よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

話し合うこと、伝えること ~京都発!「福島震災復興プロジェクト」⑤~

コミュタンでの研修の最後は「交流会」となっており、「人や住む場所によって異なる放射線や福島の食べ物に対するイメージの違いを話し合い、風評被害について考える」とプログラム上は書いてあったが、要するに生徒たちのディスカッションのために2時間ほど設けられていた。

京都から福島を訪ねた中学生(全員中2)が7名、迎える福島県立安達高校も7名という総勢14人。福島のHさん(高1)、Sさん(高2)、京都のUさん(中2)の3名がファシリテーター(司会)役となって、話し合いが始まった。朝からずっとレクチャーが続いていい加減疲れていただろうが、ようやく生徒たちが話せる時間である。

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冒頭、ファシリテーターから「私たちの方からは最初何も提案しないので、みなさんのほうから、『これだけは話し合っておきたい』『これだけは聞いておきたい』ということがあれば提案してください」と投げかけたところ、早速、京都の中学生から質問が出される。代表7名が福島に来る前に全部で90人いる中2の仲間たちに質問を募ったという。

Kさん(中2):原発事故の前後で生活はどのように変わりましたか?

Iさん(高2):避難区域というわけではなかったが、親が心配して父以外の家族は二本松から新潟県自主避難して体育館とかいろんなところを転々として避難生活をした。(中略)給食のお米が福島県産だったので、うちの親は心配して別に買ってもたせた。

Yさん(OB):放射線とか原発のことを知るまでは、福島県民として福島に住んでいることに誇りを持っていたが、大学に行ってからは、福島県出身であることをあまり言えなくなった。

Kさん(中2)あのような事故を経験して原発の怖さを知った上で、福島の人たちが原発に賛成か、反対か、京都の中学生は気になっています。大人の方々にも聞きたいです。

Yさん(OB):反対。家族の中でも福島の食べ物を食べる食べないとか、避難するとかしないとかで意見が合わない。夜の森地区の桜並木など仲が良かったはずの地域がお金関係で(補償金?)ぐちゃぐちゃになってしまうのも、やっぱり原発があったからなんだなと思うと、やっぱり事故がないのが一番だなと思うので、原発には反対だなと考えている。

Mさん(高3):今は「無」の状態だが、以前は反対だった。仲良かった人たちが仲良くなくなるんなら(原発は)なくてよかったかな・・と思う。

Oさん(高2):逆になんですけど、私は原発に思い入れがあるというか、反対ではないんですよ。どちらかと言うと賛成派で、なんというか、みんなが思っているようなマイナスのイメージは、全部が原発のせいではないと私は思ってるんです。惚れたというか、勘違いしないで聞いてほしいんですけど、私が好きなのは原発の外観とかそういうことなんですけど、もちろん、反対派の人たちの意見もよくわかります。でも、すべてがすべて、原発のせいにはしてほしくないなあと思います。

Iさん(高1):私は反対。福島の原発は東京の電気を作っていたのに、東京の人たちから福島が汚いとか危ないとか言われ、福島に原発があったからそうなっただけで、原発がなければそんなことにはならなかった。

Iさん(高2):原発はないほうがいいんですけど、それに代わるエネルギーが見つからない。

司会:ここまで出た意見に対して何かあれば出してください。

Yさん(OB):すべてを原発のせいにしてほしくないという具体的に例があれば教えてほしい。

Oさん(高2):そもそも・・・(このあたりよく聞き取れず)・・・私は、原発をあまり悪く言われたくないです。

Nさん(中2):反対から「どちらでもない」に意見が変わった理由は何ですか?

Mさん(高3):原発に代わるものがない。原発をやめると日本が破たんすると思う。

Kさん(中2):今、附属京都がやっている活動について、福島の人はどう思っていますか?最初は自分たちも放射線について無知だったし、2年生90人全員が放射線に興味があるわけではありませんが、こうやって自分たちの意志で来て、こういう活動をさせていただいていることについて、どう思っているのか聴きたかったので教えてください。

Iさん(高2):原発事故をきっかけに、他府県の生徒たちも自分たちの県のことをこんあに考えてくれているんだということは刺激になった。

Mさん(高3):高1からずっと活動していますが、あ、仲間だったという心強さがあります。

Yさん(OB):ふつうに「いいなあ」って思ってます。私自身も知らないことが多いから一緒に新しいことを知ろうという活動に参加しています。それから福島県の人だとなかなか言えないことを伝えてほしいなあと思います。

Iさん(高1):一人でも多くの人に福島のことを考えてもらったり、知ってもらえたりすることを、ほかの人にも福島の良さを広めてもらえるのではないかと思います。

Sさん(高2):福島にいるから近過ぎて興味がないっていう子もいっぱいいて、でも、他県の子が福島についていろいろ考えてくれてるのがすごいなあと純粋に思ったし、自分たちだけでは気付けないこともいろいろ知れたりするので、こういう活動を行っていることについては感謝の気持ちしかないです。

司会:では、逆に京都の子たちはなぜこの活動をやっているのか、この活動で自分はどうしたいのかとか、ここに来た理由とかを聞いてみたいです。

S君(中2):最近、野ケ山先生が言っておられたんですけど、原発事故の問題は僕らが大人になっても何十年も続く問題なので、少しでも知識を持っている人が多かったら今みたいな風評被害も小さくなるのではないか。自分たちから積極的に知ろうとすることが大事だと思うんで、難しいことばかりだと思うんですけど、将来の役に立つと思って参加させていただきました。

Sさん(中2):最初は野ケ山先生の話を聞いて、面白そうだと思った。今まで知らなかったことを知りたいという気持ちが強くて、原発については、自分であまり意見がないときに話を聞かされたので、ネットなどで調べるうちにすごく疑問が膨らんで、それに対する答えが得られるかと思って参加しました。

Tさん(中2):こういう取り組みをする前は知らなかったことも多いし、気にもしていなかった。他人事みたいな感じやったけど、ちょっとかじっただけでも他人事にはしてられないなと思った。自分もこういうのに積極的に取り組むべきじゃないかと思い、一人一人が自分から知ろうとすることが大切なんじゃないかと思う。今回、福島に行きたいなと思ったのも、学校ではこういう取り組みをしてますよ、という話を聞くだけで、実際に行ってみないと、雰囲気とか、見てみないとわからない、知りたいなと思って参加しました。

Kさん(中2):私は、親がずっと福島の食べものは怖いとか危ないとか、そういう意見を根強く持っていて、小さい頃から福島は怖いというイメージがこびりついている。この学年になって、こういう活動を知った時にインターネットで少し調べてみたが限界があった。福島大の岡田先生が京都に出張講義を来られたのを聞いて、親の意見だけに縛られ過ぎず、視野が広がると思い、福島に行ってみることにした。

O君(中2):僕もこういう活動に参加するまではあまり知らなくて、好奇心で参加しているうちに、深く知っていきたいなあと思い始めた。語り部さんの話を聞いて、過去の原発の話をすることに批判的な人もいると知った。僕たちがこういう活動をしていることにも複雑な思いの人もいるかもしれなくて、自分勝手かなあと思うんですけど、仲間になりたいという思いで参加してます。

Nさん(中2):私も始めは興味なかったが・・・(中略)・・・自分が知って、身近の人にも伝えられるようになりたいと思う。

Uさん(中2):はじめは興味本位で行ってみたけど、全然単語がわからないし、何言ってるかわからなくて、全然理解できなかったんですけど、回を重ねるうちに、わかることが増えて、話し合いをするというのが面白いなと思って、ほかの県の人の意見が聞けたりするのが面白くて、青森(六ヶ所村)とか、今回の福島とか、やっぱり、人から聞いている話でもわかる部分もあるけど、やぱり、現地の人の声を聴いてみたり、現地の風景とか雰囲気とかを感じることで、京都では学べないことが学べるなと思って、今回福島で人がいない町とか、津波に飲まれて平地になったところとかを見て感じるところがあったので、実際に見てみないとわからないなと思って参加している。

Kさん(中2):語り部さんの話を聞いて一番驚いたのが、「震災からまだ8年」と言うてはって、京都の自分たちからしたら、親は「震災からもう8年も経った」という言い方をする。捉え方が全く違うというのも来てみて初めてわかりました。

Tさん(中2):今日一日、いろんな人の話を聞いてきて、事故があってから、復興が進んできていることとか、食べ物が大丈夫なこととか、そういうことがあることも知ったし、まだ帰れない地域があることも、震災の被害に遭われた方はマイナスのことを心に溜めこんでいることとか、マイナスの面もあると思うんですけど、この活動を人に伝える時、「復興してます」というプラスのことだけじゃなくて、マイナスのことも伝えていったほうがいいと思いますか?

Mさん(高3):私は(プラスもマイナスも)どっちもセットで両方伝えたほうがいいなって思います。福島いいなって言うと、(原発を?)擁護しているみたいに思われそうだし、マイナスのことだけ言うと「まだまだなんだな」と思われる。

Yさん(OB):私も両方伝えたほうがいいと思う。プラスの面だけ言うと「あ、もう大丈夫なんだね」ということで忘れられそう。でも、マイナスのことばっかり言うと、風評被害がなくならないのがイヤだなと思う。

このほか、「語り部さんのように、トラウマになっている過去のつらい話を思い出したくないと思うか?」「大人になったら福島に残りますか?それとも県外に出たいですか?」などの質問が京都の中学生から投げかけられ、福島の高校生たちが自分の思いを語ったところで、司会から一旦休憩のアナウンス。

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休憩から戻ってきたら、教職員の大人たちが教室からぞろぞろ出ていくではないか。なんでも、生徒たちから「自分たちより多い人数の大人たちに囲まれていては話しにくいから出て行ってほしい」とのこと。で、「井内さんだけ残ってください」と言うのだ。え?私はいていいんですか?「オブザーバーとして来たんだし、先生じゃないからいいんですよ」と促される。妙な感じだったが、私は会議室に残って、片隅で黙って彼らの話し合いの続きを聞いたのであった。

休憩前の話し合いが至極まっとうでそれはそれで感心したのだが、思えばそれは少しまとも過ぎるディスカッションであった。大人たちが聞き耳を立てて「見守る」ディスカッションに、生徒たちは窮屈な思いをしながら発言していたのかもしれない。彼らの要望に従って大人たちが出て行った後の会議室は俄然リラックスした雰囲気になった。生徒たちは彼らのペースで話し始めた。ファシリテーターは「司会」という感じではなくなり、喋りたい人が自然に口を開き、聞いているのかいないのか、同時に何人かが話していたり、しょっちゅう笑いが起きたり、なにやら楽しげだ。お互いにぎりぎり聞こえる程度の大きさの声の内容を全部を聴き取ることはできなかったが、彼らの輪の中に入ったり近づき過ぎたりすると、ありのままの対話を壊してしまいそうで、私は少し離れた席から眺めていた。

  原発賛成・反対についてずーっと考えてて、私が信じていた政党はみんな『原発ゼロ!』みたいな感じで、自民党ですらもう止めようって言ったり、本当にそれでいいのかと思うんですけど、どう思いますか?」
「今決めるべきではないと思う」
「いっそ日本が必要とする電力の量をうんと下げる」
「今ある原発をそれ以上作らせないために、今以上に電力を必要とする社会を作ってはいけない」
「アホな政治家をあまり当てにしてはいけないと思う」
「私たちは、ここでいろいろ学んでいるんだから、人よりはたくさん知ってるわけじゃない?そういう私たちが誰かに伝えたりだとか、行動しないと何も変わらないんじゃないかなって思う。国や行政からの情報が信じられないって言ってる人たちも子どもたちが言うことは信じられるんじゃないのかな」
「学校の中で発表の機会があるんだから、少なくとも学校内の人には伝えられるんじゃないの」
「子どもだからこそできることがあるんじゃない?」
「大人には大人の事情があって言えないことがあるから、そういう言えないことを子どもが発信していけばいいって言ってた大人がいた」
「何を発信するの?」
「同級生に広めるのはめんどうくさい」
「子どもたちから大人に伝えるのがいちばん伝えやすい」
「新聞の投書欄は?」
YouTubeの情報は信じてもらえない。SNSは自分の興味あるものしか見ない」
「活動内容をパンフレットにしたら?フリーペーパーとか」
「何を伝えるの?内容は?」
「事実を伝える。全量全袋検査してますよーとか」
「感情が入ると押し付けになる」
語り部さんの物語も風化させずに教訓として伝えたい」
「出来事自体を語り継いでいく意味があると思う」
原発事故で被害を受けた人の気持ちはどうなるの?」
「事実だけを伝えてもへーえで終わる。人を動かすには感情も必要だと思う」
語り部って10年20年経ったらいるだろうか?」

今回の研修参加者は圧倒的に女子が多くて男子はたった2人。少数派はおのずとおとなしく聞き役に回っていたが、司会に促されたS君が発言した。

「この問題はすぐには終わらなくて続いていくんで、小さい頃からある程度のことを知っておいたら、大人が話していることやニュースの内容もわかって、自分なりに考えたりできるので、子どもは頭がやわらかいから、大人では出ないような考え方も出てくるんで、ある程度の事実を踏まえて体験談も聞いたらいいのではないかと思う」

それについて、またみんなから意見が出る。
語り部さんを学校に呼んで、学校で話してもらう」
「修学旅行で福島に来てもらって、そこで語り部さんの体験談を語ってもらう」
「子どもから大人に直接アプローチすることはできるのか」
「東京の高校で生徒が直接澤田先生にアプローチして『放射線の授業やってもらえませんか』って頼んで学校に来てもらったって聞いたことがある」
「私は先生に『君たち、授業してもらえない?』って言われたことがある」
「こういう活動をやっていることをほかの学年にも知ってもらいたい」
「こういう機会があるってことがありがたい」

このあたりで、ふと入ってきたのは地元紙の記者だった。生徒しかいないこの状況に怪訝そうな顔をしながら、唯一そこにいた大人である私に小声で話しかけてこられた。少しばかり様子を眺めて、話し合いが終わってから司会役の高校生に二言三言インタビューしていたのが翌日には記事になっていた。この研修の全体像やなぜ生徒だけで話し合っていたのかという流れは抜きにしても新聞記事は書けるのだ。そういうものだな。

「あと5分ぐらいだよー」と時が経つ早さを感じながら、生徒たちの話し合いはこんな調子で続いた。とくに何かが決まるわけでもなく、大人が期待するようなきちんとしたディスカッションとは言い難かったが、すっかり打ち解けた生徒たちはざっくばらんに本音を出し合っていた。何でも言って大丈夫という安心感と信頼感があったからこそ、大した意見じゃないような思い付きでも何でも、ああでもないこうでもないと考えを出し合うことができ、互いの考えを知り、自分の考えを深めることができたのだ。時間いっぱいまで「対話」を楽しんで、生徒による生徒のための生徒だけのセッションは終了した。(続く)

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