よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

福島の食べ物を贈る ~京都発!「福島震災復興プロジェクト」④~

研修ツアー2日目の「コミュタン福島」での長い一日の後半、午後2時から「福島の食べ物に対する風評被害」をテーマにワークショップが行われた。「福島の食べ物を自分の家族や友達に勧めるための手紙を書く」という課題。朝から県の施設に缶詰めで、原子力放射線の基本や震災後の福島の状況について健気に学んだ生徒たちにとっては、いっぺんに詰め込まれた知識をなんとか消化しながらどう伝えるか、悩ましかったに違いない。

元々、発表する想定ではなかったようだが、各テーブルから数人、自分が書いた手紙を読み上げた。それぞれの書きぶりに生徒たちの個性が滲み出ていて興味深い。

やはり、福島の高校生たちの手紙からは、福島産の食べ物に対する愛情が溢れている。

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「・・・私はこの世に生を享けてから18年間、福島に住んでいます。福島は、山が多くて、海にも面していて山も海もあります。この恵まれた自然の中で育った山の命、海の命を頂いて今日まで生きてきました。私は幸せ者です。おいしい野菜や米、肉、魚を食べて生きてきたのですから。これから私が送ったものを食べるときに感じてください。これらからは、一切わだかまりが感じられないと。風評被害により、たくさん食べ物たちは、悲しい思いをしました。ですが、私は食べ物たちをずっと食べ続けてきました。これが私なりの福島への愛の一つだと思っています。あなたも、福島の食べ物に感謝して生きる糧にしてください。糧になれたのなら、食べ物もとても幸せになれますね。おいしく頂いてください。」(安達高校2年Oさん)

「・・・原発事故などの影響もあり、進んで『福島のものを食べたい!』と感じることは少ないかもしれません。ですが、福島で野菜や果物などを作っている農家の方々は事故前と何も変わらず愛情を持って育てていて、それを私たちは口にしています。山があり、海があり、盆地があり、寒暖差のある福島は、おいしい食べ物が創れる最高の場所だと私はほこりに思っています。『ふくしま』の食べ物と言ったら何を思い浮かべますか?桃、なし、りんごなどの果物、会津のお米、お肉、様々な野菜、いろいろなお菓子・・・たくさんあるんです!!ぜひこのおいしさをあなたにも味わって頂きたいと思います。・・・」(安達高校2年Iさん)

放射性物質を気にするであろう相手に配慮した言葉も見られる。

「福島で穫れたお米と野菜です。お米の方は全袋検査を行っており、基準値を上まわっていないことを確認しております。野菜も検査を行っており、基準値を上まわっていないことを確認しております。
データを同封しておりますので是非。
少しでも不安を感じたり、疑問があればこちらまで。
無理はしなくても大丈夫です。
個人的には、おいしいと思うので味見程度でもいいです。お口に合えば幸いです。福島の民」(安達高校3年Mさん)

一方、京都の中学生たちの手紙には、学んだばかりの知識を総動員して、周囲を説得しようというスタイルのものが多かった。 私の実家でもそうだが、関西方面は福島から遠いので、店頭で福島県産の生鮮食品を目にして敢えて購入を選択・決断する機会が少ないだろうし、それだけに震災直後からの漠然とした不信感、不安感が変わらず、福島県産品を避ける感覚(=風評被害)が固定されている家庭が今でも結構あるようだ。

福島県の桃です。・・・“福島”というだけで心配されるかもしれません。データとかを持ち出して説明するのは少し難しくなるので、しません。ですが、冷静に考えてみてください。人が住める地域で育てられています。そして、その人が住める地域というのは安全が保証されているわけです。そこで育っているということは桃が安全に見えてくるでしょう?そして、それでも不安ならば検査結果がインターネットにあがっているので見てください。今、説得してまで食べてもらおうとしている状況がおかしいのです。“売られている”ということは安全です。ということで福島県の桃をお届けしました。召し上がってください。」(附属京都8年S君)

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「これは福島県産の食べ物です。“福島県産”と聞いてどう思いましたか?“放射線が怖い”などの不安がよぎったかもしれません。しかし、福島県産のお米は『全量全袋検査』といって、福島で穫れた米を入れた全ての袋を検査するものがあります。これは米に含まれている放射線量を測定し、基準値を超えたものをはぶいて、安全なものだけを出荷する仕組みです。毎年660万袋の米袋を検査しているにもかかわらず、ここ3~4年間は、基準値を超えたものがないというデータがあります。また、私は福島に行って実際に福島県産のお米を食べました。とてもおいしかったです。そして、福島では『反転耕』や『はぎ取り』を行って、土から放射性物質を除いたり、セシウムという放射性物質が食べ物に入らないように多重の対策を取っています。京都ではこのような検査をわざわざしていますか?していないですよね。福島では3重、4重の対策をとって全国に食べ物を出荷しています。福島の食べ物は本当においしいです。ぜひ、食べてみてください。」(附属京都8年Kさん)

 

ちょっと驚いたのは、京都の中学生のこんな短い手紙。

「知りあいからいただいた桃です。
私も食べておいしかったので、ぜひ食べてみてください。」(附属京都8年Uさん)

これだけ書いて、そのあとに「”福島”ということを特別あつかいせず、そのままわたすことで不信感をもたせず食べてもらもらえると考えました。もし、それでおいしかった場合、また食べてもらえるのではないかと思いました」という添え書きがある。

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どこの桃かということすら言わないのか?・・・福島で食品の検査をしていることを言うと、却って福島を特別扱いで差別していることを自分でも認めることになるから手紙では敢えてそのことに触れないと彼女は語った。なるほど・・そういう捉え方もあるかもしれないと感心した。そうだよね、でも、福島県産だと言うと食べてもらえないと贈り手自身が考えている状況は悲しいんじゃないかな。こういう雰囲気を変えていくには、産地を伏せて贈ったものを相手が福島県産とは知らずに食べるのではなく、たとえ軋轢があっても、福島がおこなっている食品検査などの努力について、もっと知ってもらうことが必要なのではないだろうか。福島県の人々は、食品検査をしっかりやっているという知識があるからこそ福島県産品を買うのだと以前に「風評被害の専門家」だという学者から聞いたことがある。

 

そういう意味で共感したのは、「福島の食べ物が“大丈夫”だというのがウソじゃないかって信じられないんだよね」と相手の心情に寄り添いつつ、語りかけるこの手紙。

「・・・良いか悪いか決めるのはあなただけど、試す前から言ってほしくない。だからこそ、あなたに食べてもらいたい。知らないのは仕方ないけれど、知ろうとしないでいてほしくない。何の根拠も無く、“安全、大丈夫”って言っているんじゃない。食べてみてよ。知ろうとしないで知れる事なんて、何一つないんだから」(附属京都8年Sさん)

 

人に何かを伝えるのは簡単ではない。さらに、人の考え方や感じ方を変えるなんてことは、ほとんど無理だ。身近な相手ほど難しいのではないだろうか。そもそも相手の考えを変えようなどと思ってはいけないのだ。

それでも、この日に自分が学んだことを誰かに伝えるために「手紙を書く」という行為を通じて、まず一人ひとりの生徒が自分と向き合い、それぞれの考えを整理し、誰かを想定して、どのように伝えるかを考えるのは大事なことだ。そういう落ち着いた時間を確保したという意味で有意義なワークショップだった。受け身で話を聴いているだけではなく、各自、真剣に考えて精いっぱい書いていた。

限られた時間内では、全員が読み上げることはできなかったし、読み上げることを想定して書いたわけではないが、さまざまな思いがこもった書きぶりに、生徒たちもそれぞれ刺激を受けたことだろう。

福島産の食べ物に対する愛情と誇りに溢れた福島の高校生の手紙もあれば、「検査している」「線量が基準値以下」など、新しく学んだばかりの知識を頭で理解して家族や友人にもそれを伝えたいという健気な京都の中学生の手紙もある。どう伝えるかで葛藤する気持ちも手紙に表れている。読み上げたからこそ、自分と異なる発想や感覚を知ることができ、いろいろ感じるところがあったに違いない。

もう少し時間があれば、手紙をきっかけにして、生徒同士で話し合えるとよかったかなと思う。全量全袋検査のことをほとんど知らない県外の人たちに、ちゃんと検査していることを知ってもらうほうが良いのか? あるいは、検査していると言うと、『危険だから検査しているのか?』という不安感が増すから言わないほうがいいのか。

相手の考え方を否定するのではないけれど、お互いの意見を交わすところまでできたら、この問題の難しさについて、さらに考えを深めていけたかもしれない。書いた手紙があるのだから、今後の題材にすることもできるのではないだろうか。(続く)