よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

ルドヴィート・カンタ「ベートーヴェン チェロソナタ全曲コンサート」

ひょっこりご連絡をいただき、久々にカンタさんのチェロを聴きに行った。何年ぶりだろう。日に日にエスカレートする新型コロナヴィルスのニュースに翻弄される今日この頃、一週間ずれて今週の話だったら、コンサートは中止になっていたかもしれない。

f:id:chihoyorozu:20200227165440j:image

カンタさんにインタビューさせていただいたのは2011年6月、震災直後のこと。スロヴァキアのブラチスラヴァ出身で、1990年に来日して以来オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の首席チェロ奏者を務めていたカンタさんの来日20周年を記念するコンサートが、震災の年に重なってしまった。

www.japantimes.co.jp

9年近く前のことで、こまかい中身はほとんど忘れてしまったが、流れでなんとなくワイン片手にお話することになり、日本語での楽しいインタビューだった。スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を8年務めてから来日したというカンタさんに、
「なぜ日本に来られたのですか?」と尋ねた。

ベルリンの壁崩壊とソ連解体の激動を経て、旧東欧圏のチェコ・スロヴァキア(当時)でもようやく海外渡航が自由になった。その頃ちょうどOEKでは広く海外からも団員を募集しており、カンタさんは、
「そうだ、日本に行ってみよー」と思ったという。わりと軽い気持ちで。転機はこうして訪れる。人生のドラマだ。

インタビューの中でもう一つ覚えているのは、その記念コンサートで日本初演される予定だったチェコの作曲家マルティヌーのチェロ協奏曲について質問しようとしたこと。当時それなりに下調べして行ったわけだが、カンタさんは「よく勉強してきたねー」といたずらっぽく笑った。付け焼き刃がバレバレだったのだろう。

どうしても本番を聴きたくなり、東京から日帰りで金沢まで出かけた。まだ北陸新幹線が開通する前で、確か、上越新幹線で越後湯沢まで行ってから信越本線北陸本線を乗り継いで片道4時間以上かかったと思う。金沢駅前の石川県立音楽堂は満席のファンの拍手に包まれ、カンタさんがいかに地元金沢の人々に愛されているか、そのことに私は感動した。もちろん、OEKとのコラボによるマルティヌーの初演も、「日本人が大好きな」(カンタさん言)ドボコン(ドヴォルザークのチェロ協奏曲)も素晴らしく、何とも温かい演奏会だった。

2018年3月にOEKを定年退団後も金沢を拠点に音楽活動を続けておられたはずだが、しばらくご無沙汰したままだった。

 

そんなわけで、とても楽しみだった今回のコンサート。

イベント自体が中止にならなくても、用心のため予定をキャンセルする人も結構いるので、誘ってみた友人のことが少し心配だった。キャンセルも残念だけど無理して来てもらうのも申し訳ないかな・・と思っていたが、己れの免疫力を信じるという互いの似たような感覚を確認の上、予定通り、大手町の読売新聞本社ビルの1階ロビーで待ち合わせる。

よみうり大手町ホールは33階建ての立派な新本社ビルの4階にある。多目的ホールだが用途に合わせて残響を調整できるらしい木製の壁面がなかなか美しい。約500席が満席とまでは行かなかったものの、ベートーヴェンチェロソナタ全曲演奏というマニアックなプログラムにしては上々の入り。音楽評論家筋のお顔を数名お見かけしたし、さる通信社OBの音楽ファン氏が声をかけてくださった。これまた久方ぶりの再会。

なにしろ新型肺炎のリスクがあっても今宵限りのコンサートを聴きたいというカンタさんのファン、またはチェロ、ベートーヴェンが好きという人々がじっと聴き入り、静けさの中に心地よい緊張感がみなぎる場となった。

今年はベートーヴェン生誕250年。毎年誰かしらのメモリアルがあるので、ああ今年はベートーヴェンかとぼんやり聞き流していたが、そうか、ベートーヴェンは1770年生まれだったかと改めて認識する。フランス革命が青春という激動を生き抜いた世代なのだ。250年経っても記念してもらえる偉大さに改めて感じ入る。

とは言え、恥ずかしながらベートーヴェンチェロソナタを全曲通して聴くのは初めてだった。そもそもチェロのリサイタルに来たのが初めてかも。オーケストラの一翼を担うチェロ集団、協奏曲のソリストたるチェリスト、そして、トリオやクァルテットなど室内楽チェリストは何度となく生のステージに接したが、チェロとピアノのためのソナタの場合、あんなに近く寄り添って演奏するとは知らなかった。チェロ経験者である隣席の友人によると、「そんなもんだ」ということだったが、今回の共演者であるドイツのピアニスト ユリアン・リイムとの絶妙な掛け合いの中で、時折、ピアニストが右へ、チェリストが左へ顔を向け、それぞれのタイミングで相方に視線を投げる感じや、楽章の終わりでタイミングを合わせようと二人の顔がくっつかんばかりに(客席からはそう見える)寄り添う姿は、〇ー〇ズ・ラブ(あるいは、〇ッサ〇ズ・ラブか)のようでドキドキする。CDだとわからないライブのビジュアルの醍醐味だ。

5つのソナタはそれぞれ全然違った曲で、若かりしベートーヴェンの試行錯誤が感じられた。このように通しでちゃんと聴いたことはなかったが、随所に、ピアノを習っていた頃に魅了されながら弾いたメロディに似たフレーズや不思議なアクセントの置き方が現れる。一部はどこかで聴いたことがあるのかもしれない。

1番と2番は1796年の作曲。ベートーヴェン25歳の時である。その少し後にピアノソナタ第8番『悲愴』が作曲された。なるほど。そんな感じのする悲劇の騎士っぽいカッコいいパッセージが散りばめられている。3番は1808年(38歳)、交響曲5番『運命』や6番『田園』と同時期だ。4番と5番は1815年(45歳)、既に聴覚は失われ、交響曲で言えば7番や8番が作曲された後になる。それぞれに味わい深いが、今日の気分にフィットしたのは2番と3番だった。3番の冒頭のカンタさんのソロがしみじみ良かった。

チェロの音色は、押しつけがましくなく、馥郁たる響き。しかし、いざという圧力をかけた時の弦の振動が力強く心地よい。楽器を両足に挟んで弾く奏者が顔を左右に振る陶酔の姿と言い、本来バリトンの歌手が無理してテノールの声を出そうとするように喘ぐ感じの高音域と言い、独特の色気があって、秘かに憧れ、勝手に痺れていた。ピアノとのコラボにも安心感がある。ヴァイオリンソナタだと、なんとなく性格の違うピアノとヴァイオリンが丁々発止で張り合ってる感じになるが、チェロソナタは、今日こうして聴いてみると、華やかに弾きまくるピアノを手の平の上で転がしているようなチェロの包容力を感じさせるセッションだった。もちろん、それはカンタさんとリイム氏の確かな技量に支えられ、ぴったり息の合ったコラボだったからこそ。緩急自在の展開と変幻自在の音色にうっとり聴き入る。

間に短い休憩を2回挟みつつ、5曲全曲を通して聴くのはなかなかエネルギーを要することだったが、演奏するほうはもっと大変だっただろう。今頃だが、ベートーヴェンの名曲に新たに出会えたことに感謝する。250年も前、日本はまだ江戸時代という頃に遠い異国で生まれた人が創った音楽が心に沁みるとは不思議な話だが、何か普遍的な美しさを求める気持ちが時空を超えて共有されているのではないだろうか。

演奏後、拍手に応えて舞台に戻って来たカンタさんは、「今年は日本とチェコ・スロヴァキア(当時)の外交樹立100周年にあたり、音楽イベントもいろいろ予定しています」と流暢な日本語で客席に語りかけた。

来日20周年だった震災直後の5月、カンタさんは宮城県に赴き、被災地の東松島、女川、石巻、仙台の避難所で慰問演奏会を開いた。 それからまた9年が経ち、もうすぐ来日30年になろうとしている。

ロビーはサインを求めるファンの列が長く、残念ながらカンタさんにご挨拶する時間がないまま会場を後にした。次の機会を楽しみにしながら、自宅でベートーヴェンチェロソナタを繰り返し聴いている。

今週に入り、あちこちで一期一会の音楽イベントが中止になった話を聞くと心が痛む。新型肺炎COVID-19の脅威が一日も早く収束することを願うばかりである。