よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

江戸のジャーナリズムを垣間見る

週末。何気なくテレビをつけていたら「林修今でしょ!講座」の傑作選をやっていて、「かわら版で見る江戸時代の大事件簿」というのがなかなか面白かった。元々は8月23日の夜に放送されたトピックのようだ。解説は、映画にもなった『武士の家計簿』の著者で歴史学者の磯田道史先生。ちょっと備忘録。

tvtopic.goo.ne.jp

1853年に神奈川・浦賀にやってきた黒船来航という大事件は、かわら版で江戸庶民にも伝えられていた。ぺるり(ペリー)のビジュアルも詳細に描かれていて、それがまた版によって違うのが、伝聞内容の解釈の具合で話が変わってくる伝言ゲームのようで面白い。肩書や名前が意外に正確なのは、外交担当の幕府の役人から仕入れた情報だろうとのこと。ちなみに江戸の庶民は地球が丸いことだって「あめりか」という国の名前だって結構知っていたとか。寺子屋教育のおかげか、鎖国してたわりには大したものだ。

新聞や週刊誌の役割をしていたかわら版だが、非合法だったため読んだらすぐに捨てられていたという。記事の内容によっては捕まることもあるため、顔がバレないように覆面をつけて売っていたとか。江戸時代以前から存在していたらしい。現存する最古のかわら版は1615年大阪夏の陣の速報。これは当局側の話だから捨てられずに残ったのか?

将軍吉宗の時代には、倹約令に反し贅沢三昧していた姫路城の榊原政岑が、かわら版のスクープによって城を取り上げられ雪国の越後高田に移され数年で病死するなど、やはりペンは剣より結構強い。栃木のイケメン大名の奥方や側室の江戸屋敷での顛末を格好のワイドショーネタとして取り上げる一方、浅間山大噴火の際には迫力ある絵だけでなく文字で細かい情報を伝えたのも、かわら版だった。

うーん、いつだって情報は重要だったのだ。誰だって世の中で何が起きているのか知りたいというもの。たとえ非合法でも、そのニーズに応えていた優秀なかわら版屋たちのネットワークに拍手!

また、磯田先生が「江戸のジャーナリスト」と紹介した藤岡屋由蔵と馬場文耕の話も面白かった。

「藤岡屋由蔵はもともと古本屋だったが、情報は金になると気付き情報ビジネスを確立させた。各藩の役人は江戸の情報を国元に送る必要があったため、藤岡屋由蔵に接触していたという。」とgooのまとめには書いてあるが、本屋を構えるようになるまでは、広場にむしろを敷いただけの露店で素麺の箱を机にして、人から仕入れた情報を一日中書きつけていたという。相当変わった人物だ。

www.geocities.co.jp

幕末を生きた彼が書き残した膨大な日記は、明治維新後、東京帝国大学の教授が買い取って、後年、『藤岡屋日記』(全150巻152冊)として刊行されたが、原本は関東大震災で消失してしまったという。へーえ・・何が書いてあったのだろう。

今でもその一端を知ることはできる。

『江戸巷談 藤岡屋ばなし』(鈴木棠三著/ちくま学芸文庫)

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馬場文耕のほうは、磯田先生の言い方によれば「スクープに命をかけていた」講釈師。郡上一揆を弾圧する幕府の様子を語ったことは、それを捜査した田沼意次が出世するきっかけとなったが、やがて、講談の場で幕府や諸藩の機密情報を書本や講談の形で公開したため幕府の怒りを買い、最終的には打首獄門になったという壮絶な生涯。

『馬場文耕集』(叢書江戸文庫)というのがあるようだ。

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江戸のジャーナリズムの話を聞いていてとくに興味深かったのは、担い手がかわら版屋や古本屋や講釈師などのマイナーな存在であり、小規模な組織もしくは個人が勝手にやっていたということ。政府広報とか広告ビジネスでなければ、メジャーな大組織には無理な仕事なのだろう。庶民に情報を知らしめる大義のためというよりは、情報の売買で儲けていたわけで、露店からスタートした藤岡屋由蔵は、そのうち店一軒を構えられるようになったのだから、ずいぶん稼いだに違いない。それにしてもその取材力が凄い。幕府の役人や諸藩の家臣もこっそり巻き込んたネットワークが張りめぐらされていたのだ。

江戸のジャーナリズム、侮りがたし。