よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

雪の浜通り ~京都発!「福島震災復興プロジェクト」②~

震災直後、さまざまなニュースが気になったけれど、実際に福島に来ることはできなかった。私が初めて福島を訪ねたのは2016年の春。新聞社を辞めてすぐだったが、震災から既に5年も経っていた。それ以来たびたび訪れるようになり、数えると結構な回数になるが、それはいつも春先から夏にかけてのことで、厳冬期の福島は初めてだ。東京も福島もこの冬一番の冷え込みというこの日、いわき駅前でも雪が降っていた。浜通りで雪が降るのはきわめて珍しいそうだ。

新緑の晴れた日と、雪混じりの寒い日とでは、同じように人の気配のない荒涼とした風景もずいぶん違って見える。京都から初めてやってきた生徒たちにとっては、福島浜通りの第一印象はかなり陰鬱なものになりそうだ。

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6号線を北上する道中、バス内で岡田先生がいろいろ解説してくださった中に、「以前はこの辺にはもっと除染土があったんですけど」という話があった。大熊町双葉町にできた中間貯蔵施設への除染土の輸送が本格化し、2018年には約180万トンが仮置き場から搬出されたという。

josen.env.go.jp

そう言えば、フレコンバッグがもっとあったはずだが、記憶というのは怪しいもので、前に来た時どの辺にあったのかという位置はもう忘れてしまっている。2019年には輸送量を400万トンに増やす予定だそうだから、約1400万トンという輸送対象除染土が数年の内には全て中間貯蔵施設に搬入され、30年間保管されることになる。原発被害の象徴のようでもあったフレコンバッグが目に触れることはなくなるわけだが、あの黒い袋がうず高く積み上げられ、目の届く限りはるか遠くまで続いていた光景を忘れてはならないと思う。除染にまつわる何ともスッキリしない話も。

除染情報サイト:環境省

バスは富岡町に入り、6号線に面して唐突に建つ特定廃棄物埋立情報館「リプルンふくしま」を見学した。

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除染土の中間貯蔵とはまた別で、特定廃棄物埋立処分の対象になるのは、10万ベクレル/キロ以下の廃棄物。福島県内の8000ベクレル/キロを超える放射性物質を含む廃棄物、対象地域内で発生した災害廃棄物や家の片付けごみ、双葉郡8町村の生活ごみなどである。この埋立処分事業を中心に、福島の環境再生について、「見て、触れて、学べる」施設がリプルンふくしまである。そう言えば、昨秋Jヴィレッジで開催されたベラルーシの学生との交流プロジェクトの報告会にもこの施設の名前は出てきた。

chihoyorozu.hatenablog.com

「動かす」「さわる」「遊ぶ」をコンセプトに事業の概要や必要性、安全対策、進捗状況等をデジタルコンテンツを用いた常設展示により、体験しながら理解することができると謳っているだけあって、最新のテクノロジーを駆使した充実の展示内容である。

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特定廃棄物処理場の模型にタブレット端末をかざすと液晶画面に説明が表示されたり、モードを変えると埋め立ての行く末の時系列がARで見られたり、プロジェクションマッピングで説明がわかりやすく表示されたり。小さい子どもにもわかりやすい展示・・とあの時の高校生が語っていたのはこれだったかと合点が行った。

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ヒト型の模型と放射性物質からの距離で放射線量の減衰を示すなど放射線の性質を楽しく学べるマルチタッチテーブルで、制限時間内にクレーン車を動かして画面上の土を盛っていくゲームに興じる生徒たちは、やはりイマドキの子たちである。

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ゲームを通じて楽しく学べることは、放射性物質に対する過度の恐怖を払拭し、廃棄物の処分に対する理解を得るには確かに良いことだと思う一方、このようなゲームには、放射性物質のリスクを忘れさせる効果もあるような気がする。真新しく立派な展示自体に何となく違和感があった。もちろん、学ぶことは大切なのだが。

実際の特定廃棄物処分施設は、元は管理型処分場だったフクシマエコテッククリーンセンターを活用している。富岡町楢葉町の境目の山間にあり、リプルンふくしまからバスで10分ほどだったろうか。小雪が舞う中、ヘルメットをかぶり、坂道を上ると、敷地の奥に巨大な窪地の工事現場があった。

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後日、公式サイトで確認したところでは、約9.4haの処分場に約4.2haの埋め立て地があり、埋立容量95万㎥のうち、残余容量は74万㎥。土堰堤の分を除いて実際に埋められる廃棄物の容量は65万㎥で、「十分な容量を有している」とあった。

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施設概要 | 特定廃棄物の埋立処分事業情報サイト

埋立完了後も国が責任を持って管理することになっている。埋立期間中と同様に、浸出水の処理や施設の点検・保守を継続し、安全性を確保する。また、地下水や浸出水処理施設からの処理水の水質、敷地境界での空間線量率などについても、継続的にモニタリングを行うという。中間貯蔵施設のように最終処分場に搬出されることはなく、特定廃棄物はこの地にずっと埋められ、埋立地は覆土され、最終的には周囲の山林と区別がない緑地にしていく予定。

安達高校の卒業生として参加していた大学生は、それでは原発事故の悲惨さの証拠隠滅だと厳しく指摘した。山奥に隠した感じにしか思えないと。確かにそうだ。そうかと言って、8000ベクレル/キロ以上の放射性物質が含まれるごみをあちこちに放置するわけに行かないことも理解できる。中間貯蔵施設で保管して30年後には最終処分場へ輸送するというステップを踏んで処分するほど放射線量が高いゴミではないものの、まとまった形で埋めておくほうがよいのだろう。水が浸み出していないかどうか、放射線量はどうか、国が継続的に管理することになっている。そして、この地に放射性廃棄物が埋め立てられていることを忘れず、次の世代にも語り継いでいかなければならないと思う。高レベル放射性廃棄物地層処分の場合は、「人が管理」できる時間を遥かに超えた万単位の年数を想定するから深地層に委ねて「忘れる」しかないという考え方になるようだが、そこまでの放射線量でない場合には、それを管理できる以上、あくまでもそのような廃棄物をもたらした人間社会が管理する責任を負うということだ。放射性物質でなくても、都内の各家庭から出る不燃ごみが一体どこに埋め立てられているのか、日頃は意識していないことにも今さら気づかされる。有毒な化学物質が多々含まれているというのに。

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処分場を後にして、6号線に戻りさらに北上。富岡町にある双葉警察の北側公園内に展示されている津波で被災したパトカーを見る。避難誘導のため最後まで沿岸部を走り回っていたパトカーに乗務していた2人の警察官は殉職された。

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夜の森地区の帰還困難区域との境界のゲートは、何度見ても境界線の不条理を感じないではいられない。厳冬期のこの日は、無人の家々が一層寒々しく見えた。

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浪江町に入った頃には4時を過ぎて、どんよりした空が一層暗くなってきた。時間的に請戸地区はバスで周るだけになったが、大平山霊園では少しだけバスを降りた。以前の墓地は津波で焼失し、現在の高台に新しく作られた霊園である。そこは請戸小学校から避難した児童たちが辿り着き全員助かった高台でもある。2017年に建立されたばかりの新しい慰霊碑があった。

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今回のプログラムがひと通り終わった後、帰路の郡山から東京までの新幹線の中で、生徒たちに少しだけ話を聴いた時、研修ツアーでいちばん印象に残った場所はこの霊園だと答えた生徒がいた。「あの遺跡みたいなところ」と彼は言った。

震災後に新しく作られた霊園なのに、「遺跡」というのは、妙な表現、あるいは勘違いかと思ったけれど、確かに、ここは後世、平成の遺跡として残るかもしれない。復興が進むにつれて、フレコンバッグや特定廃棄物というごみが片づけられ、浜通りの風景はどんどん変わっていくだろう。福島第一原子力発電所廃炉が完了するまでにはまだ何十年あるいは百年以上かかってしまうかもしれないが、年々刻々その姿は変わっていくだろう。無人の街並みに人の気配が戻ってくるのはいつだろう? それでも、少しずつ変わっていくはずだと思う。

これまでにも何人かの人から、復興はまず「お墓」からと聞いた。避難している人々も、折に触れてご先祖様や身近な亡き人のお墓参りに帰って来る。そういう大切な場所だから、家を再建するより前に、まずお墓を再建するのだと。前の墓地が津波で流されてしまったから、今度こそ絶対に流されない場所として、この大平山の高台を選んだはずだ。ならば、この霊園は確かに遺跡になっていくに違いない。平成時代にこの地を大きな津波原発事故が襲ったことをいつまでも忘れないための遺跡である。(続く)