よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

蝶々夫人は死なず

蝶々夫人」は決して好きなオペラではなく、観るたびに何とも言えずモヤモヤした気持ちになるのに、つい、また観たくなるのはなぜだろう?

最初に観たのは15年ぐらい前だったか、ベルリンに住んでいた頃のシュターツオパー(ベルリン州立歌劇場)。この時の主役が誰だったのか全く覚えていないが、聴かせどころで高音が出なくてがっかりした上、着物が変、所作が変(両手を胸の前で合わせてお辞儀とか)、ラストシーンが変(子役は使わず、のっぺらぼうの人形を抱いて最期のアリアを歌ってから自刃)・・現地で素晴らしいオペラもいろいろ観たが、これは・・・ヨーロッパ人が日本を描くとこうなってしまうのかと愕然としたのだけが印象に残っている。

なので、日本で日本人の演出家による上演ならば、こと「蝶々夫人」に関しては極端に変なことがないだけでも安心して見られるのだが、前回2014年に新国立劇場で観た栗山民也さん演出の公演は、舞台の美しさには感銘を受けたものの主役のソプラノが外国人で所作がやっぱり変だった。しょうがないのかもしれない。

そういう意味では今年2月の新国立劇場公演は、これまでの定番の栗山演出でも久々に日本人ヒロインによる「蝶々夫人」ということで期待して臨む。

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主役の安藤赴美子さんは日本美を体現し「ある晴れた日に」をはじめ歌唱も素晴らしく、かなり共感できるヒロインだった。第2幕でピンカートンを乗せたリンカーン号がついに日本に戻ってきたのを見つけて「ほら!やっぱり帰ってきたでしょ!!」と歓喜する場面では切なくて思わず涙。

それでもモヤモヤするのは、そもそもこのストーリー自体に納得が行かないからだと思い到った。なにしろ子どもの目の前で自害という最期、しかも仰向けに倒れた瞬間に稲光のように舞台が明るくなって暗転という幕切れ。えーっ!?それはないでしょう!!全般にとても美しい栗山民也さんの演出も、ラストシーンは私には興ざめだった。

日本人のヒロインだからって「ハラキリ」ではないけど、自刃させるっていうのはあんまりではないか・・・「ラ・ボエーム」のミミが若くして病死する哀れには感情移入できるし、自殺であってもトスカのように「スカルピア、地獄で!」と叫んで飛び降りる壮絶な最期はあっぱれとも言えるが、「アメリカ人に捨てられ絶望して自殺する日本女性」という設定でイタリア人がオペラを作るのはどうなんだ?台本やプッチーニに対して文句を言いたくなってしまう。ヨーロッパ人の異国情緒と奇異の眼差しという時代状況の産物だったとしか思えない。当時「蝶々夫人」の芝居も原作もあったそうだから。

オペラの冒頭から最後まで、舞台の奥ではためいている星条旗。その残像が劇場を出てからもいつまでも消えなくて苛立つ。どうもモヤモヤが続いていたところ、別バージョンの「蝶々夫人」があるというので観に行くことにした。

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俳優・演出家の笈田ヨシさんによる新演出ということで話題になっており、金沢、大阪、高崎、東京と4か所の巡回公演。その最終日の2月19日(日)、東京芸術劇場に再び「蝶々夫人」を観に行った。何に駆り立てられてか、気に入らないストーリーがどのように描かれるのかを確かめずにはいられない。

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その日のヒロイン中嶋彰子さんもなかなか素晴らしかった。新国立劇場の安藤赴美子さんは初々しい可憐さが前面に出ていたのに対し、中嶋彰子さん演じる蝶々さんは、おのずと大人の色気が漂い15歳の少女というにはちょっとなぁ…まぁゲイシャさんだし、そういうこともあろうか。いちばん盛り上がったのは第1幕の長大な愛の二重唱だった。いやいや、途中でピンカートンが蝶々さんを“お姫さま抱っこ”して(屈強か!)双方きわめて歌いにくそうな態勢でも熱唱が続いたかと思うと、やがて畳に敷かれた布団に寝そべった彼がシャツを脱ぎ出すというリアルなラブシーンがかなり濃厚な演出だった。ある意味、こういう幸せの絶頂を味わったのであれば翌日死んでも本望かも知れない。

ちょっと残念だったのは音響のバランス。オーケストラのボリュームが大きくなると歌手陣の声が聴こえにくくなるのは、ピットのないコンサートホールでは仕方のないことなのか、単に指揮者の問題なのか、座席の場所によって違うのか、わからない。

ざっくり言うと、新国立劇場版は「不可避の悲劇」をあくまでも美しく描こうとしているのに対し、東京芸術劇場版は、このような設定の中でもできるだけリアリティを追求しようとしているように感じられた。ピンカートンが去った後の第2幕では、経済的に困窮している蝶々さんも女中のスズキも粗末なモンペ姿で登場するので一瞬ぎょっとするが、確かにおカネに困っているのに綺麗な着物を着ているのは不自然だったとも言える(東北発祥だというモンペがいつごろ長崎まで普及したのかという時代考証はともかく)。

同じ台本に同じ音楽だし、大きな読み替えはないものの、演出の違いというのは面白いものだ。星条旗というアメリカの象徴にしても、東京芸術劇場の舞台では家の一角に掲揚されているのが、決して美しくないが妙にリアルに感じられた。あるある。こうやって国旗を飾るというインテリア(大使館とか)。それを終盤で蝶々さんが引き抜いて踏みつける。うーん、蝶々さんはそんなに強かったのか!? 

果たして、この演出では蝶々さんは本当に強かったのである。

自刃するかというラスト、かつて切腹した父の形見の短刀を取り出して、われとわが胸に突き立てようというところで舞台は暗転。自刃のシーンなし!

そう!蝶々さんは決してここで死なないのだ。アメリカ男を信じきって頼りきっていた揚げ句の果てにこうなってしまったのは半分は自業自得。死のうと思うほどの苦しみから何としても立ち直ってほしい。なんなら子どもを引き渡すのを断固拒否するのはどうだ?さっき二度とやりたくないと歌っていた芸者稼業をもう一度やってみるか、ほかの仕事だってできるのではないか?絶縁された親類縁者にもう一度頭を下げてみてはどうだろう?無理だろうか?それでは母子でさすらいの旅に出るか? 猛烈に応援したくなる。蝶々さん!生きるのだ!

あるいは、我が子のためを思って泣く泣く引き渡した後、まだ長崎に滞在しているピンカートン邸へ忍んで行っては物陰から息子の顔を見るという話だったらもらい泣きしそうだなあ・・・そして、ある晴れた日に、離任するピンカートン一家が出帆する時には水平線の彼方にリンカーン号が見えなくなるまで丘の上から手を振って見送るのだ。ああ私の坊やが異人に連れられてアメリカへ行ってしまう・・・その後、何年もかけて別人のように実力をつけてからはるばるアメリカまで息子を訪ねて行くとか、逆に成長した息子が母を訪ねて何千里、はるばる日本に戻ってくるとか・・・その後どうなったかの妄想が果てしなく膨らむ。その場で自害するよりもっと様々な可能性があるはず。

実際、「蝶々夫人」の続編の試みは過去にもあるようだ。

ジュニア・バタフライ

「蝶々夫人」その後… - 歴史〜とはずがたり〜

どちらも筋書きがイマイチだが(すみません!)、それでも人生は続く。

驚いたことに「蝶々夫人」は今もなお世界的にも人気演目として2015-2016シーズンの上演回数で堂々の第6位、トップ10にランクインしている。

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世界各国で一年間でトータル2641回も上演され、「アメリカ人の遊びの結婚に騙されてひたすら待ち続ける上、求めに応じて子どもを引き渡し死を遂げる誇り高い(都合の良い)日本女性」というイメージが繰り返し愛でられるているかと思うといたたまれない。冗談じゃない!

ただ、今や「蝶々夫人」を単なる「日本を舞台にした物語」だと思う時代は終わったそうで、「勝った国と負けた国、富める国と貧しい国の存在するところで生きる人々の運命を語るための大きな器となりつつある」と言う(全国共同制作プロジェクトMADAMA BUTTERFLYプログラムより)。「ソ連崩壊後にアメリカ人のもとで低賃金労働者として働いたロシア人たちの物語」という演出もあるとか。へーえ!そうなの!?それではもはや、プッチーニの日本情緒とは別の世界になると思うけれど、そういう普遍性を持った物語にもなりうるとは、これまた驚きだ。

ともあれ今回は、元の設定に基本的には忠実でありながら、不屈の蝶々さんの可能性を示唆した笈田ヨシ新演出に、これまでのモヤモヤから救われる思いだった。

蝶々さんよ永遠なれ。

 

 

 

プロの覚悟 ~アマチュア・オーケストラをめぐって③~

このところ、アマチュア・オーケストラのことを書いたり聴いたりしたおかげで、自分の気持ちを再確認し多くの人たちと共有できたのは嬉しいことだった。

一方で改めて感銘を受けたのは、プロの音楽家の道を選ぶ覚悟というものである。

マーラー祝祭オーケストラでヴァイオリンを弾くOさんは、「びっくりするような素晴らしいプロの方々と共演できるチャンスがあるのもこのオケの良いところ」と語った。

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今回のソリストはベルリン在住のヴァイオリニスト植村理葉さん。

取材のために練習を聴きに行ったとき、ちょうどコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をやっていた。実は初めて聴く甘美な素敵な曲・・・映画音楽みたいだなと思ったのは逆で、マーラーが「天才だ!」と叫び、10代からプロ作曲家としてウィーンで名声をほしいままにした神童コルンゴルトは、ナチス・ドイツの台頭のためアメリカへの亡命を余儀なくされてから生活のために映画音楽を手がけるようになり、後のハリウッド映画音楽の基礎を築いたということなのだ。たとえば「スターウォーズ」のメインテーマは、コルンゴルトが作曲した1942年の映画「嵐の青春(Kings Row)」にそっくりだというのでYouTubeで聴いてみたら本当にそっくり!(さすがにその古い映画は知らないが、若き日のレーガン大統領が出演していることにもびっくり!)

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そしてコルンゴルトは、戦後に芸術作品として作曲したヴァイオリン協奏曲にもそれまでの自作の映画音楽をあちこちにちりばめている(転用OKの権利を保有していた由)。

ついでに言うと今年のNHK大河ドラマ「直虎」のテーマ曲もなんとなくコルンゴルトっぽい。ウィーンの伝統がハリウッド映画を通じて現代のテレビドラマなど多くの人に受け容れられる音楽として脈々と流れているのが感じられる。

話がそれたが、2月12日本番のコンチェルトは見事だった。

マーラー祝祭オーケストラ(オフィシャルサイト)

シルバーホワイトの可憐なドレスで現れた植村さんが舞台にすっくと立ち、冒頭からのソロがミューザ川崎のホールいっぱいに響き渡る。ソリストがほとんど弾き続ける構成の協奏曲を全編バリバリ弾き切り歌い切り、超絶技巧も実は歌うためにあったのかと思わせる軽やかさで弾きこなす。特に針の穴に通すような高音域の絶妙感に、ヴァイオリンとはかように良い楽器であったかと久々に思った。練習の時は何度もオケが止まってしまい、指揮者の井上喜惟先生が苦笑いしながら「もう一度」とやり直していた3楽章の速い掛け合いのパッセージも本番はクリア!指揮者とオケとソリストが絶えず聴き合い、アイコンタクトを取りながら、心地よい緊張感あるコラボが繰り広げられ、オケも生き生きしている。アマチュアオケでこんな曲をこんなアーティストと共演できるなんてうらやましい。一回限りのコンサートでアマチュアとプロによる一期一会の幸せな共演を堪能し、全力で曲を牽引しウィーンの美学を表現するアーティスト植村理葉にすっかり魅せられた。

当たり前だが、やっぱりプロはプロだ。あれほどのテクニックは、並外れた才能もさることながら、並々ならぬ努力のたまものだろう。どれほど練習してその技量を維持し、さらに高みを目指すのだろうか。途方もない時間をかけた練習という意味では学生オケもマニアックな努力を惜しまないが、プロの演奏家はそれを仕事として生きていくというところが絶対的に違うのだ。

その前日の京大オケの100周年記念祝賀会で祝祭オーケストラを指揮したのは、奇しくも同期でこの学生オケに在籍し、現在は東京都響の首席フルート奏者を務める寺本義明氏だった。当時、彼は文学部の学生だったが、フルートが抜群に上手くて私などはろくに口もきけなった。のちにコンクールに入賞してプロになったことを知ったときは驚きつつも「やっぱりそれぐらい上手かったんだ」と納得したものだ。あるとき都響を聴きに行ったら確かに彼がフルートのトップを吹いていた。2年ほど前に彼のリサイタルを聴きに行ったこともある。

もちろん、フルートの妙技には毎度感服するわけだが、今回はそれよりも指揮者としての献身ぶりに、何と言うか、音楽家としての魂を感じたのであった。祝賀会前の練習の時には「小っ恥ずかしい比喩を使って説明する人やなあ」(←人のことは言えないが)とまだ斜に構えていたのだが、祝賀会本番の指揮ぶりで彼をすっかり見直した(失礼!)。風貌から「マーラーのようだ」と評した人もいたが、どちらかと言えば「レレレのおじさん」のような楽し気な表情で躍動感あふれ、160人という大編成一発オケをぐいぐい乗せてクライマックスへ一段と盛り上げる。それこそ今日という日のためになりふり構わず音楽への愛を仲間と分かち合う姿には、とても素直な気持ちになれた。

プロの音楽家になるという決断はどういうものだったのだろう?プロのオーケストラの一員として日々の演奏とどのように向き合っているのだろう?アマチュアの指導に際してはどのような気持ちで臨んでいるのだろう?いつか聞いてみたいものだと思いながら、大学卒業後30年にもなる年月に思いを馳せた。

その30年以上もの年月、京大オケの打楽器パートを指導し続けてきた打楽器奏者の早坂雅子師匠も来賓として祝賀会に出席していた。私が入学する少し前から「干支で3周」とご本人がおっしゃる、実に36年間で100人に上る弟子たちの中で私は最古の部類に属する。考えてみたら自分たちが学生だった頃、彼女は京都芸大を卒業したばかりで年齢はそう違わなかったわけだが、当時の私から見るとはるかに大人の女性、かつ、憧れのプロ打楽器奏者であり、マリンバを高速で弾きまくる鬼気迫る演奏には魂を抜かれたように陶然としたものだ。

30年以上経ってもエネルギッシュで若々しく、アーティストたる姉御肌のカリスマも健在。それが極まったのは祝賀パーティ中の参加型アトラクションとして演奏されたレスピーギの「アッピア街道の松」であった。ふと見ると師匠が大太鼓の横に立っている! 

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打楽器パートのOB・OG・現役一同、期待に胸が高鳴る。

レスピーギ自身の説明によるとこういう曲だ。

アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

夜明けの霧のように響くピアニッシモの銅鑼や木管楽器があれこれつぶやく中で、ザッザッザッザッと一定のリズムで粛々と行進するローマ軍。日の出を告げる金管楽器のファンファーレと共に丘を登って行くあたりから、全軍を鼓舞するように「ド」、4歩進んで「ド」、粛々と「ド!」、前進する「ド!!」。そのうち4歩どころではなく1歩ごとに大太鼓がド!全軍の兵士たちの心臓の鼓動のように高まっていく。この辺から曲は大太鼓協奏曲と化し、背後のソリストのただならぬ音響に前方のパートからも振り向く奏者多々。この日のパーティに参加した30人近い弟子たちは狂喜乱舞して打楽器群の背後や隙間から写真を撮るやら動画を撮るやら。演奏に参加した打楽器メンバーは師匠の爆音に煽られて、シンバル3名(!)が激しく炸裂し、最後には大音響で鳴り響いた銅鑼が落下するというハプニング付き。やんややんやの喝采とブラボーは当然、早坂女史に捧げられていたはずである。100周年祝賀会を大いに盛り上げた。なにしろ100年の内の36年間、この学生オケのサウンドを支える歴代の打楽器軍団は早坂師匠に鍛えられてきたのだ。なんと幸せなことだろう。

4拍子の頭に打ち込むその決然たるフォームに鳥肌が立ち、お腹に響く深い音に我知らず涙が出てくる。

そうなんや!太鼓というのはこれぐらいの気合で叩くもんなんや!ごちゃごちゃ言い訳している場合じゃない。もっともらしい顔して誤魔化すんじゃない。やるときはやるんや!師匠を見よ!!太鼓はとてつもなくカッコイイのだ。太古の昔から原始人たちも太鼓を打ったのだ。ローマ軍はこの太鼓に合わせて進軍したのだ。太鼓は世の中になくてはならないのだ。世の中のテンポをリードし、ここぞという渾身の一打を決めるのだ!!!

その誇り高い大太鼓は、傷つくのを怖れるケチなプライドを撃ち抜き、叱咤激励する怒濤の響きだった。何でもいい。自分が選んだ道で人生を賭ける覚悟を持てと。(完)

 

 

 

 

人の心を打つ演奏 ~アマチュア・オーケストラをめぐって②~

2月6日付The Japan Timesに日本のアマチュア・オーケストラについての短い記事を書いた。

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昨年、ちょうど新聞社を辞める頃にお誘いいただいて30年ぶりにオーケストラに参加させてもらった。そのマーラー祝祭オーケストラの今年の定期演奏会のプレビュー記事である。練習にお邪魔し、オーケストラのメンバーや指揮者の井上喜惟先生にお話を伺った。

昨年自分も参加したマーラー交響曲8番「千人の交響曲」の演奏会のDVDを見るとあの日の感動を思い出す。

先月1月22日には学生時代を過ごした京大オケの200回定期演奏会の東京公演をサントリーホールに聴きに行った。また、先週末は京都で開催された100周年記念祝賀パーティに出席し、翌日には東京に戻ってマーラー祝祭オケの定期演奏会を聴きに行った。ということで、このところアマオケ三昧。アマチュアとして音楽を楽しみ人に聴かせるということについて改めて考えさせられた。

記事の中で、京大オケの後輩でもあるヴァイオリンのFさんが語ってくれたように「オーケストラの中で弾くのと、外から聴くのとは全然違う」。今回の100周年記念祝祭オーケストラに参加してそれを久々に感じた。オーケストラの中にいると、ほかの楽器がどこでどんなことをやっているのか、いろいろな音が聴こえてくる。合奏は楽しい。ずっと練習しているだけでも楽しいかもしれない。しかし、誰かに聴いて喜んでもらってこその音楽であり、どこのアマチュア団体でもそれなりに演奏会を開催し、それを目標に練習に励むわけである。では、誰が、なぜ、それを聴いて喜んでくれるのだろうか?

今回の記事を書くにあたって、日本の学生オケや社会人オケのレベルの高さをカナダ人の担当エディターに説明するのに難儀した。

「日本の聴衆は少々のミスがあっても気にせずに聴くのか?」
「アマチュア・オーケストラのほうが料金が安いからお客が集まるのか?」
「アマチュア・オーケストラの団員というのはパートタイマーか?それとも定年後のシルバー層なのか?」
「安いギャラでアマチュア・オーケストラに関わっているプロというのは、一線を退いた人たちなのか?」

えーーっ?!違います違います!とやっきになってメールのやり取りをする中で、確かに自分は経験上「日本のアマオケはそれなりにレベルが高い」と知っているが、外国人の感覚では「なぜ、プロでもないアマチュアの集団がそんなに高いレベルの音楽を目指して努力し、時にはそれを実現するのか」は不可解でしかないことに逆に気づかされた。これは日本に特有の現象なのか? 諸外国の事情までつぶさには検証していないが、高校の吹奏楽コンクールのレベルの高さ、学生オケ経験者やその継続人口の多さなど、日本のアマチュア・オーケストラは世界に冠たるレベルにあるようだ。

マーラー祝祭オケ創立メンバーの一人であるN氏は「アマチュアにしかできないことがある」と述べた。ソツのない演奏ではない。当然ミスもある。でも純粋な音楽の喜びに溢れた演奏がアマオケの身上。仕事として数をこなさなければならないプロとは違って、一つの演奏会に向けて何カ月もじっくり時間をかけ、熱い情熱を注ぎ込んだアマチュアらしい音楽作りである。それを求める音楽ファンもいると。

・・・確かに。私もそれを知っている。しかし、「熱い情熱」というものは場合によっては普通の楽しさを打ち消すほどの厳しさにもなる。ここで学生オケ時代は怒られてばかりの「下手くそ団員」だったトラウマがよみがえってくる。なぜ、同じ学生にそこまで言われなければならないのかと思ったものだ。より良い音楽を目指すためだったことはわかっている。イヤならば辞めればよかったのだ。現に中途退団者も多いし合わない人は最初から入団しない。下手でも和気あいあいと楽しむ同好会ではなかった。それは大学のスポーツで言えば体育会とサークルの違いのようなものだ。大学の体育会からプロ選手が生まれるように、京大オケからも立派なプロを輩出していることを考えると、私は来る場所を間違えて苦しい思いをしたのかもしれない。

それにしても、その演奏には確かに人の心を打つ力があった。

人の心を打つものは何だろう? 大学オケに限らず、オーケストラに感動した時のことを思い出しながら考えてみた。ありきたりのことばかりだが、3つほど挙げたい。

  1. 言い訳しない姿勢
  2. 役割に徹する確信
  3. 溢れる喜び

1.言い訳しない姿勢

プロでもないのだから。趣味でやっているのだから。技術がないのだから。そこまで時間をかけられないのだから。そもそも無理な曲なのだから。言い訳はいつだっていくらでもつくし、半分以上正しい。だが言い訳したとたん、その人の発するものは何ごとであれ人の心を動かすことはないであろう。

学生オケが、プロでもないのに、趣味でやっているはずなのに、技術もないのに、そもそも無理なことをやろうとするのは愚かなことかもしれない。学業をおろそかにしてまで途方もない時間をかけて練習するのは、「学生の本分にもとる」と父は苦言を呈していた。定期演奏会を聴きに来てくれたはよいが「うますぎる。こんなにうまいのは間違っとる」と妙な褒め方をしたものだ。

確かにそれは経済的にはまだ親に頼っている学生が、その身分に甘えて部活動にうつつを抜かしている状況ではあった。中には、親に一切頼らずアルバイトや奨学金でやり繰りしている学生や、学業ときちんと両立させている優秀な学生もいたかもしれないが、私は・・・甘ったれたダメ学生に過ぎなかった。そして、怒られてビクビクしながら、なんとかして少しでもマシな演奏をすることだけに必死だった。

社会人になればもっと制約が多い。プロじゃないのだから。趣味でやっているのだから。学生ほど時間をかけられないのだから。仕事も忙しい中で、毎週末を社会人オケの練習に費やす方々には本当に感服するばかりだが、理想と現実のギャップは学生時代よりもさらに大きいことだろう。それでも言い訳せずに全力を尽くす姿勢には心打たれるものがある。

プロのオケにだって言い訳はあるに違いない。演奏会が多すぎるから。さらう曲が多すぎて一曲一曲そんなに時間かけてられないから。会場の音響がひどいから。指揮者と合わないから。毎回毎回人の心を打つ演奏をしようとまでは思っていないのだから。とか?

2.役割に徹する確信

オーケストラは一種のマスゲームのような団体競技だから、誰か一人の力で音楽が成り立つわけではない。もちろん美しいメロディは素敵に違いないが、裏旋律だったり、伴奏だったり、複雑な対位法だったり、さまざまな音が組み合わさって全体の響きが出来上がるのだ。個々のパートは「は?なにこれ?」というつまらない(であろう)場面も多い。「ブン」というコントラバスと「チャッチャ」の部分を担うホルンの一群がワルツのブンチャッチャを延々とひたむきに繰り返す姿には何か胸に迫るものがある。弦楽器が集団でザザザザザザと刻む霧のようなさざ波のようなサウンドもオーケストラならでは。これは特にコンサートホールで生の振動を身体に感じるとゾクゾクする。

幼少期から習っていたピアノの場合は一人で話が完結し、楽譜に書いてある音楽を自分なりに表現することを目指せばよかったが、高校時代にプラスバンドで打楽器を始めた時には面食らった。なにしろ譜面に休みの小節が多くてどこが出番なのか数えるのが大変なのだ。ようやく出番を把握しても、そこで「ドン」とか「タタ」とか「シャーン」という雑音にしか思ってもらえない自分の音を曲全体の中に位置付けて「音楽」にすることがなかなかできなかった。「こんな役割」がひどく馬鹿にされているような被害妄想に陥ったり、同じ「こんな役割」をカッコよくこなせている仲間に引け目を感じたりした。

そういう劣等感とないまぜになった過剰な自意識を乗り越えて、その時その場に必要な「一打」が全体の中に絶妙にハマった時の達成感はなにものにも代え難い。簡単に見えるかも知れないが半信半疑ではできないのだ。この曲のこの場面にはこのタイミングでこの音量でこの響きの音が絶対に必要なのだという確信が欠かせない。確信を持って自分の役割に徹し、大の大人がシンバルや大太鼓やトライアングルを真剣に打ち鳴らす姿には心を打たれずにはいられない。

いや、ほかの楽器でも同じこと。自分の役割に半信半疑だと表情や身体の動きからすぐにわかる。たとえ個別の音が聴こえないパートでも、それはおのずと全体の響きに反映されるだろう。

3.溢れる喜び

楽器を奏でる人の姿は美しい。その楽器を弾くことが、吹くことが、叩くことが、心から好きで楽しくてしょうがないという「演奏する喜び」が伝わってくれば、それだけで心を打たれる。昨秋、映画『オケ老人』を観てつくづくそう感じた。

老人ばかりで、ど下手くそな「梅が岡交響楽団」とは対照的に、アマチュアなのにオーディションでメンバーを選抜し、高いレベルを追求するあまり音楽の楽しさを忘れた「梅が岡フィルハーモニー」が批判的に描かれていた。もちろん、老人たちのウメキョウも下手くそのままで良いということではなく、主人公の献身的な指導によって「真面目に音楽する喜び」を知って一生懸命に練習し、若者たちも加わって、だんだん上手いオケになるというほとんど「ありえない」展開だったわけだが、そこで私が心を動かされ結構泣けたのは、なによりも演奏する喜びに溢れた老人たちの嬉しそうな顔だった。

この『オケ老人』の原作者 荒木源さんが、私とオケで同期だった首席打楽器奏者と中学・高校の同級生であることを知って驚いた。一生アマオケを続ける人々の老後という高齢化社会ならではのコンセプトについて、いつかインタビューしてみたいものだ。

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このたびの100周年祝祭オーケストラは、この日の祝賀パーティのためだけの一発オケだが、開演前に2時間ほど練習があった。この練習に参加することが祝祭オケに参加する条件だったし、もちろん学生時代ほどピリピリしていないとは言え、その真摯な練習風景には当時を思い出させるものがあった。その場に集まった160人ものオケ老人予備軍は、日頃から楽器をやっていようがいまいが、上手くても下手でも、祝賀会の本番では言い訳せずに各々の役割に徹して合奏する喜びを感じたのであった。(続く)

 

青春のマイスタージンガー ~アマチュア・オーケストラをめぐって①~

驚いたことに「世界最古のオーケストラ」は日本の雅楽だそうだが、南蛮人天正少年使節の時代は別として、明治以降に「西洋音楽」を受容した日本で本格的なオーケストラができたのは大正時代のこと。プロのオーケストラに先立って、学生やアマチュアのオーケストラが発足していた。東京六大学野球の歴史がプロ野球より古いのと同様、文明開化の先端で学生が果たした役割は大きかったのだ。

その中でも古いほうに属する京都大学交響楽団(京大オケ)は1916年12月創立。2016年に100周年を迎え、先週末2月11日に京都でその記念祝賀パーティが盛大に開催された。数えれば当然そうなのだが、30年以上も前の学生時代にはそんな日を想像もしていなかった。

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会場に着いてみると、大宴会場に500人着席という規模にまず驚いたが、もっと驚くのはステージのすぐ前に設けられた160人という大編成オーケストラのためのスペース。参加したOB・OGおよび現役団員の3分の1が演奏している状況だ。オープニングはワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」。その演奏に自分も参加させてもらえるとは、まことに人生は面白い。

このあとの長尾真 元学長の祝辞の中で、「学長になって良かったのは、入学式や卒業式で京大オケが祝典演奏するワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲』に合わせて教授陣を従えて体育館に入場できること」という趣旨のコメントがあり思わず笑ってしまったが、それはさぞかし気分の良い場面に違いない。考えてみたら、この祝典演奏は自分のささやかな人生にも随分大きな影響を与えた。

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人生を決めた「音」

あなたは何に最も強く反応しますか? 色、形、動き、香り、味、音・・・あるいは、ライターを目指す人らしく、「言葉」でしょうか? ボロボロ涙を流しながら読んだ言葉、ありますよね? 私もあります。・・・そして、私にはそういう「音」がありました。

 1月20日夜7時、サントリーホール。かつて、自分の人生を決めたと言ってもよい、その「音」を、私は20年ぶりに聴きに行った。とある大学オーケストラの定期演奏会。東京公演があるのは5年に一度だけである。「創立90周年記念特別公演 第180回定期演奏会」。そんな伝統の中に自分もいたのだと、改めて感心する。
 ジャーンと一斉に楽器が鳴って「ドミソド」という究極の基本和音が重厚に響き渡り、堂々たる旋律が流れ出す。ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグマイスタージンガー』の前奏曲冒頭である。  
 この響きを聴いたのは、四半世紀近くも前のこと。大学の入学式だった。最後列あたりに座った私からは前のほうが見えなかった。開式とともにいきなりオーケストラの音が体育館の天井にグヮンと反響して度肝を抜かれる。何何何!と夢中で聴き入るうちに涙が溢れ出し、一緒に来た高校の同級生の目を気にしながら、何度もハンカチでぬぐった。
 どうしてあんなに感激したのだろう。受験勉強によって抑圧されていた感情が一気に解放されたのだろうか? がんばった甲斐があった。これから新しい日々が始まる! その祝典演奏は、世間知らずでおめでたい新入生の私に、天の祝福のような高揚感をもたらした。
 もとより音楽は好きだった。高校時代のブラスバンドの延長で、吹奏楽か軽音サークルにでも入ろうか…とぼんやり考えていたのが、この入学式で即決する。
「絶対オーケストラに入る!!」
 思えば、それは専業主婦に至る紆余曲折の前奏曲でもあった。同じ時に同じ場所で同じ音を聴いたはずの隣席の同級生は、明らかにそこまで舞い上がっていなかった。彼女は大学卒業後、大手都銀の総合職としてバリバリのキャリア街道を邁進し、金融再編の荒波を乗り越えて、現在は某メガバンクの管理職になっていると聞く。一方、私はすぐにオーケストラに入部し、そこでは、現在の夫がその一年前からコントラバスを弾いていたわけである。
ある音への反応が人生の分岐点となった。
 練習、リハーサル、本番、打ち上げ。練習、演奏旅行、本番、打ち上げ!…お祭りのような青春の日々は、まさに昨今はやりの『のだめカンタービレ』の世界だった。その学生オケは、音大でもないくせにプロ並みのプライドを持ち、常に「より良い演奏」を志向していた。即ち、和気あいあいとテキトーに楽しくというノリではなく、「中途半端な奴は去れ」と壁に貼り紙がしてあり、4年間在籍して一度も定期演奏会に出る機会のない人もいれば、逆に、オケにのめり込んだあげく、音大に入り直して本当にプロになった人もいたほどだ。打楽器パートの一員として、始終「下手くそ!」と怒られながら、私は来る日も来る日も練習に励んだ。本業であるはずの学問など、ほとんど身につかなかった。
 今回もホールはほぼ満席。やはり誇らしい。プロが数をこなす演奏会とは違って、ひたすらその曲ばかりを半年もかけて練習するマニアックな学生オケは、時に、一期一会の名演を生むこともあり、そんな熱気のファンも結構いるのだ。OB会組織を通じて入手したチケットは、舞台を取り囲んで客席の並ぶこのホールにあっては右手の前方、客演に迎えた指揮者の山下一史氏の顔が見える。目の前に低弦のチェロとコントラバスの背中が並び、舞台後方にずらりとセットされた打楽器の様子も近くで手に取るようにわかる。
 今からちょうど20年前、「創立70周年記念 第140回定期演奏会東京公演」の時、私もこの舞台の上に立っていた。当時できたばかりのサントリーホールに、おそらく一生に一度。その頃はまだ生まれてもいなかった子もいるんだなぁ…イマドキの学生達を見つめるうちに、まるで自分も演奏しているかのような緊張感に包まれる。
 『ニュルンベルグマイスタージンガー』は、何かにつけてよく演奏する曲なので、今でも事細かに覚えている。1年生の夏休みの演奏旅行で、この曲のトライアングルが私の舞台デビューとなった。意外なようだが、トライアングルの音色は、オーケストラで使われる数多くの楽器の中で、最も「溶けにくい」。澄んだ硬質の金属音は、大音響のオケの中でどんなに小さく鳴らしても、ホールの最後列までストレートに届くのである。そんな音がこの曲の中間部でひょっこり登場する。そこまでは全小節ずっと休符、その後もしばらく休符が続くという楽譜だ。さあ、もうすぐ出番! じっとすわっていた奏者が2小節ほど前でさっと立ち上がって、左手にトライアングルを掲げ、右手に金属のバチを構える。オーケストラがふいに静かになってチューバとコントラバスが朗々と歌いだすという小節のアタマで
  ♪チ-ン
と一発。これを間違いなくキメるのがどれほどの緊張を伴うことか! 初めての時はあまりのプレッシャーのためタイミングを逸し、無音のまま虚しく過ぎてしまったものだ。眼鏡の後輩男子クンは、無難に楽器を鳴らして着席したのでホッとする。
 バッハにしろモーツァルトにしろ、ある時代までのクラシック音楽がそうであるように、この曲も完璧な必然性を持って理路整然と進行し、各楽器が存分に生かされる。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの合奏が数十本もの弦を重ねた音量でホールの空気を震わせ、トランペット・ホルン・トロンボーン金管の輝かしい音色を放てば、フルート・オーボエクラリネットファゴットはそれぞれ個性的な木管のさえずりを聴かせる。それらをチューバとコントラバスの低音がどっしりと支え、要所要所でティンパニが遠雷のように轟く。  
 やがて、曲はクライマックスに近づき、オーケストラ全体が一音一音をじっと噛みしめてゆっくりと上昇してゆく・・・
  ♪レ~・ファ~・ラ~・シ~ さあ、指揮者が振りかぶって!
  ♪ドーー! そう!それ以外ありえない運びで再び冒頭の旋律が大音響で現われ、ここでシンバルが炸裂、後を追うようにトライアングルのトレモロ(連打)がアラームのように鳴り響き、もちろんティンパニトレモロ、これぞ打楽器の醍醐味だ。そして、トライアングルは16分音符4発、8分音符2発のパターンを狂喜のフォルテシモで繰り返し打ち鳴らし、最後のトレモロで怒涛の大団円へとなだれ込む・・・
 ああ、西洋人は何故こういう音楽を発明したのであろうか? 特にワーグナーの危険なまでに熱狂的な楽曲は、ゲルマン魂の誇りみたいな音楽なのに、なぜだろう、人類普遍の真理を訴えかけるかのように、東洋人である私の胸を打つ。「音」の持つパワーというほかない。
 なぜこれを聴いて感動するのだろう? わからない。…でも涙が止まらない。この音楽があの頃を蘇らせるからだろうか? 若気の至りの、愚かな、「恋せよ乙女」の日々。この曲と同じく、必然性の連鎖によってその後の人生は進行し、私は今ここにいる。そして隣には、オーケストラの日々を一緒に駆け抜けた夫が座っている。そういうことなのだ。
 大勢の聴衆の中にちらほら、かつてのオケ仲間の姿を見つけた。ロビーで「久しぶり!」と声をかけ合い、ホールを後にする。久々に夫と二人で夜道を歩いた。

・・・そんなわけで、『ニュルンベルグマイスタージンガー』を聴くたびに、どうしても泣けてしまうのです。過去の記憶と深く結びついた「感傷」かも知れませんが、それだけではありません。これまでの試行錯誤、これから先の道のり、挑戦、失敗、挫折、再挑戦・・・そんな「生きること」のすべてを、この音楽は力強く肯定し、祝福してくれるのです。

*****

10年前に通っていたライタースクールで書いた作文を読み直すと恥ずかしいが、その頃ようやく私は専業主婦を脱出し、新聞社に職を得てから10年間がむしゃらに働いた。そして10年後に奇しくもこの曲のトライアングルを再び叩く機会を得たという巡り合わせ。思い入れのあるこの曲のパートを割り振ってくれた天の配剤(いや、打楽器後輩諸兄姉の温かいご配慮)に心から感謝する。もちろん母校のオーケストラの100周年を祝ったわけだが、なにかとおめでたい私は、大勢で奏でる音楽の喜びに包まれて自分自身がいたく力づけられたのであった。これからも挑戦、失敗、挫折、再挑戦が続く「生きること」のすべてを、この音楽が力強く肯定して祝福してくれるに違いない。(続く)

舞台で輝くママ友

開演ぎりぎりに駆け込んだら、二人は颯爽と舞台に現れた。

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ひょえーカッコイイ!!

土曜の昼下がり。立川のたましんRISURUホールでTAMAMA-DUOのピアノ連弾コンサートが始まった。200席余りの小ホールにほぼいっぱいのお客さんを前に堂々たる姿は、一緒にボランティアする時や、誰かのコンサートの前に「私たち前座ですから~」と照れ隠しを言いながら弾いている時と全然違う。元々すらりとファッショナブルな二人、今日の晴れ舞台に赤と黒のロングなジャケットがばっちり似合って眩しい。

カプースチンシンフォニエッタより「序曲」。二人の連弾が力強く疾走し、ぐいぐい引き込まれる。

TAMAMA-DUOの平石さんと大図さんは多摩で活躍するママ友ピアノデュオ。共に教育学部音楽科卒で多摩のママ友だからタママと命名されたそうだ。2005年に活動開始。

「…国立、立川などでデュオコンサートを開くかたわら各種イベントや音楽祭にも参加。近年はチャリティ活動やボランティア演奏にも意欲的に取り組んでいる。
2009年第10回北関東ピアノコンクール連弾部門2位(1位なし)。2013年ペトロフピアノコンクール連弾部門最高位入賞。共に国分寺市学童保育所に勤務。」

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プロフィールを読んで改めて感心しているうちに、いつの間にかお客も参加するコーナーに入り、100人ずつ二手に分かれて「メリーさんのひつじ」と「ロンドン橋落ちる」を同時に重ねて手拍子をつけて歌ったり、小・中学生が舞台に上がって一緒に6手連弾にチャレンジしたりと客席を巻き込んで盛り上がる。さすが、日頃から学童保育の現場で子ども達を相手にしているから上手いなあ・・というだけではない。トークも演奏も、人を楽しませようというサービス精神に溢れているのだ。シニア層も子ども達も一緒に歌って手拍子を打って楽しそうにしている。

「未就学児お断り」の演奏会が多い。もちろん、「大人が静かに芸術を楽しむ場」というのは当然ある。私が幼少期を過ごしたドイツ(西ドイツ)では、子どもは「犬のように厳しく躾けるべき」であって大人の場(コンサートとかパーティとか)にむやみに連れて来るものではないというのが暗黙の厳しいルールだった。「三つ子の魂百まで」なのか、私は公共の場で子どもが騒ぐのがとても嫌いで、自分の息子たちもかなり厳しく躾けた。後にベルリンに赴任した時には「ドイツも昔よりずいぶん甘くなったものだ」と逆に感じたほどだ。

あるとき、ベルリンのフィルハーモニーでのコンサートの最中、客席から子どもが大きな声がした。えっ?フィルハーモニーに子連れで来る人がいるの?!と驚いていたら、舞台上でその時モーツァルトのピアノコンチェルトを弾き振りしていたバレンボイムは、声のする方へ顔を向けたかと思ったら、にっこり笑って「シ――ッ」と指を口に当てた。客席が笑いのどよめきで和んだのを見計らって、彼は落ち着き払って続きを演奏したのだった。その日の演奏はあまり覚えてなくてどちらかと言えばそんなに感心しなかったのだが、子どもに対するバレンボイムの穏やかな態度にいたく感銘を受けたのをいまだに覚えている。

この日のTAMAMAのコンサートは「そういう子ども達や小さい子を抱えてなかなかコンサートに出かけられないお母さんたちも楽しめる場」にしたいと二人は言っていた。もちろん、周りのお客さんに迷惑をかけたり皆が音楽を楽しめなくなったりしては困る。「だから未就学児はダメという場が多いのだけれど、6歳になったら急にお利口さんになって席で音楽が聴けるようになるというものでもないと思うんですよね」というのは確かにその通りだ。時折「ワーン」という泣き声が聞こえたり、通路をうろうろする子どもの姿もあったけれど、二人はそれを厳しく排除するでもなく、でも、騒々しくはならないように「どこを境界線にするのかがチャレンジなの」と言っていた通りの絶妙なバランス感覚をもってプログラムを進めていく。

休憩後、春の女神のような艶やかなドレスに着替えて舞台に戻ってきた二人は、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ長調」に挑んだ。休憩中に最後列から最前列の席に移動してみたら、隣の席に幼い男の子が風邪の予防なのか、かわいい柄のついたマスクをしてお母さんに抱かれて座っている。近くの4歳ぐらいの女の子が、最前列と舞台の間のスペースをしばらくうろうろした後、床に座り込んで高さ50センチほどの舞台の縁で腕枕して身を預けるようにして聴いていた。普通はNGだが、それがなんとも愛くるしい姿なのだ。モーツァルトの長いソナタを弾き終えた平石さんと大図さんは、「いや~3楽章全部通して弾けましたねー」と場を和ませ、「長くて飽きちゃったよね」と子ども達にも笑顔で言葉をかける。

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そして、最後に弾いたピアソラリベルタンゴ。「私たちのテーマ曲」というだけあって何年も何回も弾いてきたのだろう。暗譜でぴったり息が合った二人の迸るようなパッションにはさすがの子ども達も感じるものがあるのか会場全体が固唾を呑む。2台のピアノで対面する二人の横顔が美しい。

・・・いろいろ大変な時期もあった。子ども達が幼い頃は物事が思うようなペースで進まかったし、コンサートにだってなかなか行けなかった。子ども達が大きくなればなったで別の悩みも出てくる。でも、どんな時もピアノが、音楽が自分を励まし、支えてくれた。ピアノが好き!そして、心から信頼できる相方を見つけて今や自由に( libertad) にタンゴ(tango)が踊れる!まさにリベルタンゴなのだ・・・ラテンのリズムと哀愁の漂うメロディーに恍惚とした二人の表情にグッときて、ほとんど私の勝手な想像ではあるけれど、そこは誰が何と言おうが同世代のママ友だから、子ども達も同世代だから、そう、私たちは次世代を育ててきたのだから。強烈な共感で涙が出る。

なにもピアノの巧さを確認して感心するためにコンサートがあるわけではない。音楽は楽しむもの。何が楽しいのか? 技術がどう、テクニックがどう、ミスがどう、という話ではない。でも、もちろん何でもいいわけではない。いい加減な音、雑な音、歌ってない歌は聴けばわかる。何が人のハートに響くのだろうか? コンサートは誰のためにやるのだろう?

来てくれた人たちに音楽を楽しんでもらいたいというTAMAMAの二人の真摯な姿勢がシンプルに伝わってくるのだ。

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「本日はいろいろなスタイルの連弾曲を演奏いたします。また、かねてより私たちの願いでもありました『どなた様でもどうぞ』のコンサートとしております。子どもも大人もみんな一緒に楽しいひと時をすごせたら、こんなにうれしいことはありません。」(プログラムより)

たくさんの子ども達が楽しそうにしていた。障害のある子ども達も参加していた。終演後、大勢の嬉しそうな顔が出口に並んで挨拶している。子ども達にどのようなスタンスで臨むかについて、とても学ぶところのあるコンサートでもあった。

大好きなピアノでこれだけ人を楽しませるママ友TAMAMA-DUOに心から拍手!

 

 

 

 

 

中学生サミット2017その④ ダイアローグは難しい?

一泊二日にわたる中学生サミット。2日目最後のランチタイムを前に早退せざるを得なかった悔いが残り、この際もう一度、生徒たちに会いに行こうと思った。

さすがに六ヶ所村は遠いのでとりあえず横浜へ。最寄り駅から歩いて20分ほどの高台にある立派な校舎で再会した彼らは、旅先でのような「借りてきた猫」感がなくリラックスして声もワントーン落ち着いている。

ファシリテーションは難しかった?

中2K君:後半は「もっとみんなの近くに入ってサポートしたほうがいいよ」という(澤田先生の)アドバイスを受けたので、そういうことをしてみたら、ちょっとうまく行ったかなあと思ったんですよ。前半もそういうふうにできたらよかったと思いました。

― 後半というのは輪になって話し始めてからですね?じゃあ、隣の人と話すようなことをもっとやれば良かったと思いました?

中2Y君:でも、付箋を貼って、それをメリットとデメリットに整理して考えることが対話の前提条件じゃないですか。それがわかっていなかったら対話すら成り立たないから。

― それはみんな一生懸命やってましたよね。

中2K君:その時にも、もうちょっとみんなの近くでサポートできたらよかったかなと思います。

「核のごみ」のいくつかの処分方法について、それぞれのメリットとデメリットを自分なりに考えて付箋に書いて貼り、他の人が書いた付箋も見て整理するという作業自体は楽しかったと1年生の女子がみな肯く。

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― そういうお勉強はみんな得意のようだけれど、それを元に話し合いをするのは難しそうですね。周りで大人がいっぱい見ていることも気になりましたか?

中1Sさん:それはあまり気になりませんでした。

中1Yさん:大勢の人が聞いているのでちょっと緊張はしました。

― まだ自分の意見を言うのは難しいのかな?

中1Nさん:そうですね・・・

もうちょっとよくわかってから言いたいという感じ。でも理解をするにはまだ時間がかかるようだ。大人だってよくわからない難しい問題だから当然だ。

家に帰ってお父さんお母さんにはどんなふうに報告したかと問うと、そんなに詳しい報告はしなかったが「安全に帰れた」とか「勉強になったよ」ぐらいのことは言ったらしい。保護者の方々はとりあえず安堵されただろう。それにしても地下500メートルの坑道の見学なんてなかなか経験できない。行ったことは「良かったです」とみな声を揃えた。

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― これから自分としてはどうしたいと思いますか?

中1Sさん:因果関係やメリットやデメリットをもっと知って、どうしたらいいっていう、考えられる対策とかを発言できるようになりたいなと思います。

― ふーん、そうすると本当はもっと言いたかったんだけど、そこまでの知識もなく、あの場で初めて見聞きする話が多いし、自分の考えがまだまとまる手前ということだったのかな?

中1Sさん:はい。まだ自分の意見がまとまっていなくて、どういうメリットとデメリットがあって、どういうのはダメでというのはまとめたんですけど、それで最善の策というのを取っていくんですけど、なんか実感があまり湧かなくて、どうしたらいいって単純に言えないので、理解するのがきつかったです。 

― (ファシリテーター役だった2年生の)3人でイメージしていた話し合いというのはどんな感じだったの?

中2T君:正直もうちょいポンポン意見が出ると思いました。

中2Y君:自分の考えを持ってたら、それこそ付箋にバンバン書いて貼ってもらえると思いました。去年はもう、とにかく書きまくって貼りまくったんですよ。

今回司会じゃなくて、自分も話し合いに入っていたら3人とも言いたいことがいっぱいあったそうだ。そこは、ファシリテーター役に徹するなら出しゃばってはいけないと思い、「自分の意見」を述べるのは差し控えていたという。

六ヶ所村の生徒さんたちと少し話して、印象に残っているコメントはありますか?

中1Sさん:放射性廃棄物があることについて、イヤだなあとか怖いなあというのは感じてなくて、東京のほうだと土地が高いとかそういう問題があるからこっちにあるというふうに思ってて、別にイヤだとは思っていないというのが意外でした。

輪になっての小声の話し合いの中で「地層処分を六ヶ所村でやってもいい」という発言がチラッと聞こえたが、「それはすごく驚きました」と中2の男子たちが答えた。隣の席になった六ヶ所村の生徒と話したそうだ。「もう(低レベル放射性廃棄物が六ヶ所村に)来てるのだから、これ以上悪くなることはないと思っているようだった」という。「輸送する手間もあるし、六ヶ所に埋めちゃえばいいんじゃないかなというようなことを言ってました」と。みんなが同じ意見ではないだろうけれど、六ヶ所村の中学生の生の声を聞くのは貴重な機会に違いない。そして都会の子たちは、彼らなりに「東京の押しつけ」を申し訳なく思っているのである。

― では東京に埋めますか?

中2K君:僕は電力を使う都市圏に埋めるべきだと思います。

中2Y君:正直、埋めてほしくはないです。こういうところに。でも、それ日本国民というか全員だと思うんで。わざわざ埋めてほしいっていう人は絶対いないわけですから。

埋めること自体は「必要だ」と思っている。今回の新しい話題として出てきた沿岸海底下処分は「住民の反対もまだ少なそうだし」「海を汚染するリスクはあるけれど」一つの可能性としてはありうるという反応を見せつつ、本当に地下に埋めていいのかどうかと突き詰めると、それこそ「大人たちの意見を鵜呑みにすれば」安全だということになるけれど、そこは本当にわからない・・・わからないからその場がシーンとなる。わからないけれど、わからないなりに意見が出ればよかったのだろうか。

―(話し合いのテーマに関わらず)シーンとなった時って、シーンとなったまま、自分もシーンとしてますか?

中1Nさん:私はそうです。

中1Yさん:言う人は決まっていて、その人が言わなければそのままです。

中1Sさん:私は、沈黙を破りたいと一時的に思うんですけど、みんなが考えた意見などを整理する時間としては適切なので、悪くないとは思っています。

― ふーん。しばらく黙って考える時間も必要ということね。時間配分の問題もあったんでしょうか?8日の午前中だけじゃ足りなかったのかな?でも時間が余るのを心配してたよね。

中2Y君:3時間の予定だったんですけど30分早く始めたんで、結果的には15分延びたんですよ。なので「対話の時間」がもうちょっと欲しかったかなと思います。

メリットとデメリットを整理する段階では、そのあとどう進めるかあまり考えていなかったらしいが、輪になって隣の人と話す「対話」をやり始めてみると面白くて、続けていたらもっと意見が出そうだなぁと思うところで終わった・・という状況のようだ。

― じゃあ続きをやりたいですか?

中2K君:やる機会を設けていただけたら。

六ヶ所村に行ってみたいですか?と水を向けると、「あ、行ってみたいですね!」「あれ(再処理工場)が見られるのなら」「日本原燃には言いたいことがいろいろある(!)」と2年生の男子たちが前向きの反応を見せる。彼らは昨年の秋、浜岡原発を見学した経験もあるのだ。やはり、現場を見るのは大事だと思う。

六ヶ所村を訪ねて、今回のサミットで一緒だった生徒たちと再会すれば、ワンステップ進んで、彼らの意見も聞きたいし自分の意見も言えるようになりそう・・・中1女子の面々も。

難しいテーマだが、「中学生サミット」はざっくり言って「今回参加して楽しかった」し、「来年もまた行きたい」ということで意見は一致した。そして、来年行くときには自分なりにこうしようと思うことが各々あるようだ。

 前回サミットでファシリテーター役を務めたのは、昨年12月に東工大で開催された「白熱教室」にも参加していた現中3女子の先輩たちだ。

中2Y君:あの人たちすごくしゃべれるんですよ。今回、自分たちは1年生に対して「これやってください」って遠くから言うだけで、しゃべれなかったじゃないですか。

中3の先輩たちはすごい!とそこは感服しているようだ。中3の彼女たちには、とにかく発言しようという積極性があるのは確かだ。先日の「白熱教室」でも、途中で何を言っているのか自分でもわからなくなる迷走発言があろうとも臆することなくとにかくしゃべる。

― 意見をいう時はもっときちんと言いたいということ?

中1Sさん:そこまでではないんですけど、あまり文が整っていないと、何が言いたいの?という質問が多く出て答えられないのがきついので、やっぱりそんなに疑問が出ないぐらいには言えたほうがいいなと思います。自分の中でこんがらがると会話が成り立たなくなるので、それはイヤだなあと思います。

中2K君:でも、突っ込まれてもそれに対応することも社会では必要なので、それでもいいから言ってほしかったと思いますが、促すのも少し足りなかったというか。

― いえいえ、一生懸命促してましたよ。でもそう言われても・・という感じなのかな?責めてるわけではないんですよ。

中1Sさん:建設的対話をしようとは思うんですけど、頭の中で意見がまとまっていないとどうしても否定的な会話になってしまうと思って(言いませんでした)。

― みなさんの中にそんなに対立する感じはあったんでしょうか?みんなそんなに違った意見じゃないかもしれないけどそれをお互い言わないで終わった感じですか?

中2K君:お互いの意見もそう違わなくて、よくわかんないなあという、わからなさがみんな似ていたんだと思います。内容が難しかったからかもしれませんし、こちらの運営の問題もあったと思います。

昨年は話し合いが盛り上がったそうなので、改めて聞いてみたところ、確かに意見は活発に出たけれど、(瑞浪の)研究所や初日の夜のセッションで地層処分について受けた説明、つまり大人の考えを鵜呑みにしている感じだったと振り返る。また、昨年はディベート形式だったので、自分の考えはさておき、地層処分に賛成の立場と反対の立場に分かれて、それぞれの立場から意見を戦わせたので話はもっと単純だったようだ。

今年はディベート形式ではなく、様々な処分方法のメリットとデメリットを整理したうえで、「自分の考え」を出し合う対話を目指したのだが・・・

中2T君:去年のディベートをそのまんまパクッてやるのはいやだなあと思いました。

中2K君:バトルするのもやめたいなあって。

ディベートと言うのは、地層処分に賛成と反対に分けてバトルするんですね?

中2Y君:どっちの側になってもいくらでも意見が出てくるんです。

― 自分の意見はさておいて、どちらかの立場に立って意見を言うんだったらもっと言いやすかったですか?

中1Sさん:いちおう議題が決まっていたら話し合いの筋というのはあるので、するとどうしても・・・(しばし黙考)・・批判することはできるんですけど、なぜこちらのほうがいいのかはあまり意見を出せないほうなので、対立型だと相手を批判してもなぜこちらのほうがいいのか出せなくなります。

― すごくよく考えてるよね・・そうかそうか。つまり、今回はディベートじゃなくて、「核のごみ」の複数の処分方法について、それぞれのメリットとデメリットを挙げて、それをみんなの共通認識にした上で、自分はどうするのがいいと思うかをいろいろ出してもらおうと思ったということですね?そうしたらまだまだ整理しきれなくて、難しくて、自分の考えを言えなかったということ?

中2K君:大人でもわかんないでしょ?

― わからないですよ~ 難しい問題です。ウェブサイトにもありとあらゆることが書いてあって読み出したら本当にわからなくなります。みんなは中学に入ってすぐぐらいからこの問題について考えていること自体がすごいと思いますよ。

理科部という部活動でこのような取り組みがなされていることに感銘を受けた。「なんで理科部を選んだの?」と聞いてみたら「それ聞かれるのいちばんヤバイんです」と言いながらみんな口々にあれこれ言ってひとしきり盛り上がる。いい仲間だね・・・

大人の専門家の説明ぶりがどう聴こえたかも敢えて尋ねてみた。大人の言うことは信用ならん、何かもっともらしいこと言っているけどどうなんだろう本当は?という印象を受けたのか、それとも、やっぱり専門家としてその分野のことをよく知っている人たちが言ってることだからそうなんだろうと思ったのか?

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今年初めて参加した1年生の女子たちは「半信半疑」「だいたいは本当なんだろうけど少しは盛ってるのかなと思ったり」と比較的クールだったが、それぞれの分野の専門家たる大人が、中学生にもわかるようにいろいろ説明してくれているということは、素直に受けとめているようだった。一方、2年生の男子たちは「昨年は完全に鵜呑みでした」と振り返った上で、今年は「疑問を持ちながら話を聞いた」とか、「とりあえずひと通り聞いておいてあとでネットで調べて照らし合わせたりした」とか。なかなかの批判精神だ。

一足先に下校したK君は、いち早く今回の「中学生サミット」の感想を提出していた。理科部の宿題らしい。そのパソコンで打った文書がまた事前の要望書に劣らぬ立派な書きぶりである。

「①参加決定までの経緯
11月に部活動顧問より、主催する澤田氏から来年の中学生サミットに司会としての参加を求められるかもしれないとの旨が伝えられ、参加する意欲があるか尋ねられました。そのとき私は・・・(以下略)」

机の上に置かれたK先輩の感想文を読もうと1年生の女子たちが身を乗り出してくる。顔を寄せ、こちらの顔とも最も距離が縮まった瞬間だった。どちらかと言えばおとなしく慎重な彼女たちに「書くほうが得意?」と聞いたらニコッと笑って肯いた。

もちろん、話し合いは盛り上がったほうが楽しいし、充実感や達成感もあるに違いない。しかし、仮にそこまで活発でなかったからと言って、「話し合いの訓練が足りてない。だから日本の学校教育はダメだ」と断じるのではなく(確かにそういう面もあるが)、気軽に意見を言える積極性だけでない思慮深さも一方で評価したい。あの場であのような巨大なテーマに取り組んで、一人ひとりの生徒たちはそれぞれ刺激を受けている。心の中で様々な動きがあるのが感じ取れた。このままでいいとは思っていない。次に同じ話を聞くときには違った耳で聞こう。自分の考えを整理して次には言えるようになろう。そして、建設的な話し合いができるようになりたいと。(完)

 

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中学生サミット2017その③ どうする!?核のごみ

翌朝、討論会場に移動し、この「中学生サミット」のメインイベントである中学生によるダイアローグ(対話)セッションが行われた。

今回参加したのは、横浜の中学1年女子4名と中学2年男子3名、青森県六ヶ所村の中学1年男子3名の合わせて10名の中学生達。全国6地域の中学生が集まったという昨年と較べると今年は学校数も生徒数も少ないが、少人数ならではの話しやすさもあるかと期待して会場に向かう。

この企画の眼目でもある中学生自身のファシリテーションによる話し合い。ファシリテーター役を務めた横浜の中学2年男子3人組は、昨年のサミットにも参加した生徒たちで今年は先輩として話し合いをリードする立場に回った形だ。彼らはどんなふうに話し合いを進めていくのだろう。

・・・すぐに話し始めるわけではないようだ。

まずは、「核のごみ」の処分方法として、

  • 高レベル放射性廃棄物の地層処分
  • 使用済み核燃料の直接処分
  • 高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分

それぞれについてメリットとデメリットを整理するという作業が始まった。

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各自が付箋にメリットとデメリットを書き出し、ホワイトボードに掲げられた模造紙に貼っていく。ふーん。先日見た高校生の白熱教室ではしばらく話し合ってから、この付箋を貼って話を整理する手法が使われていたが、今回は最初にこれをやって論点を整理してから話し始めるということだろうか。いずれにしても中学生自身のアイデアだし、そう言えば、事前に提出された要望書(企画趣意書)にもそう書かれていた。

時々ファシリテーター役の3人が「思いつきでもいいので」とか「疑問とかあったらNUMOの方に聞いてもいいので」などと声をかける以外は粛々と作業が続き、会場はシーンと静まり返っている。

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話し合うんじゃなかったっけ?と思ったけれど、とりあえず大人は黙って見守ろう。8時半前から始まった付箋を貼る作業が9時過ぎまで続いた。

次に、1年生の7名が2グループに分かれ、今まで作業した3つの処分方法のいずれかについて似たような付箋を整理してメリットとデメリットをまとめるようにと2年生のファシリテーターから指示があり、「使用済み核燃料の直接処分」と「高レベル放射性廃棄物の沿岸海洋下処分」について、それぞれまとめることになった。グループは2つだから「問い」が1つ余るが(ん?)・・・まあいいか。中学生の発想は大人の形式論とはちょっと違うのかもしれない。

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グループは、六ヶ所村の男子3名と横浜の女子4名をそれぞれ2つに分けて組み合わせる形で作られたので、他校の異性と話し合う格好だが、自分の中学時代を思い出しても、思春期の微妙な年頃の子たちにそれはなかなか難しいだろうと思われた。六ヶ所村の男子1人に横浜の女子2人というグループではかろうじて会話があったようだたが、もう一方のグループは同じ中学の男子同士、女子同士でメリットとデメリットを分担してしまうと相互の対話はほとんど見られず、相変わらず静けさが支配する会場である。

グループワークの間に、ファシリテーター役の3人にこっそり声をかけてみたら、昨年と雰囲気が全然違って時間が余りそうだと焦っていた。昨年は地層処分に賛成の立場と反対の立場に分かれて議論するディベート形式の会だったそうだが、「昨年と全く同じことをやるのではなくて」、今年は違った“対話”をしたいと考え、その前提として参加者が知識・認識を共有しようという趣旨で、このメリットとデメリットの洗い出しを行うことにしたという。なるほど。なぜグループが2つなら、地層処分と直接処分の2つを較べる形にしなかったのか?と聞いてみると、今回せっかくNUMOの方に沿岸海底下処分という新しい話題を聞けたので、そのことについても考えてみたいと思ったからという話だった。ふーん。それにしても、昨年はもっと参加者数が多かったし積極的に発言する生徒が多くて大いに盛り上がったのに、今年は参加者が少なく、みんなおとなしくて困った。どうしよう・・と言っている。

9時20分から10時過ぎまでグループでのまとめ作業が続いた後、各グループからまとめた内容の発表があった。

中1Sさん:直接処分のメリットは、原子炉が少ない国ではあまり燃料を使用しないので、軽水炉で再処理するよりもコストが安くていいということで、しかし、高速炉で処理した場合はそれよりもコストが安くなると言われているので、全体的に見ると、軽水炉で再処理する場合はメリットとなります。

中1I君:直接処分のデメリットでは、固化体にするときよりも・・・・(しばらくメモを見ながら相談)・・・再処理していないため資源がもったいないこと、(有毒でなくなるまで)時間がかかること、また、熱を持つために間隔が必要で(最終処分場の)面積が多く必要なこと、放射能が漏れだしたりすることなどが考えられます。

中1Nさん:私たちのグループは高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分についてまとめました。最初にこの処分方法のメリットです。まず、沿岸海底下処分はロンドン条約に抵触していません。また海の深い所では水の流れが遅いため今後の予想がしやすく、地震津波の影響を受けないので安全です。そして海底なので場所を広く使うことができます。このようなことを含め、地域住民の人への影響が少ないことも沿岸海底下処分のメリットだと思います。

中1Ki君:高レベル放射性廃棄物の沿岸海底下処分のデメリットは、海水準が約10万年周期の気候変動によってプラス5メートルからマイナス120メートル程度の範囲で変動すると考えられているため管理がしにくく、300メートル以深を確実にするのは不可能ということと、斜めに作ると真っすぐに掘るより長い距離を掘ることになるのでコストがかかるし、傾きがない場所に較べて事故が起きやすいということと、海岸線の変化により多様な地下水の動きが存在してしまうことです。最後に、「領土問題」についてまとめることができなかったので、書いた人から実際に説明してもらいます。

中1I君:えっと、処分する所が他国に入ったりしないように、そういう問題点を挙げました。

(拍手)

今回は大人のギャラリーのほうが人数が多いぐらいの場で、やや緊張気味の訥々とした発表だったけれど、言っていることはなかなかしっかりしている。こうして真摯に課題と向き合い、考えようという姿勢はすばらしい。さて、いよいよこれから「話し合い」が始まるのか。

休憩後10時半過ぎから再開。相変わらずの静かな雰囲気に、ファシリテーター役の3人組はここから先どうやって話し合いを進めたらいいのか困惑しているようだ。「自由に話し合えって言ったら絶対に身内同士で固まる」とか「そういう風にしたら発言しにくいと思う」とか言っている。澤田先生が助け船を出す形で10人が輪になって座って話すことになった。このあいだの高校生の白熱教室と同じ形式だ。

「全員で考えて」「何か決めなきゃいけない場合どうしたらいいと思う?」「論点を決めて話してみたら」という澤田先生のアドバイスに「そんなのできるか?」と半信半疑の司会のK君だったが、とりあえず隣同士で話してみることに。

隣の生徒と話す囁き声は間近まで寄っても聴こえないぐらいだったが、時折「対話」が辛うじて聴こえてきた。

「どうですか?核燃料サイクルは続けるべきなのかな?どう思う?俺は止めるべきだと思ってんだけど」

「まあでも使用済み核燃料で捨てるものはこれ以上減らすことはできないからね」

「ほかの国も諦めているんだから日本もとっとと諦めるようにと思ってるんだけど。だいたいできると思う?ぐるぐる回す高速炉なんて大人が夢みたいなこと言ってるけど、できなさそうじゃん。え?そういう話じゃないの?」

隣の人としばらく話してみるものの、ファシリテーター役3人組はなおも進行に苦心する。

・・・「人変えてみる?今度右隣りとか」「それ変わんない変わんない」「じゃあT君」「急に振るのやめて」「じゃあねえ、私を基準に右隣りの人とお話できる?みんな静かだから。俺だとなんかみんな文句言うからY君ベースで進めていいよ。いい?いい?じゃあどうぞ」・・・

内輪もめし始めるセンパイ達の迷走に苦笑いを浮かべて顔を見合わせる中1女子。隣同士で話し合う第2ラウンド(?)が始まる。

・・・・ひどいと思わない?東京の人が六ヶ所村に再処理工場を作ってしまったんだよ。今は中間貯蔵施設。最終処分場となったら、昨日の話でも掘り起こすってことはないわけだから永遠にそこに埋めとくんだよ。俺は都会人が責任を持って東京とか神奈川に埋めるべきだと思うんだけどなあ。土地がないと思います。ああ、土地がない?なるほどねー。無人島?東京の人たちはどう?あ、神奈川の人。今まで地方に原発を押しつけていたわけだよ。最終処分場が来ていいと思う?これも押し付けなんだけど、福島の本当に原発の近くで線量が高くてもう二度と住めないようなところに最終処分場を作るっていうのはどう?線量が高くて近寄れないからそういう施設を作るのも無理だと思います。あーそもそもね。北海道?いや、北海道は条例でダメっていうことになってる。地方っていうのは人が住みにくいから人が少ないんでしょ?・・・

「また椅子チェンジしますか?」「えーっ?このタイミングで?」「え?もっと話し深める?」

・・・ガラス固化体。かわいそうに思えてきちゃうよね。なんか東京のせいでね。俺たちひどいことしてきたんだよね。俺達じゃないよ。上の世代がね。申し訳ないなって思うんだよね・・・

聴こえるか聴こえないかぐらいの様々なつぶやきがブツブツ言っているのは、なんだか大人の世界でも表立っては言わずに内輪でヒソヒソ話しているのと似ている。「子は親の鏡」と言うから、やはりこれは日本的な有り様なのか?はがゆい。それともファシリテーションの問題なのだろうか?とにかくこの声の音量を上げるにはどうしたらいいんだろう?まともな意見や対話の芽のようなものも聞こえてくるのに、全体で話し合う感じに発展しないのはもったいないなぁとぼんやり考えながら、できるだけ近くに寄って「隣の人との話し合い」を聴き取ろうと努めた次第。

・・・「じゃ、人変えるか?」「変えよう」「どうやって変えるの?」「これでいいっか。じゃ、私を基準に左隣の人とまた5分ぐらいしゃべってください。じゃ、どうぞ」・・・

・・・何か疑問とか出ました?そこのお二人、いちばん活発に議論してたみたいだけど。無人島に入れる場合に、人間の管理がなしでもいいのかあったほうがいいのか話し合ってました。だって、地層処分っていうのはそもそも人間の管理は要らないんでしょ?私はあったほうがいいと思います。テロとかが起きる可能性はあると思うから。いや、ここに埋めたとは言わないと思う。いつの間にかさら~っと埋めてると思う。憲法を改正したら核の軍事利用ができるのか?(と話が飛ぶ)・・・

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・・・「じゃあみなさん、11時18分ですが・・・そろそろこれも終わりにしてもよろしいでしょうか?もうお弁当食べたいですか?それともあと5分話したいですかね?」とY君の提案でこの場は一旦終了。

「じゃあお弁当食べながら聞きたいことがあるので」という澤田先生の言葉もあり、このあとも食べながら少し話が続くようだったが、私はここで別件のため急ぎで帰京せねばならず、後ろ髪引かれる思いで会場を後にした。

こうして、盛り上がったとは言い難いままダイアローグセッションの時間は終了した。最後のランチタイムはどんな感じだったのだろうか。(続く)