よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

世界に一つだけのバラ、あるいは、あじさい?

ひと昔もふた昔も前のことになるが、SMAPの『世界で一つだけの花』という歌がヒットした。

「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン♪」

励まされるような気もするし、慰めにもならない気もするこの歌詞。当時の私は不快感を覚えた。

確かに、一つの物差しでナンバーワンからビリまで序列をつけて、ナンバーワンだけを褒めそやすのが良いとは思わない。でもこの歌、人のやる気を削いで適当にあしらおうとしてないか?と感じたのだった。

その後、「2番じゃいけないんですかっ!」という発言が耳目を集めた時代もあった。別に2番でもいいと思う。ただ、2番は結果であって、はじめから2番でいいやと思うと、2番にもなれないのではないか。オリンピックの銀メダルは、金メダルを目指した人しか手にできないものだろう。

いや、一つの物差しだけで測るのがよろしくないのであって、多様な観点が必要だという意見もある。しかし、物差しが一つであろうが多様であろうが、それは誰もが自分を認めてもらいたがっているということの表れだ。誰もがもともと特別なオンリーワン? 何か気が抜けないか? もう余計な努力もアピールも要らないよと。

あのホンワカしたメロディが、あきらめと開き直りのように聞こえた、当時の私の焦燥感のせいかもしれない。2003年と言えば、海外駐在から帰国して、当然、夫は職場へ、息子たちは3人とも小学校へ。私は家に一人。専業主婦歴が10年を超え、この先どうしようかと悶々としながら、引きこもっていた。

 

ふと思い出すのは、『星の王子さま』に出てくるバラの花のこと。王子さまの星に一輪のバラの花が咲いた。それは、王子さまを心から感動させる美しさと良い匂いと光に溢れた花だった。しかし、花は、咲いたかと思うとすぐ、自分の美しさを鼻にかけて、王子さまを苦しめ始める。評者によっては、著者サン=テグジュペリの妻のことをほのめかすとされるこのバラの花は、自己顕示欲が強く、気まぐれで、嘘をついてまで自己主張するのだ。

「夕方になったら、覆いをかけてくださいね。ここ、とても寒いわ。星のあり場が悪いんですわね。だけど、あたくしのもといた国では……」

こう言いかけて花は口をつぐむ。この星に飛んできた種から生まれたバラが、他の世界など知っているはずもなく、もといた国なんてありもしないからだ。そんなすぐばれそうな嘘を言いかけたのが決まり悪くて、ごまかすために、花はわざとらしく咳をする。

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あーもう面倒くさい女だと、イライラしながら読み進むうちに、案の定、けなげな王子さまは振り回されてバラの花とうまく行かなくなり、やがて別れを告げて自分の星から遠くへ旅に出る。

地球にやってきた王子さまは5千ものバラの花が競うように咲き誇る庭にやってきた。自分の星に残してきた花に似ているのに驚いて「あんたたちだれ?」ときくと、花たちは、「あたくしたち、バラの花ですわ」と答える。

王子さまはとても寂しい気持ちになって考える。遠くに残してきた花は、自分のような花は、世界のどこにもない、と言ったものだった。

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「もし、あの花がこのありさまを見たら、さぞ困るだろう……やたら咳をして、人に笑われまいと、死んだふりをするだろう」

それからこうも考えた。

「ぼくは、この世にたった一つというめずらしい花を持っているつもりだった。ところが、実は、当たり前のバラの花を、一つ持っているきりだった」

そして、王子さまは草の上につっぷして泣いた。

 

自分が、この世にたった一つの特別な存在でありたいと願う気持ち。そして、自分が大切にしている相手が、この世でたった一つの特別な存在であってほしいと願う気持ち。それは、人がより良く生きようとする原動力になる。

と同時に孤独にする。

ありのままの凡庸な自分やありのままの凡庸な相手を受け容れられなくて、もがいて背伸びする。しかも、自己評価だけでは心もとなく、余計なプライドとコンプレックスに引き裂かれ、外からの評価に一喜一憂するのだ。

孤独というのは、良くも悪くも、他者と異なる自分というものを意識することから来るのではないか。

だから一方で、そんな自分を受け容れてくれる集団に属して安心を得たいという欲求もある。そこでは、自分だけが特別でありたいという願望は、いったん放棄してもいいような気にさえなる。集団に溶け込むことができれば孤独を感じないかもしれない。

この二つの気持ちの間で絶えず揺れ動きつつ、私は子どもの頃から集団に溶け込むのがあまり得意ではなかった。だからこそ、棘のあるバラの花に共感するのかもしれない。それが自分を支える術だったのかもしれない。

しかし、バラの花が精一杯自己主張して、多少の賛美者を得たところで、所詮、ほかのバラの花とたいして違わない。そして、自己愛に囚われている限り、心の平安はなかなか得られない。

星の王子さま』では、王子のバラの花が王子にとって大切な存在であるのは、この花のために王子が費やした時間と花に対する王子の思いによるのだと、キツネに教えられ、王子は自分のバラの価値をようやく再発見したのだった。

 

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時に梅雨の季節。ひと雨ごとに色づくあじさいの花がそこかしこに咲いている。あじさいは「あづさい」が変化したものという説もあり、「あづ」は「あつ(集)」、「さい」は「さあい(真藍)」で、青い花が集まって咲く様を表したという。集まって咲く青い花か……なんと無邪気で無欲なことだろう。

集まって咲く小花のどれ一つとして「私がいちばん美しい」とか「私だけはちょっと変わっててステキ」などと自己主張することはない。ある小花を別の小花と場所を入れ替えてもさほど違いはないだろう。それでいて、全体として均整の取れた花を形づくるべく、小花たちは自然界の厳然たる掟を素直に(無意識に)守っているのだ。掟を破って自分だけ目立とうとする者がいないからこそ、きれいな丸い形になる。

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あじさいの小花は、自分がその他大勢と同じく凡庸な存在であることを全く苦にせず、むしろ仲間の小花たちと共により大きな全体を構成することに喜びを感じているかのように見える。互いの違いなど意識したことがなく、優劣をつける必要もなく、個々の花は地味な生涯を過ごす。別にそれを消極的な生き方だと言う必要もなく、ある意味、清々しい無私の姿である。そこかしこで、さりげなく咲くあじさいは逞しい。

完璧な調和の中に小花たちは満足し、小さな合唱団のように嬉しげなコーラスを奏でる。土壌の性質により、また、時の経過につれて、緑、白、青、赤紫……と色変わりしながら、皆で雨に打たれ、一層生き生きとする。

そのような花があたり一面に咲きそろっているという「あじさい寺」は、さぞや極楽浄土の風情……そんな場所に身を置けば、己への執着を捨てて、同様に命を享けたすべての存在と共に仏の道に帰依し、悟りを開くことができる気がするかもしれない。行ってみたいものだが、今の季節は観光客で混雑し境内に入るのも大変だという。似たような憧れに駆られた人々が殺到する。それが俗世というもの。

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それでも。

「世界に一つだけの特別なバラだよ」と言ってもらえたら、やっぱり嬉しいだろうなあ……所詮、ほかのバラの花とたいした違いはなくても。たとえ棘があっても。自己愛に囚われている限り心の平安はなかなか得られなくても。その葛藤や努力こそが人生のドラマを彩る。それはそれで良いではないか。星の王子さまのたった一つの自意識過剰なバラが、今では愛おしく思える。

自分なりに、外の世界に出て、もがき続けてきたからだろうか。

SMAPの歌詞も不快に思わなくなった。そうだな。ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン。あじさいの丸い形を構成している小花の一つ一つだって「世界に一つだけの花」だ。小花たちはそんなことに頓着してないけれど。