写真展以来いろいろ考えていたところへ、駐日マケドニア大使館からメールが届いた。様々な見解がある中、このたびのマザー・テレサ列聖にあたり駐日マケドニア大使館が日本国民に向けて発信したコメントをここにご紹介しておこう。
現在のマケドニアはマザー・テレサの 出身地。古くから様々な民族が混在し、歴史上、東ローマ帝国、オスマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国の支配を受け、近代以降は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ紛争が絶えなかったバルカン半島の一角である。
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親愛なる皆様、
来たる2016年9月に行われるマザー・テレサの列聖式についてお伝えすることは、
私にとって大変な喜びであります。
また、より光栄に思うのは、マザー・テレサが1910年にスコピエで生まれ(私の生誕地も同じですが)、彼女が遺した偉大な人権活動の証人となる権利を私が得たことです。
スコピエは、マザー・テレサの子供時代を形成した重要な都市です。
この場所は同時に、過去何度も征服され、破壊されそして再建された都市でもあります。1963年の大地震でこの街はほとんどが破壊されましたが、国際社会の助けもあり再建されました。特に、丹下健三氏は震災後のスコピエの新しい外観をデザインして下さいました。
マザー・テレサはアグネス・ゴンジャ・ボヤジウとして、アルバニア人家族の下に生まれました。18歳の時にアイルランドへと旅立ち、ダブリンでロレト修道女会に入りました。ここで聖人リジューのテレーザという名前にちなみ、マザー・テレサと名乗りました。
強い意志で慈善活動に自身を捧げ、マザー・テレサはインドへと旅発ちました。その理由は貧しい人々、病気である人々、そして抑圧された人々の世話をし、彼らと愛を分かち合うためです。
マザー・テレサはほとんど神話上の人物のように感じる人もいるかもしれませんが、
私自身が彼女と同じスコピエ市で生まれたという事実は、彼女が家族や愛する人々を残して未知の世界へと旅立ち、貧しく、空腹で病気の人々を、ただ神への信念のみを頼りにして助けてきた気持ちがどのようなものであったかを十分に感じることが出来るのです。
若い女性にとってこれは大きな犠牲を払うものであり、彼女の強さと忍耐に私は深く尊敬の念をいだきます。他者への援助という、生涯にわたる彼女の貢献に私は影響を受けており、世界が紛争やテロ行為、移民問題に直面している今日(こんにち)、彼女の偉大な人道活動を思い起こすことが重要であり、お互いを無条件に愛するという彼女の手本に従うことが如何に大事であるか私は強く信じております。
私はこの機会に、彼女の素晴らしい考えの1つを思い出しています。それは、
「あなたが長年かけて築き上げてきたものはたった一日で壊されるかもしれない。でも、それでもそれを続けましょう」
ということです。
今日、非の打ちどころのない聖人であるマザー・テレサが遺してきた行為を壊そうとする人が数多くいますが、彼女の計り知れない人道活動と結束によって、彼女はすべての人を愛した素晴らしい愛情にあふれた心を持つ人間であり、これこそが決して破壊されることのない行為であることを証明しているのです。
マザー・テレサは決して人々を、その人の宗教・国・社会的地位によって違いをつけませんでした。それは、いかに彼女が母親像という元型 ―― 全てを愛し、赦し、思いやりがある温かい人間 ―― であるか、そして、彼女のメッセージが私達で分かち合うことができ、決して忘れられないものであるかを証明するものだと私は思います。
私は皆様に、彼女の功績を讃えることによって日本国内に彼女の遺産を広めていただきたいと思います。
大使館はマザー・テレサの列聖に伴う文章を用意いたしました。こちらを発行し、また皆様のご友人や同僚の方々とこれらを分かち合うことを決断して頂けると大変光栄に思います。
敬具
特命全権大使
アンドリヤナ・ツヴェトコビッチ
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(以上、駐日マケドニア大使館の了解により転載)
なんと力強い文章。
こういうものは当局のプロパガンダだと感じる人もいるだろうか。
ある一つの意見にまとまり過ぎるのは危険であり、常に反対意見や少数意見も尊重されるべきだと思う。しかし、すべてを相対化してしまい、「そうとも言えるし、そうとも言い切れず、そうでないとも言える」と言っていると、なんらの考えもまとまらず、話は前に進まず、行動できず、座り込んでいるしかないのではないだろうか。
多様な意見や考え方があることを理解し、他人の意見にも柔軟に耳を傾けつつ、自分の考えをしっかり持つこと。それは何が正しいかどうかよりも、何を選ぶかという決断の部分が大きいと思う。そして、選択の結果には責任が伴う。
初代駐日マケドニア大使として奮闘中の一人の女性が、日本国民に向けて自分の言葉で発信していることに、強い責任感と覚悟を感じた。
百瀬氏の写真展のオープニングに駆けつけた彼女は、マザー・テレサの厳しい表情にいたく感銘を受けたようだ。「この深い皺が好きです」と述べ、百瀬氏とも熱心に話し込んでおられた。その様子が、会場のプロモ・アルテ・ギャラリーのウェブサイトでも写真で紹介されている。
話は少し遡るが、今年の6月、私は前職からの依頼で彼女にインタビューする機会に恵まれた。
その記事を読んでくれた百瀬恒彦・鳥取絹子ご夫妻から、「このたびマザー・テレサの写真展をやるので、もしも可能であればぜひ、マケドニア大使にもご出席いただきたい」という連絡をいただき、幸いにして大使館との調整もうまく運び、大使の出席が実現したのだった。
折しも9月8日はマケドニアの独立記念日だった。今年は私の後任の手でマケドニアのナショナルデー特集が発行されている。
思えば結構な年月、ナショナルデー特集の編集という地味な業務を淡々と続けていたことが、女性大使にインタビューするチャンスにつながり、次の記事につながってきた。
新聞紙面に記事が載っても、これ誰が読むんだろう?と思うことが多かった。ごくマイナーな記事を書いてきたことは自覚している。叩かれもしない代わり反響もない場合がほとんどだ。
今回はそれが国境を越えた人と人とのリアルな出会いにつながったのが嬉しかった。あのようなささやかな記事でも、ほんの少し役に立つ場面もあるのだ。読者の数だけでは測れないことがある。
世の中のほとんどの出来事の蚊帳の外にいるような疎外感や無力感を日々感じている。しかし、社会の一員である以上、世の中の出来事の責任の一端は自分にもあるはずだ。何もできないと言っていてもはじまらない。たまたま自分がいる場所で、たまたまご縁のある人たちと一緒に何かできるかもしれない。小さな記事1本でも、小さなイベントでも、ちょっとがんばってみよう・・と思えるのだった。
「あなたが長年かけて築き上げてきたものはたった一日で壊されるかもしれない。でも、それでもそれを続けましょう」(マザー・テレサ)
この言葉をもう一度かみしめる。
アンドリヤナ・ツヴェトコビッチ駐日マケドニア大使と
(終わり)