よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

桜並木

そうこうしているうちに東京の桜はとっくに散ってしまい、桜前線は今、東北から北海道にさしかかっているようだ。

花々の中でとくに桜を愛でる気持ちが以前はそれほどなかったのに、心のどこかで桜が気になってしまうのはやはり日本人というものだろうか。数年前のブログにも気になる感じをつらつらと綴っていた。

その後、桜並木に面した古いマンションに引っ越したのは7年前。確か震災の前の年の夏だった。以来、桜は満開の時期だけ名所に鑑賞しに行くものではなく、常にそこにあるものになった。日々一緒に暮らしているとおのずと自分の気持ちも変わってくるのか、前より桜が好きになってくるのは不思議だ。

毎朝、玄関先から桜並木を見下ろし、目の前にも伸び広がる枝々を眺める。出かければ桜並木を歩いて家路につく。開花から満開までのクライマックスを迎えるまで、木々が一年かけて根っこから幹にも枝々にも水と気と養分を巡らせ、夏には涼しい木陰を、秋には紅く色づいた葉を、冬には裸の見事な枝ぶりを見せることを日々感じながら歩くのである。

花や木などに無頓着な若者たちも、歩けば桜に当たるような環境であれば感じるところはあるらしく、今年満開になりかけたある晩、帰宅した三男が言った。

「母さん、通りの桜がライトアップされているよ」
「え?ホント? 普通の街灯じゃないの?」
「違うよ。初めて見た。今日からかな?坂の下の方だけだけど」

翌日帰りに通りかかると、果たして明かりが取り付けられ、木々が下から照らされている。確かに去年まではなかった。

f:id:chihoyorozu:20170427012229j:plain

葉っぱより先に花だけが咲く満開のソメイヨシノの姿は、白昼でもどこか現実離れした感じに見えるが、夜桜になると一段と凄味を増す。以前も今も、私は桜の木の下にシートを敷いて花見の宴会というのは全くやる気がしない。むしろ、「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」(西行法師)とか、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」(梶井基次郎)のような感覚がしっくりくる。

梶井基次郎 桜の樹の下には

そういう妖気が桜の花には確かに漂っている。と思うと宴会はちょっとね・・

f:id:chihoyorozu:20170427012322j:plain

今年は3月21日に桜の開花が発表された。昨年と同じで平年より5日早く、全国では最も早い開花だったそうだが、その後なかなか暖かくならず、このあたりの桜並木が満開になったのは、写真の日付を見ると4月5日だったし、その後もすぐには散らず例年より長く桜の花を楽しめたように思う。

毎日桜を愛でながら歩いているといろいろ目に入ってくる。古い幹から直接咲いている花の色が綺麗だったので、思わずSNSに写真を投稿してみたら、学生時代の先輩からひょっこりコメントが入っていた。

f:id:chihoyorozu:20170427012346j:plain

「幹から直接開花しているのは、樹勢が弱まっていると聞きました。老木を愛おしんであげましょう。」

コメントしてくれたことが意外でもあったが、「なるほど、そうなんだ」と思うと一層この桜並木が愛おしくなる。

やがて風雨のたびにハラハラと散る花びらが道端に敷き積り、区の当局がやってくれていたのか、その後の道路清掃もなかなか大変そうだった。

すっかり葉桜になってもまだ枝にしがみついているわずかばかりの花たちは、潔く散らずに生に執着するようで、桜らしからぬ根性と愛嬌である。いや、単に開花が遅かっただけかもしれない。まだ散るわけには行かなかったのだろう。

それも終わってすっかり若葉。古い幹から直接花が咲いていたあたりにも若葉。

f:id:chihoyorozu:20170427012413j:plain

樹勢が弱っているのか・・気になるけれど、取りあえず新緑が鮮やかだ。また来年、次の花が咲くまで桜並木の老木は見事な枝ぶりを誇りながら四季折々の営みを粛々と続ける。