よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

フィデリオ仮装合戦

人間は自由じゃない・・脳の働きや決定論のややこしい話は抜きにしても、罪人と判定されれば拘束され、自由な身だと思っている人々各々の自由な考えだって所詮は思い込みの産物に過ぎず、その思い込みは誰かに操作されている。そんな怖ろしい舞台を観た。

ベートーヴェンが遺した唯一のオペラである「フィデリオ」を新国立劇場開場20周年を記念して新制作。リヒャルト・ワーグナーのひ孫で現在バイロイト音楽祭の総監督を務めるカタリーナ・ワーグナーが演出を手がけ、今シーズンで任期を終える飯守泰次郎オペラ芸術監督が最後に自ら指揮する話題作ということで、The Japan Timesでも紹介させていただいた。

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まず、 飯守監督にインタビューさせていただき、ワーグナー女史については、単独インタビューは(ほぼ)なし、稽古場もゲネプロも(ほぼ)非公開という彼女の対メディア・ポリシーに則って公演前に開催された記者懇談会に参加し、そして、5月20日の初日を観るという機会に恵まれた。6月2日までさらに4公演を控えていたため、23日付の記事では極力ネタバレしないように気を遣ったつもりだが、なにしろ、新国立劇場であんなにブラボーとブーイングが飛び交うカーテンコールも珍しかった。既にあちこちに賛否両論のレビューが書かれており、少なくとも物議を醸す舞台であったことは間違いない。「現代の人々に問いを投げかける舞台にしたい」という飯守監督とワーグナー女史の狙い通りだったと言えよう。

飯守監督もおっしゃったように、オペラと言えば「愛と嫉妬の三面記事的なドロドロしたドラマ」が多い中で、「フィデリオ」は夫婦愛をネタにした珍しい作品である。男装してフィデリオと名乗り監獄に潜入したレオノーレが、政治犯として投獄されている夫フロレスタンを救出する。フランス革命前後にそういう救出劇が流行ったそうだ。ベートーヴェンの理想にも叶う物語だったのだろう。

ほかの交響曲などと同様、ベートーヴェンの音楽はあくまでも甘美で深刻で華々しい。フィデリオは若干「とっつきにくい」と聞いていたが、どう歌われてもよくわからない現代オペラに比べたら遥かにとっつきやすく音楽を堪能できる。音楽に集中するなら、むしろコンサート形式のほうがいいかもしれない。実際、5月の始めに聴いたチョン・ミョンフン指揮、東フィルの「フィデリオ」もなかなかよかった。フィナーレの合唱は美しい夫婦愛を讃えるめでたいものだった。

しかし、ワーグナー女史の手にかかると話はそうめでたくはならない。1カ月も経つので、細かいことは忘れたが、印象に残っているのは舞台がいくつかの階層と小部屋に分割されていたことだ。各層の各部屋の内部の様子は、別の層の異なるスペースにいる登場人物からは窺い知れない。まさに世の中がそうであるように。たとえばレオノーレは自分のプライベートスペース(?)で密かに着替えてフィデリオになり、その下の層にある地下牢に閉じ込められたフロレスタンは希望を失わぬよう、愛しい妻にそっくりの天使の絵を牢獄の壁一面にひたすら描き続ける。そんなあちこちでやっていること全体を俯瞰できる言わば神様目線は観客だけの特権だ。

恥ずかしながら「フィデリオ」を生で観るのは今回が初めてなのだが、映像でいくつか観たバージョンでは、レオノーレはいきなり男装のフィデリオとして登場し、看守ロッコにもその娘マルツェリーナにも本当は女であることがばれない。それどころか、娘は本気で「彼」に恋心を抱き、父は「彼」を娘の婿にしようとする。(え~?なんで気づかへんかな?!)その不自然さについて、ワーグナー女史は「今回の演出では女性が男装するところと変装を解くところを見せるということが正しい演出だと信じる」と懇談会で語った。なので、レオノーレ⇔フィデリオの着替えシーンを舞台上で何度となく見せられたわけだが、どういうことかと訝しんでいたところ、第2幕の後半になって、やっとその意図がわかった。つまり、変装するのはレオノーレだけではなかったのだ。悪役、いや、政敵も同じ手を使うではないか。

悪役の刑務所長ドン・ピツァロが政敵フロレスタンを殺そうとやってきた地下牢で、フィデリオから女性の姿に戻ったレオノーレが身を挺して夫を守り、ドン・フェルナンド大臣の到着を告げるラッパの音と共にすべては好転する・・・そういう話のはずが、なんとピツァロはフロレスタンとレオノーレを殺害した(もしくは瀕死の重傷を負わせた)後、フロレスタンの上着を奪って変装し、レオノーレに変装させた別の女性(誰?)を伴って人々の前に現れる。そこへ到るまでの場面転換でレオノーレ序曲第3番が盛大に演奏される間、悪役ピツァロが地下牢の通路にどんどんブロックを積み上げて塞いでしまい、フロレスタン&レオノーレ夫妻がアイーダのラストのように地下牢に封じ込められる(ええーっそんな!?)のを観客はなすすべもなく見ているしかない。

レオノーレの男装がばれないのであれば、ピツァロの変装もばれなくて当然。「なりすまし」を信じさせることができればそれは現実と化す。長い獄中生活から解放された囚人たちやその家族たちは、ピツァロを解放者フロレスタンだと信じ込み、「夫を救った妻レオノーレの勇気と二人の夫婦愛を讃える」歌を大合唱するのだ。

フィデリオことレオノーレ役のリカルダ・メルベートもフロレスタン役のステファン・グールドも素晴らしい歌唱を聴かせてくれたが、そうした独唱よりも重唱よりも、「フィデリオの音楽の中で一番好きなのは合唱」と言い切ったワーグナー女史は、懇談会の席で新国立劇場合唱団を絶賛した。その素晴らしい大合唱のフィナーレは、世の中の人々がいかに簡単に騙されてしまうかをこの上なく雄弁に語っていた。この演出にカタルシスはなく、この結末はベートーヴェンの音楽に対する冒瀆だという意見もあちこちで見たが、私は、情報操作された民衆が虚偽を真実と思い込んで理想を讃える合唱の凄いパワーにゾッとした。これもベートーヴェンの音楽の力というものではなかろうか。

偽物の解放者に先導された囚人たちが向かった先に待っていたのは、自由への出口ではなく、次の牢獄の入口であった。なんという結末!何かを安易に信じてはいけないのだ・・・

自由であることは難しい。ただ、自由を望む切なる気持ちだけが真実なのかもしれない。第1幕の暗がりの中で「囚人の合唱」が切々と響いたのだった。

   おお何という喜び 自由な大気の中で
   軽やかに呼吸をすることは!

フィデリオ」は数々の歴史的場面で上演されてきた。

1945年9月4日、第2次世界大戦後のベルリンで最初に上演されたのは「フィデリオ」だった。1955年11月5日、第2次世界大戦で焼失し再建されたウィーン国立歌劇場再開の演目も「フィデリオ」だった。そして1989年、東独建国40周年を記念してドレスデンで上演された「フィデリオ」は、その4週間後のベルリンの壁崩壊を予感させる演出だったという。いずれの舞台も、人々が希望を託した、どんなにか感動的な「フィデリオ」だったことだろう。

フィデリオ」が作曲されたのはフランス革命からナポレオン戦争にいたる激動の時代。昨年ベストセラーとなった「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳)の言葉を借りれば、「適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることができる。たとえば、1789年にフランスの人々は、ほぼ一夜にして、王権神授説の神話を信じるのをやめ、国民主権の神話を信じ始めた」という激変の時代である。革命の旗印は自由・平等・博愛の理想だった。しかし、その後世界はどうなったか。自由と平等と博愛は両立し得るのか?人々がみな自由に行動すれば平等にはならないだろう。博愛どころか、人々はこの矛盾から生じる争いと抑圧に苛まれ、命を落とし、何度も何度もやり直してきたが、そのたびに権力者が交代して新たな抑圧が始まるばかりではなかったか。

「私たちは、自由な世界を所与のものと思っているのではないでしょうか」と飯守監督は言った。監督が言う「ベートーヴェンの崇高な理想」とは、永遠に解決しない自由の問題をそれでも諦めない人間の希望のことなのだろうか。

巧みな「なりすまし」と熱狂的な「大合唱」の罠にご用心。自由はなかなか手に入らない。

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田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の愛と葛藤」

いつもながら、自分にとって行くべき音楽会は絶妙なタイミングで開催される。必ず行くべしと言われているようだ。5月26日、土曜日の昼下がり。この前の週でも後の週でも行くことは叶わなかった。

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ところが、会場でプログラムと一緒に受け取った小冊子には「私は音楽会というものが好きではない。言ってしまえばつまらないからだ。」と田崎さんご自身が書いておられるではないか。

「・・・(音楽会には)真っ黒いピアノの前に趣味の悪いドレスを着て上体をゆり動かしている人だけのときもある。指が早く動くのを見るのは面白いかと言うとそうでもない。わざやスピードを見たければ、サーカスやカーレースに行ったほうが、よっぽどドキドキするし、スリルがある。」

手厳しい。私は何をしに来たのだろう?

3年前の「三大作曲家の遺言」3回シリーズは、ブラームスベートーヴェンシューベルトという三大巨匠の晩年の遺作をまとめて弾くという凄まじい企画で、まさに田崎さんご自身の遺言なのかと思ったものだ。「これをやってしまえば、あとはもう楽な人生を生きようかなって(笑)」というインタビュー記事も読んだ。しかし、「またムラムラと欲が出てしまった」という田崎さん。今年は2回シリーズでショパンシューマン、リストを取り上げる。

東京文化会館小ホール。颯爽と現れたピアニスト田崎悦子の今回はシャープなブルーのドレス姿に胸が高鳴る。これからピアニストは舞台上たった一人で、魂の交感ともいうべき儀式を執り行うのである。

ショパン幻想ポロネーズの出だしの2つの音に続くハッとする和音と絶妙な間を置いて深い谷底から立ちのぼるアルペジオに誘われて別世界へと連れていかれた先には、一瞬だけ華麗なるポロネーズのリズムが打ち鳴らされたかと思うと、いつも私を魅了してやまない明るい憂いを帯びた旋律が流れ出す。明るく、次には仄暗く、田崎さんが静かに響かせる微妙な和音に恍惚となる。慰めに似た歌の後には、再びあの冒頭のテーマが一層の深みから高みへのアルペジオを伴って迫りくるが、終盤、熱に浮かされたように鍵盤の端から端まで駆け巡った両の手で田崎さんが打ち鳴らした最後の一音は高く澄み渡り、まさに天上で鳴り響く鐘であった。昂然と顔を上げ、人生への勝利を宣言するように。

シューマンダヴィッド同盟舞曲集は不思議な曲だ。そもそも「ダヴィッド同盟」って何だ?と思って調べたら、それはシューマンが考え出した架空の団体(!)で、保守的な考えにしがみついた古い芸術に対して新しいものを創作するために戦っていく人達だという。主要メンバーは明るく積極的なフロレスタンと冷静で思索的なオイゼビウスということになっている。もちろん架空の人物でどちらもシューマンだ。18もの短い曲が続くが、たいてい前の曲とがらっと雰囲気が変わるのは、フロレスタンかオイゼビウスか、どちらかの性格が交代で出ているということらしい。彼らに代弁させるように、クララに恋する自分の憧れ、情熱、憂い、夢、喜び、不安など様々な思いが切々と語られ、若き日のシューマン君に共感し応援せずにいられない。自分自身のほろ苦い青春もよみがえる。シューマンの恋は実りクララとの結婚は成就するも、その後の悲劇的な末路を思うとますます切なくなる。何がいけなかったのだろう?クララがいけなかったのか?結婚がいけなかったのか・・・一つ一つキラキラ瞬くような曲たちに込められたシューマンの魂を、田崎さんは時に力強く抱きしめ、時に信じられないほど微かなピアニシモの響きで包み込むのだった。

それにしても、ショパンシューマン、リストというロマン派きっての三大作曲家の愛に溢れた偉大な3曲を並べるとは、なんと大変なプログラムだろう。休憩を挟んだ後半、リストのソナタロ短調が圧巻だった。ショパン幻想ポロネーズの冒頭も荘厳だが、このリストのソナタの冒頭は、ただならぬ2音の問いかけと禁断の領域へ暗闇の階段をゆっくりと降りていくような一音一音の厳粛な響きに息が止まる。続いて打ち鳴らされるおどろおどろしいテーマが全曲に渡って繰り返され、発展し、やがて美しい歌へと驚きの変容を遂げてまた登場し、ソナタと言いながら1楽章も2楽章も3楽章もぶっちぎりの30分間が迸り駆け抜けていくのである。そして再び厳粛な階段をいちばん低い段まで降りきった時、天上からの救いの和音に静かに迎え入れられるように曲は終わる。昇天・・なのか。

ピアノという楽器の強みは、人間の手指がなしうる限りの動きが音の響きに直結することではないだろうか。管楽器の息や弦楽器の弦を擦る弓に自ずと備わる制約を抜きにして、優しく愛撫する指に直接触れられる鍵盤で紡ぎ出す得も言われぬやわらかい響き。逆に田崎さんの華奢な身体のどこにそんなパワーが秘められているのかと思う強烈な一撃が、全身全霊の集中をもって叩き出される。鍵盤に噛みつくような鋭い音の立ち上がりもピアノの特権だ。なんという音色の幅の広さ。もちろん、両手のすべての指を駆使した怒濤の連打も、めくるめく音階も。一人で旋律も裏旋律も伴奏音も弾きこなして作り上げるオーケストラのようなスケール感は、ほかのどんな楽器にも真似できない。

19世紀の初めに生まれ、愛と葛藤の人生を駆け抜けた3人の作曲家が言いたかったことが今、目の前で息づいている。そういう稀有な儀式のような音楽会に立ち会って心を震わせ、私はただただ拍手するばかりだった。。

10代で単身渡米し30年間ニューヨークを拠点に世界の第一線で活躍し続けたピアニスト田崎悦子。そして国境を越えた恋の数々。

「ピアノを弾くというのは、恋愛すること。作曲家が誰かを愛する思いが、こちらに伝わって感じられるから私は曲が描く彼女の身にもなれる。」

そう堂々と言える生き方を貫いてこられた田崎さんに、同じ女性として嫉妬する。

私はどういう生き方をしているだろう? 自分なりに精いっぱい人を愛し、命を大切に育んできたのではないのか? 別に責められているわけでもないのに、おのずと問い直してしまう。魂は何かを渇望しているのだ。

「愛と葛藤」の日々に鍛えられ磨かれた田崎さんは年輪を重ねてさらに美しく、万雷の拍手に応えて両手で投げキッスを贈る。ああ、カッコ良すぎる!

音楽会が好きではないという田崎さんの文章はこう締めくくられている。

「私の胸をいっぱいにしているものを手のひらですくいあげ、それを人の心に一滴でも落とせるような、そんな音楽を私はしようといつも心がけている。」

魂の渇きと限りない憧れに導かれて、私は田崎さんの音楽を聴きに来るのだ。

 

 

 

サントリーホール オープンハウス② ホールで遊ぼう!

プレビュー記事というのは罪なもので、自分もまだ見聞きしていないイベントについて、主催者側へのヒアリングやプレスリリース、場合によっては関係者へのインタビューを元にまとめるわけだが、「実際はどうなんだろう?」と心配になる。サントリーホールは知っていても、オープンハウスにはこれまで来たことがなかった。何度もやっているイベントでも、何か新たな試みもあろうし。「サントリーホールで遊ぼう!」と言うけれど、どれぐらい人が集まるものだろうか? 確かめに行かずにはいられない。

しかし、そんな心配は無用だった。

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4月1日。日曜日の昼過ぎ。葉桜ながらアークヒルズ周辺一帯では「さくらまつり」を開催中。マルシェやグルメ屋台で賑わうカラヤン広場で、今日は無料で一般公開というサントリーホールにも続々と人が入っていく。例年1万人を超える入場者だとか。2年ぶりだからもっと多いかもと広報の方が言っていた。大盛況だ。プレビューなど不要だったか・・と思いながらも、たまに外国人の家族連れを見かけるとちょっと嬉しくなる。あの記事を読んだかどうかはわからないが。

赤い絨毯が敷き詰められたエレガントなロビーにもホール内にも家族連れが多い。いつもは見られない光景だ。大ホールに入ろうとすると、ステージに上がりたい人々の行列ができていた。廊下に出ると、人気の「おんがくテーリング」に興じる子どもたちが、次のチェックポイントを目指して小走りに行く。

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正面ロビーから「おんがくテーリング」をスタート。
ホール内を探検するのはさぞ楽しいだろう。

 

2階に上がりステージ奥のP席側まで行くと、小さな男の子が座席横の階段をぴょんぴょん降りていく。息子たちが幼かった頃を思い出す。

 

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ガイドツアーに参加中の人々がパイプオルガンの説明を熱心に聞いていた。

 

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ステージの上では順番に指揮台に乗って指揮棒を持たせてもらってハイ、ポーズ。記念写真を撮ってもらえる。

 

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ブルーローズに入れるのは400人弱。この時間帯のコンサートはすでに満席だった。次の回には入ってみよう。

今日は横使いの座席がほぼ埋まっている。ステージの横の席しか空いていなかったので下手側の前の方の席に座ったら、これが絶妙のポジションだった。ステージに立つオペラ歌手たちの横顔が素敵だっただけでなく、視線を右に移すと、舞台の方を向いているお客さんたちの顔が見えるのだ。

ステージからバリトン村松恒矢さんが「彼女がいないんだ・・一緒に探してくれる?」と悲し気に頼むと、客席から「いいよ!」と即答する明るい声が。子どもの反応っていいなあ。そして、会場の子どもたちが(大人たちも)声を合わせて「ぱ・ぱ・げぇーなぁ~~!!」と叫ぶと、通路後方からソプラノの金子響さんが現れ、「パ・パ・パ」のデュエットが始まった。30分という短い時間に名曲が次々。サントリーホール オペラ・アカデミーの5人が若々しい美声と芸達者ぶりを見せてくれた。楽しい日本語のトークが続いたかと思ったら、さっと表情を変えて『フィガロの結婚』のケルビーノは「恋とはどんなものかしら」を歌い、『ラ・ボエーム』のミミが「私の名はミミ」と名乗る。子どもたちの多くは、目の前でお兄さんやお姉さんが熱演する、ただごとならぬ歌声にポカンと口を開けて魂を抜かれたような顔だ。なんかよくわかんないけどすげーっていう感じだろうか。

オペラ名曲コンサートのフィナーレは、やっぱり『こうもり』の「シャンパンの歌」。5人のソロが次々に「乾杯!乾杯!」を溌剌と歌い上げるのを、私の少し右の席にいたシニアの女性の方が拍子に合わせてニコニコうなずきながら聴いておられる。その笑顔があまりにも楽しそうで、主催者でも出演者でもないのに嬉しくなってしまう。

大ホールに戻ってみるとちょうどパイプオルガンの演奏が始まっていた。2階の上手の座席からは奏者の山口綾規さんが生でもよく見える上に、舞台上手側の壁に映し出された巨大なモニター映像もすぐ横に見える。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をパイプオルガンで弾くのはかなり無理があるように思われたがなかなか面白い。4段の鍵盤を手指が疾走し、足も忙しく駆使した怒濤の演奏ぶりがモニターに映し出されて壮観だった。バッハの小フーガ ト短調BWV578が荘厳に響き渡る中、1階席を見下ろすとほぼ満席。赤ちゃんを抱いたお母さんたちもあちこちにいる。母の胸に抱かれた幼な子たちもホールいっぱいのオルガンの響きを感じていたに違いない。

再びブルーローズに移動してピアノ・トリオを堪能し、最後は大ホールに戻って横浜シンフォニエッタのオーケストラ・コンサートへ。参加型ブラームスハンガリー舞曲を手拍子足拍子で楽しんだ。こういう場面では打楽器奏者が場を盛り上げてさすが。指揮者の田中祐子さんのチャキチャキと場を仕切る采配ぶりもさすが。

ちょっと様子を見たら帰るつもりだったのが、大ホールとブルーローズを行ったり来たりしているうちに、気がついたら3時間経っていた。つまり、オープンハウスは存分に楽しめるイベントだった。よかった。

無料で、子連れもOKであれば、コンサートホールに老若男女、家族連れがこんなに詰めかけるとは。連れてこられた子どもたちも実に楽しそ うだった。コンサートホールって楽しい!また来たい!と思ったら、徐々にいろんな音楽を生で聴くようになるのではないだろうか。クラシック音楽のファンの高齢化が問題とされて久しいが、一生好きなものが好きなのは悪くない。そして、子どもたちも若者たちも、楽しめる機会があればきっと好きになると思う。クラシックでなくてもいいけれど、クラシックもいいね!と。心を震わせる音にきっと出会える。(終わり)

 

 

 

サントリーホール オープンハウス① 急な記事

サントリーホールに初めて入ったのは、プロの演奏会を聴きに行った時ではない。開館間もない1987年の1月、所属していた学生オケの70周年記念定期演奏会の時だった。5年に一度の東京公演である。「世界一美しい響き」を目指して設計された東京初のクラシック音楽コンサート専用ホールのステージに立って大太鼓を叩くとは、今考えても大それたことだった。ちなみに、日本初のクラシック専用ホールは大阪のザ・シンフォニーホールである。年に2回の定期演奏会の大阪公演はそこでやることが多かった。学生の分際でずいぶん贅沢な経験をさせてもらったものだ。

卒業後は自分が舞台で演奏することはなくなったが、素晴らしいコンサートを聴く機会には恵まれた。やっぱりコンサートホールっていいな・・と周りの人たちにも思ってもらえたら嬉しいという気持ちがどこかにあったところ、サントリーホールのオープンハウスについて紹介することになった。月に一度、無料で開催されているパイプオルガンのコンサートやガイドツアーもあるが、オープンハウスは年に一度。昨年は改修工事があったため2年ぶりとなるオープンハウスをぜひ盛り上げたい、もっと外国人にも来てもらいたいということだった。

しかし、ぎりぎりのタイミングだったため、担当エディターから「もう紙面は決まっている。ウェブだけでいいか?」と言われた。やはり、文化関係のページはニュース速報の紙面とは異なり、どちらかと言えば雑誌の感覚に近いのだ。仕方がないと思っていたら、直前に紙面の端がぽっかり空いたとかで、急きょ小さな帯のようなスペースにささやかな記事を載せてもらえた。諦めずにとりあえず送ってみるもんだな。何が起こるかわからないから。

www.japantimes.co.jp

今回は紙面とウェブ版がかなり違っているのが面白い。なにしろ、紙面はスペースの制約があるので、ダメ元で適当な長さで書いたテキストが半分ぐらいにカットされていた。しかも、編集の過程で、サントリーホールのパイプオルガンについて補足説明で送ったメールの文面が記事の本文に盛り込まれていて驚いた。

ホール建設に際して「オルガンのないコンサートホールというのは、家具のない家のようなものです」とカラヤンが当時のサントリー佐治敬三社長にアドバイスした言葉が、エディターはえらく気に入ったようだ。9年ほど前、元・カラヤンの秘書で今もサントリーホールのエグゼクティブ・プロデューサーである眞鍋圭子さんにインタビューした時に聞いたカラヤンの言葉だ。

www.japantimes.co.jp

その後、拝読したご著書『素顔のカラヤン』にも出てきた。

 

www.gentosha.co.jp


今回はわずかなスペースにそこまで盛り込もうとは思わず、ただ、エディターの参考のために送った説明のつもりだったのに、その部分が急に記事になったりするとはびっくり。そこは、外国人でクラシックにさほど詳しくない読者の場合、何を面白がるかという観点でのエディターなりの判断なのだろう。

返信では、「そういうインフォのほうが大事だよ。でも、カットした部分もウェブには入れるからね。写真も両方使おう」と言ってきた。そして、「ウェブ版の見出し、キュートでキャッチ―だろ?」と自画自賛している。なになに?

You too can grace the stage at Suntory Hall
(あなたもサントリーホールでステージを飾れる)

なるほどねー

ちなみに、紙面はごく普通の見出しだ。

Suntory Hall opens its doors to the public
サントリーホールが一般公開)

1コラム幅に小さいフォントで3段書きだから確かに調整しづらいし、第一、記事の本文に書いていないことを見出しにするわけにはいかない。

ということで、ウェブ版は本文中に「この日は特別に午後の1時~2時半まではステージに上がれる」という情報もしっかり含まれていたし、写真でもわかるようになっている。

紙媒体とウェブ版の適宜の使い分けは、イマドキの過渡的な対応の一部に過ぎないが、紙面スペースもかけられる時間もマンパワーも限られている中で、なんとかベターな形で読者にこのイベント情報を伝えようという気持ちをエディターと共有できたように感じられる今回のささやかなプレビューであった。

オープンハウスの当日、サントリーホールに行ってみると、はたして、ステージに上がりたいという人々の行列ができていた(続く)。

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桜舞い散る

早くも葉桜。

桜の季節があっけないのは毎年のことながら、今年はことのほか急ぎ足で終わってしまいそうだ。東京のソメイヨシノは、平年より9日早く、昨年より4日早い3月17日に開花して、3月24日には満開のニュースが流れていた。平年より10日早く、昨年より9日早い満開だそうだ。早く咲けば、早く散ってしまうのも仕方がないが・・まだ4月に入ったばかり。

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満開を過ぎてひと雨降れば一斉に散る花々。風が吹けば花吹雪。たいした雨風がなくても、ぽかぽか陽気の今日この頃、微かな気の流れに連れて、そこから、あそこから、はらはら、はらはら、桜が舞う。

まさに百人一首にもある紀友則の有名な和歌のとおりだ。

 

ひさかたの 光のどけき 春の日に
    しづごころなく 花の散るらむ

 

葉桜の枝にまだしがみついている花々も明日は我が身。嵐の日に耐えて生き延びようとも、大した嵐に遭わずに済んでも、いずれ散ることは避けられない。それが今日なのか明日なのか、誰にもわからない。「その時」が来ると、しづごころなく、はらはら舞い散るのである。それぞれの花の運命(さだめ)なのか。

満開の桜の季節に友人が逝ってしまった。突然の訃報が届いた自分の無沙汰が悔やまれる。それほど長いお付き合いではなかったが、ささやかなボランティアでご一緒したのがご縁で、お互いの考えを率直に話せるのが心地よかった。「いろんな考え方があっていい。自分の目で見て考えることは大事」と言って、福島に出かける私に線量計を貸してくれた。震災直後に被災地に赴いた彼女はいろいろよく知っていて、無知な私は感心するばかりだった。自身の病いのことも明るく話してくれた。食生活を見直していると。気丈な人だった。

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最後に会ったのは昨年の夏の終わり。無事に線量計をお返しして、食生活の見直しに少しでも役立てばと思い、本を贈った。あの時はまだ元気そうに見えたのに・・便りがないのは良い便りだと思っていたのに。もう一度会いたかった。

今日も穏やかな春の日。道路脇にも歩道にも夥しい花びらが散り敷いている。 それも花の一生の現実だけれど、見事に咲いていたことを覚えていたい。短すぎる花の命を惜しみながら。

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トランペット@古民家

トランペット奏者・オリパパこと織田準一さん、作曲家・オリママこと織田英子さんご夫妻に初めてお会いしたのは数年前。しおみえりこさん&橋爪恵一さんが主宰する立川のLaLaLaアーティスティックスタジオでのコンサートだった。

それ以来、ときがわ町のお宅をお訪ねしてみたいなぁとひそかに憧れていた。先ごろコンサート開催のお知らせがあり即決!「ぜひ伺います~♪」

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このところの陽気で一気に桜の開花が進んだ都内はまさにお花見日和だった先週末、いざ埼玉へ!勇んで出かけた。山手線で池袋まで周り、東武東上線の急行に1時間ほど乗っていると、志木も川越も東松山も通過して、武蔵嵐山(むさしらんざん)という未知の駅に到着。快晴だ。ここからさらにバスに乗る。途中、せせらぎバスセンターで別のバスに乗り換えると乗客は私1人。貸し切りである。普通はクルマで来る所なのだろう。山里の景色を眺めながら、のんびりバスに揺られているとやがてときがわ町(2006年に玉川村都幾川村が合併した由)の目的の停留所に着いた。バスを降りると道路脇で関係者の方々が出迎えてくれている。

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織田邸は「プロの手も借りながら」織田さんが自ら丹精込めて手入れされた古民家である。どっしりした柱と梁の焦げ茶色と壁の白のコントラストが美しい。

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玄関を上がってすぐの板の間に椅子が並べられ、40人ほど座れる。続きの間の壁際にはピアノがある。ピアノの手前のテーブルの上になぜか座布団が置かれているのをいぶかしんでいたら、ご友人の三遊亭鬼丸さんが落語を一席。あれは即席の高座だったのだ。蕎麦のすすり方など落語のキホンのキをマクラに楽しい前座を務めてくださった。

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鬼丸さんの出囃子「草競馬」を吹いておられたかと思ったら、次はご自身の出囃子を吹きながらオリパパさんが登場してゆるゆるとコンサートが始まった。

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トランペット・ソロだけのコンサートというのはなかなか珍しい。少なくとも私は初めてだった。「トランペットのソロなんてオーケストラの曲だとせいぜい5秒ぐらいですからねー」というオリパパさんの軽妙なトークに、「いや~50歳ぐらいの頃に突然ソロをやりたいって言いだして、ネタがないから書いてくれって言うんです」とオリママさんが入れる合いの手が絶妙な夫婦漫才で場が和む。

オリパパさんのトークは歯に衣着せぬ物言いのようでいて全然悪い感じを与えないのが人徳。演奏もさることながらトークが楽しくてファンになる。昨日と今日のコンサートは来たる地元フェスArtokigawaの資金のためなので「ゼニパパです」なーんてね。コンサートチケットの形でリアルにお役に立てるなら嬉しい。

高らかで、かつ、やわらかい音色でオリパパさんのトランペットは歌うようだ。もちろん、ピアノ伴奏はオリママさん。夫婦漫才と同様に円満なる共演が展開された。

数少ないトランペット・ソロのクラシック曲である「白鳥の湖」の「ナポリ」の高速のパッセージがお見事。確かにトランペット・ソロのために書かれた曲というのは少ないようだ。バッハ、シューベルトカッチーニの3人がそれぞれ作曲した神々しい「アヴェ・マリア」、ジャズナンバー「Fly me to the Moon」や「A列車で行こう」、映画音楽「ムーン・リバー」「慕情」 などなど、おなじみの名曲の数々は当然オリママさんの編曲によるものだった。

休憩後に演奏されたオリママさん作曲の「9月の雨」や「ラッパ日和」、ジャズ・トランぺッターである息子さんがご友人の結婚祝いに作曲したという「茜色ロマンス」などのオリジナル作品も美しかった。

オリママさんの曲は、すぐに口ずさみたくなるメロディに溢れているのだが、ただ親しみやすいだけでなく、随所に散りばめられた微妙なマイナーの和音が切なく心の襞をまさぐる。温かい気持ちに包み込まれながら、ちょっと泣きたくなる感じ。それにしても、オリママさんが作った曲をオリパパさんが吹くっていうのは実に素敵だ。

前座にも驚いたが、もう一つ驚いたのは会場の椅子と同列に、ときがわ町在住の鍛鉄作家・小峰貴芳さんの「座れる」作品が並べられていたこと。

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なんと屋久杉で作られている! 休憩時間に座ってみた。不思議な形だが意外と座り心地は悪くない。ただし、長時間は無理かな・・背筋が伸びるパワフルな椅子だ。

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オリパパさん&オリママさんご夫妻。
鍛鉄作家の小峰貴芳さんが屋久杉の椅子について説明する。

 

お客さんの半分は地元の方々のようだったが、やはり遠方から訪ねてこられたご友人や元のお弟子さんたちもおられた。開演前に少しだけお話したカナダ人のご夫婦が1曲終わるたびに小さな声で「Wow!」と感嘆しておられるのが真後ろの席から聞こえてきた。休憩時間にはお茶とオリママさん手作りのチョコレートケーキをいただき、音楽が始まると、うなずきながら耳を傾ける人、ゆったり揺れながら身体ごと聴いている人、みなそれぞれに楽しんでいる。こんなに間近で生の音楽を共有し、アンコールの「ときがわマーチ」には一同自然に手拍子するという親密な空間には幸福感が満ちていた。

ニッポンのふるさと感あふれる山里の生活の場で、音楽もアートも自然な形で楽しめるのは素晴らしい。4月には地元のアートフェスティバルが開催される。

第4回Artokigawa展が4月14日・15日に開催!ー あ~ときがわ公式サイト

もちろん、オリパパさんとオリママさんも参加される。

また遊びに来たい。

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道路を挟んで向かい側に梅の花が咲いていた。
このあたりでは桜はこれからのようだ。

マザー・テレサ写真展@上智大学

これもまたずいぶん前のことになるが・・・

昨秋のある日、ひょっこりマケドニア大使館からメールが届いた。11月の終わりから12月始めにかけて、上智大学マザー・テレサの写真展が開催されるという。

マザー・テレサ写真展を開催します | ニュース | 上智大学 Sophia University

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初日の11月28日夜、オープニング・レセプションがあり、一年半ぶりにアンドリヤナ・ツヴェトコビッチ大使にもお会いすることができた。開口一番、彼女は少しはにかんだ笑顔で「ママになった」と言った。えーっ、いつの間に!確かに、インタビュー記事に「将来、家庭を持つことも前向きに考えている。」と書いたが、具体的に実行されたとは・・・ついこのあいだ出産したばかりだと言う。そして、すぐにまた駐日マケドニア大使の職務に戻った彼女。その日は会場で次から次へと挨拶や歓談に忙しい大使とそう長く話しているわけにいかなかったが、以前にも増して溌剌とエネルギーに溢れ、誰に対しても堂々としているその姿に改めて感服した。

 

当日のテープカットやオープニング・セレモニーの時間帯には間に合わなかったので、12月に入ってから再び上智大学四ツ谷キャンパスを訪ね、写真展をじっくり見た。

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マケドニア共和国スコピエにあるマザー・テレサ記念館所蔵の写真がマザー・テレサの生涯を綴る形で並べられ、添えられた文章も併せて興味深い展示である。とくに幼少期の家族写真や少女時代の肖像など、マザー・テレサになる前のアグネス・ゴンジャ・ボヤジウの姿は初めて見るものだった。

 

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思いつめたように大きく見開いた目。三人姉弟の末っ子として生まれたゴンジャは、幼い頃から信仰心が篤く、12歳の時に初めて「神の声を聴いた」という。そのような体験をすることもなく年齢だけ重ねた身には想像もつかないことだが、やはり、使命感というものは人智を超えた次元からの指示なのだろうか。

 

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故郷スコピエからダブリンのロレト修道会に旅立つ前日のゴンジャ。カメラ目線ではない、どこか遠くの何を見据えていたのだろう。

 

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ダブリンからインドへの船の中で綴られた「惜別」という詩。冒頭はこんな感じだ。

 わたしは大好きな家を去っていく
 そして愛する国を。
 わたしは行く 蒸し暑いベンガル
 遠い岸辺へ。

偉い、立派だと言うよりも、なぜ、縁もゆかりもない遠いインドへ行くのか?と問わずにいられない。“ヨーロッパの火薬庫”とも呼ばれた当時のバルカン半島の祖国の人々だって決してラクではないのに。友だちも家族も、祖国もヨーロッパも捨てて、「苦しい、いけにえ」として自分を捧げると言っている。

私はクリスチャンではないし、幸か不幸か「神の声」を聴いたことがないので、およそ理解し難いことだが、そのように命じる声を聴いてしまった教祖たちや聖人たちは、俗世のすべてを超越したミッションへと向かうのだろうか。

慣れ親しんだ生まれ故郷で、愛する人と家庭を築き、子どもを産み育て、自分なりに持てる力を発揮し、周りの人と力を合わせて、ほんの少し世の中の役に立つ・・・そんな平凡な人生を敢えて選ばず、異国で苦しむ貧しい人々を救うべきであるというのはどういうことだろう? この世に生まれた使命というものは自分では決められないものなのだろうか?

インドのコルコタでロレト修道会の学校の教師として、カースト制度の身分の高い娘たちに地理と歴史と聖書を教えていたマザー・テレサは、再び神の声を聴く。「街の通りへ出てインドの最も貧しい人々の中へ入るように」と。そして、1948年8月16日、マザー・テレサは青い線の入った白い木綿のサリーに身を包み、彼女の人生の20年間を過ごしたロレト修道院を去った。

それからのマザー・テレサの活動は世界中の人々がよく知るところである。

1950年に修道会「神の愛の宣教者会」を設立し、インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受け、「死を待つ人々の家」というホスピスも開設。ケアする相手の状態や宗派を問わない活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。写真展には彼女の言葉が紹介されている。

神は唯一です。そして神はみんなの神さまなのです。だから神の前では誰もが平等とみられる事がとても大切なのです。私はいつも言ってきました。ヒンズー教徒の人達がより良いヒンズー教徒になれるように助け、イスラム教徒の人達がより良いイスラム教徒となれるように助け、カトリック教徒の人達がより良いカトリック教徒となれるように助けなければなりませんと。

テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610か所で活動を行っていたという。活動内容はホスピスHIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校など。

彼女はグローバル・ビジネスをやるために、メンバーや資金を募ったわけでは決してないけれど、その凄まじい使命感と、それが必要な世の中だったからこそ、おのずと多くの人々を巻き込んでいったのだろう。その結果、組織も活動も世界中に広がった。結婚せず、子どもも産まず、この道一筋の“プロ”となり、「神の声」に従って、やると決めたことをやりきった壮絶な生きざまには頭を垂れるほかない。とてつもないリーダーシップに人々がついて来る。ビジネスをやるのとは全く次元が違うけれど、強く明確なビジョンには現実を動かす力があるのだ。

 

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印象に残ったのは、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世との写真。乙女のような彼女の表情になぜかとても嬉しくなった。彼との出会いをマザー・テレサは「人生の最も幸福な瞬間であった」と言い表したそうだ。そして、彼は彼女の没後2年で、彼女の列福および列聖の調査・手続きを開始したという。

 

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マザー・テレサは、1981年、82年、84年の3回にわたり上智大学を訪問し、英語で講演を行ったそうだ。肉声に直接触れてみたかったものだ。

この写真展は、昨年4月にツヴェトコビッチ大使が上智大学を訪問したことをきっかけに実現したそうだ。上智大学マケドニアスコピエにある聖シリス・メソディウス大学は今後、学術交流協定を締結する予定で、写真展初日の11月28日には両大学と駐日マケドニア大使の署名による覚書が交わされた。上智大学マケドニアの教育機関と協定を締結するのは初めてとのこと。

 

会場の片隅にひっそりと百瀬さんの写真も展示されていた。一年前の写真展がこのような形でつながったのが嬉しい。

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28日のオープニング当日はツヴェトコビッチ大使のスピーチに間に合わなかったが、後日、大使館が送ってくれた。百瀬さんのことにも触れられている。

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A confirmation of the strong link between Mother Teresa and Japan are the numerous Japanese artists and writers which have dedicated the most of their work to represent the life and mission of Mother Teresa. Among them is Mr. Tsunehiko Momose who had travelled to India and made photos of Mother Teresa portraying her sad face. He considers that the mission of Mother Teresa was very difficult and demanding and that is the reason behind his decision never to make photos with Mother Teresa smiling. The art of Mr. Momose is very unusual and unique due to the fact that he has been using the traditional Japanese rice paper “washi” to represent his photos and in such way to illustrate the connection between Mother Teresa and Japan. Mr. Momose participates with three of his photos in this exhibition which are exhibited next to the Catholic center.

(拙訳)マザー・テレサの人生とミッションについて作品を捧げた数多くの日本人のアーティストたちやライターたちは、マザー・テレサと日本との強い絆を立証するものです。中でも、インドへ旅しマザー・テレサを撮影した百瀬恒彦氏は彼女の悲しい顔の写真を撮りました。彼は、マザー・テレサのミッションはとても困難で大変な努力を要するものだったということを考えました。それが、マザー・テレサが笑っている写真を決して撮らないという彼の決断の背後にある理由です。百瀬氏の芸術はとても独特です。彼は日本伝統の和紙を使って写真を現像し、そのような方法でマザー・テレサと日本の関係を表現しています。カトリックセンターの隣で開催されているこの写真展に、百瀬氏もその作品3点で参加しています。

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最後に、とても励まされたマザー・テレサの言葉を一つ。

あなたには私にできないことができます。私にはあなたにできないことができます。でも、一緒にやれば私たちは神さまのために何か美しいことができます。

私にはどこの宗教が言っている「神さま」もピンと来なくて、それ以上の関わりを持とうとしていないけれど、信仰心の厚い人々への敬意は持っているし、何者かに祈る気持ちは私にもある。直接「神の声」を聴く可能性はおそらく一生ないだろうが、誰かと一緒に何か美しいことができたらいいな・・とは思う。