よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

『HIROSHIMA』を超えて『連祷-Litany-』へ、広島より。

ずっと気になっていた新垣隆さんのことを書く機会をいただいたのはとても有り難いご縁でした。ジャパンタイムズを辞めてから初めての音楽の署名記事です。

何回かに分けて振り返ってみたいと思います。

 

1.『HIROSHIMA』を超えて『連祷-Litany-』へ、広島より。

2.エンタメとしての音楽と芸術としての音楽の違いって?

3.ドキュメンタリー映画『FAKE』・・・佐村河内氏から見れば

 

2014年2月、新垣氏が大勢の記者の前で頭を下げ、謝罪会見を行ったことは多くの方々の記憶に残っていることでしょう。

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先月8月15日、新垣氏は再び広島で頭を下げました。しかし、今回は聴衆の温かい拍手に応えて舞台に登場し、花束を手にしてにこやかに。広島国際会議場のフェニックスホールで新垣氏作曲の交響曲第2番「連祷ーLitanyー」が初演されたのです。

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初演は市民オケである東広島交響楽団の松尾亮平氏の指揮で演奏され、新垣氏は客席で聴いておられましたが、8月23日に都内の東京芸術劇場で行われた東京室内管弦楽団の平和祈念コンサート2016では新垣氏自らの指揮で演奏されました。

13年前、新垣氏は佐村河内守氏に求められ交響曲第1番を手がけました。当初は『現代典礼』というタイトルで作曲されましたが、後に『HIORSHIMA』と改題され佐村河内氏の作品として2008年に広島で初演されました。

スキャンダルから1年経った2015年の2月、新垣氏は東広島交響楽団から新しい交響曲の委嘱を受けました。この市民オケは2013年に交響曲『HIROSHIMA』を演奏しています。それはアマチュア団体としては初めてのことで、また、広島では初めての全曲演奏でした。

「スキャンダルでいろいろ騒がれましたが、あの夏、我々があの作品と本気でに向き合ったことに変わりありません」と同オケの代表 工藤茂氏は語っています。「お客様にとっても出演者にとっても、反響の大きい演奏会だった」とのことで、今後、演奏できる機会があれば、また『HIROSHIMA』を演奏したいともおっしゃっています。そして、同オケの結成10周年を記念して、今度は新垣さんご自身の名義の作品が演奏したいと思い、その想いをご本人にぶつけたということでした。

作曲されてから改題された『HIROSHIMA』ではなく、今回は自分の意志でヒロシマに向かい合い、作品に取り組んだという新垣氏は、プログラムノートにこう書いています。

「・・・「ヒロシマ」「ナガサキ」は私たち、つまり人類の共有する永遠の問題だ。原子爆弾が開発され、その地に投下された。なぜそれは起こったのか。私たちは常にその事を考え続けていかねばならない。1945年、8月15日から、やがて日本は奇跡的な復興を遂げた。その後の繁栄の中で私は生まれた。原子力は平和利用として電気を生み出すためのエネルギーとなり、私(達)はその恩恵を受けていた。そして2011年3月11日を迎えた。・・・」

広島で初演を聴いた私の印象では、『連祷 ーLitany-』は、前作の『HIROSHIMA』ほどわかりやすいメロディのオンパレードではなく、盛りだくさん、かつ、渋い曲でした。中間部には現代音楽らしい混乱をきたす部分があったり、シーンと沈黙する場面が出てきたり、タイトルにもなっている昔の宗教儀式のような掛け合いによる祈りが弦楽合奏の形で現れたりします。金管楽器のファンファーレで盛り上がりますし、木管のコラールも美しいです。

打楽器の使い方に面白いところがあり、東京公演ではそうでもなかったのですが、広島では途中、打楽器奏者たちがしゃがみこんだと思ったら、なにやらシューシューいう音が聴こえてきました。私の席からは何をしているのかよく見えなかったのですが、後で聞いたところでは、床を擦っていたそうです。新垣氏によると「自然の音」ということでした。また、時折ドドドド・・と鳴る大太鼓の響きも不気味でした。

冒頭と最後は美しい響きとメロディに満ちています。弦楽器の重なりによるハーモニーが琴線に触れるのはなぜかといつも思ってしまいますが、ここでも悲しみを湛えた祈りが胸に染みます。また、最後は、明るい希望のメロディがやはり美しいのですが、その下でずーっと鳴っているコントラバスの低音が不気味でした。

新垣氏自身の解説によると、そのベース音は『HIROSHIMA』の冒頭に出てくる音で、「時間は遡行し『HIROSHIMA』以前に回帰する」ということでした。その場ではそんなことは私にはわかりませんでしたが、とにかく美しい希望に満ちたメロディの下で何かが鳴っているという違和感や不穏な感じが強く印象に残りました。単純な楽観的な希望だけではすまない。この世の中に残念ながら当然のように存在する不安な諸々と共に生きていくということでしょうか。

メロディが終わってもその低音だけが残り、やがてそれも消えると後にはシーーーーンとした沈黙が訪れます。

この静けさがどれぐらい続いたでしょう。こんなに美しい沈黙を聴いたホールは今までにありませんでした。会場全体が祈りを捧げているような静けさです。指揮の松尾氏の腕がようやく下りてから、じわじわと拍手が起こり始めました。誰一人「ブラボー!」なんて場違いな声を発する人はおらず、真剣に耳を傾けた人々の心のこもった温かい拍手がただただ続きました。

(続く)

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