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よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

時は金なり・・・どうにかしなければ

日常

自分の時間をうまく使うにはどうしたらいいだろう?

と考えるのは、時間の管理が下手だという自覚があるからだ。どうしても早寝早起きができない。気がついたら日が暮れている。気がついたら日付が変わっている。気がついたら締め切りの前日で今夜はもう寝られない・・・などなど、どうにかならないかと思いながら今日までずるずると慢性寝不足の悪しき生活習慣を引きずってきた。たいした病気もせずに暮らしているのが不思議なくらいだ。いや、このままではいずれ身体を壊すに違いない。

夜更けに一人シコシコ原稿書いていると、いつも思い出すのは「鶴女房」の話。

・・・自分の羽を一枚一枚むしって機織りするように、一言一言ひねりだしては話を組み立てて、翌朝の締め切りまでにやっとのことで美しい反物ならぬそれなりに力の入った原稿を仕上げるものの、羽をむしりすぎてやせ細っていく鶴のように内面の言葉が枯渇してげっそりしてくる。ちなみに身体は全然やせ細らないが。鶴の機織り部屋のようにこもれるスペースがあるわけでもないので、いやでも家族の目には触れる。
「えー?まだやってんの?いい加減に寝れば」と夫にも息子たちにも呆れられ注意され心配されている・・・こんな姿は他人様にはとても見せられない。

どうにかしなければ。

一日24時間は誰にも平等に与えられているのだから、決して自分だけ時間の割り当てが少ないわけではないはずなのだ。それなのになぜ、時間が足りないと感じるのか?一つ一つのタスクに時間をかけすぎているか、そもそも24時間でこなすのが無理な量のタスクを詰め込んでいるのか? 両方だろう。

どうにかしなければ。

いつから時間が足りなくなったのだろう。思い返せば、比較的ヒマだったのは息子たちがみな小学校に上がって、まだ働いていない頃だった。PTAやボランティアを引き受けてもまだ余裕があった気がする。しかし、つまらなかった。つまらなかったので、当時はそれをどうにかすることがメインテーマだった。

どうにかしなければ。

どうにかしなければと思っていたからだろうか。仕事を始めるきっかけに出会い、思いがけず再就職した。仕事を再開したら俄然面白くなった。そのかわり当然ながら忙しくなった。仕事も家事も一人でやろうとするのはとても無理だった。

どうにかしなければ。

家事を家族で分担する体制になったのは今から思えば画期的な変化である。本気で「どうにかしなければ」と思ったら変化は起こるものだ。家事は家族で協力してどうにかやっていくことになり、やがて、私はパートから正社員になった。仕事はどんどん忙しくなり、かつての猛烈サラリーマンのような結構な長時間労働を6年ほどやってしまった。まあ、それでもたった6年と言えば短いものだが。日々の時間の使い方に制約の多い、ある意味、規則正しいサラリーマン生活をしていたと言えよう。しかし、このまま毎日このペースで働き続けるんだろうか?それでいいんだろうか?と思うようになる。

どうにかしなければ。

会社員を辞めてから、基本的に自分の時間を自由に使えるようになったはずだが、これがまだ、なかなかうまくいっていない。なぜだろう? 

  • 会社のような定時の勤務時間がなく全て自己管理なので安易に流れる。
  • オンとオフの切り替えがうまくいっていない。つい家事に手を出してしまう。
  • 毎月の仕事量が一定でなく繁閑の差が大きい。締め切りが重なると地獄。
  • 仕事の質と早さのバランス感覚が悪い。つまり時間をかけすぎている。

思いつくままに挙げてみたが、ほかにもいろいろありそうだ・・・

どうにかしなければ。

「時は金なり」なんていうことわざが存在するのも、昔から時間の浪費を戒める必要があったからだろう。「時は金を稼ぐのに使われるのだから、時を無駄に費やすのは金を無駄に費やすも同然であるという意味」と某ことわざサイトで説明されていた。私は大金を無駄に費やすように時間を無駄にしているのかもしれない。
嗚呼。

一日24時間は誰にも平等に与えられているのだから、その時間をどのように使うかは自分次第なのだ。「どれだけ時間をかけても質を追い求めたい記事」を1本仕上げた今、「どうにかしなければ」とかなり本気になっている。

どうにかしよう。

まず今日は早く寝ることにする。ここからだ。