よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

ベラルーシの学生たちの声 〜日本・ベラルーシ友好訪問団2018報告会その②

福島の高校生たちに続いて登壇したのはベラルーシの大学生たち。ベラルーシ国立大学日本語学科で学ぶ6人の女子学生が美しい日本語で語った。

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チェルノブイリ原発事故は私たちが生まれるよりずっと前で、既に歴史上の出来事のように感じていましたが、このたびベラルーシを訪問した福島の高校生たちと一緒に各地を見学し、私たちも初めて知ることができました。」

それをきっかけにした彼女たち自身の活動も興味深い。

活動の一環で彼女たちは、ベラルーシ南部の汚染地域のナロヴリャから首都ミンスクに移住した人たちが作った「移住者の会」に話を聞きに行った。首都ミンスク市内には移住者のために作られたマリノフカという団地がある。

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  • 事故当時、3歳未満の子どもは母親と一緒に、3歳以上の子どもは母親と離れて避難した。
  • とくにお年寄りは故郷への愛着が強く、避難や移住を拒否する人が多かった。
  • 毎年4月の終わりか5月の初めに年に一度のラードゥニッツァという伝統的なお祭りがある。日本のお盆にあたるようなお祭りで、この時には今は人が住んでいない村にも入ることが許され、亡くなった人たちを偲んで集まる。
  • 事故直後には、ミンスクに移住しても汚染地域の出身であると言うと、交際相手から別れを告げられた若い女性もいた。

チェルノブイリ原発事故によりベラルーシの国土の23%が汚染された。放出された放射性物質の70%がベラルーシに飛来したと言われており、原発のある現在のウクライナよりも被害が大きかった。ベラルーシ南部のウクライナとの国境地帯に広がる約2,160㎢の「ポレーシェ国立放射線環境保護区」は、現在でも居住禁止、立ち入りも厳しく制限されている。プルトニウムが崩壊してできるアメリシウムによる汚染も問題になっている。

原発事故直後の1986年6月、最も被害の大きかったゴメリ州に科学アカデミー放射線学研究所が設立され、農作物・畜産物への放射性物質の移行割合などを研究してきた。ポレーシェ放射線環境保護区の中での国際的な研究機関の設立も予定されているとのこと。

ここで発表者の声のトーンが変わり、「放射能汚染のことばかりお話するとベラルーシ人の健康はどうなっているかと心配だと思いますが、私たちを見てください。私たちは元気です!」と言ったのと同時に、別の学生が元気なポーズをとってみせた。ベラルーシでは国民に一年に一度の健康診断が実施され、ホールボディカウンターによる検査や甲状腺のエコー検査も受けられるそうだ。

農産物など食品の話も出た。

セシウム137で農地も汚染されたが、加工することで放射性物質から身を守っているという。原料の牛乳に放射性物質が含まれていても、それを加工して製造したチーズやバターには放射性物質が含まれないというのだ。ベリー類やキノコなど森の恵みからは放射性物質が検出されるが、線量を測って判断し対応しているという話に、福島の山菜の放射線量の話と共通するものを感じた。

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さらに、アンケート調査も実施。さすがは大学生である。

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チェルノブイリ原子力発電所事故から32年後のアンケート調査」ということで、2018年9月20日から10月1日にかけて、ベラルーシに住む人を無差別に抽出して調査した。有効回答数261人。

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  • チェルノブイリの問題に興味があるか?」という問いに対しては、「はい」と答えた人が68.7%、「いいえ」の31.3%を大きく上回った。
  • 「汚染地域のあるゴメリ州の食品を食べますか?危険だと思いますか?」という問いに対しては、「危険だと思わないので、食べる」が27.5%、「危険だと思うので、食べない」が9.3%いるが、圧倒的多数は「食品の産地を気にかけていない」(63.2%)ということだった。
  • 「福島の事故についてどう思いますか?」という問いに対する自由記述の回答として、「また同じような事故が起こったことを非常に残念に思う」「日本の復興のスピードがベラルーシよりも早く感じる」「日本人がどのようにこの問題を解決していくかに興味がある」「チェルノブイリ事故の時と同様、デマがたくさん流れたことが気になる」などが挙げられた。

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このような話を日本のテレビや新聞ではなく、また、欧米メディアでもなく、被災国ベラルーシの当事者である若者たちが現地で調べた成果として聴くことができ、彼女たちの一言一言が心に響いた。彼女たち自身も、福島の高校生との交流プロジェクトを通じて、これまであまり知らなかったチェルノブイリ原発事故やその後のベラルーシについて改めて関心を持って調べ、それを日本で発表しているのだ。一生懸命練習したと思われる美しい日本語で、時々間違えると緊張して「スミマセン」と言いながら丁寧に語った言葉からベラルーシの今が伝わってくる。

報告会の後、思わずベラルーシの女子学生たちに駆け寄って挨拶し、ほんの少し話をした。実際のところ、ベラルーシの人に直接会うのは初めてだった。ベラルーシと言えば、ちょっと検索すれば「ヨーロッパ最後の独裁国家」という悪評を目にする強権的な体制にある。だから、ベラルーシという国を手放しで礼賛しようとは思わない。しかし、ベラルーシチェルノブイリ原発事故の被害を最も大きく受けた国であり、既に30年以上放射能汚染と向き合い闘ってきたことは事実である。国民一人ひとりがそれぞれの苦難を乗り越えてきたのだろう。

ベラルーシの学生たちはこのたび日本を訪ね、福島の高校生たちと再会した。三連休中に行われた「日本ミッション」にも参加し、高校生たちと一緒に県内の中間貯蔵施設や福島第二原発を見学した。また、稲刈り体験など日本の風物にも触れた。

www.minyu-net.com

報告会の後の昼食会で一人ずつ今度は主にロシア語で挨拶した中で印象に残ったのは、

「(Jヴィレッジの)ホテルからの海の眺めが素晴らしくて、こんなに美しいところに津波が襲い、そのため原発の事故が起きたということが信じられず、混乱してしまいます」という一人の学生の言葉だった。

ベラルーシも福島も実際に行ってみて初めて感じることがあるのだと思うし、個々人が直接触れ合ってみることが、互いをわかり合う最初の一歩になる。(続く)

福島の高校生たちが見たベラルーシ 〜日本・ベラルーシ友好訪問団2018報告会その①

三連休最終日の体育の日、福島県内の「Jヴィレッジ」で、この夏ベラルーシを訪ねた高校生たちの報告会が開催されるというので聴きに行ってきた。

楢葉・広野両町にまたがる国内初のサッカーのナショナルトレーニングセンターだった「Jヴィレッジ」は福島第1原発事故の対応拠点となり休業していた。この夏7月28日、7年4カ月ぶりに再開されたばかりである。

東京から6時53分の特急ひたち1号に乗って、10時の開会にぎりぎり間に合った。前の方の席に座ると、来賓席から吉野前復興大臣、森まさこ参議院議員広野町の遠藤町長らが次々に挨拶。予想以上に大層な会であるようだ。

今年の夏休み中7月末から8月上旬の10日間にわたり、福島県浜通りの高校生24人がベラルーシを訪問した。

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なぜ、ベラルーシか?

32年前の1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発ベラルーシの南隣のウクライナ北部にあり、当時の風向きの影響で放射性物質の70%はベラルーシ側に降り注いだという。放射能汚染の被害を受けたベラルーシの現状を見るため、福島の高校生たちが、単なるベラルーシ観光ツアーではなく、汚染が最も厳しかった南部のゴメリ州内の関連施設や学校も含めて訪問し、現地の方々との交流を通じて学ぶというプログラムである。昨年に引き続き実施されたプロジェクトで、昨年の成果がまとめられた訪問記も会場で配布された。

高校生たちは5〜6人ずつのグループで分担して準備を進めてきたようで、並んで登壇すると緊張した面持ちながら、代わる代わる自分の言葉で発表し、しっかりとプレゼンを進めた。

  • ベラルーシとはどんな国か。
  • 日本では急ピッチで除染が行われたが、ベラルーシではチェルノブイリ原発事故後、消えてしまった村があり除染もされていない。
  • 一方、ベラルーシでは30年以上経ってもチェルノブイリ対策局が国としての対策を続けているが、日本の復興庁は2020年度末で廃止される時限組織であることを疑問に思う。
  • ベラルーシでは家畜を連れて避難することができたが、福島では殺処分という措置がとられたことを疑問に思う。
  • ベラルーシでは30年以上、被災地域の子どもたちのケアを継続しており、子ども保養施設「プラレスカ」を国が運営し、子どもたちに無償で提供している。
  • ベラルーシの学校では交通安全と同様に小学校から放射線教育が実施され、中学校では部活動として放射線量を計測し地域にも情報発信するなど、以前は人が住めなかった地域で今はどう安全に生活するかを学び実践している。

 

原発事故だけではない。

  • 第二次世界大戦の悲惨さを伝えるハティニ村の銅像に感銘を受けた。言葉がわからなくても見ただけで伝わる展示物が福島にもあったらいい。
  • 世界中で1億人以上が利用する人気のオンラインゲーム「World of Tanks」を制作するゲームストリーム社を訪ね、社長からリーダーシップとは何かを学んだ。
  • ベラルーシの人々にも福島の魅力を伝えるために行ったホテルでのプレゼンには100人もの参加者があり、またショッピングセンターで披露した「ソーラン節」も大勢の人たちが見てくれて嬉しかった。

高校生の目で実際に見たこと、感じたことが生き生きと語られたのだった。

このベラルーシミッション後、この三連休に実施された県内の中間貯蔵施設や福島第二原発の見学など、日本ミッションの感想も発表された。

  • 中間貯蔵施設でのロボットの導入は地元企業の育成につながり福島の新たな産業になるのではないか。
  • 中間貯蔵施設1か所で約4万㎥の除染土が貯蔵できると聞いたが、県内で発生した2000万㎥の除染土を貯蔵するには単純計算で500カ所になってしまう。そんなにたくさん建設できるのか?
  • 原発敷地内はもっと線量が高いのかと思っていたが、第二原発では0.6μSb/hと低いことが意外だった。また、放射性物質を扱う施設がどれほど厳重に管理されているかを初めて見た。
  • 自分がこの地域の力になりたいと強く思った。

福島の高校生の姿に触れるたび、声を聞くたびに、なんとしっかりしていることかと感服する。このような場で話をする機会も多いのだろうか。そうでなくとも、小学3年生で東日本大震災を体験した彼らは、東京からは計り知れない様々な思いをもって原発と向き合って成長してきたのだろう。

2年ほど前に東京で開かれたイベントで聞いた福島の高校生の言葉が忘れられない。

「震災後、都内で20万人規模の反原発デモがあったとかいう話が出たけれど、東京の人たちが現地に行かないでニュースで流れる情報だけで判断して、そのイメージが先行したデモは、被災者がさらに風評被害を受けることにもつながります。当事者を置いたまま、よく知らない人たちが行動を起こすのはあまり嬉しくないです。だったら福島に来てもらってちゃんと事実を知ってもらってその上で原発に反対でも賛成でも主張してほしいと思いました。」

そして、今回の高校生たちは強い当事者意識を持って、原発事故から30年以上の知見を持つベラルーシに学ぼうとしているのだ。(続く)

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  昨年2017年のベラルーシ訪問をまとめた冊子

 

 

 

 

サントリーホール前でライブビューイング

そろそろ芸術の秋。サントリーホールアークヒルズ25周年の2011年にスタートし、今年で8回目を迎えるという「ARK Hills Music Week」に初めて行ってみた。

 

5月の記者会見で今年からの新企画「ARKクラシックス」を知り、ピアニスト辻井伸行とヴァイオリ二スト三浦文彰の二人をアーティスティック・リーダーに迎えるプログラムがアーク・カラヤン広場でライブビューイングも開催されるという話に心惹かれていた。だいぶ先のことだと思っているうちにもう10月だ。ふと空いていた金曜日の夜、前夜祭に寄ってみることにした。

 

ライブビューイングの良さは、まず気軽に音楽を楽しめること。あいにくの雨模様で空席が目立ったが、それでもベビーカーを連ねて座っている若いママたちがいて、可愛いチビちゃんたちが前をちょろちょろしながら時折スクリーンを眺めたりもする。こんなに小さい頃からサントリーホールのコンサートに触れられるなんていいなあ。とにかく目にしたり耳にしたりするきっかけがあって、しかも、じっとしてなさい、静かにしてなさいと言われない場であれば、きっと音楽が好きになる!・・肌寒かったし長丁場だったので、その親子連れ二組は途中で帰ったけれど、自分の状況に合わせて自由に出入りできるのも無料コンサートの良さである。

 

サントリーホールの中で生で聴く音が素晴らしいのは当然だが、スピーカーの音も最近はなかなか精度が上がり、音響があまり良くない会場で聴く演奏や、音響の良いホールで聴くさほど良くない演奏よりは、はるかに良かった。

 

そして、大画面の迫力。これは、METライブビューイングでも感じることだが、コンサートホールやオペラハウスの座席からは到底見えない舞台上の詳細がクローズアップで見えるのだ。時折ピアノの手元に寄るカメラワークは、ピアニストたちの手を巨大に見せてくれた。プログラム冒頭に登場したアイスランドのピアニスト ヴィキングル・オラフソンの左手の薬指の指輪までしっかり見える。パワフルで正確なバッハとベートーヴェン喝采を浴びたオラフソンの正統派のフォームと、後半に登場してやわらかいドビュッシーを聴かせた辻井伸行の鍵盤上に手を平らに置くフォームが随分違っていて面白い。

 

顔もどアップだ。演奏中の三浦文彰は目が据わってて鬼気迫る厳しい表情だが、それが時折ふと和らいでクァルテットの仲間たちとアイコンタクトを取る様や、そこでズンと音が重なり合う響きに室内楽の醍醐味を感じる。それぞれの奏者が自分の聴かせどころになるとどんなに眉間に皺を寄せて感情込めて弾くかなどなど、見ていて飽きることなく、4人の熱いやりとりに視覚的にも巻き込まれていく。久々に聴いたドボルザーク弦楽四重奏アメリカ」は実に素晴らしい演奏だった。

 

ラストは辻井伸行三浦文彰のデュオによるフランクのヴァイオリンソナタ。この難曲を二人で一緒に奏でようという気迫と信頼関係がひしひしと伝わってくる。高速で疾走する演奏ではなく、一つ一つ噛みしめて踏みしめて進行するようなテンポ感で、やがて終楽章の冒頭、ヴァイオリンとピアノの掛け合いが何とも言えず温かくて、こういう曲だったんだと胸が熱くなる。一人で弾くのもオーケストラをバックにソリストとして演奏するのも素晴らしいけれど、二人の音楽家がこんな風に力を合わせられる美しさに心を打たれた。

 

その一部始終を臨場感溢れる大画面で共有できるのはなんと贅沢なことだろう。薄着で出かけてしまい結構寒かったが、心は温まって、会場を後にした。

 

このような特別なイベントの時だけでなく、日頃から時々ライブビューイングをやってもらえないものだろうか。ホール内で聴いている人にとっても別に減るわけではないし。高額なチケットを買おうとまでは思わないけれど聴いてみたい人たち、一部分だけでいいからちょっと聴いて帰る人たち、堅苦しいのは疲れるけれど外で気軽に一杯やりながら聴けるなら試しに聴いてみようという人たちもいるのではなかろうか。意外とよかったから次はホールで聴こうと思うかもしれない。無料でなくてもワンコイン、または1000円ぐらいでどうだろう?それも今日のサントリーホールでやっていたほどのクオリティの演奏であれば、その素晴らしさはきっとスクリーンからでも伝わる。

 

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しぶとい金木犀

地震、豪雨、台風、また地震、また台風と災害続きだったこの夏。その中では比較的平穏だった東京だが、猛暑の中の引越しはキツかった。既に会社員ではなくなったので、毎日の通勤地獄やフルタイム勤務はないものの、平日休日関係なく締め切りに追われるこまごまとした書き物仕事を続けながら、引越し荷物と大量のゴミと格闘するだけで気力体力を使い果たし、今年の夏は過ぎ去った。

9月も終わりに近づき急に気温が下がった頃、表でほのかに花の香りがした。

え?金木犀?早いな・・・

それに、金木犀がほのかな香りというのは妙な感じ・・・金木犀と言えば、もっとクセのある芳香剤のような強い香りではなかったか。昔は嫌いだった。

ほかの花だろうか?

訝しみながら歩いていると、近所で例のオレンジ色の小花をつけた木に出くわした。

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今年はもう金木犀が咲いている!なんと早いこと。よく見るとほら、そこにも、ここにも、しょっちゅう買い物に行く近所のスーパーの入り口脇にも。そのこんもりした木は、実は金木犀だった。オレンジ色の小花をつけるまでわからないとは、相変わらずの植物音痴だな・・・

やはり、あのほのかな香りの出どころは金木犀だったのだ。

引越して来たこのあたりは住宅街とは言え、幹線道路に近く、しかも近くにガソリンスタンドがあるので、お世辞にも「空気がきれい」とは言えない。これまでに何度も転居した中では空気は悪いほうだが、諸々総合的に考えて決めた立地だった。

排気ガスやガソリンの臭いも身近に感じながら暮らす中で、金木犀の強い香りがほのかな上品な香りとして感知されたのだ。控えめな花の香りだったら、気づかないのかもしれない。薔薇や沈丁花の香りは国道沿いでも感じられるのだろうか?次の季節に確かめたい。

そんなわけで、もう咲いているとは予想していなかった9月のうちから、姿は見えなくとも金木犀の香りを嗅覚の端っこでほのかに感じていた。

そこへ日本列島を縦断した台風24号。10月になるという夜中、このあたりもかなりの暴風だった。首都圏の電車が夜には運休になることはあらかじめ知らされていたが、夜半、高円寺の立ち食いそば屋が倒壊したというニュースに驚く。JR四ツ谷駅で線路に倒木、京王線の明大前辺りでは倒れていた塀と電車が接触したとか。とりあえず新居のベランダや窓ガラスが無事で幸いだった。

台風一過。また夏の暑さがぶり返す帰路、ふと気になって金木犀を見に行った。あそこのマンションの敷地にあった金木犀はどうなっただろう・・・

ああ、だいぶ散ってしまった。それでも、枝に小花が結構残っている!

桜が舞い散る春の風雨よりもはるかに凄まじい、大木をなぎ倒す様な台風によくぞ耐えたものだ。おそらくまだ若い小花たちか?枝にしがみついて残った。そして、あたりには香りが漂う。

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まだ10月になったばかり。少しでも続いてほしいと願う、今やほのかな金木犀の香りであった。ようやく爽やかな秋を迎えるのか。

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金木犀シリーズというわけではないけれど・・

2007年10月10日 金木犀

2008年10月 8日 ブログ休止のお知らせ

2016年  9月30日 秋を告げる金木犀

2017年10月15日 金木犀が見えた

 

 

 

 

 

フィデリオ仮装合戦

人間は自由じゃない・・脳の働きや決定論のややこしい話は抜きにしても、罪人と判定されれば拘束され、自由な身だと思っている人々各々の自由な考えだって所詮は思い込みの産物に過ぎず、その思い込みは誰かに操作されている。そんな怖ろしい舞台を観た。

ベートーヴェンが遺した唯一のオペラである「フィデリオ」を新国立劇場開場20周年を記念して新制作。リヒャルト・ワーグナーのひ孫で現在バイロイト音楽祭の総監督を務めるカタリーナ・ワーグナーが演出を手がけ、今シーズンで任期を終える飯守泰次郎オペラ芸術監督が最後に自ら指揮する話題作ということで、The Japan Timesでも紹介させていただいた。

www.japantimes.co.jp

まず、 飯守監督にインタビューさせていただき、ワーグナー女史については、単独インタビューは(ほぼ)なし、稽古場もゲネプロも(ほぼ)非公開という彼女の対メディア・ポリシーに則って公演前に開催された記者懇談会に参加し、そして、5月20日の初日を観るという機会に恵まれた。6月2日までさらに4公演を控えていたため、23日付の記事では極力ネタバレしないように気を遣ったつもりだが、なにしろ、新国立劇場であんなにブラボーとブーイングが飛び交うカーテンコールも珍しかった。既にあちこちに賛否両論のレビューが書かれており、少なくとも物議を醸す舞台であったことは間違いない。「現代の人々に問いを投げかける舞台にしたい」という飯守監督とワーグナー女史の狙い通りだったと言えよう。

飯守監督もおっしゃったように、オペラと言えば「愛と嫉妬の三面記事的なドロドロしたドラマ」が多い中で、「フィデリオ」は夫婦愛をネタにした珍しい作品である。男装してフィデリオと名乗り監獄に潜入したレオノーレが、政治犯として投獄されている夫フロレスタンを救出する。フランス革命前後にそういう救出劇が流行ったそうだ。ベートーヴェンの理想にも叶う物語だったのだろう。

ほかの交響曲などと同様、ベートーヴェンの音楽はあくまでも甘美で深刻で華々しい。フィデリオは若干「とっつきにくい」と聞いていたが、どう歌われてもよくわからない現代オペラに比べたら遥かにとっつきやすく音楽を堪能できる。音楽に集中するなら、むしろコンサート形式のほうがいいかもしれない。実際、5月の始めに聴いたチョン・ミョンフン指揮、東フィルの「フィデリオ」もなかなかよかった。フィナーレの合唱は美しい夫婦愛を讃えるめでたいものだった。

しかし、ワーグナー女史の手にかかると話はそうめでたくはならない。1カ月も経つので、細かいことは忘れたが、印象に残っているのは舞台がいくつかの階層と小部屋に分割されていたことだ。各層の各部屋の内部の様子は、別の層の異なるスペースにいる登場人物からは窺い知れない。まさに世の中がそうであるように。たとえばレオノーレは自分のプライベートスペース(?)で密かに着替えてフィデリオになり、その下の層にある地下牢に閉じ込められたフロレスタンは希望を失わぬよう、愛しい妻にそっくりの天使の絵を牢獄の壁一面にひたすら描き続ける。そんなあちこちでやっていること全体を俯瞰できる言わば神様目線は観客だけの特権だ。

恥ずかしながら「フィデリオ」を生で観るのは今回が初めてなのだが、映像でいくつか観たバージョンでは、レオノーレはいきなり男装のフィデリオとして登場し、看守ロッコにもその娘マルツェリーナにも本当は女であることがばれない。それどころか、娘は本気で「彼」に恋心を抱き、父は「彼」を娘の婿にしようとする。(え~?なんで気づかへんかな?!)その不自然さについて、ワーグナー女史は「今回の演出では女性が男装するところと変装を解くところを見せるということが正しい演出だと信じる」と懇談会で語った。なので、レオノーレ⇔フィデリオの着替えシーンを舞台上で何度となく見せられたわけだが、どういうことかと訝しんでいたところ、第2幕の後半になって、やっとその意図がわかった。つまり、変装するのはレオノーレだけではなかったのだ。悪役、いや、政敵も同じ手を使うではないか。

悪役の刑務所長ドン・ピツァロが政敵フロレスタンを殺そうとやってきた地下牢で、フィデリオから女性の姿に戻ったレオノーレが身を挺して夫を守り、ドン・フェルナンド大臣の到着を告げるラッパの音と共にすべては好転する・・・そういう話のはずが、なんとピツァロはフロレスタンとレオノーレを殺害した(もしくは瀕死の重傷を負わせた)後、フロレスタンの上着を奪って変装し、レオノーレに変装させた別の女性(誰?)を伴って人々の前に現れる。そこへ到るまでの場面転換でレオノーレ序曲第3番が盛大に演奏される間、悪役ピツァロが地下牢の通路にどんどんブロックを積み上げて塞いでしまい、フロレスタン&レオノーレ夫妻がアイーダのラストのように地下牢に封じ込められる(ええーっそんな!?)のを観客はなすすべもなく見ているしかない。

レオノーレの男装がばれないのであれば、ピツァロの変装もばれなくて当然。「なりすまし」を信じさせることができればそれは現実と化す。長い獄中生活から解放された囚人たちやその家族たちは、ピツァロを解放者フロレスタンだと信じ込み、「夫を救った妻レオノーレの勇気と二人の夫婦愛を讃える」歌を大合唱するのだ。

フィデリオことレオノーレ役のリカルダ・メルベートもフロレスタン役のステファン・グールドも素晴らしい歌唱を聴かせてくれたが、そうした独唱よりも重唱よりも、「フィデリオの音楽の中で一番好きなのは合唱」と言い切ったワーグナー女史は、懇談会の席で新国立劇場合唱団を絶賛した。その素晴らしい大合唱のフィナーレは、世の中の人々がいかに簡単に騙されてしまうかをこの上なく雄弁に語っていた。この演出にカタルシスはなく、この結末はベートーヴェンの音楽に対する冒瀆だという意見もあちこちで見たが、私は、情報操作された民衆が虚偽を真実と思い込んで理想を讃える合唱の凄いパワーにゾッとした。これもベートーヴェンの音楽の力というものではなかろうか。

偽物の解放者に先導された囚人たちが向かった先に待っていたのは、自由への出口ではなく、次の牢獄の入口であった。なんという結末!何かを安易に信じてはいけないのだ・・・

自由であることは難しい。ただ、自由を望む切なる気持ちだけが真実なのかもしれない。第1幕の暗がりの中で「囚人の合唱」が切々と響いたのだった。

   おお何という喜び 自由な大気の中で
   軽やかに呼吸をすることは!

フィデリオ」は数々の歴史的場面で上演されてきた。

1945年9月4日、第2次世界大戦後のベルリンで最初に上演されたのは「フィデリオ」だった。1955年11月5日、第2次世界大戦で焼失し再建されたウィーン国立歌劇場再開の演目も「フィデリオ」だった。そして1989年、東独建国40周年を記念してドレスデンで上演された「フィデリオ」は、その4週間後のベルリンの壁崩壊を予感させる演出だったという。いずれの舞台も、人々が希望を託した、どんなにか感動的な「フィデリオ」だったことだろう。

フィデリオ」が作曲されたのはフランス革命からナポレオン戦争にいたる激動の時代。昨年ベストセラーとなった「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳)の言葉を借りれば、「適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることができる。たとえば、1789年にフランスの人々は、ほぼ一夜にして、王権神授説の神話を信じるのをやめ、国民主権の神話を信じ始めた」という激変の時代である。革命の旗印は自由・平等・博愛の理想だった。しかし、その後世界はどうなったか。自由と平等と博愛は両立し得るのか?人々がみな自由に行動すれば平等にはならないだろう。博愛どころか、人々はこの矛盾から生じる争いと抑圧に苛まれ、命を落とし、何度も何度もやり直してきたが、そのたびに権力者が交代して新たな抑圧が始まるばかりではなかったか。

「私たちは、自由な世界を所与のものと思っているのではないでしょうか」と飯守監督は言った。監督が言う「ベートーヴェンの崇高な理想」とは、永遠に解決しない自由の問題をそれでも諦めない人間の希望のことなのだろうか。

巧みな「なりすまし」と熱狂的な「大合唱」の罠にご用心。自由はなかなか手に入らない。

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田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の愛と葛藤」

いつもながら、自分にとって行くべき音楽会は絶妙なタイミングで開催される。必ず行くべしと言われているようだ。5月26日、土曜日の昼下がり。この前の週でも後の週でも行くことは叶わなかった。

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ところが、会場でプログラムと一緒に受け取った小冊子には「私は音楽会というものが好きではない。言ってしまえばつまらないからだ。」と田崎さんご自身が書いておられるではないか。

「・・・(音楽会には)真っ黒いピアノの前に趣味の悪いドレスを着て上体をゆり動かしている人だけのときもある。指が早く動くのを見るのは面白いかと言うとそうでもない。わざやスピードを見たければ、サーカスやカーレースに行ったほうが、よっぽどドキドキするし、スリルがある。」

手厳しい。私は何をしに来たのだろう?

3年前の「三大作曲家の遺言」3回シリーズは、ブラームスベートーヴェンシューベルトという三大巨匠の晩年の遺作をまとめて弾くという凄まじい企画で、まさに田崎さんご自身の遺言なのかと思ったものだ。「これをやってしまえば、あとはもう楽な人生を生きようかなって(笑)」というインタビュー記事も読んだ。しかし、「またムラムラと欲が出てしまった」という田崎さん。今年は2回シリーズでショパンシューマン、リストを取り上げる。

東京文化会館小ホール。颯爽と現れたピアニスト田崎悦子の今回はシャープなブルーのドレス姿に胸が高鳴る。これからピアニストは舞台上たった一人で、魂の交感ともいうべき儀式を執り行うのである。

ショパン幻想ポロネーズの出だしの2つの音に続くハッとする和音と絶妙な間を置いて深い谷底から立ちのぼるアルペジオに誘われて別世界へと連れていかれた先には、一瞬だけ華麗なるポロネーズのリズムが打ち鳴らされたかと思うと、いつも私を魅了してやまない明るい憂いを帯びた旋律が流れ出す。明るく、次には仄暗く、田崎さんが静かに響かせる微妙な和音に恍惚となる。慰めに似た歌の後には、再びあの冒頭のテーマが一層の深みから高みへのアルペジオを伴って迫りくるが、終盤、熱に浮かされたように鍵盤の端から端まで駆け巡った両の手で田崎さんが打ち鳴らした最後の一音は高く澄み渡り、まさに天上で鳴り響く鐘であった。昂然と顔を上げ、人生への勝利を宣言するように。

シューマンダヴィッド同盟舞曲集は不思議な曲だ。そもそも「ダヴィッド同盟」って何だ?と思って調べたら、それはシューマンが考え出した架空の団体(!)で、保守的な考えにしがみついた古い芸術に対して新しいものを創作するために戦っていく人達だという。主要メンバーは明るく積極的なフロレスタンと冷静で思索的なオイゼビウスということになっている。もちろん架空の人物でどちらもシューマンだ。18もの短い曲が続くが、たいてい前の曲とがらっと雰囲気が変わるのは、フロレスタンかオイゼビウスか、どちらかの性格が交代で出ているということらしい。彼らに代弁させるように、クララに恋する自分の憧れ、情熱、憂い、夢、喜び、不安など様々な思いが切々と語られ、若き日のシューマン君に共感し応援せずにいられない。自分自身のほろ苦い青春もよみがえる。シューマンの恋は実りクララとの結婚は成就するも、その後の悲劇的な末路を思うとますます切なくなる。何がいけなかったのだろう?クララがいけなかったのか?結婚がいけなかったのか・・・一つ一つキラキラ瞬くような曲たちに込められたシューマンの魂を、田崎さんは時に力強く抱きしめ、時に信じられないほど微かなピアニシモの響きで包み込むのだった。

それにしても、ショパンシューマン、リストというロマン派きっての三大作曲家の愛に溢れた偉大な3曲を並べるとは、なんと大変なプログラムだろう。休憩を挟んだ後半、リストのソナタロ短調が圧巻だった。ショパン幻想ポロネーズの冒頭も荘厳だが、このリストのソナタの冒頭は、ただならぬ2音の問いかけと禁断の領域へ暗闇の階段をゆっくりと降りていくような一音一音の厳粛な響きに息が止まる。続いて打ち鳴らされるおどろおどろしいテーマが全曲に渡って繰り返され、発展し、やがて美しい歌へと驚きの変容を遂げてまた登場し、ソナタと言いながら1楽章も2楽章も3楽章もぶっちぎりの30分間が迸り駆け抜けていくのである。そして再び厳粛な階段をいちばん低い段まで降りきった時、天上からの救いの和音に静かに迎え入れられるように曲は終わる。昇天・・なのか。

ピアノという楽器の強みは、人間の手指がなしうる限りの動きが音の響きに直結することではないだろうか。管楽器の息や弦楽器の弦を擦る弓に自ずと備わる制約を抜きにして、優しく愛撫する指に直接触れられる鍵盤で紡ぎ出す得も言われぬやわらかい響き。逆に田崎さんの華奢な身体のどこにそんなパワーが秘められているのかと思う強烈な一撃が、全身全霊の集中をもって叩き出される。鍵盤に噛みつくような鋭い音の立ち上がりもピアノの特権だ。なんという音色の幅の広さ。もちろん、両手のすべての指を駆使した怒濤の連打も、めくるめく音階も。一人で旋律も裏旋律も伴奏音も弾きこなして作り上げるオーケストラのようなスケール感は、ほかのどんな楽器にも真似できない。

19世紀の初めに生まれ、愛と葛藤の人生を駆け抜けた3人の作曲家が言いたかったことが今、目の前で息づいている。そういう稀有な儀式のような音楽会に立ち会って心を震わせ、私はただただ拍手するばかりだった。。

10代で単身渡米し30年間ニューヨークを拠点に世界の第一線で活躍し続けたピアニスト田崎悦子。そして国境を越えた恋の数々。

「ピアノを弾くというのは、恋愛すること。作曲家が誰かを愛する思いが、こちらに伝わって感じられるから私は曲が描く彼女の身にもなれる。」

そう堂々と言える生き方を貫いてこられた田崎さんに、同じ女性として嫉妬する。

私はどういう生き方をしているだろう? 自分なりに精いっぱい人を愛し、命を大切に育んできたのではないのか? 別に責められているわけでもないのに、おのずと問い直してしまう。魂は何かを渇望しているのだ。

「愛と葛藤」の日々に鍛えられ磨かれた田崎さんは年輪を重ねてさらに美しく、万雷の拍手に応えて両手で投げキッスを贈る。ああ、カッコ良すぎる!

音楽会が好きではないという田崎さんの文章はこう締めくくられている。

「私の胸をいっぱいにしているものを手のひらですくいあげ、それを人の心に一滴でも落とせるような、そんな音楽を私はしようといつも心がけている。」

魂の渇きと限りない憧れに導かれて、私は田崎さんの音楽を聴きに来るのだ。

 

 

 

サントリーホール オープンハウス② ホールで遊ぼう!

プレビュー記事というのは罪なもので、自分がまだ見聞きしていないイベントについて、主催者側へのヒアリングやプレスリリース、場合によっては関係者へのインタビューを元にまとめるわけだが、「実際はどうなんだろう?」と心配になる。サントリーホールは知っていても、オープンハウスにはこれまで来たことがなかった。何度もやっているイベントでも、何か新たな試みもあろうし。「サントリーホールで遊ぼう!」と言うけれど、どれぐらい人が集まるものだろうか? 確かめに行かずにはいられない。

しかし、そんな心配は無用だった。

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4月1日。日曜日の昼過ぎ。葉桜ながらアークヒルズ周辺一帯では「さくらまつり」を開催中。マルシェやグルメ屋台で賑わうカラヤン広場で、今日は無料で一般公開というサントリーホールにも続々と人が入っていく。例年1万人を超える入場者だとか。2年ぶりだからもっと多いかもと広報の方が言っていた。大盛況だ。プレビューなど不要だったか・・と思いながらも、たまに外国人の家族連れを見かけるとちょっと嬉しくなる。あの記事を読んだかどうかはわからないが。

赤い絨毯が敷き詰められたエレガントなロビーにもホール内にも家族連れが多い。いつもは見られない光景だ。大ホールに入ろうとすると、ステージに上がりたい人々の行列ができていた。廊下に出ると、人気の「おんがくテーリング」に興じる子どもたちが、次のチェックポイントを目指して小走りに行く。

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正面ロビーから「おんがくテーリング」をスタート。
ホール内を探検するのはさぞ楽しいだろう。

 

2階に上がりステージ奥のP席側まで行くと、小さな男の子が座席横の階段をぴょんぴょん降りていく。息子たちが幼かった頃を思い出す。

 

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ガイドツアーに参加中の人々がパイプオルガンの説明を熱心に聞いていた。

 

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ステージの上では順番に指揮台に乗って指揮棒を持たせてもらってハイ、ポーズ。記念写真を撮ってもらえる。

 

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ブルーローズに入れるのは400人弱。この時間帯のコンサートはすでに満席だった。次の回には入ってみよう。

今日は横使いの座席がほぼ埋まっている。ステージの横の席しか空いていなかったので下手側の前の方の席に座ったら、これが絶妙のポジションだった。ステージに立つオペラ歌手たちの横顔が素敵だっただけでなく、視線を右に移すと、舞台の方を向いているお客さんたちの顔が見えるのだ。

ステージからバリトン村松恒矢さんが「彼女がいないんだ・・一緒に探してくれる?」と悲し気に頼むと、客席から「いいよ!」と即答する明るい声が。子どもの反応っていいなあ。そして、会場の子どもたちが(大人たちも)声を合わせて「ぱ・ぱ・げぇーなぁ~~!!」と叫ぶと、通路後方からソプラノの金子響さんが現れ、「パ・パ・パ」のデュエットが始まった。30分という短い時間に名曲が次々。サントリーホール・オペラ・アカデミーの5人が若々しい美声と芸達者ぶりを見せてくれた。楽しい日本語のトークが続いたかと思ったら、さっと表情を変えて『フィガロの結婚』のケルビーノは「恋とはどんなものかしら」を歌い、『ラ・ボエーム』のミミが「私の名はミミ」と名乗る。子どもたちの多くは、目の前でお兄さんやお姉さんが熱演する、ただごとならぬ歌声にポカンと口を開けて魂を抜かれたような顔だ。なんかよくわかんないけどスゲ〜 っていう感じだろうか。

オペラ名曲コンサートのフィナーレは、やっぱり『こうもり』の「シャンパンの歌」。5人のソロが次々に「乾杯!乾杯!」を溌剌と歌い上げるのを、私の少し右の席にいたシニアの女性の方が拍子に合わせてニコニコうなずきながら聴いておられる。その笑顔があまりにも楽しそうで、主催者でも出演者でもないのに嬉しくなってしまう。

大ホールに戻ってみるとちょうどパイプオルガンの演奏が始まっていた。2階の上手の座席からは奏者の山口綾規さんが生でもよく見える上に、舞台上手側の壁に映し出された巨大なモニター映像もすぐ横に見える。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をパイプオルガンで弾くのはかなり無理があるように思われたがなかなか面白い。4段の鍵盤を手指が疾走し、足も忙しく駆使した怒濤の演奏ぶりがモニターに映し出されて壮観だった。バッハの小フーガ ト短調BWV578が荘厳に響き渡る中、1階席を見下ろすとほぼ満席。赤ちゃんを抱いたお母さんたちもあちこちにいる。母の胸に抱かれた幼な子たちもホールいっぱいのオルガンの響きを感じていたに違いない。

再びブルーローズに移動してピアノ・トリオを堪能し、最後は大ホールに戻って横浜シンフォニエッタのオーケストラ・コンサートへ。参加型ブラームスハンガリー舞曲を手拍子足拍子で楽しんだ。こういう場面では打楽器奏者が場を盛り上げてさすが。指揮者の田中祐子さんのチャキチャキと場を仕切る采配ぶりもさすが。

ちょっと様子を見たら帰るつもりだったのが、大ホールとブルーローズを行ったり来たりしているうちに、気がついたら3時間経っていた。つまり、オープンハウスは存分に楽しめるイベントだった。よかった。

無料で、子連れもOKであれば、コンサートホールに老若男女、家族連れがこんなに詰めかけるとは。連れてこられた子どもたちも実に楽しそ うだった。コンサートホールって楽しい!また来たい!と思ったら、徐々にいろんな音楽を生で聴くようになるのではないだろうか。クラシック音楽のファンの高齢化が問題とされて久しいが、一生好きなものが好きなのは悪くない。そして、子どもたちも若者たちも、楽しめる機会があればきっと好きになると思う。クラシックでなくてもいいけれど、クラシックもいいね!と。心を震わせる音にきっと出会える。(終わり)