お正月休み。実家に帰ったらトイレのカレンダーが変わっていた。
2017年の新しいカレンダーではない。
父が何年も使っている相田みつをさんの日めくりカレンダーだ。
日めくりだけど、毎日めくっているわけではないようで。
ここしばらくは、いつ帰ってもこのページだった。
久しぶりになぜ、ページをめくったのか?
そもそも誰が見ることを想定しているのだろう。
普段は両親が二人で暮らす実家。それもリビングや玄関の壁ではなく、トイレというプライベートスペースの扉の内側に掛かったカレンダーを見るのは、どう考えてもほとんど自分(父自身)だ・・・どういう観点で言葉を選んでいるのだろう? 何らかの意味付けがあるのだろうか? いつ変えたのだろう? ぺージを変えようと思う心境の変化があったのか?・・・カレンダー1枚でいろいろ想像が膨らんでしまう。
80歳を超えた父はここ1,2年、いわゆる「終活」に取り組んできた。昔から用意周到であることを自他に求め、石橋を叩いても渡るのを止めておく(含:止めとけと言う)ような用心深い父。
ひとつひとつ片付けて、ある程度片付いたのかな・・具体的に。
実家に帰るのは年に数回程度だが、数日の滞在中このカレンダーはずっと同じページだし、かと思えば、別の帰省の折にはふと違う言葉になっていたりすることも。
こういうページの時もあった。
その時の自分の状況にも妙にフィットして、なにやら励まされているような気がしたものだ。
そしてこのお正月に初めて見たこの言葉。
「この我執の強さ そして この気の弱さ
共に佛さまがわたしに授けてくれたもの」
父の独白のような、この「時々めくる」カレンダーの心を娘がどれだけ理解できているか、心もとないところではあるけれど、そこはかとなく伝わってきた年頭の辞である。