よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

安達朋博ピアノリサイタル2016@杉並公会堂その1 ~本番編~

なぜ私はピアノを聴きに行くのか?

とよく自問する。

東京では毎日のようにあちこちで、ピアノだけでもいくつもの演奏会が開かれ、自分も慌ただしい日々、どれもこれもは聴きに行けない中で、あれではなくそれでもなく「これを聴きに行こう」と決めるのはよほどのご縁と選択だろう。人生はそういうご縁と選択の連続なのだ。

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安達朋博氏は、高校を出てすぐ、日本の音大には進学せず単身でクロアチアへ飛んだ。ザグレブ大学音楽アカデミーを最優秀で卒業して帰国後は、日本におけるクロアチア音楽の伝道師のごとくクロアチア人作曲家作品の発掘・普及に務め、クロアチアでの演奏活動も継続中である。この異色の経歴は彼の演奏会のプログラムにも反映され、毎回なにがしかのクロアチア作曲家作品の「日本初演」が聴ける。なにしろ音源もそんなに見当たらない作品が多いので貴重な機会だ。

クロアチアが誇る女流作曲家ドラ・ペヤチェビッチのことは、安達氏に出会わなければ今でも知らなかっただろう。19世紀末から20世紀初頭を駆け抜けた才能豊かな伯爵令嬢は、安達ファンの間では「ドラ様」としてすっかり定着している。産後の肥立ちが悪く37歳の若さで亡くなった悲劇のヒロインに、母としてどんなに無念だったろうか、子どももかわいそうに・・・と、女性としてつい同情しながら聴いてしまうところもあり、ただでさえスラブっぽく陰影に富んだ、若干しつこいまでに転調だらけの曲想がますます哀れを誘うのである。

今回の杉並公会堂は、そのドラ様のピアノソナタ第1番から始まり、次にプーランクの「ナゼルの夜会」という大曲続き。前半を終えた安達氏はピアノから立ち上がって舞台上つんのめって転びそうになりながら、舞台正面席にも向き直ってご挨拶。グレーのスーツの後ろ姿にくっきり見える汗ぐっしょりの力演であった。

休憩を挟んでの後半冒頭が本日の日本初演クロアチアを代表する現代作曲家の一人だというダヴォリン・ケンプの「光の蝶よ」はとても美しい曲だった。

作曲家ケンプがインスピレーションを受けたというスペイン人の詩人フアン・ラモン・ヒメネスの詩がプログラムに紹介されている。

 光の蝶よ

 きみの輝きに惹かれ、近づくたびに、きみはいなくなってしまう。
 知らないふりをして駆け寄ってみると、時々少し近くで感じられることもある
 魔法にかかってしまったきみを僕の手で解き放してあげたい

 (安達朋博 意訳)

高音の繊細なパッセージが、さすがの絶妙なタッチ。暗闇をひらひら飛ぶ蝶の幻を見るようだ。

もう1曲、ボスニア・ヘルツェゴビナサラエボ出身で、現在クロアチアで活躍するムラデン・タルブクの「愛する人の口づけ」も日本初演。こちらはかなり難解。5つの作品からなる「ケイトのキス ~ピアノのためのキス・コレクション~」の中からの1曲ということだが、ほかの「ママの口づけ」「パパの口づけ」「子どもの口づけ」「死の口づけ」がどんな曲なのか想像もつかない、愛する人の口づけであった。安達氏自身の解説によるプログラムには「ザグレブとイタリアで1度ずつ初演されたのみで、演奏が難解なため以後は全く再演されていないそうです。」とあるので、安達氏がもう一度演奏してくれない限り二度と聴くことはないかもしれない。

楽譜のページをつなげて並べ、少しでも手が空くタイミングで弾き終わった譜面をバサッバサッと床に落としながら(譜めくり頼まなかったのかな・・いや~これ譜めくり頼まれてもどこでめくるのかわからないだろうなぁ・・)楽譜を凝視しながら難曲に挑む姿は鬼気迫り、客席まで緊張感に包まれる。少々違っていてもわからないだろうけど。

ここで2度目の着替えを経て、3着目には黒のタキシード姿で再びステージに登場した安達氏。黒なら目立たないが実際はまた汗ぐっしょりに違いない。難曲続きのあとに、さらに難曲にして40分という長大なラフマニノフピアノソナタ第1番が本日のメイン。

ラフマニノフと言えば、浅田真央選手がソチオリンピックのフリーで使ったことでも知られるピアノ協奏曲第2番が有名だが、ピアノソナタ1番は実は初めて聴いた。

交響曲第1番初演の記録的な大失敗で精神的に打撃を受けたラフマニノフが、モスクワの喧騒から逃れ妻と娘を連れてドレスデンに移り住み、交響曲第2番などの作曲に没頭する中で生み出された「ドレスデン3部作」の一つということだ。ピアノ協奏曲第2番のようにスムーズに受け容れられる美しさというのとはちょっと違った独特のクセのある、しかし、人間精神の奥深さを感じた。会場でお会いした指揮者の井上喜惟先生の解説によると「鬱から立ち直ろうとしていた」というラフマニノフの内面の闘いについて、もっと知りたくなった。

録音も演奏も少ないというこの曲でラフマニノフの闘いを追体験するように40分間疾走しきった安達氏だが、なによりも素晴らしかったのは、ほとんど聴こえないぐらいのピアニッシモの精妙な音色であった。CDでは消して再現できない、こんな音を出すことができるのだとすればピアノに勝る楽器はないだろう。静まり返ったホールの舞台から人の心の襞の奥に触れるような混じりけのないポーンという響き。これに魅せられて人生が変わった人が彼の周りに集まっているのではないだろうか。

わざわざピアノを聴きに出かけようと思う理由でもある。