よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

地層処分って本当にできるの?② 稚内へ飛ぶ

前に北海道に来たのは30年以上前の学生時代だったか。そして稚内は初めてだ。8月7日。心配していた台風にも遭わず着陸前には窓から利尻富士がきれいに見えた。

せっかくの機会なので、宿泊先に移動する前に宗谷岬に寄ることになり、稚内空港から宗谷湾の海岸沿いをタクシーで走る。津波や高潮の恐れがないのだろうか、道路と海の近さに驚く。遠浅の海の沖合になにやら右方向に動いていく物体がゴマフアザラシだと教えられてさらに驚いた。アザラシ!?そうか、北の海には普通に生息しているのだ。冬になると岩場にトドが何頭も寝転がってるとか。江戸時代にこの地から樺太(サハリン)に渡った間宮林蔵の記念碑なども眺めてから、ほどなく宗谷岬に到着。日本最北端の地である。宗谷海峡を隔ててわずか43kmにあるサハリンが残念ながら今日は見えない。

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宗谷岬までの道中もそこかしこに目についた風車が、岬から南側の丘陵地帯に入るとさらに多数。広大な牧場でのんびり草を食む牛たちの背後にいくつも風車が回る景色はまるでヨーロッパのようだ。宗谷岬ウィンドファームには1,000キロワットの風力発電機が57基、稚内市全体では74基あるとのことだった。確かに風が強い。この日は最高気温が23度。薄着では肌寒いほどだ。真夏の日本とは思えない。

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さて、稚内駅近くのホテルに着いてから、明日の幌延見学会に向けて予定通りの事前勉強会を。一行6人が一室に集まった。講師役は原子力学会シニアネットワークで代表幹事を務める早野睦彦氏。

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シニアネットワークというのは、原子力を職業としてきて定年を迎えた方々がその経験を生かしてエネルギー問題を正しく社会に発信し、学生との対話を通して、原子力専攻の学生の意欲を勇気づけその夢やキャリアの支援を行なうなど、原子力技術の維持伝承とさらなる発展、他世代、次世代への意味ある貢献を目的として2006年に設立された団体である。

今回の見学ツアーのメインテーマは地層処分であるが、早野さんのお話は、そもそも人類文明の発展とエネルギーのかかわりから説き起こし、その中で原子力エネルギーを利用することの意味を考えるという壮大なスケールに及び、改めて目を啓かれた。

数式や化学式に弱い文系人間にもわかりやすい説明の中で、とくに印象に残っているところをいくつか。

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■アメリカの地質学者ハバートは、世界の化石燃料消費の増加と消耗は、長い闇夜の中の「一本のマッチ」の閃光のようなものだと警告した。

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ハバートは1956年に発表した「1971年にアメリカの石油の産出ピークが来る」という予測が的中したピーク・オイル理論で知られる。国際エネルギー機関(IEA) は2010年、世界の在来石油の生産量は2006年にピークを迎えていた可能性が高いとの報告書を発表したそうだ。

石油も石炭の天然ガスもいつまでも無尽蔵にあるわけがないと直感的に思う。石炭はあと100年分、石油と天然ガスはあと50年分というデータもある。何億年もの太陽エネルギーによる生態系の埋蔵金のようなものであるそれらの化石燃料は、人類が初めて火を使った日から、いつかは発見され掘り出され消費され尽くされる運命にあったということだろうか?この点、資源がなくなるわけでなく、採取するのに採算が合わなくなるので事実上採らなくなるということであって、100年とか50年というのは「可採年数」だという話も出たが、自分の中でまだ整理しきれていない。化石燃料を燃やして出るCO2による地球温暖化の影響とどちらが先なんだろう?

■地球上で利用できるエネルギーは太陽エネルギー、または、地球が自ら有するエネルギーである。

 ★太陽エネルギー

  • 太陽エネルギーが蓄積されたものが化石エネルギー(石炭、石油、天然ガス
  • 現在降り注いでいる太陽エネルギー(太陽光)
  • 太陽エネルギー由来の今のエネルギー(水力、風力、バイオマスなど)

 ★地球が自ら有するエネルギー

  • 地球生成時に地球内部に閉じ込められたもの(熱エネルギー)
  • 地球生成時に太陽系外から取り込まれたもの(核エネルギー)

■太陽エネルギーは核融合によるものであり、地熱は地球内部に閉じ込められた核物質の核分裂によるエネルギー。風や波は太陽からのエネルギーと地球内の核分裂エネルギーによって生じる・・・となると宇宙のエネルギーはすべて核融合または核分裂が起源ということ。なるほど・・・

原子力発電をしなくてもこの世は核エネルギーで満ちている。核エネルギーを拒否するならこの宇宙に居場所はない。核エネルギーを上手く使えるかどうかは人類の英知次第」

原子力の専門家として高速増殖炉の開発に携わってきた早野さんらしい言葉だと思った。ただ、そういう核融合核分裂の自然現象の結果を受け取るだけでなく、それを意のままに支配するというようなことが人類に可能なのか、許されるのか、地球に生きる一つの生物に過ぎない人類には分不相応なことなのか、正直言ってわからない。しかし、そんなことを今さら言ってみても、サルから進化して文明を発展させた人類は化石燃料を掘り当てるにとどまらず、すでに原子力の原理も発見してしまったのだ。

ここでふと妄想してしまった。太古の昔、初めて火を使ってみた原人は周りの仲間から反対されたに違いない。「なんだそれは!そんな危ないことするな!」と。狩猟を止めて農耕を始めた人間も反発に遭ったのではないか?「同じところで暮らして種を蒔くなどとんでもない!」と。狩りをして暮らしていた原人が農業を始めたのは1万年ほど前だと言われている。それまで何万年も続けてきた同じ生活スタイルをなぜ変えたのだろう?産業革命蒸気機関を使い始めた時も、「機械に仕事を奪われる」と手工業者や労働者は反対した。しかし、産業は逆戻りすることはなく、さらに発展を続けて現在に到るのである。

ある意味、新しいことへの「反対」は正しいのかもしれない。産業革命がなければ、農耕・牧畜を始めなければ、言葉を話すことがなければ、火を使うことがなければ、人類は地球環境にたいした悪影響を与えることもないマイナーな猿人としてほそぼそと暮らし続けていたのかもしれない。しかし、「だからやっぱり猿人に還りましょう」なんて賛成する人はいるか?

「文明は不可逆反応である。」(吉本隆明)という言葉が早野さんの話の中でも紹介された。あったことはなかったことにはできないのである。

■20世紀は科学技術の時代として人類は飛躍的に発展した。
21世紀は果たしてどのような時代になるのであろうか。

経済とエネルギーと環境が調和する「安全で持続可能な社会」なんて可能なのだろうか?

■日本は一次エネルギーの94%を輸入に頼っている。輸入がストップとたちまちエネルギーがストップする。

■エネルギー源の3要件は、

  • 大量にあること
  • 集中してあること
  • エネルギー密度が高いこと

再生可能エネルギーは大量にあるが、集中しておらず、エネルギー密度が著しく低い。無限のイメージがあるが、利用するためには様々な制約がある。立地制限、大量生産の効果、買い取り制度の最大利用などを最大限適用したうえで、資源エネルギー庁が定めた、CO2削減目標を達成するための再生可能エネルギー最大導入目標は、2020年で太陽光と風力を合わせて日本の全発電量の2.4%、2030年で7%程度ということだ。再生可能エネルギーを利用する未来は素晴らしいかもしれないが、それだけでは電力は全然足りない。

■現状の原子力発電の燃料であるウランも確認埋蔵量はあと93年分だという。ということは原子力発電もいずれ原料が足りなくなるのか?そうすると高速増殖炉でないと原子力発電もできなくなるということなのか?この点について、ウランは海中には無尽蔵にあるが、現在の技術で採取するのはとても採算が合わないので事実上使えるウランという意味での確認埋蔵量とのことだった。(そうすると、海水からの採取技術が実用化されればいくらでもウランが得られ、高速増殖炉は必要ないということになるのか!?しかし、その技術開発の見込みはどれほどあるのかまだかわからない。)いずれにしても、長年「もんじゅ」に取り組んでこられた早野氏の無念と将来への懸念がにじみ出ていた。

■どのような原発であっても、「核のごみ」の処分は必要なことだが、もんじゅなき後も現状の国策である核燃料サイクルからすると、再処理した後のガラス固化体としての高レベル放射性廃棄物の最終処分について考えている。

早野氏は、原発のバックエンドのほうは専門ではないと前置きしながら、廃棄物を地下深く埋めるだけというのは「技術的にはとても簡単なことだ」と述べた。それは、原子力を宇宙に満ちた自然のエネルギーととらえ、高速増殖炉の開発に取り組み続け、半減期など放射性物質の性質に知悉した人ならではの言葉だと思うけれど、ここに、世間の多くの人々との意識のずれを感じたことであった。多くの人々は、放射性廃棄物は得体のしれない不気味なものであり、自分が住む地域には絶対に埋めてほしくないと思っている。

しかし、得体のしれない不気味なものであるならばなおのこと、そのような放射性廃棄物を地上で「管理」し続けるのはあまりにも危険なのではないだろうか。私はなるべく早急に、少しでも安全な場所に移すべきだと考えている。それはどこなのか?どこに処分場を設けるのか?どうやってその場所を決めるのか?そこが実に難しい問題なのだが、まずは話し合う際の互いの意識のずれを認識し調整する必要があると思った。そのためには、今日のような「そもそもこの世は核エネルギーで満ちている」という基本の話をもっと多くの人たちに普通に聞いてもらえる場が必要なのではなかろうか。

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とにかくも、原子力の専門家個人の思いを直接聞ける機会は貴重だった。少なくとも、原子力発電に関わってきたのが、抽象的な「悪」でも「悪人の集団」でもなく、宇宙の原理に魅せられ、かつ、それを研究室内だけでなく社会に実装したいと思った工学系の人々であることは肌で感じられる。その知見やリスクに対する考え方が、社会の多くの人々になかなか伝わらないのはもどかしいところだが、双方に責任がありそうだ。(続く)