よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

京都と福島、ご縁はつながる ~京都発!「福島震災復興プロジェクト」⑥~

そうこうしているうちに年が改まってしまった。京都発!「福島震災復興プロジェクト」の福島ツアーに同行してからもうすぐ一年になるではないか。なんということ!

研修の内容自体はこれまでのブログにだいたい記しておいたが、何かまだ書き足りないことがあって、この最終回を予定していたようだ。細かいことはもう忘れてしまったが、印象に残っているシーンが3つある。

まず初日の夜。二本松市内の宿舎に着いてからの振り返りミーティングの時、野ケ山先生がおっしゃったこと。

「君たち、わかってる? 久々に会えて楽しいと思うけど、その元を辿ると原発の事故があるんだよ。」

そう。あの事故がなければ、福島の高校生たちと京都の中学生たちがこんなふうに交流することはなかっただろう。因果なご縁だ。

あの事故がなければ、日本は普通に原子力発電を続けていただろう。地震津波で夥しい人の命が失われ家々が流されてしまった。妙な仮定だが、あの地震津波でも原発が持ちこたえ、水素爆発を起こさず放射性物質の拡散もなかった場合はどうだったかと考えてしまう。原子力発電所の安全性は大したものだということで安全神話がさらに強化されただろうか?

元々そんな神話は誤りだった。

原発自体がいけないのか? 他国はともかく自然災害が多い日本では無理なのか? もっと安全対策を講じるべきだったのか? これからもっと安全対策を講じたら再稼働できるのか? リスクゼロでない以上、やっぱり原発は動かしてはいけないのか? リスクゼロってあるのか?リスクゼロではないし何万年経っても毒性が変わらない猛毒物質を扱うほかの化学工場などはなぜ動かしてよいのか? 放射性物質というのはよっぽど特別に危ないものなのか?・・・私の考えはいつも堂々巡りしてしまう。

そんなことも、あの事故がなければ考えなかった。あの事故で人生が変わったという人の話をよく聞く。大袈裟に言えば私の人生もかなり変わった。あの事故がなければ、このような形で福島に来ることはなく、たぶん新聞社を辞めず、もっとコンサートやオペラに行って、英語の記事もたくさん書いていただろう。

でも、そのほうが良かったのに・・とは思っていない。事故はないほうが良かったに決まっているけれど、その出来事をどう受け止めてどう行動するかは、それぞれの人生なのだ。私はもはや、あの事故がなかったかのように今日のコンサートの出来がどうだったかだけを考えることも、気楽に反原発を叫ぶこともできない。

その意味で、中学生サミットやこの福島ツアーに来ていた生徒たちは、人生の早い段階で起きた一つの事故をきっかけに、私が中学生や高校生の頃には想像もしなかったようなことを見聞きし、自分の頭の中でぐるぐると考え、周りの仲間と話し合っている。それはすごいことだと思う。

そして2日目の夜。そんな生徒たちの別れのシーンが心に残る。コミュタン福島で一日中の研修プログラムを共にして、最後は輪になってざっくばらんに話し合った生徒たち。夕食は、浪江から避難して二本松の駅前に開業している杉乃家で「浪江焼きそば」を一緒に食べた。いよいよサヨナラという段になると、福島と京都の女子生徒たちのハグが始まり、日頃は早口の京都弁でハキハキ喋るしっかり者のUさんがボロボロ涙を流して名残りを惜しんでいた。震災と原発事故がなければこんな年頃で出会うこともなかったであろう京都と福島の生徒たちが、こんなにも仲良くなって、すぐには解決できない難題に一緒に取り組んでいこうとしている。その絆を深めた二日間だった。

そして、もう一つ印象的だったのは、この企画に関わっておられる先生方の姿勢である。とりわけ記憶に残っているのは、二本松の駅で思い切り手を振って見送ってくださった安達高校の石井先生、郡山市ふれあい科学館を案内してから郡山の駅でお別れした福島大学の岡田先生。お二方のはじけるような笑顔であった。

この研修ツアー自体も、自分がそれに同行することになったご縁も不思議というほかないが、そもそも「企画」というのはそういうもので、ご縁はその後も次々につながっていった。

以下は備忘録。

  • 2月9日~11日 京都発!「福島震災復興プロジェクト」に同行
  • 3月7日 京都教育大付属京都小中学校で報告会に参加
  • 3月14日~15日 東京学芸大学附属国際中等教育学校(TGUISS)の高校生たちの福島研修に同行。浜通り福島第一原発構内を見学
  • 4月12日 TGUISSにて研修ツアーを振り返る座談会を開催
  • 8月20日~22日 中学生サミット in 京都に同行
  • 10月10日~14日 ふくしま浜通りHIGH SCHOOL ACADEMY(英国高校生との交流)に通訳として参加。

こうして振り返ると、福島第一原発の事故があったことによって初めて原発問題を意識するようになったに過ぎない自分が、このように次代を担う若者たちと共に学び、彼らの声を聴く機会に恵まれていることに感じ入る。

当分解決しそうにない難題を考え続け、考えが揺らぎながらも、今年もご縁に導かれてさまざまな人たちとの出会いと再会に恵まれることを祈る。(終わり)

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