よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

マザー・テレサ写真展@上智大学

これもまたずいぶん前のことになるが・・・

昨秋のある日、ひょっこりマケドニア大使館からメールが届いた。11月の終わりから12月始めにかけて、上智大学マザー・テレサの写真展が開催されるという。

マザー・テレサ写真展を開催します | ニュース | 上智大学 Sophia University

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初日の11月28日夜、オープニング・レセプションがあり、一年半ぶりにアンドリヤナ・ツヴェトコビッチ大使にもお会いすることができた。開口一番、彼女は少しはにかんだ笑顔で「ママになった」と言った。えーっ、いつの間に!確かに、インタビュー記事に「将来、家庭を持つことも前向きに考えている。」と書いたが、具体的に実行されたとは・・・ついこのあいだ出産したばかりだと言う。そして、すぐにまた駐日マケドニア大使の職務に戻った彼女。その日は会場で次から次へと挨拶や歓談に忙しい大使とそう長く話しているわけにいかなかったが、以前にも増して溌剌とエネルギーに溢れ、誰に対しても堂々としているその姿に改めて感服した。

 

当日のテープカットやオープニング・セレモニーの時間帯には間に合わなかったので、12月に入ってから再び上智大学四ツ谷キャンパスを訪ね、写真展をじっくり見た。

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マケドニア共和国スコピエにあるマザー・テレサ記念館所蔵の写真がマザー・テレサの生涯を綴る形で並べられ、添えられた文章も併せて興味深い展示である。とくに幼少期の家族写真や少女時代の肖像など、マザー・テレサになる前のアグネス・ゴンジャ・ボヤジウの姿は初めて見るものだった。

 

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思いつめたように大きく見開いた目。三人姉弟の末っ子として生まれたゴンジャは、幼い頃から信仰心が篤く、12歳の時に初めて「神の声を聴いた」という。そのような体験をすることもなく年齢だけ重ねた身には想像もつかないことだが、やはり、使命感というものは人智を超えた次元からの指示なのだろうか。

 

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故郷スコピエからダブリンのロレト修道会に旅立つ前日のゴンジャ。カメラ目線ではない、どこか遠くの何を見据えていたのだろう。

 

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ダブリンからインドへの船の中で綴られた「惜別」という詩。冒頭はこんな感じだ。

 わたしは大好きな家を去っていく
 そして愛する国を。
 わたしは行く 蒸し暑いベンガル
 遠い岸辺へ。

偉い、立派だと言うよりも、なぜ、縁もゆかりもない遠いインドへ行くのか?と問わずにいられない。“ヨーロッパの火薬庫”とも呼ばれた当時のバルカン半島の祖国の人々だって決してラクではないのに。友だちも家族も、祖国もヨーロッパも捨てて、「苦しい、いけにえ」として自分を捧げると言っている。

私はクリスチャンではないし、幸か不幸か「神の声」を聴いたことがないので、およそ理解し難いことだが、そのように命じる声を聴いてしまった教祖たちや聖人たちは、俗世のすべてを超越したミッションへと向かうのだろうか。

慣れ親しんだ生まれ故郷で、愛する人と家庭を築き、子どもを産み育て、自分なりに持てる力を発揮し、周りの人と力を合わせて、ほんの少し世の中の役に立つ・・・そんな平凡な人生を敢えて選ばず、異国で苦しむ貧しい人々を救うべきであるというのはどういうことだろう? この世に生まれた使命というものは自分では決められないものなのだろうか?

インドのコルコタでロレト修道会の学校の教師として、カースト制度の身分の高い娘たちに地理と歴史と聖書を教えていたマザー・テレサは、再び神の声を聴く。「街の通りへ出てインドの最も貧しい人々の中へ入るように」と。そして、1948年8月16日、マザー・テレサは青い線の入った白い木綿のサリーに身を包み、彼女の人生の20年間を過ごしたロレト修道院を去った。

それからのマザー・テレサの活動は世界中の人々がよく知るところである。

1950年に修道会「神の愛の宣教者会」を設立し、インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受け、「死を待つ人々の家」というホスピスも開設。ケアする相手の状態や宗派を問わない活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。写真展には彼女の言葉が紹介されている。

神は唯一です。そして神はみんなの神さまなのです。だから神の前では誰もが平等とみられる事がとても大切なのです。私はいつも言ってきました。ヒンズー教徒の人達がより良いヒンズー教徒になれるように助け、イスラム教徒の人達がより良いイスラム教徒となれるように助け、カトリック教徒の人達がより良いカトリック教徒となれるように助けなければなりませんと。

テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610か所で活動を行っていたという。活動内容はホスピスHIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校など。

彼女はグローバル・ビジネスをやるために、メンバーや資金を募ったわけでは決してないけれど、その凄まじい使命感と、それが必要な世の中だったからこそ、おのずと多くの人々を巻き込んでいったのだろう。その結果、組織も活動も世界中に広がった。結婚せず、子どもも産まず、この道一筋の“プロ”となり、「神の声」に従って、やると決めたことをやりきった壮絶な生きざまには頭を垂れるほかない。とてつもないリーダーシップに人々がついて来る。ビジネスをやるのとは全く次元が違うけれど、強く明確なビジョンには現実を動かす力があるのだ。

 

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印象に残ったのは、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世との写真。乙女のような彼女の表情になぜかとても嬉しくなった。彼との出会いをマザー・テレサは「人生の最も幸福な瞬間であった」と言い表したそうだ。そして、彼は彼女の没後2年で、彼女の列福および列聖の調査・手続きを開始したという。

 

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マザー・テレサは、1981年、82年、84年の3回にわたり上智大学を訪問し、英語で講演を行ったそうだ。肉声に直接触れてみたかったものだ。

この写真展は、昨年4月にツヴェトコビッチ大使が上智大学を訪問したことをきっかけに実現したそうだ。上智大学マケドニアスコピエにある聖シリス・メソディウス大学は今後、学術交流協定を締結する予定で、写真展初日の11月28日には両大学と駐日マケドニア大使の署名による覚書が交わされた。上智大学マケドニアの教育機関と協定を締結するのは初めてとのこと。

 

会場の片隅にひっそりと百瀬さんの写真も展示されていた。一年前の写真展がこのような形でつながったのが嬉しい。

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28日のオープニング当日はツヴェトコビッチ大使のスピーチに間に合わなかったが、後日、大使館が送ってくれた。百瀬さんのことにも触れられている。

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A confirmation of the strong link between Mother Teresa and Japan are the numerous Japanese artists and writers which have dedicated the most of their work to represent the life and mission of Mother Teresa. Among them is Mr. Tsunehiko Momose who had travelled to India and made photos of Mother Teresa portraying her sad face. He considers that the mission of Mother Teresa was very difficult and demanding and that is the reason behind his decision never to make photos with Mother Teresa smiling. The art of Mr. Momose is very unusual and unique due to the fact that he has been using the traditional Japanese rice paper “washi” to represent his photos and in such way to illustrate the connection between Mother Teresa and Japan. Mr. Momose participates with three of his photos in this exhibition which are exhibited next to the Catholic center.

(拙訳)マザー・テレサの人生とミッションについて作品を捧げた数多くの日本人のアーティストたちやライターたちは、マザー・テレサと日本との強い絆を立証するものです。中でも、インドへ旅しマザー・テレサを撮影した百瀬恒彦氏は彼女の悲しい顔の写真を撮りました。彼は、マザー・テレサのミッションはとても困難で大変な努力を要するものだったということを考えました。それが、マザー・テレサが笑っている写真を決して撮らないという彼の決断の背後にある理由です。百瀬氏の芸術はとても独特です。彼は日本伝統の和紙を使って写真を現像し、そのような方法でマザー・テレサと日本の関係を表現しています。カトリックセンターの隣で開催されているこの写真展に、百瀬氏もその作品3点で参加しています。

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最後に、とても励まされたマザー・テレサの言葉を一つ。

あなたには私にできないことができます。私にはあなたにできないことができます。でも、一緒にやれば私たちは神さまのために何か美しいことができます。

私にはどこの宗教が言っている「神さま」もピンと来なくて、それ以上の関わりを持とうとしていないけれど、信仰心の厚い人々への敬意は持っているし、何者かに祈る気持ちは私にもある。直接「神の声」を聴く可能性はおそらく一生ないだろうが、誰かと一緒に何か美しいことができたらいいな・・とは思う。

 

地層処分って本当にできるの?⑤ 幌延を見て語り合う

昨年8月に北海道の幌延深地層研究所を見学した直後に、都内で参加者および関係者による座談会が行われた。真夏の暑い日であったと記憶している。ずいぶん時間が経ってしまったが、せっかくの話し合いの内容を記録しておきたいと思う。

 

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 A:このたびは本当にお疲れ様でした。Zさんのおかげで本当に良いツアーをさせていただき、N先生の素晴らしいコンダクトで時間を上手に使うことができました。また、Hさんのまとまったレクチャーによって今まで聞いたこともないようなエネルギーのお話を聞くこともできて、みなさんすごく喜んでらっしゃったし、そこで改めて疑問も出てきましたよね。

 幌延深地層研究所の見学によって、実際に深さを体感したというか、やはり現場を見るのはすごいことだと思います。そういうことを踏まえて、地層処分という問題について、自分たちがどんな懸け橋になれるのか、あるいは、難しいと感じるのか? 今後、若い方や子どもたちなど次の世代も考え続けていかなければならないテーマなので、こういうことにどうやって私たちはアクセスしていったらいいのか、あるいは、どんな機会に接すればみんながそういうことをもう少し身近に感じていけるのか、今日はそんなことまで話していけたらいいなと思っています。これまでのみなさんご自身の考えや疑問があったと思いますが、それと併せて今回の見学の感想をお一人ずつお願いいたします。

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幌延深地層研究所を見学して 

 

C:私は1月に岐阜の瑞浪超深地層研究所の500メートルの坑道を見学し、今回は幌延で350メートルの研究坑道を見学しました。瑞浪でも感じたことですが、一般人が多少の装備をすればキブルで簡単に降りることができ、近いなという印象を持ちました。なので、人間社会から隔離された場所に埋めると言いますが、そんなに隔離されているようには思えませんでした。もちろん、将来的に埋め戻すにしても、一度掘れたのだからいつでもまた掘れるわけですよね。意外と近いというのが私の感覚でした。ですから、10万年先にどうなるかということより、もっと近い将来のほうが心配で、20年後30年後、その気になれば人間が掘り返せるだろうという気がします。ですから、オーバーパックやベントナイトでしっかりとガードして放射性物質が漏れないようにする技術は、かなり高いレベルまで実験や研究が進んでいることが見学によってわかりましたが、人間がアクセスしないようにする対策のほうが必要ではないかと思いました。確かに地上に置いておくよりは地下のほうが安定していていると思いますが、埋めてしまって終わりではなくて、地下に埋めた状態で人間がずっと管理していかなくてはならないのではないかと、実際の地下を見て思いました。

 

B:私は地層処分に関してここまで深く考えたのは正直初めてだったのですが、確かにたった4分の間に下りられる距離ですね。もう少し深くまで掘ることになるとは思いますが、まあ10分以内で降りられる距離のところに高レベル放射性廃棄物が埋められるというのは、いくら安全対策をして何万年先まで大丈夫という研究がされていても、専門家にとっては、それは「安全」ととらえられたとしても、タクシーの運転手さんも言ってましたが、一般住民、あまり知識がなく、いろいろな情報に振り回されてしまっている方々にこれからどうやって理解していってもらえるのか・・・その土地に住む人たちだけが苦しむというのはやっぱりおかしいと思うので、みんなでそれを共有することによって、苦しみを少しでも和らげるような方法を今からゆっくり、しっかり考えていった後に、地層処分をするというのがいいのではないかと思いました。なので、タクシーの運転手さんに、その土地に住む人としてご意見をいただいたというのはすごく貴重なお話だったと思います。

 

S:初めて参加させていただいたのですが、初日に受けたHさんのレクチャーの内容が自分にとってはすごくよかったな、勉強になったなというのが率直な感想です。僕もそれなりにエネルギーについては興味があったのですが、やはり自分にはなかった知識が多く得られて非常に良かったと思います。こういう活動を通していろいろ勉強していきたいと強く思いました。また、たまたま教師という職業をやっているので、自分が学習した内容を生徒たちに直接伝えることができる環境にあるので、自分にできる限りのことはしていきたいと思いました。

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2日目の地層処分の見学は、前に瑞浪で1回経験があるので大体のことはイメージしていたのですが、今回は瑞浪と違って、施設も素敵なきれいな建物でPR活動もすごく上手にできているなと感じました。そこでも、いろんなバリアの細かい説明などもとてもわかりやすくて、ああいうのをどんどん市民の方々にも伝えることができればより良い方向に行くのではないかと率直に思いましたね。アンケートにも書いたのですが、地層処分が問題になるようなことは逆に「ない」というか、あれだけのことをやって何が不安なのか、僕はもうじゅうぶんすぎるぐらいの対策ができていると思っている側の人間です。まあ科学全体が必要悪という考え方もあるんですが、もう動き出しているわけですから、まさに進まなければならないので、もう躊躇している場合じゃない、どんどん進めていかなければいけない状況だというふうに、今回の経験でより強く感じました。

 

I:瑞浪にももう2回行かせていただいて、地下あれだけの所に埋めるのだという漠然としたイメージがあったのですが、今回初めてオーバーパックの現物を見て、ベントナイトはこういうもので、こういう厚さになっていて、こうやって積むのだという展示を見て、初めてそこでストンと腑に落ちたような気がします。今までいくら、言葉や絵を見たことはあっても、ああやって実物を目の前にすると、ああ、ここまでやっているのであれば確かに技術的なところに関しては、不安はないなと、あの時点で納得したのが今回の一番の収穫だったと思います。

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ただ、どうしても人の技術社会の中にいると人が主体になってしまって、地下深く掘った時にそこに生物がいないわけではないのに、ヒトよりも長く生きるであろう、その他動植物という面で考えた時に、そういう話が出てこなくて、あまりにもヒトだけを見ているということに私自身は納得がいかないです。まあ、ちらっと抗線菌という話もパネルがあったりしたので、そういうことも考えられてはいるのだろうけど、ヒトも生態系の一部であるはずなのに、あまりにも切り離して考えられてしまっていて、ヒトはヒト、そのほかの生物はそのほかの生物、となってしまっているところが疑問です。どのように考えられているのかはまだまだ知りたいと思いました。

 

 N:瑞浪には何回行ったでしょうね(笑)。今回は初めて幌延に行って、ガラス固化体の話も詳しく聞いて、初めて知ったのが、ガラスが水に触れた時に溶けるという想定の下にちゃんと考えられているのだということです。正直言って、そこまでちゃんと考えていることに驚きました。やはり科学者たちっていろんなこと考えているなあと。一般の方々が不安に思うようなことをNUMOさんなども、もうまとめられているのでしょうけど、本当に丁寧に説明して、それを理解できるような土壌をやはり教育でしていく必要があると思いました。

あとは、タクシーの運転手さんが印象に残りました。お二方いらしたんですが、初日と2日目の大きな違いをあまり突っ込まずにそのまま持って帰ってきました。地下の話ではありませんが、風力発電のプロペラ。初日の運転手さんは、やっぱり「鳥が当たって死んでる」と。「民家の所には落ちませんよ、距離あるから。下に行けば落ちてる。下に行けば大きな音がしますよ」と。これは世の中でよく聞く話。2日目の方は、行政に対する不信感ですかね。アンチ原子力かどうかはわからないのですが、風力に関しては、「あのプロペラにぶつかるような間抜けな鳥はいない」と言った。「そんな鳥の死骸なんてありません。音?何度も行ってるけど聴こえない」とおっしゃって、まったく真逆。自分で確認するしかないなと思いました。このようなことが、地下の不安感とか、原発とか、それ以外のことでも180度違う。いつまで経っても平行線なのかもしれないですが、そこをピュアな子どもたちに、「こういう意見があるんだけどみんなどう思う?」と投げかけて、「じゃあ見てみたい」と言ったらそれをバックアップするような活動も面白いかなと思いました。

 

 H:私は地層処分に関してはまったくの素人なので、本来は講師としてふさわしくなかったのですが、ただ、高速増殖炉核燃料サイクルをやってきた身として、原子力に対する考えはみなさんにお話した通りであります。その観点から、幌延は初めてですが、説明を聞いて、地層処分って本当にラクだなと思いました。発電所だとか動いている機器はいろいろな複雑なシステムでして、あんな簡単なシステムではないわけですね。こんな簡単なものにどうして技術開発が必要なのかと。FBR(高速増殖炉)をやってきた人間からすると、幼稚園と大学の違いみたいなもんで、何の技術もないというのが正直な感想です。

先ほどのI先生がおっしゃった生物の話について思うところがあります。倫理とひと言でみんな良いようなことを言うのですが、倫理にも偏りがあるんですよ。生命倫理もあれば、環境倫理、工学者倫理もあって、どこにウェイトを置くかでだいぶ違ってきます。ドイツは環境倫理を「倫理!倫理!」と叫ぶんだけど、どこに重点を置いても偏ります。たとえば、生命倫理と言ったら、輸血拒否、自殺を許す、自分の命は自分が守るという、そういう倫理もあります。それから環境倫理は「たかが経済」と言う。でも、生きていくためには「されど経済」です。で、工学者倫理というのは、かなり狭い意味の倫理ですけれど、ある企業に属する限り、倫理の意味はかなり狭くなります。ですから、倫理でものごとを判断しようとしても、これまたジレンマに陥るわけです。I先生の生物の話がありましたが、それも一つの見方、別の見方も出てくるということであります。

 

 Z:私なんかは商売やってる人間ですから、やはり、将来の人に害をなくしてしまうということで地層処分はどうしても必要なことだと思っています。それが地下処分の一番のメリットです。年数は、今10万年で日本は処分の一つの年代としていますが、元々鉱山地質をやってきた人間からしますと、10万年というのはあっという間の期間で、信用できない年代なんですね。億年単位の地層が世界にたくさんあるので、そこでやってしまえばいいのではないかというのが念頭にいつもあります。80年代にたまたま幌延を見た時に、あそこは水成岩なので、「No」という結論を持って帰ってきたんです。でも、昨年行った時に、水成岩であっても水面下ではほとんど動きませんから、まあ10万年という期間であれば許せる範囲ということで現場を見て考えを変えました。ただ、みなさん10万年というのは長いように思われますし、とくに理学の地質学者というのはものすごく理論的な武装をしておりますので、なかなか「うん」と言わないと思います。彼らと真正面から向き合った場合には私は無理だと思います。私は鉱山の方ですから少々理論が間違っていても経済性に合えばいいわけです。現にそれによってインドネシア天然ガス集めました。このような人間なんですね。

 地層処分を一般の方に理解をもらうには、やはり我々が生きていくうえでの「天秤」、つまり、エネルギーが必要であるという天秤をもう少し強く出していったほうがよいのではないか個人的には思っております。最近、私は言い方を変えました。原子力発電は少々リスクがあっても使わざるを得ないのが日本国民の置かれた位置であると。リスクがあるとおっしゃるけれども、生きていくためには、明日の糧を得なくちゃならないのが日本の国であると。エネルギーってそういうものですから。70年代から90年代まで、日本の電力はウランの取り組みをやりました。20年間ずっと苦しんで結局損をしました。1985年には6000万キロワットというアンビシャスな計画が日本にできまして、私はそれを信じて走った人間なんですけど、とにかく原子力は一年間延びたんですね。安全でなくちゃいかんということで。いろんなことが起こって、後で振り返った時に「なんだこれは?みんな、きれいごとを言っているけれど、やるべきことをやってないじゃないか」というのが、私の一つの結論でした。もう一つ。化石燃料を追いかけました。これは商売で。それで、ある時にアメリカのアルコという会社と提携しました。当時は日本の経済情勢がよかったので、商社と手を組めば無尽蔵に探鉱資金を出してくれると思われたのでしょう。その時にずっとアルコと一緒に世界中の情勢を見ましたら、全部2回目、3回目の探鉱区域しか残っていなかったのです。当時まだメキシコの1000メートル以下というところはやっと取りかかった時で、アンゴラ沖の1000メートル以下もやっと石油資本として取りかかった時でした。そうするとどうしても経済性が悪いわけです。今は経済性に乗っております。何かと言いますと、当時バレル当たり5ドルから10ドルだったものが、だいたい40~50ドルになると(利益が)返ってくるわけですね。そのようなエネルギー需要を考えて、その「天秤」ということをもう少しみなさんに考えてもらえるようなお話を、1対1でもいいし、1対10でもいいし、車座になるような形のところでみなさんにしない限りは、集会でやった時には組織的な人間にいつも潰されるなあと感じております。

 

地層処分のことをどのように伝えるか?

 

A:ありがとうございました。今、みなさんがおっしゃった中で、やはり数字がキーワードだという気がします。たとえば、地下350メートルというものをどのように感じるか。10万年を長いと思うかどうか。 

究極的には、エネルギーをどのように理解して、どのように選択しながら日本にエネルギーを供給し、どうやって生きていくのか。自分たちの将来、日本という国を作っていこうと思うのか、というところに尽きると思います。

 放射線もそうなのですが、やはり、数字の理解、なぜそうなのか?どこまでがわかっていてどこからわかっていないのか?というところが、専門家と一般の人との間ではあまりにも差があり過ぎます。今回のような見学はすごく説得力があるのですが、どういう形でこのテーマで対話ができて、自分の意見を自由に言える機会を作れるのかが課題だと思います。そして、「ここが不安」とか「これはどうも腑に落ちない」とか、そういうことが言いやすい雰囲気を作れるかです。つまり、わかっている人から流れるように知識を与えられるのではなくて、どこがわかっていないのかということを自分たちで整理してから、じゃあ誰かに話を聞いてみようというふうになれるような、そういう雰囲気を日本の中で作れないと、結局、わかっている人とわからない人と不安な人がい続けるというのが、ずっと続いてきた今までのやり方だと思うんですね。今回、私たちは、一般市民の代表として、今まで自分が知らなかったことを見る良い機会をいただいて一歩前へ出ることができた。そういう私たちが、もしも自分の身近に「地層処分はちょっとね・・(不安?反対?)」と言っている家族や友人がいたら、自分の経験を踏まえてどんなところから伝えていきたいと思いますか?親御さんでもいいですし、先生方は生徒さんでもいいです。今回見てきた地層処分のことを、どの辺から自分は伝えてみたいと思いますか?

 

B:私自身は放射線関連の仕事をしておりますが、両親は教師をしておりまして、どちらかと言うと「放射線は危ない」という考えを持っているんですね。私の両親に限らず、学校の先生たちというのは結構いろんなことに対して偏りがあって、どうも私の両親の周りはみなさんちょっと「怖い」と思っていて、自分たちが怖いと思っていると、どうしてもそれを教える子どもたちに対しても、やはり、意識しなくてもネガティブな言葉を使ってしまっている。それによって、子どもたちが、やはり怖いイメージを持って育ってしまうようなことが起こっていたらどうしよう、と今回の研修を通じて感じています。改めて、放射線はこういうもので、怖いところももちろんあるけれど、科学的にはこういう性質があって、医療で使われている場面もあるという一般的なところを説明したうえで、その中で発電にも使われていて、その過程でこのような使用済み燃料が出てきて処分しなければならないということが問題になっていると伝える必要があると思います。今まで地層処分に関しては深く勉強したことは少なかったんですけど、今回見てみて、地下深くにいろんな知識を集約して埋めるのであれば、私自身は安全だと思いました。でも、さっきも言いましたように「近いな」と思ったんですよ。でも、今まで理系として勉強したことを抜いて、ちょっと違う学問を勉強してきた父と母があの場所に立ったらどう思うだろう、と想像した時に、たぶん「これって本当に大丈夫なのかな?」と思うのではないかと思います。ただ、父や母は、地下350メートルを深いと感じるかもしれません。自分で見るということがいかに大事なのかということが今回すごくわかったので、知らないからそこを見ないのではなく、一歩踏み出して見てみてほしいということを両親にも伝えたいと思いました。やっぱり、そういう機会ってどこからかアクションがないと、掴みに行こうと思ってもなかなか掴めないです。だから、今回のような見学の機会がもっともっと一般の人たちにも広がるといいなと思います。やはり、稚内は遠いなと思いましたが、とても良い施設を見せてもらえたので、あのような勉強できるような施設が各地にできて、先生方が遠足で子どもたちを連れて行って、伝えやすいような環境ができていけばいいなと思いました。やはり、さっきのお話にもあったように、子どもの時にいろいろ知って自分の意見を持って考えていけるような大人のサポートが必要で、教育に携わっている父や母にも、見ることの大切さや、違う立場に立って考えてみることの大切さを学んだよ、と伝えたいと思いました。

 

Y:前に原子力安全技術センターが開催した放射線のコミュニケーション研修に参加したことがあるんですね。放射線を通して、基礎知識から始まって、あとは放射線についていろんな人と語り合う時に、言葉など、どんなことに気をつければいいのかというあたりのことを学びました。20人足らずの小さい研修だったのですが、参加者は放射線に関係する職業に就いている方や、一般市民の方や、全然業種が違う人が集まっていました。そこで講師の先生が最初に問いかけたのは、「自分の身近な人に『放射線って怖いよね?』って直接質問されたらあなたは何と答えますか?」ということでした。みんな自分だったらこうやって答えるだろうなっていうのを想像して何人かが発表したんですけど、もちろん全員違う言い方をするんですよね。「怖いよね?」って言われたら「怖いよね」と言うだけの人もいれば、私は放射線の治療装置などを売っているので、「まあ怖いけれども、そうじゃないこともあるんだよ」という言い方もあるので。やっぱり、人によって感じ方は違うし、私が自分だけの感覚でいろいろ話をしてしまうと、偏った知識になってしまうのかな、と思うとちょっと怖いです。コミュニケーションの取り方って難しいんだな、というのをすごくその場で感じました。こうやって私たちは今、一つの経験を一緒に積んでいるので同じ言葉を使おうと思えば使えるじゃないですか。けれども、それを私たちが離れていろんな人とお話をした時に、どうやって正しい知識を伝えるのか、なかなか難しいとは思うんですけど、ニュアンスだけでも同じものを共有していけたらいいんじゃないかな、ということを思いました。

 

A:今のお話、素晴らしいと思います。この世界にちょっと身を置くと、もう何度も何度も話をしてくると、「こういうもんなんだ」でスタートしてしまっている。そのスタート位置が変わってしまっていて、私なんか出前授業ではみなさん、初めて放射線の話を聴く人がほとんどなんです、大人も子どもも。繰り返し聞く方には、私なんかより専門家の方が行くと思うので。そうすると、話はうまくなってきますが、みなさんがどう感じて、どう伝わってしまったのか、というのを日々反省しないと、初心の頃の「私もここがわからなくて怖かった。ここをこう伝えられて、なるほど!と思えたんだ」というあの感動がだんだん記憶の彼方になってしまうんですね。なので、初めてご覧になったとか、まだ見てきたばかりというこの感想がすごく大事で、そういう意味でもまとめておきたいと思うんです。これは深いなとか浅いなっていうのもすごく大事な感想だと思います。

 

Z:私は今のボランティアに入って16年経つんですけど、震災で事故が起こった時に受けた印象ですが、専門屋さんっていうのは、自分の専門分野に関してはみなさん知識をお持ちですが、行動されないですね。で、私自身は素人ですが、その時の2年か3年間、私も何をしていいかわからなかった。その時に感じたことですが、いわゆる「安全」っていうものと、そのなんて言いますか、「公的な安全」っていうものの間にはものすごくギャップがあって、そのギャップを埋めるための努力を私たちの中の誰もしなかったな、ということに非常に不満を持ちました。で、そのことにおいて、いま何をしたほうがいいかと感じているのは、やはり、安全とか、安全でないとか言うのはいいけれど、これぐらいまでは問題がないですよ。あるいは、これ以上については問題があるかもしれないけれど、準備ができていますよとか、そういうことをはっきり我々の言葉で言うべきであろうということです。

 

H:ちょっとひと言いいですか。そういうZさんが今おっしゃったような非難。僕は相当周りからやられましてね。要するに努力していないと。アクションを起こしていないと。それはそれとして認めます。ただね、「埒」という言葉があるでしょ?埒内、埒外という。この線を超えていない人間はね、いくら埒内で発信しても、それはアンチ・バイアスですよ。要するに逆効果。だから、それが戦略として僕らの下手なところなんです。で、三菱にいる頃、福島の事故の前だけれど、原子力に対して否定的な社会風潮に対して、僕は上司に言ったんです。「もっとタレントを使って、原子力が安全だという宣伝をやればいいじゃないか」と。そう言ったらね、「おまえ馬鹿か」と叱られた。ことほど左様に専門家って馬鹿なんですよ。要するに埒内にいることを自覚していないんだね。僕が言えば言うほど逆になるんですよ。それは僕が下手なこともある。だからまあ、そういって僕を責めた人間に対する僕の言い訳ね。ただし、僕の努力が足りないことも事実。

 

A:それはやはり本当に専門の領域にいる方が直接伝えて説明することに努力が足りないということですか?

 

Z:私はそう思っています。

 

H:努力が足りないのはその通りですよ。その通りですが、少し身を引いて、Zさんに対する言い訳かもしれないけど、僕が言えば言うほどマイナスになるということもあるんですよ。それは僕が埒内だから。埒外の人間を使えばいい。

 

A:それでは、やはりインタープリターというか、バッファーになる人が必要ということですね。それが逆にどんな人かも大事ですね?

 

H:そうそう。その通りです。

 

A:ちょっと余談ですが、福島の事故直後に環境省が入って、専門家が放射線のアドバイザーをやっておられ、電話応対もされていたのですが、かかってきた電話に専門家が直接出ると喧嘩になってしまって、これはもう直接ではだめだということで、地元のお母さんたちに来てもらって、そのお母さんたちにレクチャーをして電話を受けるのはお母さんたちという体制に変えたんです。だから、お母さんたちも自分も被災しているんですが「今自分も習って、こうなんだって」って言いながら、そういった電話受付をやりはじめたら、それがすごくみなさんに浸透したそうです。

 

H:そうなんですよ。だから、原子力でも、ウーマンなんとかってたくさん作るでしょ。あれはちゃんと戦略を考えているんですよ。

 

A:でも、あの方々もスーパーウーマンの集まりだから、やっぱりこう先を走ってしまって一般の人から遠くなってしまいましたよね。そこが難しい。別の会合で、全国のお母さんネットワークを結んでいるサミットがありましてね、一度そこに呼ばれたことがあります。専門家でもないのに。オブザーバーとして聞くだけでいいということで。エネルギー問題とか、放射線のこととか、「子どものためになるなら何でもやる。どんなことでもがんばる」とおっしゃるんですよ、みなさん。でも、ほとんど100パーセントがアンチ原子力なんです。だから、ああいう方々がちょっとこう「そういうことだったのか」ってもし思えば・・・そう、確かに発信された方もいるんです。放射線とはこういうことなんですよって。そうしたら、「今まで楽しく読んでいた機関紙だけど、こんなこと書くんなら」ってすごく電話がかかってきたそうなんですね。九州の方なんですけど。だから、お母さんたちの不安を取り除くためにと思って勉強して発信したにもかかわらず、「こんなことをやる媒体になっちゃったの?」と言われて、すごくショックを受けておられました。そうすると、もうそこから身を引いて元の場所に戻ってしまいますよね。だから難しいんですよ。

 

C:これと同じ幌延の題材で、みなさんもお誘いした(『チャルカ』の)映画会に行ってきましたが、やっぱり全然違う見方をする人たちもいらっしゃいます。

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映画では核のゴミがどのようにできるかという説明もちゃんとしていましたし、ちゃんと勉強してわかってらっしゃるんです。世界で起こった地震の分布を示し、学者さんも出てくる。日本列島はこれだけ地震が多いのだから、日本では地層処分は無理であるという論調になっていて、「そうだ!その通り!」と思う人もいっぱいいますよね。それを信じる。そして、原子力に反対したい。とくに子どもを持ったお母さんたちという話が出てきましたが、何か幻想の中に「完璧な世界」みたいなものがあるべきだというのが基本にあって、リスクなんてあってはいけないという考えです。そこが変わらない限りどうしようもないというか、でも、それを変えるにはどうしたらいいかわからないんですけど。戦争もそうです。戦争はないほうがいい。軍隊もないほうがいい。全部その考えで、だけど現実にそれで生き延びていけるのかっていうところで、リスクを負わなきゃ生きていけないって思ってないみたいなんですよ、お母さんたち。私も子どもがいますし、もちろん将来が平和なほうがいいと思いますけれど、現実っていうものがあります。エネルギーのことも、正直よくわかっていなかったんですが、お話を聞けば聞くほど、エネルギーを確保するために、いかなるリスクがあるかという、そこには納得がいくので、この原子力も必要だろうし、原子力発電をして発生する廃棄物をなんとかしなければならないと思います。だから、それを伝えるのにどこが一番良い切り口なのかということを考えているんですけど、「エネルギーが必要です」とお母さんたちに言ってもたぶん伝わらないです。

 

H:そこは伝わらないですねー

 

Z:おまんま食べるためには、こういうことですよと簡単に、という切り口しかないと私は思っています。

 

H:でもね、豊かな国において、それは何の説得力もないんです。僕はぎりぎり戦後生まれで、戦後の貧乏な国に生まれて右肩上がりでした。だから、「ない世界」ほど恵まれているものはなくて、「恵まれている社会」ほど恵まれていないものはないんです。すべて「塞翁が馬」なんです。こんなに贅沢をしているところで、いくらおまんまの話をしたってダメです。

 

本の学校でのエネルギー教育

 

A:今、地層処分の話をしていたんですけど、まあ元々はエネルギーをどうやって確保するかという問題です。そして、最終的な処分に自分たちでちゃんと責任を負わなければいけないということで、その方法を見てきたわけじゃないですか。エネルギーまでちょっと話が広がってきましたので・・・学校でエネルギーのことって、単元外で日本のエネルギー・セキュリティについて話すことは、理科ではないんでしょうか。

 

S:ないかな・・

 

Z:ちょっと3人の先生方にお聞きします。エネルギーという切り口は教科書に載っていないと理解していますけど・・・私たちの仲間内で調べたところ、環境の中のエネルギーはあるけれど、「エネルギーが必要である」と書いてあるところはどこにもないと聞いたんですけど、そうなんですか?

 

A:日本の学習指導要領の中では環境学習の中の一部という位置づけなので、当然そういうふうになっています。

 

Z:だから、そこを「エネルギーが必要である。食糧が必要である」というふうに変えざるを得ないと、私はそれを聞いてから思っているんですけど。

 

A:いわゆるESDの8本の柱の中では、環境学習とエネルギー学習は別になっているんです。でも、日本は環境学習のほうが1980年代からずっとやっていて歴史が長いので、そこから抜いて、エネルギー学習ってできないんじゃないかと思います。これは私の感覚ですが。

 

H:ESDって何の略ですか?

 

A:Education for Sustainable Developmentです。2005年から2014年までの10年間を国連の持続可能な開発のための教育っていうのを定めてやって、2005年に採択されてから世界中で始まったんです。日本がそれを提案しているんですよ(笑)・・・1980年代ぐらいからアメリカはエネルギー教育とちゃんと謳って、エネルギー省がやっているんです。ところが、日本は環境教育、やっぱり公害から入っているので、環境教育がずっと長かったので、その中から切り離してエネルギーにはできなくて、環境を破壊する、そういうエネルギーの存在に気づきましょうと。だから、緑のカーテン、省エネ、ビオトープとかになっちゃうんです。それが日本のエネルギー教育なんです。

 

Z:「食糧が必要です。エネルギーが必要です」というのがないがため、と聞いておりました。

 

A:ところが、エネルギー教育をやろうと思うと原子力を扱わなきゃならないじゃないですか、日本はとくに。そこがネックみたいでね。先生方を前にして言うのもなんですが、私がいろいろ調査した中ではやりにくさを感じるので、エネルギー環境教育となっていたほうが、先生方もやりやすいのかな・・なのでもう教科書の中にある、学習指導要領の中にある単元の中で先生によって少し工夫してやっている方もいれば、北海道なんかではもうちゃんと原子力のことを話して、エネルギー教育をしっかりやっている地域もあります。その地域によって、エネルギー教育のアプローチの仕方が違って、幅を持たせているのが日本のエネルギー環境教育という感じだと私は理解しています。なので、ZさんやHさんたちが、エネルギーがいかに必要なのか、資源がどうなのか、世界の情勢はどうなのか、やはり外交の中の力関係にものすごく影響してくるとか、将来の日本をどう作りたいと思っているのか、そういう話は残念ながら私が見た教科書の中にはないと思います。すごく面白い発想をした人がいて、もう理科とか社会とかの区切りでは難しいので、英語の教科書とか国語の教科書に「エネルギーとは」とか「世界のエネルギー状況」とかいうルポルタージュを載せて、そこでみんながディスカッションできるようにするとか、そういう別のアプローチも必要なんではないかと言う方もいらっしゃって、なるほどと思いました。レイチェル・カーソンなんかも教科書に載ったじゃないですか。あれは、私たちにもう少し危機感を持ちなさいと、いうことだと思うんですけど。やはり、エネルギー問題は、今、温暖化も含めて差し迫っていることですから、もうちょっと文章としてきちんと触れる機会があればいいのにと思います。だから本当は大学受験あたりで、そういう小論を読ませて「あなたの意見を書きなさい」みたいな出題があれば、高校の先生たちもそこで少しはやってくださるのかな。N先生、どうですか?

 

N:もう、いろんな思いが渦巻いていまして・・・私は、「エネルギー科」という教科が必要だと思っているぐらいですけど、それはやっぱり自分自身が、エネルギーがすべて生きていくために重要なものだという視点で見ているからです。だから、みなさんが思われるような方向性に向かうエネルギー教育であるべきですけれど、日本で今それを作ったとしたら、いまAさんが言われた通り、おそらくグリーン・カーテン、ビオトープの方に行くでしょうね。だからあまり意味がないかな、と思いました。

 

地層処分について思うこと

 

N:エネルギーの話になりましたけど、そもそも地層処分っていう話なので。地層処分ということで言ってみれば、「反対」「地層処分はダメ」「どんなにやっても安全ではない」「そもそも地層処分をしなければいけないものを作った原発が悪い」と。Zさんが教えてくださった科学的特性マップを受けての各新聞社と知事たちのコメントと見出しを見ると、いや~まあ、無責任な大人たち。日本で原発を実際にやって作り出したのに、みんな「自分はイヤです~!」って。

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言ってみれば、農村の方々もエネルギー・ゼロじゃないので、「自分たちのエネルギーは風力と太陽光で賄っているのだから、原発を使っているのは君たちでしょ?」と都会の人たちに言う気持ちもわかるけど、でもやっぱり地方交付金とか、いろいろ行ってるわけだから、そういう中で経済が成り立っているので、まあゼロではないですよね。逆に、首都圏の東京都とか、そういう人たちのコメントはないですよね?まあ、私たちの接点は子どもたちなので、子どもたちを教育するのが重要なんですけど、それにはまあ10年かかるので・・・ここはもっと政治家が、たとえば小池知事がバーンと爆弾発言で「東京で考えましょう!」って言いませんかね?「自分の政治生命は抜きにして、そう言え!」っていう市民運動が起きないかなあと。

 

Z:それで、私自身も地層処分について、いわゆるNUMOさんがいいのか、政府のやり方はわかりませんけど、やはり、ある一定の都市に近いところがいいんじゃないかと思います。ある一定の人口があるところ。安全であるということですから、そういうことでいいわけですよ。そして、地層もそれに近いところであればいいと。人口10万から30万ぐらいで核になるところを作って、インセンティブを与えると。そして、将来の人たちが少なくとも100年から500年の間、きちんとした生活ができる場所にして、そこに移民するのは制限して、そこの人たちがきちんとした羨ましいような生活ができるようにすると。

 

A:地層処分って、なんとかしなければならないという、誰にとっても確実に向き合わなければならないことだと思うんですけど、その地層処分からいきなり入るのは難しいですかね?

 

Z:マイナス思考しかそこにはないでしょ?

 

N:それこそ「天秤」であって、地層処分をするかしないか、しないという選択をしたときに、こういうふうになりますよと。今実際に(核のごみは)あるわけですよね。たとえば、みんながイヤだったら、お金払って海外でずっと保管してもらう?

 

H:近藤俊介原子力委員長の時にそういう話はありました。確かに国際協調としては、自分の国で地層処分をする、ということなんだけど、ひょっとするともっと安定な、オーストラリアだとか、モンゴルだとか、そういうところへお金を払ってそっちの方にお願いすると。10万年というのが本当かどうか、という見方もあるわけですよ。そうしたら何億年も・・大陸って今まで46億年でこんなふうに動いたでしょ。動いていないところはスカンジナビア半島。あれはあそこから動いていない。だから、あそこにお金を払って埋めるということもある。

 

N:学校では、子どもたちに変なオブラートかけても仕方がないと思うので、今わかっていることで、「お金を払って外国にという方法もあるかもしれないけれど、当然お金がかかるというデメリットもあるよね」というところで、「現在、日本の大人社会は答えを出せずにいます」ということを伝えています。いずれどこかで決着をつけるべきなのか、結局ずっとだらだらとこうやっていくのか、わかりませんけど、まあそういうのをどこかで・・起爆剤ですかね。だって、今なんにもないんですから、教育現場で。

 

A:地層処分から伝えよう、というのは可能ですか?

 

N:そうですね。中学校でも高校でも、エネルギーの単元があり、原子力の単元もありますので。そして当然、みんな福島原発のことも知っているので、そういう中で「みんな、地層処分って知ってる?」って普通に言えます。自分も知っているから。知っているからこそ言えます。でも、たぶん知らない人が(教員にも)多いですね。

 

A:教科書に「地層処分という案がある」と書いてありますか?

 

S:それはないな。

 

A:そこまでのことはまだ教科書にも載っていないんですね。

 

N:でも、別に教科書に載っていなくても、それこそ学習指導要領はミニマムで、変な話、それはなんでしょうね、まあ、公立の先生はまた違うのかもしれないですけど、発展的な内容の取り扱いは、ある程度、教員に委ねられています。偏った言い方しちゃダメですけどね。

 

C:いろんなことが一緒くたに議論される場合が多いので、結局ごちゃごちゃになるんですけど、地層処分の話って、持って行きようによっては、みんなで共通に考えられるテーマだと思います。エネルギーの問題として、これからも原子力を続けるべきなのか、脱原発すべきなのかというと、それはそこでまた対立しますよね。でも、それは置いておいて、現に50年も原発をやってきて実際に放射性廃棄物がその分だけ蓄積されているのだから、これをどうにか処理しなければならない。まあ外国に持って行くっていうのはあまりにも無責任だと思いますけど、日本国内でどうにかしましょう、というところで、向こうの立場は地上でずっと管理すべきだって言うんですね。地下に埋めて何もなかったように土をかぶせてしまうなんて余計に危ないという考え方。そういう人たちも、たぶん、幌延の見学ぐらいはしています。だから、同じものを見ても感じ方が違うわけです。それを「こう感じなさい」と言うこともできませんので、そう思う人もいると。

 

A:その「埋めてしまう」ことは無責任みたいに感じるということですかね?地上で管理するというのは、責任をもって管理していきましょうということですね?

 

C:人間が地上でずっと見守り続けるしかないということでしょうかね。

 

A:埋めて見えなくなるようにするということが無責任ということなんですね?

 

C:そう考えておられますね。だから、私は、埋めるんだけど埋めっぱなしでいいとも思っていなくて、最初に言ったんですけど、すぐにエレベーターで下りられるぐらいの距離ですし、いくら土をかぶせても掘れますから、埋めた上で、人間の歴史が続く限り、国というものがあり続ける限りは、そこを管理して、何か「守り人」みたいなものがずっと見守っていかなければならないと思いますし、そこにZさんがおっしゃったような、プラスのインセンティブがないと無理だろうなと。ある学者さんが言っていたのは、最終処分場になった土地に原子力とか核エネルギーとかについて考える学研都市のようなものを作って、そこでずっと、研究者たちが地層処分したものを管理しつつ、高速増殖炉の続きでもいいですし、核融合炉でもなんでもいいんですけど、研究するような場所にしていくっていうぐらいしかプラスのアイデアはないんじゃないだろうかというようなことをおっしゃっていました。

 

H:なるほど。似てますね(笑)

 

Z:私もよく似てる。ただ、その地上の方は農業地であってもいいし、森林であってもいいと思います。ブロック的にね。管理もいくつかそういうブロックを作って、きちんとした計画都市ができるんじゃないかという考えを持っていますけどね。

 

A:地層処分の哲学の中に、人のほうが信頼ができないという発想が入っていますよね?人の営み、地上の営み、自然も含めて、地上のほうが不安定で私たちが予測不可能なことがたくさんあるからこそ地下のほうがいいんじゃないかっていう。その発想ってなかなか伝わりにくいですよね?私もそれを聞いて、放棄してしまうような、埋めてしまってもう知らないっていうような、何もなかったかのようにっていう、あの映画を観た時に「ああ、こういう捨て方をするのか」って最初思ったんですけど。

 

C:それは、人間が滅亡した後も大丈夫っていう意味ですよね。滅亡しない間はちゃんと管理しなきゃいけないと思います。

 

A:なるほどね。でも、「ここにある」と知っているということ自体、良くないことがあると考えられているんですよね?

 

H:そうです。忘れてもいいっていうことです。

 

A:忘れてもいい。逆に忘れ去って、どこだかわからないほうがいいっていうことですね。

 

H:それがだいたい500年と言うんでしょ?たとえ、10万年でもね、何万年っていうのはウラン鉱山と同じレベルになるまでという意味ですから、あれが500年か1000年ぐらい行けば、(放射線が)指数関数的に落ちていくんだから。500年前って言ったら室町時代でしょ?まあまあ人間の有史、そんなにむちゃくちゃ昔じゃないから。それぐらいに掘り起こしても、もうほとんど価値がないでしょう、dirty bombとしても。

 

C:Dirty bombとして危険なのは20~30年ですか?

 

H:それはこういう風に(指数関数的に)放射線量が落ちていくのがどこまでがダメかわからないけど。500年ぐらい経ったら、もう利用する価値はないんじゃないかな。

 

Z:今のはいわゆる使用済み核燃料の直接処分の話じゃないですね。直接処分の場合は10万年じゃ足りないと私は思っています。

 

次世代育成のために

 

B:ちょっと話を戻してしまうかもしれないのですが・・・今回、中学校や高校の先生方が来られていて、小さい頃からの教育ってすごく大事で、小学校、中学校、高校のエネルギーの教育のあり方もこれからいろいろ考えていかなきゃいけないでしょうし、先生たちもいろいろな工夫の仕方によって子どもたちの理解が深まっていくと思うんですね。

で、自分の意見を言えるようになるのって、私が思うに大学生ぐらいかなと思うんですよ。でも、今って高校から文系・理系ってだいたい分かれて、大学もその流れで、その先にあるものでみんな選んで行くんです。私も理工学部出身ですが、みんな話をするのが苦手なんですよ。自分の世界に入り込んでこう(狭く)なりがちっていうのもあると思うんですけど、同じようなことを研究している仲間とはすごく仲良くできたり、自分が研究していることは話ができるんですけど、それ以外の人と話をするのがすごく苦手。私も、文系の友だちに比べたらはるかに話も下手ですし、自分もいろいろ思っているんだけど、それがなかなか伝えられないという場面がたくさんあります。なので、小・中・高の間にエネルギーや環境について、基本的なことを学んだ上で、大学に来た時に、今だと基本的には文系の学部と理系の学部に分かれていますが、一年生の間だけでも学部という枠をちょっと取り払って、一緒に勉強できるような環境を整えるのはどうでしょう。そこでいろいろな問題についてディベートができて、そこで新たな考えを得る中で自分の次の道を考えていくような社会になれば、今までもしかしたら国語が好きだと思っていた子でも、たとえば、地層処分という問題があって、自分は科学的なところは勉強的にはちょっと苦手かもしれないけれど、自分だったら地層処分に対してこういう関わり方ができる、だからそういう道に進みたい、みたいに考えられるといいなと思います。文系とか理系とかで分かれてしまって偏っていたところが少し融合するような部分ができたら、多くの人に地層処分というものをわかってもらえるかもしれないですし、放射線っていうものも、わかってもらえるかもしれないですし、原子力は一般的には怖いという印象が強いと思いますが、エネルギーとしてこの国には大事だよね、だからそれをうまく安全に、そして、安心につながるようにするためにはどうしたらいいのか、ということがもっともっと討論できるような社会になっていくのではないかという気がします。やはり、今の大学は文系・理系に分かれてしまっていますが、そこがちょっと融合して、いろんな人とディベートする機会があれば、理系の人もきっと話ってすごくうまくなっていくでしょうし、そういう社会的なシステムというか、流れが変わってくれれば、この先未来が変わっていくんじゃないかなあっていう気がしました。

 

N:すみません。たぶん、もう次期学習指導要領が、とても大きな枠組みの中でそれを目指していると思います。やっぱり、アクティブ・ラーニングっていうのが入ってきています。ま、いろんな意味合いがありますけど、まあ、国というか、中教審もいろいろ考えています、それなりに(笑)。もう今までの世代とは全く違う世の中がこれから地球規模で起こってきて、それに耐えうる日本の人材を育成するということで。だから未知の課題に取り組むために、まさに、小・中・高で知識をそれなりに入れて、その知識を総合的に使って、何かの討論っていうんですかね、アクティブに考えると。

 

A:それってね、ちょっと私は疑問だったんですが、たとえば何か調べなくちゃいけない、文献を調査しなくちゃいけないというような時に、今の学校って対応できませんよね?

 

N:だから、教員が全くその、やったことがないというか、私も本を見たり研修に行ったりしていますが、結局、教員次第なんですよ。地層処分とかエネルギーとかは全部、教員が知らないから浸透しないし、まあいろんな意見を持っているということはいいと思うんですけど、アクティブ・ラーニングの、というか、根本的になんでそう言い始めたかっていうこと自体も、やはりなかなか理解されにくい。これから、だから経済界が求めているものがわかってなくて、いつまでも知識偏重の教育だけを・・・

 

A:どんな子どもを作りたいっていうふうな像ってあるんですか?

 

N:だからそういう思いを持ってる・・・持ってますか?(突然同僚に向けて。笑)

 

I:どういう生徒を作りたいかということですか?

 

N:そうそう。だからきっとそれぞれあるんでしょうけど・・・それぞれあると言っても、日本の国として、まあ文科省というか中教審というか、どうかということですね。

 

Z:学校では「生きる」という言葉を使ってましたね?

 

N:はい。「生きる力」を謳っています。

 

Z:「生きる」ということがきちっとみんなに浸透したら、ものすごくやりやすくなるんですよね。

 

N:でもそれって、今のこの恵まれた世の中ではわからないですね。

 

A:先生も幸せな世代ですから。若い先生たちは。

 

N:自分自身、震災があって、計画停電なるものがあって、初めて「電気ってこんなに大切なんだね」と思いました。でももう忘れてますよね~

 

C:でも、「生きる力」とか総合的学習の授業って、お母さんたちから決して評判がよくなかったんですよ。そんなことやってないで、受験に役立つ知識を教えてほしいと。力量のある先生なら、何か一連の融合したもので、とても充実した内容を提供できるかもしれませんが、ただふわふわっと話し合って終わりみたいなのが授業参観でもあって、「なにこれ?」と思うことが多かったですね。先生にとっても難しいんじゃないでしょうか。

 

A:先生の負担が大きいですよね。

 

一般市民とのコミュニケーション

 

C:私たちの世代なんて本当に詰め込み教育で、共通一次世代ですけど、今さら小学生の時にそういう教育をやってもらえなかったなんて言ってもしょうがないですしね。私なんて、こういうエネルギーの問題に目覚めたのは40代の後半になってからですけど、別に遅くはないと思っています。もちろん、小さい頃から学校でしっかり教育することも、大学で学部を超えてディベートすることも、とても大事なことだと思いますが、現にこれから高齢化社会で、自分たちぐらいの年代があと30年か40年生きるかもしれないわけですよね。そういう大人への教育も大事なんじゃないかと思います。世の中の半分以上がそういう高齢者になっていったときに、みんなが、その何というか幻想の完璧なリスクのない社会をいつまでも信奉していたら埒があかないと思うので。さっき、ちらっとおっしゃっていましたが、やはり、その人の言っていることを信じられるか?というところが、専門知識のない人にとっては一番重要で、私はこういう仕事を始めてから、専門家に会えたり、このような研修に参加したりという機会があって恵まれていると思います。直接お話を聞けば、その人が私利私欲を貪る悪い人ではなく、真面目に研究をして、日本のエネルギーのために貢献している人であることが感じ取れるじゃないですか。地層処分の研究所でも、その道のベテランの専門家が一生懸命わかりやすく説明してくれていることが素直に聴けます。そういうことを経験していない人が大人の中に多くて、漠然と政府や東電がけしからんというイメージだけで言っているのが、非常に残念だと思います。どうやって繋いでいけばいいのかな、と思いますね。子どもだけでなく、大人にも、その人の人物とか人格っていうものも込み込みで発言が伝わるような機会がもっとあるといいですね。こういう小さい座談会でもいいですし、シンポジウムでもいいですし、見学会でもいいです。

 

A:そういう人が8、9割を占めているんじゃないですかね。その人が伝えてくれようとしている印象で、中身は難しくてわからないけど、この人の言うことなら、そうなんだろうな、ってなんとなく思ってくれるかどうか、ですよね。

 

C:この人はすごく信頼できると思える人が、「世の中に100%安全なものなんてありません」と言って、そのことに心から納得できたら、リスクを引き受けようって思うようになるんじゃないでしょうか。

 

A:その受け手にとって信頼できる人ということですね。

 

C:そうです。本当は100%安全であることが理想ですが、それが無理だということが納得できてから、やっと現実的に考えられるようになる気がします。

 

A:でも、信頼できる人というのは突然出会った講演会の講師では無理ですよね?信頼って時間が必要だし、いろいろな場面を共有してこそ、この人は信頼に値する、と思えるので。やはり、突然来た講師が素晴らしい業績を見せてくださって、きっとこれだけ評価されているんだから、ちゃんとしたことを話してくれるんだろうとは思うけど、自分がその方を信頼しようと思って聞くというより、知識とか学ぶための一つの考えとして聞くわけですね。

 

C:継続的に聞くということでしょうかね?

 

A:そうですね。でも、そうすると今度brain wash(洗脳)になっちゃいますよね。同じ人の言うことをずっと聞いていると、原子力に賛成か反対かということも、そっち側に染まりますよね。

 

Y:Aさんがおっしゃっていたように、反対派の意見もあれば賛成派の意見もある中で、ファシリテーターの誰かしっかりした人がいる、そういう中で座談会があると、やっぱり、どっちの意見も素直に聴けるのではないでしょうか。

 

A:やっぱりそれがバッファーの役目じゃないでしょうか。

 

Y:相当能力のある人でないとできないですよね。

 

A:やはり、対話のキャッチボールをやってもらわないといけませんので、一方的に答えだけ出されても困ります。それに、「わからない」ということは「わかりたい」ことの裏返しでもありますよね。その会場に来てくれてるんですもん。そういう人を大事にしないといけないので、そこで論破する必要は全然ないと思うんですよ。だから、マスでやる100とか200でやる講演会というのは、どうなのかな・・私はリスク・コミュニケーションには全く向いていないと思っています。 

震災後、災害で出た廃棄物を各県が引き受けて焼却するというのがしばらくあったじゃないですか。あれで東京都なんかすぐに引き受けると言ったけれども、東京都に持ち込む時に、放射性物質で汚染されていないかどうかというので、住民集会をすごくやったのがあるんですよ。それをみるとやっぱり、最初は100人単位ぐらいで説明するんですけど、やっぱり伝わらない。なぜか?それはもう、「うちの子はだいじょうぶでしょうか?」っていうお母さんと、「あの、隣の町で聞いて来た同じような話なんだけど」って専門の話に突っ込む人と、もうタイプが分かれていて。その分かれているタイプを分析したすごい先生がいるんですよ。23区内で焼却施設のある自治体でやったものなんですけれども。そういう疑問をもって発言する人のタイプを仕分けして、質問の内容を10個ぐらいに分けて、どういうアプローチが必要で、どういう人が集まっている所にはここのキーワードをちゃんと伝えなければ伝わらない、だからどこででも同じことを言っちゃダメなんです。女性が多いところ、小さいお子さんがいる年代だったらここを重点的にちゃんと伝えようと。それが、やっぱり回を重ねていくうちにできるようになりました。その最後が、終わった後を引き受けて、「残りますからいつでも来てください」っていうブース作りだったんです。で、それが成功して。で、人数を10人ぐらいに絞ってリスク・コミュニケーションをやりますと、なんとなく、知らない人でも距離が近いので下手な責め方ができないじゃないですか。100人いると怒号になると言うんですけど(笑)。そんなので、逆に「あ、あなたもそう思っていたのね」というのが知らない人同士でもできて、「10」っていう単位がいい感じだったらしいんです。なので、環境省はしばらく10人の車座集会をやっていたんですよ。すごく手間がかかって人数も大変だと思ったんですけど。各地で「10」「10」「10」「10」だけを集めて、そこの人たちだけに向けてやるという試みがあって、そのファシリテーターをやっていたことがあるんですけど。すると最後、お母さんたちが、「なんとなく数字の相場感がわかってきた。自分たちでどんな数字を見ればいいかがわかる。じゃあ、いわきに住んでいても平気なんですね」って自分で答えを出せたんですね。だから、手間はかかるんですけど、やっぱり、こういう大事な話も、これから地域を決めていく?(地層処分の)調査場所を選定するにあたっても、まず全体集会からやるんだと思うんですが、本当はそこの首長さんたちや側近と一緒に、何度も何度も膝をつき合わせて話して、それから住民にもっていかないといけないんじゃないかな。

震災の後、よくいろんなところで聞いたのが、何かが「決定しました」っていうのを首長さんも「テレビで知った」「うちに持ち込まれるのをテレビで知った」それでみんなびっくりしたという話です。それから、もんじゅが廃止になったのもまさにそうで、住民があれだけ引き受けてきたのに、住民には一切伝えないで廃止にしたじゃないですか。そりゃ怒りますよ。あんなこと繰り返していたら・・・やっぱり「根回し」ってすごく大事だと思います。

 

C:だから、今回の2日目のタクシーの運転手さんは、いろいろ歴史的経緯があって行政への不信感があるんだと思うんです。幌延の研究所自体はとても素晴らしいんですけど、あれを建てる過程で住民とのコミュニケーションに失敗したと思うんですよね。そこをこの映画(『チャルカ』)も問題にしていますし、私が最初に取材した人もそこを追っかけています。フィンランドスウェーデンで、処分地が決まっていった背景には、あそこの地盤が10億年以上も前のもので日本よりはるかに安定しているということだけではなくて、住民との話し合いもきちんと、手間がかかっても少人数のコミュニケーションをたくさん重ねたことがあると思います。やはり、全員賛成であるはずはなくて、放射性物質に反対だという人もきっといるんですけど、反対の人と賛成の人が仲良く話せるらしいんですよね。Aさんが紹介してくれた本にもそういうことが書かれています。

 

A:住民がみずから選定地に手を挙げて、それがずっと進んで行って、ここになるかもっていう二つの町で協議した時に、最終的に住民が温和に受容的だったほうを選んでいるんですよね。適切なところがもう1か所あったのですが、長く付き合っていかなければならないわけだから、受け容れる人たちが「考えてみようか、まず」って思ってくれるかどうか。「話を聞こうじゃないか」となるまでに、担当の人や関係者の人たちとの対話が必要で、この人の言うことなら、まあとにかくみんな聞いてやってよと思ってもらえる首長さんがいるとかね。その人たちをスキップして、事業として決めてしまったから。そりゃあ、怒りますよ。

 

C:スウェーデンの方は、2か所のうち片方は(最終処分地に)決まり、もう片方は研究所として継続することになりましたよね。だから、何も無駄になっていなくて。先日の話で違和感があったのは、「三者協定というのがあるので、ここはあと数年で(2020年目途でしたっけ?)なるべく早く終わって報告書を出して埋めるんです」ということで、なぜそうなるのかが、私はとても疑問でした。もちろん、そこを処分場にしたらいいということではなくて、処分場にしないものをこれだけお金をかけて掘って、で、実際の処分地はこれからまたイチから探すんですっていうそのやり方にとても疑問を感じました。

 

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A:まず、住民に報告会をするべきですよ。おかげさまで、この地でこれだけの成果があらわれましたと。それを海外に発表したり、国際シンポジウムに行ったりじゃなくて、住民に「おかげさまで」と感謝を込めて。それを小さく小さく繰り返していけば、「我が町幌延は世界に貢献した町じゃないか」って誇りに思ってくれて、そういうところも理解が深まるんじゃないでしょうか。

 

X:幌延のほうはしてるとは思うんですけど。

 

A:でも、タクシーの運転手さんに2種類ある感じで(笑)

 

X:幌延の町のほうに、国際交流施設っていうちょっときれいなJAEAさんがもってる施設があるんですけど、そこで毎年一回は必ず報告会をやっているはずです。

 

A:なるほどね。それは住民自由参加なんですか?

 

X:もちろんそうです。

 

A:なるほど。なんか参加者がまばらっていう感じがしますね。

 

X:さっき「埋める」っていうのがなぜかということについてありましたけど、JAEAさんが言うには、埋めるところまでが研究なんです。

 

C:その実際の処分のように?

 

X:はい。そこまでが研究なので。埋めたら終わりとは言いますけど、その後に何かを残すことも考えられますけど。

 

Z:あそこは北海道との取り決めで、そうなったわけですよね。で、もっと言うと、最初の誘致運動があったときに、北海道および反対勢力が潰しにかかって、ああいう形になったんで、その時に昔の動燃だと思いますけど、動燃があそこにツバをつけたがために、何か作らなくちゃいかん、というのが今の結果なんですよね。

 

おわりに・・・

 

A:そろそろまとめます。拙いファシリテーターではございますが・・・教育は欠かせないということですよね。そして、もうちょっと「エネルギー」というキーワードで、そこそこみんなが触れられるような教育環境があったらいいんじゃないかということで、エネルギー教育がますます大事ですね、先生方。まさに、先生方ご自身も見て、こういう分野を超えた専門家との対話をできるような機会をたくさん持って、それを聞くだけじゃなくて、このぐらいの距離だったら質問もしやすいですし、そういう機会を何回も持てて、そんな先生方が増えていってくれれば子どもたちにもより伝えやすいんじゃないか、ということですね。それから、今後、処分地を選定したり、手を挙げたり、選ばれてしまったり。そういうときに大変なコミュニケーションがきっと出てくるだろうと。なので、まあ私たちがほんの小さな、短い時間での体験ですけれども、やっぱり私の感想としては、ないがしろにしてはだめなんだと。お金の力、政治の力で、小さな一人の市民をないがしろにしちゃいけない。そのために「あなたの協力が必要なんです」と真摯に向き合える、そういう対話をずっと心がけていれば、どこかで理解者が出てくるんじゃないかなっていうふうに私は常々感じています。やっぱり一人理解者が増えれば次の一人が増えて、次の人につながっていくんじゃないかと。まず、一人の理解者を増やす。そういう地道なことをやっていく、ということがこういう大きな事業であって、実はそこが大事なのかな、とみなさんのお話を伺いながら思いました。先生方いかがでしょうか?

  

S:うーん、何もまとまってないんですけど、僕なんかの現場で思っていることは、やっぱり、40人、30人のかたまりとか、そういう子たちに何か伝えようとしても、まず、興味・関心があるかないかで食いつきが全く違うわけですよね。まさに、水を飲みたくない馬に(水を飲ませることはできない)という話と同じでね、結局、関心を持たせるようにするために、まず、教育とか伝えるということが大事だなあと常日頃思っています。もっと若いときは、どうしても全員に伝えなきゃダメなんだみたい気持ちがあって、そのすごいジレンマがあって、すごく疲れちゃうんです、自分がね。でも、あるとき、まあ1割ぐらい自分の話を聞いてくれる子がいれば、もうそれで御の字だというふうに思うようになったんですよ。ところが最近では、場面によっても違うんだけど、一人でも二人でもいいと。その一人、二人が共感を持ってくれて、僕が伝えたいことをよく理解してくれる子が本当に一人、二人いれば、その子がまた起爆剤になってまた伝えてくれるんですね。だから、全員にこう何か伝えようなんてことを思わなくていいと考えるようになっていますね。だから、自分が信念を持って、ちゃんと誠意を込めて伝えるっていうことをすればね、必ず何かつながっていくんじゃないかなあ、と信じたいと、そういう気持ちで日々やっています。まあ、N先生ともようそういう話をするんですが、もう大人はちょっと無理ですねー。

 

N:なんかもう、いろんな話があって、いっぱいいっぱいなんですけど。

 

I:分野が違うので、なかなか授業で伝えるという機会は直接的にはないかもしれないですが、自分が勉強して、こういうものだという情報発信をする人でありたいなと思いました。それを伝えて、何の自分のバイアスもかかっていない状態で、「こういうものがある」というのを伝えて、判断するのは生徒なので、今度はその生徒たちが自分たちの考えを正しく持てるように、科学リテラシーっていうんですか、それを育てていかなきゃいけないんじゃないかなとは思っています。 

学校教育もそうなんでしょうけど、生涯教育っていう面で見れば、幌延にあんな立派な施設があるのに、この辺の博物館にはどこもそういう展示がないというのもすごく不思議です。原子力というものに関してものすごく展示が少ないのも、良くないんだろうなと思います。

 

C:以前、渋谷に東電の電力館ってありましたよね。あそこ昔、夏休みの自由研究のネタとして息子たちを連れて行ったことがあって、次男は小学校5年生の時に、原発のしくみについて書いたんですよ。福島の事故の前です。でも、電力館はなくなっちゃいましたね。

 

I:そうなんですよ。電力館でなくても、博物館とか未来館とかで一切そういうエネルギーの話っていうのがなくて。科学未来館の展示は、本当にこう太陽光とか、そういう方向になっていっています。原子力もちょこっとありますけど。

 

H:みなとみらいの三菱にはありますよ。あー、川崎もあるね、東芝の。

 

C:やっぱり企業さんの博物館ですね。

 

H:そう、企業。

 

A:最後にBさん、いかがですか?

 

B:時間を置いたことで、自分の中でも見学会で見た内容を整理して振り返ったり、みなさんの意見を聞いた中で感じることがあったり、自分が今まで考えていたことも一つの考え方であって、これが私の考え方なのだと改めて確認したり、いろいろな気付きを得られたので、すごく貴重な経験をさせていただいたと思っております。やはり、先ほど言いましたように、周りの人たちに今までそんなことを話したこともなかったのですが、友人たちにも「こういうことがあってね、北海道行ったんだよ」っていうつながりからでもいいので話してみて、いろいろな人にまずは関心を持ってもらって、今までそういうことに関わってこなかったけれど、自分もこういうふうに考えていきたいな、と思ってもらえるような、人と人とのつながりを私も作っていけたらいいなというふうに感じました。貴重な機会をありがとうございました。(終わり) 

今年も手帳と共に

2018年になっている。

昨年の正月休み明けに「2017年になっている」と書いてからあっという間に一年が経ち愕然とする。何がそんなに忙しかったのか、秋ごろからブログも更新しないまま数か月。諸々の締め切りに追われていたはずだが、そんなことばかりでいいのか・・・年末年始恒例の帰省の旅はただ慌しいばかりの日々に区切りをつけるには良い機会である。

今年も昨年とほぼ同じ日程で関西方面の両方の実家を廻って来た。

有り難いことに両方の老親がまた一年長生きしてくれている。私の年齢で親が4人とも揃っているのは奇跡的なのか?それとも超高齢化社会の日本ではさほど珍しくもないのか?ともあれ、各々また歳を重ねられたことに感謝する。

が、昨年と違っていたのは、ついに家族全員での帰省ではなくなったことと、帰省先でも親族の全員には会わなかったこと。どちらの実家でも「全員が揃う」ことはなかった。これからはそれぞれの事情で帰省時期がずれるのも仕方のないことかもしれない。

東京に戻ってきて気を取り直し、今年の手帳をおろして数日。これもまた例年のパターンである。

昔から手帳が大好きだった。

まだ手帳など買ってもらうことも買うこともなかった小学生の頃に、裏紙と包装紙で手帳を手作りしたことを覚えている。なにかしらメモしておくものが欲しいと思ったのはなぜだろう?そのうち毎年の手帳を買うようになり、年末には目黒の有隣堂の手帳コーナーで相当な時間をかけて翌年の手帳を選ぶのが楽しみになった。一週間見開きの小ぶりなものから大層なデスクダイアリーまで、さまざまなタイプの手帳を使ってみたが、ここ数年使っているのはEDitの1日1ページ手帳である。

1日1ページ手帳の元祖は「ほぼ日手帳」らしいので、それでももちろん良いのだが、たまたま店頭で見かけた手帳の色とカバーが気に入ったのだから、これもあらゆる出会いと同じくご縁というものだろう。さらに、手帳に挟み込まれていた小さなカードの言葉に惹きつけられた。

www.edit-marks.jp

こういうキャッチコピーにすぐ引っ掛かるのもなんだが、特に冒頭の「僕たちは、人生というストーリーを編集しながら生きている。」と、末尾の「書いて、書き直して、すすめ。」の2行には、その時の私の心に強く訴えかけるものがあった。

今年も同じシリーズでカバーの異なる1日1ページ手帳だ。買いに行ったのが遅かったのか、表紙にあれこれ入れられるジッパー付きのビニールカバータイプは既になく、シンプルな表紙で平ゴム付きのにした。色は鮮やかなターコイズブルー。ちょっと気分を変えよう。次回はオンラインショップで選ぶほうがいいかもしれない。

 

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昨年の手帳(左)と今年の手帳

挟み込まれた使用例リーフレットには、また新手のキャッチコピーが綴られている。

*****

世の中、どうやら「働き方」が変わっていくみたい。
シェアワークとか、フラットな組織とか、副業も大丈夫とか。

働き方は変わるけど、手書きの心地よさは、変わらない。
手で書く時間は、自分と向き合う大事な時間。
書いて考えて、自分らしい働き方をつくっていこう。

やるべきことと、やりたいことを、重ねていきたい。
自分らしい働き方は、自分らしい生き方なのかも。
今年は、働き方に合った手帳を選んでみよう。

新しい働き方。新しい手帳。

(EDit手帳のリーフレットより)

*****

どうせキャッチコピーに引っ掛かりやすいのなら、とことんおめでたく実践するのも悪くはなかろう。

敢えて今年の目標とするなら、手帳に白いところがないように働くこと。予定でぎっしり埋めるという意味ではない。毎年のように手帳にあれこれ書いてはいるものの、いちばん忙しかった日々のページは真っ白なのである。手帳に予定や記録を書き込む暇もないほど心の余裕がなかったことを示している。結局いちばん忙しい日々にはプランも記録もないとは皮肉なことだ。そして、数カ月も経つとその時何をしていたのかよく思い出せなくなる。

今年はリアルタイムで粛々と書けるような日々を過ごしたい。

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 1日1ページ。明日はどんな日?

 

 

金木犀が見えた

今年の金木犀は視覚から入った。これまでにないことだ。

10月に入っても蒸し暑く、本来今頃は金木犀が香っているはずであることもすっかり忘れていた。温暖化の影響で少しずつ季節がずれているのだろうか?取材先の水戸市内で移動中に車の窓から、道路沿いの建物の敷地に植わった丸い木々が見えた。夥しいオレンジ色の小花が目に飛び込んでくる。

「あ、金木犀!」

あっという間に通り過ぎ、ガラス越しには香りなど感じない。

東京に戻ってきて週末、近所を歩いていたら金木犀の木に行き遭った。東京でも咲いていたのだ。オレンジ色の小花たちはまだ硬く、しっかりと枝についている。近寄ってみたらほのかに香りがした。金木犀にわざわざ近寄って香りを確かめるなんて妙な気がした。いつもなら、強烈な香りがまず鼻に飛び込んでくるのだから、敢えて近づいてみるまでもない。そして「ああ、今年もまた金木犀の時期が来た」と気づくのだ。

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昨夜から急に気温が下がった。どうやら金木犀の香りはこれからが本番のようだ。

地層処分って本当にできるの?④ 異なる立場から

北海道・幌延行きに先立つ7月14日、地層処分をテーマにしたドキュメンタリー映画『チャルカ』を観た。

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上映会の主催者で私にも声をかけてくれたのは、フリージャーナリストの稲垣美穂子さん。稲垣さん自身、2012年に地層処分をめぐるドキュメンタリー映画『The SITE』を発表している。私は2013年に彼女の活動を取材して以来のお付き合いである。

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上映会は7月下旬の「ほろのべ核のゴミ問題を考える全国交流会」に参加するスタディーツアーのプレイベントとして企画された。会場のSHIBAURA HOUSEは、あの妹島和世氏の設計によるおしゃれな空間。前職オフィスの近所だったので馴染み深い場所だ。ツアーの参加者と思しき面々を中心に10数名という小じんまりした上映会に、ゲストとして島田恵監督も出席していた。

地層処分がテーマだが、映画のタイトルの『チャルカ』とは何なのか?

「『チャルカ』とは、インドの手紡ぎ糸車の事です。インド独立の父、ガンジーはイギリスの支配から自立するために、自国で生産した綿花を自分たちで紡ぎ、その糸を手織りにした布(カディ)を産業にしようと提唱しました。糸車を回すことは未来への祈り。タイトルにはその思いを込めました。」(映画のチラシより)

なるほど・・自立。未来への祈り。さらに、島田監督の公式サイトには、「『巡る因果は糸車』と例えられる仏教の教えは、自分のした行いは、良いことも悪いこともやがて自分に返ってくるといわれるものです。私たちが体験している悲惨な原発事故も、人間の過去の行いが巡り戻ってきたと考えられるかもしれません。」と綴られている。チャルカ(糸車)にはなかなか深い含意があるようだ。

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この日は体調が悪く、若干集中力を欠いた映画鑑賞となったのが我ながら残念だが、パンフレットも非常によくできているので、ページを繰りながら改めて振り返ってみる。

最も印象に残っているのは、映画の前半で高レベル放射性廃棄物六ヶ所村に運び込まれるシーンであった。今のところ再処理工場が稼働していない日本では、原発で出た使用済み燃料は海外で再処理され、ガラス固化体となって1995年から日本へ返還されてきている。専用船が六ヶ所村むつ小川原港に着き、一時貯蔵施設へと運ばれるガラス固化体が20本余りが金属製のキャニスターに収められた状態で雨に打たれてもうもうと湯気を上げていた。これがそれか!!こういう映像は初めて見た。

それが六ヶ所村で30年から50年間冷やされた後、どこへ運ばれるのか? その最終処分場が決まっていないというのが長年続いている状況である。

この「核のゴミ」がどのようにうまれるのか、ウラン鉱山から原発を経て再処理されガラス固化体になるまでの過程がわかりやすく図解され、また、過去20年間に世界で起こった地震の分布図が紹介されていた。世界地図の上に地震が起きた地点が赤い点で示されているが、当然予想されることながら、日本列島はすっぽり赤い点に覆い尽くされている。地質学者で元動燃主任研究員の土井和巳氏は、「地球の長い歴史からすれば、日本は今地殻変動真っ盛りということになるんでしょう。」「地下水の多い日本ですから、必ず水が回っています。そうなると、地層処分ということは出来ませんと言わざるを得ないですね。」と語る。

地層処分ができないことについて、土井氏には著書が数冊ある。

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地層処分について多少は読んだり見聞きしたりしてきたが、この本はまだ。読んでみようか・・・島田監督のサイトにインタビュー時の記事がある。

shimadakei.geo.jp

映画『チャルカ』では、「核のゴミ」をめぐる諸外国の事情も紹介されている。とくにフィンランドとフランスでは現地取材も敢行し、最終処分場受け容れの賛成派と反対派の両方の声を聞いている点には好感が持てた。フィンランドのオルキルオト原発の近くのオンカロマイケル・マドセン監督のドキュメンタリー映画『100000万年後の安全』でもよく知られ、多くの人々が視察に訪れている。今回の『チャルカ』には、小泉純一郎元首相が「私も行きましたよ!オンカロ!」「自分なりに勉強し直しましたよ!日本は地震が多いから地層処分は無理!」と講演会で語るシーンも出てきた。

日本は地震が多いし、地下水が多い。だから地層処分は無理だ、というのは一理あるのかもしれない。しかし、「当面は原発の敷地内に貯蔵庫を作りそこに保管するしかないでしょうね。」(土井和巳氏)というのは、納得がいかなかった。地震が多い日本ならなおのこと、地上で管理するのは危険極まりないのではないだろうか。危険は地震だけではない、雷、台風、竜巻、テロ、ミサイル?!などなど。地下に較べて地上のほうが安全であるという根拠や、地上でどのように管理するのかという方法論は示されていなかった。ただ、地層処分を認めてしまうと、最終処分場の建設、そして、原発再稼働、さらに原発再推進に道を開くことになるから、それを阻止するための地層処分反対、そのために日本の地下が危険である根拠を挙げている、どうしてもそのように聞こえてしまうのは、私も自分の考えに固執していることになるのだろうか? とにかく諸外国はいざ知らず日本では絶対に無理、という論調であった。

この映画のもう一つの柱は「チャルカ的生き方」として、北海道豊富町酪農家である久世薫嗣さん一家である。久世さん一家は1989年に兵庫県の山村から北海道に移り住み、原野の真ん中に家や牛舎を建てるところからスタート。まさに平成の開拓物語だ。一家は自前の久世牧場で生産された新鮮な牛乳を使ったチーズやジェラートを製造する工房レティエを営む。子どもの頃に憧れた「大草原の小さな家」のような世界・・・

Vol.18 握りこぶしひとつで、豊富町に入植した久世一家の波瀾万丈物語。 | いいね!農style

豊富町幌延町の隣である。久世さんが移住してから2年後の2001年から幌延深地層の研究が始まり、2003年には深地層研究センターの建設が始まった。1980年代から隣町の幌延原発関連のさまざまな施設の誘致が試みられた紆余曲折を久世さんもご存じだったのではないかと思うのだが・・それを承知の上で豊富町に移住されたのだろうか?そのあたり、お話を伺ってみたいところである。

幌延深地層研究センターにおける研究については、北海道・幌延町・核燃料サイクル開発機構(現:日本原子力研究開発機構JAEA)の三者により締結した「幌延町における深地層の研究に関する協定書」(「三者協定」)と、幌延町民を代表する町の意思決定機関である幌延町議会の議決を経て公布された「深地層の研究の推進に関する条例」を遵守して進められているが、それでも幌延がなし崩し的に処分地とされるのではないかという危惧から、周辺住民を中心に、幌延を核のゴミの最終処分場にさせないための活動が展開されてきた。

毎年7月末頃「ほろのべ核のゴミを考える全国交流会」が開かれ、久世さんもその代表実行委員に名を連ねる。2015年に第7回が開催されたということだから、2009年から始まったのだろうか。

fc2node0314blog.blog.fc2.com

今年の全国交流会に参加するスタディーツアーを企画した稲垣さんから私もお誘いを受けたのだが、その時には既に別グループでの幌延行きが決まっていた。

今年の全国交流会のレポートはこちら。

becquerelfree.hatenadiary.jp

前日(!)の7月28日に公表された「科学的特性マップ」への批判として、立石雅昭新潟大学名誉教授(地質学)による 「核のゴミ地層処分〜安心・安全な『適地』あるの?」と題する講演、および、深地層研究事業の終了時期・埋戻し工程表の提示と調査・研究の完全な終了時期などJAEAへの申し入れと質疑といった内容で活発な議論が行われた模様だ。参加した稲垣さんにも聞いてみたい。

全国交流会が終わった後のことになるが、8月8日に別グループの一員として幌延深地層研究センターを訪ねた。センター内のPR施設であるゆめ地創館のロビーには、このような断り書きが掲示されている。

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そして、「三者協定」の写しも掲示されていた。

もちろん、放射性廃棄物処分の問題も原発の是非も、総合的に判断しなければならないとは思うが、どうも原発を推進する立場からは地層処分が技術的に大丈夫であるかどうかだけを考えており、一方、原発に反対する立場からはそもそも廃棄物の処分方法を本気で考えてはいないように思われる。そこに、政府や原子力関連諸機関に対する不信の度合が絡まり、科学的・技術的に一般市民にはブラックボックスな部分への理解にもおのずと色がついてしまうのである。地層処分に技術的に賛成することが即ち原発推進と見做されがちであるため、この話はいつもこんがらがって前に進まない。

「地層処分は無理」「地上で管理するしかない」「廃棄物の処分は無理であって、これ以上、核のゴミを増やしてはいけない。だから原発は即やめるべき」「火力発電では地球温暖化がますます進む。再生可能エネルギーでは到底足りない。当面は原発再稼働すべき」「地層処分は可能」・・・どちらも結論ありきの話であり、なかなか噛み合わない。

 

上映会後に島田監督を囲んで質疑応答が行われたが、「原発に反対であり地層処分は無理」という見解が主流を占めるその場で異論や疑念を唱えるのはちょっと難しいと感じた。日本全国民が久世さんのように北の大地で自給自足の生活を営むのは到底無理であることだけははっきりしているのだが・・・体調不良のため上映会後の懇親会への出席も断念したが、ぜひまた機会を設けて島田監督とも稲垣さんともじっくりお話してみたい。(続く)

地層処分って本当にできるの?③ 幌延深地層研究センター見学

翌8月8日の朝、幌延に向かう。稚内から車で小一時間ほど。北海道縦貫自動車道が完成するのはまだ先のことのようだが、並行して走る国道40号線の自動車専用道路である幌富バイパス、豊富バイパスが開通している。幌延町役場の立派な建物の前を通って道道121号線をしばらく行くと広大な牧草地の中に唐突にもトナカイ牧場があった。昨日目撃したアザラシと違って、さすがにトナカイは北海道に生息しているわけではないが、観光施設として作られたようだ。せっかくなので立ち寄ることに。わらわらとトナカイたちが寄ってくる。退屈していたのか空腹だったのか、なんとも人なつっこい。

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トナカイ牧場のすぐ先に、さらに唐突感のある立派な施設が現れた。

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幌延深地層研究センター公式サイトより(2012年10月撮影)

今日見学する幌延深地層研究センターである。これまで「地層処分」の話が頓挫の例を重ねながらなかなか前に進んでこなかったのは、この唐突感のせいなのか?他所ではなく北海道のここに施設ができた何らかそれなりの経緯があったようだ。しかし、当然のことながら、施設内の人々はあくまでも真摯に研究に取り組んでいるのである。

日本では1976年から地層処分の研究が始まり、茨城県東海村などで研究開発が進められてきた。1999年に核燃料サイクル開発機構(現JAEA)は地層処分の技術的信頼性を示し、この成果を受けて実際の日本の地下深部に関わる研究を実施するために、2002年に岐阜県瑞浪超深地層研究所、2003年にはここ幌延深地層研究センターの建設にそれぞれ着工。

幌延深地層研究センターでは、深地層の地下水や岩盤の性質等の科学的研究(地層科学研究)や実際に地下深部で地層処分システムの設計や施行が可能かどうかを確認する地層処分研究開発等を行っている。

まずは、JAEAの茂田氏による明晰かつ丁寧なレクチャーを受けた。

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原子力発電所で発生する使用済み燃料は、その元になったウラン鉱石と変わらない放射能レベルに下がるまでに数万年かかる。そういった高レベル放射性廃棄物をそのまま処分するか、再処理したうえで利用できない5%分だけをガラス固化体にして処分するかの違いはあれ、その数万年という長期間、人間の管理に頼らずに隔離できる方法を、世界各国は原子力発電開発の当初から模索してきた。宇宙処分、海洋処分などさまざまな方法が検討された中で、現在、世界的にほぼ唯一、有効で実現可能と考えられているのが「地層処分」という方法。地下深くの岩盤が元々持っている、物を隔離するうえでの優れた性質に長期の隔離を委ねようという考え方である。

地下深くの岩盤は人間の生活環境から離れた場所に物を閉じ込めて動かさないという性質があり、日本のように地殻変動が活発な場所でも火山活動や地震などの自然現象の影響を受けにくい。これを「天然バリア」と呼ぶ。一方、放射性物質はガラス固化体に閉じ込めてから、オーバーパックと呼ばれる厚い金属(炭素鋼)製の容器に収め、さらにベントナイトという粘土を主成分とする緩衝材で囲む。これが「人工バリア」。このように人が適切に設計した人工バリアを天然バリアと組み合わせることにより、廃棄物を地下に埋設して、さらに処分場自体も埋め戻して元の状態に近い形にすれば、その後は人間の管理を必要とすることなく、長期間の隔離が実現できる・・・と考えられているのが地層処分のシステムである。

世界各地に地下研究施設がある中で、フィンランドやフランスのように、最終処分候補地の適性を見定める地下研究施設とは異なり、日本の2か所(瑞浪幌延)は、最終処分場選定に先立ち、最終処分場として使用しない場所で技術を磨く地下研究施設であり、処分事業とは明確に区別されている。それぞれの地元とも「最終処分場に転用しない」「放射性物質を持ち込まない」という協定が結ばれている。瑞浪の地下には結晶質岩の地層、幌延の地下には堆積岩の地層があり、それぞれについて研究することで、将来日本のどこが最終処分場に選ばれても、そこを適正に調査して安全評価を行えるということになっている。

幌延深地層研究は2001年3月にスタートし、第1段階は地上からの調査研究、第2段階は坑道を掘りながらの調査研究が行われた。2014年6月には地下350メートルの本格的な調査坑道が完成し、現在は第3段階である地下施設での研究の真っただ中である。でき上がった地下の坑道に模擬の人工バリアを設置し、その内部およびその周辺で起きる現象のデータを取ることによって、人工バリアの性能確認試験やオーバーパックの腐食試験、地下における物質移動に関する研究などが行われている。2014年6月以降は掘削工事は一旦休止して、静かな環境で第3段階の研究を実施するとともに、なるべく多くの人に地下に入って見てもらうという取り組みを行っている。計画では調査研究の期間は約20年間と設定されており、試験終了後は埋め戻されることになっている。

地下坑道に入る前に「ゆめ地創館」を見学させてもらった。

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ゆめ地創館ホームページより

ほんの数メートル下りるだけのエレベーターだが、バーチャルで地下深くに向かうような雰囲気を味わえる。地下階では、実物大のオーバーパックやベントナイトなど、人工バリアを見て触ってみることもできる。よくできた展示だ。

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粘土質のベントナイトが水で固まることを実感できる実験コーナーがあって子どもたちも喜びそう。

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そしていよいよ地下坑道へ。

瑞浪の時と同様、つなぎ服に着替え、反射ベスト・ヘルメット・安全長靴・軍手を身につけてから、バスで移動して西立坑へ。

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既に瑞浪の地下500メートルの坑道に入ったことがあるので、「人キブル」と呼ばれる鳥かごのようなエレベーターにもさほどの抵抗感もない。

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あっという間に地下350メートルに着いた。

 

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地下350メートルにある調査坑道を歩く。距離にして約750メートル。坑道を歩く限りでは、瑞浪よりずっと湧水が少ない印象である。

 

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先ほどの説明にあった通り、第3段階の人工バリア性能確認試験が行われている。

 

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オーバーパックを実際に埋設してその腐食の進行を調べている。

 

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要所要所で茂田さんの説明に耳を傾ける。

瑞浪の地下500メートルの調査坑道でも感じたことだが、地下350メートルは人間環境からさほど遠い感じはしなかった。もちろん、埋め戻した後はエレベーターですぐに下りるようなわけにはいかなくなり、放射性廃棄物をそれなりに「隔離」できるのだろうが、このように掘削する技術があるのなら、いつでもまた掘り返せるのではないかと思う。

瑞浪では行われていないのか、見学コースでは見ることができなかったのか確認していないが、幌延では、実物大の「模擬」人工バリアを実際に埋設して、その性能や腐食の具合を試験するといったような、地層処分の技術そのものの研究開発が行われているということを見ることができた。事前のレクチャーでも説明があったが、「実際に地下深部で、地層処分システムの設計・加工が可能かどうかを確認。工学的技術とともに、研究の成果をその都度モデルに反映させ、安全性を評価する技術の信頼性を高めます」とパンフレットにも書いてある。

丁寧な説明を聞くにつけ実験の様子を見るにつけ、確かに技術的には「地層処分」は可能なのであろうと思われる。と言うよりも、既にこれまでの原子力発電で発生してしまった高レベル放射性廃棄物をどうにかするには、現在の日本の技術力を限りを尽くして、人間の生活環境から隔離するほかないのではないか。もちろん、地下深部が何万年も長期間安定して「絶対安全」だとは言いきれない。しかし、地上に置くことの危険に比べれば、地下に埋めるほうがまだ安定を目指せるのではなかろうか。

ほとんどは門外漢である一般市民は、専門家から技術的な説明を受けたら「そうなのであろう」と信じるしかない。あるいは、疑ってかかるならセカンドオピニオンを求めて、別の専門家の意見を聞くかである。原子力放射性物質についてイチから勉強して地層処分の工学的・地質学的安全性を自分で判断することはそうそうできないし、現場を見てもそうそうわかるものではない。もちろん現場を見ないよりは見たほうが実感は湧くし、専門家に直に接することは「信じられる人であるかどうか」の判断材料にはなるだろう。何が「正しい」と信じるか、どちらに「賭ける」かは、技術そのものの話というよりは、それを担う人たちを信じられるかどうかにかかってくる。(続く)

 

地層処分って本当にできるの?② 稚内へ飛ぶ

前に北海道に来たのは30年以上前の学生時代だったか。そして稚内は初めてだ。8月7日。心配していた台風にも遭わず着陸前には窓から利尻富士がきれいに見えた。

せっかくの機会なので、宿泊先に移動する前に宗谷岬に寄ることになり、稚内空港から宗谷湾の海岸沿いをタクシーで走る。津波や高潮の恐れがないのだろうか、道路と海の近さに驚く。遠浅の海の沖合になにやら右方向に動いていく物体がゴマフアザラシだと教えられてさらに驚いた。アザラシ!?そうか、北の海には普通に生息しているのだ。冬になると岩場にトドが何頭も寝転がってるとか。江戸時代にこの地から樺太(サハリン)に渡った間宮林蔵の記念碑なども眺めてから、ほどなく宗谷岬に到着。日本最北端の地である。宗谷海峡を隔ててわずか43kmにあるサハリンが残念ながら今日は見えない。

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宗谷岬までの道中もそこかしこに目についた風車が、岬から南側の丘陵地帯に入るとさらに多数。広大な牧場でのんびり草を食む牛たちの背後にいくつも風車が回る景色はまるでヨーロッパのようだ。宗谷岬ウィンドファームには1,000キロワットの風力発電機が57基、稚内市全体では74基あるとのことだった。確かに風が強い。この日は最高気温が23度。薄着では肌寒いほどだ。真夏の日本とは思えない。

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さて、稚内駅近くのホテルに着いてから、明日の幌延見学会に向けて予定通りの事前勉強会を。一行6人が一室に集まった。講師役は原子力学会シニアネットワークで代表幹事を務める早野睦彦氏。

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シニアネットワークというのは、原子力を職業としてきて定年を迎えた方々がその経験を生かしてエネルギー問題を正しく社会に発信し、学生との対話を通して、原子力専攻の学生の意欲を勇気づけその夢やキャリアの支援を行なうなど、原子力技術の維持伝承とさらなる発展、他世代、次世代への意味ある貢献を目的として2006年に設立された団体である。

今回の見学ツアーのメインテーマは地層処分であるが、早野さんのお話は、そもそも人類文明の発展とエネルギーのかかわりから説き起こし、その中で原子力エネルギーを利用することの意味を考えるという壮大なスケールに及び、改めて目を啓かれた。

数式や化学式に弱い文系人間にもわかりやすい説明の中で、とくに印象に残っているところをいくつか。

*****

■アメリカの地質学者ハバートは、世界の化石燃料消費の増加と消耗は、長い闇夜の中の「一本のマッチ」の閃光のようなものだと警告した。

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ハバートは1956年に発表した「1971年にアメリカの石油の産出ピークが来る」という予測が的中したピーク・オイル理論で知られる。国際エネルギー機関(IEA) は2010年、世界の在来石油の生産量は2006年にピークを迎えていた可能性が高いとの報告書を発表したそうだ。

石油も石炭の天然ガスもいつまでも無尽蔵にあるわけがないと直感的に思う。石炭はあと100年分、石油と天然ガスはあと50年分というデータもある。何億年もの太陽エネルギーによる生態系の埋蔵金のようなものであるそれらの化石燃料は、人類が初めて火を使った日から、いつかは発見され掘り出され消費され尽くされる運命にあったということだろうか?この点、資源がなくなるわけでなく、採取するのに採算が合わなくなるので事実上採らなくなるということであって、100年とか50年というのは「可採年数」だという話も出たが、自分の中でまだ整理しきれていない。化石燃料を燃やして出るCO2による地球温暖化の影響とどちらが先なんだろう?

■地球上で利用できるエネルギーは太陽エネルギー、または、地球が自ら有するエネルギーである。

 ★太陽エネルギー

  • 太陽エネルギーが蓄積されたものが化石エネルギー(石炭、石油、天然ガス
  • 現在降り注いでいる太陽エネルギー(太陽光)
  • 太陽エネルギー由来の今のエネルギー(水力、風力、バイオマスなど)

 ★地球が自ら有するエネルギー

  • 地球生成時に地球内部に閉じ込められたもの(熱エネルギー)
  • 地球生成時に太陽系外から取り込まれたもの(核エネルギー)

■太陽エネルギーは核融合によるものであり、地熱は地球内部に閉じ込められた核物質の核分裂によるエネルギー。風や波は太陽からのエネルギーと地球内の核分裂エネルギーによって生じる・・・となると宇宙のエネルギーはすべて核融合または核分裂が起源ということ。なるほど・・・

原子力発電をしなくてもこの世は核エネルギーで満ちている。核エネルギーを拒否するならこの宇宙に居場所はない。核エネルギーを上手く使えるかどうかは人類の英知次第」

原子力の専門家として高速増殖炉の開発に携わってきた早野さんらしい言葉だと思った。ただ、そういう核融合核分裂の自然現象の結果を受け取るだけでなく、それを意のままに支配するというようなことが人類に可能なのか、許されるのか、地球に生きる一つの生物に過ぎない人類には分不相応なことなのか、正直言ってわからない。しかし、そんなことを今さら言ってみても、サルから進化して文明を発展させた人類は化石燃料を掘り当てるにとどまらず、すでに原子力の原理も発見してしまったのだ。

ここでふと妄想してしまった。太古の昔、初めて火を使ってみた原人は周りの仲間から反対されたに違いない。「なんだそれは!そんな危ないことするな!」と。狩猟を止めて農耕を始めた人間も反発に遭ったのではないか?「同じところで暮らして種を蒔くなどとんでもない!」と。狩りをして暮らしていた原人が農業を始めたのは1万年ほど前だと言われている。それまで何万年も続けてきた同じ生活スタイルをなぜ変えたのだろう?産業革命蒸気機関を使い始めた時も、「機械に仕事を奪われる」と手工業者や労働者は反対した。しかし、産業は逆戻りすることはなく、さらに発展を続けて現在に到るのである。

ある意味、新しいことへの「反対」は正しいのかもしれない。産業革命がなければ、農耕・牧畜を始めなければ、言葉を話すことがなければ、火を使うことがなければ、人類は地球環境にたいした悪影響を与えることもないマイナーな猿人としてほそぼそと暮らし続けていたのかもしれない。しかし、「だからやっぱり猿人に還りましょう」なんて賛成する人はいるか?

「文明は不可逆反応である。」(吉本隆明)という言葉が早野さんの話の中でも紹介された。あったことはなかったことにはできないのである。

■20世紀は科学技術の時代として人類は飛躍的に発展した。
21世紀は果たしてどのような時代になるのであろうか。

経済とエネルギーと環境が調和する「安全で持続可能な社会」なんて可能なのだろうか?

■日本は一次エネルギーの94%を輸入に頼っている。輸入がストップとたちまちエネルギーがストップする。

■エネルギー源の3要件は、

  • 大量にあること
  • 集中してあること
  • エネルギー密度が高いこと

再生可能エネルギーは大量にあるが、集中しておらず、エネルギー密度が著しく低い。無限のイメージがあるが、利用するためには様々な制約がある。立地制限、大量生産の効果、買い取り制度の最大利用などを最大限適用したうえで、資源エネルギー庁が定めた、CO2削減目標を達成するための再生可能エネルギー最大導入目標は、2020年で太陽光と風力を合わせて日本の全発電量の2.4%、2030年で7%程度ということだ。再生可能エネルギーを利用する未来は素晴らしいかもしれないが、それだけでは電力は全然足りない。

■現状の原子力発電の燃料であるウランも確認埋蔵量はあと93年分だという。ということは原子力発電もいずれ原料が足りなくなるのか?そうすると高速増殖炉でないと原子力発電もできなくなるということなのか?この点について、ウランは海中には無尽蔵にあるが、現在の技術で採取するのはとても採算が合わないので事実上使えるウランという意味での確認埋蔵量とのことだった。(そうすると、海水からの採取技術が実用化されればいくらでもウランが得られ、高速増殖炉は必要ないということになるのか!?しかし、その技術開発の見込みはどれほどあるのかまだかわからない。)いずれにしても、長年「もんじゅ」に取り組んでこられた早野氏の無念と将来への懸念がにじみ出ていた。

■どのような原発であっても、「核のごみ」の処分は必要なことだが、もんじゅなき後も現状の国策である核燃料サイクルからすると、再処理した後のガラス固化体としての高レベル放射性廃棄物の最終処分について考えている。

早野氏は、原発のバックエンドのほうは専門ではないと前置きしながら、廃棄物を地下深く埋めるだけというのは「技術的にはとても簡単なことだ」と述べた。それは、原子力を宇宙に満ちた自然のエネルギーととらえ、高速増殖炉の開発に取り組み続け、半減期など放射性物質の性質に知悉した人ならではの言葉だと思うけれど、ここに、世間の多くの人々との意識のずれを感じたことであった。多くの人々は、放射性廃棄物は得体のしれない不気味なものであり、自分が住む地域には絶対に埋めてほしくないと思っている。

しかし、得体のしれない不気味なものであるならばなおのこと、そのような放射性廃棄物を地上で「管理」し続けるのはあまりにも危険なのではないだろうか。私はなるべく早急に、少しでも安全な場所に移すべきだと考えている。それはどこなのか?どこに処分場を設けるのか?どうやってその場所を決めるのか?そこが実に難しい問題なのだが、まずは話し合う際の互いの意識のずれを認識し調整する必要があると思った。そのためには、今日のような「そもそもこの世は核エネルギーで満ちている」という基本の話をもっと多くの人たちに普通に聞いてもらえる場が必要なのではなかろうか。

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とにかくも、原子力の専門家個人の思いを直接聞ける機会は貴重だった。少なくとも、原子力発電に関わってきたのが、抽象的な「悪」でも「悪人の集団」でもなく、宇宙の原理に魅せられ、かつ、それを研究室内だけでなく社会に実装したいと思った工学系の人々であることは肌で感じられる。その知見やリスクに対する考え方が、社会の多くの人々になかなか伝わらないのはもどかしいところだが、双方に責任がありそうだ。(続く)