亡き草間彌生が花々に話しかけられた幻聴に触発されて発掘した拙短編の完結編。
第三話はこちら。
第四話 白バラの誓い
その後、若者がどこをどう旅したのか、詳しいことはわかっていませんが、こういう世の中ですから、生きていくために苦労を重ねたことでしょう。もともとは、王様のお庭の世話という、かなり安全な仕事で生きていける安定した身分に生まれたわけですが、そこからはみ出した以上、なりふり構わずやっていくしかありません。修道院で庭の手入れをしながら修行する道も選ばなかったので、危険な旅の道中、まずは身を守るために多少は武芸の心得も要ります。あるときは、怪しい錬金術師のところで、しばらく居候したこともありますし、ムギ畑で百姓の手伝いをしたこともあります。農作業はきつくて、庭の手入れとはずいぶん勝手が違いました。
やがて、若者は、とある騎士に目をかけてもらい、その家来になって、お伴をしながらだんだんと武芸やその他の教養を身につけていきました。何度か戦いにも参加して、ついには騎士として認められるまでになりました。国を出てから十年ほど経っていたでしょうか。もう、今や庭師の若者の面影はなく、武勇の誉れ高い騎士となって、久々に故郷を訪ねてみたのです。
その小さな国は、たいして変わっていませんでしたが、やはり、度重なる戦禍に無縁ではなく、お城は荒れ、国の支配者も他の者が取って代わっていました。あの王様や王妃様はどうなったのだろうか? 庭師であった頃からすでに両親を亡くして天涯孤独の身であった騎士にとって、この国で多少とも縁があったのは、それこそ王妃その人だけと言えました。
騎士は城に向かい、時の支配者に面会を求めました。王とも呼べぬその男は、どこかの騎士団を抜け出して、この小国を乗っ取った、ならず者でしたが、武勇の誉れ高い騎士に対しては礼を尽くすようでした。王座の隣に座る女性の姿に、騎士は驚愕しました。
それは、あの王妃様ではありませんか! 十年の歳月は王妃から無邪気な明るさを失わせ、もちろん、若さも失われてはいましたが、その美貌にはますます磨きがかかり、あらゆる艱難辛苦を耐え抜いてきたからか、どこか凄みを兼ね備えていました。
王妃の方も、一目で騎士の正体に気がつき、その瞳に動揺が走りました。実のところ、王妃が今日まで生き延びることができたのは、あのとき、庭師が失踪してくれたからであり、もっと言えば、その後の戦いで、王様が命を落としたからとも言えるのです。人の運命とは酷いものです。彼女はこのならず者騎士の妻となることで、自分を守ってきたのでした。
「これは美しい奥方ですな。うらやましいことです」
庭師の騎士は、素知らぬ顔で、ならず者にお世辞を言いました。
「ああ、自分のような荒くれ者にはもったいないぐらいで」
やましいところのあるならず者騎士はあいまいに答えました。
「ぜひ奥方にお城の庭などを案内していただきたいのですが」
「もちろん喜んで。さ、この立派な騎士殿を案内してさしあげなさい」
庭師の騎士は、はやる気持ちを抑えて、王妃の後について城の庭へと向かいました。もとの自分の庭です。心臓が早鐘のように打ちました。庭に入ると、そこには一面バラの花が咲いていました。ほかの花はなく、すっかりバラ園になっていたのです。そして、バラはすべて真っ白でした。

「なんと! これは、あなたがそうさせたのですか?」
「ええ、わたくしの人生の残りは供養のために捧げてきたのです」
「亡き王様のためですか?」
「それもあります。でも、それだけではありません。あなたが生きていたなんて、今日まで夢にも思いませんでした。一体、どこでどうしておられたのです? わたくしを置いて、突然出て行ってしまうなんて、ひどいじゃありませんか!」
「ああ、許してください。いや、許してはもらえないでしょう。私は何度も死んだようなものです。あの頃の庭師はもうこの世にはいません」
「それなら、あの頃のピンクの好きな王妃だって、もうこの世にはおりません」
二人は顔を見合せて寂しく笑いました。
「それにしても、お互い、なんとしてでも生き延びようとする執念は凄いものですわね」
「我々が再会するまで、天が生かしておこうとしてくれたとしか考えられませんな」
「あら、そんなものの言い方。あなたは本当に変わりましたね」
そこへ、ならず者騎士の小姓が呼びにきました。
「宴の支度ができましたので、お城にお戻りくださいとのことです」
「ああ、それはかたじけない」
王妃はふと眉を曇らせて、庭師の騎士にささやきました。
「お気をつけあそばせ。夫は根が裏切り者です。くれぐれも油断なさいませぬよう」
「重々承知しておりますよ」
お城の広間で宴会がつつがなく行われました。酒を酌み交わし、庭師だった騎士にとっては懐かしい故郷の料理がふるまわれ、夜更けまで続きました。宴たけなわの頃、すきを見て、王妃が庭師の騎士に近づいてささやきました。
「明日の明け方、もう一度、あの庭にいらしてください」
何か決意を秘めているような表情に、庭師の騎士は不安になりました。
夜が明ける前に、約束通り、庭に出てみると、王妃はすでに先に来ていました。ただならぬ気配を感じて近づいてみると、白いドレスに点々と血の跡があるではありませんか。
「まさか!」
王妃は振り向きました。その白い顔はひきつって、さらに蒼白です。手には剣が握られていました。
「そうです。亡き王の剣です。本当に優しい方でした。わたくしが裏切っていたことをきっとご存じだったに違いないのに、あなたがいなくなったとき、わたくしのことは一切とがめず、黙ってお城に居させてくれて、胸の張り裂ける思いでした。わたくしはただのわがまま娘で、自ら命を絶つ勇気も、あなたを追いかける勇気もなかったのです。わたくしが王を愛していないこともご存じだったのに、その後の戦いで王は、わたくしを守るために命を落としてしまわれたのです。もっと早く復讐を果たすべきでした。わたくしはとっくに地獄に落ちた女です」
あまりのことに、庭師の騎士は、ひとことも言えないでいましたが、つと立ち上がって、王妃から剣を取り上げると、可憐な白いバラがたくさんついた枝をばさりと伐りました。そして、棘がたくさんある、その枝をぐっと思いきり握りしめたのです。
「なにをなさいますの!」
「このぐらい、あなたが流した血に比べたら何でもありません。今、私にはわかりました。今度こそ、私は逃げてはいけないのです。本当は、あのピンクの庭で私は亡き王様に捕らえられて死ぬべきでした。それなのに今日まで生き延びたのは、どうしてももう一度、王妃様にお会いしたかったからです」
「わたくしは、ひどい女ですよ。あのならず者の妻になったのですよ」
王妃はさめざめと泣きました。
「どうかご自分を責めないでください」
そして、もう一度白バラの枝を高く掲げると、騎士の手から滴る血が腕のほうまで流れてきました。
「美しいバラにはみな棘があるのです。弱いバラを守るために棘があるのです。棘があるから美しいのです」
(私はあなたの弱さも棘もすべて受け容れます。そして、必ずあなたを守ります)
今でも、肝心なところは口にできない庭師の騎士でしたが、その代わりに白バラを掲げて誓うのでした。
夜が明けると、お城の家来たちが異変に気づいて庭に集まってきました。王妃は血染めのドレスで堂々と立ち、こう言い放ちました。
「あなた方の主人は、わたくしがこの手で殺しました。何も言い訳はしません」
そして、庭師の騎士が続けます。
「私は亡き王にお仕えしていた者。一命に代えても王妃様をお守りする」
しかし、多勢に無勢ではどうしようもありません。庭師の騎士の懸命の戦いぶりも王妃が振るう亡き王の剣も空しく、二人は庭で最期を遂げました。あたりの白バラが血で赤く染まったと言います。主人であるならず者騎士の仇討ちだったとは言え、昨日訪ねてきたこの庭師の騎士に心服していた家来たちは、王妃と共に斃れた彼を悼んで、手厚く葬りました。王妃と二人を並べて、庭の最も美しい場所に。かつて、二人が座っていたベンチの辺りでしょうか。
それ以来、庭の扉は固く閉ざされ、誰も中に入った者はいないと言います。噂では、世にも美しいバラの園になっているとか。白ばかりではなく、かつて、王妃が愛したピンクのバラもあれば、真紅のバラも咲き、絵に描いたバラではなく本物の黄色いバラも咲いていました。いったい誰が世話をしているのか謎ですし、誰が見たのかも謎ですが、噂とはそんなものでしょう。庭師が葬られた庭なら、なんとなく、そういうことがあっても不思議ではないような気がします。庭師と言うのか、騎士と言うのか、王妃にとってはどちらでもよかったのですね。そうそう、余計なことですが、白バラの花言葉は、「心からの尊敬」、そして、「私はあなたにふさわしい」ということだそうです。
***
旅芸人は長い物語を終え、あたりは静まり返っていた。ところどころで、すすり泣く声がする。こんな結末を誰も予想していなかったのだ。人々はなかなか立ち去り難く、それぞれ、物思いにふけりながら家路についたのであった。
翌朝早く、また、リュートの音が聴こえると思って、外を見た人々は仰天した。緑のとんがり帽子をかぶり、灰色のマントを着た旅芸人を先頭に、町中の若い娘たちが列をなしてついていくではないか! 娘たちは各々の手にバラの花を持っていた。赤、ピンク、黄色、白、思い思いの色のバラを手に、魂を抜かれたように歩いている。親が呼んでも、恋人が呼んでも、まるで聴こえないように、リュートの音に合わせて、恍惚の表情で不思議な歌を口ずさみながら歩いて行く。やがて、町を囲む城壁までやってくると、門番達も魔法にかかったように抵抗することなく城門を開き、旅芸人と娘たちの一行は、街道をどんどん進んで行くのであった。
嘆き、泣き叫ぶ母親たちを残して、娘たちは去ってしまった。この話は、「ハーメルンの笛吹き男」ほど有名ではないが、「リュートの旅芸人とバラの娘たち」という伝説となってこの地方に残っている。一説によると、庭師の騎士と王妃が葬られた庭のある小さな城を、娘たちは修道院として使うようになり、庭のバラの世話も彼女達がやっているとか。矛盾した話だが、案外そうなのかもしれない。そして、旅芸人がいったい何者であったかは、今日まで謎のままである。(おわり)






