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よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

再見「3.10 10万人のことば」

2011年から6年が経過し記憶の風化も指摘されるが、それでも、3.11の大震災の体験は同時代の出来事として共有されている。

その前日、3月10日には東京大空襲があった。1945年のことである。

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毎年3月10日に合わせて、東京大空襲を現代に伝えるアートパフォーマンスを行なっているダンサーの鈴木一琥さんとアーティストのカワチキララさんを取材したのは、今から8年前の2009年。

www.japantimes.co.jp

3.10 10万人のことば: 井内千穂のうたかた備忘録

その時お二人にインタビューさせてもらった浅草の土蔵の2階は、薄暗い板の間が不思議に親密な空間だった。舞踊にサウンドアートという前衛的な趣きに「すごく変わった人たちだったらどうしよう」と若干構えて向かったのだが、実際にお会いしてみると誠実で率直な対話が心地よく、予定時間を大幅に超えて話し込んだのを思い出す。素敵なカップル・・と思っていたらいつの間にか夫婦になられ、可愛い女の子も生まれ・・時が経つのは早い。

久々だったが、浅草の土蔵は全く変わらない。それこそ幕末から変わっていないのだろう。しかし、表からはそこに土蔵があることはわからない。江戸通りに面した入口はギャラリー・エフ。入るとレトロなカフェである。

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土蔵を守るために丸ごと覆うように建物が作られて1997年にこういう形になり、アートスペースとして利用されている。土蔵自体は慶応4年(1868年)に建てられて以来、1923年の関東大震災にもびくともせず、1945年の東京大空襲でも直撃弾を免れ、焼け野原にぽつんと建っている写真が現在に残る。そして今日まで力強くそこに建ち続けているのだ。

カフェスペースの奥に土蔵の入口がある。

鈴木さんとカワチさんはこの土蔵で2005年から絶えることなく毎年3.10の公演を重ねてこられ、今年で実に13回目を数える。

http://www.gallery-ef.com/gallery.htm

「すべてはあの夜 永遠に失われた人々の声へと手を伸ばし続けるため、鈴木一琥とカワチキララは『3.10 10万人のことば』という作品に13年間取り組んでいます。会場である江戸末期築のこの土蔵もまた、その時の流れを見つめ続けています。」(プログラムより)

昔書いた記事を読み返すと、「60年以上も前のことを私たち自身に起きた出来事としてどうやって理解し実感することができるだろうか?」という問いの答えを探していると鈴木さんは語っていた。その時点で60年以上前。今から数えると、東京大空襲は72年前のことになる。

また、カワチさんの言葉もある。

「死者の声をどうやって聞くことができるだろうかと思いましたが、話を伺った生存者は、生と死の境目はごくわずかな違いだったと言います。ですから、生存者の方々の言葉を繰り返し繰り返し聞いていると、それが犠牲となられた10万人の方々の声のように感じられるのです。」

今年、彼らの公演をもう一度ぜひ観たいと思ったのは、「言葉」を使わない生身の肉体による表現に再び触れたい、あるいは、「言葉」の違った使い方について再び考えたいと思ったからだ。

土蔵の中。まずは漆黒の闇。これは「異次元」への移行のために外せない儀式である。目をカッと見開いても全く何も見えない。ブラックホールに放り込まれたような不安に襲われる。そこへスーッと浮かび上がる身体は、人間の肉体というより阿修羅か仁王の彫像のようだ。そこに東京大空襲を体験した人たちの声が重なる。カワチさんがインタビューした証言を編集したサウンドアートである。

同じく「言葉」を扱うにしても、耳から入る音声言語の断片は、文字を並べて筋道立てた文章とは随分違う。その声の主の雰囲気や感情がそこはかとなく伝ってくるし、もともと人の言葉はそんなに理路整然とはしていないことに改めて気づかされる。対話の中で思いつくまま、ふと真実のひと言が漏らされ、そこをカワチさんが切り取っているのだ。文字で書かれた論理的な文章を読むことばかりに慣れすぎると、話し言葉に本来備わっている聴覚的要素や、言葉に宿る感情がこぼれ落ちるのではないだろうか。

その日小学生や中学生として、ザ――ッザ――ッという焼夷弾攻撃の中を逃げまどい、翌日おびただしい死体が折り重なる地獄を見た体験を「あまりにもたくさん見ると人間って慣れちゃうんですよね」と語る生存者たちの声は重いのに淡々としている。戦後を生き抜いて高齢になられ、カワチさんがインタビューした中にも既に亡くなられた方もいるそうだ。誰しもいずれこの世を去るとは言え、一夜にして10万もの人々の命が失われたとは・・

空襲の恐怖を伝える激しい動きを経て、死者たちへの鎮魂の舞い。足で床を強く踏み鳴らすのも儀式なのか。舞踊の根源を探求しているという鈴木さんの身体の動きは、言葉が現在のような形に発達する以前の遠い遠い昔の祖先が、仲間と通じ合うために身体を使ったであろう「太古のコミュニケーション」のようにも感じられる。もちろん、人間にとって言葉は重要に違いないけれど、全身からほとばしる玉の汗と苦悶にゆがんだような顔から伝わる感情や精神はなかなか言葉にはならない。古来、儀式の重要な部分は沈黙のうちに行われる。

今年の公演に先立つ東京新聞の記事には「なぜ今この公演をやるのか、社会の背景も変わるので毎年考えている」という鈴木さんの言葉が紹介されていた。今年は、戦時下の「言いたいことが何も言えなかった雰囲気」を感じさせる証言を初めて取り入れたという。

「洗脳されていました。」「軍国少女でした。・・・私が兄を殺したようなものです。」「教育」・・・そんな言葉の断片が後半に流れてきた。

今年初めてというこの最後の部分の舞踊で鈴木さんの身体から感じられたのは、「無念」と「怒り」であった。生存者たちも死者たちも、その時代に否応なく翻弄され、心まで染まりきっていた自身と周囲の生死の報いに対して、自責の念に苛まれている。怒っている。どうにかすることはできたのか? しかし、「それが正しい」と洗脳されていたのだとしたら? 小学生の女の子だった。中学生の少年だった。

それでも結果はみずからにふりかかるのだ。

 

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