よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

中学生サミット2018その② 六ヶ所村の人の話を聴く

原子燃料サイクル施設の見学を終えて再びバスに乗る頃には日が暮れていた。5時過ぎ、六ヶ所村内のスパハウスろっかぽっかに到着。立派な温泉施設だ。そう言えば、村内で見かけた体育館や郷土館も立派だった。

入浴のために立ち寄ったわけではない。施設内の大広間で地元の方々のお話を聴くセッションが始まった。

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六ヶ所村の女性団体「エネルギーを考える未来塾」の塾長 伊藤夏子さんと仲間の塾生 土田さんと岩間さん。折々、大学生に向けて話をすることはあるが今回は中学生と聞いて驚いたという御三方は、「うちの孫も中学生です」という元気なおばあちゃま達だ。

山形出身の伊藤さんが、結婚で六ヶ所村に来て以来見てきた村の歩みを語る。

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六ヶ所村の女性団体「エネルギーを考える未来塾」の塾長 伊藤夏子さん

 

六ヶ所村に嫁いできた昭和44年(1969年)、「ここは町になるんだよ」と聞いた。当時は核燃料施設ではなく、大規模な化学コンビナートができるという話だった。高度経済成長の時代だ。青森県が主体になって土地収用・巨大開発が進められた。そこへオイルショックが発生。石油備蓄基地はできたが、その他の 企業は誘致できず、膨大な土地が残った。どうするか?というときに、1985年あたりから核燃料サイクル施設の誘致が始まり、県と村が合意して施設の受け入れが決まった。賛否両論あったが、やはり、それまで所得が低く出稼ぎせざるを得なかった六ヶ所村では、「このままでは将来がない。村が豊かにならなければならない」という当時のリーダー達の声で、施設を受け入れることになったのだ。住民はそれがどういう施設なのか、ほとんどわかっていなかった。核燃料サイクルのことも原発自体もよく知らなかった。施設の受け入れ以来、雇用の場が増えて若い人が採用されていき、自然と村も豊かになった。青森県では国からの交付金をもらっていない唯一の自治体である。

そういう形で今は恵まれているが、果たして住民は、核燃料サイクル原子力や最終処分の問題をわかっているのか?と思い、次世代にツケを残さないためにも大学生たちと一緒に学んでいこうと考えて4年前に立ち上げたのが、「エネルギーを考える未来塾」である。原燃の施設のみならず村内にある青森県量子科学センターの見学も行い、放射線について学んでいる。セットで見学することが大事だと伊藤さんは言った。

「やはり、原子力放射線に対してすごく不安な思いでいましたが、学ぶことによって少しずつ知識が得られ、安心材料の一つになったかなと思っています。人間のやることですので、いろんなところでミスが起こりますが、最小限、ミスを犯さないように、従業員たちも頑張ってほしいなと今思っているところです。」

まだまだ勉強不足ですが、と言って伊藤さんは話を終え、土田さんと岩間さんが、「科学的な知識はなかなか頭に入って来ないけれど、塾に入ってから少しずつ学ぶことによって、少しは入っているかなと思います」と付け加えた。

ここで澤田先生が質問。

澤田:ご家庭でもこういう話をされることはありますか?

伊藤:ないですね。ないけど、子どもたちが大きくなる前から施設はあったし、それが当たり前の生活でずっと来ているので、子どもたちは違和感を持ってないです。若い人たちは就職先としても考えていますし。こちらの岩間さんの息子さんも原燃にお勤めです。

澤田:もうひとつ質問。原燃の施設ができる前は、あそこには何があったのですか?

伊藤:じゃがいもの種いもの試験場でした。じゃがいもを植え付けた所もありまして。だけど、ここはね、「やませ」でダメでしたね。作物は育ちませんでした。

澤田先生が、「みなさん、『やませ』わかりますか?夏にすごく冷たい風が吹いて農作物が育たないんです」とフォロー。

伊藤:あそこは開拓地でしたので、酪農家が何軒か住んでいて、施設ができるときにウチの近所に移転してこられました。何もないところに建物ができたわけではなくて、開拓者が入ってきてできた牧草地が多かったです。

さらに、澤田先生が「君たち、出稼ぎってピンと来てます?」と生徒たちに尋ねる。今の子どもたちは「出稼ぎ」という言葉を知らないのだ。

伊藤:あのー、農家は冬になると仕事がないわけですよ。所得も少ないので、村の人たちはほとんど、東京や関西の方へ、働きに行って収入を仕送りしていました。そういう時代がありました。

 

さて、いよいよ生徒たちからの質問コーナーへ。

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澤田先生の司会で生徒たちが地元の伊藤さんたちに質問。

 

Q:お話ありがとうございました。核燃料サイクル施設が六ヶ所村に来たことによって、経済的に豊かになったということだったんですけど、心の豊かさについてはどう思われますか?(東京;高2Uさん)

伊藤:私はやはり、経済的に貧しい生活をしていると心も荒れてくるように思います。出稼ぎで冬場お父さんがいなくてさみしい思いをしているよりは、家庭団欒もできますし、この近くの三沢に行けば遊ぶところもあります。今は結構マイカーで出かける機会もあります。そういう面では豊かになってよかったかなと思っています。

岩間:私は小学校5年生の時に、両親が開拓者で入ったんですけど、やっぱり、どうしても冬場は仕事がなくなって父親が出稼ぎせざるを得ませんでした。それを考えると近隣にも関連会社とか、勤め先が増えて良かったと思います。

Q:核燃料サイクルの施設ができる時の住民向けの説明会があったと思うんですけど、その時どういう説明を受けたのですか?(福島;高3Mさん)

伊藤:国の人と県の人と村の人と、大きな文化会館で700人も800人も人を集めて説明会がありました。だけど、全然わからない人がそこへ行って話を聞いても、何しゃべっているのか、とんとわかりませんでした。逆に反対の人が、なんでそんな危ないものを入れるんだっていう話を聞くと、あ、危険なんだって思いました。でも、果たしてそれでいいのかなとも思っていました。村長選があって、反対の候補者と賛成の候補者とが立候補しましたが、賛成派の候補が当選しまして。私たち農家は、やっぱり不安で、そんなに賛成する人を聞いた記憶がないんですけど、農家って農業だけで、働くだけで精いっぱいで、六ヶ所の人たちの人柄と言うのでしょうか、こういうリーダーを選んだのだから、そのリーダーについて行こう、という感じでした。ただ、それじゃいけないと思っていろんな説明会に出ますと、何回も聞いているうちに徐々にどういう施設なのかっていうことがわかってきました。

岩間:ウチは一人息子なので、そばに置きたかったんですね。息子は、高校卒業の時に大学進学はしないで仕事で頑張ると言い、地元の原燃で働くことを考えてました。学校の先生は「原燃は危ないんだ!」と反対しましたが、先生を説得しまして、(就職の)試験を受けさせたら受かりました。私は時々言うんです。きちんと仕事しないと、事故が起きたらどうするんだって。責任をもって働いてほしいなと思います。

伊藤:今はプロパーの職員の6~7割は青森の人ですが、青森県全体に施設に対する理解が浸透しているわけではなくて、無関心な人が結構いるので、そういう人たちも巻き込んでいくのがこれからの課題です。

Q:反対意見の人に納得してもらうために、大きな説明会以外のこともやっていたのですか?(愛知県;中3A君)

伊藤:町内会みたいな自治会単位でも小さな会合が結構ひんぱんに開催され、原燃の人と村役場と県の職員が足繁く通って説明されました。「これは必要なものなんだから、あなた方も頑張って受け入れてください」っていう説明を私も何回か聞きました。

 Q:どんなに説明があっても「絶対安全」ではないじゃないですか。六ヶ所村の場合は、どういうふうに理解して、どこで納得されたのですか?(東京;高2K君)

伊藤:今考えると、原発と違って安全なんだっていうことから説明を受けたのを記憶しています。反対運動をしている人たちはずっと反対していましたが、住民はわりと素直に納得していきましたね。六ヶ所の住民って素直な人が多かったんでしょうかね。反対運動もすごくあったんですけど、半分以上は都会の学生でした。ビラ配りとか。その学生たちも自分の本意でそうしているわけじゃなくて、教授から「行ってこい」と言われて来ているようなケースもありました。

土田:そうですね。回数重ねて説得されているうちに受け入れるようになりました。「そんなに簡単に受け入れるの?」と言われたこともありますけど。

Q:未来塾の活動をどのようにほかの人たちにも広めておられるのですか?(東京;高2Mさん)

伊藤:私ははじめ読者愛好会という会に入っていました。科学者の先生から原子力の話などを聴く会です。福島の事故があって、もっと自由に未来のエネルギーを考えた時に、素人の主婦が集まって学ぶ塾を作りました。昔の寺子屋みたいな感じで、いちおう私が塾長みたいになってますが、みんな対等の塾生です。講師は中央から招いて話を聞こうというスタンスで、みんなで話し合って選んでいます。毎年、国の予算をもらって活動しています。一般の人たちにもチラシを配ったりしたのですが、なかなか参加してもらえなくて、このままだと同じメンバーだけで広がりがないなあと思って、若い人たちに声をかけてみました。埼玉の大学と地元の大学の学生さんたちが参加してくれています。大学生だとまた新入生が入ってきてくれます。私たちはオバサンなので広報的にも全然ダメなんですけど、若い人たちはインターネットでもSNSでもいろんな形でつながっていけるので、小さな場ですが、そういう若い人たちの力を借りながらやっていくといいのかなと思っています。

このほか、京都の中学生から最終処分地について、福島の高校生から原燃に息子が就職した時の覚悟について、質問が出た。

最後に御三方から一言ずつ。

伊藤:六ヶ所に関心を持って遠いところから来ていただいたことに本当に感謝しています。やっぱり、賛成だ反対だっていう意見を決める前に、まず現場を見ていただきたいと思います。現場を見て自分が思ったことを帰ってから勉強する機会はいくらでもありますので、そういう形で、これからも六ヶ所に関心を持っていただきたいなと思います。本当に今日はありがとうございました。

土田:中学生で、しかも一年生もいらっしゃって、こういうテーマに関心を持ってすごいです。ありがとうございました。

岩間:大人でさえ原発の話は難しいですが、やはり、日本に原発は必要だと思います。興味を持って一生懸命勉強してください。ありがとうございました。

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原子力燃料サイクル施設」の受け入れの時代から現在までの六ヶ所村を見つめてきた地元の人たちのリアルな声を聴く貴重な機会だった。生活者としての現実と向き合い、みずから学び、若い世代にも伝えようという塾のみなさんの力強さに感銘を受ける。

一方で、話にも出た「賛否両論」の反対意見も聞いてみたいと思った。反対する人は、同じ施設に対して全く違った考えを持っているのだろう。いつも感じることだが、何事によらず、同じような考えの人々が集まることはあっても、異なる意見を持つ人々が同席して互いの意見に耳を傾ける場は滅多にない。今回、主催者側は反対派にも声をかけたそうだが、実現しなかったらしい。この中学生サミットは、どちらかと言うと原子力関連施設に「賛成」寄りの企画だと見做されているのだろうか? しかし、生徒たちにはまだ大人のような固定観念はなく、これから見聞きするものから自分の考えを作っていくところなのだから、きっと両方の意見を聞きたいだろう。(続く)

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お話を聴いた後、伊藤さんたちに駆け寄る女子生徒たち。地域を超えて世代を超えて交流が広がる。