よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

そして大人たちは ~日本・ベラルーシ友好訪問団2018報告会その④

そうこうしているうちに年が改まり、「一月は行く」という言葉の通り、早くも月末である。昨年の10月に訪ねた福島県Jヴィレッジでの日本・ベラルーシ友好訪問団2018年報告会について書き残していたことをまとめておこう。

 福島の高校生たちやベラルーシの学生たちの意識が高いことにつくづく感心する報告会だったが、もちろん、こんなプロジェクトが彼らだけで実行できるわけはなく、当然ながら、それは周囲の大人たちの並々ならぬ尽力の賜物なのであった。

 その中心におられるのが、広野町NPOハッピーロードネット代表理事の西本由美子さんである。

www.happyroad.info

 西本さんに初めてお会いしたのは、3年前のゴールデンウィーク川内村であった。当時、会社を辞めたばかりだった私は、どういう行きがかりか、福島を訪ねるバスツアーを手伝うことになり、初対面の大学教員を含め一癖ありそうなオジさんたちとそんなイベントを運営するリスクに若干不安を感じていたのだが、下見に来た折、西本さんの笑顔に背中を押してもらったような気持ちになり、なにより、バスツアー当日の彼女のスピーチにいたく感銘を受けたのであった。

「震災後、原発が止まって、東京の電力の半分は広野の火力発電所で発電されています。東京の人たちはそのことをご存じでしょうか。避難先から戻ってきた私たちは原発と向き合い、日本の電力を支えているという誇りを持って暮らしています。」

 昨夏、福島の風評被害をめぐる座談会で久しぶりにご一緒して、あらためて意気投合したところだったが、ベラルーシ訪問の報告会では、理事長としての西本さんのパワフルな姿に感服するばかりだった。

 西本さんと私の共通点は、3人の男の子の母親であること。息子たちの子育てに明け暮れた専業主婦の時期があると言うと、「あらぁ、同じじゃなぁい!」と笑っておられたように、西本さんも元々は主婦だった。

私の場合、子育てだけの日々から何とか抜け出して「仕事がしたい!」と思い、末っ子が小学3年生だった頃に新聞社に再就職した。今振り返るとそれは「我が身を救いたい」必死の行動だったが、西本さんは、そんな自己中心的な発想とは違って、息子さんたちやその友達である少年たちにもっと献身的に尽くしてこられた。地元にできたばかりだったJヴィレッジへ車で送り迎えはもちろんのこと、待ち時間にはJヴィレッジ敷地内の花々の世話なども手がけられ、ご自宅で頻繁にお泊まり会を催したことを「楽しかった〜」と語ってくださった。我が家の愚息3人もなぜかサッカー少年に育ったが、せいぜい週末の試合を応援に行くぐらいだった私とは大違いである。私にはとてもそこまでできないと思うところ、西本さんは、子どもたちのためになることだったら喜んでやるというお気持ちなのだ。頭が下がるばかり。

 それが、震災前から福島県浜通りで開催されていた高校生サミットや、国道6号線の桜の植樹、道路清掃などの活動につながったのだろう。偶然だが、西本さんがNPOを立ち上げたのと、私が新聞社で働き出したのは同じく2005年のことであった。

国道6号線での活動は震災後も力強く続いている。しかし、メディアで報道されるや、西本さんたちが心ないバッシングの的になったことは先般の座談会でも改めて伺ったところだ。

「おまえらが笑顔でそこに住んでいられると俺たちは困るんだ」というようなSNSへの書き込みは、福島をめぐる錯綜した事情がもたらした屈折した感情としか言いようがない。

 そんな言葉を浴びせられても、西本さんは活動を続ける。その精神的な強さはどこから来るのか。それは、震災後の故郷の復興を担う次の世代が育って欲しいという一念である。その一点では人々は協調できるのではないか。廃炉も復興も何十年もかかり、今の大人たちは生きている間にその行く末を見届けられない。「そんなこと」になってしまった責任を問うことも重要だが、実際にどうにかしていくロング・プロジェクトは次の世代に引き継いでいくしかないのだ。だからこそ、地元の自治体も企業も、学校の先生方や生徒の保護者のみなさんも、その趣旨に賛同し、協力を惜しまないのだろう。

 ある活動が何年も継続し発展するためには、献身的にコミットして中心になる人が必ず要るのだ。それは、ほかの活動でも見たことだった。もちろん、一人でできることではないけれど、必ず中心になる人が必要であり、その人の志とその切実さが、周りの人を巻き込んで活動を引っ張って行く原動力になるのだと思う。

 日本・ベラルーシ友好訪問団2018報告会が終わったあと、西本さんが笑顔で勧めてくれるままに、Jヴィレッジの別室で行われたランチ会と解団式にまで参加した。福島の地元の方々ばかりという会に、よく知りもせずに東京からノコノコやってきた私が参加するのはいかにも場違い感があっていたたまれなかったが、震災以来、紆余曲折を経てここに居合わせたご縁を貴重なことだと思いたい。福島県外での報道を見ているだけではわからない。今回のイベントも地元紙の福島民報福島民友以外のメディアはどこも報じていないだろう。しかし地元には、若者たちと彼らを見守り育てようという大人たちの力強い輪があり、同じく原発の被害を受けたベラルーシの次世代を担う若者たちとの国際交流まで成し遂げているのである。

 解団式。西本さんは参加した生徒たち一人ひとりの名前を呼んで、終了証書を読み上げ、「よくがんばったね」と握手し、抱きしめておられた。

そして今年。夏に開催される「日・英友好訪問団 in 福島浜通り2019」の準備がもう始まっている。これまで3年間のベラルーシ訪問を踏まえ、今度はイギリスのセラフィールド社の「中間貯蔵施設」を視察し、周辺の町で1960年代からの取り組みについて学ぶという。

https://www.facebook.com/chiho.iuchi/posts/2054793777975327:22

福島浜通りの高校生たちを育てる力強いプロジェクトはまだまだ続く。(完) 

 

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 2018年7月に再開したJヴィレッジ