よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

ベラルーシの学生たちの声 〜日本・ベラルーシ友好訪問団2018報告会その②

福島の高校生たちに続いて登壇したのはベラルーシの大学生たち。ベラルーシ国立大学日本語学科で学ぶ6人の女子学生が美しい日本語で語った。

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チェルノブイリ原発事故は私たちが生まれるよりずっと前で、既に歴史上の出来事のように感じていましたが、このたびベラルーシを訪問した福島の高校生たちと一緒に各地を見学し、私たちも初めて知ることができました。」

それをきっかけにした彼女たち自身の活動も興味深い。

活動の一環で彼女たちは、ベラルーシ南部の汚染地域のナロヴリャから首都ミンスクに移住した人たちが作った「移住者の会」に話を聞きに行った。首都ミンスク市内には移住者のために作られたマリノフカという団地がある。

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  • 事故当時、3歳未満の子どもは母親と一緒に、3歳以上の子どもは母親と離れて避難した。
  • とくにお年寄りは故郷への愛着が強く、避難や移住を拒否する人が多かった。
  • 毎年4月の終わりか5月の初めに年に一度のラードゥニッツァという伝統的なお祭りがある。日本のお盆にあたるようなお祭りで、この時には今は人が住んでいない村にも入ることが許され、亡くなった人たちを偲んで集まる。
  • 事故直後には、ミンスクに移住しても汚染地域の出身であると言うと、交際相手から別れを告げられた若い女性もいた。

チェルノブイリ原発事故によりベラルーシの国土の23%が汚染された。放出された放射性物質の70%がベラルーシに飛来したと言われており、原発のある現在のウクライナよりも被害が大きかった。ベラルーシ南部のウクライナとの国境地帯に広がる約2,160㎢の「ポレーシェ国立放射線環境保護区」は、現在でも居住禁止、立ち入りも厳しく制限されている。プルトニウムが崩壊してできるアメリシウムによる汚染も問題になっている。

原発事故直後の1986年6月、最も被害の大きかったゴメリ州に科学アカデミー放射線学研究所が設立され、農作物・畜産物への放射性物質の移行割合などを研究してきた。ポレーシェ放射線環境保護区の中での国際的な研究機関の設立も予定されているとのこと。

ここで発表者の声のトーンが変わり、「放射能汚染のことばかりお話するとベラルーシ人の健康はどうなっているかと心配だと思いますが、私たちを見てください。私たちは元気です!」と言ったのと同時に、別の学生が元気なポーズをとってみせた。ベラルーシでは国民に一年に一度の健康診断が実施され、ホールボディカウンターによる検査や甲状腺のエコー検査も受けられるそうだ。

農産物など食品の話も出た。

セシウム137で農地も汚染されたが、加工することで放射性物質から身を守っているという。原料の牛乳に放射性物質が含まれていても、それを加工して製造したチーズやバターには放射性物質が含まれないというのだ。ベリー類やキノコなど森の恵みからは放射性物質が検出されるが、線量を測って判断し対応しているという話に、福島の山菜の放射線量の話と共通するものを感じた。

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さらに、アンケート調査も実施。さすがは大学生である。

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チェルノブイリ原子力発電所事故から32年後のアンケート調査」ということで、2018年9月20日から10月1日にかけて、ベラルーシに住む人を無差別に抽出して調査した。有効回答数261人。

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  • チェルノブイリの問題に興味があるか?」という問いに対しては、「はい」と答えた人が68.7%、「いいえ」の31.3%を大きく上回った。
  • 「汚染地域のあるゴメリ州の食品を食べますか?危険だと思いますか?」という問いに対しては、「危険だと思わないので、食べる」が27.5%、「危険だと思うので、食べない」が9.3%いるが、圧倒的多数は「食品の産地を気にかけていない」(63.2%)ということだった。
  • 「福島の事故についてどう思いますか?」という問いに対する自由記述の回答として、「また同じような事故が起こったことを非常に残念に思う」「日本の復興のスピードがベラルーシよりも早く感じる」「日本人がどのようにこの問題を解決していくかに興味がある」「チェルノブイリ事故の時と同様、デマがたくさん流れたことが気になる」などが挙げられた。

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このような話を日本のテレビや新聞ではなく、また、欧米メディアでもなく、被災国ベラルーシの当事者である若者たちが現地で調べた成果として聴くことができ、彼女たちの一言一言が心に響いた。彼女たち自身も、福島の高校生との交流プロジェクトを通じて、これまであまり知らなかったチェルノブイリ原発事故やその後のベラルーシについて改めて関心を持って調べ、それを日本で発表しているのだ。一生懸命練習したと思われる美しい日本語で、時々間違えると緊張して「スミマセン」と言いながら丁寧に語った言葉からベラルーシの今が伝わってくる。

報告会の後、思わずベラルーシの女子学生たちに駆け寄って挨拶し、ほんの少し話をした。実際のところ、ベラルーシの人に直接会うのは初めてだった。ベラルーシと言えば、ちょっと検索すれば「ヨーロッパ最後の独裁国家」という悪評を目にする強権的な体制にある。だから、ベラルーシという国を手放しで礼賛しようとは思わない。しかし、ベラルーシチェルノブイリ原発事故の被害を最も大きく受けた国であり、既に30年以上放射能汚染と向き合い闘ってきたことは事実である。国民一人ひとりがそれぞれの苦難を乗り越えてきたのだろう。

ベラルーシの学生たちはこのたび日本を訪ね、福島の高校生たちと再会した。三連休中に行われた「日本ミッション」にも参加し、高校生たちと一緒に県内の中間貯蔵施設や福島第二原発を見学した。また、稲刈り体験など日本の風物にも触れた。

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報告会の後の昼食会で一人ずつ今度は主にロシア語で挨拶した中で印象に残ったのは、

「(Jヴィレッジの)ホテルからの海の眺めが素晴らしくて、こんなに美しいところに津波が襲い、そのため原発の事故が起きたということが信じられず、混乱してしまいます」という一人の学生の言葉だった。

ベラルーシも福島も実際に行ってみて初めて感じることがあるのだと思うし、個々人が直接触れ合ってみることが、互いをわかり合う最初の一歩になる。(続く)