よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

絶世の未来へ 林英哲 和太鼓独奏の宴@サントリーホール

「太鼓をたった一人で打つ大舞台、一世一代の独奏を、50年の節目にやらせていただきます」

サントリーホールで開演直前、姿は見えねど、おそらく舞台袖からマイクで、あるいは録音だったのか、英哲さんのご挨拶の声が会場内に流れた。コロナ禍中の来場への謝意が繰り返される。数々の著書の明晰な文章から受ける印象通りの穏やかな声の主と、これから太鼓を打つその人が同一人物であるとは、私には不思議に思われた。

明かりが消え、独奏の宴が始まる。

広い舞台に和太鼓だけ。「宇宙」を感じさせる抽象的な空間だ。暗闇の中、いつの間にか舞台にいた英哲さんは、スプリングドラムを手に、風変わりな音を鳴らしながら歩みを進める。舞台の前方にいくつか置いた(何という名前かわからないが小ぶりな)太鼓を巡っては打ち、素足で床を打ち鳴らし、一つ一つ意味ありげな所作の連なりを経て舞台の中央、締め太鼓や団扇太鼓をぐるりと並べたドラムセットのような和太鼓セットへと辿り着く。バチを持ち替え、太鼓を打つ。打つ。打つ。打つ。やがて、片方の撥を口にくわえ、衣装の片袖を外し、撥を持ち替えてもう片方の袖も外すと、美しい筋肉に包まれて鍛え上げられた背中と腕が露わになる。若々しい肌はとても69歳には見えない。動きはだんだん速く、激しくなり、時折ヤァッ!と気合の声を入れながら猛烈に打ちまくるソロ太鼓が続いた。

その没入を呆然と見ていると、上手側で舞台真横の席という間近から見ているのに、その人は遠い世界へ行ってしまったかのようだった。誰も寄せ付けず、ひたすら太鼓を打つ人。時に笑みさえ浮かべ、全身で太鼓に向かう人。

ああいう時、人はどのような精神状態にあるのだろうか。太鼓を打つ自分を見る別の自分が斜め上から見下ろしていたりするのだろうか。足腰は、腕は、脳は、どうつながっているのだろう?

たとえば、オーケストラの一団が舞台に乗っていると、「社会」の比喩か縮図のように見えるのだが、たった一人の奏者がその他大勢の観客の注目を浴びながら渾身の演奏に没入する姿は、何か神事に近い。神官か巫女か、この世ならぬ者になったその特別な人間が、何事か天の声を地上の人々に伝えている。その場に居合わせた人々は畏怖の念に打たれ、一部始終を見守るしかない。

 

休憩後、舞台は巨大な和太鼓一つだけになった。まさに宇宙の中心だ。

今回の拙記事の担当エディターは写真のキャプションにBig bangと書いた。当たってる。

www.japantimes.co.jp

英哲さんが打ち込む巨大な太鼓の低い音がホールに響き渡り、振動がドウンとお腹にくる。こういう響きは和太鼓にしか出せないし、サントリーホールで和太鼓の音だけを聴く機会は滅多にないだろう。

以前のインタビューで、心臓の鼓動の音を拡大した音は太鼓のような低域の音だと聞いて驚いた。英哲さんの著書にも出てくる。

「記憶の彼方で聞いた音は、胎内で聞いた母親の心音だったのではないか、ある日、突然のようにそう思いました。

――そして、それは自分の親も、そのまた親も聞き、たどってゆけば、そのまたずっとずっと先の、途方もないほど先の、宇宙の中で生命が誕生する瞬間から、今に至るまで一瞬も絶えることなく続いた音なのだ――そう気がついた時、僕は一種の戦慄のような思いに包まれました。

 その一番端に、今、奇跡のように自分がいる――、愕然とするような認識です。」

林英哲著『あしたの太鼓打ちへ』より)

 

それは、私にとっては「母の胎内で聞いたであろう懐かしい音」という感じではない。むしろ、中学生の頃から感じるようになった「自分はなぜ、今ここにいるのか?」とか「この世があるのはなぜか?」といったような、誰にも答えられない、問うてもしょうがないような問いを思い出させる音である。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というゴーギャンの絵を見た時、ああ、そう思っていたのは自分だけはなかったのだと安堵したものだ。

子どもを産んで母親になってからもその思いは変わらない。母の胎内というのはトンネルのようなもので、息子たちがどこから来たのか、不思議というほかない。

そんな根源的な音の振動をずっとお腹に受けながら、一心不乱に太鼓を打つ人を真横から見つめていた。伝統の祭り囃子とは異なる独自の表現を編み出し、「僕は小柄だから」という自身の体躯から最大で最深の響きが出せるように工夫したという、太鼓の真正面に立って打ち込む独自の奏法。太鼓レジェンドのあまりに孤高の境地を目の当たりにすると、おのれの中途半端さに恥じ入るような、いたたまれない気持ちになる。

「祈り」「厄払い」、
そして「良き未来」のための「ひとり舞台」、
 空前絶後、一世一代

チラシに並ぶ言葉が奮っている。確かに、今年は東日本大震災から十年だ。さらに度重なる自然災害、追い打ちをかけるコロナ禍。古来、厄払いは太鼓打ちの役割だったと英哲さんは言う。だから神事なのだ。

そして、却って英哲さんという人間が際立つ。

日本の伝統芸能とは違う道を模索した「越境者」に違いないのだが、英哲さんが創った独自の表現世界には、普遍的でありながら、日本らしさが強烈に感じられる。それが日本人にとっては誇りに思え、世界の人々を魅了するのだろうか。

最後にカァーッ!と一喝、全身伸び上がっての一撃で太鼓の轟きは締めくくられた。

コロナ感染対策のため、隣席を空けて並ぶ客席から、魅せられたる人々は熱い拍手を送っていた。1階席にはスタンディングオベーションの姿も多い。英哲さんは深々とお辞儀を繰り返した。

しかし、なぜか私はその温かい輪の中に入っていけないような疎外感を覚えた。何なんだろう? 

古来、アジアの国々では太鼓は祈りに結びつけられ、厄払いは太鼓打ちの役割だと英哲さんはインタビューの時に語った。

舞台で一人、ひたすら太鼓を打つ英哲さんの姿を見ていると、「お前の役割は何なんだ?」と問われているような気がしてくるのだ。

それと同時に、自分が日本人でありながら、昭和の高度成長期以来の時代の中で失ったもの、二人とも敗戦後の引揚者である両親の元に生まれニュータウン育ちの帰国子女という生まれ合わせ上、元から欠けているもの、そんな根無し草のアイデンティティの心もとなさにも否応なく向き合わせられる。普段はそんなことを気にすることもないのに。むしろ、日本にこだわらないコスモポリタンでありたいと願っているのに。

最後に、団扇太鼓を片手に歌う英哲さんの声が切々と響いた。そこには英哲さん自身の心もとなさがあった。19の歳で「わけもわからず乗ってしまった舟」という演奏活動50年の人生。その重みと心もとなさに、ほんの少し勇気づけられた。誰しも、心もとなくとも、大海原を行くしかない・・・絶世の未来の岸辺へ?

 

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