よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

中学生が福島民報にインタビュー ~2020京都発ふくしま「学宿」その9

福島民報の渡部さんの話が終わり、今度は生徒たちから渡部さんに質問する番になった。熱心に聴き入っていただけに質問も熱心だ。

 

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Q:福島で原発事故が起きてからいろんな情報が入ってくると思いますが、上の人から「その情報だけは出すな」みたいな隠蔽と言うか、ストップがかかることはありますか?(3年T君)

 渡部:まさに日常的に電話でそういう問い合わせをいただいていますが、「ある」「ない」で言えば隠蔽はないですね。たとえば、福島の食べ物が危ないという人がたくさんいますが、それが科学的な根拠として本当にそうなのか? 取材を尽くせない問題は、安全という主張もできないし、逆に危ないとも、私たちの記事では書けません。食べ物が危ないのかどうか取り上げる場合は、たとえば明確に根拠を持って主張している人の言葉として取り上げる。それに対して反論も取り上げる。実際、危ないのかどうかわからない状態がずっと続いて来ました。チェルノブイリ原発事故などがありましたが、それでも経験値としてじゅうぶんではありません。取材を尽くせないものは書かない。書かないという方針だから書かないのではなく、取材が足りないから書けないということはあります。


Q:ニュースには自分に関係のあるものと関係ないものの2つに大まかに分けられると思うんですよ。自分に関係があるニュースは、たとえば、今だったら福島のことだったり新型コロナウイルスのことだったり。で、関係ないニュースは、たとえばSMAPの中居君が独立したり槇原敬之が麻薬で捕まったり。でも、一般の人は、ゴシップネタって言うんですか?そういうものを見てるほうが好きなわけですよ。新聞社は慈善活動ではないので、利益を追求していかなければならないと考えたら、もし、めっちゃ大切なことがある、伝えなければならないことがある、でも、こっちのほうが視聴率は取れるという時に、どっちを選ぶのかなっていうのを聞いてみたいです。(3年F君)

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渡部:新聞の特徴っていうのは、でっかいニュースだと思うものはでっかい見出しをつける。それに対して相対的にちっちゃいニュースだと思うものはちっちゃく取り上げる。その差をつけて、そういう価値判断と共にいろんな記事を載せるのが新聞の特徴なんです。ネットの場合だと基本的には箇条書きでダーッと並んでいる。

その中で、芸能人が逮捕されたということは、関心があるし話題性もありますが、じゃあ、その芸能人を知らない世代にとってはどうか、それが社会的にどういう影響を与えるか、大麻を使ったということ自体のニュース性、そういうことも考えます。いわゆるゴシップネタもあるんですけど、硬い政治のニュースなども含めて、記事がどれだけ多くの人に影響を与えるのかということも考える。いろんな意見があり「芸能人逮捕のほうが大事だ」と主張する人もいるわけです。議論しながら判断するんですけど、新聞は毎日出さなきゃいけないので、その時点で結果として芸能ネタが小さくなるということはあります。芸能ニュースは小さく載せるということがルールとして最初から決まっているわけではありません。

 

Q:先ほど、同じ情報でも、できるだけポジティブに伝えようと心がけておられるというお話があったんですけど、実際に被災された方々にはネガティブにとらえている人と前を向いてポジティブなとらえ方をしている人がいると思います。数で比べるのがいいのかわからないんですけど、何かエピソードとかイメージを教えてください。(2年I君)

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渡部:ネガティブ、ポジティブの例を具体的にということですよね。あまりにも事例がたくさんあるんですけど・・・たとえばですね、ネガティブなことを取り上げないというわけではなく、そもそもネガティブなことのほうが多いわけです。その中で真っ暗にしないという意味ですけど。私がこの辺に住んでいた時の知り合いの話だと、震災はまさにいやな出来事だったんだけど、それがあったことによって家族の大切さがわかったとか、日常というものがどれだけ大事だったかということが改めてわかったとか、震災があったことによって、自分が常々接していることがどれだけ貴重なことで、あたりまえだと思っていたけれど、実はあたりまえじゃないんだということがわかったと私自身もそう思います。

なによりも、いろいろな方々から本当に温かい支援を受けているわけです。ボランティアもそうです。そういうこともしっかりと取り上げていく。福島県民としてはなかなか一歩踏み出せなかったりするんですけど、元々福島県に全然関係ないのに、福島に住んで大きな支えになってくれている人もたくさんいるんですよ。そういう方が私たちを引っ張ってくれているという一面もあり、それを取り上げるということもしています。こういう事態にならなければわからなかったことはものすごくたくさんありますし・・・わかったようなわからないような答えになってしまいましたが。

 

Q:福島の人たちは風評被害、ほかの地域の人たちが福島のことを危ないと思っていることに対してどのように思っているのでしょうか。国にどのような対策をしてほしいのか、また、自分たちがおこなっている対策はあるのか、などを教えてほしいです。(2年Tさん)

渡部:個人個人がどう思うかは、我々はコントロールできないしね。京都から福島を見ていたら、やっぱり危ないと思ってしまうこともあるのかもしれません。そう思わない人も含めて、人の心はそういうものだと思います。ただ、それを私たちは、たとえば、食べ物についてはこういう検査をしてるんですよ、それで数字はこうです、ということをひたすらに伝えるわけです。伝えることが、言ってみれば私たちの唯一の仕事です。福島民報だけでは限界があるので、通信社ですとか、他の地方紙なども含めて、それをつないでいく。協力を求めながら伝え続けていくということです。

風評被害対策ということで、国の官庁が福島県の米を使ったり、いろいろなところで積極的に福島県のものを食べたりということはずいぶん前からやっています。それがどれだけ成果になっているか、具体的にはわかりませんが。

それから、原発トリチウムという放射性物質を含んだ水が溜まり続けています。処分するにはいろんなやり方があるんですけど、国はつい最近、海に流す、あるいは大気中に放出するというこの2つの選択肢のどちらかにしましょうよと。海に流すということは他の国でもやっていて、人体に影響はないという知見がありますが、それを流すと当然、福島の海で獲れた魚はヤバいという風評にまたつながってくるんじゃないかということで、地元としては反対する声が強いです。

じゃあ、海に流すんであれば、どこから流すんですか? 福島の汚染水なんだから当然、福島から流すっていう感覚かもしれませんけど、それでいいんですか? 福島のものだから福島から流すということが常識なんですか? 少なくともそういう議論をしなくちゃいけないんじゃないの? そうしないと、危険はほとんどないと言われていても風評被害がまた広がるわけで、結果として福島から流すことになっても、そういう問題意識は持ってくださいよというのが、私たちが今現在、報道していることなんです。いろいろな見方が地元の中でもあるんだっていうことをもう少しきめ細かく丁寧に拾い上げて、何か物事を決める議論を丁寧にしてほしいというのが、私たちが意識して報じていることです。

 

Q:原発についていろいろ調べる中で、自分が体験したことじゃないことを伝えるってすごく難しいことだなあと思うんですけど、そういう場合って、どんなことに気をつけたらいいでしょうか?(3年K君)

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渡部:私も事故当時、原発の近くにいたわけではありません。人から聞く。新聞を読む。テレビを見る。ネットにも情報がたくさんあるでしょうけど、そういった情報を、さっき言った思い込みだけは置いといて、客観的にもこれは事実だなと思うことは自分の知識としてどんどん蓄積していく。ネットに書いてあることをそのままではなく、どこか別の情報で裏付けをとる。そういったことをすれば、その気持ちがあれば・・・それを質問する時点で君は大丈夫です。

 

Q:今までいろんな人のお話を聞いてきた中で、ほとんどの人が震災が大きな転換点になったとおっしゃっているのですが、取材する中で震災で何か変わったことはありますか?(3年Wさん)

渡部:個人として? 震災で変わりましたよね。

自分たちが作っている新聞そのものが、震災以降、あの日から福島県をどうやって復活させるんだ?もしかしたら、もっといい福島県にできるかどうかということが、まさに新聞づくりのど真ん中になったというのはあります。このような場でお話をさせていただく機会もそれまではなかったことですし。

うちは男の子2人なんですけど、震災当時は小学校6年生と幼稚園児だったんです。まさに避難どうしようかと。もうしっちゃかめっちゃかで、長男は卒業式なしになりましたし、サッカー続けていいのかどうかとか、いろんな悩みがありました。さっきも言ったけど、普通にサッカーができる、卒業式がある、一つ一つがものすごく大事なことなんです。かけがえのないことなんです。それはもうあたりまえの大切さです。それをものすごく感じるようになりました。

 

 

Q:福島民報京都新聞を見比べると、福島民報さんの新聞は、見ていてすごく明るくなれます。私もポスター発表の時に、福島民報の記事をたくさん使ったら、見てくれた人が「前向きになれて素晴らしい」と言ってくれました。震災前の新聞はどんな感じだったのかなっていうのと、あと、地元の人たちがやっている前向きな活動が前からあったのか、震災後にそうなったのか、知りたいです。(3年Iさん)

渡部:元々、うちはたぶん日本有数と言えるぐらい身近なニュースが載ってるんです。地域のお祭りとか運動会とか、どこの地区の消防団がどうしたとか、そういうことまで載せる。新聞に載ったことがあるという人が多い県だと思います。ライバル紙があることも影響していると思います。福島では自由民権運動が盛んで、それで明治時代にできた新聞なんです。暗いニュースと明るいニュース、身近なものまで含めれば明るいニュースのほうが多いと思います。今日のこの様子も取り上げようと思ってます。それぐらい細かい記事が多いのは、震災の前からです。地元を盛り上げるための住民の活動は震災後に増えたと思います。

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Q:関連死に自殺っておっしゃっていたじゃないですか。その自殺って、大人と子どもだったら、どっちが多いのでしょうか?いじめとか偏見とかで、子どものほうが多そうなイメージがあるのですが。(3年女子)

渡部:子どもの事例は把握していません。

 

Q:さっき、F君がどうでもよいゴシップみたいなのを載せたほうが売れるみたいな話をしていましたが、福島の原発事故も、とくに風評のことなんかは書き方によってはゴシップっぽく書けたりして、そういうのが風評を煽ってると思います。さっきのトリチウム水の話も、ほとんどの新聞は汚染水って書いているけど、新聞によっては処理水って書いてあるものもあって、汚染水と処理水では受けるイメージが全く違うと思うんですよ。それ以外にも、原発のいじめだって、新聞に載っているぐらい少数しかないのか、それは氷山の一角で本当はもっと何倍もあったりするのか、わからないと思うんです。新聞ってデータに基づいて正確に書けば売れるっていうもんじゃないですよね。利益もあげていかなければいけないけど、そういうふうに書けば風評を助長するというか、そういうジレンマについてはどう思っておられますか?(3年M君)

渡部:何かを必要以上にセンセーショナルに取り上げるとか、必要以上に強調することによって、新聞の売上につなげようという発想自体はないです。私たちもまさに福島県に住んでいる住民の一人であって、家族を亡くした社員もいます。生活者であって当事者なんです。当事者としての意識がまずベースにあるわけです。さっきの「関連死」というのも、政府も含めて公式には「震災関連死」なんですよ。でも、私たちが使っているのは「原発事故関連死」。つまり、原発事故によって亡くなった人。

私たちが取材する問題は、福島県に住む住民として、これをどういう出し方をしたらどういうふうになるか、当然一人ひとり考え方が違うので、それを毎日議論しながら、当事者としての意識をベースとして情報を出す。目立たないかもしれませんが、そういう情報を必要としている人が福島県には多いんだということです。

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Q:新聞って、まずは大きい見出しから見るじゃないですか。気になった見出しから読む人もいます。見出しを作るのに工夫していることはありますか?(女子)

渡部:ある程度以上の規模の新聞社の場合、見出しは記事を書く人がつけるんじゃないんです。記事を書く人は文章だけを書くんです。で、それを編集する整理部っていう内勤の人がいて、記者たちから集まってきた記事をこのようにレイアウトする。その人が見出しをつける。なので、見出しをつける人は取材をしてないんです。文章だけが見出しをつくる材料なんです。ということは、文章に書かれているポイントをそのまま言葉で表すというのがまず第一の基本。その中で、たとえば、このあいだね、春の花が2月に咲いたという話が一面に載ったんですけど、その時の見出しは「あわてんぼうの春」というものでした。記事には「あわてんぼう」という言葉はないんですけど、そういう整理部の人の感性で作られた見出しもあるんです。でも全部がそういう見出しだと、しつこい印象になってしまいます。基本的には文章の中から、この記者が言いたいのはこういうことだよな、ということを取材していない整理部の人が読み取って、それを正しく分かりやすく表現する。

記事も見出しも、私はうまい文章を書くポイントは2つしかないと思っています。一つは「正しく」、もう一つは「わかりやすく」。あたりまえだと思いますけど、私も20年以上この仕事をやっていますが、なかなか到達できないんです。どんな素晴らしい記事でも、読む人に理解してもらえなくては意味がありません。私たちは小学校高学年の子どもたちでも読めるということを目標にしているんですけど、それもなかなか到達できなくて、読みにくい記事を書いてしまったりします(笑)。

 

Q:被災地の方に話を聞いたり原子力のことに関して話を聞いたりするときに、答えたくないという人がいたりしますか?(女子)

渡部:今もいるでしょう。私はもう取材にはあまり携わりませんが、彼はまさにここの地域の支局長で、支局長っていうのは一人で取材して歩いているんですけど。今もいるよね?(と若手の支局長に話を振る)

支局長:あのー、被災者なんですけど、たとえば、息子さんとか娘さんとかが、原発で働いていたりして、東電を責めたりできないという方はいます。なかなか言えないことがあるんだろうなあと思うことは結構ありますね。

渡部:私もこの地域に住んでいましたが、東京電力になんらかの関係を持っている方はとても多いんです。事故を起こした当事者としての東電は、責められる対象ではあるけども、現場で働いていたのは地元の人が大多数なんです。あの事故をあそこで食い止めたのもまた、多くが地元の人なんです。責めたいんだけど、でも、自分の生業が関係していたりすると、やっぱりそれは私たち記者が書いて表に出されると困る。そういう意味で、私たちが聞いても、相手が答えたくないということはあると思います。

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Q:東日本大震災で起こった事故は世界的に見ても大きな事故で、日本にとっても大変な事だったと思いますが、「どういうこと?どういうこと?」って混乱がすごくあったと思っていて、そういう人は得られる情報を知りたいなあと思って、でも逆にわずかな情報でも左右されやすいと思うんですよ。そういう時に、先ほども言っておられたんですけど、自分の主観じゃなくて、客観的にそのことをとらえて客観的に報道する中でいちばん心がけてきたことや大切にしておられることを教えてください。(女子)

渡部:はい。さっきの思い込みという話とつながるんですけど、たとえば、「避難者は帰りたいだろう」という思い込みに基づかないで、必ず、直接話を聞くとか何か資料を調べるとか、まずそれで客観的な根拠を得て、それからでないと表に出さないというのが当然です。

ちょっと見方を変えると、震災当時に力を入れたのは、生活情報というコーナーです。2~3ページをフルに使って、ひたすら、どこに行けば知り合いの身元確認の照会する所があるとか、どこに行けばガソリンがあるとか、どこのスーパーがやっているのか、金融機関でお金の相談はどうすればいいのかとか。そういう生活の情報をひたすらカバーするんです。そこには主観も入りようがない。ひたすら調べて、それを全部載せる。放射線量の数字も福島県が発表したものをそのまま載せる。ひたすら載せる。生活情報は新聞だけじゃなくて、ツイッターとかフェイスブックとかSNSでも流したんですけど、それが当時いちばん求められていた情報です。

 

Q:求められた情報ということを言われたんですけど、今だったら福島民報を読む人たちが必要とされている情報は何だと思われますか?(2年I君)

 

渡部:それはもう、きめ細かい情報っていうことに尽きます。みなさんがいらっしゃった趣旨に沿って原発事故の報道でどういう思いだったかということを今は話しましたが、それは報道の中の一部であって、新聞を見てもわかるように、いろんなニュース、スポーツ、経済、海外のニュースも当然載ってるわけです。いろんな分野にわたって、福島県の人が関心を持つだろう、あるいは、持ったほうがいいだろう・・・これはニュースかニュースじゃないかという判断だけで載せる。載せきれないものは次の日に載せる。自分が出た新聞を喜んで大切に取っておきたいというのも、私たちの大事な役目だと思っているので、引き続きたくさんの人を紙面に載せたいなと思っています。

 

Q:原発事故が起こる前と後で自分の中での原子力発電所という存在の変化とかはありましたか?(2年Kさん)

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渡部:事故は起こるものなんだなと。以前に私も富岡町で、まさに原発を担当する支局にいたので取材していましたし、「県政」と言って、県の政治の担当としても原発を取材していました。いろんな動きがあるわけですよ。原発をもっと増設しようという時期だったので、安全性がいちばん問題なんだけど、安全なんだな、事故は起こりえないんだな、という安全神話がどこかで染みついて、今回のような事故に至るということが自分個人の想定としてはなくなっていたという反省はものすごくありました。

私の中学時代の先生が、原発に否定的な話をよくしていました。その影響もあってか、原発の取材をする時は、ちょっと斜に構えて質問していたかもしれないし、鵜呑みにしちゃいけないというのはありました。その先生の言葉が下地として残っていたんですね。

でも、私もここで生活して、友達・・・良い人がいっぱい、東電関係で仕事している人がいっぱいいるわけです。そういう中で、安全なものなんだっていうほうに、結果としてちょっと縛られていたかなという反省もあります。

 

Q:取材をする中でいろいろなことに関わっておられると思うんですけど、その中で自分の考えとしては原発に反対か賛成かというのを教えてほしいです。(女子)

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渡部:反対とか賛成っていう二言で片づけられない問題ではあるわけです。ただ、原発に頼らない方向にしていかなくちゃいけないと思っています。

 

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最後に、渡部さんから生徒たちへのメッセージ。

「本当にこの3日間でいろんなことを吸収されると思います。吸収された思いというのを、イメージや印象も含めて、みなさんそれぞれ、何の脚色も要らないので、たくさんの人に話をしてほしいなと思います。で、できることなら、また違った形で、違ったメンバーで、また福島県に遊びに来てもらえたら、それがいちばんありがたいなというふうにも思います。」

 

自分たちがどんなことを聞いても新聞社の人がここまで率直に丁寧に話してくれることに生徒たちはいくぶん驚きながら、渡部さんの人柄と経験がにじみ出た回答ぶりに促されて、質問がどんどん溢れ出てくるようだった。生徒たちの素直に投げかける、大人なら躊躇しそうな本質に迫る問いが、渡部さんの言葉を引き出したとも言える。見守る大人側は、自分も手を挙げたい気持ちを抑えつつ、中学生とベテラン記者のやり取りに聴き入ったのであった。時間いっぱいに展開された真摯な対話の充実感が終了時のひと際大きな拍手にも表れていた。(続く)