よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

マザー・テレサ写真展@上智大学

これもまたずいぶん前のことになるが・・・

昨秋のある日、ひょっこりマケドニア大使館からメールが届いた。11月の終わりから12月始めにかけて、上智大学マザー・テレサの写真展が開催されるという。

マザー・テレサ写真展を開催します | ニュース | 上智大学 Sophia University

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初日の11月28日夜、オープニング・レセプションがあり、一年半ぶりにアンドリヤナ・ツヴェトコビッチ大使にもお会いすることができた。開口一番、彼女は少しはにかんだ笑顔で「ママになった」と言った。えーっ、いつの間に!確かに、インタビュー記事に「将来、家庭を持つことも前向きに考えている。」と書いたが、具体的に実行されたとは・・・ついこのあいだ出産したばかりだと言う。そして、すぐにまた駐日マケドニア大使の職務に戻った彼女。その日は会場で次から次へと挨拶や歓談に忙しい大使とそう長く話しているわけにいかなかったが、以前にも増して溌剌とエネルギーに溢れ、誰に対しても堂々としているその姿に改めて感服した。

 

当日のテープカットやオープニング・セレモニーの時間帯には間に合わなかったので、12月に入ってから再び上智大学四ツ谷キャンパスを訪ね、写真展をじっくり見た。

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マケドニア共和国スコピエにあるマザー・テレサ記念館所蔵の写真がマザー・テレサの生涯を綴る形で並べられ、添えられた文章も併せて興味深い展示である。とくに幼少期の家族写真や少女時代の肖像など、マザー・テレサになる前のアグネス・ゴンジャ・ボヤジウの姿は初めて見るものだった。

 

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思いつめたように大きく見開いた目。三人姉弟の末っ子として生まれたゴンジャは、幼い頃から信仰心が篤く、12歳の時に初めて「神の声を聴いた」という。そのような体験をすることもなく年齢だけ重ねた身には想像もつかないことだが、やはり、使命感というものは人智を超えた次元からの指示なのだろうか。

 

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故郷スコピエからダブリンのロレト修道会に旅立つ前日のゴンジャ。カメラ目線ではない、どこか遠くの何を見据えていたのだろう。

 

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ダブリンからインドへの船の中で綴られた「惜別」という詩。冒頭はこんな感じだ。

 わたしは大好きな家を去っていく
 そして愛する国を。
 わたしは行く 蒸し暑いベンガル
 遠い岸辺へ。

偉い、立派だと言うよりも、なぜ、縁もゆかりもない遠いインドへ行くのか?と問わずにいられない。“ヨーロッパの火薬庫”とも呼ばれた当時のバルカン半島の祖国の人々だって決してラクではないのに。友だちも家族も、祖国もヨーロッパも捨てて、「苦しい、いけにえ」として自分を捧げると言っている。

私はクリスチャンではないし、幸か不幸か「神の声」を聴いたことがないので、およそ理解し難いことだが、そのように命じる声を聴いてしまった教祖たちや聖人たちは、俗世のすべてを超越したミッションへと向かうのだろうか。

慣れ親しんだ生まれ故郷で、愛する人と家庭を築き、子どもを産み育て、自分なりに持てる力を発揮し、周りの人と力を合わせて、ほんの少し世の中の役に立つ・・・そんな平凡な人生を敢えて選ばず、異国で苦しむ貧しい人々を救うべきであるというのはどういうことだろう? この世に生まれた使命というものは自分では決められないものなのだろうか?

インドのコルコタでロレト修道会の学校の教師として、カースト制度の身分の高い娘たちに地理と歴史と聖書を教えていたマザー・テレサは、再び神の声を聴く。「街の通りへ出てインドの最も貧しい人々の中へ入るように」と。そして、1948年8月16日、マザー・テレサは青い線の入った白い木綿のサリーに身を包み、彼女の人生の20年間を過ごしたロレト修道院を去った。

それからのマザー・テレサの活動は世界中の人々がよく知るところである。

1950年に修道会「神の愛の宣教者会」を設立し、インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受け、「死を待つ人々の家」というホスピスも開設。ケアする相手の状態や宗派を問わない活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。写真展には彼女の言葉が紹介されている。

神は唯一です。そして神はみんなの神さまなのです。だから神の前では誰もが平等とみられる事がとても大切なのです。私はいつも言ってきました。ヒンズー教徒の人達がより良いヒンズー教徒になれるように助け、イスラム教徒の人達がより良いイスラム教徒となれるように助け、カトリック教徒の人達がより良いカトリック教徒となれるように助けなければなりませんと。

テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610か所で活動を行っていたという。活動内容はホスピスHIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校など。

彼女はグローバル・ビジネスをやるために、メンバーや資金を募ったわけでは決してないけれど、その凄まじい使命感と、それが必要な世の中だったからこそ、おのずと多くの人々を巻き込んでいったのだろう。その結果、組織も活動も世界中に広がった。結婚せず、子どもも産まず、この道一筋の“プロ”となり、「神の声」に従って、やると決めたことをやりきった壮絶な生きざまには頭を垂れるほかない。とてつもないリーダーシップに人々がついて来る。ビジネスをやるのとは全く次元が違うけれど、強く明確なビジョンには現実を動かす力があるのだ。

 

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印象に残ったのは、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世との写真。乙女のような彼女の表情になぜかとても嬉しくなった。彼との出会いをマザー・テレサは「人生の最も幸福な瞬間であった」と言い表したそうだ。そして、彼は彼女の没後2年で、彼女の列福および列聖の調査・手続きを開始したという。

 

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マザー・テレサは、1981年、82年、84年の3回にわたり上智大学を訪問し、英語で講演を行ったそうだ。肉声に直接触れてみたかったものだ。

この写真展は、昨年4月にツヴェトコビッチ大使が上智大学を訪問したことをきっかけに実現したそうだ。上智大学マケドニアスコピエにある聖シリス・メソディウス大学は今後、学術交流協定を締結する予定で、写真展初日の11月28日には両大学と駐日マケドニア大使の署名による覚書が交わされた。上智大学マケドニアの教育機関と協定を締結するのは初めてとのこと。

 

会場の片隅にひっそりと百瀬さんの写真も展示されていた。一年前の写真展がこのような形でつながったのが嬉しい。

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28日のオープニング当日はツヴェトコビッチ大使のスピーチに間に合わなかったが、後日、大使館が送ってくれた。百瀬さんのことにも触れられている。

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A confirmation of the strong link between Mother Teresa and Japan are the numerous Japanese artists and writers which have dedicated the most of their work to represent the life and mission of Mother Teresa. Among them is Mr. Tsunehiko Momose who had travelled to India and made photos of Mother Teresa portraying her sad face. He considers that the mission of Mother Teresa was very difficult and demanding and that is the reason behind his decision never to make photos with Mother Teresa smiling. The art of Mr. Momose is very unusual and unique due to the fact that he has been using the traditional Japanese rice paper “washi” to represent his photos and in such way to illustrate the connection between Mother Teresa and Japan. Mr. Momose participates with three of his photos in this exhibition which are exhibited next to the Catholic center.

(拙訳)マザー・テレサの人生とミッションについて作品を捧げた数多くの日本人のアーティストたちやライターたちは、マザー・テレサと日本との強い絆を立証するものです。中でも、インドへ旅しマザー・テレサを撮影した百瀬恒彦氏は彼女の悲しい顔の写真を撮りました。彼は、マザー・テレサのミッションはとても困難で大変な努力を要するものだったということを考えました。それが、マザー・テレサが笑っている写真を決して撮らないという彼の決断の背後にある理由です。百瀬氏の芸術はとても独特です。彼は日本伝統の和紙を使って写真を現像し、そのような方法でマザー・テレサと日本の関係を表現しています。カトリックセンターの隣で開催されているこの写真展に、百瀬氏もその作品3点で参加しています。

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最後に、とても励まされたマザー・テレサの言葉を一つ。

あなたには私にできないことができます。私にはあなたにできないことができます。でも、一緒にやれば私たちは神さまのために何か美しいことができます。

私にはどこの宗教が言っている「神さま」もピンと来なくて、それ以上の関わりを持とうとしていないけれど、信仰心の厚い人々への敬意は持っているし、何者かに祈る気持ちは私にもある。直接「神の声」を聴く可能性はおそらく一生ないだろうが、誰かと一緒に何か美しいことができたらいいな・・とは思う。