よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

安達朋博ピアノリサイタル2016@杉並公会堂その2 ~裏方編~

演奏会って何だろう? 好きな曲をネットからダウンロードしたりCDを買ったりして一人で聴くのと何が違うんだろう?

と安達朋博ピアノリサイタルに行って改めて考えてしまう。

chihoyorozu.hatenablog.com

安達朋博氏の演奏を最初に聴いたのは、コンサートですらないクロアチア関連のイベントだった。人々が食事と歓談を楽しみ、ほとんど聴いていない喧騒の中、聞いたこともない名前のクロアチア人作曲家の曲を彼は電子ピアノで弾いていた。それがドラ様の「ばら」だったわけだが、その健気な青年を妙に応援したくなって、彼が立ち上げた日本クロアチア音楽協会の初回のコンサートに行ってみたのが二年ほど前だろうか。

それ以降、都合がつく限り聴きに行っているのが不思議と言えば不思議だが、彼の周囲にはそういうリピーターやファンが大勢いて、さらに増えてきているのだから、魅力を感じているのはどうやら私だけではないようだ。まだ放っておいてもお客がたくさん集まるとは言えないまでも、少しでも集客に貢献しよう、自分の友達にも聴いてもらいたい!と思う人が着実に増えていることは間違いない。

これまでの演奏会は普通にお客として聴きに行っていたのだが、そうこうしているうちに、ご縁の連なりと諸々のタイミングの加減で今回はいつの間にか裏方を手伝う流れになった。

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とは言っても、直前の要請に応じる形で当日ボランティアに入ったに過ぎない私は、現場の状況に面食らったし、その場で臨機応変に対応しようにも、いかんせん素人なので要領を得ず、そういう自分が不甲斐なかった。元々そんなに気が利くほうでもないし。いやもう、招待券や当日預かり券の宛て名を探す分類不明のカルタ取りのような受付には正直まいった。こんな風に手伝うぐらいだったら、いっそのこともっと修行を積んでプロフェッショナルに動けたほうがいいのか?!・・・音楽事務所の存在意義を改めて感じた次第。

しかし、そういう事務所に所属せず、独立独歩で活動しているのもまた、安達朋博氏の独自性の一端なのである。このような自主公演の現実を踏まえれば、これまで私がただ聴くことに専念していた演奏会にも当然ながら「裏方」として支えてくれた人たちがいたわけで、今さらながら彼らに頭の下がる思いであった。

と同時に、裏方の事務に気を遣っている心理状態は、「聴く」という立場からすると考えものだと思った。今回の場合、ドラ様のソナタの1楽章は残念ながら聴き損ねた。2楽章に入るわずかな隙に客席に忍び込んだが、ああ残念・・・と思うのは、お客の自分であって、裏方ならば席でゆっくり聴いている場合ではないだろう。

手違いでCDの販売要員がいないことも知らず、休憩時間中はなんとお客様の中から高名な音楽評論家や演奏家の方々が売り子を買って出てくれていたという話をあとで聞いた。その自然体のボランティア精神には敬服しつつ、何ともいたたまれない気持ちだ(一体どういう采配になってるんですか!?)。終演後は拍手し終えると即、CD売り場に飛んで行った。それでは遅いのだけれど。

そういうことは、5月に某チャリティコンサートの地方巡業に同行して初めて裏方を経験した時にある程度わかったはずだが、あの時にはさすがに事前の打ち合わせや小規模とは言え絶妙なチームワークがあったし、同じ公演が何度もある巡業なら部分的に少々聴き損ねても明日は聴こうなどと思えた。

今回は当日だけのボランティアをできるだけやりますとは言ったものの、一日限りのリサイタルにチケット代を払って来ているのだから、そりゃあ聴きたいのが当然だ。本来聴きに来たお客(だったのかどうなのか?)が中途半端に兼任するのではなく、業務として割り切ってそれに専念する人が必要なのだ。

当たり前のことだが、演奏者だけでは演奏会はできない。もちろん、演奏者がいなくてはそもそも始まらないけれど、聴いてくれるお客様がいないと話にならない。だからこそ演奏会のことをなるべく多くの人たちに知ってもらう広報活動もあるわけで。実際に演奏する会場を確保し、会場内で当日の全てのプロセスをスムーズに進め、お客様に不快な思いをさせずに楽しんでもらうために各持ち場で担当者が動き、全体を統括する人も必要。もちろん何をするにもお金がかかる。

録音で聴ける時代でも、そんな面倒な手間ヒマかけてまで一期一会の生の演奏を聴かせよう!聴こう!!というのが現代の演奏会なのだ。

そういうお膳立ての上で、「奇跡のような演奏とお客様の喝采」に満ちた場が実現できたなら裏方冥利に尽きるだろうか。そちらに徹してみると、もっと見えてくる(聴こえてくる)ものがあるかも知れない。

今回は中途半端なボランティアとして感じるところがあり、それはそれで貴重な経験だった。演奏会の醍醐味の一部ととらえよう。前向きに、建設的に。