還暦にあたりブログを再開します
おかげさまで還暦を迎えた。早いものだが、生まれることができ、ここまで生きてこられたことに感謝するほかない。
なぜか私は何かを書こうとしてきた。いつ頃からだろう? 昨年、実家に残っていた自分の持ち物を整理していたら、小学校に上がった頃に作った絵本が出てきて驚いた。宿題でも何でもなく、画用紙を何枚か折ってセロテープで貼り合わせただけの数ページの冊子に稚拙な文章が綴られ、下手くそな動物の絵が色鉛筆で描かれている。お菓子の動物たちが動き出すという自作の物語には確かに憶えが・・・恥ずかしい素朴さだが今見るとただ懐かしい。よく置いてあったものだ。
何かを書こうとするのは、誰かに何かを伝えたいから、のはずだが、ほかにも伝える方法はなかったのか? 人によっては、絵を描いたり、歌を歌ったり、楽器を奏でたり、あるいは、踊ったり、演じたり、スポーツしたりといった身体全体を使う形で、より良く伝えられるのかもしれない。言葉では伝えきれないことまで伝わるかもしれない。
言葉を連ねた文章では伝えきれないことがたくさんあるとわかっている。それでも、自分には文章を書く以上に伝えたいことを伝えられる方法がないから、私は何か書こうとするのだろう。たとえ思ったようには伝えられなくても。
何を伝えたいのかすらはっきりしない場合もある。師匠の一人は「書くことがない時には書かないことです」と言ったが、ただ黙って考え込んでいることは結構苦しい。自分の中でモヤモヤしている考えを、自分にとってはっきりさせたい思いに駆られて、とりあえず何らかの言葉にしてみようとする。それでモヤモヤがいくぶん整理されたような気になる。
だから日記もよく書いていた。小学校の高学年あたりから断続的に、大人になっても折に触れて書いていた日記が我が家の段ボール箱に数十冊ある。およそ他人様に見せられる代物ではなく歴史的価値は一切ない。やがて、ウェブ時代の流行りに倣いブログを書くようになった。ウェブ上で他人様も読める文章だから、自分だけの日記とは違うはずだが、なぜかブログを始めたら紙の日記帳を使わなくなった。そんなにあちこちに書いていられないし、自分だけのために書く気にならなくなったのかもしれない。やはり、読んでくれるであろう誰かと何かを共有したいのか? 手違いで消えてしまったブログも入れると、この「よろず編集後記」で3代目のブログだ。
昨年の初め、父が亡くなった直後に書いて以来、1年半ほど更新していなかった。理由はいろいろある。さすがにしばらく落ち込んでいたし、確かに忙しかった。誰に頼まれたわけでもないのに敢えて社会人大学院の門を叩いたからには論文というものを形にしなければと思い詰めていた。2年の修士課程はあっという間で、ひたひたと迫る〆切に焦りながら、道半ばの内容を何とかまとめるだけで精いっぱいだった。しかし、そんな日々であっても、食べるとか眠るとか、洗顔とか歯みがきとかはするのだし、減らしていたとはいえ仕事も続けていたわけだから、ブログが劣後扱いになっていたことは間違いない。そうこうするうちにブログを書く気持ちにブロックがかかってしまった。
長い空白期間を経て久しぶりに読み返してみると、あれやこれやと長々しい文章をよくぞ書いたものだ。我ながら呆れる・・・どうやって時間を捻出したのだろう? 今よりヒマだったのか? 寝てなかったのか? どうしても書かずにいられなかったのか? 仕事でもないのに。
いや、仕事と言える場合もあった。原子力の問題をテーマにした中学生の研修ツアーに何度となく同行取材した時のレポートは、どこのメディアに載ったわけでもなく、このブログが唯一の記録になっているものが結構ある。逆に、仕事で音楽関連のプレビュー記事を書いた後で、実際のコンサートに行って、感激のあまり感想を綴っている場合もある。どちらもある意味、書かないわけにはいかなかった。
雑多な内容がランダムに並んでいて、検索機能もないので、様々な記事があちこちに埋もれている。何か特定のテーマに特化したウェブサイトにしたほうが良いとか、ジャンルごとに分類してスッキリさせた方が良いとアドバイスしてくれた友人もいる。確かにその通りだろう。
しかし、音楽を聴きに行く自分も、原子力関連施設を見に行く自分も、自分という一人の人間であり、自分の中では、それぞれの取材は決して別々の異なるジャンルではないのだ。それがどう繋がっているのかは、うまく言えないが、音楽も科学の法則に則った現象であるし、どんなテクノロジーも人間の営みである以上、両者は無関係ではないと思っている。そこまで言うと雑すぎるかもしれないが、さまざまなことを繋げて、そこに何かを見出すのが編集の妙ではないだろうか。
ということで、今後も強いてジャンルに分けることはせず、その時その時に書きたいことを書き連ねることにする。どうやら心のブロックが外れたようだ。何かを書こうとするサイクルに戻ってきたのかもしれない。モヤモヤとはっきりしない自分の頭の中を整理したり心の内を探ったりすることを再開してみようと思う。マイペースで。
5歳の頃に描いた自画像。これも実家の母が長年保管してくれていた。幼少期を過ごした西独(当時)デュッセルドルフの幼稚園で、卒園前にどの子もそれぞれ描いたはずだ。黄色い太陽から下向きに赤いビーム光線が描かれているのがドイツっぽい。下の方に書いてあるDas bin ich!!!(It's me!!!)という流麗な筆記体は担任の先生の字だろう。三つ子の魂百まで。私はこの当時から基本的に変わっていないのだと思う。まだ文章は書けなかったけれど。