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よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

年末年始帰省の旅

日常

2017年になっている。

恒例の年末年始帰省の旅。東京に戻って我に返るのも恒例。

年々1年経つのが早くなる気がする。なんていうと年寄り臭いが、実際「ジャネーの法則」というのがあって、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するそうだ。19世紀のフランスの哲学者が考えた法則とか。いわく、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1だが、5歳の人間にとっては5分の1も占める。5歳の子どもの10日間が50歳の大人には1日ぐらいにしか感じられない。そうか・・これからますます「1年の長さ」は人生全体において短くなるばかり。月日は飛ぶように過ぎていくのだ。

なので、ついこの間やったような気がする例年通りのルートで新幹線と在来線とバスを乗り継いで、関西方面の両家の両親を訪ねる旅で年が暮れ年が明けた。

f:id:chihoyorozu:20170107025922j:plain四国三郎吉野川

「1年の長さ」がそれぞれの人生に占める割合は違っていてもそれなりに1年分の変化はある。老親はまた一段と年老い、夫も自分ももはや若くはなく、息子たちもいつまでも子どもではない。ついに三男も成人した。

「帰省っていつまでやるもの?」と口に出すか出さぬかは別として、息子たちがそう思うのも無理はないけれど、これをやめると祖父母や親戚に会う機会はほとんどない。夏休みにはほとんど帰らなくなったので、家族全員で帰省するのはお正月ぐらいなのだ。

これは戦後の核家族化の結果であり、夫も私も東京に出てきたからであり、さらに高齢化社会の進展によるものでもある。

実家の母に「我が家でお正月をやるようになってかれこれ40年になる」と言われて愕然とした。そう言えば私が中学に上がる前に家を建てたのを機に、祖父母も長男である父の家に迎えてお正月を祝うようになった。もっとも祖父は間もなく他界したが、母が祖母の介護で大変だった頃、私は高校生だった。祖父母が亡くなった年齢より今やはるかに高齢になった両親。成人した孫がいる一方で昨年生まれた孫もいるという驚異的な年齢幅。おせち料理やお鍋を囲んで杯を交わせるのはなんと喜ばしいことだろう。まさに「有り難い」ことなのだが、すでに銀婚式も過ぎた私がいつまでも父母に迎えられる娘一家でいるのもどうなんだ?と思わざるを得ない。

私が自分の家に家族を迎えてお正月を祝うようになるのはいつだろうか?
いや、息子たちには将来親の家に集まるという発想はあるだろうか?
そのとき老親はどうなっているのだろうか?

昔と違った家族の有り様と長寿がもたらす、何と言おうか、例年の行事を延々と繰り返す長い年月。めでたいことには違いないのだが、それを支える体力、気力、経済力。互いを縛るものでもあるかもしれない。それが家族の絆というものなのだが。何か他のやり方があるだろうかと思案を巡らせる・・・

今年はとりあえず例年通りではあったけれど、親兄弟孫たちが全員揃ったことにはそれなりの理由もあり、今後もこれまでと全く同じわけにはいかないだろうという予兆を孕んだ年明けとなった。

いつの間にか自分たち世代も50代に入り身体もあちこち故障が出始める。もちろん若者ではないが、上の世代から見ればまだまだ若いだろう。中途半端な年代だ。高齢化社会と健康の関係は想像以上に悩ましい。誰だって元気でいたいし、元気でいてもらいたい。これだけ高齢者がいて、だんだん年老いて弱ってくるのを見ていると次の世代が元気でいないわけにはいかないというプレッシャーすら感じる。元気でいないと何もできないと自分を戒める。

帰宅すると届いていた年賀状の中に、ここ数日共に過ごした両親からのものもあった。

「無理は禁物」と母の字で書かれている。

2017年は健康第一。