よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

With コロナの音楽祭@ミューザ川崎

コロナ禍で3月以降自粛を余儀なくされたオーケストラ。東京では東フィルが先頭を切って6月21日にBunkamuraオーチャードホール定期演奏会を再開し、その模様は「情熱大陸」でも放映された。

www.mbs.jp

 

翌6月22日、同じ東フィルが東京オペラシティで開催した演奏会を聴いた。久々にコンサートホールに入るだけで胸が高鳴り、生のオーケストラの響きに酔いしれ、楽団員のみなさんの渾身の弾き姿に心を揺さぶられる。特別な時間だった。

その少し前にフェスタサマーミューザKAWASAKIを今年も開催するというニュースリリースを目にした。セイジ・オザワ松本フェスティバル(旧サイトウ・キネン・フェスティバル松本)も、草津の音楽祭も、8月に延期されていた宮崎国際音楽祭も、恒例の音楽祭が軒並み中止という中で、毎夏首都圏のオーケストラの競演が目玉のサマーミューザは開催するという。インターネットライブ映像配信と有観客公演のハイブリッドとは!?

ということでジャパンタイムズに記事を書くことになった。

www.japantimes.co.jp

今年のサマーミューザは、3月末に開催を発表してから新型コロナの影響で4月に予定していたチケットの発売を延期し、その後、緊急事態宣言の発令によるホールの臨時休館も重なり中止判断も止むを得ない中だったと公式サイトに記されているが、インタビューに応じてくださったミューザ広報の前田さんの言葉は力強かった。

「中止するという考えはなく、問題はどうやって実現できるかということでした。」

どんなやり方であっても今年なりの音楽祭を開催するということで、サマーミューザとしては初となる有料オンライン配信(ライブとアーカイブ)が先に決まっていたが、緊急事態宣言解除後には「やはり有観客演奏会も」ということになり、チケット販売の複雑なプロセスや、ホール内だけでなく入退場時の「密」を避けることを考慮して、最終的にキャパ2000人のホールに「600人」という人数に落ち着いたそうだ。

600人ぐらいだったら、7月10日~12日までに行われたミューザ友の会先行抽選で埋まってしまうのかと思ったらそうでもない。やはり、友の会の中心を成すシニア層はチケット購入に慎重だったのだろう。600人に達するまでは前売りも当日券の販売もある。

経済活動を再開すると当然ながら感染者数がまた増えてくる。感染者数増加の中でスタートしたGoToトラベルキャンペーンは直前になって東京発着の旅行が除外されるなど混乱している。首都圏での大きめのイベントである音楽祭はどうなるのか? やきもきする。

ワクチンや治療薬が使えるようになるのはまだ先だが、さすがに医療体制や検査体制が春先と同じままではないこと、感染症自体やその感染対策についての科学的な知見も蓄積されてきていることを睨んで、諸々の活動再開が進められている。何が正しいのか確たることは誰にも言えない。イベント主催者としては、万全の感染対策を講じつつ、様子を見ながら可能なことをじわじわ進めていくことにならざるを得ないだろう。参加するお客の側も、ゼロリスクはないことを踏まえつつ、各々できる限りの感染対策をして出かけて行く(あるいは行かない)という状況である。

記事が出た7月23日、新規感染者が東京で366人、全国では981人に上る中、フェスタサマーミューザは開幕し、私はオープニングを飾る東京交響楽団のコンサートに行ってきた。感染拡大は気になるが、音楽祭の開幕に立ち会いたい。今日の体調は万全だ。ジョナサン・ノット監督がビデオ出演という話にも興味津々。ということでホールに向かう。

 

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会場入口ではまず手指の消毒と検温が求められる。大画面の前に立つと眼前に自分の姿が映り、即座に「35.6℃」と表示される最近のテクノロジーは怖いぐらいだ。チケットは自分で切り、プログラムもロビーの棚から自分で取る。スタッフのみなさんは揃いのTシャツにマスクにフェイスシールドに手袋といういでたちで案内しておられる。

ホールに入ると使用しない座席にはカバーがかかっており、S席エリアが満遍なく間引いてある中、カバーがない座席にも結構な空席があったところを見ると、やはり600人には達していなかったようだ。

到着したのが開演20分前で、もたもたしているうちにほとんど聞かずに終わってしまったが、ステージ上ではプレトークをやっていた。

 さて、いよいよ開幕。「音楽のまちのファンファーレ」~フェスタサマーミューザKAWASAKIに寄せて。2009年の開館5周年を記念して作曲されて以来、毎年オープニングを飾るおなじみのファンファーレだそうだ。ミューザ川崎誕生のモチーフ、街の活気、工業都市ベッドタウンとしての川崎などを表現するモチーフが渾然一体となったなかなかパワフルな曲想で、コロナ禍に屈せず未来をどうにかしたい今の気持ちを鼓舞してくれる。作曲者の三澤慶氏が客席におられた。ステージ上で高らかに吹き鳴らすトランペット4人、ホルン4人、トロンボーン3人にチューバ1人。そして、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバルという4人の打楽器奏者がマスク姿で叩く姿にぐっとくる。 

 ファンファーレチームが一旦退場した後、オケの全メンバーがステージに。距離を取りながらメンバーがゆっくり出てくる間、客席から温かい拍手が続く。弦楽器パートもマスクを着用している。管楽器パート以外は揃いのマスク姿である。それが白でなく、淡いグレー(あるいはベージュ?)という絶妙な色調で顔色に馴染むシックなマスクだった。

ストラヴィンスキーのハ長の交響曲は指揮者なしの演奏。ヴァイオリンはファースト、セカンドともに4プルトヴィオラプルト、チェロ2プルトに、ベースは3本、管楽器は2人ずつという小さめの編成ではあったが、こんなややこしい曲が指揮者なしで崩壊せずに進行するのは見事というほかない。コンマスのグレブ・ニキティン氏が身体ごと合図したり弾いてない時には弓で振ったりの指示を出しておられたが、各奏者が自分で入って合わせる箇所も多く、緊張感あふれる高度な室内楽が繰り広げられた。

休憩後戻ってくると、ステージにモニター画面が2台設置されていた。1台は客席の方を、もう1台はチェロとヴィオラの前あたりでオケの方を向いている。

おもむろに画面にノット監督が現れ、いつもステージでやる通りの洗練されたお辞儀。そして、ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」が始まった。曲が始まっても、お客の方を向いている画面では当然ながらノット監督はこっちを向いて振っている。ちょうど舞台の真後ろの席にいるかのように指揮者の顔が見え、かつ、オケも正面から見えている。マエストロの華麗な身のこなしや指揮棒さばきに魅了されながらも、時々思わず笑いそうになる。録画された指揮に今現在合わせているオケの生演奏を聴くのは不思議な感覚だった。

画面のバックは白い壁。いつ、どこで録画したのだろう? 当て振りのはずはないから、自分の脳内でイメージする音楽を(その場にいない)オケから引き出すべく身体を動かすのだと思うが、そういう「エア指揮」を交響曲1曲分続けるってどんな感じだろう? このビデオに合わせて何回ぐらいリハーサルをやったのだろう? ノット監督の指揮に慣れている東響だからこそ「ビデオにぴったり合った演奏」ができるのか? 同じ映像でほかのオケが演奏したらどんな感じになるのだろう? こういう映像を何回も使い回せるのなら、生身の人間は必要ないのか?(いやいや)しかし、指揮者が映像ではオケとの一期一会の双方向の音楽作りとは言えないだろう。

・・・疑問が次々湧いてくる。

もちろん、今回はコロナ禍のため来日できないノット監督との「共演」をなんとかして実現するための苦肉の策だったのはわかる。演奏後のお辞儀も撮影されている周到さで、ノット監督の英雄のようなショーマンシップがいかんなく発揮され、まさに時空を超えて音楽祭にビデオ「出演」と言えた。そればかりか、最後には夏のヨーロッパの美しい風景をバックに手を振るノット監督の笑顔まで収録されていて、なんだかもう「やられた!」感じだ。この画面のあたりで団員のみなさんも拍手に応えながら客席に手を振っていた。

逆境にめげず、指揮者のビデオ出演という前代未聞のチャレンジでも何でもやってみる革新的なオケの姿勢に感服し、素直に拍手を送った。そこここにスタンディングオベーションも見られる。テクノロジーを駆使する不屈の人間性。実に英雄的ではないか。そのうち、ホログラムで立体出演、オケの音響も高品質・高速通信で、互いに離れた土地にいる指揮者とオケで双方向の演奏というのも可能になるのだろうか?

余韻に浸りながらビデオ出演への疑問がいろいろ湧いてくると、もう一度観たい、もう一度聴いてみたいという気持ちが募ってくる。そこで、サマーミューザの初試みという有料配信のオンライン鑑賞券を買ってみることにした。勢いで「全公演おまとめ券」というのをネットで申し込んだ。もちろん、1公演ごとに1000円で買うこともできるが、17公演が9000円で、当日のライブ配信+8月いっぱいアーカイブ配信を聴き放題というのはかなりおトクだと思う。フィナーレの8月10日まで何度も川崎に通うのは難しいが、家に居ながらにしてマイペースで首都圏のプロオケの聴き比べができるのは悪くない。オープニングのファンファーレもノット監督のビデオ映像も、何度でも視聴できる。

記事の中にも書いたが、確かに、前田さんが言ったように、これからのコンサートは、会場での生の音楽は限定された観客数での特別な経験になっていく一方、オンラインでは、住んでいる地域にかかわらず幅広いオーディエンスが気軽に楽しめるものになっていくのかもしれない。

もちろん、コンサートホールの響きとネットのオーディオで聴く音は違う。また、その場での感激はアーカイブ配信では得られまい。生の音楽の感動があってこそのネット配信だが、それでも、消え去った音の記憶をよみがえらせ、一度も聴いたことのない音への憧れをかきたてる意味はあると思う。制約の多いwith コロナの世の中で、やれることは何でも試してみたい。

 

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