よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

御宿でも黒沼ユリ子さんのヴァイオリンはひるまない

10月1日に千葉の御宿では黒沼ユリ子さんの「ヴァイオリンの家」が初めて一般公開されたはずだ。

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9月30日のオープニングでは、黒沼ユリ子さんと駐日メキシコ大使や御宿町関係者のご挨拶がひと通り終わってから、ヴァイオリンの演奏が披露された。

「今回は友人の波多野せいさんとヴァイオリン二重奏で、このホールの木のひびきをお聴きになりながら、この家の将来に夢を馳せていただけたら、と願っております。」

と案内文にもあった。公のコンサートホールでの演奏は2年前に引退を宣言された黒沼さんのヴァイオリンを再び聴くことができるとは!

久々に聴く黒沼ユリ子さんのヴァイオリンが、しみじみ心に染みた。

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黒沼さんがメキシコに設立した音楽学校アカデミア・ユリコ・クロヌマで3年間子ども達を指導し、帰国後はアンサンブル・コルディエの代表として活躍されている愛弟子の波多野せいさんとぴったり息を合わせる。

自分はなぜコンサートに行きたいのか?と自問するたびに思うのは、それは何も演奏者が機械のように正確に弾けることを検証しに行くわけではないということだ。正確無比でも無味乾燥な演奏には、心を動かされることはない。

何が人の心を動かすのだろう?音楽は不思議だが、演奏家であると同時に非常に明晰な文章を書かれる黒沼さん自身が著書『ヴァイオリン・愛はひるまない』の中で音楽について語っておられる。

「ヴァイオリン・愛はひるまない」: 井内千穂のうたかた備忘録

「音楽とは、文章も色も形も残らず、音という空気とは切っても切れない不可思議な媒体を通じて、作曲家が自分の思いのたけを白紙の五線紙の上に記したモノを、演奏家が作曲家の気持ちを推しはかりながら、自分なりの感情も込めて空気を振動させ、聴く側に生きた楽曲として届け、受け止めてもらうモノ。その曲が作曲されてから何百年たっても演奏者によって生き返らせることができる、全く信じられないようなことを、この地球上で人間のみが創り上げたモノなのだ。コンサートの座席に坐る聴衆は、演奏を聴いている間、自分を非日常な空間に飛翔させ、人間のあらゆるエモーショナルなモノを音から自由に連想している自分を発見するはずだ。」(第1楽章 「ヴァイオリンが人生を決めた」より)

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壁に掲げられた1967年のポスターに当時の黒沼さんの姿があった。1958年に18歳でチェコプラハ音楽アカデミーに留学した黒沼さんは、60年代から世界各地で演奏活動を繰り広げた。60年代にはまだ幼児だった私は残念ながら若かりし黒沼さんの生の舞台に接する機会はなかった。

私の母とほぼ同い年になられた現在の黒沼さんの演奏は、全盛期とは違っているのだろう。しかし、高音域の音程云々という次元を超えた、人生経験のすべてが音に込められた魂を震わせる演奏は、今だからこそなのだと思う。

「メキシコの山田耕作のような作曲家」と黒沼さんが紹介するマニュエル・ポンセは、「エストレリータ(小さな星)」で有名だが、黒沼さんのCDにも収められ、いつもコンサートでも演奏される「ガボット」も本当に美しい曲。サロン風とも言えるロマンチックなメロディが、私には「いろいろあるけれど、それでも生きてきてよかった。いろいろあっても生きていこう」という優しいエールのように聴こえる。憂いを湛えて清々しく、大好きな曲だ。

ショスタコーヴィチの3つの二重奏曲は、東日本大震災以来、さまざまなチャリティにも取り組んでこられた黒沼さんにとってシンボリックな作品だと言う。

「冒頭の前奏曲は、亡くなられた方々への鎮魂歌のようにどうしても思えるのです。2曲目のガボットは、楽しかった思い出。そして最後のワルツは、亡くなった人たちのためにもがんばっていこう、と未来に向かう曲に聴こえます。」

7年前にインタビューさせていただいた時、「子ども達が音楽を好きになるようにさせるにはどうしたらいいんでしょう?」と質問したら黒沼さんは即答した。

「教師がみずから音楽への愛を示すことです。子どもの目の前で、こう~やって(とジェスチャー)ヴァイオリンを弾いて見せてあげることです。そうしたら、ああ、あんなふうに弾きたいなあと子どもは感じますよ」

そんなふうにいつもお手本を見せてあげていたに違いない、気持ちのこもった力強い弓と身体の動き、ほとんど目を閉じた顔の向き。そのすべてが音楽への愛に溢れている。

ああ、この人は一生涯ヴァイオリンを弾き続けるのだ。改めてそう思った。

終戦後まもなくヴァイオリンを始めた幼い女の子は、コンクールで優勝し天才少女として名を成し、チェコへの留学以来、世界へ羽ばたいた。その後40年も暮らしたメキシコの文化やその歴史的背景をはじめ、その時々の社会情勢にも強い関心をもつ探求心に満ちた知性と、出会いや別れが続く人生の喜怒哀楽すべての感情が、音に反映される。

弾いておられる姿に思わず涙が溢れてきた。

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それは、こんなにも間近で演奏に接したからかもしれない。

1,500人収容できるコンサートホールを満席にすることも立派に違いないけれど、たった40人、今この場に居合わせた、それぞれの顔がはっきり見える人たちのために心をこめたヴァイオリンの音が小さな木のホールに響く。

なんと豊かな時間だろう。