よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

安達朋博ピアノリサイタル@杉並公会堂2016その3 ~打ち上げ編~

演奏会の楽しみの中に、終演後の打ち上げというものがある。

高校時代、文化祭のフィナーレを飾る吹奏楽部の本番後、帰宅が遅いと親から叱られたのが打ち上げの最初だったろうか。大学時代はまさに「のだめカンタービレ」的な宴会を繰り広げる学生オケにいた(音大でもないのに)。

まあ、そういう世界は自分が演奏する側にいた頃の話であって、卒業後のコンサートは、夫婦や親しい友人で帰りに杯を交わしながら感想を述べ合うという上品なアフターか、そうでなければ一人で行って黙って聴いて余韻に浸りながら一人で帰るケースがほとんどだ。

それが、たまに音楽の記事を書くようになってから、記事と同じくたまに終演後の打ち上げに参加することもある。インタビューが盛り上がって意気投合した、演奏に非常に感銘を受けた、今夜は締め切りを気にせず飲める!など、理由はさまざまだが、これはコンサートに行くよりさらに、よっぽどのご縁というものだ。

そういう場の一つが、安達朋博氏のコンサート後の打ち上げなのである。よっぽどのご縁はさらに不思議なご縁を運んでくる。何らかのきっかけで安達氏のピアノに心を惹かれたという共通項が、他人同士を一歩近づけるのかもしれない。一種の磁場のようなものか。

限界に挑むような渾身の演奏を終えた直後のアーティストに間近で接するのは、こちらもかなりドキドキするものだが、お互い人間であり話もできるというアーティストに一層の共感が湧くのも自然なこと。

アーティストの言葉は社交辞令ではない、ということを私は安達氏の打ち上げで出会った他のアーティスト達から学んだ。普通ならお互いスルーしそうな何気ない会話が実は本気であり、二度とないチャンスをもたらすことがあるのだ。それは、突然ビジネススクールに通うことだったり、30年ぶりにオーケストラに参加してマーラーの銅鑼を叩くことだったり、何につながるか全く予想もつかない。そうした素っ頓狂なきっかけに、なるべくオープンでいたいと思う。

打ち上げにも内輪の慰労会のようなものもあれば、今回のように、アーティスト安達朋博の今後のプロジェクトのお披露目とお客様との交流を目的に、誰にでもオープンな懇親会もある。演奏後の安達氏は半ばぐったりしてはいたが、居合わせた人々にお礼を述べ、来たる演奏会への応援を直に呼びかけていた。

打ち上げの場では、自分が誘った友人たちとゆっくり言葉を交わすこともでき、友人を他の友人に紹介したり、自分も他の参加者に紹介してもらったりというそれなりの社交がそこここで繰り広げられていた。ひょっとしたら、のちのち人生に大きな影響を与える出会いもあるかもしれない。

そうか。わざわざ演奏会に足を運ぶのは人に会うためでもある。

人々が作る場に音楽が響き、音楽があるところに人々が集まる。

それがいいんだろうな・・・乾杯!