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よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル② 藤井はるかさんに聞く

音楽 記事

打楽器奏者 藤井はるかさんとの出会いは昨年の10月。妹の藤井里佳さんとの打楽器デュオ うたりをご紹介した時でした。打楽器姉妹のお母様はマリンバ奏者の藤井むつ子さんです。すごいなあ・・お二人にお話を伺いながら、元・学生オケ打楽器パートだった私はひたすら感銘を受けたのでした。

www.japantimes.co.jp

東京芸大卒業後、ジュリアード音楽院でさらに学び、その後もアメリカを拠点に国際的に活躍されている藤井はるかさんが、シルクロード・アンサンブルのメンバーでもあることはこの記事でも触れています。それが次の記事につながるとは全く予想していなかったことで、ご縁というのはまことに味わい深いものですね。

サンフランシスコ在住の藤井さんにMessengerのビデオチャット機能を使ってあらためてインタビューすることになりました。

chihoyorozu.hatenablog.com

シルクロード・アンサンブルはヨーヨー・マが1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」を母体としており、2000年7月にアメリカ・マサチューセッツのタングルウッド音楽センターに世界各国のアーティストが集まって行われたワークショップの様子は、今回のドキュメンタリー映画にも出てきます。

アンサンブルのオリジナル・メンバーは主にその時のアーティスト達ですが、固定メンバーではなく、オーディションがあるわけでもなく、新メンバーの参加はケース・バイ・ケースとのこと。「固定でない」だけに一時はメンバーが何十人もいたそうですが、数年前にコア・メンバーを明記するようになり、オフィシャルサイトにメンバーとして写真が載っているアーティストを数えてみると、ヨーヨー・マ本人を含めて21人です。

http://www.silkroadproject.org/ensemble

藤井さんの場合、2009年のアジアツアーのための打楽器奏者が一人足りない状況で、人づてに打診があったということでした。

「こんな素晴らしいチャンスはない。一度きりでいいから頑張ってやろうと思いました。本当に楽しくて、メンバーが素晴らしくて、良い仕事をさせてもらって、次にも声がかかるようになり、気がついたらオフィシャルサイト用に写真とプロフィールを提出するようにと言われました。メンバーとして認められたのかなと。」

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Ensemble | Artists | Haruka Fujii | SILKROAD

「ツアーの時は何週間も24時間一緒に過ごすので、濃い時間になります。音楽だけでなく、人として合う・合わないも含めて、一緒にやっていける人たちがおのずとメンバーとして残ってきました。」

「上下関係はなくフラットな関係を大切にしており、最終決断はヨーヨー・マが下すにしても、たとえば、『誰を呼びたいか?』などもアンサンブルのみんなが一緒にやりたい人ということで決めます。」

「さまざまな文化、キャリアを持ったメンバーが集まっています。たとえば、インドのタブラ奏者サンディープ・ダスは楽譜を読みません。そもそも、インドの伝統音楽には楽譜に書くというコンセプトがなく、彼は全部口頭で伝えるマスターなのです。彼が書いた新曲をやる時は、さあ!どうする?!という感じです。」

「自分が知っている方法でなく、相手の方法でものを見た時にはどういう音なのか?どういう世界なのか?必死になって理解しようとしないと一緒に音楽を作れないという大前提があります。このアンサンブルは、“向こう側”にいる人のことをすごく知りたいという気持ちがないとできない仕事です。」

「その力というのは、音楽だけでなくて、今の情勢で、コミュニティとコミュニティ、隣の国、自分の知らない世界を理解していくcuriosity(好奇心)がすごく大事だとヨーヨー・マは言っています。」

リハーサルのたびに、コンサートのたびに、毎回毎回身をもって勉強させられると藤井さんは言います。

「自分が今までやってきたことよりも、アンサンブルの中で次の新しい自分を見つけることが大事、と(タブラ奏者の)サンディープは言いました。私は西洋クラシック音楽の打楽器を学んできましたが、高名なタブラ奏者の隣で太鼓一つもって、ソロで『ハイ即興ね!』と言われた時はとても困りました。それは今まで私がトレーニングしてきたことではないし、何かウソをついているようで、借り物のドレスを着て演奏しなければならない違和感というか、恐怖感がありました。」

「でも、やらなきゃいけないわけですから、何か用意していき、やっぱり全然ダメだったということもいっぱいありますが、このアンサンブルは何らかの形で信頼してくれる、絶対に変なことはしないという信頼感をもって、気長に見守ってくれるのです。間違えてもいいんだからと。」

「それにワールドミュージックは即興ばかりではありません。逆に作曲家が書いた曲をオーケストラのように演奏する場合は、サンディープが大変!お手上げです。そういう時は逆に私たちが教えてあげる、というギブ・アンド・テイクの関係。お互いが知らないことを教えつつやっていくという感じですね。」

シルクロード・アンサンブルが今回グラミー賞を受賞したアルバム「Sing Me Home」の中に、藤井さんが書いた「シンガシ・ソング」が収められています。藤井さんが「子ども時代の大半を過ごした川越の新河岸川の近くに住んでいた祖父母のために書いた」というこの曲は、日本の2つの民謡の対話の形になっています。おじいちゃんが生まれた北海道の漁師の歌「江差追分」とおばあちゃんが好きだった「毬と殿さま」。

冒頭、梅崎康二郎さんの尺八とゲスト奏者ワタナベカオルさんの和太鼓が印象的。ウー・トンさんの中国笙の音も聴こえます。昔NHKでやっていた「新日本紀行」のテーマを思い出させる懐かしい響き。日本の北端における過酷な生活を歌った「江差追分」の哀愁のこぶしのきいた節回しがゆったりと奏でられます。

〽カモぉ~メぇ~のぉ~なくぅ~音ぇ~に~ぃ~
ふと~目ぇ~~を~~~~ 覚ま~ぁぁ~し~ぃ~  
あれぇ~~がぁ~~~蝦夷ぉ~地~ぃ~~のぉ~~~~
山~かぁ~いぃ~~~~な~ぁ~~~

川の流れのようなタブラの独特な響きとリズムが入って軽やかになり、ヨーヨー・マのチェロが渋いソロを聴かせたかと思ったら、やがて「てんてんてんまり てん手まり」という「毬と殿さま」が楽しげに始まり、そこに再び江差追分が絡み合います。さまざまな打楽器も加わって祭囃子のように盛り上がりますが、その底で轟き続けるのは和太鼓の響き。日本人の血が騒ぎます。

「アンサンブル向けのこのアレンジに辿り着くまでに、川の流れのように様々な様式を経てきた。」と藤井さんがプログラムノートに書いています。

父も母も戦時中の外地生まれの引揚組で高度経済成長期のニュータウンに生まれた私は、「ニッポンのふるさと」に懐かしさというより一種のコンプレックスに近い憧れを抱いています。幻想かもしれないけれど、数代遡れば確実に日本のどこかの田舎にいたはずのご先祖様に思いを馳せます。

全国でますます過疎化が進み、失われつつある大切な文化遺産である日本の民謡のメロディとリズムが、世界の多様な文化的背景を持ったミュージシャンたちによって新しく命を吹き込まれ、今の私たちや次の世代が共に楽しむことができるのは素晴らしいことだと思いました。(続く)

 

 

 

 

 

 

ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル① グラミー賞の快挙

音楽 記事

世界的チェリストの一人ヨーヨー・マは5歳でデビューし、グラミー賞だけでも既に18回も受賞しているそうですが、彼が立ち上げ、2000年から世界各国へのツアーを続けてきたシルクロード・アンサンブルのグラミー賞受賞は初めてのこと。

・・・ということを迂闊にも私は知らずにいました。やはりアデルとビヨンセの歌姫対決に注目が集まり、日本人としてはピアニストの内田光子さんがクラシック部門で受賞したことが話題になったほかは、あまりにもたくさんあるグラミー賞の各部門のことまでなかなかフォローできません。

さまざまな歴史的、文化的、政治的背景を背負ったメンバーたちが集まるシルクロード・アンサンブルの「Sing Me Home」がグラミー賞のベスト・ワールド・ミュージック・アルバムを受賞した快挙は、トランプ大統領による入国制限命令とその差し止め請求が騒がれるこのご時世にあって、とくに意義深く感じられます。そして、アンサンブルのメンバーには日本人も二人いるのです。

2月半ばにサンフランシスコ在住の打楽器奏者 藤井はるかさんからメールが届きました。2月12日のグラミー賞の興奮さめやらぬ文面には、ちょうどこの3月4日からシルクロード・アンサンブルの活動や各国から集まった何人かのメンバーに焦点をあてたドキュメンタリー映画「The Music of Strangers」(日本題:ヨーヨー・マと旅するシルクロード)が日本公開になると書かれています。

映画「ヨーヨーマと旅するシルクロード」オフィシャルサイト

これは・・・! ぜひ伝えたい!!という気持ちが通じたのか、3月3日(金)付の絶妙のタイミングで記事を掲載してもらうことができました。

www.japantimes.co.jp

今回の記事を書くきっかけをくださった藤井さん、そして、藤井さんとの出会いにつながったこれまでのすべての皆様のご縁の連なりにもこの場をお借りして感謝申し上げます。

もちろん無条件に決まったわけではなく、担当のエディターに提案したときには「ヨーヨー・マのコメントがもらえるなら」という返事でした。ほかにも、次のように聞かれました。

  • 藤井はるか氏はグラミー賞当日、会場にいたのか?
  • ほかのメンバーにも何人かインタビューできるか?

あまたのトピックの中から紙面スペースとタイミングによって何を載せるか決めるのは担当エディターの仕事であり、文化面であっても、どういうものがニュースとして記事化されるのかを裏側から見るのはなかなか興味深いところです。エディターが出した条件をクリアーすべく動いてくださったシルクロード・アンサンブル・オフィスをはじめ関係者のみなさまのご協力に重ねて御礼申し上げます。

先方はみなアメリカにいるのでメールは当然のことながら、イマドキのネット環境とテクノロジーの恩恵を今回はとくに強く感じました。

日本公開前の映画「The Music of Strangers」を事前に観るために、以前のように大急ぎでアメリカからDVDを送ってもらうとか、間に合わないから日本の配給会社に連絡するとかの必要はなく、ストリーミングのURLを期間限定でシェアしてもらう形でPCで観せてもらいました。

インタビューも、さすがにヨーヨー・マはメールでの回答(事務所を通して)となりましたが、ほかのメンバーは、せっかくなら電話インタビューということになり、どうせなら顔を見ながらにしましょうと、今回はFacebookのMessengerのビデオチャット機能を使ってみました。ニューヨークの午後1時は東京の午前3時(!)という時差はちょっと大変ですが、お互い自宅にいながらにして、iPhone越しに笑顔を見ながら話していると、そこにいらっしゃるようで普通のインタビューとそんなに変わりません。不思議な感覚でした。音声もばっちり。まあ、テレビ会議などが普通に行われているのだから当たり前と言えば当たり前ですが、便利な世の中です。物理的に移動する必要があるのはどういう場合なのか、これからますます限られていくのかもしれません。

大きな記事になったとは言っても、雑誌の特集のようなわけにはいかず、限られたスペースに盛り込めるのはたくさんの話の中のごく一部。そこからこぼれ落ちた貴重な言葉もここにまとめておきたいと思います。

まずは、ミーハーなエディターの求めに応じて、打楽器奏者 藤井はるかさんが語ったグラミー賞現地レポート。藤井さんのほかに7人のメンバーが授賞式に出席しました。

www.grammy.com

 

・・・グラミー賞は、テレビで生中継されるメイン部門の授賞式はステイプルズ・センターで行われますが、その前に隣のマイクロソフト シアターでほかの部門の授賞式があります。レッドカーペット歩いちゃいました。目がどこ見ていいかわからないぐらい、みんなすんごいお洒落してて、テレビ見てるみたいでした。アメリカのメジャーなミュージック・マーケットというのはこういうものかと思いました。シルクロード・アンサンブルの名前が読み上げられてみんなで受賞台に乗った瞬間はなかなかの感動でした。トロフィーをもらってステージで代表がスピーチしている間はそれこそ夢のようでした。「取っちゃったよー!」っていう感じ。そのあとは、写真撮影やらインタビューやらであちこち回り、外のレッドカーペットでインタビューを受けている時にうしろをアデルが通っていきました。

ワールドミュージックのカテゴリーでも歴代の重鎮がノミネートされる中でシルクロード・アンサンブルが受賞したのは驚きでした。自分たちのふるさとの作品を集めたアルバムを作ろうというのは、何年も前から上がっていた企画で、アメリカがこういう状況になるとは予測しない中でしたが、ああいう形で日の目を見るというのは素晴らしいタイミングで時勢に乗ったと思います。・・・(続く)

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ピアノ連弾の喜び

音楽

「ピアニストが二人いたら連弾ができるというものではない。」

公開ゲネプロの途中でピアニストの田崎悦子さんは語った。今回のゲストであるピアノデュオ ドゥオールの藤井隆史さんと白水芳枝さんから聞いた「忘れられない言葉」だという。「私もその仲間に入れてもらいたいと思います」という田崎さんは相変わらず若々しくチャーミングだ。公の場で連弾を披露するのは今回が初めてとのこと。

田崎悦子さんのピアノを初めて聴いたときの感動は忘れられない。

田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の遺言」: 井内千穂のうたかた備忘録

田崎さんのピアノがまた聴けるとあらば万難を排して馳せ参じるというもの。しかも、あの田崎さんが連弾!ということにも興味をそそられた。3月17日にカワイ表参道で開催されたJoy of Chamber Musicを公開ゲネプロから聴きに行った。

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毎回錚々たるヴァイオリニスト、チェリストパーカッショニストなど、トップ・アーティストをゲストに迎え、若い学生たちとピアノ室内楽を楽しく学び、指導し、演奏してきたというこのシリーズ、以前の会も聴きたかったものだ。初めて伺うこの10回目は、シリーズ初のピアノ連弾企画。そうか。連弾はピアノの室内楽なのである。

ちょっとだけ調べてみると、19世紀に入って台頭してきた新しい市民層の財力と余暇の一部は、コンサート・劇場・教会などで音楽を聴くことに向けられた一方で、アマチュア音楽家として「習い事」などの実践も盛んに行なわれるようになった。その中で多くの人々が関心をもって参加したのが、コーラスや家庭でのピアノ音楽だったという。そしてピアノによる一番簡単な室内楽として「連弾」が流行ったそうだ。

幾多のオリジナル連弾曲が作曲され出版されたほか、オーケストラ曲をコンサートホール以外で自分の好きなときに楽しむ手段として、有名なオーケストラ曲のピアノ連弾用編曲版も出版された。そういう楽しみ方は、放送や録音でオーケストラ曲をいくらでも聴けるようになってからは廃れていたが、最も少ない人数でスケール感のある合奏が楽しめるということで、最近徐々に連弾が復活しつつあるようだ。そう言えば、今年に入ってから既に2回、ピアノ連弾中心のコンサートを聴いた。

確かに、連弾は楽しそうだ。ピアノにつきまとう孤独のイメージの反動でもあるかのように、連弾する人々の間で醸し出される親密な空気には他の室内楽を凌ぐものがある。なにしろ、1台のピアノに並んで弾く二人は、弦楽カルテットなどのそれなりの距離感とは比べものにならないほど、ぴったり寄り添っているのだ。見ているほうがドキドキする。

 この日のプログラムで言えば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」や、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」は、ドゥオールのお二人やその弟子筋の学生さんたちによって演奏されたが、フランス音楽の微妙な音の重なり具合を探る無言のやり取りがなんとも濃密だった。隣り合って座る二人がピアノに覆いかぶさり、顔を寄せ、アイコンタクトやちょっとしたジェスチャーで互いの手を鍵盤に置くタイミングを計り、左側で低音部を受け持つ奏者が細かいペダルさばきを調整する。二人の人間が一つの楽器を共にする一心同体みたいなアンサンブルである連弾とはこういうことかと感じ入った。連弾に特化した活動を中心にしていく場合、ソロの曲への向き合い方はどのようになるのだろうか?

対照的だったのは、ケラー編曲によるブラームスの「大学祝典序曲」。ピアノ2台8手連弾版があるとは知らなかった。ついこのあいだオーケストラで聴いたばかりなので、ピアノ版がなおのこと新鮮だった。やはり、オ―ケストラの全ての楽器を四人で分担して指揮者もなしに合わせようとすることには無理があり、若干ガチャガチャした印象は否めない。微妙な響きがどう、というよりはタイミングを合わせることが肝心で、田崎さんや学生さんも含めた四人の奏者のアクロバティックな掛け合いを見守る緊張感あふれるセッションであった。

そこへいくと、シューベルトの「人生の嵐」は、元々ピアノ連弾のために作曲されただけあって、二人の奏者によって1台のピアノの可能性が存分に引き出される素晴らしい曲だった。田崎さんがリサイタル「三大作曲家の遺言」シリーズで演奏されたシューベルト晩年の3つのソナタと同じく最晩年の1928年に作曲され、シューベルトはその年の11月に亡くなってしまう。「人生の嵐」というタイトルは死後に出版社が勝手につけたようだが、「嵐」というよりは、生に執着する最後の抵抗を試みながら、心はもう死後の別次元の世界に向かっていくような音楽に感じられる。

冒頭から繰り返し現れるジャジャジャーンという和音のフォルテシモから中間部の厳かなピアニシモまで(いや、もう1つずつフォルテやピアノがついているかもしれない)、ピアノは実に音量の幅が広い。とくに静かな部分がよかった。セコンドの藤井さんが静かに鳴らす死へと向かう葬送の列のような厳かな低音に乗せて、プリモの田崎さんが繊細に響かせる旋律と和音は、戦いに斃れた騎士の世界か、教会の宗教画のような趣き。ここが琴線に触れ不思議な既視感(既聴感か?)がかき立てられるのは、どういう文化的刷り込みかと訝しむが、とにかく美しい。

プログラムの最後は、リストの交響詩第3番「前奏曲」。これも元々はオーケストラの曲だが、リスト自身の編曲による2台4手連弾バージョンを初めて聴いた。

連弾でもピアノが2台になると、2人のピアニストが密着せず距離があるだけに、違った協力関係になるようだ。第1ピアノ、第2ピアノそれぞれの奏者が自分の楽器の上を縦横無尽に腕を振るいながら、絶妙なコミュニケーションを取りつつ同じ音域も含めて音を重ねるピアノ2台分の響きは実に豊かなものだった。元がピアノ協奏曲ではないから、ソリスト部分とオケの部分という分け方ではない。オーケストラの各声部をどのように二人で分担しているのか、実際に楽譜を見てみたいものだ。

冒頭のちょっと不気味な主題は、ピアノで弾くと弦楽器とはまた違った味わいがある。ホルンが深々と歌う愛の主題、トランペットのファンファーレ、オケ全体が嵐のようにうねる激動の音響、ポロンポロンというハープに乗せて弦楽器が奏でる癒やしの旋律、田園風景の中に代わる代わる聴こえてくるオーボエクラリネット、フルートの響きから、打楽器も炸裂する華々しいフィナーレまで、次々に変容する曲想に応じて、オーケストラの楽器をそのまま真似るわけではないけれど、さまざまな音色を弾き分けられるのは、さすがピアノならではの表現力である。木管楽器のさえずりは高音部のトリルなどで表現され、クライマックスへと盛り上げるコントラバスは低音部のオクターブで重厚に打ち鳴らされる。

田崎さんと白水さんが繰り出す高速の音階とめくるめくアルペジオの怒濤に押し流されながら、要所要所でポーンと際立つ和音の響きに酔いしれる。ズーンという低音の圧力も、キラキラと硬質な高音のアタックも、ピアノの音色には鍵盤楽器、いや、打楽器ならではのキレがあり、二人がかりで2台のピアノの両端まで使って叩きだす和音は圧巻の迫力である。

この曲の勇壮な部分が、かつてナチス時代のニュース映画にも使われたのもわかる気はするが、「人生は死への前奏曲」という詩に基づくリストの人生観だと改めて聞くと、もっと切なく胸に迫る音楽である。

「小学生の頃に聴いて胸がキュンとなって以来大好きなこの曲のピアノ連弾版があることを知り、指揮者になったような気持ちで弾くことができるのは大きな喜び」と田崎さんは語った。喜びに満ちた演奏のスケール感からは、ふと大編成のオーケストラを相手にソリストとして輝かしい演奏を聴かせた往年の田崎さんの姿も垣間見えるようだった。

1960年に渡米し、ジュリアード音楽院卒業後もニューヨークを拠点に30年間、国際的に演奏活動を展開された田崎さん。若い頃、マールボロ音楽祭でカザルスやゼルキン等の巨匠から薫陶を受けたことを前回の取材の折にも語ってくださった。

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そのマールボロ音楽祭での貴重な経験を次の世代に伝えたいという思いで、このJoy of Chamber Musicシリーズを始められたという。これほどのキャリアを持ちながら、連弾という「新しいこと」に真剣、かつ、喜々としてチャレンジする田崎さんのパッションは、若手アーティスト達への愛の発破であり、居合わせた聴衆にも音楽の喜びをトータルで伝えてくれた。

単独でも成り立つピアニスト同士が敢えて一緒に弾く形に私は意味深いものを感じた。もちろん、単独で成り立つことも難しい。また、ドゥオールのお二人が言う通り、ピアニストが二人いたら連弾ができるというものではなく、互いへの理解と尊敬が欠かせないのだろう。

他の楽器の伴奏にもなれば、大オーケストラをバックにソリストにもなる。そして、あの「三大作曲家の遺作」シリーズのような究極の孤独に一人で向き合う。そんなピアノは、人間の様々な内面を映し出す奥の深い楽器だと改めて思う。

孤独だからこそ人と力を合わせる喜びがあり、死への前奏曲だからこそ人生は愛おしい。

 

 

 

再見「3.10 10万人のことば」

アート

2011年から6年が経過し記憶の風化も指摘されるが、それでも、3.11の大震災の体験は同時代の出来事として共有されている。

その前日、3月10日には東京大空襲があった。1945年のことである。

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毎年3月10日に合わせて、東京大空襲を現代に伝えるアートパフォーマンスを行なっているダンサーの鈴木一琥さんとアーティストのカワチキララさんを取材したのは、今から8年前の2009年。

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3.10 10万人のことば: 井内千穂のうたかた備忘録

その時お二人にインタビューさせてもらった浅草の土蔵の2階は、薄暗い板の間が不思議に親密な空間だった。舞踊にサウンドアートという前衛的な趣きに「すごく変わった人たちだったらどうしよう」と若干構えて向かったのだが、実際にお会いしてみると誠実で率直な対話が心地よく、予定時間を大幅に超えて話し込んだのを思い出す。素敵なカップル・・と思っていたらいつの間にか夫婦になられ、可愛い女の子も生まれ・・時が経つのは早い。

久々だったが、浅草の土蔵は全く変わらない。それこそ幕末から変わっていないのだろう。しかし、表からはそこに土蔵があることはわからない。江戸通りに面した入口はギャラリー・エフ。入るとレトロなカフェである。

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土蔵を守るために丸ごと覆うように建物が作られて1997年にこういう形になり、アートスペースとして利用されている。土蔵自体は慶応4年(1868年)に建てられて以来、1923年の関東大震災にもびくともせず、1945年の東京大空襲でも直撃弾を免れ、焼け野原にぽつんと建っている写真が現在に残る。そして今日まで力強くそこに建ち続けているのだ。

カフェスペースの奥に土蔵の入口がある。

鈴木さんとカワチさんはこの土蔵で2005年から絶えることなく毎年3.10の公演を重ねてこられ、今年で実に13回目を数える。

http://www.gallery-ef.com/gallery.htm

「すべてはあの夜 永遠に失われた人々の声へと手を伸ばし続けるため、鈴木一琥とカワチキララは『3.10 10万人のことば』という作品に13年間取り組んでいます。会場である江戸末期築のこの土蔵もまた、その時の流れを見つめ続けています。」(プログラムより)

昔書いた記事を読み返すと、「60年以上も前のことを私たち自身に起きた出来事としてどうやって理解し実感することができるだろうか?」という問いの答えを探していると鈴木さんは語っていた。その時点で60年以上前。今から数えると、東京大空襲は72年前のことになる。

また、カワチさんの言葉もある。

「死者の声をどうやって聞くことができるだろうかと思いましたが、話を伺った生存者は、生と死の境目はごくわずかな違いだったと言います。ですから、生存者の方々の言葉を繰り返し繰り返し聞いていると、それが犠牲となられた10万人の方々の声のように感じられるのです。」

今年、彼らの公演をもう一度ぜひ観たいと思ったのは、「言葉」を使わない生身の肉体による表現に再び触れたい、あるいは、「言葉」の違った使い方について再び考えたいと思ったからだ。

土蔵の中。まずは漆黒の闇。これは「異次元」への移行のために外せない儀式である。目をカッと見開いても全く何も見えない。ブラックホールに放り込まれたような不安に襲われる。そこへスーッと浮かび上がる身体は、人間の肉体というより阿修羅か仁王の彫像のようだ。そこに東京大空襲を体験した人たちの声が重なる。カワチさんがインタビューした証言を編集したサウンドアートである。

同じく「言葉」を扱うにしても、耳から入る音声言語の断片は、文字を並べて筋道立てた文章とは随分違う。その声の主の雰囲気や感情がそこはかとなく伝ってくるし、もともと人の言葉はそんなに理路整然とはしていないことに改めて気づかされる。対話の中で思いつくまま、ふと真実のひと言が漏らされ、そこをカワチさんが切り取っているのだ。文字で書かれた論理的な文章を読むことばかりに慣れすぎると、話し言葉に本来備わっている聴覚的要素や、言葉に宿る感情がこぼれ落ちるのではないだろうか。

その日小学生や中学生として、ザ――ッザ――ッという焼夷弾攻撃の中を逃げまどい、翌日おびただしい死体が折り重なる地獄を見た体験を「あまりにもたくさん見ると人間って慣れちゃうんですよね」と語る生存者たちの声は重いのに淡々としている。戦後を生き抜いて高齢になられ、カワチさんがインタビューした中にも既に亡くなられた方もいるそうだ。誰しもいずれこの世を去るとは言え、一夜にして10万もの人々の命が失われたとは・・

空襲の恐怖を伝える激しい動きを経て、死者たちへの鎮魂の舞い。足で床を強く踏み鳴らすのも儀式なのか。舞踊の根源を探求しているという鈴木さんの身体の動きは、言葉が現在のような形に発達する以前の遠い遠い昔の祖先が、仲間と通じ合うために身体を使ったであろう「太古のコミュニケーション」のようにも感じられる。もちろん、人間にとって言葉は重要に違いないけれど、全身からほとばしる玉の汗と苦悶にゆがんだような顔から伝わる感情や精神はなかなか言葉にはならない。古来、儀式の重要な部分は沈黙のうちに行われる。

今年の公演に先立つ東京新聞の記事には「なぜ今この公演をやるのか、社会の背景も変わるので毎年考えている」という鈴木さんの言葉が紹介されていた。今年は、戦時下の「言いたいことが何も言えなかった雰囲気」を感じさせる証言を初めて取り入れたという。

「洗脳されていました。」「軍国少女でした。・・・私が兄を殺したようなものです。」「教育」・・・そんな言葉の断片が後半に流れてきた。

今年初めてというこの最後の部分の舞踊で鈴木さんの身体から感じられたのは、「無念」と「怒り」であった。生存者たちも死者たちも、その時代に否応なく翻弄され、心まで染まりきっていた自身と周囲の生死の報いに対して、自責の念に苛まれている。怒っている。どうにかすることはできたのか? しかし、「それが正しい」と洗脳されていたのだとしたら? 小学生の女の子だった。中学生の少年だった。

それでも結果はみずからにふりかかるのだ。

 

youtu.be

 

 

 

蝶々夫人は死なず

音楽

蝶々夫人」は決して好きなオペラではなく、観るたびに何とも言えずモヤモヤした気持ちになるのに、つい、また観たくなるのはなぜだろう?

最初に観たのは15年ぐらい前だったか、ベルリンに住んでいた頃のシュターツオパー(ベルリン州立歌劇場)。この時の主役が誰だったのか全く覚えていないが、聴かせどころで高音が出なくてがっかりした上、着物が変、所作が変(両手を胸の前で合わせてお辞儀とか)、ラストシーンが変(子役は使わず、のっぺらぼうの人形を抱いて最期のアリアを歌ってから自刃)・・現地で素晴らしいオペラもいろいろ観たが、これは・・・ヨーロッパ人が日本を描くとこうなってしまうのかと愕然としたのだけが印象に残っている。

なので、日本で日本人の演出家による上演ならば、こと「蝶々夫人」に関しては極端に変なことがないだけでも安心して見られるのだが、前回2014年に新国立劇場で観た栗山民也さん演出の公演は、舞台の美しさには感銘を受けたものの主役のソプラノが外国人で所作がやっぱり変だった。しょうがないのかもしれない。

そういう意味では今年2月の新国立劇場公演は、これまでの定番の栗山演出でも久々に日本人ヒロインによる「蝶々夫人」ということで期待して臨む。

www.nntt.jac.go.jp

主役の安藤赴美子さんは日本美を体現し「ある晴れた日に」をはじめ歌唱も素晴らしく、かなり共感できるヒロインだった。第2幕でピンカートンを乗せたリンカーン号がついに日本に戻ってきたのを見つけて「ほら!やっぱり帰ってきたでしょ!!」と歓喜する場面では切なくて思わず涙。

それでもモヤモヤするのは、そもそもこのストーリー自体に納得が行かないからだと思い到った。なにしろ子どもの目の前で自害という最期、しかも仰向けに倒れた瞬間に稲光のように舞台が明るくなって暗転という幕切れ。えーっ!?それはないでしょう!!全般にとても美しい栗山民也さんの演出も、ラストシーンは私には興ざめだった。

日本人のヒロインだからって「ハラキリ」ではないけど、自刃させるっていうのはあんまりではないか・・・「ラ・ボエーム」のミミが若くして病死する哀れには感情移入できるし、自殺であってもトスカのように「スカルピア、地獄で!」と叫んで飛び降りる壮絶な最期はあっぱれとも言えるが、「アメリカ人に捨てられ絶望して自殺する日本女性」という設定でイタリア人がオペラを作るのはどうなんだ?台本やプッチーニに対して文句を言いたくなってしまう。ヨーロッパ人の異国情緒と奇異の眼差しという時代状況の産物だったとしか思えない。当時「蝶々夫人」の芝居も原作もあったそうだから。

オペラの冒頭から最後まで、舞台の奥ではためいている星条旗。その残像が劇場を出てからもいつまでも消えなくて苛立つ。どうもモヤモヤが続いていたところ、別バージョンの「蝶々夫人」があるというので観に行くことにした。

www.chunichi.co.jp

俳優・演出家の笈田ヨシさんによる新演出ということで話題になっており、金沢、大阪、高崎、東京と4か所の巡回公演。その最終日の2月19日(日)、東京芸術劇場に再び「蝶々夫人」を観に行った。何に駆り立てられてか、気に入らないストーリーがどのように描かれるのかを確かめずにはいられない。

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その日のヒロイン中嶋彰子さんもなかなか素晴らしかった。新国立劇場の安藤赴美子さんは初々しい可憐さが前面に出ていたのに対し、中嶋彰子さん演じる蝶々さんは、おのずと大人の色気が漂い15歳の少女というにはちょっとなぁ…まぁゲイシャさんだし、そういうこともあろうか。いちばん盛り上がったのは第1幕の長大な愛の二重唱だった。いやいや、途中でピンカートンが蝶々さんを“お姫さま抱っこ”して(屈強か!)双方きわめて歌いにくそうな態勢でも熱唱が続いたかと思うと、やがて畳に敷かれた布団に寝そべった彼がシャツを脱ぎ出すというリアルなラブシーンがかなり濃厚な演出だった。ある意味、こういう幸せの絶頂を味わったのであれば翌日死んでも本望かも知れない。

ちょっと残念だったのは音響のバランス。オーケストラのボリュームが大きくなると歌手陣の声が聴こえにくくなるのは、ピットのないコンサートホールでは仕方のないことなのか、単に指揮者の問題なのか、座席の場所によって違うのか、わからない。

ざっくり言うと、新国立劇場版は「不可避の悲劇」をあくまでも美しく描こうとしているのに対し、東京芸術劇場版は、このような設定の中でもできるだけリアリティを追求しようとしているように感じられた。ピンカートンが去った後の第2幕では、経済的に困窮している蝶々さんも女中のスズキも粗末なモンペ姿で登場するので一瞬ぎょっとするが、確かにおカネに困っているのに綺麗な着物を着ているのは不自然だったとも言える(東北発祥だというモンペがいつごろ長崎まで普及したのかという時代考証はともかく)。

同じ台本に同じ音楽だし、大きな読み替えはないものの、演出の違いというのは面白いものだ。星条旗というアメリカの象徴にしても、東京芸術劇場の舞台では家の一角に掲揚されているのが、決して美しくないが妙にリアルに感じられた。あるある。こうやって国旗を飾るというインテリア(大使館とか)。それを終盤で蝶々さんが引き抜いて踏みつける。うーん、蝶々さんはそんなに強かったのか!? 

果たして、この演出では蝶々さんは本当に強かったのである。

自刃するかというラスト、かつて切腹した父の形見の短刀を取り出して、われとわが胸に突き立てようというところで舞台は暗転。自刃のシーンなし!

そう!蝶々さんは決してここで死なないのだ。アメリカ男を信じきって頼りきっていた揚げ句の果てにこうなってしまったのは半分は自業自得。死のうと思うほどの苦しみから何としても立ち直ってほしい。なんなら子どもを引き渡すのを断固拒否するのはどうだ?さっき二度とやりたくないと歌っていた芸者稼業をもう一度やってみるか、ほかの仕事だってできるのではないか?絶縁された親類縁者にもう一度頭を下げてみてはどうだろう?無理だろうか?それでは母子でさすらいの旅に出るか? 猛烈に応援したくなる。蝶々さん!生きるのだ!

あるいは、我が子のためを思って泣く泣く引き渡した後、まだ長崎に滞在しているピンカートン邸へ忍んで行っては物陰から息子の顔を見るという話だったらもらい泣きしそうだなあ・・・そして、ある晴れた日に、離任するピンカートン一家が出帆する時には水平線の彼方にリンカーン号が見えなくなるまで丘の上から手を振って見送るのだ。ああ私の坊やが異人に連れられてアメリカへ行ってしまう・・・その後、何年もかけて別人のように実力をつけてからはるばるアメリカまで息子を訪ねて行くとか、逆に成長した息子が母を訪ねて何千里、はるばる日本に戻ってくるとか・・・その後どうなったかの妄想が果てしなく膨らむ。その場で自害するよりもっと様々な可能性があるはず。

実際、「蝶々夫人」の続編の試みは過去にもあるようだ。

ジュニア・バタフライ

「蝶々夫人」その後… - 歴史〜とはずがたり〜

どちらも筋書きがイマイチだが(すみません!)、それでも人生は続く。

驚いたことに「蝶々夫人」は今もなお世界的にも人気演目として2015-2016シーズンの上演回数で堂々の第6位、トップ10にランクインしている。

operabase.com

世界各国で一年間でトータル2641回も上演され、「アメリカ人の遊びの結婚に騙されてひたすら待ち続ける上、求めに応じて子どもを引き渡し死を遂げる誇り高い(都合の良い)日本女性」というイメージが繰り返し愛でられるているかと思うといたたまれない。冗談じゃない!

ただ、今や「蝶々夫人」を単なる「日本を舞台にした物語」だと思う時代は終わったそうで、「勝った国と負けた国、富める国と貧しい国の存在するところで生きる人々の運命を語るための大きな器となりつつある」と言う(全国共同制作プロジェクトMADAMA BUTTERFLYプログラムより)。「ソ連崩壊後にアメリカ人のもとで低賃金労働者として働いたロシア人たちの物語」という演出もあるとか。へーえ!そうなの!?それではもはや、プッチーニの日本情緒とは別の世界になると思うけれど、そういう普遍性を持った物語にもなりうるとは、これまた驚きだ。

ともあれ今回は、元の設定に基本的には忠実でありながら、不屈の蝶々さんの可能性を示唆した笈田ヨシ新演出に、これまでのモヤモヤから救われる思いだった。

蝶々さんよ永遠なれ。

 

 

 

プロの覚悟 ~アマチュア・オーケストラをめぐって③~

音楽

このところ、アマチュア・オーケストラのことを書いたり聴いたりしたおかげで、自分の気持ちを再確認し多くの人たちと共有できたのは嬉しいことだった。

一方で改めて感銘を受けたのは、プロの音楽家の道を選ぶ覚悟というものである。

マーラー祝祭オーケストラでヴァイオリンを弾くOさんは、「びっくりするような素晴らしいプロの方々と共演できるチャンスがあるのもこのオケの良いところ」と語った。

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今回のソリストはベルリン在住のヴァイオリニスト植村理葉さん。

取材のために練習を聴きに行ったとき、ちょうどコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲をやっていた。実は初めて聴く甘美な素敵な曲・・・映画音楽みたいだなと思ったのは逆で、マーラーが「天才だ!」と叫び、10代からプロ作曲家としてウィーンで名声をほしいままにした神童コルンゴルトは、ナチス・ドイツの台頭のためアメリカへの亡命を余儀なくされてから生活のために映画音楽を手がけるようになり、後のハリウッド映画音楽の基礎を築いたということなのだ。たとえば「スターウォーズ」のメインテーマは、コルンゴルトが作曲した1942年の映画「嵐の青春(Kings Row)」にそっくりだというのでYouTubeで聴いてみたら本当にそっくり!(さすがにその古い映画は知らないが、若き日のレーガン大統領が出演していることにもびっくり!)

www.youtube.com

そしてコルンゴルトは、戦後に芸術作品として作曲したヴァイオリン協奏曲にもそれまでの自作の映画音楽をあちこちにちりばめている(転用OKの権利を保有していた由)。

ついでに言うと今年のNHK大河ドラマ「直虎」のテーマ曲もなんとなくコルンゴルトっぽい。ウィーンの伝統がハリウッド映画を通じて現代のテレビドラマなど多くの人に受け容れられる音楽として脈々と流れているのが感じられる。

話がそれたが、2月12日本番のコンチェルトは見事だった。

マーラー祝祭オーケストラ(オフィシャルサイト)

シルバーホワイトの可憐なドレスで現れた植村さんが舞台にすっくと立ち、冒頭からのソロがミューザ川崎のホールいっぱいに響き渡る。ソリストがほとんど弾き続ける構成の協奏曲を全編バリバリ弾き切り歌い切り、超絶技巧も実は歌うためにあったのかと思わせる軽やかさで弾きこなす。特に針の穴に通すような高音域の絶妙感に、ヴァイオリンとはかように良い楽器であったかと久々に思った。練習の時は何度もオケが止まってしまい、指揮者の井上喜惟先生が苦笑いしながら「もう一度」とやり直していた3楽章の速い掛け合いのパッセージも本番はクリア!指揮者とオケとソリストが絶えず聴き合い、アイコンタクトを取りながら、心地よい緊張感あるコラボが繰り広げられ、オケも生き生きしている。アマチュアオケでこんな曲をこんなアーティストと共演できるなんてうらやましい。一回限りのコンサートでアマチュアとプロによる一期一会の幸せな共演を堪能し、全力で曲を牽引しウィーンの美学を表現するアーティスト植村理葉にすっかり魅せられた。

当たり前だが、やっぱりプロはプロだ。あれほどのテクニックは、並外れた才能もさることながら、並々ならぬ努力のたまものだろう。どれほど練習してその技量を維持し、さらに高みを目指すのだろうか。途方もない時間をかけた練習という意味では学生オケもマニアックな努力を惜しまないが、プロの演奏家はそれを仕事として生きていくというところが絶対的に違うのだ。

その前日の京大オケの100周年記念祝賀会で祝祭オーケストラを指揮したのは、奇しくも同期でこの学生オケに在籍し、現在は東京都響の首席フルート奏者を務める寺本義明氏だった。当時、彼は文学部の学生だったが、フルートが抜群に上手くて私などはろくに口もきけなった。のちにコンクールに入賞してプロになったことを知ったときは驚きつつも「やっぱりそれぐらい上手かったんだ」と納得したものだ。あるとき都響を聴きに行ったら確かに彼がフルートのトップを吹いていた。2年ほど前に彼のリサイタルを聴きに行ったこともある。

もちろん、フルートの妙技には毎度感服するわけだが、今回はそれよりも指揮者としての献身ぶりに、何と言うか、音楽家としての魂を感じたのであった。祝賀会前の練習の時には「小っ恥ずかしい比喩を使って説明する人やなあ」(←人のことは言えないが)とまだ斜に構えていたのだが、祝賀会本番の指揮ぶりで彼をすっかり見直した(失礼!)。風貌から「マーラーのようだ」と評した人もいたが、どちらかと言えば「レレレのおじさん」のような楽し気な表情で躍動感あふれ、160人という大編成一発オケをぐいぐい乗せてクライマックスへ一段と盛り上げる。それこそ今日という日のためになりふり構わず音楽への愛を仲間と分かち合う姿には、とても素直な気持ちになれた。

プロの音楽家になるという決断はどういうものだったのだろう?プロのオーケストラの一員として日々の演奏とどのように向き合っているのだろう?アマチュアの指導に際してはどのような気持ちで臨んでいるのだろう?いつか聞いてみたいものだと思いながら、大学卒業後30年にもなる年月に思いを馳せた。

その30年以上もの年月、京大オケの打楽器パートを指導し続けてきた打楽器奏者の早坂雅子師匠も来賓として祝賀会に出席していた。私が入学する少し前から「干支で3周」とご本人がおっしゃる、実に36年間で100人に上る弟子たちの中で私は最古の部類に属する。考えてみたら自分たちが学生だった頃、彼女は京都芸大を卒業したばかりで年齢はそう違わなかったわけだが、当時の私から見るとはるかに大人の女性、かつ、憧れのプロ打楽器奏者であり、マリンバを高速で弾きまくる鬼気迫る演奏には魂を抜かれたように陶然としたものだ。

30年以上経ってもエネルギッシュで若々しく、アーティストたる姉御肌のカリスマも健在。それが極まったのは祝賀パーティ中の参加型アトラクションとして演奏されたレスピーギの「アッピア街道の松」であった。ふと見ると師匠が大太鼓の横に立っている! 

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打楽器パートのOB・OG・現役一同、期待に胸が高鳴る。

レスピーギ自身の説明によるとこういう曲だ。

アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

夜明けの霧のように響くピアニッシモの銅鑼や木管楽器があれこれつぶやく中で、ザッザッザッザッと一定のリズムで粛々と行進するローマ軍。日の出を告げる金管楽器のファンファーレと共に丘を登って行くあたりから、全軍を鼓舞するように「ド」、4歩進んで「ド」、粛々と「ド!」、前進する「ド!!」。そのうち4歩どころではなく1歩ごとに大太鼓がド!全軍の兵士たちの心臓の鼓動のように高まっていく。この辺から曲は大太鼓協奏曲と化し、背後のソリストのただならぬ音響に前方のパートからも振り向く奏者多々。この日のパーティに参加した30人近い弟子たちは狂喜乱舞して打楽器群の背後や隙間から写真を撮るやら動画を撮るやら。演奏に参加した打楽器メンバーは師匠の爆音に煽られて、シンバル3名(!)が激しく炸裂し、最後には大音響で鳴り響いた銅鑼が落下するというハプニング付き。やんややんやの喝采とブラボーは当然、早坂女史に捧げられていたはずである。100周年祝賀会を大いに盛り上げた。なにしろ100年の内の36年間、この学生オケのサウンドを支える歴代の打楽器軍団は早坂師匠に鍛えられてきたのだ。なんと幸せなことだろう。

4拍子の頭に打ち込むその決然たるフォームに鳥肌が立ち、お腹に響く深い音に我知らず涙が出てくる。

そうなんや!太鼓というのはこれぐらいの気合で叩くもんなんや!ごちゃごちゃ言い訳している場合じゃない。もっともらしい顔して誤魔化すんじゃない。やるときはやるんや!師匠を見よ!!太鼓はとてつもなくカッコイイのだ。太古の昔から原始人たちも太鼓を打ったのだ。ローマ軍はこの太鼓に合わせて進軍したのだ。太鼓は世の中になくてはならないのだ。世の中のテンポをリードし、ここぞという渾身の一打を決めるのだ!!!

その誇り高い大太鼓は、傷つくのを怖れるケチなプライドを撃ち抜き、叱咤激励する怒濤の響きだった。何でもいい。自分が選んだ道で人生を賭ける覚悟を持てと。(完)

 

 

 

 

人の心を打つ演奏 ~アマチュア・オーケストラをめぐって②~

音楽 記事

2月6日付The Japan Timesに日本のアマチュア・オーケストラについての短い記事を書いた。

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昨年、ちょうど新聞社を辞める頃にお誘いいただいて30年ぶりにオーケストラに参加させてもらった。そのマーラー祝祭オーケストラの今年の定期演奏会のプレビュー記事である。練習にお邪魔し、オーケストラのメンバーや指揮者の井上喜惟先生にお話を伺った。

昨年自分も参加したマーラー交響曲8番「千人の交響曲」の演奏会のDVDを見るとあの日の感動を思い出す。

先月1月22日には学生時代を過ごした京大オケの200回定期演奏会の東京公演をサントリーホールに聴きに行った。また、先週末は京都で開催された100周年記念祝賀パーティに出席し、翌日には東京に戻ってマーラー祝祭オケの定期演奏会を聴きに行った。ということで、このところアマオケ三昧。アマチュアとして音楽を楽しみ人に聴かせるということについて改めて考えさせられた。

記事の中で、京大オケの後輩でもあるヴァイオリンのFさんが語ってくれたように「オーケストラの中で弾くのと、外から聴くのとは全然違う」。今回の100周年記念祝祭オーケストラに参加してそれを久々に感じた。オーケストラの中にいると、ほかの楽器がどこでどんなことをやっているのか、いろいろな音が聴こえてくる。合奏は楽しい。ずっと練習しているだけでも楽しいかもしれない。しかし、誰かに聴いて喜んでもらってこその音楽であり、どこのアマチュア団体でもそれなりに演奏会を開催し、それを目標に練習に励むわけである。では、誰が、なぜ、それを聴いて喜んでくれるのだろうか?

今回の記事を書くにあたって、日本の学生オケや社会人オケのレベルの高さをカナダ人の担当エディターに説明するのに難儀した。

「日本の聴衆は少々のミスがあっても気にせずに聴くのか?」
「アマチュア・オーケストラのほうが料金が安いからお客が集まるのか?」
「アマチュア・オーケストラの団員というのはパートタイマーか?それとも定年後のシルバー層なのか?」
「安いギャラでアマチュア・オーケストラに関わっているプロというのは、一線を退いた人たちなのか?」

えーーっ?!違います違います!とやっきになってメールのやり取りをする中で、確かに自分は経験上「日本のアマオケはそれなりにレベルが高い」と知っているが、外国人の感覚では「なぜ、プロでもないアマチュアの集団がそんなに高いレベルの音楽を目指して努力し、時にはそれを実現するのか」は不可解でしかないことに逆に気づかされた。これは日本に特有の現象なのか? 諸外国の事情までつぶさには検証していないが、高校の吹奏楽コンクールのレベルの高さ、学生オケ経験者やその継続人口の多さなど、日本のアマチュア・オーケストラは世界に冠たるレベルにあるようだ。

マーラー祝祭オケ創立メンバーの一人であるN氏は「アマチュアにしかできないことがある」と述べた。ソツのない演奏ではない。当然ミスもある。でも純粋な音楽の喜びに溢れた演奏がアマオケの身上。仕事として数をこなさなければならないプロとは違って、一つの演奏会に向けて何カ月もじっくり時間をかけ、熱い情熱を注ぎ込んだアマチュアらしい音楽作りである。それを求める音楽ファンもいると。

・・・確かに。私もそれを知っている。しかし、「熱い情熱」というものは場合によっては普通の楽しさを打ち消すほどの厳しさにもなる。ここで学生オケ時代は怒られてばかりの「下手くそ団員」だったトラウマがよみがえってくる。なぜ、同じ学生にそこまで言われなければならないのかと思ったものだ。より良い音楽を目指すためだったことはわかっている。イヤならば辞めればよかったのだ。現に中途退団者も多いし合わない人は最初から入団しない。下手でも和気あいあいと楽しむ同好会ではなかった。それは大学のスポーツで言えば体育会とサークルの違いのようなものだ。大学の体育会からプロ選手が生まれるように、京大オケからも立派なプロを輩出していることを考えると、私は来る場所を間違えて苦しい思いをしたのかもしれない。

それにしても、その演奏には確かに人の心を打つ力があった。

人の心を打つものは何だろう? 大学オケに限らず、オーケストラに感動した時のことを思い出しながら考えてみた。ありきたりのことばかりだが、3つほど挙げたい。

  1. 言い訳しない姿勢
  2. 役割に徹する確信
  3. 溢れる喜び

1.言い訳しない姿勢

プロでもないのだから。趣味でやっているのだから。技術がないのだから。そこまで時間をかけられないのだから。そもそも無理な曲なのだから。言い訳はいつだっていくらでもつくし、半分以上正しい。だが言い訳したとたん、その人の発するものは何ごとであれ人の心を動かすことはないであろう。

学生オケが、プロでもないのに、趣味でやっているはずなのに、技術もないのに、そもそも無理なことをやろうとするのは愚かなことかもしれない。学業をおろそかにしてまで途方もない時間をかけて練習するのは、「学生の本分にもとる」と父は苦言を呈していた。定期演奏会を聴きに来てくれたはよいが「うますぎる。こんなにうまいのは間違っとる」と妙な褒め方をしたものだ。

確かにそれは経済的にはまだ親に頼っている学生が、その身分に甘えて部活動にうつつを抜かしている状況ではあった。中には、親に一切頼らずアルバイトや奨学金でやり繰りしている学生や、学業ときちんと両立させている優秀な学生もいたかもしれないが、私は・・・甘ったれたダメ学生に過ぎなかった。そして、怒られてビクビクしながら、なんとかして少しでもマシな演奏をすることだけに必死だった。

社会人になればもっと制約が多い。プロじゃないのだから。趣味でやっているのだから。学生ほど時間をかけられないのだから。仕事も忙しい中で、毎週末を社会人オケの練習に費やす方々には本当に感服するばかりだが、理想と現実のギャップは学生時代よりもさらに大きいことだろう。それでも言い訳せずに全力を尽くす姿勢には心打たれるものがある。

プロのオケにだって言い訳はあるに違いない。演奏会が多すぎるから。さらう曲が多すぎて一曲一曲そんなに時間かけてられないから。会場の音響がひどいから。指揮者と合わないから。毎回毎回人の心を打つ演奏をしようとまでは思っていないのだから。とか?

2.役割に徹する確信

オーケストラは一種のマスゲームのような団体競技だから、誰か一人の力で音楽が成り立つわけではない。もちろん美しいメロディは素敵に違いないが、裏旋律だったり、伴奏だったり、複雑な対位法だったり、さまざまな音が組み合わさって全体の響きが出来上がるのだ。個々のパートは「は?なにこれ?」というつまらない(であろう)場面も多い。「ブン」というコントラバスと「チャッチャ」の部分を担うホルンの一群がワルツのブンチャッチャを延々とひたむきに繰り返す姿には何か胸に迫るものがある。弦楽器が集団でザザザザザザと刻む霧のようなさざ波のようなサウンドもオーケストラならでは。これは特にコンサートホールで生の振動を身体に感じるとゾクゾクする。

幼少期から習っていたピアノの場合は一人で話が完結し、楽譜に書いてある音楽を自分なりに表現することを目指せばよかったが、高校時代にプラスバンドで打楽器を始めた時には面食らった。なにしろ譜面に休みの小節が多くてどこが出番なのか数えるのが大変なのだ。ようやく出番を把握しても、そこで「ドン」とか「タタ」とか「シャーン」という雑音にしか思ってもらえない自分の音を曲全体の中に位置付けて「音楽」にすることがなかなかできなかった。「こんな役割」がひどく馬鹿にされているような被害妄想に陥ったり、同じ「こんな役割」をカッコよくこなせている仲間に引け目を感じたりした。

そういう劣等感とないまぜになった過剰な自意識を乗り越えて、その時その場に必要な「一打」が全体の中に絶妙にハマった時の達成感はなにものにも代え難い。簡単に見えるかも知れないが半信半疑ではできないのだ。この曲のこの場面にはこのタイミングでこの音量でこの響きの音が絶対に必要なのだという確信が欠かせない。確信を持って自分の役割に徹し、大の大人がシンバルや大太鼓やトライアングルを真剣に打ち鳴らす姿には心を打たれずにはいられない。

いや、ほかの楽器でも同じこと。自分の役割に半信半疑だと表情や身体の動きからすぐにわかる。たとえ個別の音が聴こえないパートでも、それはおのずと全体の響きに反映されるだろう。

3.溢れる喜び

楽器を奏でる人の姿は美しい。その楽器を弾くことが、吹くことが、叩くことが、心から好きで楽しくてしょうがないという「演奏する喜び」が伝わってくれば、それだけで心を打たれる。昨秋、映画『オケ老人』を観てつくづくそう感じた。

老人ばかりで、ど下手くそな「梅が岡交響楽団」とは対照的に、アマチュアなのにオーディションでメンバーを選抜し、高いレベルを追求するあまり音楽の楽しさを忘れた「梅が岡フィルハーモニー」が批判的に描かれていた。もちろん、老人たちのウメキョウも下手くそのままで良いということではなく、主人公の献身的な指導によって「真面目に音楽する喜び」を知って一生懸命に練習し、若者たちも加わって、だんだん上手いオケになるというほとんど「ありえない」展開だったわけだが、そこで私が心を動かされ結構泣けたのは、なによりも演奏する喜びに溢れた老人たちの嬉しそうな顔だった。

この『オケ老人』の原作者 荒木源さんが、私とオケで同期だった首席打楽器奏者と中学・高校の同級生であることを知って驚いた。一生アマオケを続ける人々の老後という高齢化社会ならではのコンセプトについて、いつかインタビューしてみたいものだ。

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このたびの100周年祝祭オーケストラは、この日の祝賀パーティのためだけの一発オケだが、開演前に2時間ほど練習があった。この練習に参加することが祝祭オケに参加する条件だったし、もちろん学生時代ほどピリピリしていないとは言え、その真摯な練習風景には当時を思い出させるものがあった。その場に集まった160人ものオケ老人予備軍は、日頃から楽器をやっていようがいまいが、上手くても下手でも、祝賀会の本番では言い訳せずに各々の役割に徹して合奏する喜びを感じたのであった。(続く)