よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

人の世は山坂多い旅の道

先月、伯母が亡くなった。

喜寿を目前にして、短命とまでは言えないものの、今の日本女性の平均寿命より十年短い。同い年である私の母にとってもショックだったろう。しかも、病いが見つかってからほんの数か月で逝ってしまった。

この夏、病院にもホスピスにも移らず、伯母は住み慣れた家で家族と共に最後の日々を過ごした。昨年金婚式を迎えた夫婦の元へ、既に自立した3人の子ども達が可能な限り帰ってきて「家族だけの時間」を過ごしたのだ。それ以外はどんなに親しい友人にも親族にも決して会おうとしなかった伯母に、お見舞いは叶わなかった。葬儀もごく内々で執り行われた。

四十九日の忌明け法要のために私は帰省した。

優しい笑顔の遺影だけが在りし日を伝えるその家で、伯母が本当にもういないことを実感する。子どもの頃はお正月や夏休みに、当時は祖父母の家があったここに集い、いとこ達ともよく一緒に遊んだものだが、長じてからは冠婚葬祭以外にほとんど会う機会がなかった。それぞれの人生を歩みつつ、交わることの少ない都会の親戚づき合いだ。

従弟に会ったのは実に30年ぶりだった。今やベテランの医者になった彼は30年前の祖母の葬儀の折にはまだ学生だったし、私の記憶の中には少年時代の面影しかない。お互い紆余曲折を抜きにして、浦島太郎の玉手箱を開けたような再会に軽いショックを覚える。

集まった親族への彼の挨拶が胸に響いた。

「母を看取った時も、見送った時も、僕は自分でも驚くほど冷静でした。・・・いちばん悲しかったのは、病気が見つかってもう助からないとわかった時でした。僕は親不孝者で、ろくに家にも帰らずに長い年月を忙しく過ごしてしまいました。そんな僕をずっと見守ってくれた最高の母でした。それからは自分にできる限りの最善の医療を尽くそうと思いました。」

病いの激痛に耐えながら弱りゆく人とそれを見守る家族のつらさは、まだそれを経験していない私の想像を超える。訪問医療による自宅での最期を選んだ伯母の生きざまと、そんな伯母のそばに居て支え、最後を看取った家族の絆に、ただただ感じ入った。

「もう父もかつての強かった父ではありません。これからは僕と2人の妹で父を支えていきます。みなさま方におかれましては、今後も変わらずご指導・ご鞭撻いただきますようお願い申し上げます。」と従弟はしめくくった。

親は逝き、あるいは年老い、自分たちもとっくに人生の後半に入っているのだ。

 

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伯母が好きだったカラフルな人形や置物のコレクションがそこかしこに残る中、玄関に掛けられたモノトーンの絵が異彩を放つ。画家である従姉が心血を注いだ和紙と墨の作品だ。伯母は「どうしてもこの絵が欲しい」と言ったと会食時に伯父が語った。どちらかと言えば、可愛らしい飾り物を好む女性だと思っていた伯母の別の一面を今さら知るようだ。

帰路、画家の従姉と一緒に末の叔父の車で送ってもらった。従姉と叔父夫婦のとりとめのない会話に時折あいづちを打ちながら、そう簡単には触れられない人の心の奥底を想った。ここでは言わないけれど、敢えて聞かないけれど、誰もが様々な思いを抱えながら今日まで生きてきたのだ。最寄りの駅へ向かうとは言い難い遠回りの車に乗り合わせ、今しばらく一緒にいられることに感謝する。

 

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 法要後の会食時、ランチョンマットに記された人生の旅路