よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

マザー・テレサを撮った日本人:百瀬恒彦 写真展「祝・列・聖」

去る9月4日、故マザー・テレサが列聖された。

列聖に合わせて、9月1日から9月6日まで、百瀬恒彦 写真展「祝・列・聖」が東京・表参道のプロモ・アルテ・ギャラリーで開催された。

写真展に寄せた百瀬氏の言葉。 

「・・・亡くなってから、聖人に列聖されるには時に数百年かかると聞いていました。マザー・テレサが亡くなったのは1997年(87歳でした)。20年も経っていません。まさか僕が生きている間に!

昨今、眼にまた耳にするニュースはあまりにも殺伐、血なまぐさい出来事ばかり、人がひととして人に対してどうして? あまりに色々な出来事があって、どんどんと記憶の片隅に押し込まれてしまっていますが、今一度マザー・テレサを思い起こして、愛・優しさ・思いやりの心、考えてみたいと思います。」

 

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これまでに見たことのない厳しい表情のマザー・テレサがそこにいた。

1995年、インド・コルコタの「死を待つ人々の家」に赴く機会を得た百瀬氏は、写真を撮らせてほしいと願い出た。大の写真嫌いだというマザー・テレサは、百瀬氏の顔を凝視したそうだ。百瀬氏も決して目をそらさず全力で凝視し返す。しばしの真剣勝負で向き合う人間と人間。そして、マザー・テレサは承諾の意を示した。

ミサに臨む姿、祈りを捧げる横顔に、至近距離でレンズを向けたその写真は、最晩年のマザー・テレサの苦悩を映し出すようだ。深く刻まれた彫刻のような皺。真一文字にきつく結ばれた口元。インドの青年たちに囲まれたシーンが唯一の笑顔だったが、それ以外は、何と言おうか、自身を戒めるような峻厳さが見る者をたじろがせる顔である。

会場で百瀬氏とお話した。

「死を待つ人々の家の入り口で選ぶわけですよ。コルコタの町は貧困や病気で死にそうになっている人々で溢れかえっている。すべての人の最期を看取ることはできない。迎え入れる人をマザー・テレサが決めれば、中に入れてもらえなかった人に外で死ねと言っているのに等しいことを彼女自身もわかっているわけです。」と百瀬氏は当時を振り返って語る。「でも、すべての人を助けようとすると誰も助けられない。」

その不条理を自覚しながら、自らに課した務めを果たそうとするマザー・テレサの厳しい表情に私心は一切感じられない。

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今回の写真は、すべて和紙に現像されたモノクロの作品だった。

「印画紙を、和紙を使って自分で作って、何か表現できたら」と思った百瀬氏の、大変な手間をかけた現像過程を記録したビデオ映像をギャラリーの一角で見られるようになっていた。

8畳ほどの暗室。薄暗く赤い電球の下で、まず和紙にモノクロ感光用の乳剤を塗る。今や製造中止になってしまった貴重な乳剤を刷毛を使ってムラなく。刷毛も硬いものや柔らかいものを4種類ほど、現像する写真の絵柄によって使い分け、二度塗りする。塗り終わったらドライヤーを使って乾燥。水分をたっぷり含んでいるので結構な時間がかかる。そり曲がってしまったらプレス機で熱を加えながら伸ばす。これで和紙の印画紙の出来上がり。やっとプリントを始められる。

フィルムをセットし、ピントを合わせて、でき上がった和紙の印画紙に露光する。露光時間を長くしたり短くしたり、部分的に光を加えたり減らしたり。面白いのは光にかざした手を細かく震わせながら光の量を加減するところ。いちばん緊張する場面だそうだ。絵柄によってのイメージ作業だが、現像液をつけるまで全くどうなるのかわからない。

普通は感光させた印画紙全体を現像液につけるが、百瀬氏は刷毛を使って、イメージする所だけに現像液を塗っていく。真っ白な和紙の印画紙に像がジワーっと浮かび上がってくる。これが「いちばん幸せな瞬間」というテロップがあった。そのあと停止液、定着液に浸ける。ここまでが暗室での作業だ。

一時間、流水で水洗いし、丸一日かけて自然乾燥して、やっと完成!

この手法では、同じものは二つとできない。元のフィルムは同じでも、和紙の印画紙を作る際に塗る乳剤の刷毛さばきや現像の際の光の当て具合いによって、全く違った印象になる。たとえば、マザー・テレサの背後にいたはずのメガネをかけたシスターは現像されず、そこに白い空間として抽象化されたバージョンもあるのだ。それぞれが一点もののアート作品と言える。

対象の本質を捉えてシャッターを切る瞬間、そして、デザインするように図柄をあぶりだす現像技術。日頃、スマホで安直に撮っている大量のデジタル画像とは対極にある、こだわり抜いたアナログの世界である。

しかも、その手作りの印画紙は、一昨年ユネスコ無形文化遺産に登録された、日本が誇る手漉きの和紙だ。まるで日本古来の墨絵のような写真が切り取った現代の一断面。

 

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急ピッチで決定した列聖もあれば、逆に誹謗・中傷も今なお絶えない。そんな動きに超然とした彼女の力強さが、その死後も伝わってくるようだ。

(続く)