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よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

愛の喜びと悲しみのクライスラー

本年初記事は1月6日付でジャパンタイムズに載った。今年も前職への感謝の気持ちを忘れず、少しずつでも書き続けていこう。

www.japantimes.co.jp

元々は、あるヴァイオリンリサイタルについて小さなお知らせ記事を頼まれサラッと書いて昨年末掲載予定だったのだが、プラスαで膨らんだものが新年早々カラーバック面に大きく載るとは驚き。ネタというのはわからないものだ。活字になっているものの背景には、内容面のアピール以外に人のご縁やタイミングなど、さまざまな事情がある。

今回の企画は、1730年代のグァルネリの名器でフリッツ・クライスラーが愛用していたヴァイオリンの精巧なレプリカを東京在住のドイツ人ヴァイオリン製作者が作り、それを使って1920年クライスラーカーネギーホールで行ったリサイタルのプログラムを再現しようという実に凝った趣向で、リサイタルのみならずヴァイオリン製作の話も取り上げることになったのだ。

www.japantimes.co.jp

ネタが少ないというより書き手が少ない(みんな休みたい)お正月。「やります」と言うと年末年始の帰省の道中もゲラを抱えて歩き、3日には出社してきたカナダ人エディターからどんどんメールが来てぎりぎりに校了という感じになる。無事に発行できてホッとした。新年早々、追加の質問に返信して下さったプロイス氏や岩住氏にも感謝したい。

Re-creating musical genius
Tokyo-based luthier brings oiginal flair to art of replication
Violinist to restage Fritz Kreisler's famed 1920 recital

という記事の見出しや、

A TUNE THAT BEARS REPETAING
Musician to replicate famed recital right down to the violin

という1面ティーザーのキャッチを見ただけで、だいたいどんな内容の記事なのか想像がつくようになっているのはさすが新聞というもの(だから詳しく知りたいと思わない記事は読まなくてもいいのだ)。要は何なのかを端的に表現するエディターの用語のバリエーションに素直に感心する。(なるほど~~そういうふうに言うんですね・・)

ちなみに、ジャパンタイムズの見出しは紙面とオンラインで随分違っている。邦字紙の場合は知らないが、紙面はレイアウト・デザイン上の長さの制約があるし、あくまでも読者の目を引くキャッチ―な言葉が選ばれるが、ウェブでは当然ながら検索キーワードでヒットしやすいことが優先なのだ。

こういう見出し類からは、究極の理想の音を求めて楽器も演奏も究極の再現を繰り返すのがクラシック音楽なのだということが伝わってくる。そして、究極の理想というのはなかなか辿り着けない永遠の憧れのようなものである。

こういった紹介記事はたいていプレビューなので、書いた記事の演奏会は極力聴くようにしている。と言うより実際に確かめずにはいられない。

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ヴァイオリニストの岩住励氏はニューヨーク在住なので今回はメールでのインタビューになったが、その回答ぶりにいたく感銘を受けたのだった。同趣旨の解説が当日のプログラムにも掲載されている。

「20世紀初期のヴァイオリンリサイタルは現在のものとは多少違った。ピアノ伴奏での協奏曲が弾かれることも珍しくなく、小品を並べたプログラムもごく普通であった。必ずしもソナタ、あるいは華麗な曲芸のような曲で終わるわけでもなかった。コンサートの内容や長さが多様だった19世紀からの影響と考えられる。

その中で、1920年12月5日にクライスラーが弾いたプログラムは異例だった。翌日NYタイムズ紙が『彼が前に弾いたコンサートに比べてシリアスなものだった』と述べており、クライスラーが考え抜いたプログラムだったのだろう。・・・(以下略)」

当時人気絶頂だったクライスラーカーネギーホールでのその演奏会は、「立って弾く場所がやっとのほどにステージ上にも客が詰め込まれ、超満席だった」そうだ。

昨日のプログラムには、1920年当時のプログラムのコピーが広告まで含めて丸ごと掲載されていて面白い。

フランク:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ
J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ1番
(休憩)
クライスラー:ロマンスとカルチエ様式による『シャス』(狩り)
コルンゴルトシェイクスピアの「から騒ぎ」のための音楽より

・・・ということで興味をそそられる意欲的な試みだった。

使用楽器であるグァルネリのレプリカを作ったプロイス氏の流暢な日本語による極めて日本的な挨拶に続き、岩住氏のヴァイオリンと江口玲氏のピアノ伴奏による演奏が繰り広げられた。書かれる文章からも窺える造詣の深さとさらなる探求心がにじみ出るような知的な演奏だった。元のグァルネリによる演奏を生で聴いたことがないので厳密には較べられないけれど、その精巧なレプリカであるヴァイオリンから発せられる中・低音部の柔らかく豊かな響きがいいなと思った。良く鳴っていたように私は感じたのだが、さすがに製作者本人はもっと厳しい。

終演後、プロイス氏に「で、どうでしたか?楽器の響きは」と声をかけると、
「うーん、もっと『質』がほしいです」という答えが返ってきた。
「『質』ってどういうことですか?」と聞き返すと、「それを説明するのは難しい」けれど、もっとグァルネリらしい倍音をたくさん含んだ音を求めているようだった。

さすがは職人のこだわり。やはり、究極の理想はちょっとやそっとで実現できるものではないようだ。彼はストラディバリのレプリカ製作にも取り組んでいるところである。

演奏者からも楽器製作者からも、そのような飽くなき理想の追求といえる謙虚な姿勢が前面に出た演奏会だった。冒頭で大好きなフランクのヴァイオリンソナタを聴かせてもらえたのも嬉しかったが、いちばん心に響いたのはアンコールの「愛の悲しみ」だった。

なんだろう?「琴線に触れる」とはよく言ったものだ。

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