よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

ヨーヨー・マとシルクロード・アンサンブル④ 21世紀の尺八

3月3日付The Japan Times掲載のシルクロード・アンサンブルの記事のかなり長々しくなってしまった編集後記その4です。(いつのまにかもう4月ですが)

アンサンブルのメンバーへのビデオ・インタビュー。3人目はもう一人の日本人アーティスト、尺八奏者の梅崎康二郎さんでした。

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Ensemble | Artists | Kojiro Umezaki | SILKROAD

梅崎さんは尺八奏者として演奏活動のかたわら、カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)で音楽の准教授として研究と指導にもあたっておられます。忙しいスケジュールの中、ロサンゼルス午後5時半(日本時間午前10時半)にFacebookでインタビューできる場所ということで、大学の研究室からお話いただきました。

まずは、グラミー賞受賞のことを。地元ロサンゼルスで行われる授賞式に梅崎さんも出席しました。

「前回(シルクロード・アンサンブルが)ノミネートされた2012年は僕一人で授賞式に出席したんです。その時は残念ながら受賞を逃し、一人寂しく帰りました(笑)。今回はメンバー7人と一緒に授賞式をエンジョイできてよかったですよ。今回の受賞にはとても意味があると思います。なぜなら、受賞アルバム『Sing Me Home』は、あらゆるものの見方を祝福し合おうという趣旨のアルバムだからです。それは今、私たちが本当に必要としていることです。」

お父さんが九州男児、お母さんはデンマーク人という梅崎さんは東京生まれの東京育ち。高校卒業までアメリカンスクール(ASIJ)に通いました。尺八は16歳で始め、先生はなんとアメリカ人。長年日本で暮らし、ASIJで合唱を教えていたDonald Berger先生は、琴古流尺八奏者で人間国宝の故・山口五郎先生に師事。尺八について英語で、"The Shakuhachi and the Kinko Ryu Notation"という先駆的な本も書かれました。Don先生は、梅崎さんが小学生の頃から学校の活動でフルートを吹いているのを知っていて「尺八をやってみないか」と勧めたそうです。

「なんちゅうんですか、16歳の高校生だと、あの当時だったらエレキギターとかキーボードとかに凝ってた若者が多かったでしょ? 尺八なんか吹くような(笑)若者っていませんでしよね。やっぱりその、母がデンマーク人で父が日本人(という国際結婚家庭)だと、自分のアイデンティティは何なんだ?という追求がモチベーションになったんじゃないですかね。今考えてみるとそういう感じです。」

「日本の公立の学校ではなく、インターナショナルスクールという"安全な場所"だったからこそ、ハーフとして日本の伝統芸を安心して追求できたのかもしれません。」

アメリカンスクールの多くの生徒たち同様、アメリカの大学に進学した梅崎さんはコンピューター・サイエンスを専攻しました。さらにダートマス大学の大学院で学んでいた頃、ご縁があった民族音楽学者のTheodore Levin先生から、結成間もないシルクロード・アンサンブルのコンサートに向けて、チェロと尺八の曲をやってみないかという依頼の電話がかかってきたそうです。

「じゃあチェロ奏者は誰ですか?って聞いたみたら、ヨーヨー・マだって言うのでびっくりしましたね。あの夏はもうずーっとあの曲(日本の現代作曲家 間宮芳生のチェロと尺八のためのデュオ)を練習してました。」

2001年にシルクロード・アンサンブルは初めての海外ツアーに出かけ、8月にはドイツの「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭」に参加しました。始めたばかりの頃は続くかどうかわからない短期的なプロジェクトだったのですが、間もなく9.11同時多発テロ事件が起き、事態に対して深く悩んだことが映画にも出てきます。

「敵国同士にもなっている多様なメンバーが一緒に演奏するこのプロジェクトをやっぱり続けていく意味があるんじゃないかという結論になりました。」

世界各国の伝統楽器を含む様々な楽器の奏者が集まるアンサンブルで、梅崎さんは日本の尺八を吹いています。

「何百年もの歴史を持つ尺八ですが、明治以降は即興演奏は限られています。僕の場合、流派から離れて尺八を続けているんで、もう“流なし”なんです。だから自由があるんですけど。尺八の(最近の)歴史の中には伴奏として吹くということがなかったので、こういうアンサンブルの中で演奏してみると音量が小さいんです。と言って一人で静かに吹いちゃうとこのアンサンブルの中では全然意味がない(笑)。全然聴こえないから。だからこういうコンテクストの中ではやっぱりもうちょっと音を出さないとダメですね。そうなると尺八の基本として息の吹き込み方も、普通の伝統的な尺八の吹き方とは離れてしまうんですよ。もう少し強く音を出していくわけです。そうしないとほかの楽器と合わせるのが難しくなってしまうので。ちょっと違った音色が出てくるような感覚があります。」

シルクロード・アンサンブルで活躍する尺八は、今回インタビューしたシリアのクラリネット奏者キナン・アズメさんが作曲し、グラミー賞受賞アルバム「Sing Me Home」に収録されている「Wedding」でも実に印象的な音色を聴かせてくれます。アズメさんは「尺八からは風の音が聴こえる」と表現した上で、「でも、尺八という楽器だけでは考えられない。尺八を吹く奏者のKo(康二郎さんのこと)を抜きにしては」と言いました。

chihoyorozu.hatenablog.com

異なる文化的背景を持つ奏者たちがコラボするためにどういうことが必要だと思いますかという質問に対して、梅崎さんは、たとえすべての楽器にとってベストではないとしても、実用的な意味で、なんらかの共通の楽譜を使うことが有用だと述べる一方、「ほかのメンバーはこれを強調することをどう思うかわかりませんが」と前置きしてからこう言いました。

「異なる伝統、異なる音楽システム、異なる聴き方をする者同士が共演するというこの種の音楽作りでは、耳で音を聴くだけでなく、あらゆる感覚を動員して他者がやっていることを感じ取ることが有効だと思います。たとえば、(スペインのガリシア地方のバグパイプ奏者である)クリスティーナが吹きながら身体を動かしているのを見ると、僕はその動きに合わせて自分も自然に身体を動かします。そうすると、身体ごと共感し、彼女からどのように音楽が生み出されているのかをもっとよく感じ取ることができるのです。それは集団での音楽作りを強化するのを助けてくれると思います。聴衆のみなさんもステージ上で、クラシック音楽のコンサートよりももっとたくさんの動きをご覧になることでしょう。なぜなら、僕たちは“総合的に”コミュニケーションを取っているからです。それは、異なる音楽システムの間のギャップを埋める重要な方法だと思います。」

この記事の写真のような感じです。映画にもこういう力強いセッションが出てきてなかなかグッときます。「闘いのようですね」と言うと「いつも負けるんですけどね」と笑う梅崎さんでした。

www.straight.com

 カリフォルニア大学アーバイン校の准教授である梅崎さんは、学内のIntegrated Composition, Improvisation, and Technology (ICIT) groupのコアメンバーです。統合された作曲と即興とテクノロジー???「ちょっと長いですよね」と笑いながら説明してくれたところによると、これは従来の典型的な音楽学部なら分かれているジャズ系、クラシック系などの垣根を取り壊し、総合的な(integrated)音楽作りに集中して、2008年に設立された新しいグループとのことです。現在、さまざまな音楽を聴いて学んでテクノロジーも使って音楽作りをしているミュージシャンが活躍して成功していることから、大学としてもそのような実世界に対応し、21世紀にはどのように音楽作りがなされるかを研究していくということのようでした。

梅崎さんは尺八のような伝統ある楽器とコンピューター・サイエンスなどのテクノロジーをどのように考えているのでしょうか?

「尺八の場合、竹の管に5本の指のための穴が開いているだけという、とても窮屈で物理的に制約のあるシステムです。でも、その制約を受け容れて演奏し、その音色の可能性を追求して“永遠なるものの幻影”を創ることができたなら、それはすごく力強いことでしょう。コンピューターはその逆で、何でもやってくれて、そのシステムの中に"永遠なるもの”が存在し、その無限の可能性の中から何か特定の制約のあるものを作ります。この2つのパラドックスを統合することに強い興味を持っています。」

シルクロード・アンサンブルは科学者のラボのようなものだと思っているのですが、こういう最強のレベルで音楽を作れるのが、自分たちのほかのプロジェクトへの自信になりますね。」

21世紀の尺八奏者としてどういう音楽をやりたいのか?伝統とテクノロジー、異文化との交流というシルクロード・アンサンブルのコンセプトに深く関わりながら、梅崎さんの実験はなおも続きます。(あと1回だけ続く)

 

 

 

ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル③  シリアのクラリネット奏者

創設者ヨーヨー・マのほか20人のコア・メンバーにゲスト・パフォーマーなども加わるシルクロード・アンサンブル。世界各国から集まったアーティストたちはみな素晴らしく、一人一人深く掘り下げれば本が何冊も書けそうですが、今回の記事を書くにあたり、新聞紙面という限られたスペースに、どういう観点でどのアーティストにインタビューするか? 悩ましいところでした。

ドキュメンタリー映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」(The Music of Strangers)でも誰をクローズアップするかさまざまな可能性があったはずですが、ヨーヨー・マのほか4人のアーティストに 焦点を当てています。イラン伝統のケマンチェ奏者ケイハン・カルホール、中国琵琶のウー・マン、スペイン・ガリシア地方伝統バグパイプのクリスティーナ・パト、そして、シリアのクラリネット奏者キナン・アズメです。

紙面の担当エディターに相談したら、「ジャパンタイムズで紹介するのだから、やはりJapanese angleが必要で、日本人メンバー2人は外せない、それに加えて映画の主要人物は良いけれど4人全員だと多すぎてまとまらないから、あと1人ぐらいかな」という返信があり・・・ここで彼は私が送った資料の中からこの記事を読んだのか、「このシリア人の話が興味深いのではないか」と推してきました。時節柄もありますね。

www.straitstimes.com

こうして、ニューヨーク在住のシリア人クラリネット奏者キナン・アズメ氏に、やはりビデオチャットでインタビューする運びになりました。

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Ensemble | Artists | Kinan Azmeh | SILKROAD

シルクロード・オフィスの紹介でご本人と連絡を取り、アポが取れたニューヨークの午後1時は日本時間午前3時。ほとんど夜明け前ですが、約束の時間が近づくにつれてドキドキ、テンションが上がります。今回は英語でインタビューということもあり、質問は事前にかなり作文しておいたものの、話の流れでとっさに聞きたいことも出てきます。自分が必死でしゃべっているところを後から録音で聞くとあまりにブロークンで落ち込みますが、キナンさんは「いい質問だね」と言って、丁寧に答えてくださる優しい人でした。彼の言葉をぜひお伝えしたいと思います。

今回の映画について

モーガン・ネヴィルは素晴らしい監督で、私は彼の大ファンです。製作チームは、何年もかけて私たちにこっそりついて回っていたようで、ごく自然にその時に感じたままを答えるという感じの撮影でした。」

「映画を通して、仲間についていろいろ知ったことは私たちにとって重要なプロセスでした。自分が映画の5人のキャラクターの1人であるのが光栄なのは言うまでもありませんが、ケイハン、ウー・マン、クリスティーナやヨーヨーの私的な場面もたくさん入っていて、そうでもなければ知らなかったであろう話を見ることができました。でも、みなさんにお伝えしたいのは、この映画だけがシルクロード・アンサンブルのすべてではないということです。もっとたくさんのメンバーがいますし、一人一人にストーリーがあるのです。」

洋の東西

1976年ダマスカスで生まれたキナンさんは6歳からクラリネットを始め、1997年にモスクワで開催されたニコライ・ルビンシュタイン・国際ユースコンクールでアラブ圏の演奏家として初めて優勝しました。2001年ニューヨークに渡りジュリアード音楽院でさらに研鑚を積み、ソリストとしてニューヨークフィルやバイエルン放送交響楽団などのオーケストラと共演するほか、 ピアノとのデュオ、Kinan Azmeh CityBand、アラブ人音楽家による室内楽、アラブ楽器とのコラボなど、多彩な活動を展開中です。

「2011年に、作曲家のデヴィッド・ブルースから『シルクロード・アンサンブルに参加しないか』というメールが来ました。もちろん断るはずがありません。それまでにも異文化交流のコラボはいろいろとやっていましたが、とにかく、ヨーヨー・マのような音楽家と共演するなんて夢のようなことです。」

シルクロード・アンサンブルは、“家族”のような音楽家たちが広がり続ける凄いグループです。オーディションのシステムはなく、メンバー同士が引きつけ合うのです。」

「(ジャンルを問わずさまざまな音楽活動をしていますが)私は音楽をミックスしているつもりはありません。あらゆる音楽を結びつける大きなarc(弧)のようなものがあると思っています。これまで人類は絶えず相互交流してきました。何か“純粋”なものがあるわけではなく、世界中のすべての音楽の伝統は異なる文化の交流の結果だと思います。それが自分の音楽活動でもシルクロード・アンサンブルでもやりたいと思っていることです。」

どちらかと言えばアラブの伝統楽器のほうが盛んだった80年代のシリアで、子どもにクラシック音楽を学ばせようと思った両親のおかげで、幼少期から西洋音楽を学んだキナンさんですが、「西洋音楽」という言葉を使いたくないと言います。

「音楽を地理的に考え始めた瞬間に失われるものが多いと思います。私はクラシック音楽を学びましたが、私にとって、それは西洋だけの作品ではありません。ブラームスモーツァルトを演奏するとき、そういう作品はすべての人類に帰属する文化遺産だと思っています。同じように、日本の伝統音楽もシリアの音楽もすべての人類に帰属する文化遺産です。」

クラリネットという楽器の可能性

「音楽をこのように考えると、楽器というのは手段にすぎず、目的ではありません。しかし、良いアーティストになるためには、次の3つが必要です。

  • 自分が言いたい何か、伝えたいアイデア
  • 言いたいことを言うための道具としての楽器。私の場合はクラリネット
  • 言いたいことを言うための道具である楽器を使いこなすスキル

自分の言いたいことがわかっていて、それを言うための道具としての楽器を使いこなせたら、どんな楽器であっても表現することはできます。」

「加えて、クラリネットは人の声に非常に似ています。少なくとも私はそう感じます。ダイナミック・レンジ(音量の差)が大きく、また、レジスターキーがあって音域が広いので、とてもフレキシブルなのです。」

即興について

今回のグラミー賞受賞アルバム「Sing Me Home」のライナーノートの中に、キナンさん作曲の「ウェディング」について、ご本人による興味深い文章がありました。

・・・この組曲では作曲とインプロヴィゼーションの境界線を曖昧にしようとしている。最高の作曲された音楽は自然発生した即興音楽のように聞こえ、最高の即興音楽は構造があり作曲されたように聞こえるものだと私は考えているのだ。・・・

どういうことなのでしょうかと尋ねてみました。

「即興はごく自然に為されるべきことだと思います。なぜなら、私たちはいつだって即興しているからです。人生は即興の連続です。今こうして話している会話だって即興でしょ?かつて即興は音楽を作る重要な要素でした。それについて考えたいと思っています。」

「私は音楽家です。私はクラリネット吹きではなく、作曲家でもなく、即興演奏家でもありません。ただ、そういったことすべてをやろうと試みる音楽家なのです。」

「(即興するには)失敗する勇気も必要だと思います。そして、脳の中の違う場所を使うんです。」

ヨーヨー・マがバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏するのを見ると、彼がそれらの曲を作曲したのではないとは、私には信じられない思いです。そして、彼が即興で弾いているのではないとも信じられません。もちろん、すべては楽譜の音符に書かれているわけですが、本当によく理解していることはその人の一部となり、まるで即興で演奏しているように見えるのです。」

シリアの難民キャンプを訪ねて

しばらく音楽談義を続けてから、意を決して(でもおずおずと)「やはり触れないわけには行かないので・・気に障る言い方があったら許してください」と今のシリアについてお聞きしてみました。

「2011年の“アラブの春”を受けて、シリア国内でも自由を求める気運が高まりました。しかし、人々に対して政府は銃弾をもって応えたのです。それから6年経って、50万人もの人々がそのために命を落とし、人口の半分が祖国を追われました。いつもそのことについて考え続けています。私がシリア人だからということだけが理由ではありません。それはシリア人だけでなく、人類すべてにとって共通の悲劇だからです。」

 「人間の悲劇を考える時、“数”ではなく一人一人の“人”で見ることが大事だと思います。シリアには2400万人の人々が暮らしていましたが、その半分に当たる1200万人近くが家を離れなければなりませんでした。これはどういうことか言うと、このことによって人生が大きく揺らいだ1200万ものストーリーがあるということなのです。」

映画の中では「状況は私が音楽で表現できることを超えており、しばらくは何も作曲できなかった」と涙をこらえるキナンさんの痛々しいシーンがありました。少しでも何かできることを・・と支援のためのチャリティコンサートをヨーロッパ、レバノン、ヨルダンなど各地で開催してきたキナンさんは、ヨルダンにあるシリア難民キャンプにも足を運びました。

「キャンプの中に入る時は緊張しました。どんなに大変な状況かわかっているからです。実際、中に入ってその状況を見るとさらに信じがたい思いでした。しかし、それと同時に、子どもたちと座って一緒に音楽を演奏していると心を揺さぶられました。子どもたちの笑い方、話し方・・・彼らは突然無理やり大人にならなければならなかった子どもたちなのです。だから、子どもたちの本当の仕事は遊ぶことだと世界の人々に思い出してもらいたいと思いました。私はそこで彼らと一緒に音楽をやりました。音楽っていいなと思ってもらえるように、ほんの少し音楽を教えたのですが、逆に自分のほうがものすごく心を動かされました。子どもたちがどんなに力強いか、そして、どんなに繊細か、とてもとても心を揺さぶられます。」

「自分のクラリネットが、銃弾を止めることができないことはわかっています。自分のクラリネットが難民の人々を家に帰らせてあげることができないこともわかっています。自分のクラリネットが空から爆弾が落ちてくるのを止めることができないこともわかっています。・・・しかし、音楽は誰かを笑顔にすることができます。音楽は誰かが前向きになれるよう、心に働きかけることができるのです。」

キナンさんの話を聞きながら、私は現地へ行けるわけでもなく、こんなことしかできなくて、それにどれほどの意味があるだろうかと思いました。その無力感を口にすると、キナンさんは「今こうやって話をしてそれを多くの人たちに伝えることはgreat jobだよ」と言いました。インタビュー相手に励ましてもらうなんておかしな話ですが、泣きそうになりながら辛うじて答えました。「ありがとう。精いっぱい書きます。」

「音楽は自由の芸術。音楽を演奏するのは自由を表現することです。だから私は音楽をやっています。それは、人々が自由を表現したいと願う多くの場合に抑圧されるということを私に思い出させます。だから、私は(自由を表現するために)音楽を演奏するのです。自由な人間であるのはとても大事なことです。なぜなら、それは人から人へ広がり、ほかの人にも自由な精神を求める気持ちを引き起こすからです。」 (続く)

 

 

ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル② 藤井はるかさんに聞く

打楽器奏者 藤井はるかさんとの出会いは昨年の10月。妹の藤井里佳さんとの打楽器デュオ うたりをご紹介した時でした。打楽器姉妹のお母様はマリンバ奏者の藤井むつ子さんです。すごいなあ・・お二人にお話を伺いながら、元・学生オケ打楽器パートだった私はひたすら感銘を受けたのでした。

www.japantimes.co.jp

東京芸大卒業後、ジュリアード音楽院でさらに学び、その後もアメリカを拠点に国際的に活躍されている藤井はるかさんが、シルクロード・アンサンブルのメンバーでもあることはこの記事でも触れています。それが次の記事につながるとは全く予想していなかったことで、ご縁というのはまことに味わい深いものですね。

サンフランシスコ在住の藤井さんにMessengerのビデオチャット機能を使ってあらためてインタビューすることになりました。

chihoyorozu.hatenablog.com

シルクロード・アンサンブルはヨーヨー・マが1998年に立ち上げた「シルクロード・プロジェクト」を母体としており、2000年7月にアメリカ・マサチューセッツのタングルウッド音楽センターに世界各国のアーティストが集まって行われたワークショップの様子は、今回のドキュメンタリー映画にも出てきます。

アンサンブルのオリジナル・メンバーは主にその時のアーティスト達ですが、固定メンバーではなく、オーディションがあるわけでもなく、新メンバーの参加はケース・バイ・ケースとのこと。「固定でない」だけに一時はメンバーが何十人もいたそうですが、数年前にコア・メンバーを明記するようになり、オフィシャルサイトにメンバーとして写真が載っているアーティストを数えてみると、ヨーヨー・マ本人を含めて21人です。

http://www.silkroadproject.org/ensemble

藤井さんの場合、2009年のアジアツアーのための打楽器奏者が一人足りない状況で、人づてに打診があったということでした。

「こんな素晴らしいチャンスはない。一度きりでいいから頑張ってやろうと思いました。本当に楽しくて、メンバーが素晴らしくて、良い仕事をさせてもらって、次にも声がかかるようになり、気がついたらオフィシャルサイト用に写真とプロフィールを提出するようにと言われました。メンバーとして認められたのかなと。」

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Ensemble | Artists | Haruka Fujii | SILKROAD

「ツアーの時は何週間も24時間一緒に過ごすので、濃い時間になります。音楽だけでなく、人として合う・合わないも含めて、一緒にやっていける人たちがおのずとメンバーとして残ってきました。」

「上下関係はなくフラットな関係を大切にしており、最終決断はヨーヨー・マが下すにしても、たとえば、『誰を呼びたいか?』などもアンサンブルのみんなが一緒にやりたい人ということで決めます。」

「さまざまな文化、キャリアを持ったメンバーが集まっています。たとえば、インドのタブラ奏者サンディープ・ダスは楽譜を読みません。そもそも、インドの伝統音楽には楽譜に書くというコンセプトがなく、彼は全部口頭で伝えるマスターなのです。彼が作った新曲をやる時は、さあ!どうする?!という感じです。」

「自分が知っている方法でなく、相手の方法でものを見た時にはどういう音なのか?どういう世界なのか?必死になって理解しようとしないと一緒に音楽を作れないという大前提があります。このアンサンブルは、“向こう側”にいる人のことをすごく知りたいという気持ちがないとできない仕事です。」

「その力というのは、音楽だけでなくて、今の情勢で、コミュニティとコミュニティ、隣の国、自分の知らない世界を理解していくcuriosity(好奇心)がすごく大事だとヨーヨー・マは言っています。」

リハーサルのたびに、コンサートのたびに、毎回毎回身をもって勉強させられると藤井さんは言います。

「自分が今までやってきたことよりも、アンサンブルの中で次の新しい自分を見つけることが大事、と(タブラ奏者の)サンディープは言いました。私は西洋クラシック音楽の打楽器を学んできましたが、高名なタブラ奏者の隣で太鼓一つもって、ソロで『ハイ即興ね!』と言われた時はとても困りました。それは今まで私がトレーニングしてきたことではないし、何かウソをついているようで、借り物のドレスを着て演奏しなければならない違和感というか、恐怖感がありました。」

「でも、やらなきゃいけないわけですから、何か用意していき、やっぱり全然ダメだったということもいっぱいありますが、このアンサンブルは何らかの形で信頼してくれる、絶対に変なことはしないという信頼感をもって、気長に見守ってくれるのです。間違えてもいいんだからと。」

「それにワールドミュージックは即興ばかりではありません。逆に作曲家が書いた曲をオーケストラのように演奏する場合は、サンディープが大変!お手上げです。そういう時は逆に私たちが教えてあげる、というギブ・アンド・テイクの関係。お互いが知らないことを教えつつやっていくという感じですね。」

シルクロード・アンサンブルが今回グラミー賞を受賞したアルバム「Sing Me Home」の中に、藤井さんが書いた「シンガシ・ソング」が収められています。藤井さんが「子ども時代の大半を過ごした川越の新河岸川の近くに住んでいた祖父母のために書いた」というこの曲は、日本の2つの民謡の対話の形になっています。おじいちゃんが生まれた北海道の漁師の歌「江差追分」とおばあちゃんが好きだった「毬と殿さま」。

冒頭、梅崎康二郎さんの尺八とゲスト奏者ワタナベカオルさんの和太鼓が印象的。ウー・トンさんの中国笙の音も聴こえます。昔NHKでやっていた「新日本紀行」のテーマを思い出させる懐かしい響き。日本の北端における過酷な生活を歌った「江差追分」の哀愁のこぶしのきいた節回しがゆったりと奏でられます。

〽カモぉ~メぇ~のぉ~なくぅ~音ぇ~に~ぃ~
ふと~目ぇ~~を~~~~ 覚ま~ぁぁ~し~ぃ~  
あれぇ~~がぁ~~~蝦夷ぉ~地~ぃ~~のぉ~~~~
山~かぁ~いぃ~~~~な~ぁ~~~

川の流れのようなタブラの独特な響きとリズムが入って軽やかになり、ヨーヨー・マのチェロが渋いソロを聴かせたかと思ったら、やがて「てんてんてんまり てん手まり」という「毬と殿さま」が楽しげに始まり、そこに再び江差追分が絡み合います。さまざまな打楽器も加わって祭囃子のように盛り上がりますが、その底で轟き続けるのは和太鼓の響き。日本人の血が騒ぎます。

「アンサンブル向けのこのアレンジに辿り着くまでに、川の流れのように様々な様式を経てきた。」と藤井さんがライナーノートに書いています。

父も母も戦時中の外地生まれの引揚組で高度経済成長期のニュータウンに生まれた私は、「ニッポンのふるさと」に懐かしさというより一種のコンプレックスに近い憧れを抱いています。幻想かもしれないけれど、数代遡れば確実に日本のどこかの田舎にいたはずのご先祖様に思いを馳せます。

全国でますます過疎化が進み、失われつつある大切な文化遺産である日本の民謡のメロディとリズムが、世界の多様な文化的背景を持ったミュージシャンたちによって新しく命を吹き込まれ、今の私たちや次の世代が共に楽しむことができるのは素晴らしいことだと思いました。(続く)

 

 

 

 

 

 

ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル① グラミー賞の快挙

世界的チェリストの一人ヨーヨー・マは5歳でデビューし、グラミー賞だけでも既に18回も受賞しているそうですが、彼が立ち上げ、2000年から世界各国へのツアーを続けてきたシルクロード・アンサンブルのグラミー賞受賞は初めてのこと。

・・・ということを迂闊にも私は知らずにいました。やはりアデルとビヨンセの歌姫対決に注目が集まり、日本人としてはピアニストの内田光子さんがクラシック部門で受賞したことが話題になったほかは、あまりにもたくさんあるグラミー賞の各部門のことまでなかなかフォローできません。

さまざまな歴史的、文化的、政治的背景を背負ったメンバーたちが集まるシルクロード・アンサンブルの「Sing Me Home」がグラミー賞のベスト・ワールド・ミュージック・アルバムを受賞した快挙は、トランプ大統領による入国制限命令とその差し止め請求が騒がれるこのご時世にあって、とくに意義深く感じられます。そして、アンサンブルのメンバーには日本人も二人いるのです。

2月半ばにサンフランシスコ在住の打楽器奏者 藤井はるかさんからメールが届きました。2月12日のグラミー賞の興奮さめやらぬ文面には、ちょうどこの3月4日からシルクロード・アンサンブルの活動や各国から集まった何人かのメンバーに焦点をあてたドキュメンタリー映画「The Music of Strangers」(日本題:ヨーヨー・マと旅するシルクロード)が日本公開になると書かれています。

映画「ヨーヨーマと旅するシルクロード」オフィシャルサイト

これは・・・! ぜひ伝えたい!!という気持ちが通じたのか、3月3日(金)付の絶妙のタイミングで記事を掲載してもらうことができました。

www.japantimes.co.jp

今回の記事を書くきっかけをくださった藤井さん、そして、藤井さんとの出会いにつながったこれまでのすべての皆様のご縁の連なりにもこの場をお借りして感謝申し上げます。

もちろん無条件に決まったわけではなく、担当のエディターに提案したときには「ヨーヨー・マのコメントがもらえるなら」という返事でした。ほかにも、次のように聞かれました。

  • 藤井はるか氏はグラミー賞当日、会場にいたのか?
  • ほかのメンバーにも何人かインタビューできるか?

あまたのトピックの中から紙面スペースとタイミングによって何を載せるか決めるのは担当エディターの仕事であり、文化面であっても、どういうものがニュースとして記事化されるのかを裏側から見るのはなかなか興味深いところです。エディターが出した条件をクリアーすべく動いてくださったシルクロード・アンサンブル・オフィスをはじめ関係者のみなさまのご協力に重ねて御礼申し上げます。

先方はみなアメリカにいるのでメールは当然のことながら、イマドキのネット環境とテクノロジーの恩恵を今回はとくに強く感じました。

日本公開前の映画「The Music of Strangers」を事前に観るために、以前のように大急ぎでアメリカからDVDを送ってもらうとか、間に合わないから日本の配給会社に連絡するとかの必要はなく、ストリーミングのURLを期間限定でシェアしてもらう形でPCで観せてもらいました。

インタビューも、さすがにヨーヨー・マはメールでの回答(事務所を通して)となりましたが、ほかのメンバーは、せっかくなら電話インタビューということになり、どうせなら顔を見ながらにしましょうと、今回はFacebookのMessengerのビデオチャット機能を使ってみました。ニューヨークの午後1時は東京の午前3時(!)という時差はちょっと大変ですが、お互い自宅にいながらにして、iPhone越しに笑顔を見ながら話していると、そこにいらっしゃるようで普通のインタビューとそんなに変わりません。不思議な感覚でした。音声もばっちり。まあ、テレビ会議などが普通に行われているのだから当たり前と言えば当たり前ですが、便利な世の中です。物理的に移動する必要があるのはどういう場合なのか、これからますます限られていくのかもしれません。

大きな記事になったとは言っても、雑誌の特集のようなわけにはいかず、限られたスペースに盛り込めるのはたくさんの話の中のごく一部。そこからこぼれ落ちた貴重な言葉もここにまとめておきたいと思います。

まずは、ミーハーなエディターの求めに応じて、打楽器奏者 藤井はるかさんが語ったグラミー賞現地レポート。藤井さんのほかに7人のメンバーが授賞式に出席しました。

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・・・グラミー賞は、テレビで生中継されるメイン部門の授賞式はステイプルズ・センターで行われますが、その前に隣のマイクロソフト シアターでほかの部門の授賞式があります。レッドカーペット歩いちゃいました。目がどこ見ていいかわからないぐらい、みんなすんごいお洒落してて、テレビ見てるみたいでした。アメリカのメジャーなミュージック・マーケットというのはこういうものかと思いました。シルクロード・アンサンブルの名前が読み上げられてみんなで受賞台に乗った瞬間はなかなかの感動でした。トロフィーをもらってステージで代表がスピーチしている間はそれこそ夢のようでした。「取っちゃったよー!」っていう感じ。そのあとは、写真撮影やらインタビューやらであちこち回り、外のレッドカーペットでインタビューを受けている時にうしろをアデルが通っていきました。

ワールドミュージックのカテゴリーでも歴代の重鎮がノミネートされる中でシルクロード・アンサンブルが受賞したのは驚きでした。自分たちのふるさとの作品を集めたアルバムを作ろうというのは、何年も前から上がっていた企画で、アメリカがこういう状況になるとは予測しない中でしたが、ああいう形で日の目を見るというのは素晴らしいタイミングで時勢に乗ったと思います。・・・(続く)

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ピアノ連弾の喜び

「ピアニストが二人いたら連弾ができるというものではない。」

公開ゲネプロの途中でピアニストの田崎悦子さんは語った。今回のゲストであるピアノデュオ ドゥオールの藤井隆史さんと白水芳枝さんから聞いた「忘れられない言葉」だという。「私もその仲間に入れてもらいたいと思います」という田崎さんは相変わらず若々しくチャーミングだ。公の場で連弾を披露するのは今回が初めてとのこと。

田崎悦子さんのピアノを初めて聴いたときの感動は忘れられない。

田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の遺言」: 井内千穂のうたかた備忘録

田崎さんのピアノがまた聴けるとあらば万難を排して馳せ参じるというもの。しかも、あの田崎さんが連弾!ということにも興味をそそられた。3月17日にカワイ表参道で開催されたJoy of Chamber Musicを公開ゲネプロから聴きに行った。

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毎回錚々たるヴァイオリニスト、チェリストパーカッショニストなど、トップ・アーティストをゲストに迎え、若い学生たちとピアノ室内楽を楽しく学び、指導し、演奏してきたというこのシリーズ、以前の会も聴きたかったものだ。初めて伺うこの10回目は、シリーズ初のピアノ連弾企画。そうか。連弾はピアノの室内楽なのである。

ちょっとだけ調べてみると、19世紀に入って台頭してきた新しい市民層の財力と余暇の一部は、コンサート・劇場・教会などで音楽を聴くことに向けられた一方で、アマチュア音楽家として「習い事」などの実践も盛んに行なわれるようになった。その中で多くの人々が関心をもって参加したのが、コーラスや家庭でのピアノ音楽だったという。そしてピアノによる一番簡単な室内楽として「連弾」が流行ったそうだ。

幾多のオリジナル連弾曲が作曲され出版されたほか、オーケストラ曲をコンサートホール以外で自分の好きなときに楽しむ手段として、有名なオーケストラ曲のピアノ連弾用編曲版も出版された。そういう楽しみ方は、放送や録音でオーケストラ曲をいくらでも聴けるようになってからは廃れていたが、最も少ない人数でスケール感のある合奏が楽しめるということで、最近徐々に連弾が復活しつつあるようだ。そう言えば、今年に入ってから既に2回、ピアノ連弾中心のコンサートを聴いた。

確かに、連弾は楽しそうだ。ピアノにつきまとう孤独のイメージの反動でもあるかのように、連弾する人々の間で醸し出される親密な空気には他の室内楽を凌ぐものがある。なにしろ、1台のピアノに並んで弾く二人は、弦楽カルテットなどのそれなりの距離感とは比べものにならないほど、ぴったり寄り添っているのだ。見ているほうがドキドキする。

 この日のプログラムで言えば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」や、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」は、ドゥオールのお二人やその弟子筋の学生さんたちによって演奏されたが、フランス音楽の微妙な音の重なり具合を探る無言のやり取りがなんとも濃密だった。隣り合って座る二人がピアノに覆いかぶさり、顔を寄せ、アイコンタクトやちょっとしたジェスチャーで互いの手を鍵盤に置くタイミングを計り、左側で低音部を受け持つ奏者が細かいペダルさばきを調整する。二人の人間が一つの楽器を共にする一心同体みたいなアンサンブルである連弾とはこういうことかと感じ入った。連弾に特化した活動を中心にしていく場合、ソロの曲への向き合い方はどのようになるのだろうか?

対照的だったのは、ケラー編曲によるブラームスの「大学祝典序曲」。ピアノ2台8手連弾版があるとは知らなかった。ついこのあいだオーケストラで聴いたばかりなので、ピアノ版がなおのこと新鮮だった。やはり、オ―ケストラの全ての楽器を四人で分担して指揮者もなしに合わせようとすることには無理があり、若干ガチャガチャした印象は否めない。微妙な響きがどう、というよりはタイミングを合わせることが肝心で、田崎さんや学生さんも含めた四人の奏者のアクロバティックな掛け合いを見守る緊張感あふれるセッションであった。

そこへいくと、シューベルトの「人生の嵐」は、元々ピアノ連弾のために作曲されただけあって、二人の奏者によって1台のピアノの可能性が存分に引き出される素晴らしい曲だった。田崎さんがリサイタル「三大作曲家の遺言」シリーズで演奏されたシューベルト晩年の3つのソナタと同じく最晩年の1928年に作曲され、シューベルトはその年の11月に亡くなってしまう。「人生の嵐」というタイトルは死後に出版社が勝手につけたようだが、「嵐」というよりは、生に執着する最後の抵抗を試みながら、心はもう死後の別次元の世界に向かっていくような音楽に感じられる。

冒頭から繰り返し現れるジャジャジャーンという和音のフォルテシモから中間部の厳かなピアニシモまで(いや、もう1つずつフォルテやピアノがついているかもしれない)、ピアノは実に音量の幅が広い。とくに静かな部分がよかった。セコンドの藤井さんが静かに鳴らす死へと向かう葬送の列のような厳かな低音に乗せて、プリモの田崎さんが繊細に響かせる旋律と和音は、戦いに斃れた騎士の世界か、教会の宗教画のような趣き。ここが琴線に触れ不思議な既視感(既聴感か?)がかき立てられるのは、どういう文化的刷り込みかと訝しむが、とにかく美しい。

プログラムの最後は、リストの交響詩第3番「前奏曲」。これも元々はオーケストラの曲だが、リスト自身の編曲による2台4手連弾バージョンを初めて聴いた。

連弾でもピアノが2台になると、2人のピアニストが密着せず距離があるだけに、違った協力関係になるようだ。第1ピアノ、第2ピアノそれぞれの奏者が自分の楽器の上を縦横無尽に腕を振るいながら、絶妙なコミュニケーションを取りつつ同じ音域も含めて音を重ねるピアノ2台分の響きは実に豊かなものだった。元がピアノ協奏曲ではないから、ソリスト部分とオケの部分という分け方ではない。オーケストラの各声部をどのように二人で分担しているのか、実際に楽譜を見てみたいものだ。

冒頭のちょっと不気味な主題は、ピアノで弾くと弦楽器とはまた違った味わいがある。ホルンが深々と歌う愛の主題、トランペットのファンファーレ、オケ全体が嵐のようにうねる激動の音響、ポロンポロンというハープに乗せて弦楽器が奏でる癒やしの旋律、田園風景の中に代わる代わる聴こえてくるオーボエクラリネット、フルートの響きから、打楽器も炸裂する華々しいフィナーレまで、次々に変容する曲想に応じて、オーケストラの楽器をそのまま真似るわけではないけれど、さまざまな音色を弾き分けられるのは、さすがピアノならではの表現力である。木管楽器のさえずりは高音部のトリルなどで表現され、クライマックスへと盛り上げるコントラバスは低音部のオクターブで重厚に打ち鳴らされる。

田崎さんと白水さんが繰り出す高速の音階とめくるめくアルペジオの怒濤に押し流されながら、要所要所でポーンと際立つ和音の響きに酔いしれる。ズーンという低音の圧力も、キラキラと硬質な高音のアタックも、ピアノの音色には鍵盤楽器、いや、打楽器ならではのキレがあり、二人がかりで2台のピアノの両端まで使って叩きだす和音は圧巻の迫力である。

この曲の勇壮な部分が、かつてナチス時代のニュース映画にも使われたのもわかる気はするが、「人生は死への前奏曲」という詩に基づくリストの人生観だと改めて聞くと、もっと切なく胸に迫る音楽である。

「小学生の頃に聴いて胸がキュンとなって以来大好きなこの曲のピアノ連弾版があることを知り、指揮者になったような気持ちで弾くことができるのは大きな喜び」と田崎さんは語った。喜びに満ちた演奏のスケール感からは、ふと大編成のオーケストラを相手にソリストとして輝かしい演奏を聴かせた往年の田崎さんの姿も垣間見えるようだった。

1960年に渡米し、ジュリアード音楽院卒業後もニューヨークを拠点に30年間、国際的に演奏活動を展開された田崎さん。若い頃、マールボロ音楽祭でカザルスやゼルキン等の巨匠から薫陶を受けたことを前回の取材の折にも語ってくださった。

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そのマールボロ音楽祭での貴重な経験を次の世代に伝えたいという思いで、このJoy of Chamber Musicシリーズを始められたという。これほどのキャリアを持ちながら、連弾という「新しいこと」に真剣、かつ、喜々としてチャレンジする田崎さんのパッションは、若手アーティスト達への愛の発破であり、居合わせた聴衆にも音楽の喜びをトータルで伝えてくれた。

単独でも成り立つピアニスト同士が敢えて一緒に弾く形に私は意味深いものを感じた。もちろん、単独で成り立つことも難しい。また、ドゥオールのお二人が言う通り、ピアニストが二人いたら連弾ができるというものではなく、互いへの理解と尊敬が欠かせないのだろう。

他の楽器の伴奏にもなれば、大オーケストラをバックにソリストにもなる。そして、あの「三大作曲家の遺作」シリーズのような究極の孤独に一人で向き合う。そんなピアノは、人間の様々な内面を映し出す奥の深い楽器だと改めて思う。

孤独だからこそ人と力を合わせる喜びがあり、死への前奏曲だからこそ人生は愛おしい。

 

 

 

再見「3.10 10万人のことば」

2011年から6年が経過し記憶の風化も指摘されるが、それでも、3.11の大震災の体験は同時代の出来事として共有されている。

その前日、3月10日には東京大空襲があった。1945年のことである。

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毎年3月10日に合わせて、東京大空襲を現代に伝えるアートパフォーマンスを行なっているダンサーの鈴木一琥さんとアーティストのカワチキララさんを取材したのは、今から8年前の2009年。

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3.10 10万人のことば: 井内千穂のうたかた備忘録

その時お二人にインタビューさせてもらった浅草の土蔵の2階は、薄暗い板の間が不思議に親密な空間だった。舞踊にサウンドアートという前衛的な趣きに「すごく変わった人たちだったらどうしよう」と若干構えて向かったのだが、実際にお会いしてみると誠実で率直な対話が心地よく、予定時間を大幅に超えて話し込んだのを思い出す。素敵なカップル・・と思っていたらいつの間にか夫婦になられ、可愛い女の子も生まれ・・時が経つのは早い。

久々だったが、浅草の土蔵は全く変わらない。それこそ幕末から変わっていないのだろう。しかし、表からはそこに土蔵があることはわからない。江戸通りに面した入口はギャラリー・エフ。入るとレトロなカフェである。

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土蔵を守るために丸ごと覆うように建物が作られて1997年にこういう形になり、アートスペースとして利用されている。土蔵自体は慶応4年(1868年)に建てられて以来、1923年の関東大震災にもびくともせず、1945年の東京大空襲でも直撃弾を免れ、焼け野原にぽつんと建っている写真が現在に残る。そして今日まで力強くそこに建ち続けているのだ。

カフェスペースの奥に土蔵の入口がある。

鈴木さんとカワチさんはこの土蔵で2005年から絶えることなく毎年3.10の公演を重ねてこられ、今年で実に13回目を数える。

http://www.gallery-ef.com/gallery.htm

「すべてはあの夜 永遠に失われた人々の声へと手を伸ばし続けるため、鈴木一琥とカワチキララは『3.10 10万人のことば』という作品に13年間取り組んでいます。会場である江戸末期築のこの土蔵もまた、その時の流れを見つめ続けています。」(プログラムより)

昔書いた記事を読み返すと、「60年以上も前のことを私たち自身に起きた出来事としてどうやって理解し実感することができるだろうか?」という問いの答えを探していると鈴木さんは語っていた。その時点で60年以上前。今から数えると、東京大空襲は72年前のことになる。

また、カワチさんの言葉もある。

「死者の声をどうやって聞くことができるだろうかと思いましたが、話を伺った生存者は、生と死の境目はごくわずかな違いだったと言います。ですから、生存者の方々の言葉を繰り返し繰り返し聞いていると、それが犠牲となられた10万人の方々の声のように感じられるのです。」

今年、彼らの公演をもう一度ぜひ観たいと思ったのは、「言葉」を使わない生身の肉体による表現に再び触れたい、あるいは、「言葉」の違った使い方について再び考えたいと思ったからだ。

土蔵の中。まずは漆黒の闇。これは「異次元」への移行のために外せない儀式である。目をカッと見開いても全く何も見えない。ブラックホールに放り込まれたような不安に襲われる。そこへスーッと浮かび上がる身体は、人間の肉体というより阿修羅か仁王の彫像のようだ。そこに東京大空襲を体験した人たちの声が重なる。カワチさんがインタビューした証言を編集したサウンドアートである。

同じく「言葉」を扱うにしても、耳から入る音声言語の断片は、文字を並べて筋道立てた文章とは随分違う。その声の主の雰囲気や感情がそこはかとなく伝ってくるし、もともと人の言葉はそんなに理路整然とはしていないことに改めて気づかされる。対話の中で思いつくまま、ふと真実のひと言が漏らされ、そこをカワチさんが切り取っているのだ。文字で書かれた論理的な文章を読むことばかりに慣れすぎると、話し言葉に本来備わっている聴覚的要素や、言葉に宿る感情がこぼれ落ちるのではないだろうか。

その日小学生や中学生として、ザ――ッザ――ッという焼夷弾攻撃の中を逃げまどい、翌日おびただしい死体が折り重なる地獄を見た体験を「あまりにもたくさん見ると人間って慣れちゃうんですよね」と語る生存者たちの声は重いのに淡々としている。戦後を生き抜いて高齢になられ、カワチさんがインタビューした中にも既に亡くなられた方もいるそうだ。誰しもいずれこの世を去るとは言え、一夜にして10万もの人々の命が失われたとは・・

空襲の恐怖を伝える激しい動きを経て、死者たちへの鎮魂の舞い。足で床を強く踏み鳴らすのも儀式なのか。舞踊の根源を探求しているという鈴木さんの身体の動きは、言葉が現在のような形に発達する以前の遠い遠い昔の祖先が、仲間と通じ合うために身体を使ったであろう「太古のコミュニケーション」のようにも感じられる。もちろん、人間にとって言葉は重要に違いないけれど、全身からほとばしる玉の汗と苦悶にゆがんだような顔から伝わる感情や精神はなかなか言葉にはならない。古来、儀式の重要な部分は沈黙のうちに行われる。

今年の公演に先立つ東京新聞の記事には「なぜ今この公演をやるのか、社会の背景も変わるので毎年考えている」という鈴木さんの言葉が紹介されていた。今年は、戦時下の「言いたいことが何も言えなかった雰囲気」を感じさせる証言を初めて取り入れたという。

「洗脳されていました。」「軍国少女でした。・・・私が兄を殺したようなものです。」「教育」・・・そんな言葉の断片が後半に流れてきた。

今年初めてというこの最後の部分の舞踊で鈴木さんの身体から感じられたのは、「無念」と「怒り」であった。生存者たちも死者たちも、その時代に否応なく翻弄され、心まで染まりきっていた自身と周囲の生死の報いに対して、自責の念に苛まれている。怒っている。どうにかすることはできたのか? しかし、「それが正しい」と洗脳されていたのだとしたら? 小学生の女の子だった。中学生の少年だった。

それでも結果はみずからにふりかかるのだ。

 

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蝶々夫人は死なず

蝶々夫人」は決して好きなオペラではなく、観るたびに何とも言えずモヤモヤした気持ちになるのに、つい、また観たくなるのはなぜだろう?

最初に観たのは15年ぐらい前だったか、ベルリンに住んでいた頃のシュターツオパー(ベルリン州立歌劇場)。この時の主役が誰だったのか全く覚えていないが、聴かせどころで高音が出なくてがっかりした上、着物が変、所作が変(両手を胸の前で合わせてお辞儀とか)、ラストシーンが変(子役は使わず、のっぺらぼうの人形を抱いて最期のアリアを歌ってから自刃)・・現地で素晴らしいオペラもいろいろ観たが、これは・・・ヨーロッパ人が日本を描くとこうなってしまうのかと愕然としたことだけが印象に残っている。

なので、日本で日本人の演出家による上演ならば、こと「蝶々夫人」に関しては極端に変なことがないだけでも安心して見られるのだが、前回2014年に新国立劇場で観た栗山民也さん演出の公演は、舞台の美しさには感銘を受けたものの主役のソプラノが外国人で所作がやっぱり変だった。しょうがないのかもしれない。

そういう意味では今年2月の新国立劇場公演は、これまでの定番の栗山演出でも久々に日本人ヒロインによる「蝶々夫人」ということで期待して臨む。

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主役の安藤赴美子さんは日本美を体現し「ある晴れた日に」をはじめ歌唱も素晴らしく、かなり共感できるヒロインだった。第2幕でピンカートンを乗せたリンカーン号がついに日本に戻ってきたのを見つけて「ほら!やっぱり帰ってきたでしょ!!」と歓喜する場面では切なくて思わず涙。

それでもモヤモヤするのは、そもそもこのストーリー自体に納得が行かないからだと思い到った。なにしろ子どもの目の前で自害という最期、しかも仰向けに倒れた瞬間に稲光のように舞台が明るくなって暗転という幕切れ。えーっ!?それはないでしょう!!全般にとても美しい栗山民也さんの演出も、ラストシーンは私には興ざめだった。

日本人のヒロインだからって「ハラキリ」ではないけど、自刃させるっていうのはあんまりではないか・・・「ラ・ボエーム」のミミが若くして病死する哀れには感情移入できるし、自殺であってもトスカのように「スカルピア、地獄で!」と叫んで飛び降りる壮絶な最期はあっぱれとも言えるが、「アメリカ人に捨てられ絶望して自殺する日本女性」という設定でイタリア人がオペラを作るのはどうなんだ?台本やプッチーニに対して文句を言いたくなってしまう。ヨーロッパ人の異国情緒と奇異の眼差しという時代状況の産物だったとしか思えない。当時「蝶々夫人」の芝居も原作もあったそうだから。

オペラの冒頭から最後まで、舞台の奥ではためいている星条旗。その残像が劇場を出てからもいつまでも消えなくて苛立つ。どうもモヤモヤが続いていたところ、別バージョンの「蝶々夫人」があるというので観に行くことにした。

 

俳優・演出家の笈田ヨシさんによる新演出ということで話題になっており、金沢、大阪、高崎、東京と4か所の巡回公演。その最終日の2月19日(日)、東京芸術劇場に再び「蝶々夫人」を観に行った。何に駆り立てられてか、気に入らないストーリーがどのように描かれるのかを確かめずにはいられない。

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その日のヒロイン中嶋彰子さんもなかなか素晴らしかった。新国立劇場の安藤赴美子さんは初々しい可憐さが前面に出ていたのに対し、中嶋彰子さん演じる蝶々さんは、おのずと大人の色気が漂い15歳の少女というにはちょっとなぁ…まぁゲイシャさんだし、そういうこともあろうか。いちばん盛り上がったのは第1幕の長大な愛の二重唱だった。いやいや、途中でピンカートンが蝶々さんを“お姫さま抱っこ”して(屈強か!)双方きわめて歌いにくそうな態勢でも熱唱が続いたかと思うと、やがて畳に敷かれた布団に寝そべった彼がシャツを脱ぎ出すというリアルなラブシーンがかなり濃厚な演出だった。ある意味、こういう幸せの絶頂を味わったのであれば翌日死んでも本望かも知れない。

ちょっと残念だったのは音響のバランス。オーケストラのボリュームが大きくなると歌手陣の声が聴こえにくくなるのは、ピットのないコンサートホールでは仕方のないことなのか、単に指揮者の問題なのか、座席の場所によって違うのか、わからない。

ざっくり言うと、新国立劇場版は「不可避の悲劇」をあくまでも美しく描こうとしているのに対し、東京芸術劇場版は、このような設定の中でもできるだけリアリティを追求しようとしているように感じられた。ピンカートンが去った後の第2幕では、経済的に困窮している蝶々さんも女中のスズキも粗末なモンペ姿で登場するので一瞬ぎょっとするが、確かにおカネに困っているのに綺麗な着物を着ているのは不自然だったとも言える(東北発祥だというモンペがいつごろ長崎まで普及したのかという時代考証はともかく)。

同じ台本に同じ音楽だし、大きな読み替えはないものの、演出の違いというのは面白いものだ。星条旗というアメリカの象徴にしても、東京芸術劇場の舞台では家の一角に掲揚されているのが、決して美しくないが妙にリアルに感じられた。あるある。こうやって国旗を飾るというインテリア(大使館とか)。それを終盤で蝶々さんが引き抜いて踏みつける。うーん、蝶々さんはそんなに強かったのか!? 

果たして、この演出では蝶々さんは本当に強かったのである。

自刃するかというラスト、かつて切腹した父の形見の短刀を取り出して、われとわが胸に突き立てようというところで舞台は暗転。自刃のシーンなし!

そう!蝶々さんは決してここで死なないのだ。アメリカ男を信じきって頼りきっていた揚げ句の果てにこうなってしまったのは半分は自業自得。死のうと思うほどの苦しみから何としても立ち直ってほしい。なんなら子どもを引き渡すのを断固拒否するのはどうだ?さっき二度とやりたくないと歌っていた芸者稼業をもう一度やってみるか、ほかの仕事だってできるのではないか?絶縁された親類縁者にもう一度頭を下げてみてはどうだろう?無理だろうか?それでは母子でさすらいの旅に出るか? 猛烈に応援したくなる。蝶々さん!生きるのだ!

あるいは、我が子のためを思って泣く泣く引き渡した後、まだ長崎に滞在しているピンカートン邸へ忍んで行っては物陰から息子の顔を見るという話だったらもらい泣きしそうだなあ・・・そして、ある晴れた日に、離任するピンカートン一家が出帆する時には水平線の彼方にリンカーン号が見えなくなるまで丘の上から手を振って見送るのだ。ああ私の坊やが異人に連れられてアメリカへ行ってしまう・・・その後、何年もかけて別人のように実力をつけてからはるばるアメリカまで息子を訪ねて行くとか、逆に成長した息子が母を訪ねて何千里、はるばる日本に戻ってくるとか・・・その後どうなったかの妄想が果てしなく膨らむ。その場で自害するよりもっと様々な可能性があるはず。

実際、「蝶々夫人」の続編の試みは過去にもあるようだ。

ジュニア・バタフライ

「蝶々夫人」その後… - 歴史〜とはずがたり〜

どちらも筋書きがイマイチだが(すみません!)、それでも人生は続く。

驚いたことに「蝶々夫人」は今もなお世界的にも人気演目として2015-2016シーズンの上演回数で堂々の第6位、トップ10にランクインしている。

operabase.com

世界各国で一年間でトータル2641回も上演され、「アメリカ人の遊びの結婚に騙されてひたすら待ち続ける上、求めに応じて子どもを引き渡し死を遂げる誇り高い(都合の良い)日本女性」というイメージが繰り返し愛でられるているかと思うといたたまれない。冗談じゃない!

ただ、今や「蝶々夫人」を単なる「日本を舞台にした物語」だと思う時代は終わったそうで、「勝った国と負けた国、富める国と貧しい国の存在するところで生きる人々の運命を語るための大きな器となりつつある」と言う(全国共同制作プロジェクトMADAMA BUTTERFLYプログラムより)。「ソ連崩壊後にアメリカ人のもとで低賃金労働者として働いたロシア人たちの物語」という演出もあるとか。へーえ!そうなの!?それではもはや、プッチーニの日本情緒とは別の世界になると思うけれど、そういう普遍性を持った物語にもなりうるとは、これまた驚きだ。

ともあれ今回は、元の設定に基本的には忠実でありながら、不屈の蝶々さんの可能性を示唆した笈田ヨシ新演出に、これまでのモヤモヤから救われる思いだった。

蝶々さんよ永遠なれ。