よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

サイトウ・キネンの記憶 ~セイジ・オザワ松本フェスティバル30周年記念 その②

コロナ禍中、一旦ほぼゼロになった音楽会。感染状況に応じて開催方法を模索する大変な時期を経て、有観客の演奏会が復活してきたのは有り難いことだ。松本のフェスティバルもこの夏、3年ぶりの有観客公演となった。

そうした幾多のコンサートのうち、自分が実際に行ける会はごく僅か。ある演奏を生で聴くことができるのは、よっぽどの奇遇であり、そこにはきっと何らかの縁がある。

もう一度サイトウ・キネンに関する記事を書くことになるとは予想していなかったこの夏、取材のために過去の資料をあれこれひっくり返していたら、2008年に初めて松本のフェスティバルに行った時に書いた原稿が出てきた。読み返すといろいろ思い出す。(以下、当時の原稿からリライト)

 

 

1992年、日本アルプスの麓にある長野県松本市で誕生したサイトウ・キネン・フェスティバル松本が、2008年で17回目を迎えた。小澤征爾氏とサイトウ・キネン・オーケストラが母体となって、オーケストラコンサートとオペラの2本を柱に毎年8月下旬から9月上旬にかけて開催される。

サイトウ・キネン・オーケストラは、桐朋学園創立者の一人である齋藤秀雄(1902-1974)没後10年にあたる1984年、彼の弟子であった指揮者の小澤征爾氏と秋山和慶氏を中心に、世界各地に散る同門の教え子たちなどが結集して臨時編成されたメモリアル・オーケストラである。

実は、マエストロ小澤征爾の指揮を私が生で見たのは、この2008年のフェスティバルが初めてだ。体調を崩されたというニュースに心配したが、思ったよりお元気そうでホッとする。

2008年9月6日のBプログラムは、モーツェルトの交響曲第32番ト長調で始まり、2曲目には、武満徹の「ヴィジョンズ」、そして、メインはマーラー交響曲第1番ニ長調「巨人」というものであった。驚いたことに、1曲ごとにコンサートマスターが変わり、さらに、小澤さんが最初からステージ上にいらっしゃる。皆が対等の仲間であるということが徹底された形であろうか。

オーケストラには、様々な個性をもった楽器が集まり、各人が決められた役割を忠実に果たすことによって秩序ある音楽を作り上げていく。その意味で社会の縮図だと常々感じていた私は、指揮者の号令の下、個人の自由をある程度犠牲にしてでも、全体における自分の役割に徹するのが、オーケストラの奏者のあるべき姿だと思っていたのだが、今日の演奏を聴いていると、別に個人の自由を犠牲にすると思う必要はないようだった。

サイトウ・キネン・オーケストラは、普段はさる一流オーケストラのコンサートマスターだったり、管楽器の首席奏者だったり、あるいは、オーケストラなどに属さず室内楽やソロ活動に専念していたり、とにかく誰もが、その他大勢ではない「自分が主役」みたいな人たちの集まりだ。だから、ヴァイオリンには、コンサートマスターみたいな弾き方をしている人が多くて、なかなか見応えがある。マスゲームのように揃った弓の動きでない代わりに、のびのびと鳴っている楽器が、小澤さんの指揮と共に熱くなっていく感じだ。また、クラリネットカール・ライスター氏は、ひとこと「カッコウ」の鳴き声を吹くたびに目いっぱい首を振る気合いの入りようだし、あんなに激しく弾くコントラバスも、学生オケならともかく、プロではあまり見たことがない。

そういう集団だとバラバラになる危険性もあるが、そこを一つにまとめるのが、やはり小澤征爾氏の凄さなのだろう。と言っても「オレの言う通りにしろ」と上から押さえつけるのでは決してない。個々人が目いっぱい自己主張している良さを生かしつつ、そういう構成員の自己主張を上回る音楽への理解のための努力と捨て身の献身をもって全体の方向性を示し、一音一音に渾身の指示を出すのである。熱い指揮ぶりは聞きしに勝る全力投球だ。身体全体を使って語る「音楽語」は奏者達にも聴衆にも直接伝わる。

その「音楽語」に納得したメンバーが、自分の技量の最大限をもって応えるという関係なのか、あるいは、もっと感覚的に、マエストロの内から迸るような音楽におのずと巻き込まれていく状態かもしれない。そうやって個々の奏者が発する音から一つの音楽が出来上がってくるのは見事だ。たとえば、一流のチェロ奏者達やヴィオラ奏者達が目いっぱいの弓使いでブンブン鳴らしてくれるユニゾンは、ばっちり揃っている上に、なんとパワーに溢れていることだろう。オーケストラから客席に押し寄せる熱い音塊は、クラシック通であろうがなかろうが、聴く人の心を揺さぶらずにはいない。

あらためて生で聴いて、マーラー交響曲第1番が以前よりもっと好きになった。とくに、2,3楽章は演奏もとてもよかった。いかにもヨーロッパ的な、ウィーンの街角を思わせるフレーズには、気のせいかも知れないが、西洋のクラシック音楽への憧れや実際に体験したヨーロッパでのほろ苦い思い出など、日本人演奏家ならではの思いが込められているようで、味わい深かったのである。

さらに次々展開する曲想は、いろいろなことが起こる人生のようで、なかなかうまく行かなかったマーラー自身の生涯や、小澤征爾その人の波瀾万丈の歩みともダブって聴こえてくる。終楽章にあれ?と思った箇所があったが、そんな小さなミスをものともせず、音楽はあくまでも前へと進んで行く。やがて輝かしいクライマックスに至り、ホルンが一斉に立ち上がった時には無性に感動し、演奏が終わって隣席の知人から「すばらしかったね」と声をかけられた時にも、まだ口もきけずにただただ拍手していた。

小澤さんは聴衆に応えながら、ステージ上を駆け回って、オーケストラのほとんどすべてのメンバーに挨拶していった。一番後ろのティンパニに至るまで、一人一人と握手して言葉を交わす。最後は、いったん舞台袖に下がったオーケストラのメンバーがもう一度出てきて小澤さんを真中にして並び、客席に手を振っていた。客席でも立って拍手する。高く掲げた両手を振る人もいた。

「元気をもらったわ」

拍手がまだ続く中、知人は言った。本当にそうですね。「終わりよければすべてよし」だし、その過程の紆余曲折もすべて尊いではないか。心からそう思えて元気が出る。そして、来年もまた聴きに来たいと願うのだった。

*****

そして翌2009年、The Japan Timesでサイトウ・キネンの記事を書くことになった。プレビューだから、前年に一度でも聴いておいてよかったと思った。それとも一度でも聴きに行ったから、このような仕事が巡ってきたということか。その頃はマエストロ小澤へのインタビューの機会はなく、話を聞ける人たちを必死で探し、そこで出会った元マネージャーの平佐素雄氏のアドバイスで水戸まで出かけ、水戸室内管のコンサート終焉後、楽屋の前の長蛇の列の最後尾に並んで、浴衣姿の小澤氏に短いコメントをいただいた。

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病気療養中だったマエストロが2013年に指揮復帰。初の単独ロングインタビューという信じられない機会にも恵まれた。

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2017年に再びロングインタビュー。カナダ人のエディターと長野県の奥志賀まで日帰りで取材に行ったのが良い思い出。若い世代への教育にかけるマエストロの情熱とその薫陶を受けた若者たちの熱い合奏、とくにあのチャイコフスキーの弦楽セレナーデに彼も心を打たれたようだ。

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やはり、ご縁は不思議なものだ。機会に恵まれたことにしみじみ感謝する。(続く)