よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

オーケストラ@コロナ禍

最後に生のコンサートを聴きに行ったのは2月半ばだったろうか。そうこうするうちに新型コロナウイルスの感染拡大により、都内のコンサートは軒並み中止か延期になってしまった。今、オーケストラはどうしているのだろう?

そんな中、3月19日にメールで届いた東響ニュースリリースに驚いた。

東京交響楽団が3月28日にサントリーホール定期演奏会を開催するという。外国人ソリストの招聘は取りやめ、横須賀芸術劇場少年少女合唱団は出演を断念。オケと東響コーラス、日本人ソリストら出演者全員に対し毎日の検温と体調チェックを続ける旨が記され、さらに、医師の指導のもと、最大限の感染予防と拡大防止のための対策として詳細なリストが付いていた。

tokyosymphony.jp

今から思えばリスクの高い話だったが、とっさの反応として、その『マタイ受難曲』をぜひ聴きたいと思った。また、この時期にコンサートを開催する東響の覚悟をぜひ伝えたいとも考えた。しかし、その翌週の24日に東京オリンピックパラリンピックの一年延期が決まり、25日夜には都知事の週末外出自粛要請の緊急会見があり、前後して24日に東響は、28日(土)の演奏会を8月に延期する旨の【急告】を出した。

そこで、「この時期に開催された稀有なコンサート」ではなく、「刻々と変化する状況でぎりぎりの決断を迫られているオーケストラの必死の自助努力」という内容で、ジャパンタイムズに小さな記事を書くことになった。こんなことしかできない非力を重々感じながら、日本のオーケストラ、とくに自主運営の演奏団体の苦闘の一例として伝えたものである。

www.japantimes.co.jp

当初はインタビューもお願いしていたが、時節柄、電話でお話を伺うことに。

「ここ1、2週間が正念場だから自粛を」と言われ続けたコロナ禍に翻弄されながら「もがき続けている」と大野楽団長は語った。

少し振り返ると、2月29日(土)に安倍総理がこの事態に関して初めて記者会見を行い全国の学校の一斉休校を要請して以来、3月に東響がオケピットに入る予定だった新国立劇場でのオペラやバレエなどの依頼公演がすべて中止になった。自主公演分も含め、これまでの損失額は11公演で約5000万円。

3月8日(土)と14日(金)にはミューザ川崎との共催2公演について、初の試みとして無観客ライブストリーミングを実施。全国で延べ20万人がニコニコ動画で視聴したことが話題になった。無料視聴だったが、オンライン投げ銭システムを活用した小口の寄付が290件でトータル140万円集まったことも、「予想を超えた反響があり、とても感謝している」と大野氏は言った。

3月半ば、自粛ムードがなんとなく緩んだ。14日(土)の安倍総理の会見には「学校の卒業式なども実施を」などの言葉があり、三連休中、人々は(自分もだ)は花見に繰り出した。東響も3月21日(土)のオペラシティで演奏会を予定通り敢行。このご時世に久々の生のコンサートとして、出席者たちのコメントからも感動的な雰囲気が伝わってくる。

上述の通り、28日(土)の『マタイ受難曲』@サントリーホールも開催する方向だったが直前に延期となった。

4月の3つの演奏会については、4月1日(水)の段階で東響公式サイトに、今月指揮する予定だったジョナサン・ノット音楽監督ら海外からの出演者の来日中止と東響コーラスの出演中止、合唱のない演目への曲目変更を調整中というお知らせが発表されたものの、演奏会自体をやらないとは言っていなかった。しかし、4月7日(火)に緊急事態宣言の発令に至り、8日(水)13時19分のメールで4月の演奏会の延期または中止というニュースリリースが届いた。

日々刻々と変化する状況下、8日(水)14時で校了となった記事の内容はここまでだ。ジャパンタイムズとしても未曽有の事態の中、エディター陣は完全テレワークという編集体制である。システム変更に慣れていく上での混乱も感じられる。

そんなわけで、8日(水)の夜に届いた東京交響楽団からのメッセージは記事に盛り込めなかった。既に公式サイトにも載っているが、ここに引用しておきたい。

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東京交響楽団を応援していただいている皆様へ
news 2020.4.8


平素より、東京交響楽団の演奏活動に、並々ならぬご理解とご支援を賜り、心より御礼申し上げます。

新型コロナウイルスの感染が全世界を覆い、その影響は日本のみならず、世界の経済活動や個々の生活の隅々まで蝕み、私共オーケストラも極めて深刻な事態に直面しております。

公演の中止等は、演奏団体にとって大切な収入が失われることを意味し、それは演奏団体としての存続の危機に直結致します。1946年に創立以来、東京交響楽団が長年に渡って努力し、守り、引き継いできた文化の灯を消すことにならぬよう、いかなる時も最大限の自助努力を行ってまいりました。新型コロナウイルス感染症対策としても、ライブ配信やCD制作、過去の演奏映像の配信等、様々なアイデアを重ねて参りましたが、4月7日の緊急事態宣言を受け、誠に残念ながら、5月6日まで事務局を含めた全ての業務を休止することと致しました。これは苦渋の決断です。

感染防止の趣旨から公演の中止等が相次いでいることについて、ファンの皆様には深くお詫び申し上げます。

民間の企業・団体、さらに幅広い個人の皆様には、サポートシステムを通じた財政面でのご支援を何卒お願い申し上げます。

文化庁はじめ国・地方公共団体、また公文協・指定管理者や企業など公演を主催される皆様には、なんとか補償の可能性を探って頂きたいと存じます。収支相償が義務づけられている公益財団法人のシステムでは、内部留保が非常に少ない状況で運営せざるを得ず、今回の様な状況に自助努力だけで対応していくことは非常に困難です。また感染症危機が長期化した場合には、演奏団体の生き残りを目指すために、一律に一切の大規模イベントを中止するのではなく、必要な予防策を講じつつも、より柔軟で現実的な対応が必要です。イベントの催行についても、一律の全面的自粛でなく、地域ごとの状況や個々のイベントの性格を勘案したきめ細かいガイドラインの策定が望まれます。

ドイツ政府は、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と発言されていました。我々も、この言葉を信じ、今は活動休止致します。再び聴衆の皆様と、ホールで、生の演奏でお会いできることを待ち望んでおります。


2020年4月8日
公益財団法人 東京交響楽団

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これに加えて、東響は公式SNSを中心に期間限定で使用する「Social Distance Logo」を発表。元の楽団ロゴを左右に引き離したシンボリックなデザインである。

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※楽団楽団公式SNS(twitter/Facebook/Instagram)をご覧ください。

 

1946年の創立以来、幾たびもの危機を乗り越えてきた東京交響楽団。私がリアルタイムで知っているのは、2011年の東日本大震災ミューザ川崎シンフォニーホールの天井が崩落し、関東圏で唯一、ホームを失ったオーケストラとして、ミューザの修復と再開までの二年間大変な苦労を強いられたこと。

www.japantimes.co.jp

「創立以来、東京交響楽団が長年に渡って努力し、守り、引き継いできた文化の灯を消すことにならぬよう、いかなる時も最大限の自助努力を行ってまいりました。」という言葉には重みがある。今回のコロナ禍に際しても、無観客ライブストリーミングという初の試みに挑戦したり、ぎりぎりまで演奏会開催への執念を見せたり、決して、何もせずに助けてもらえるのを待っているわけではない。この期間限定ロゴも独自の発案である。

アメリカのオーケストラでは既に団員の一時解雇の事例も見られる。ドイツ政府の力強いメッセージには確かに感銘を受けるし、スムーズな一時金支給の噂にも感心するが、それだけでどこまでしのげるものだろうか。いつまで続くかわからない長期にわたる休業補償なんて、諸外国でも難しいのではないか。医療崩壊、経済崩壊の危機をどうにかするためには、今はとにかく、あらゆる立場の人々がそれぞれ、感染拡大をどうにかして抑える最大限の努力をするしかない。

大勢の人々が集まって一緒に楽器を奏でるオーケストラ。大勢の人々が集まって声を合わせる合唱。互いの生の音や声を間近で聴き合い、感じ合いながら一つの音楽を創る。その音楽に大勢の人々が集まって一緒に耳を傾ける一期一会のコンサート。そのこと自体が今や最もリスクの高い営みであるのは悲劇というほかない。無観客演奏どころか、今は練習場所に集まることすらできない。各国のオーケストラからYouTubeに発信された多重録音によるリモート合奏の感動的な映像は、こんなテクノロジーが存在する今の世界でウイルスと戦うために離れ離れにされているという不条理を否応なく見せつける。しかし、逆に言えば、物理的に離れていても、画面越しに声や音や姿に接することができるテクノロジーが存在する世界でもある。コンサートホールで後方の席に座ると遠い舞台上の抽象的な団体として捉えかねないオーケストラだが、画面上では一人ひとりの奏者がクローズアップされ、一人ひとりの人間の不屈の精神が伝わって来る。

www.youtube.com

デジタル音であっても、想像力によって補った響きが心を震わせ、ああ、生の音楽を聴きたいという思いが募る。音楽を奏でるアーティストも音楽を聴きたいファンも、再会できる日まで、お互い何とかして生き延びたい。

 

この事態がどのように収束し、その間に医療現場や経済活動がどのような経過を辿るのか、正確なところは誰にもわからない。

 

コロナ後の世界に響き渡るのはどんな音楽だろうか。