よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

地層処分って本当にできるの?④ 異なる立場から

北海道・幌延行きに先立つ7月14日、地層処分をテーマにしたドキュメンタリー映画『チャルカ』を観た。

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上映会の主催者で私にも声をかけてくれたのは、フリージャーナリストの稲垣美穂子さん。稲垣さん自身、2012年に地層処分をめぐるドキュメンタリー映画『The SITE』を発表している。私は2013年に彼女の活動を取材して以来のお付き合いである。

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上映会は7月下旬の「ほろのべ核のゴミ問題を考える全国交流会」に参加するスタディーツアーのプレイベントとして企画された。会場のSHIBAURA HOUSEは、あの妹島和世氏の設計によるおしゃれな空間。前職オフィスの近所だったので馴染み深い場所だ。ツアーの参加者と思しき面々を中心に10数名という小じんまりした上映会に、ゲストとして島田恵監督も出席していた。

地層処分がテーマだが、映画のタイトルの『チャルカ』とは何なのか?

「『チャルカ』とは、インドの手紡ぎ糸車の事です。インド独立の父、ガンジーはイギリスの支配から自立するために、自国で生産した綿花を自分たちで紡ぎ、その糸を手織りにした布(カディ)を産業にしようと提唱しました。糸車を回すことは未来への祈り。タイトルにはその思いを込めました。」(映画のチラシより)

なるほど・・自立。未来への祈り。さらに、島田監督の公式サイトには、「『巡る因果は糸車』と例えられる仏教の教えは、自分のした行いは、良いことも悪いこともやがて自分に返ってくるといわれるものです。私たちが体験している悲惨な原発事故も、人間の過去の行いが巡り戻ってきたと考えられるかもしれません。」と綴られている。チャルカ(糸車)にはなかなか深い含意があるようだ。

shimadakei.geo.jp

この日は体調が悪く、若干集中力を欠いた映画鑑賞となったのが我ながら残念だが、パンフレットも非常によくできているので、ページを繰りながら改めて振り返ってみる。

最も印象に残っているのは、映画の前半で高レベル放射性廃棄物六ヶ所村に運び込まれるシーンであった。今のところ再処理工場が稼働していない日本では、原発で出た使用済み燃料は海外で再処理され、ガラス固化体となって1995年から日本へ返還されてきている。専用船が六ヶ所村むつ小川原港に着き、一時貯蔵施設へと運ばれるガラス固化体が20本余りが金属製のキャニスターに収められた状態で雨に打たれてもうもうと湯気を上げていた。これがそれか!!こういう映像は初めて見た。

それが六ヶ所村で30年から50年間冷やされた後、どこへ運ばれるのか? その最終処分場が決まっていないというのが長年続いている状況である。

この「核のゴミ」がどのようにうまれるのか、ウラン鉱山から原発を経て再処理されガラス固化体になるまでの過程がわかりやすく図解され、また、過去20年間に世界で起こった地震の分布図が紹介されていた。世界地図の上に地震が起きた地点が赤い点で示されているが、当然予想されることながら、日本列島はすっぽり赤い点に覆い尽くされている。地質学者で元動燃主任研究員の土井和巳氏は、「地球の長い歴史からすれば、日本は今地殻変動真っ盛りということになるんでしょう。」「地下水の多い日本ですから、必ず水が回っています。そうなると、地層処分ということは出来ませんと言わざるを得ないですね。」と語る。

地層処分ができないことについて、土井氏には著書が数冊ある。

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地層処分について多少は読んだり見聞きしたりしてきたが、この本はまだ。読んでみようか・・・島田監督のサイトにインタビュー時の記事がある。

shimadakei.geo.jp

映画『チャルカ』では、「核のゴミ」をめぐる諸外国の事情も紹介されている。とくにフィンランドとフランスでは現地取材も敢行し、最終処分場受け容れの賛成派と反対派の両方の声を聞いている点には好感が持てた。フィンランドのオルキルオト原発の近くのオンカロマイケル・マドセン監督のドキュメンタリー映画『100000万年後の安全』でもよく知られ、多くの人々が視察に訪れている。今回の『チャルカ』には、小泉純一郎元首相が「私も行きましたよ!オンカロ!」「自分なりに勉強し直しましたよ!日本は地震が多いから地層処分は無理!」と講演会で語るシーンも出てきた。

日本は地震が多いし、地下水が多い。だから地層処分は無理だ、というのは一理あるのかもしれない。しかし、「当面は原発の敷地内に貯蔵庫を作りそこに保管するしかないでしょうね。」(土井和巳氏)というのは、納得がいかなかった。地震が多い日本ならなおのこと、地上で管理するのは危険極まりないのではないだろうか。危険は地震だけではない、雷、台風、竜巻、テロ、ミサイル?!などなど。地下に較べて地上のほうが安全であるという根拠や、地上でどのように管理するのかという方法論は示されていなかった。ただ、地層処分を認めてしまうと、最終処分場の建設、そして、原発再稼働、さらに原発再推進に道を開くことになるから、それを阻止するための地層処分反対、そのために日本の地下が危険である根拠を挙げている、どうしてもそのように聞こえてしまうのは、私も自分の考えに固執していることになるのだろうか? とにかく諸外国はいざ知らず日本では絶対に無理、という論調であった。

この映画のもう一つの柱は「チャルカ的生き方」として、北海道豊富町酪農家である久世薫嗣さん一家である。久世さん一家は1989年に兵庫県の山村から北海道に移り住み、原野の真ん中に家や牛舎を建てるところからスタート。まさに平成の開拓物語だ。一家は自前の久世牧場で生産された新鮮な牛乳を使ったチーズやジェラートを製造する工房レティエを営む。子どもの頃に憧れた「大草原の小さな家」のような世界・・・

Vol.18 握りこぶしひとつで、豊富町に入植した久世一家の波瀾万丈物語。 | いいね!農style

豊富町幌延町の隣である。久世さんが移住してから2年後の2001年から幌延深地層の研究が始まり、2003年には深地層研究センターの建設が始まった。1980年代から隣町の幌延原発関連のさまざまな施設の誘致が試みられた紆余曲折を久世さんもご存じだったのではないかと思うのだが・・それを承知の上で豊富町に移住されたのだろうか?そのあたり、お話を伺ってみたいところである。

幌延深地層研究センターにおける研究については、北海道・幌延町・核燃料サイクル開発機構(現:日本原子力研究開発機構JAEA)の三者により締結した「幌延町における深地層の研究に関する協定書」(「三者協定」)と、幌延町民を代表する町の意思決定機関である幌延町議会の議決を経て公布された「深地層の研究の推進に関する条例」を遵守して進められているが、それでも幌延がなし崩し的に処分地とされるのではないかという危惧から、周辺住民を中心に、幌延を核のゴミの最終処分場にさせないための活動が展開されてきた。

毎年7月末頃「ほろのべ核のゴミを考える全国交流会」が開かれ、久世さんもその代表実行委員に名を連ねる。2015年に第7回が開催されたということだから、2009年から始まったのだろうか。

fc2node0314blog.blog.fc2.com

今年の全国交流会に参加するスタディーツアーを企画した稲垣さんから私もお誘いを受けたのだが、その時には既に別グループでの幌延行きが決まっていた。

今年の全国交流会のレポートはこちら。

becquerelfree.hatenadiary.jp

前日(!)の7月28日に公表された「科学的特性マップ」への批判として、立石雅昭新潟大学名誉教授(地質学)による 「核のゴミ地層処分〜安心・安全な『適地』あるの?」と題する講演、および、深地層研究事業の終了時期・埋戻し工程表の提示と調査・研究の完全な終了時期などJAEAへの申し入れと質疑といった内容で活発な議論が行われた模様だ。参加した稲垣さんにも聞いてみたい。

全国交流会が終わった後のことになるが、8月8日に別グループの一員として幌延深地層研究センターを訪ねた。センター内のPR施設であるゆめ地創館のロビーには、このような断り書きが掲示されている。

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そして、「三者協定」の写しも掲示されていた。

もちろん、放射性廃棄物処分の問題も原発の是非も、総合的に判断しなければならないとは思うが、どうも原発を推進する立場からは地層処分が技術的に大丈夫であるかどうかだけを考えており、一方、原発に反対する立場からはそもそも廃棄物の処分方法を本気で考えてはいないように思われる。そこに、政府や原子力関連諸機関に対する不信の度合が絡まり、科学的・技術的に一般市民にはブラックボックスな部分への理解にもおのずと色がついてしまうのである。地層処分に技術的に賛成することが即ち原発推進と見做されがちであるため、この話はいつもこんがらがって前に進まない。

「地層処分は無理」「地上で管理するしかない」「廃棄物の処分は無理であって、これ以上、核のゴミを増やしてはいけない。だから原発は即やめるべき」「火力発電では地球温暖化がますます進む。再生可能エネルギーでは到底足りない。当面は原発再稼働すべき」「地層処分は可能」・・・どちらも結論ありきの話であり、なかなか噛み合わない。

 

上映会後に島田監督を囲んで質疑応答が行われたが、「原発に反対であり地層処分は無理」という見解が主流を占めるその場で異論や疑念を唱えるのはちょっと難しいと感じた。日本全国民が久世さんのように北の大地で自給自足の生活を営むのは到底無理であることだけははっきりしているのだが・・・体調不良のため上映会後の懇親会への出席も断念したが、ぜひまた機会を設けて島田監督とも稲垣さんともじっくりお話してみたい。(続く)

地層処分って本当にできるの?③ 幌延深地層研究センター見学

翌8月8日の朝、幌延に向かう。稚内から車で小一時間ほど。北海道縦貫自動車道が完成するのはまだ先のことのようだが、並行して走る国道40号線の自動車専用道路である幌富バイパス、豊富バイパスが開通している。幌延町役場の立派な建物の前を通って道道121号線をしばらく行くと広大な牧草地の中に唐突にもトナカイ牧場があった。昨日目撃したアザラシと違って、さすがにトナカイは北海道に生息しているわけではないが、観光施設として作られたようだ。せっかくなので立ち寄ることに。わらわらとトナカイたちが寄ってくる。退屈していたのか空腹だったのか、なんとも人なつっこい。

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トナカイ牧場のすぐ先に、さらに唐突感のある立派な施設が現れた。

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幌延深地層研究センター公式サイトより(2012年10月撮影)

今日見学する幌延深地層研究センターである。これまで「地層処分」の話が頓挫の例を重ねながらなかなか前に進んでこなかったのは、この唐突感のせいなのか?他所ではなく北海道のここに施設ができた何らかそれなりの経緯があったようだ。しかし、当然のことながら、施設内の人々はあくまでも真摯に研究に取り組んでいるのである。

日本では1976年から地層処分の研究が始まり、茨城県東海村などで研究開発が進められてきた。1999年に核燃料サイクル開発機構(現JAEA)は地層処分の技術的信頼性を示し、この成果を受けて実際の日本の地下深部に関わる研究を実施するために、2002年に岐阜県瑞浪超深地層研究所、2003年にはここ幌延深地層研究センターの建設にそれぞれ着工。

幌延深地層研究センターでは、深地層の地下水や岩盤の性質等の科学的研究(地層科学研究)や実際に地下深部で地層処分システムの設計や施行が可能かどうかを確認する地層処分研究開発等を行っている。

まずは、JAEAの茂田氏による明晰かつ丁寧なレクチャーを受けた。

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原子力発電所で発生する使用済み燃料は、その元になったウラン鉱石と変わらない放射能レベルに下がるまでに数万年かかる。そういった高レベル放射性廃棄物をそのまま処分するか、再処理したうえで利用できない5%分だけをガラス固化体にして処分するかの違いはあれ、その数万年という長期間、人間の管理に頼らずに隔離できる方法を、世界各国は原子力発電開発の当初から模索してきた。宇宙処分、海洋処分などさまざまな方法が検討された中で、現在、世界的にほぼ唯一、有効で実現可能と考えられているのが「地層処分」という方法。地下深くの岩盤が元々持っている、物を隔離するうえでの優れた性質に長期の隔離を委ねようという考え方である。

地下深くの岩盤は人間の生活環境から離れた場所に物を閉じ込めて動かさないという性質があり、日本のように地殻変動が活発な場所でも火山活動や地震などの自然現象の影響を受けにくい。これを「天然バリア」と呼ぶ。一方、放射性物質はガラス固化体に閉じ込めてから、オーバーパックと呼ばれる厚い金属(炭素鋼)製の容器に収め、さらにベントナイトという粘土を主成分とする緩衝材で囲む。これが「人工バリア」。このように人が適切に設計した人工バリアを天然バリアと組み合わせることにより、廃棄物を地下に埋設して、さらに処分場自体も埋め戻して元の状態に近い形にすれば、その後は人間の管理を必要とすることなく、長期間の隔離が実現できる・・・と考えられているのが地層処分のシステムである。

世界各地に地下研究施設がある中で、フィンランドやフランスのように、最終処分候補地の適性を見定める地下研究施設とは異なり、日本の2か所(瑞浪幌延)は、最終処分場選定に先立ち、最終処分場として使用しない場所で技術を磨く地下研究施設であり、処分事業とは明確に区別されている。それぞれの地元とも「最終処分場に転用しない」「放射性物質を持ち込まない」という協定が結ばれている。瑞浪の地下には結晶質岩の地層、幌延の地下には堆積岩の地層があり、それぞれについて研究することで、将来日本のどこが最終処分場に選ばれても、そこを適正に調査して安全評価を行えるということになっている。

幌延深地層研究は2001年3月にスタートし、第1段階は地上からの調査研究、第2段階は坑道を掘りながらの調査研究が行われた。2014年6月には地下350メートルの本格的な調査坑道が完成し、現在は第3段階である地下施設での研究の真っただ中である。でき上がった地下の坑道に模擬の人工バリアを設置し、その内部およびその周辺で起きる現象のデータを取ることによって、人工バリアの性能確認試験やオーバーパックの腐食試験、地下における物質移動に関する研究などが行われている。2014年6月以降は掘削工事は一旦休止して、静かな環境で第3段階の研究を実施するとともに、なるべく多くの人に地下に入って見てもらうという取り組みを行っている。計画では調査研究の期間は約20年間と設定されており、試験終了後は埋め戻されることになっている。

地下坑道に入る前に「ゆめ地創館」を見学させてもらった。

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ゆめ地創館ホームページより

ほんの数メートル下りるだけのエレベーターだが、バーチャルで地下深くに向かうような雰囲気を味わえる。地下階では、実物大のオーバーパックやベントナイトなど、人工バリアを見て触ってみることもできる。よくできた展示だ。

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粘土質のベントナイトが水で固まることを実感できる実験コーナーがあって子どもたちも喜びそう。

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そしていよいよ地下坑道へ。

瑞浪の時と同様、つなぎ服に着替え、反射ベスト・ヘルメット・安全長靴・軍手を身につけてから、バスで移動して西立坑へ。

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既に瑞浪の地下500メートルの坑道に入ったことがあるので、「人キブル」と呼ばれる鳥かごのようなエレベーターにもさほどの抵抗感もない。

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あっという間に地下350メートルに着いた。

 

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地下350メートルにある調査坑道を歩く。距離にして約750メートル。坑道を歩く限りでは、瑞浪よりずっと湧水が少ない印象である。

 

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先ほどの説明にあった通り、第3段階の人工バリア性能確認試験が行われている。

 

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オーバーパックを実際に埋設してその腐食の進行を調べている。

 

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要所要所で茂田さんの説明に耳を傾ける。

瑞浪の地下500メートルの調査坑道でも感じたことだが、地下350メートルは人間環境からさほど遠い感じはしなかった。もちろん、埋め戻した後はエレベーターですぐに下りるようなわけにはいかなくなり、放射性廃棄物をそれなりに「隔離」できるのだろうが、このように掘削する技術があるのなら、いつでもまた掘り返せるのではないかと思う。

瑞浪では行われていないのか、見学コースでは見ることができなかったのか確認していないが、幌延では、実物大の「模擬」人工バリアを実際に埋設して、その性能や腐食の具合を試験するといったような、地層処分の技術そのものの研究開発が行われているということを見ることができた。事前のレクチャーでも説明があったが、「実際に地下深部で、地層処分システムの設計・加工が可能かどうかを確認。工学的技術とともに、研究の成果をその都度モデルに反映させ、安全性を評価する技術の信頼性を高めます」とパンフレットにも書いてある。

丁寧な説明を聞くにつけ実験の様子を見るにつけ、確かに技術的には「地層処分」は可能なのであろうと思われる。と言うよりも、既にこれまでの原子力発電で発生してしまった高レベル放射性廃棄物をどうにかするには、現在の日本の技術力を限りを尽くして、人間の生活環境から隔離するほかないのではないか。もちろん、地下深部が何万年も長期間安定して「絶対安全」だとは言いきれない。しかし、地上に置くことの危険に比べれば、地下に埋めるほうがまだ安定を目指せるのではなかろうか。

ほとんどは門外漢である一般市民は、専門家から技術的な説明を受けたら「そうなのであろう」と信じるしかない。あるいは、疑ってかかるならセカンドオピニオンを求めて、別の専門家の意見を聞くかである。原子力放射性物質についてイチから勉強して地層処分の工学的・地質学的安全性を自分で判断することはそうそうできないし、現場を見てもそうそうわかるものではない。もちろん現場を見ないよりは見たほうが実感は湧くし、専門家に直に接することは「信じられる人であるかどうか」の判断材料にはなるだろう。何が「正しい」と信じるか、どちらに「賭ける」かは、技術そのものの話というよりは、それを担う人たちを信じられるかどうかにかかってくる。(続く)

 

地層処分って本当にできるの?② 稚内へ飛ぶ

前に北海道に来たのは30年以上前の学生時代だったか。そして稚内は初めてだ。8月7日。心配していた台風にも遭わず着陸前には窓から利尻富士がきれいに見えた。

せっかくの機会なので、宿泊先に移動する前に宗谷岬に寄ることになり、稚内空港から宗谷湾の海岸沿いをタクシーで走る。津波や高潮の恐れがないのだろうか、道路と海の近さに驚く。遠浅の海の沖合になにやら右方向に動いていく物体がゴマフアザラシだと教えられてさらに驚いた。アザラシ!?そうか、北の海には普通に生息しているのだ。冬になると岩場にトドが何頭も寝転がってるとか。江戸時代にこの地から樺太(サハリン)に渡った間宮林蔵の記念碑なども眺めてから、ほどなく宗谷岬に到着。日本最北端の地である。宗谷海峡を隔ててわずか43kmにあるサハリンが残念ながら今日は見えない。

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宗谷岬までの道中もそこかしこに目についた風車が、岬から南側の丘陵地帯に入るとさらに多数。広大な牧場でのんびり草を食む牛たちの背後にいくつも風車が回る景色はまるでヨーロッパのようだ。宗谷岬ウィンドファームには1,000キロワットの風力発電機が57基、稚内市全体では74基あるとのことだった。確かに風が強い。この日は最高気温が23度。薄着では肌寒いほどだ。真夏の日本とは思えない。

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さて、稚内駅近くのホテルに着いてから、明日の幌延見学会に向けて予定通りの事前勉強会を。一行6人が一室に集まった。講師役は原子力学会シニアネットワークで代表幹事を務める早野睦彦氏。

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シニアネットワークというのは、原子力を職業としてきて定年を迎えた方々がその経験を生かしてエネルギー問題を正しく社会に発信し、学生との対話を通して、原子力専攻の学生の意欲を勇気づけその夢やキャリアの支援を行なうなど、原子力技術の維持伝承とさらなる発展、他世代、次世代への意味ある貢献を目的として2006年に設立された団体である。

今回の見学ツアーのメインテーマは地層処分であるが、早野さんのお話は、そもそも人類文明の発展とエネルギーのかかわりから説き起こし、その中で原子力エネルギーを利用することの意味を考えるという壮大なスケールに及び、改めて目を啓かれた。

数式や化学式に弱い文系人間にもわかりやすい説明の中で、とくに印象に残っているところをいくつか。

*****

■アメリカの地質学者ハバートは、世界の化石燃料消費の増加と消耗は、長い闇夜の中の「一本のマッチ」の閃光のようなものだと警告した。

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ハバートは1956年に発表した「1971年にアメリカの石油の産出ピークが来る」という予測が的中したピーク・オイル理論で知られる。国際エネルギー機関(IEA) は2010年、世界の在来石油の生産量は2006年にピークを迎えていた可能性が高いとの報告書を発表したそうだ。

石油も石炭の天然ガスもいつまでも無尽蔵にあるわけがないと直感的に思う。石炭はあと100年分、石油と天然ガスはあと50年分というデータもある。何億年もの太陽エネルギーによる生態系の埋蔵金のようなものであるそれらの化石燃料は、人類が初めて火を使った日から、いつかは発見され掘り出され消費され尽くされる運命にあったということだろうか?この点、資源がなくなるわけでなく、採取するのに採算が合わなくなるので事実上採らなくなるということであって、100年とか50年というのは「可採年数」だという話も出たが、自分の中でまだ整理しきれていない。化石燃料を燃やして出るCO2による地球温暖化の影響とどちらが先なんだろう?

■地球上で利用できるエネルギーは太陽エネルギー、または、地球が自ら有するエネルギーである。

 ★太陽エネルギー

  • 太陽エネルギーが蓄積されたものが化石エネルギー(石炭、石油、天然ガス
  • 現在降り注いでいる太陽エネルギー(太陽光)
  • 太陽エネルギー由来の今のエネルギー(水力、風力、バイオマスなど)

 ★地球が自ら有するエネルギー

  • 地球生成時に地球内部に閉じ込められたもの(熱エネルギー)
  • 地球生成時に太陽系外から取り込まれたもの(核エネルギー)

■太陽エネルギーは核融合によるものであり、地熱は地球内部に閉じ込められた核物質の核分裂によるエネルギー。風や波は太陽からのエネルギーと地球内の核分裂エネルギーによって生じる・・・となると宇宙のエネルギーはすべて核融合または核分裂が起源ということ。なるほど・・・

原子力発電をしなくてもこの世は核エネルギーで満ちている。核エネルギーを拒否するならこの宇宙に居場所はない。核エネルギーを上手く使えるかどうかは人類の英知次第」

原子力の専門家として高速増殖炉の開発に携わってきた早野さんらしい言葉だと思った。ただ、そういう核融合核分裂の自然現象の結果を受け取るだけでなく、それを意のままに支配するというようなことが人類に可能なのか、許されるのか、地球に生きる一つの生物に過ぎない人類には分不相応なことなのか、正直言ってわからない。しかし、そんなことを今さら言ってみても、サルから進化して文明を発展させた人類は化石燃料を掘り当てるにとどまらず、すでに原子力の原理も発見してしまったのだ。

ここでふと妄想してしまった。太古の昔、初めて火を使ってみた原人は周りの仲間から反対されたに違いない。「なんだそれは!そんな危ないことするな!」と。狩猟を止めて農耕を始めた人間も反発に遭ったのではないか?「同じところで暮らして種を蒔くなどとんでもない!」と。狩りをして暮らしていた原人が農業を始めたのは1万年ほど前だと言われている。それまで何万年も続けてきた同じ生活スタイルをなぜ変えたのだろう?産業革命蒸気機関を使い始めた時も、「機械に仕事を奪われる」と手工業者や労働者は反対した。しかし、産業は逆戻りすることはなく、さらに発展を続けて現在に到るのである。

ある意味、新しいことへの「反対」は正しいのかもしれない。産業革命がなければ、農耕・牧畜を始めなければ、言葉を話すことがなければ、火を使うことがなければ、人類は地球環境にたいした悪影響を与えることもないマイナーな猿人としてほそぼそと暮らし続けていたのかもしれない。しかし、「だからやっぱり猿人に還りましょう」なんて賛成する人はいるか?

「文明は不可逆反応である。」(吉本隆明)という言葉が早野さんの話の中でも紹介された。あったことはなかったことにはできないのである。

■20世紀は科学技術の時代として人類は飛躍的に発展した。
21世紀は果たしてどのような時代になるのであろうか。

経済とエネルギーと環境が調和する「安全で持続可能な社会」なんて可能なのだろうか?

■日本は一次エネルギーの94%を輸入に頼っている。輸入がストップとたちまちエネルギーがストップする。

■エネルギー源の3要件は、

  • 大量にあること
  • 集中してあること
  • エネルギー密度が高いこと

再生可能エネルギーは大量にあるが、集中しておらず、エネルギー密度が著しく低い。無限のイメージがあるが、利用するためには様々な制約がある。立地制限、大量生産の効果、買い取り制度の最大利用などを最大限適用したうえで、資源エネルギー庁が定めた、CO2削減目標を達成するための再生可能エネルギー最大導入目標は、2020年で太陽光と風力を合わせて日本の全発電量の2.4%、2030年で7%程度ということだ。再生可能エネルギーを利用する未来は素晴らしいかもしれないが、それだけでは電力は全然足りない。

■現状の原子力発電の燃料であるウランも確認埋蔵量はあと93年分だという。ということは原子力発電もいずれ原料が足りなくなるのか?そうすると高速増殖炉でないと原子力発電もできなくなるということなのか?この点について、ウランは海中には無尽蔵にあるが、現在の技術で採取するのはとても採算が合わないので事実上使えるウランという意味での確認埋蔵量とのことだった。(そうすると、海水からの採取技術が実用化されればいくらでもウランが得られ、高速増殖炉は必要ないということになるのか!?しかし、その技術開発の見込みはどれほどあるのかまだかわからない。)いずれにしても、長年「もんじゅ」に取り組んでこられた早野氏の無念と将来への懸念がにじみ出ていた。

■どのような原発であっても、「核のごみ」の処分は必要なことだが、もんじゅなき後も現状の国策である核燃料サイクルからすると、再処理した後のガラス固化体としての高レベル放射性廃棄物の最終処分について考えている。

早野氏は、原発のバックエンドのほうは専門ではないと前置きしながら、廃棄物を地下深く埋めるだけというのは「技術的にはとても簡単なことだ」と述べた。それは、原子力を宇宙に満ちた自然のエネルギーととらえ、高速増殖炉の開発に取り組み続け、半減期など放射性物質の性質に知悉した人ならではの言葉だと思うけれど、ここに、世間の多くの人々との意識のずれを感じたことであった。多くの人々は、放射性廃棄物は得体のしれない不気味なものであり、自分が住む地域には絶対に埋めてほしくないと思っている。

しかし、得体のしれない不気味なものであるならばなおのこと、そのような放射性廃棄物を地上で「管理」し続けるのはあまりにも危険なのではないだろうか。私はなるべく早急に、少しでも安全な場所に移すべきだと考えている。それはどこなのか?どこに処分場を設けるのか?どうやってその場所を決めるのか?そこが実に難しい問題なのだが、まずは話し合う際の互いの意識のずれを認識し調整する必要があると思った。そのためには、今日のような「そもそもこの世は核エネルギーで満ちている」という基本の話をもっと多くの人たちに普通に聞いてもらえる場が必要なのではなかろうか。

*****

とにかくも、原子力の専門家個人の思いを直接聞ける機会は貴重だった。少なくとも、原子力発電に関わってきたのが、抽象的な「悪」でも「悪人の集団」でもなく、宇宙の原理に魅せられ、かつ、それを研究室内だけでなく社会に実装したいと思った工学系の人々であることは肌で感じられる。その知見やリスクに対する考え方が、社会の多くの人々になかなか伝わらないのはもどかしいところだが、双方に責任がありそうだ。(続く)

 

 

 

地層処分って本当にできるの?① 「科学的特性マップ」公表

原発から出る高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)をどうしたらいいのか? 日本国内で地層処分を研究している拠点の一つ、北海道にある幌延深地層研究センターを訪ねることになった。今年の初め、この問題を考えるために岐阜の瑞浪超深地層研究所を見学して話し合う中学生サミットを取材したご縁だ。

chihoyorozu.hatenablog.com

北海道に向かう直前の7月28日、核のごみを地下深くに埋める最終処分の候補地になり得る地域を日本地図上に示す「科学的特性マップ」が発表された。

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www.meti.go.jp

科学的特性マップの公表用のサイトは資源エネルギー庁のHP内に設けられており、概要の説明、これまでの経緯などがわかるようになっている。

www.enecho.meti.go.jp

また、地層処分処分実施主体である原子力発電環境整備機構(NUMO)のサイトでも公表されている。

www.numo.or.jp


少し時間が経ってしまったが、今でもウェブで読める国内主要各紙の報道ぶりは以下の通り。
www.sankei.com

www.nikkei.com

www.asahi.com

会員登録が必要なようだが、毎日新聞はこちら。

https://mainichi.jp/articles/20170729/ddm/010/010/021000c

読売新聞の記事はウェブではもう読めないようだ。

英文ではジャパンタイムズ共同通信の英文ニュースを配信している。

www.japantimes.co.jp

その後でfeatureも出ている。
www.japantimes.co.jp

NHKはWEB特集を組んでいたが、もうリンク切れ。ニュースサイトはこちら(このニュースが配信された日付不詳)

www3.nhk.or.jp


一方、原子力資料情報室(CNIC)は、原子力に頼らない社会を実現するために活動している団体である原子力資料情報室(CNIC=Citizens’ Nuclear Information Center)はマップの公表を受けて、次のような声明を出している。

www.cnic.jp


原子力資料情報室としては、マップの公表は「現行の再稼働ありきの原子力政策や安易な地層処分に反対の声を上げる良い機会を提供した」と考えている。そして、「国民的合意がないまま原発再稼働を急ぎ、処分困難な高レベル放射性廃棄物をさらに生み出しながら、地層処分の必要性を説かれても、誰も納得しないであろう。」「適地提示を機に、これまで原子力と縁のなかった地でも、行き場のない核のごみの矛盾が広く知られることになり、より大きな脱原発のうねりが生まれることだろう。私たちは、破たんしている原子力政策を根本から見直すことを訴え続けていく」と述べている。

また、「科学的特性マップ」の公表を受けて、公表数日間の新聞各紙やテレビによる報道の特徴や地域の反応を分析する試みもある。

res.pesco.co.jp

これによると、立地地域など原子力と関係の深い地域では国による取り組みへの期待感が示されており、一方、地域としての対応については、「受け容れられない」と表明している地域がほとんどである。9月から国とNUMOが「全国できめ細かな対話活動を丁寧に進めていく」ということだが、さて、どうなることだろう。

それに先立つ8月初め、北海道の幌延深地層研究センターを見てきた。(続く)

中学生サミット2017その⑤ 六ヶ所村からの手紙

今年の初め、「中学生サミット2017」に同行し、原発の「核のごみ」の地層処分について最先端の研究施設を見学した上で中学生なりに考えて話し合うというユニークな試みを取材したことは、以前のブログに書いた。

中学生サミット2017その① 瑞浪超深地層研究所見学 - よろず編集後記

中学生サミット2017その② 中学生の疑問にNUMOが答える - よろず編集後記

中学生サミット2017その③ どうする!?核のごみ - よろず編集後記

中学生サミット2017その④ ダイアローグは難しい? - よろず編集後記

 

新年早々まだ冬休み中のイベントだったが、そのうち年度が変わり、早くも夏休み半ばである。当時より1学年進級した彼らはその後元気にしているだろうか。 

その④で、冬休み明けに横浜の中学校を訪ね、サミットに参加した生徒たちにもう一度会って話を聞いたところで一旦完結したのだが、その数日後、六ヶ所村からメールが届いた。はるばる青森から岐阜まで新幹線と在来線を乗り継いで、1年生の男子生徒3人を引率してきた若い先生からだ。サミットに参加した彼らの感想が添付されていて、とても興味深く読んだのを思い出す。

それらを含めてまとめたささやかなレポート「『核のゴミ』にまつわる中学生の対話」が原子力学会誌ATMOΣの5月号に掲載された。

http://www.aesj.net/document/atomos-201705mokuji.pdf

目次にはあるものの、「立ち読み」のサイトで読めるPDFには入っていない後ろの方のページなので、残念ながらウェブで読むことはできない。(ご興味ある方はご一報ください。抜き刷りが何部か手元にあります。)

その後あれやこれやの別件プロジェクトで忙しくなり、ずいぶん時間が経ってしまったが、せっかくの機会だったので、六ヶ所村の生徒たちの感想もここに記しておきたいと思う。

中1T君:(サミットに参加した理由は)お父さんが原子力についての仕事をしていて、興味を持ったから。移動が長かった。他校の人が優しくて話しやすかった。他校の人の考えを詳しく聞くことができたが、自分からは意見を言うことがあまりできなかった。海の近くに埋めるという案はいいと思わなかった。もしかしたら海にすむ生物に影響を与えてしまうかもしれないし、もし崩れたら最悪の状態になると思うから。

中1R君:意外と話し合いなども面白く、他の人ともしっかり話せました。また、自分の意見もしっかり言ったりもしました。原子力関係の人たちの説明もとても分かりやすく、しっかりと頭に入ってきました。輪になってみんなで話し合いをしました。そこでは、大人なしでの意見交換だったので、先輩たちは大変そうでしたが、とても楽しかったです。みんなはこう思っていて、でも大人はこう思っている。子どもと大人で考え方が違ったりするのも面白かったです。僕は、海の下に埋めるのが良いと思いました。広いし、安全で人もいない海の下なら、ロンドン条約にもひっかかりません。けど、もし何かあったら魚たちはどうなるのかと考えると怖いです。

中1I君:サミットに参加して分かったことは、他の地域では考えが全く違うということです。自分は、核のゴミは輸送のリスクが高いから、もう六ヶ所に埋めていいと思っていたけど、神奈川の人は、都会の人が原子力で発電した電気を多く使っているから東京に埋めるべき、と全く意見が異なっていて、そこが面白いと思いました。また意見交換をしたいと思いました。もし次回六ヶ所でやるなら、防寒対策をしっかりとって来てほしい(笑)立場が違うと意見が全く違う、ということが面白かったし、来てよかったと思えた。また、自分から発言できたし、その話題で話が盛り上がったりして、初めて会ったのに、楽しく自然に話せてよかった。来年も機会があったら、今回話した人でも、初めて会う人でも、仲良く楽しく話して、お互いの意見を深めたい。輸送費、輸送時のリスクなどを減らすため、六ヶ所に処分するのが良いと思う。また、土地も意外と広いし、人口が少ないので。

横浜の中学生たちに改めて話を聞いた時にも感じたことだが、六ヶ所村の生徒たちの感想からも、大人が想像する想像以上に、中学生がちゃんと考えていることが伝わってくる。

今から思い出しても、きわめておとなしく、およそ盛り上がったとは言い難いディスカッションだったので、現地での様子だけを見ると「イマドキの中学生は全然ダメだ。自分の意見が言えない。話し合いができない。日本の教育が悪い」みたいな批判もできそうだ。しかし、彼らは輪になって隣同士でボソボソと小さい声ながら「対話」をしていたのである。

大きな声で活発に自己主張し合い、傍目から見ても「議論」が盛り上がることだけが目的ではなく、とても難しい問題を一人ひとりが考え、まとまりきらないながらも自分の考えを伝え、相手の考えを聞き、さらに「どうしたらよいのか?」を一緒に考えることに意義があったのだとすれば、じゅうぶん目的は果たされていたと言えよう。

彼らは「輪になって話すのが面白かった」と言っており、隣り合うぐらいの距離になれば、心理的抵抗感なく自分の意見を言ったり相手の意見に耳を傾けたりすることができることがわかったようだ。そのままもうしばらく対話を続けていれば、大人のシンポジウムやトークイベントにもよくあるような言いっ放しで不完全燃焼のQ&Aコーナーや、この中学生サミットで前年度に試みられた白熱のディベート形式ともまた違った、彼らなりのディスカッションを構築することができたかもしれない。続きをやる機会があるといいなと思った。

その後、5月から6月にかけてNUMOは全国シンポジウム「いま改めて考えよう地層処分 ~科学的特性マップの提示に向けて~」を全国で9回開催した。

www.chisou-sympo.jp

初回5月14日の東京でのシンポジウムに行ってみたが、壇上のパネリストたちの説明や発表にそれなりに説得力があった一方、会場参加者の偏りと一般市民の関心の低さに暗澹たる思いだった。参加していただけでもそれなりに意識の高い人たちだろうと思うが、何というか、「難しい課題を解決しよう」という雰囲気がまったく感じられないのだ。まあ、大きな会場で大勢の参加者が有意義な意見交換をするのはそもそも無理な話ではあるが。

この日のシンポジウムを報じた日経新聞の記事はこんな感じだった。

www.nikkei.com

そして「今夏にも示す方針」となっていた「科学的特性マップ」が去る7月28日に発表された。

www.enecho.meti.go.jp

「核のごみ」をどうすればよいのか?地層処分がベストの選択肢なのか?いや、フィンランドスウェーデンのような18億年前から動いていない地層なら可能でも、日本のように新しくて地震が頻繁な地層では不可能という意見もある。しかし、地上で管理するほうがもっと危険なのではないか?いや、地層処分は不可能なのであって、そもそも廃棄物をどうにもできない原発を始めるべきではなかった。脱原発しかないという意見。しかし、既に50年分たまってしまった廃棄物をどうするのか?いや、原発再稼働ありきの原子力政策や安易な地層処分には断固反対。地層処分に賛成することは原発に賛成することに等しい?・・・不毛な堂々巡りとごちゃごちゃの議論で賛成・反対が平行線を続けたままの難問である。

さて、これから大人たちはどのような話し合いをしていくのだろうか。他人事ではない。私自身も考えないわけにはいかない。少なくとも「なにがなんでも断固反対」とか「とにかくウチの近所には絶対に埋めるな」とか「それは自分が考えることではなくて国にしっかりやってもらいたいのだが、国のやり方はけしからん」という無責任なだけの言動は慎むよう、中学生のおだやかな話し合いに学びたい。

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もし高校生がプッチーニのオペラ『蝶々夫人』を観たら

もしドラ」のような仮定の話ではなく、実際に新国立劇場はオープン翌年の1998年以来「高校生のためのオペラ鑑賞教室」を開催しており、毎年約1万人の高校生がオペラを観る機会を得ている。ほとんどの生徒にとっては「初めてのオペラ」だ。その中で最も頻繁に上演されてきたのが『蝶々夫人』なのである。

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今年2月にオペラ『蝶々夫人』を相次いで異なるバージョンで観たことは以前のブログに書いた。栗山民也さん演出による新国立劇場のレパートリー公演と、俳優・演出家の笈田ヨシさんによる新演出で話題になった4都市共同制作オペラの2つ。いずれも日本人演出家の手になるプロダクションである。

chihoyorozu.hatenablog.com

 

自分自身が『蝶々夫人』のストーリーに対して決して良い感情を持っていないので、これが多感な高校生にとって「初めてのオペラ」になるのはどうなんだろう?これを敢えて題材に選ぶところに何か意図があるのか?と疑問に感じていた。

ということで夏休み前に開催された「高校生のためのオペラ鑑賞教室」を取材させていただく運びとなり、ジャパンタイムズにコラムを書かせてもらった。

www.japantimes.co.jp

劇場側の説明では、オペラ鑑賞教室の演目はあくまでも実際的な諸条件を満たすものを毎年決めているということだ。毎年必ず『蝶々夫人』をやるわけではなく、昨年は『夕鶴』だったし、『愛の妙薬』や『トスカ』などが上演された年もある由。その中で一番頻度が高い「蝶々夫人」の良い点としては、

  • レパートリーとして直近に上演され、舞台セットや衣装がそのまま使える。
  • 長さが適度(2幕で2時間40分。結構長いがギリギリOK)
  • 音楽が美しくわかりやすい。
  • ストーリーがドラマチック。
  • 日本人キャストによる上演なので、金髪にドレス姿より自然に見える。

などが挙げられた。なるほどね・・

www.nntt.jac.go.jp

 

さて、今年の「オペラ鑑賞教室」初日の7月10日。見渡す限りほぼ満席、即ち約1800人の高校生で埋め尽くされた新国立劇場はいつもとずいぶん違う雰囲気。学校によって人数や学年は異なるが、5~6校は参加していたようだ。学校行事としてオペラに連れて行ってもらえるなんて羨ましいなあ・・うちの息子たちの学校ではやってなかったなあ・・などと思いながら、1階最後列に用意してくださった大人用の席に着く。

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客席の照明が落ち指揮者の三澤洋史さんが登場すると、一斉に拍手が湧き起ったのはいいが、それがいつまでも続く。三澤さんは鳴り止まない拍手の中で前奏曲を始めざるを得ず、冒頭は全然聴こえなかったが、舞台が明るくなりピンカートンとゴローが登場したらようやく落ち着いた。

こんな調子でどうなることかと思ったが、物語が始まってからは思った以上に熱心に舞台を見つめ音楽に聴き入っている様子。妙にほっとしながら一緒に鑑賞させてもらった。休憩時間中には3階席や4階席に上がって、何人かの生徒たちに声をかけてみた。「舞台は遠いが音はとてもよく聴こえる」「字幕があるので台詞やストーリーはよくわかる」「面白い」と言っていた。ふーん、そうか。何というか、西洋人も登場する幕末物の大河ドラマか映画を観る感覚に近いものかもしれない。台詞が全部「歌」だが、ミュージカルを観たことがある生徒は結構多いのかもしれない。プッチーニの音楽はそれだけでも甘美で心地よいのは確かだし。私の目の前の列に並んでいた男子生徒たちの中には大いびきで爆睡している生徒もいれば、その彼に「しょうがねえなあ」と呆れた目を遣りながら、舞台を見守っている生徒もいた。

長い第2幕は台本通りに蝶々さんの自刃という悲劇で終わった。

彼らの目にはどう映ったことだろう?

終演後、新国立劇場と都立駒場高校のご協力により、2年生の生徒さんたち6人にインタビューさせてもらった。駒場高校ではここ数年、1、2年生がオペラ鑑賞教室に参加しているとのことで、昨年度は「夕鶴」を観たそうだ。

オーケストラ部男子:オケ部なのでクラシック音楽自体はよく聴く。日本史の授業で先生がYouTubeで聴かせてくれた「宮さん宮さん」が今日のオペラに2回出てきて周りの友だちと一緒にどよめいた。

オーケストラ部女子:「夕鶴」は日本語なので字幕がなくて台詞がよく聴き取れず困ったが、今回はイタリア語でも字幕があったのでよくわかった。

演劇部女子:蝶々さんが最後にアメリカの星条旗を仰ぎ見ながら自刃する姿を見て、ピンカートンのことを愛し抜いていたんだなあ・・と思った。父の形見の短刀に「名誉の内に生きられない者は名誉の内に死ぬ」と書いてあって、十代でそういう決断をするのはすごいと思った。

オケ部女子:3年も待っているなんてありえないと思った。自分だったら待たないで次へ行く。

オケ部男子:「裏切られる女」というのはありがちな話だと思う。蝶々さんがかわいそうだと言うが、自分はバカだと思った。彼女は周りが全然見えていなくてピンカートンのことしか考えていない。悲劇のヒロインと言われても自分は共感できない。

野球部男子:はじめの結婚の場面で、蝶々さんは自分の宗教や親族と縁を切り、のちのち誰にも相談できない状況に追い込まれて行った。やっぱり生きていくには友達とか相談できる人が必要で、孤立してはダメだと思う。

演劇部男子:蝶々さんはかわいそうだと思った。また機会があればオペラを観てみたいと思う。何かおススメの演目を教えてもらいたい。

体操部女子:幼少期を海外で過ごし、オペラにも連れて行ってもらったことがあるが、今の年齢で観たらもっとよくわかるかもしれないと思った。今回は照明の効果もすごいと思った。最後の場面は眩しいほど明るくなる照明で蝶々さんの最期がわかるようになっている。

オケ部女子:ティンパニの連打で最期が近づいていることが伝わって感情が揺さぶられた。歌とオーケストラがぴったり合っており、どうやって合わせているのか?すごい!と思った。それにしても、子どもの目の前で死ぬのはどうなの?と友達と話した。

演劇部女子:ふつうの演劇では台詞と間(ま)があって沈黙の時間もあるが、オペラの場合はずーっと音楽が鳴り続けている。オーケストラを聴いているとどういう場面なのかがわかる。それから舞台の上の方に星条旗があって、ピンカートンはいつも上から下りてきてまた上に戻っていくが、蝶々さんはいつも下の「家」にいるのが印象的だった。夢の中でだけ階段を上って星条旗に近づくところが切ない。

・・・彼らに高校生全体を代表させるわけにはいかないものの、こういう感想を直接聞けたのは貴重な機会ではあった。総じて興味をもって、音楽・歌唱・舞踊・舞台美術・衣装・照明などの総合芸術であるオペラを堪能したようだ。また、日本女性の描き方についても、私のように感情的に反発するよりは、彼らなりに蝶々さんの状況をクールにとらえている。とくに、蝶々さんに批判的な男子生徒たちや、最初から最後まで舞台の上方ではためいていた星条旗が気になった生徒さん(さすが演劇部!)のコメントには感心した。

彼らの話を聞いていて、ふと、栗山民也さんの演出意図が少しわかったような気がした。栗山さんにしても、東京芸術劇場で観た新演出の笈田ヨシさんにしても、戦後日本のあり方に対する批判的なまなざしは共通するところなのではないか。「人間はそう簡単に(心情を)解決できない。今回は蝶々夫人が死なない終わり方にしたい」という笈田バージョンには、どんなに絶望してもやり直そうという希望(少なくともその含み)が感じられるのだが、悲劇の最期という台本に忠実な栗山さんの演出はある意味、今の日本人にとって、より厳しい警告を発しているのかもしれない。そう考えると、読み替えという形を取らなくても、100年以上前のジャポニズム趣味満載の物語を現代の日本人にとって重要なメッセージとして生かすことができるのだ。日本女性を描く外国人目線を感情的に拒絶するばかりでなく。・・・いつか栗山さんに直接お話を伺ってみたいものだ。

今回初めて一人称で書かせてもらった短いコラムにはそこまでいろいろ盛り込むことができず、高校生の率直な感想からのピックアップと、この物語のとらえ方にはさまざまな可能性があり得ることを述べるにとどまった。

実際、『蝶々夫人』には新演出の読み替えバージョンが次々生み出されている。記事の編集段階のやり取りで、カナダ人の担当エディターは最近ニューヨークで上演されたプロダクションを引き合いに出して、「日本の演出家たちもこれぐらい大胆な読み替えをやれば、若い年代にもオペラにもっと興味を持ってもらえるのではないか?」と言った。

www.nytimes.com

これに対して私は、「いや、彼らはオペラを観る機会を与えられれば、興味を持って観る。読み替えだけが全てではなく、台本に忠実でも、日本の高校生たちはこのオペラをしっかり味わっていたし、中には演出意図を感じた生徒もいるようだった」という見解を伝えたが、「この短いコラムにそこまであれこれ詰め込むのは無理」ということになった。短いコラムで何をどう伝えるかは今後の課題にしよう。ミュージカルの『ミス・サイゴン』も『蝶々夫人』がベースになっているわけで、もはや蝶々さんは日本の蝶々さんにとどまらない。それだけ人の心を騒がす物語であることは間違いない。

 

ウェイウェイさんは今どこに

5月の半ば以降、怒濤の取材と原稿書きに明け暮れて気がついたら猛暑の残暑。北海道への一泊取材ツアーから帰ってきた翌日、二胡奏者のウェイウェイ・ウーさんのメルマガが届いた。「次は北海道!」と。そうか!ウェイウェイさんのソロデビュー15周年記念コンサート全国ツアーはまだ続いているのだ。

記事が出たのは2ヶ月も前の6月14日で、7月中までのコンサートの予定をウェブでだけ紹介した(紙面にはとても入りきらないので)のだが、それからまたずいぶん時が経ってしまい、ツアーはまだまだ続いている。

www.japantimes.co.jp

東京からスタートして、下呂温泉白川郷、千葉の柏、九州各県などなど日本全国を飛び回るウェイウェイさん。ツアーの締めくくりは年末にもう一度東京でコンサートがあるようだ。それだけではない。ほかにもさまざまなコンサートやライブやイベントに出演し、年に1枚ぐらいのペースでアルバムを出し、二胡教室で大勢の生徒さんたちを教え、さらに、生徒さんたちから成る心弦二胡楽団を引き連れてふるさとの上海でもコンサートを開催する。そんな超多忙なスケジュールにあっても、いつも包み込むような笑顔とノリノリのパフォーマンスで周りの人たちを巻き込んでいくそのパワーは一体どこから出てくるだろう?

shingen-niko.com

インタビューの時に「持って生まれた性格だったのですか?」と尋ねてみたら、「元々は実はとても内向的で無口で、友達もなかなか作れないような子どもだった」というお返事で驚いた。自分が考えていることがいつも周りの友達と違っているので、「変わってると思われるのがイヤであまりしゃべらないようにしていた」という。

文化大革命の真っ只中、当局が禁じていたヴァイオリンを弾きたいと言った5歳のウェイウェイさんに作曲家の父はヴァイオリンを作ってくれた。カーテンを締め切った部屋の中でこっそり練習したそうだ。「人と同じことをやるな」という父の影響も大きかったのだろう。文革後、上海音楽学院附属小学校を経て上海戯曲学校でヴァイオリンを専攻するかたわら二胡の音色にも魅せられ、両方を首席で卒業。1991年に日本に留学したのはヴァイオリンの勉強を続けるためだったが、当時上海で流行っていた「山口百恵の『赤いシリーズ』とか『姿三四郎』とか日本のドラマが大好きだったから」とにかく日本に行ってみたかったそうだ。

それから四半世紀。

結局ヴァイオリニストにはならず、伝統楽器である二胡を使った新しいパフォーマンスのパイオニアになった。なにしろ、当時の日本ではまだ「二胡」と「胡弓」の違いすら認知されていないほど知られざる楽器だったが、今や聴くだけでなく自分でも演奏し、中国への演奏旅行にも楽団員として一緒に行ってしまうほど愛好家が増えたのだから、その影響力は凄い。

「上海のお客さんたちは、日本人がこんなに二胡が好きで、社会人が本業以外にこれだけ熱心に楽器を習って趣味として楽しんでいることに感動したみたいです。」

6月17日土曜日の昼下がり。全国ツアーのスタートは東京ということで、久々に行った大井町駅前のきゅりあん大ホールでのコンサートの冒頭、ウェイウェイさんは頭にターバンを巻いた海賊の格好で「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマを弾きながら客席を通って颯爽と現れた。ステージで上着を脱ぐと鮮やかなイエローのドレス姿に。これですね~~ 

ヴァイオリニストを目指していた学生時代のウェイウェイさんは、ある時、ジャズ・ヴァイオリニストのステファン・クラッペリーのCDを聴いて、クラシックのヴァイオリンにはない軽やかさに魅了された。あんな風に弾けたらいいなあと思ってやってみたが無理だったという。

「子どもの頃から習っていた枠からはみ出すことができなかったんですね。先生に怒られそうって自分で思ってしまって。そういう固定観念から自由になるのが難しかったのです。日本のクラシックの人たちもきっとそうなんじゃないかな・・」

一方、二胡だと「自由になれた」というのだ。ヴァイオリンの曲を二胡で弾きたくて、十代の頃から自分で勝手にアレンジして弾いていた。

二胡は私にとって、新しいことにチャレンジする楽器なのです。」

二胡には中国の伝統の曲しかないので、西洋クラシックの曲を二胡の音域に合わせて弾いたり、作曲も始めて自作を弾いたり。他の楽器とのセッションや大きな会場では二胡の音量では聴こえないので、マイクを使うようにした。ジャンルもいろいろ。ロックもやる。「ロックやるなら、やっぱり立って弾くでしょう?」ということで、楽器を支えるベルトも自作。今や型番もあり生徒さんたちもみなそれを使っている。立って弾くことでステップを踏みやすくなり、踊ることもできる!

「中国の伝統的な二胡の先生は絶対ダメと言うでしょうけどね(笑)」

それが現代のスタイリッシュなウェイウェイさんの二胡のステージなのだ。いやいや、楽しかった。老若男女、とくにシニア層のお客さんたちがウェイウェイさんの合図に合わせて手拍子して「情熱大陸」のメロディでタオルを振り回す姿があまりに楽しそうで思わず涙する。

ヴァイオリンは顎で挟んで弾いて「頭で感動する」が、二胡は身体の前で抱え「お腹で感動する」とウェイウェイさんは表現した。「子宮に響く母性的な音」だと。

鼻にかかったような甘い音色と、立ち上がりの微妙な音程のずれが味わいでもある二胡は確かに包容力のある楽器だと思う。演歌にもぴったり。アップテンポのフュージョン系の曲も切なさが増幅する。

正統派の二胡奏者が座って中国の伝統的な曲を弾くのとは全く異なる世界。また、クラシック音楽演奏家から見れば、通俗的なわかりやすい曲のオンパレードでバックバンド付きでマイクを通した音を聴かせる「邪道」というか普通にポップスのコンサートなわけだが、これまでに誰も思いつかなかったような二胡のスタイルを自分で構築したウェイウェイさんのパイオニア精神のたまものなのである。それがこれだけ多くのお客さんを楽しませて元気にしているのだ。音楽というのはやっぱりまずは楽しむものなんだなとつくづく思った。そして、物悲しい曲ではウェイウェイさんがお腹で歌う音色を私もお腹でしみじみ味わった。

デビュー15周年を記念する今年のアルバム「Legacy」のライナーノートより。

「25年前にたった一人で、見知らぬ異国の日本にやって来たこと、偶然のようで、必然だと思います。」

来日当初は言葉もわからず「もっと無口になった」ウェイウェイさんは、やがて言葉を覚えると同時に、音楽を伝えるパイオニアとしての自分の使命を自覚するようになったという。

「『伝統楽器』と言われているからこそ、『伝承』を大切にしなければならないと思います。未来に繋げていくため、新しいことに挑戦し続けることが私の使命だと思っています。」

そう記されている自作の「Legacy」の躍動感あふれるリズムに乗って、ウェイウェイさんは会場で高く拳を突き上げ、手拍子を促す。軽やかだけど愁いを含んだ二胡の旋律には、来し方を振り返り、行く先を見つめるウェイウェイさんの決意がにじむ。会場の一体感の中で私も手拍子しながらすっかりファンになっていた。ウェイウェイさんに会えてよかった!謝々。

来週は北海道なんですね。

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