よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

御宿に黒沼ユリ子さんのヴァイオリンの家がオープン

2014年1月。紀尾井ホールで開かれた引退リサイタルの舞台でアンコールに応える前にヴァイオリニストの黒沼ユリ子さんは客席に語りかけ、突然宣言した。

「私はこのたび日本に帰ってくることを決意しました」

会場からは驚きのどよめきの後、温かい拍手が沸き起こった。

黒沼さんは、それまで40年以上にわたりメキシコを拠点に活躍してこられた。世界中で演奏活動を続ける傍ら、メキシコで大勢の子ども達にヴァイオリンを教え、教え子の中には今やメキシコを代表するソリストもいる。

私が黒沼さんの著書『メキシコからの手紙』(岩波新書)を読んだのはいつだか思い出せないほど前だが、その頃はまさか実際にお会いすることになろうとは思いもしなかった。2009年4月、インタビューさせていただくことになった時には「あの方にお会いできる!」と胸が高鳴ったものだ。

メキシコ音楽祭中止: 井内千穂のうたかた備忘録

それ以来、何度か記事を書かせていただき、お付き合いが続いている。ユリ子さんも、お姉さまで敏腕マネージャーの俊子さんも大好きな女性であり尊敬する大先輩である。

2014年5月、黒沼さんは長年暮らしたメキシコを離れ、千葉県の御宿町に移住されたのだが、なかなか伺えないでいるうちに2年経ってしまった。

先月、俊子さんからご案内が届き、とにもかくにも御宿へ行こう!と決めた。もっと遠いかと思いきや、房総特急わかしおに乗れば、東京駅から1時間20分ほどで着く。小さな静かな駅で降り、メインストリートの「ロペス通り」をまっすぐ歩くと、ほどなく「フリ-ダ・カーロのコヨアカンの青い家のような」とメールに書いてあった通りの鮮やかな青い家が見えてきた。

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 このたび黒沼ユリコさんが作られた「ヴァイオリンの家」であり「日本/メキシコ友好の家」でもある。9月30日、そのオープンを祝う会が開かれた。

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 東京から駆けつけたカルロス・アルマーダ駐日メキシコ大使を迎えてテープカットが行われてめでたくオープン。参加者は床も壁も鮮やかなイエローにペイントされた階段を上がって2階へ。

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 2階には、大小さまざまな人形がずらりと展示されている。ご夫君の故・渡部高揚氏が世界中で集められたもので、すべてヴァイオリンを弾いているというすごいコレクション。ここには300体ほどあるが、まだ全体の3分の1だとか。

さらに階段を上がった3階は、木の床に木の天井が素敵な弦楽器のためのミニホール。40席ほどの小さなコンサートができる。

1609年の9月30日、スペイン領フィリピンの臨時総督の任務を終えたドン・ロドリゴら373名を乗せた帆船サン・フランシスコ号が、メキシコ(当時スペイン領)へ向かう途中、嵐に遭遇し、御宿沖で座礁した。これを見た御宿の人たちは、初めて見る異国の遭難者たちを救出し、献身的に介抱を行った。

「御宿は400年前にメキシコと日本が出会い、交流が始まった場所。そこに小さな交流の拠点としてこの家を作りました」と黒沼さんがご挨拶。

「当時の奇跡のストーリーを現代においても忘れてはならない。子ども達にも語り継ぐべきだ」とアルマーダ大使も応えて述べた。

「1609年の9月30日、まさに今日は暴風雨だったのです。だから、今日も暴風雨が心配でしたが、おかげさまでお天気になりました」と黒沼さんは語り、会場は笑いに包まれた。いつもながらスピーチの巧さにも感服する。

大使ご夫妻のほか、御宿町役場や町議会からも重鎮が出席し、御宿ネットワークのメンバーの方々が、ボランティアとして会場の設営から飲み物・食べ物のサービスまで、和やかにサポートしていた。

ネットワークを代表して挨拶された作家の安藤操氏の言葉が面白い。

「黒沼ユリ子さんは女王様なんです。土地には霊魂が宿っているものですが、黒沼さんは女王として御宿とメキシコの地霊を結びつけ、その接点に立っている不思議な行動力を持った人です。」

それにしても、御宿に移住してまだ2年ばかりの黒沼さんが、町ぐるみ人々を巻き込むパワーは凄い。御宿ネットワークは昨年「この指とまれ!」で立ち上げたそうだが、40人ぐらいからスタートして今は80人ほどのメンバーがいるという。地元の人も首都圏から移住した人も、黒沼さんを核にして集り、知り合い、互いに親しくなり、楽しく活動されているようだ。

この居心地の良い青い家が、これからは週末と祝日に地元の人々が集うコミュニティセンターになり、日本とメキシコという国際交流の場にもなる。もちろん、東京からもぜひお出かけくださいとのことだ。

コンサートだけでなく、メキシコの映画や音楽フィルムなどの上映もやりたいと黒沼さんは述べた。

「そうやってみんなで集まれば、その後でお茶でも飲みながら音楽や映画の感想を話し合ったりできるでしょう。」

立川のアーティスティックスタジオLaLaLaとも相通じるコンセプトで、私は自分がそういう場所にとても惹かれ、ご縁があるのだと改めて感じた。心から尊敬する黒沼ユリ子さん・俊子さん姉妹もそういう場所を作られたのだと思うとますます嬉しくなる。

そんな場所が全国各地にどんどん増えればいいと思う。知らないだけで、実は近所にもあるのかもしれない。探してみよう。なければ、いつか自分で作りたいもんだなあ・・・大きくなくていいのだ。こじんまりと居心地よく、人の温もりが感じられ、老いも若きも集える場所。

ボランティアっていろいろ負担に感じたり、コミュニケーションが難しかったりする場面もあるけれど、「この指とまれ!」で御宿ネットワークに集まってきた、様々な人生経験を経た大人たちが、この素敵な家で和気あいあいとおしゃべりに花を咲かせ、てきぱき動いておられる様子は実に楽しげだった。翌日の一般公開の段取りなど相談しながら、初めて伺った私にも気さくに話しかけてくださる。メキシコ産のコーヒーを淹れてくださったのは、釣り好きが嵩じて御宿に移住したという元プロのコーヒーマンだった。美味しかった!また来ます!!(続く)

(2016年10月1日(土)から一般公開)

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秋を告げる金木犀

以前は金木犀の香りがあまり好きではなかった。クセのある甘い香りは主張が強すぎるような気がした。

しかし、気になる香りではあり、以前のブログにも何度となく書いていた・・・ということを今も覚えているほど、気持ちを掻き立てるインパクトがあるのは確か。

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その後しばらくブログを書かないで年月を経てしまった。毎年10月の始めには必ず金木犀の香りがしていたはずだが、あまり覚えていない。金木犀が香るほんの一週間ばかりの日々が、とくに意識に上ることもなく過ぎ去っていたのだろう。意識に上らないことは書かれもしない。

久々にブログを再開したら、金木犀の季節が来たことに気づいた。どうやら、昨年までより幾分、自分の季節感が戻ってきたようだ。そして、香りによって、過去に書いたことを思い出し、書いたものを読み返すと忘れていたその時の感情がよみがえる。

進歩も成長もないような気がしていても着実に変化はある。今年は昨年と同じではない。昨年の今頃は、会社を辞めることを決め、退社時期を具体的に考えているところだった。

しかし、季節の巡りは几帳面に繰り返し、時は同じところをぐるぐる回っているだけのようにも思える。地球規模で見ると、温暖化やら環境の変化やらで、気づかないほどの変化が毎年少しずつ進行しているのだろうか?そう言えば、金木犀の開花がだんだん早まっているような。

・・・今年は金木犀が香りませんでした・・・

いつかそんな年が来たら世界は滅びるのだろう。

また一年が経ち、金木犀の季節がちゃんと来た。今年はその香りにいち早く気づいたのが妙に嬉しかった。なぜか香りも以前より好きになった。

金木犀が高らかに宣言しているのが頼もしい。

 秋が来た。

 

 

 

安達朋博ピアノリサイタル@杉並公会堂2016その3 ~打ち上げ編~

演奏会の楽しみの中に、終演後の打ち上げというものがある。

高校時代、文化祭のフィナーレを飾る吹奏楽部の本番後、帰宅が遅いと親から叱られたのが打ち上げの最初だったろうか。大学時代はまさに「のだめカンタービレ」的な宴会を繰り広げる学生オケにいた(音大でもないのに)。

まあ、そういう世界は自分が演奏する側にいた頃の話であって、卒業後のコンサートは、夫婦や親しい友人で帰りに杯を交わしながら感想を述べ合うという上品なアフターか、そうでなければ一人で行って黙って聴いて余韻に浸りながら一人で帰るケースがほとんどだ。

それが、たまに音楽の記事を書くようになってから、記事と同じくたまに終演後の打ち上げに参加することもある。インタビューが盛り上がって意気投合した、演奏に非常に感銘を受けた、今夜は締め切りを気にせず飲める!など、理由はさまざまだが、これはコンサートに行くよりさらに、よっぽどのご縁というものだ。

そういう場の一つが、安達朋博氏のコンサート後の打ち上げなのである。よっぽどのご縁はさらに不思議なご縁を運んでくる。何らかのきっかけで安達氏のピアノに心を惹かれたという共通項が、他人同士を一歩近づけるのかもしれない。一種の磁場のようなものか。

限界に挑むような渾身の演奏を終えた直後のアーティストに間近で接するのは、こちらもかなりドキドキするものだが、お互い人間であり話もできるというアーティストに一層の共感が湧くのも自然なこと。

アーティストの言葉は社交辞令ではない、ということを私は安達氏の打ち上げで出会った他のアーティスト達から学んだ。普通ならお互いスルーしそうな何気ない会話が実は本気であり、二度とないチャンスをもたらすことがあるのだ。それは、突然ビジネススクールに通うことだったり、30年ぶりにオーケストラに参加してマーラーの銅鑼を叩くことだったり、何につながるか全く予想もつかない。そうした素っ頓狂なきっかけに、なるべくオープンでいたいと思う。

打ち上げにも内輪の慰労会のようなものもあれば、今回のように、アーティスト安達朋博の今後のプロジェクトのお披露目とお客様との交流を目的に、誰にでもオープンな懇親会もある。演奏後の安達氏は半ばぐったりしてはいたが、居合わせた人々にお礼を述べ、来たる演奏会への応援を直に呼びかけていた。

打ち上げの場では、自分が誘った友人たちとゆっくり言葉を交わすこともでき、友人を他の友人に紹介したり、自分も他の参加者に紹介してもらったりというそれなりの社交がそこここで繰り広げられていた。ひょっとしたら、のちのち人生に大きな影響を与える出会いもあるかもしれない。

そうか。わざわざ演奏会に足を運ぶのは人に会うためでもある。

人々が作る場に音楽が響き、音楽があるところに人々が集まる。

それがいいんだろうな・・・乾杯!

安達朋博ピアノリサイタル2016@杉並公会堂その2 ~裏方編~

演奏会って何だろう? 好きな曲をネットからダウンロードしたりCDを買ったりして一人で聴くのと何が違うんだろう?

と安達朋博ピアノリサイタルに行って改めて考えてしまう。

chihoyorozu.hatenablog.com

安達朋博氏の演奏を最初に聴いたのは、コンサートですらないクロアチア関連のイベントだった。人々が食事と歓談を楽しみ、ほとんど聴いていない喧騒の中、聞いたこともない名前のクロアチア人作曲家の曲を彼は電子ピアノで弾いていた。それがドラ様の「ばら」だったわけだが、その健気な青年を妙に応援したくなって、彼が立ち上げた日本クロアチア音楽協会の初回のコンサートに行ってみたのが二年ほど前だろうか。

それ以降、都合がつく限り聴きに行っているのが不思議と言えば不思議だが、彼の周囲にはそういうリピーターやファンが大勢いて、さらに増えてきているのだから、魅力を感じているのはどうやら私だけではないようだ。まだ放っておいてもお客がたくさん集まるとは言えないまでも、少しでも集客に貢献しよう、自分の友達にも聴いてもらいたい!と思う人が着実に増えていることは間違いない。

これまでの演奏会は普通にお客として聴きに行っていたのだが、そうこうしているうちに、ご縁の連なりと諸々のタイミングの加減で今回はいつの間にか裏方を手伝う流れになった。

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とは言っても、直前の要請に応じる形で当日ボランティアに入ったに過ぎない私は、現場の状況に面食らったし、その場で臨機応変に対応しようにも、いかんせん素人なので要領を得ず、そういう自分が不甲斐なかった。元々そんなに気が利くほうでもないし。いやもう、招待券や当日預かり券の宛て名を探す分類不明のカルタ取りのような受付には正直まいった。こんな風に手伝うぐらいだったら、いっそのこともっと修行を積んでプロフェッショナルに動けたほうがいいのか?!・・・音楽事務所の存在意義を改めて感じた次第。

しかし、そういう事務所に所属せず、独立独歩で活動しているのもまた、安達朋博氏の独自性の一端なのである。このような自主公演の現実を踏まえれば、これまで私がただ聴くことに専念していた演奏会にも当然ながら「裏方」として支えてくれた人たちがいたわけで、今さらながら彼らに頭の下がる思いであった。

と同時に、裏方の事務に気を遣っている心理状態は、「聴く」という立場からすると考えものだと思った。今回の場合、ドラ様のソナタの1楽章は残念ながら聴き損ねた。2楽章に入るわずかな隙に客席に忍び込んだが、ああ残念・・・と思うのは、お客の自分であって、裏方ならば席でゆっくり聴いている場合ではないだろう。

手違いでCDの販売要員がいないことも知らず、休憩時間中はなんとお客様の中から高名な音楽評論家や演奏家の方々が売り子を買って出てくれていたという話をあとで聞いた。その自然体のボランティア精神には敬服しつつ、何ともいたたまれない気持ちだ(一体どういう采配になってるんですか!?)。終演後は拍手し終えると即、CD売り場に飛んで行った。それでは遅いのだけれど。

そういうことは、5月に某チャリティコンサートの地方巡業に同行して初めて裏方を経験した時にある程度わかったはずだが、あの時にはさすがに事前の打ち合わせや小規模とは言え絶妙なチームワークがあったし、同じ公演が何度もある巡業なら部分的に少々聴き損ねても明日は聴こうなどと思えた。

今回は当日だけのボランティアをできるだけやりますとは言ったものの、一日限りのリサイタルにチケット代を払って来ているのだから、そりゃあ聴きたいのが当然だ。本来聴きに来たお客(だったのかどうなのか?)が中途半端に兼任するのではなく、業務として割り切ってそれに専念する人が必要なのだ。

当たり前のことだが、演奏者だけでは演奏会はできない。もちろん、演奏者がいなくてはそもそも始まらないけれど、聴いてくれるお客様がいないと話にならない。だからこそ演奏会のことをなるべく多くの人たちに知ってもらう広報活動もあるわけで。実際に演奏する会場を確保し、会場内で当日の全てのプロセスをスムーズに進め、お客様に不快な思いをさせずに楽しんでもらうために各持ち場で担当者が動き、全体を統括する人も必要。もちろん何をするにもお金がかかる。

録音で聴ける時代でも、そんな面倒な手間ヒマかけてまで一期一会の生の演奏を聴かせよう!聴こう!!というのが現代の演奏会なのだ。

そういうお膳立ての上で、「奇跡のような演奏とお客様の喝采」に満ちた場が実現できたなら裏方冥利に尽きるだろうか。そちらに徹してみると、もっと見えてくる(聴こえてくる)ものがあるかも知れない。

今回は中途半端なボランティアとして感じるところがあり、それはそれで貴重な経験だった。演奏会の醍醐味の一部ととらえよう。前向きに、建設的に。

安達朋博ピアノリサイタル2016@杉並公会堂その1 ~本番編~

なぜ私はピアノを聴きに行くのか?

とよく自問する。

東京では毎日のようにあちこちで、ピアノだけでもいくつもの演奏会が開かれ、自分も慌ただしい日々、どれもこれもは聴きに行けない中で、あれではなくそれでもなく「これを聴きに行こう」と決めるのはよほどのご縁と選択だろう。人生はそういうご縁と選択の連続なのだ。

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安達朋博氏は、高校を出てすぐ、日本の音大には進学せず単身でクロアチアへ飛んだ。ザグレブ大学音楽アカデミーを最優秀で卒業して帰国後は、日本におけるクロアチア音楽の伝道師のごとくクロアチア人作曲家作品の発掘・普及に務め、クロアチアでの演奏活動も継続中である。この異色の経歴は彼の演奏会のプログラムにも反映され、毎回なにがしかのクロアチア作曲家作品の「日本初演」が聴ける。なにしろ音源もそんなに見当たらない作品が多いので貴重な機会だ。

クロアチアが誇る女流作曲家ドラ・ペヤチェビッチのことは、安達氏に出会わなければ今でも知らなかっただろう。19世紀末から20世紀初頭を駆け抜けた才能豊かな伯爵令嬢は、安達ファンの間では「ドラ様」としてすっかり定着している。産後の肥立ちが悪く37歳の若さで亡くなった悲劇のヒロインに、母としてどんなに無念だったろうか、子どももかわいそうに・・・と、女性としてつい同情しながら聴いてしまうところもあり、ただでさえスラブっぽく陰影に富んだ、若干しつこいまでに転調だらけの曲想がますます哀れを誘うのである。

今回の杉並公会堂は、そのドラ様のピアノソナタ第1番から始まり、次にプーランクの「ナゼルの夜会」という大曲続き。前半を終えた安達氏はピアノから立ち上がって舞台上つんのめって転びそうになりながら、舞台正面席にも向き直ってご挨拶。グレーのスーツの後ろ姿にくっきり見える汗ぐっしょりの力演であった。

休憩を挟んでの後半冒頭が本日の日本初演クロアチアを代表する現代作曲家の一人だというダヴォリン・ケンプの「光の蝶よ」はとても美しい曲だった。

作曲家ケンプがインスピレーションを受けたというスペイン人の詩人フアン・ラモン・ヒメネスの詩がプログラムに紹介されている。

 光の蝶よ

 きみの輝きに惹かれ、近づくたびに、きみはいなくなってしまう。
 知らないふりをして駆け寄ってみると、時々少し近くで感じられることもある
 魔法にかかってしまったきみを僕の手で解き放してあげたい

 (安達朋博 意訳)

高音の繊細なパッセージが、さすがの絶妙なタッチ。暗闇をひらひら飛ぶ蝶の幻を見るようだ。

もう1曲、ボスニア・ヘルツェゴビナサラエボ出身で、現在クロアチアで活躍するムラデン・タルブクの「愛する人の口づけ」も日本初演。こちらはかなり難解。5つの作品からなる「ケイトのキス ~ピアノのためのキス・コレクション~」の中からの1曲ということだが、ほかの「ママの口づけ」「パパの口づけ」「子どもの口づけ」「死の口づけ」がどんな曲なのか想像もつかない、愛する人の口づけであった。安達氏自身の解説によるプログラムには「ザグレブとイタリアで1度ずつ初演されたのみで、演奏が難解なため以後は全く再演されていないそうです。」とあるので、安達氏がもう一度演奏してくれない限り二度と聴くことはないかもしれない。

楽譜のページをつなげて並べ、少しでも手が空くタイミングで弾き終わった譜面をバサッバサッと床に落としながら(譜めくり頼まなかったのかな・・いや~これ譜めくり頼まれてもどこでめくるのかわからないだろうなぁ・・)楽譜を凝視しながら難曲に挑む姿は鬼気迫り、客席まで緊張感に包まれる。少々違っていてもわからないだろうけど。

ここで2度目の着替えを経て、3着目には黒のタキシード姿で再びステージに登場した安達氏。黒なら目立たないが実際はまた汗ぐっしょりに違いない。難曲続きのあとに、さらに難曲にして40分という長大なラフマニノフピアノソナタ第1番が本日のメイン。

ラフマニノフと言えば、浅田真央選手がソチオリンピックのフリーで使ったことでも知られるピアノ協奏曲第2番が有名だが、ピアノソナタ1番は実は初めて聴いた。

交響曲第1番初演の記録的な大失敗で精神的に打撃を受けたラフマニノフが、モスクワの喧騒から逃れ妻と娘を連れてドレスデンに移り住み、交響曲第2番などの作曲に没頭する中で生み出された「ドレスデン3部作」の一つということだ。ピアノ協奏曲第2番のようにスムーズに受け容れられる美しさというのとはちょっと違った独特のクセのある、しかし、人間精神の奥深さを感じた。会場でお会いした指揮者の井上喜惟先生の解説によると「鬱から立ち直ろうとしていた」というラフマニノフの内面の闘いについて、もっと知りたくなった。

録音も演奏も少ないというこの曲でラフマニノフの闘いを追体験するように40分間疾走しきった安達氏だが、なによりも素晴らしかったのは、ほとんど聴こえないぐらいのピアニッシモの精妙な音色であった。CDでは消して再現できない、こんな音を出すことができるのだとすればピアノに勝る楽器はないだろう。静まり返ったホールの舞台から人の心の襞の奥に触れるような混じりけのないポーンという響き。これに魅せられて人生が変わった人が彼の周りに集まっているのではないだろうか。

わざわざピアノを聴きに出かけようと思う理由でもある。

 

人の世は山坂多い旅の道

先月、伯母が亡くなった。

喜寿を目前にして、短命とまでは言えないものの、今の日本女性の平均寿命より十年短い。同い年である私の母にとってもショックだったろう。しかも、病いが見つかってからほんの数か月で逝ってしまった。

この夏、病院にもホスピスにも移らず、伯母は住み慣れた我が家で家族と共に最後の日々を過ごした。昨年金婚式を迎えた夫婦の元へ、既に自立した3人の子ども達が可能な限り帰ってきて「家族だけの時間」を過ごしたのだ。それ以外はどんなに親しい友人にも親族にも決して会おうとしなかった伯母に、お見舞いは叶わなかった。葬儀もごく内々で執り行われた。

四十九日の忌明け法要のために私は帰省した。

優しい笑顔の遺影だけが在りし日を伝えるその家で、伯母が本当にもういないことを実感する。子どもの頃はお正月や夏休みに、当時は祖父母の家があったここに集い、いとこ達ともよく一緒に遊んだものだが、長じてからは冠婚葬祭以外にほとんど会う機会がなかった。それぞれの人生を歩みつつ、交わることの少ない都会の親戚づき合いだ。

従弟に会ったのは実に30年ぶりだった。今やベテランの医者になった彼は30年前の祖母の葬儀の折にはまだ学生だったし、私の記憶の中には少年時代の面影しかない。お互い紆余曲折を抜きにして、浦島太郎の玉手箱を開けたような再会に軽いショックを覚える。

集まった親族への彼の挨拶が胸に響いた。

「母を看取った時も、見送った時も、僕は自分でも驚くほど冷静でした。・・・いちばん悲しかったのは、病気が見つかってもう助からないとわかった時でした。僕は親不孝者で、ろくに家にも帰らずに長い年月を忙しく過ごしてしまいました。そんな僕をずっと見守ってくれた最高の母でした。それからは自分にできる限りの最善の医療を尽くそうと思いました。」

病いの激痛に耐えながら弱りゆく人とそれを見守る家族のつらさは、まだそれを経験していない私の想像を超える。訪問医療による自宅での最期を選んだ伯母の生きざまと、そんな伯母のそばに居て支え、最後を看取った家族の絆に、ただただ感じ入った。

「もう父もかつての強かった父ではありません。これからは僕と2人の妹で父を支えていきます。みなさま方におかれましては、今後も変わらずご指導・ご鞭撻いただきますようお願い申し上げます。」と従弟はしめくくった。

親は逝き、あるいは年老い、自分たちもとっくに人生の後半に入っているのだ。

 

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伯母が好きだったカラフルな人形や置物のコレクションがそこかしこに残る中、玄関に掛けられたモノトーンの絵が異彩を放つ。画家である従姉が心血を注いだ和紙と墨の作品だ。伯母は「どうしてもこの絵が欲しい」と言ったと会食時に伯父が語った。どちらかと言えば、可愛らしい飾り物を好む女性だと思っていた伯母の別の一面を今さら知るようだ。

帰路、画家の従姉と一緒に末の叔父の車で送ってもらった。従姉と叔父夫婦のとりとめのない会話に時折あいづちを打ちながら、そう簡単には触れられない人の心の奥底を想った。ここでは言わないけれど、敢えて聞かないけれど、誰もが様々な思いを抱えながら今日まで生きてきたのだ。最寄りの駅へ向かうとは言い難い遠回りの車に乗り合わせ、今しばらく一緒にいられることに感謝する。

 

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 法要後の会食時、ランチョンマットに記された人生の旅路

 

 

野外劇『スカラベ』 by 風煉ダンス in 立川を目撃した

立川に野外劇場出現!!

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風煉(ふうれん)ダンスによる野外劇公演『スカラベ』の初日に行ってきた。

家を出た頃、今にも降り出しそうに見えた西の空の怪しい雨雲だったが、立川に来てみると降ってなくてよかった。このところずいぶん涼しくなってきた。

立川駅から歩いて15分ほどの立川市民会館の隣にある立川子ども未来センター前の芝生広場に、雨にも負けず制作されたという舞台装置。裏から見ると学園祭のようだ。ぐるっと回って表通りから反対側に入口がある。

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野外劇なんて久しぶり・・いやもしかすると初めてかもしれない。少なくともこういうのは。何が始まるんだろう?ワクワク。

客席の上にはいちおう風雨をしのぐビニールの屋根がついている。また、受付で虫除けスプレーも貸してもらえる。初日の入りは上々。まずは、風煉ダンス主宰で座付き戯作者の林周一さんがご挨拶。

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スカラベ』は、1994年に福岡の特設野外ステージで上演され、「幻めいた"伝説"として演劇史周辺の波間を浮遊」していたそうだ。初演以来実に22年ぶりの再演とか。

ますます興味津々。

spice.eplus.jp

・・・「タイヨウ」のない暗黒の街。闇市場が立ち、闇プロレスが繰り広げられ、闇鍋が煮えたぎる。26人のキャストが芝生を縦横無尽に歌い踊り語りまくり、闇市場に立つ店舗はしょっちゅう移動し、闇プロレスの仮設リングが出入りする。

「喧騒渦巻くエキゾチック群衆劇!」とチラシに書いてある。登場人物が26人もいるのに誰一人「その他大勢」という人がいなくて、それぞれのキャラが際立っている。順番に出てきてはスポットを浴びて見せてくれる単独プレーに爆笑しながら、始めは「この劇、ストーリーあるんやろか?こういう感じで最後まで?」と思ったぐらい混沌としていたが、いやいやどうして!

スピーディーな展開に引き込まれるうちに、やがて、なぜ街に「タイヨウ」がないのか? なぜ闇プロレスをやっているのか? そして、正面に建つ時計台の謎が次第に明らかにされる。

ただ一人「外」からやってきたのは、「何かを探し求めているんだけど何を探しているのかわからない」という糞玉男。衣装が丸い糞! 好きになったこの街のハイパーからくり人形の名を叫びながら丸い糞が疾走していく姿にはどうしても笑わずにはいられないのだが、彼こそは実は聖なる甲虫だったのか!

カブトムシもいれば、関西弁をしゃべるバッタもいるし、ゴキブリネズミのトリオもいい味出していた。肉屋に魚屋に古本屋。過労死寸前のコンビニ太郎とかベッドを背負って歌う猩紅熱の少女とかベトベトの宇宙人などなど、ケッタイな人々の存在感が半端ない。

渋さ知らズなどで活躍中の3人のミュージシャンの演奏も素晴らしかった。全曲オリジナルで生演奏。劇中歌のタイトルと歌詞がプログラムに載ってて、もう一度笑った。

闇市場」「マラリア・キャリー」「お肉の歌」「デストピア鮮魚店」「猩紅熱少女合唱団」「ゴキブリネズミの歌」「闇鍋占いの歌」・・・もう一度聴きたい~ そして、権力者デラシネが歌う愛の歌「マイマラリア」は可笑しくも切ない。

猥雑な街に様々な人々が蠢き、あれこれ言い合い、時に殴り合うドタバタはこの世の有り様そのものだ。そんなもんだ、それでいいのだ!と笑い飛ばしつつ、世界を救う健気な糞転がしに涙してしまう不思議に前向きな物語なのであった。

最終日までにもう一度観られるとよいのだが・・・

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