矢座君のドキュメンタリー映画の上映会に端を発する福井南高校での教科横断型授業。
生徒による生徒のための授業、NUMOの講師による高レベル放射性廃棄物の地層処分のレクチャーを含めた4時間目の座学に参加し、生徒たちと共に大いに刺激を受けたが、もう一つのハイライトはこの後の5,6時間目を使ったグループワークだった。
直前に浅井先生からの打診で、私は一つの班に参加することになった。これは今までにないケースだ。これまでに同行取材した「中学生サミット」や中高生の福島研修ツアーでは、大人の一員としてオブザーバーに徹していた。生徒たちの話し合いを決して邪魔しないように、いわば透明人間になって各グループでどんな話をしているのかを聞いて回るという役回りだったが、今回は自分もグループに参加するというのでドキドキする。どう参加すればいいのか?
3年生Oさん、2年生Yさん、1年生I君というメンバーに、T先生はアドバイザーか。そして、卒業生のKさんがPC画面越しにオンライン参加というグループに入った。生徒たちにとっては、「誰?」というオバサンが登場して戸惑ったに違いない。
まとめ役の3年生Oさんが、「どうですか?何かないですか?何でもいいよ」と1、2年生に声をかける。
私にも話を振ってくれるので、「福井県には原子力発電所がたくさんあるから、学校でも結構習うのかな?どんなイメージ持っていますか?」などと投げかけてみるが、「あまり考えたこともない」というI君の返事の後が続かない。かろうじて「怖い」「危険」というイメージが出てくるが、また沈黙。
話し合いが一向に盛り上がらないのは私というよそ者がいるからだろうか?
しかし、聞いてみると生徒同士も初対面だという。各学年3クラスあり、学年も違うから、確かに知らなくても無理はない。初対面で「原子力に関わる難題」について話し合い、その内容を模造紙にまとめるとは、なんとまあ大変な課題だろう。
自分が発言すべきなのか、黙って見守るべきなのか、迷っていたが、
「難しいよね。この問題をみんなにもっと知ってもらうためにどうしたらいいかを考えてみようか」という、T先生のやや予定調和的な方向付けに反応して、「SNSを使って拡散する」という発言が出たあたりで、私は咄嗟に口を開いた。
「SNSもいいけれど、その前に自分がどう思っているのかをもう少し話し合ったほうがいいんじゃないかな」
教員ではないので、生徒たちをどのように導くのが適切かなんてことは、私にはわからない。しかし、少なくとも、これまで原発について「あまり考えたこともない」と言った生徒たちの対話が、SNSで拡散する方法論に流れていくのは安直すぎるのではないか? 中学生サミットや福島研修ツアーでも何度となく見聞きしたパターンだが、いつも思うのは、「いいんだけど、一体何を伝えるの?」ということだ。
それにしても話し合えない。とくに、ほとんど声を発しない2年Yさんの表情が気になる。各グループが話し合う声で騒然とするホール内、小さな声だと向かい側からはほとんど聴き取れない。と言って、大人が大声で何か言うと、みんなもっと黙り込んでしまいそうだ。
ちょっとアプローチを変えて、各人の隣に移動して個別に声をかけてみることにした。
3年Oさん:難しいし、興味のない話なので、なかなか頭に入ってこなかったです。
そうだろうなあ。関心を持っていても、私も決して得意分野ではないので、始めはなかなか頭に入ってこなかった。ここ5年間、何度も何度も聞いたから、ようやく技術的な考え方は大体わかるようになったところだが、難問中の難問であることに変わりはないと感じている。
井内:矢座君の映画を見るのは初めてなの? どうだった?
1年I君:今日初めて見た。内容の前に、いろんな人にインタビューしたり、外国まで行ったり、高校生なのにすごい行動力だなと思った。
2年Yさん:映画を見るのは2回目。1回目の時、申し訳ないけど苦手な分野の話だったので、そのあと、なるべく考えないようにしていた。今日も見たけれど、そこはそんなに変わらない。
井内:もし、福井市が最終処分場の文献調査に応募したらどう思う?
卒業生Kさん:文献調査ぐらいだったらいいと思う。次のステップの概要調査や精密調査の条件をクリアしたら、高レベル放射性廃棄物を福井で引き受けてもいいと私は思う。
1年I君:文献調査を受け入れるぐらいはいいと思う。
2年Yさん:自分は何も言わないと思う。自分の意見を言ったところで、何も変わらないと思うから。みんながそれでいいと思うのなら、それでいい。
井内:「みんな」って言うけど、あなたと同じように感じている人も多いかもしれないよ。そうすると「みんな」がいいと思うっていうのはどういうことなんだろう?
2年Yさん:上の人が決めたら、そうなるんだと思う。
話し合いは低調なまま推移し、こんなコメントも私が隣に近寄ってかろうじて聞き出したものだ。余計なことをしないで生徒たちを見守ることに徹したほうがよかっただろうか。しかし、3年Oさんが「どうですか?何かないですか?」と後輩の2人に聞いても、なかなか何も出てこないのだ。
共有できたのは、原子力発電の話は「むずかしい」「怖い」「危険」「わからない」ということぐらいだったか……。
先輩Kさんは、PC画面の向こうでどうしていただろう。申し訳ない状況だった。「後輩のみんなが考えてくれててすごいなと思った」とはじめに言ってくれたのにね。近い年齢の先輩がこの場にいてリードしていたら、また違った展開になったかもしれないと思うと、いたたまれない気持ちになる。
どうやら、この発展クラスの人選やグループ分けは学校側が決めたようだ。このグループの3人は初対面だった上に、まさか自分が「発展クラス」のグループワークに参加するとは思っていなかったという。ほかに基礎クラスもあり、同時進行で別メニューの授業を行っていた。
「自分がこれに参加するって聞いてびっくりしました。だって、私以外の3年生はみんな賢い人たちばかりなんですよ。今日、学校休もうかと思ってました」と3年Oさんが隣でつぶやく。
「このグループ決めたの誰ですか?」と1年I君がT先生に聞いていた。
ようやく模造紙にまとめ始めたのは、発表までの残り時間がわずかになった頃だった。どうしようと焦る3年Oさんだったが、真ん中に「わからない」と思っている子の顔を描いて、顔の周りに吹き出しを4つつくり、中にコメントを書き入れていこうということに話がまとまった。
2年Yさんが、やおらイラストを描き始めた。模造紙の真ん中に、慣れた手つきでサッサッと顔の輪郭と髪、目鼻の造作を下描きすると、あっという間にかわいい女の子の顔ができあがる。
「上手だねー!」と言った3年Oさんは、どこからかカラーのマーカーも4色ほど調達してきた。2年Yさんは真剣に描き続け、瞳を黒く塗った。画竜点睛で、疑問を抱えた女の子が立ち現れた。クエスチョンマークが飛んでいる。これが彼女の表現なんだね。ええやん!「わからない」「むずかしい」「??」という思いがイラストに込められている。そうだよね〜
そして、3年Oさんは、大きな吹き出しを4つ描き、その1つに「原子力発電のイメージ」とレタリングして、「怖い」「危険」「危ない」「なくしたほうがいいもの」と下書きし、その下の吹き出しには「でも、もっと考えていかなきゃいけない」と下書きした。
「せっかくだから、矢座君の映画を見た感想も書いたらいいんじゃない?」と促すと、1年I君は、「高校生なのに行動力があるのがすごいと思った」という自分の素朴な感想を一生懸命書き込んでいた。
彼らが書き込む下書きの薄い文字と吹き出しのうち、私は自分の手が届く範囲を逆向きで難儀しながらマーカーでなぞるのを手伝ったが、全部は仕上がらないうちに、発表の順番が回ってきた。
「えーっ、うちのグループも発表しなきゃダメですか?」と3年Oさんが小声で訴える。「それはやっぱり、みんなやるんじゃないの? ありのままでいいと思うよ」と私が言うと、観念したのか、彼女はマイクを手に話し始めた。なんとなく、2年Yさんと私で模造紙を掲げる感じになる。
「うちのグループでは、原子力発電のイメージは、やっぱり、怖い、危険、なくしたほうがいいものという意見が出ました。話が難しくてわからないということで、これ、かわいくないですか?」と真ん中のイラストを指す。かわいいよね!
そして、1年I君は矢座君の映画に刺激を受けた自分の素直な感想を述べたのだった。
せっかく下書きした吹き出しと文字を全部マーカーでなぞれば、もう少し完成度は高まったかもしれないが、発表後、3年Oさんは「もういいですよ」と言い、模造紙は未完成のまま回収された。
彼らは自分たちの模造紙を完成させることより、他のグループの発表を聞くことを優先させたようだ。とくに、2年Yさんが前方のスクリーンに映し出された各グループの模造紙をじっと見つめながら発表に耳を傾けているのが印象的だった。表情は相変わらず硬いけれど、心の内はどう動いていたのだろう。
「答えのない原子力の難題」の中で、何に焦点を当てて話し合うかということから自分たちで決めて、話し合って、さらにそれを模造紙にまとめるなんて、40分じゃ無理だと私は思う。模造紙にまとめて発表する形を整えるために話し合うことになってしまうのではなかろうか。
なかなか立派な発表が多かった。テーマの立て方から切り口やまとめ方の体裁、ビジュアルまで、さまざまだから、確かに多様性を大いに感じたものの、ちょっと「出来過ぎ」のような気もした。ひょっとするとアドバイスという名の大人の入れ知恵が相当あったのではないかと勘ぐってしまうけれど、イマドキの高校生は日頃からこういう活動に慣れているのかもしれない。舐めてはいけないのだろう。あるいは、前の時間に「ゆ」の字トリオや矢座君の発表に刺激を受けて、「負けてはいられない」と奮起したのかもしれない。今日は一つのグループに張り付きだったから、ほかのグループがどんなふうに進めていたのかはわからないが、各グループで活発な話し合いが展開されていたようで、確かにホール内はにぎやかだった。
「もしも福井市に最終処分場ができた場合のメリットとデメリット」という切り口の発表があった。
曰く、メリットには交付金などの経済的効果、デメリットとしては、将来世代の賛同を得られないのではないかということが挙げられた。
そのような発表を聞いた2年Yさんはどう感じただろうか? 同級生たちが最終処分場について考えを進めたり深めたりしていることに感心しただろうか? いや、そういうことは苦手だから考えたくない、誰かが決めたらそれでいいとまだ思っているだろうか? 彼女の表情からは何も読み取れない。とにかく人の話をじっと聞いていたのは確かだ。
最後にもう一度だけ声をかけてみた。
井内:どうだった?
Yさん:ほかの人の意見を聞けたのはよかったです。
井内:マンガ上手ね!よく描いているの?
Yさん:ときどき描いてます。
大人の思惑に容易に乗ってこない、ある意味、頑固に自分というものを持っている若者の秘めたる魂を、初対面の大人が無理やりこじ開けることはできない。変なオバサンに絡まれてめんどくさかったと思ってるだろうなぁ。それでも何らかの刺激になっていると思いたいけれど……。
全体としては、いい感じに盛り上がって大成功だったのではないか。終了後も澤田先生やNUMOの講師陣や矢座監督(!)があちこちで質問攻めやら記念撮影やらに引っ張りダコだったのはその証と言えるだろう。
私は自分の役割が何だったのか ーー オブザーバーなのか?ファシリテーターなのか?アドバイザーなのか? ーー 結局よくわからないまま、中途半端な関わり方をしてしまったのかもしれない。
なかなか始まらず発展しない対話をどうすれば促すことができるのだろうか。無関心は無力感がもたらすものなのか。高校生だけでなく、大人も抱える問題がここにある。
それでも、そういう自分をありのままに受けとめ、互いを認め合うことから始めるしかないのだろう。一方、今の姿が未来永劫変わらないわけではなく、周囲からの刺激とその人自身の「問い」の力で、いかようにも変わっていくのではないか。
そのためにも、さまざまな機会や場所に、自発的でも偶然でもイヤイヤでもいいから、参加してみることだと思う。
この日のグループ分けにもそういう深謀遠慮が働いていたに違いない。たとえ、すぐには変わらなくても、若者一人ひとりが内に秘めている可能性は大人の想像をはるかに超えているのだから。
コロナ禍中、このような学びの機会を設け、対面で実施した学校の先生方、生徒のみなさん、外部の関係者の方々に深く敬意を表したい。(終わり)