというプレッシャーすら感じる。元気でいないと何もできないと自分を戒める。

帰宅すると届いていた年賀状の中に、ここ数日共に過ごした両親からのものもあった。

「無理は禁物」と母の字で書かれている。

2017年は健康第一。