よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

青春のマイスタージンガー ~アマチュア・オーケストラをめぐって①~

驚いたことに「世界最古のオーケストラ」は日本の雅楽だそうだが、南蛮人天正少年使節の時代は別として、明治以降に「西洋音楽」を受容した日本で本格的なオーケストラができたのは大正時代のこと。プロのオーケストラに先立って、学生やアマチュアのオーケストラが発足していた。東京六大学野球の歴史がプロ野球より古いのと同様、文明開化の最先端で学生が果たした役割は大きかったのだ。

その中でも古いほうに属する京都大学交響楽団(京大オケ)は1916年12月創立。2016年に100周年を迎え、先週末2月11日に京都でその記念祝賀パーティが盛大に開催された。数えれば当然そうなのだが、30年以上も前の学生時代にはそんな日を想像もしていなかった。

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会場に着いてみると、大宴会場に500人着席という規模にまず驚いたが、もっと驚くのはステージのすぐ前に設けられた160人という大編成オーケストラのためのスペース。参加したOB・OGおよび現役団員の3分の1が演奏している状況だ。オープニングはワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」。その演奏に自分も参加させてもらえるとは、まことに人生は面白い。

このあとの長尾真 元学長の祝辞の中で、「学長になって良かったのは、入学式や卒業式で京大オケが祝典演奏するワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲』に合わせて教授陣を従えて体育館に入場できること」という趣旨のコメントがあり思わず笑ってしまったが、それはさぞかし気分の良い場面に違いない。考えてみたら、この祝典演奏は自分のささやかな人生にも随分大きな影響を与えた。

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人生を決めた「音」

あなたは何に最も強く反応しますか? 色、形、動き、香り、味、音・・・あるいは、ライターを目指す人らしく、「言葉」でしょうか? ボロボロ涙を流しながら読んだ言葉、ありますよね? 私もあります。・・・そして、私にはそういう「音」がありました。

 1月20日夜7時、サントリーホール。かつて、自分の人生を決めたと言ってもよい、その「音」を、私は20年ぶりに聴きに行った。とある大学オーケストラの定期演奏会。東京公演があるのは5年に一度だけである。「創立90周年記念特別公演 第180回定期演奏会」。そんな伝統の中に自分もいたのだと、改めて感心する。
 ジャーンと一斉に楽器が鳴って「ドミソド」という究極の基本和音が重厚に響き渡り、堂々たる旋律が流れ出す。ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグマイスタージンガー』の前奏曲冒頭である。  
 この響きを聴いたのは、四半世紀近くも前のこと。大学の入学式だった。最後列あたりに座った私からは前のほうが見えなかった。開式とともにいきなりオーケストラの音が体育館の天井にグヮンと反響して度肝を抜かれる。何何何!と夢中で聴き入るうちに涙が溢れ出し、一緒に来た高校の同級生の目を気にしながら、何度もハンカチでぬぐった。
 どうしてあんなに感激したのだろう。受験勉強によって抑圧されていた感情が一気に解放されたのだろうか? がんばった甲斐があった。これから新しい日々が始まる! その祝典演奏は、世間知らずでおめでたい新入生の私に、天の祝福のような高揚感をもたらした。
 もとより音楽は好きだった。高校時代のブラスバンドの延長で、吹奏楽か軽音サークルにでも入ろうか…とぼんやり考えていたのが、この入学式で即決する。
「絶対オーケストラに入る!!」
 思えば、それは専業主婦に至る紆余曲折の前奏曲でもあった。同じ時に同じ場所で同じ音を聴いたはずの隣席の同級生は、明らかにそこまで舞い上がっていなかった。彼女は大学卒業後、大手都銀の総合職としてバリバリのキャリア街道を邁進し、金融再編の荒波を乗り越えて、現在は某メガバンクの管理職になっていると聞く。一方、私はすぐにオーケストラに入部し、そこでは、現在の夫がその一年前からコントラバスを弾いていたわけである。
ある音への反応が人生の分岐点となった。
 練習、リハーサル、本番、打ち上げ。練習、演奏旅行、本番、打ち上げ!…お祭りのような青春の日々は、まさに昨今はやりの『のだめカンタービレ』の世界だった。その学生オケは、音大でもないくせにプロ並みのプライドを持ち、常に「より良い演奏」を志向していた。即ち、和気あいあいとテキトーに楽しくというノリではなく、「中途半端な奴は去れ」と壁に貼り紙がしてあり、4年間在籍して一度も定期演奏会に出る機会のない人もいれば、逆に、オケにのめり込んだあげく、音大に入り直して本当にプロになった人もいたほどだ。打楽器パートの一員として、始終「下手くそ!」と怒られながら、私は来る日も来る日も練習に励んだ。本業であるはずの学問など、ほとんど身につかなかった。
 今回もホールはほぼ満席。やはり誇らしい。プロが数をこなす演奏会とは違って、ひたすらその曲ばかりを半年もかけて練習するマニアックな学生オケは、時に、一期一会の名演を生むこともあり、そんな熱気のファンも結構いるのだ。OB会組織を通じて入手したチケットは、舞台を取り囲んで客席の並ぶこのホールにあっては右手の前方、客演に迎えた指揮者の山下一史氏の顔が見える。目の前に低弦のチェロとコントラバスの背中が並び、舞台後方にずらりとセットされた打楽器の様子も近くで手に取るようにわかる。
 今からちょうど20年前、「創立70周年記念 第140回定期演奏会東京公演」の時、私もこの舞台の上に立っていた。当時できたばかりのサントリーホールに、おそらく一生に一度。その頃はまだ生まれてもいなかった子もいるんだなぁ…イマドキの学生達を見つめるうちに、まるで自分も演奏しているかのような緊張感に包まれる。
 『ニュルンベルグマイスタージンガー』は、何かにつけてよく演奏する曲なので、今でも事細かに覚えている。1年生の夏休みの演奏旅行で、この曲のトライアングルが私の舞台デビューとなった。意外なようだが、トライアングルの音色は、オーケストラで使われる数多くの楽器の中で、最も「溶けにくい」。澄んだ硬質の金属音は、大音響のオケの中でどんなに小さく鳴らしても、ホールの最後列までストレートに届くのである。そんな音がこの曲の中間部でひょっこり登場する。そこまでは全小節ずっと休符、その後もしばらく休符が続くという楽譜だ。さあ、もうすぐ出番! じっとすわっていた奏者が2小節ほど前でさっと立ち上がって、左手にトライアングルを掲げ、右手に金属のバチを構える。オーケストラがふいに静かになってチューバとコントラバスが朗々と歌いだすという小節のアタマで
  ♪チ-ン
と一発。これを間違いなくキメるのがどれほどの緊張を伴うことか! 初めての時はあまりのプレッシャーのためタイミングを逸し、無音のまま虚しく過ぎてしまったものだ。眼鏡の後輩男子クンは、無難に楽器を鳴らして着席したのでホッとする。
 バッハにしろモーツァルトにしろ、ある時代までのクラシック音楽がそうであるように、この曲も完璧な必然性を持って理路整然と進行し、各楽器が存分に生かされる。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの合奏が数十本もの弦を重ねた音量でホールの空気を震わせ、トランペット・ホルン・トロンボーン金管の輝かしい音色を放てば、フルート・オーボエクラリネットファゴットはそれぞれ個性的な木管のさえずりを聴かせる。それらをチューバとコントラバスの低音がどっしりと支え、要所要所でティンパニが遠雷のように轟く。  
 やがて、曲はクライマックスに近づき、オーケストラ全体が一音一音をじっと噛みしめてゆっくりと上昇してゆく・・・
  ♪レ~・ファ~・ラ~・シ~ さあ、指揮者が振りかぶって!
  ♪ドーー! そう!それ以外ありえない運びで再び冒頭の旋律が大音響で現われ、ここでシンバルが炸裂、後を追うようにトライアングルのトレモロ(連打)がアラームのように鳴り響き、もちろんティンパニトレモロ、これぞ打楽器の醍醐味だ。そして、トライアングルは16分音符4発、8分音符2発のパターンを狂喜のフォルテシモで繰り返し打ち鳴らし、最後のトレモロで怒涛の大団円へとなだれ込む・・・
 ああ、西洋人は何故こういう音楽を発明したのであろうか? 特にワーグナーの危険なまでに熱狂的な楽曲は、ゲルマン魂の誇りみたいな音楽なのに、なぜだろう、人類普遍の真理を訴えかけるかのように、東洋人である私の胸を打つ。「音」の持つパワーというほかない。
 なぜこれを聴いて感動するのだろう? わからない。…でも涙が止まらない。この音楽があの頃を蘇らせるからだろうか? 若気の至りの、愚かな、「恋せよ乙女」の日々。この曲と同じく、必然性の連鎖によってその後の人生は進行し、私は今ここにいる。そして隣には、オーケストラの日々を一緒に駆け抜けた夫が座っている。そういうことなのだ。
 大勢の聴衆の中にちらほら、かつてのオケ仲間の姿を見つけた。ロビーで「久しぶり!」と声をかけ合い、ホールを後にする。久々に夫と二人で夜道を歩いた。

・・・そんなわけで、『ニュルンベルグマイスタージンガー』を聴くたびに、どうしても泣けてしまうのです。過去の記憶と深く結びついた「感傷」かも知れませんが、それだけではありません。これまでの試行錯誤、これから先の道のり、挑戦、失敗、挫折、再挑戦・・・そんな「生きること」のすべてを、この音楽は力強く肯定し、祝福してくれるのです。

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10年前に通っていたライタースクールで書いた作文を読み直すと恥ずかしいが、その頃ようやく私は専業主婦を脱出し、新聞社に職を得てから10年間がむしゃらに働いた。そして10年後に奇しくもこの曲のトライアングルを再び叩く機会を得たという巡り合わせ。思い入れのあるこの曲のパートを割り振ってくれた天の配剤(いや、打楽器後輩諸兄姉の温かいご配慮)に心から感謝する。もちろん母校のオーケストラの100周年を祝ったわけだが、なにかとおめでたい私は、大勢で奏でる音楽の喜びに包まれて自分自身がいたく力づけられたのであった。これからも挑戦、失敗、挫折、再挑戦が続く「生きること」のすべてを、この音楽が力強く肯定して祝福してくれるに違いない。(続く)