よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

太陽の讃歌と惑星~東響コーラス30周年②

4月22日土曜日夜、東京交響楽団の今シーズンの定期公演は、なんとオーケストラなしで開幕。ミューザ川崎のステージには東響コーラスのメンバーが並び、「太陽の讃歌」の日本初演に臨んだ。 

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旧ソ連タタール共和国出身で現代音楽の作曲家ソフィア・グバイドゥーリナの「太陽の讃歌」は、チェロのソロと打楽器、チェレスタ、室内合唱団という編成の作品で、1997年にロストロポーヴィチの70歳の誕生日に献呈された。今回は堤剛先生をソリストに迎えての日本初演。室内合唱団はソプラノ、アルト、テノール、バスがそれぞれ6パートに分かれ、実に24声部ある!オリジナルは各パートがソロという24人編成のようだが、今回は各パート2人で歌うということで、団員数300人余りの東響コーラスの中の精鋭48人なのである。

練習を取材させていただいた時はチェロや主要な打楽器パートはピアノが代奏していたので、楽器も揃った生演奏に触れるのは初めて。なにしろ日本初演だし、この日のミューザでたった一度だけ(おそらく当分は日本で演奏されることはなさそう・・)というまさに一期一会の演奏に立ち会うのだ。ああ、そろそろあの人のソロの出番だと思うだけで緊張してくる。こんなに集中して現代音楽を聴いたのは初めてかもしれない。指揮はロストロポーヴィチの初演も振ったマエストロ沼尻竜介。

今回の演奏会に向けて東響コーラスの指導に当たった合唱指揮の大谷研二さんが「チェロのソロに歌と打楽器が絡み合う」と説明し、団員のMさんが「現代の宗教音楽。チェロが太陽の神様」と表現したその神秘的な曲は、混沌の中から「神様」の様々な働きかけに応じて、宇宙の要素が反応し、調和の法則が見出されていく過程のようだった。

冒頭、チェロの音色が力強く跳躍してから半音ずつ上昇する音階の頂点で、その音を引き取るように女性達がそれと同じ音程とそれより半音高い音程で発する「アー」という声。半音違いの2声の響きが唸り、うねり、やがて溶け合って透明な一つの音になると、その音がグラスハーモニカに引き継がれる。打楽器奏者が濡らした手で水の入ったグラスの縁をそーっとクルクル擦ると得も言われぬ神秘の音がホールに響き渡り、今度は男声の低音が発せられる中、バスのソロが厳かに唱える。

 Altissimo onnipotente bon Signore,
いと高く、全能にして、情け深い主よ
tue so le laude, la gloria,
あなたに称賛と栄光がありますように
l'honore et onne benedictione.
名誉と祝福がありますように

13世紀初めにアッシジ聖フランシスコが書いた「太陽の讃歌」の冒頭の言葉である。

太陽の賛歌

  1. 創造主とその創造物(太陽と月)への讃歌
  2. 創造主、すなわち自然の四大要素(大気、水、日、土)の創造主への讃歌
  3. 生への讃歌
  4. 死への讃歌

曲はこれら4つの部分に分かれているが、続けて演奏されるので全体が一連のプロセスとして体験される。

チェロで出せる限りの音を試すかのように、弦の端から端まで超絶な高音やその上の聴こえない音域までヒーーっと擦ったり、ザザザザザと嵐が来るような不穏な音を出してみたり、楽器の胴をトントン叩いたり、次から次へと何か実験しているようだ。

グロッケンのきらめき、ヴィブラフォンのやわらかい響き、マリンバの転がるような音は、まだ形を成していない宇宙で原子や分子が揺れ動き、結びつき、だんだんと集まってくるようでもあり、チリンチリンとなるのはフィンガーシンバルだろうか。ヨガの瞑想やお寺の祈祷にも出てきそうな音で宇宙の儀式が進行する中、ふと銅鑼やティンパニや鐘の音が不気味にあたりを震わせるのだ。

人の声の大部分は言葉のない「アー」というヴォカリーズで、たまに「太陽の讃歌」のイタリア語の歌詞が聴こえてくると「言葉」というものがより一層特別なものに感じられる。とくにAltissimo!(いと高き主よ!)の連呼にハッとする。

チェロに応えて「アー」という声を発しながら様々に試行錯誤する人の声の不協和音が続くが、やがて「生への讃歌」にさしかかると、この上なく美しい和音が、始めは女声によって、次いで男声によってもたらされる。中世の修道院で密かに歌われたような仄暗い響きだ。ついに人間の精神が宇宙の調和の秘密を発見したのか。なぜ、これを調和と感じるのか?やはり宇宙を成り立たせている物理の法則なのか?

神様であるチェロの仕事はなおも終わらず、一旦、チェロを置いて、銅鑼を叩きに行ったり、大太鼓を擦ったりする。横向きに平たく置いた大太鼓の皮を小太鼓のバチで擦る様子は、日本の古事記に出てくるイザナギイザナミの「国生み」神話を連想させ、混沌の泥をかき混ぜる音のようにも聴こえる。

さらに、チェロの弓をコントラバスの弓に持ち替え、珍奇な効果音(ビヨヨヨヨーン)を発するフレクサトーンという楽器を擦ると、鳥の声のようなツイーンと鋭い音が鳴る。今日の演出ではチェロを置いた堤先生が、バスからテノール、アルト、ソプラノまで合唱団が並んでいる弧の形に沿って舞台を歩きながら、順々にツイーンという祝福(?)の音を与えては、人々が「アーメン」(?)と応える。そんな神秘の儀式が舞台上で繰り広げられた。 このあたりでもグラスハープの2音がワンワン響いている。

最後には、金属音がチリチリ鳴り、一人一人の歌い手があちこちで声を発する。それは各人のほんの短い人生の証のようであり、各々の役割である音程が代わる代わる発せられては消え、また発せられる。海辺のカモメの群れのような声の連なりを受け止めた後、チェロは荒野を吹き渡るつむじ風のように高音で唸りながらだんだん微かになり、やがて聴こえなくなった。

作曲家のグバイドゥーリナはなぜ、この曲に人の声を必要としたのだろうか?

「人間臭さを感じさせない、世界を超越した、あちらの世界の神秘的なものを表現している」と大谷さんは説明された。それでいて、「あちらの世界」はやはり人の声でなければ表現できないもののようだ。きっと「あちらの世界」と言うか、宇宙の法則も、太陽の神も、それを感知して讃えるのは、やはり人間の精神なのだ。人間の精神が肉声を通して宇宙の神秘の法則に迫り、それが聴く人に深く伝わるのかもしれない。

その後で久々に聴いたホルストの「惑星」は、そのようにして発見された音の法則に従って宇宙を表現しようと試みる人間の営みとして馴染み深いものに感じられた。1曲目とは打って変わって大編成のオーケストラがずらりと勢ぞろいし、マエストロ沼尻竜介の巧みな棒の下、めくるめく宇宙絵巻を堪能したのだった。

2人のティンパニ奏者が2組のティンパニを盛大に叩きまくるのをはじめ、盛りだくさんな打楽器群が星々を盛り上げる。火星、金星、水星、木星土星・・それぞれの惑星につけられたサブタイトルは「あくまでも占星術から人間の属性のイメージを喚起させるためのもの」とホルスト自身が語っているそうで(プログラムより)、ギリシア神話の物語とはあまり関係ないようだが、ギリシア神話の神様たちが人間に近い親しみやすい存在であるように、人間の想像力と音楽的なルールによって各惑星に与えられた特徴的なリズムや旋律が親しみやすい宇宙を展開する。

そして、神秘的な海王星のラスト。東響コーラスの女声合唱のヴォカリーズがバックステージからかすかに聞こえてくる。

大谷氏は「ここは東響コーラスの女声の技術力の見せどころ」と言った。練習中には「宇宙の彼方にソプラノもアルトもないですからねー、アルトの人もアルトと感じさせないようにソプラノに負けないぐらい明るく、ママは要らないですよ。みなさん少女で宇宙の彼方に身を任せる感じ」「決してビブラートをかけないで。揺れがつくと人間味が出てしまいます。歌ってるーという感じで地上に連れ戻されます。まっすぐに揺れないで完全に人間じゃない感じで」としきりに指示されていた。ホルストが作曲した当時はまだシンセサイザーがなかったが、本当はシンセサイザーを使いたいような箇所ではなかったかと。冨田勲のように。「だからシンセサイザーのような音程と清らかな宇宙のサウンドをくださいね」と。

シンセサイザーか。そうかもしれない。しかし、シンセサイザーが開発され、いち早く電子楽器を作曲に取り入れたグバイドゥーリナも、「太陽の讃歌」にはシンセサイザーではなく合唱団を使ったのだ。やはり、宇宙の神秘は電子機器ではなく、人の声でしか表現できないということではないだろうか。人間は当然、人間臭いものだが、俗世を超越して、神に祈り宇宙の神秘に近づこう、宇宙の秘密の法則を知ろうとするのもまた人間なのである。

宇宙の神秘に近づこうとする人間の精神。その不可思議を伝える東響コーラスの「人の声」がゾクゾクと魂を震わせる。(終わり)

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Photo by Kaho Sato  *この写真は許諾を得て掲載しています。