よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

初心忘るべからず。そこからまた喜劇が始まる

田崎悦子さんのピアノリサイタルシューベルトの遺作を聴いて思い出した拙短編「喜劇はまた始まる」の続き。

前編はこちら。

chihoyorozu.hatenablog.com

 

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「喜劇はまた始まる」(後編)

 

その頃、ウィーン郊外のとある教師のつましい住まいでは、親族や近隣の友人を招いてささやかな祝いの宴席の真っ最中であった。
「また男子の誕生とは、これで貴君の学校も安泰だな」
身内も友人達も羨ましそうに祝福する。
(そうだ、妻よ、よくやった)校長として小さな小学校を経営する夫は、満足げに妻を見つめる。

 息子達が長じてみな教師になり、自分の学校で教える姿を想像すると、我知らず笑みがこぼれる。
「いやあ諸君、実にめでたい。神に感謝し、諸君の健康を祈ってもう一度乾杯しようじゃないか」
彼は上機嫌で、とっておきの白葡萄酒を客人達に惜しげなく振舞うのであった。

「皮肉なものよ」
今日は誕生委員会も非番なのでヒマな長老は、ぼんやりと地上に目を落とし、甥っ子の運命を見守っている。
「よくあることですよ、あなたも割り切りが足りませんな。身内でなければ気にもならないだろうに」
死神の言うことは、例によって図星である。
「いや、まあ。あまりにも父親に恵まれんヤツでな。だから、つい伯父であるわしがいらぬ気遣いをしてしまうんじゃよ。おお、ついに決裂した。ヤツめ、家を飛び出しおったわ。一銭も稼げんくせに、どうするつもりじゃ」
「ここから先は友達が頼りですね。しかし、親というものは、子どもが生まれた時にはあんなに喜ぶくせに、自分の思い通りに育たないと、なんで邪魔立てするんでしょうな。子どもの好きなようにやらせればいいものを。愚かなことです」
「まったくじゃ。しかし、親としては我が子のためと勘違いしておるのじゃろう。だいたいあの男には芸術なんぞわからんのじゃ。息子の才能に気づこうともせん。なんたるミスマッチ」
「ま、そんなことも全部織り込み済みなんですよ、長老殿」

やがて、恵まれない作曲家の31年の生涯を生き終えた甥は、地上と天界を結ぶ定期船に乗って戻ってきた。
「おお、戻ったか。ごくろうじゃったな。よくやった」
「ああ、おじさん、ただいま戻りました」
甥は疲れきって、その顔はますます青ざめていたが、天才ならではの過酷なシナリオを演じきった彼の瞳は、いつになくスッキリと澄みきっている。
「いやあ、今回の役はとてもやりがいがありました。おじさん、ご尽力に感謝します」
「ほう、そうか。それは何よりじゃった。しかし、いろいろと苦労があったであろう」
「苦労だなんて、僕の人生はいつだってそうでしたよ。でも、このシナリオはとても有意義な経験をさせてくれたのです。そう、音楽です。楽譜を書きながら、いつも涙が溢れてきました。その調べが天界から降りてきていることが地上にいる間もハッキリとわかりました」
「なんと!地上に行く前に記憶を消し去ったのに」
「天才でしたからね。芸術は地上と天界を結ぶのです」
「おお、甥よ。一皮むけたのう」
「おじさん達のおかげです。もう人間の生を無意味だと悲観したりはしません」

 長老は、大きな水晶玉を取り出すと中を覗き込んだ。
「ほれ、ごらん。確かにおまえの言う通り、たいした音楽家だったようじゃなあ。200年ぐらい経つと、信じられんようなお祭り騒ぎをしとるぞ」
「本当ですか?」
甥が水晶玉を覗き込むと、見知らぬ国の都の真ん中に大きなコンサートホールがいくつもあって、オーケストラやピアニストや歌手が一斉に彼の残した曲を奏でているところだった。あとからあとから何十万もの聴衆が集まって、うっとりと耳を傾けている。
「やあ、あれは僕の顔じゃないですか。ああいうふうに描いてくれると、いっぱしの者に見えますね。おかしなもんだなあ。生きていた頃には親しい友達ぐらいしか、僕の音楽を聴いてはくれなかったのに。なんだか面映ゆいです。ま、天界の音楽だから良いのは当たり前ですよ」
それから、長老のほうに向き直って言った。
「おじさん、あの人生で僕が尊敬していたベートーヴェンが死ぬとき、僕、そばにいたんです。あの人は亡くなる間際にこう言ったんです。『喜劇は終わった。諸君、拍手したまえ』って。あの人らしくてカッコいいなあって、僕、感心したんですけど、今、急にわかりました。ベートーヴェンは間違っています」
「はて、どういうことかな?」と長老は訝しげに問う。
「喜劇は終わらないんです。また、何度でも始まるんです。そして、毎回拍手してもらえるんですよ。ね、おじさん、人生って面白いですね」

長老はグラスを二つ持ってきて一つを甥にすすめた。
「さあ、飲むがよい。お前もきっといいシナリオライターになれるに違いない」
輝く水晶のグラスには、丹念に濾過された人生の滴を集めた究極のスピリッツが満たされている。長老とその甥は、地上で経験した数々の人生の悲喜こもごもを思い返しながら、舌の上に美酒を転がし味わうのであった。(終わり)

 

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これを書いたのは2008年。当時通っていたライタースクールの課題として、小説やエッセーなどいろいろ書いたものだ。シューベルトをネタにしたのは、その少し前にジャパンタイムズで初めて英語でインタビューして記事を書いた時に、シューベルトのことを少しばかり調べていたからだろう。ちょうど、ラ・フォル・ジュルネ2008のテーマも「シューベルトとウィーン」だった。

当時の私は、ジャパンタイムズの正社員に転換する前の編集アルバイトの身で、文化紙面の情報欄に載せる展覧会やコンサートのリストをせっせと作り、短い紹介文をシコシコ書いていた。

お金を稼ぐために始めたバイトだったが、ある日突然、オランダ人の指揮者にインタビューするという話が舞い込み、驚きのチャンスを与えられた私はビビりながら張り切った。シューベルトのことも実はちゃんと知らないなぁと思い、図書館で子ども向けの伝記を借りてきたら、これがなかなかの秀作で、ひのまどかさんの文章に引き込まれたのを思い出す。

そして、初めて英語でインタビュー。ものすごく緊張した。その指揮者に同行してきたオーケストラの広報担当者に「これ、あなたが記事を書かれるんですか?」と尋ねられた。それほど頼りなかったんだろう。もちろん、書いた原稿にも赤がいっぱい入る。伝えたい内容がネイティブのエディターの手でもっと上等な英語に仕上がることに目を見張る感じだったが、それでも取材者である自分の名前で記事が出る。

www.japantimes.co.jp

 

紙面の大きさにびっくりした。え?あれってこんな大きな記事になるんだったの?!(英字新聞の文化面にはよくあることだと、そのうちわかったが)

嬉しくて、その新聞をコンサート当日の楽屋に持っていったら、マエストロ・スダーンはサインしてくれた。なんともミーハーな、素人丸出しの自分。でも、その紙面は今でも大切に取ってある。

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たまたまバイトで入ったのが英字新聞社の学芸部で、猫の手も借りたそうな外国人エディターの「確かあなた、クラシック音楽が好きって言ってたよね?」という無茶振りから来た、私にとっては超〜背伸び案件に「無理ですー」と言わなかったのが最初の一歩。インタビューも、書いた原稿も、どう思われるかなんて考える余裕もなく必死だった。

初心忘るべからず。

一歩一歩、あれこれ試行錯誤するうちに、主題が転調し、どこへ向かうのか予想もつかないのはシューベルトソナタと同じ。それもまた喜劇のうちだ。

初心忘るべからず。