よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

サントリーホール前でライブビューイング

そろそろ芸術の秋。サントリーホールアークヒルズ25周年の2011年にスタートし、今年で8回目を迎えるという「ARK Hills Music Week」に初めて行ってみた。

 

5月の記者会見で今年からの新企画「ARKクラシックス」を知り、ピアニスト辻井伸行とヴァイオリ二スト三浦文彰の二人をアーティスティック・リーダーに迎えるプログラムがアーク・カラヤン広場でライブビューイングも開催されるという話に心惹かれていた。だいぶ先のことだと思っているうちにもう10月だ。ふと空いていた金曜日の夜、前夜祭に寄ってみることにした。

 

ライブビューイングの良さは、まず気軽に音楽を楽しめること。あいにくの雨模様で空席が目立ったが、それでもベビーカーを連ねて座っている若いママたちがいて、可愛いチビちゃんたちが前をちょろちょろしながら時折スクリーンを眺めたりもする。こんなに小さい頃からサントリーホールのコンサートに触れられるなんていいなあ。とにかく目にしたり耳にしたりするきっかけがあって、しかも、じっとしてなさい、静かにしてなさいと言われない場であれば、きっと音楽が好きになる!・・肌寒かったし長丁場だったので、その親子連れ二組は途中で帰ったけれど、自分の状況に合わせて自由に出入りできるのも無料コンサートの良さである。

 

サントリーホールの中で生で聴く音が素晴らしいのは当然だが、スピーカーの音も最近はなかなか精度が上がり、音響があまり良くない会場で聴く演奏や、音響の良いホールで聴くさほど良くない演奏よりは、はるかに良かった。

 

そして、大画面の迫力。これは、METライブビューイングでも感じることだが、コンサートホールやオペラハウスの座席からは到底見えない舞台上の詳細がクローズアップで見えるのだ。時折ピアノの手元に寄るカメラワークは、ピアニストたちの手を巨大に見せてくれた。プログラム冒頭に登場したアイスランドのピアニスト ヴィキングル・オラフソンの左手の薬指の指輪までしっかり見える。パワフルで正確なバッハとベートーヴェン喝采を浴びたオラフソンの正統派のフォームと、後半に登場してやわらかいドビュッシーを聴かせた辻井伸行の鍵盤上に手を平らに置くフォームが随分違っていて面白い。

 

顔もどアップだ。演奏中の三浦文彰は目が据わってて鬼気迫る厳しい表情だが、それが時折ふと和らいでクァルテットの仲間たちとアイコンタクトを取る様や、そこでズンと音が重なり合う響きに室内楽の醍醐味を感じる。それぞれの奏者が自分の聴かせどころになるとどんなに眉間に皺を寄せて感情込めて弾くかなどなど、見ていて飽きることなく、4人の熱いやりとりに視覚的にも巻き込まれていく。久々に聴いたドボルザーク弦楽四重奏アメリカ」は実に素晴らしい演奏だった。

 

ラストは辻井伸行三浦文彰のデュオによるフランクのヴァイオリンソナタ。この難曲を二人で一緒に奏でようという気迫と信頼関係がひしひしと伝わってくる。高速で疾走する演奏ではなく、一つ一つ噛みしめて踏みしめて進行するようなテンポ感で、やがて終楽章の冒頭、ヴァイオリンとピアノの掛け合いが何とも言えず温かくて、こういう曲だったんだと胸が熱くなる。一人で弾くのもオーケストラをバックにソリストとして演奏するのも素晴らしいけれど、二人の音楽家がこんな風に力を合わせられる美しさに心を打たれた。

 

その一部始終を臨場感溢れる大画面で共有できるのはなんと贅沢なことだろう。薄着で出かけてしまい結構寒かったが、心は温まって、会場を後にした。

 

このような特別なイベントの時だけでなく、日頃から時々ライブビューイングをやってもらえないものだろうか。ホール内で聴いている人にとっても別に減るわけではないし。高額なチケットを買おうとまでは思わないけれど聴いてみたい人たち、一部分だけでいいからちょっと聴いて帰る人たち、堅苦しいのは疲れるけれど外で気軽に一杯やりながら聴けるなら試しに聴いてみようという人たちもいるのではなかろうか。意外とよかったから次はホールで聴こうと思うかもしれない。無料でなくてもワンコイン、または1000円ぐらいでどうだろう?それも今日のサントリーホールでやっていたほどのクオリティの演奏であれば、その素晴らしさはきっとスクリーンからでも伝わる。

 

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しぶとい金木犀

地震、豪雨、台風、また地震、また台風と災害続きだったこの夏。その中では比較的平穏だった東京だが、猛暑の中の引越しはキツかった。既に会社員ではなくなったので、毎日の通勤地獄やフルタイム勤務はないものの、平日休日関係なく締め切りに追われるこまごまとした書き物仕事を続けながら、引越し荷物と大量のゴミと格闘するだけで気力体力を使い果たし、今年の夏は過ぎ去った。

9月も終わりに近づき急に気温が下がった頃、表でほのかに花の香りがした。

え?金木犀?早いな・・・

それに、金木犀がほのかな香りというのは妙な感じ・・・金木犀と言えば、もっとクセのある芳香剤のような強い香りではなかったか。昔は嫌いだった。

ほかの花だろうか?

訝しみながら歩いていると、近所で例のオレンジ色の小花をつけた木に出くわした。

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今年はもう金木犀が咲いている!なんと早いこと。よく見るとほら、そこにも、ここにも、しょっちゅう買い物に行く近所のスーパーの入り口脇にも。そのこんもりした木は、実は金木犀だった。オレンジ色の小花をつけるまでわからないとは、相変わらずの植物音痴だな・・・

やはり、あのほのかな香りの出どころは金木犀だったのだ。

引越して来たこのあたりは住宅街とは言え、幹線道路に近く、しかも近くにガソリンスタンドがあるので、お世辞にも「空気がきれい」とは言えない。これまでに何度も転居した中では空気は悪いほうだが、諸々総合的に考えて決めた立地だった。

排気ガスやガソリンの臭いも身近に感じながら暮らす中で、金木犀の強い香りがほのかな上品な香りとして感知されたのだ。控えめな花の香りだったら、気づかないのかもしれない。薔薇や沈丁花の香りは国道沿いでも感じられるのだろうか?次の季節に確かめたい。

そんなわけで、もう咲いているとは予想していなかった9月のうちから、姿は見えなくとも金木犀の香りを嗅覚の端っこでほのかに感じていた。

そこへ日本列島を縦断した台風24号。10月になるという夜中、このあたりもかなりの暴風だった。首都圏の電車が夜には運休になることはあらかじめ知らされていたが、夜半、高円寺の立ち食いそば屋が倒壊したというニュースに驚く。JR四ツ谷駅で線路に倒木、京王線の明大前辺りでは倒れていた塀と電車が接触したとか。とりあえず新居のベランダや窓ガラスが無事で幸いだった。

台風一過。また夏の暑さがぶり返す帰路、ふと気になって金木犀を見に行った。あそこのマンションの敷地にあった金木犀はどうなっただろう・・・

ああ、だいぶ散ってしまった。それでも、枝に小花が結構残っている!

桜が舞い散る春の風雨よりもはるかに凄まじい、大木をなぎ倒す様な台風によくぞ耐えたものだ。おそらくまだ若い小花たちか?枝にしがみついて残った。そして、あたりには香りが漂う。

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まだ10月になったばかり。少しでも続いてほしいと願う、今やほのかな金木犀の香りであった。ようやく爽やかな秋を迎えるのか。

*****

金木犀シリーズというわけではないけれど・・

2007年10月10日 金木犀

2008年10月 8日 ブログ休止のお知らせ

2016年  9月30日 秋を告げる金木犀

2017年10月15日 金木犀が見えた

 

 

 

 

 

フィデリオ仮装合戦

人間は自由じゃない・・脳の働きや決定論のややこしい話は抜きにしても、罪人と判定されれば拘束され、自由な身だと思っている人々各々の自由な考えだって所詮は思い込みの産物に過ぎず、その思い込みは誰かに操作されている。そんな怖ろしい舞台を観た。

ベートーヴェンが遺した唯一のオペラである「フィデリオ」を新国立劇場開場20周年を記念して新制作。リヒャルト・ワーグナーのひ孫で現在バイロイト音楽祭の総監督を務めるカタリーナ・ワーグナーが演出を手がけ、今シーズンで任期を終える飯守泰次郎オペラ芸術監督が最後に自ら指揮する話題作ということで、The Japan Timesでも紹介させていただいた。

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まず、 飯守監督にインタビューさせていただき、ワーグナー女史については、単独インタビューは(ほぼ)なし、稽古場もゲネプロも(ほぼ)非公開という彼女の対メディア・ポリシーに則って公演前に開催された記者懇談会に参加し、そして、5月20日の初日を観るという機会に恵まれた。6月2日までさらに4公演を控えていたため、23日付の記事では極力ネタバレしないように気を遣ったつもりだが、なにしろ、新国立劇場であんなにブラボーとブーイングが飛び交うカーテンコールも珍しかった。既にあちこちに賛否両論のレビューが書かれており、少なくとも物議を醸す舞台であったことは間違いない。「現代の人々に問いを投げかける舞台にしたい」という飯守監督とワーグナー女史の狙い通りだったと言えよう。

飯守監督もおっしゃったように、オペラと言えば「愛と嫉妬の三面記事的なドロドロしたドラマ」が多い中で、「フィデリオ」は夫婦愛をネタにした珍しい作品である。男装してフィデリオと名乗り監獄に潜入したレオノーレが、政治犯として投獄されている夫フロレスタンを救出する。フランス革命前後にそういう救出劇が流行ったそうだ。ベートーヴェンの理想にも叶う物語だったのだろう。

ほかの交響曲などと同様、ベートーヴェンの音楽はあくまでも甘美で深刻で華々しい。フィデリオは若干「とっつきにくい」と聞いていたが、どう歌われてもよくわからない現代オペラに比べたら遥かにとっつきやすく音楽を堪能できる。音楽に集中するなら、むしろコンサート形式のほうがいいかもしれない。実際、5月の始めに聴いたチョン・ミョンフン指揮、東フィルの「フィデリオ」もなかなかよかった。フィナーレの合唱は美しい夫婦愛を讃えるめでたいものだった。

しかし、ワーグナー女史の手にかかると話はそうめでたくはならない。1カ月も経つので、細かいことは忘れたが、印象に残っているのは舞台がいくつかの階層と小部屋に分割されていたことだ。各層の各部屋の内部の様子は、別の層の異なるスペースにいる登場人物からは窺い知れない。まさに世の中がそうであるように。たとえばレオノーレは自分のプライベートスペース(?)で密かに着替えてフィデリオになり、その下の層にある地下牢に閉じ込められたフロレスタンは希望を失わぬよう、愛しい妻にそっくりの天使の絵を牢獄の壁一面にひたすら描き続ける。そんなあちこちでやっていること全体を俯瞰できる言わば神様目線は観客だけの特権だ。

恥ずかしながら「フィデリオ」を生で観るのは今回が初めてなのだが、映像でいくつか観たバージョンでは、レオノーレはいきなり男装のフィデリオとして登場し、看守ロッコにもその娘マルツェリーナにも本当は女であることがばれない。それどころか、娘は本気で「彼」に恋心を抱き、父は「彼」を娘の婿にしようとする。(え~?なんで気づかへんかな?!)その不自然さについて、ワーグナー女史は「今回の演出では女性が男装するところと変装を解くところを見せるということが正しい演出だと信じる」と懇談会で語った。なので、レオノーレ⇔フィデリオの着替えシーンを舞台上で何度となく見せられたわけだが、どういうことかと訝しんでいたところ、第2幕の後半になって、やっとその意図がわかった。つまり、変装するのはレオノーレだけではなかったのだ。悪役、いや、政敵も同じ手を使うではないか。

悪役の刑務所長ドン・ピツァロが政敵フロレスタンを殺そうとやってきた地下牢で、フィデリオから女性の姿に戻ったレオノーレが身を挺して夫を守り、ドン・フェルナンド大臣の到着を告げるラッパの音と共にすべては好転する・・・そういう話のはずが、なんとピツァロはフロレスタンとレオノーレを殺害した(もしくは瀕死の重傷を負わせた)後、フロレスタンの上着を奪って変装し、レオノーレに変装させた別の女性(誰?)を伴って人々の前に現れる。そこへ到るまでの場面転換でレオノーレ序曲第3番が盛大に演奏される間、悪役ピツァロが地下牢の通路にどんどんブロックを積み上げて塞いでしまい、フロレスタン&レオノーレ夫妻がアイーダのラストのように地下牢に封じ込められる(ええーっそんな!?)のを観客はなすすべもなく見ているしかない。

レオノーレの男装がばれないのであれば、ピツァロの変装もばれなくて当然。「なりすまし」を信じさせることができればそれは現実と化す。長い獄中生活から解放された囚人たちやその家族たちは、ピツァロを解放者フロレスタンだと信じ込み、「夫を救った妻レオノーレの勇気と二人の夫婦愛を讃える」歌を大合唱するのだ。

フィデリオことレオノーレ役のリカルダ・メルベートもフロレスタン役のステファン・グールドも素晴らしい歌唱を聴かせてくれたが、そうした独唱よりも重唱よりも、「フィデリオの音楽の中で一番好きなのは合唱」と言い切ったワーグナー女史は、懇談会の席で新国立劇場合唱団を絶賛した。その素晴らしい大合唱のフィナーレは、世の中の人々がいかに簡単に騙されてしまうかをこの上なく雄弁に語っていた。この演出にカタルシスはなく、この結末はベートーヴェンの音楽に対する冒瀆だという意見もあちこちで見たが、私は、情報操作された民衆が虚偽を真実と思い込んで理想を讃える合唱の凄いパワーにゾッとした。これもベートーヴェンの音楽の力というものではなかろうか。

偽物の解放者に先導された囚人たちが向かった先に待っていたのは、自由への出口ではなく、次の牢獄の入口であった。なんという結末!何かを安易に信じてはいけないのだ・・・

自由であることは難しい。ただ、自由を望む切なる気持ちだけが真実なのかもしれない。第1幕の暗がりの中で「囚人の合唱」が切々と響いたのだった。

   おお何という喜び 自由な大気の中で
   軽やかに呼吸をすることは!

フィデリオ」は数々の歴史的場面で上演されてきた。

1945年9月4日、第2次世界大戦後のベルリンで最初に上演されたのは「フィデリオ」だった。1955年11月5日、第2次世界大戦で焼失し再建されたウィーン国立歌劇場再開の演目も「フィデリオ」だった。そして1989年、東独建国40周年を記念してドレスデンで上演された「フィデリオ」は、その4週間後のベルリンの壁崩壊を予感させる演出だったという。いずれの舞台も、人々が希望を託した、どんなにか感動的な「フィデリオ」だったことだろう。

フィデリオ」が作曲されたのはフランス革命からナポレオン戦争にいたる激動の時代。昨年ベストセラーとなった「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著/柴田裕之訳)の言葉を借りれば、「適切な条件下では、神話はあっという間に現実を変えることができる。たとえば、1789年にフランスの人々は、ほぼ一夜にして、王権神授説の神話を信じるのをやめ、国民主権の神話を信じ始めた」という激変の時代である。革命の旗印は自由・平等・博愛の理想だった。しかし、その後世界はどうなったか。自由と平等と博愛は両立し得るのか?人々がみな自由に行動すれば平等にはならないだろう。博愛どころか、人々はこの矛盾から生じる争いと抑圧に苛まれ、命を落とし、何度も何度もやり直してきたが、そのたびに権力者が交代して新たな抑圧が始まるばかりではなかったか。

「私たちは、自由な世界を所与のものと思っているのではないでしょうか」と飯守監督は言った。監督が言う「ベートーヴェンの崇高な理想」とは、永遠に解決しない自由の問題をそれでも諦めない人間の希望のことなのだろうか。

巧みな「なりすまし」と熱狂的な「大合唱」の罠にご用心。自由はなかなか手に入らない。

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田崎悦子ピアノリサイタル「三大作曲家の愛と葛藤」

いつもながら、自分にとって行くべき音楽会は絶妙なタイミングで開催される。必ず行くべしと言われているようだ。5月26日、土曜日の昼下がり。この前の週でも後の週でも行くことは叶わなかった。

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ところが、会場でプログラムと一緒に受け取った小冊子には「私は音楽会というものが好きではない。言ってしまえばつまらないからだ。」と田崎さんご自身が書いておられるではないか。

「・・・(音楽会には)真っ黒いピアノの前に趣味の悪いドレスを着て上体をゆり動かしている人だけのときもある。指が早く動くのを見るのは面白いかと言うとそうでもない。わざやスピードを見たければ、サーカスやカーレースに行ったほうが、よっぽどドキドキするし、スリルがある。」

手厳しい。私は何をしに来たのだろう?

3年前の「三大作曲家の遺言」3回シリーズは、ブラームスベートーヴェンシューベルトという三大巨匠の晩年の遺作をまとめて弾くという凄まじい企画で、まさに田崎さんご自身の遺言なのかと思ったものだ。「これをやってしまえば、あとはもう楽な人生を生きようかなって(笑)」というインタビュー記事も読んだ。しかし、「またムラムラと欲が出てしまった」という田崎さん。今年は2回シリーズでショパンシューマン、リストを取り上げる。

東京文化会館小ホール。颯爽と現れたピアニスト田崎悦子の今回はシャープなブルーのドレス姿に胸が高鳴る。これからピアニストは舞台上たった一人で、魂の交感ともいうべき儀式を執り行うのである。

ショパン幻想ポロネーズの出だしの2つの音に続くハッとする和音と絶妙な間を置いて深い谷底から立ちのぼるアルペジオに誘われて別世界へと連れていかれた先には、一瞬だけ華麗なるポロネーズのリズムが打ち鳴らされたかと思うと、いつも私を魅了してやまない明るい憂いを帯びた旋律が流れ出す。明るく、次には仄暗く、田崎さんが静かに響かせる微妙な和音に恍惚となる。慰めに似た歌の後には、再びあの冒頭のテーマが一層の深みから高みへのアルペジオを伴って迫りくるが、終盤、熱に浮かされたように鍵盤の端から端まで駆け巡った両の手で田崎さんが打ち鳴らした最後の一音は高く澄み渡り、まさに天上で鳴り響く鐘であった。昂然と顔を上げ、人生への勝利を宣言するように。

シューマンダヴィッド同盟舞曲集は不思議な曲だ。そもそも「ダヴィッド同盟」って何だ?と思って調べたら、それはシューマンが考え出した架空の団体(!)で、保守的な考えにしがみついた古い芸術に対して新しいものを創作するために戦っていく人達だという。主要メンバーは明るく積極的なフロレスタンと冷静で思索的なオイゼビウスということになっている。もちろん架空の人物でどちらもシューマンだ。18もの短い曲が続くが、たいてい前の曲とがらっと雰囲気が変わるのは、フロレスタンかオイゼビウスか、どちらかの性格が交代で出ているということらしい。彼らに代弁させるように、クララに恋する自分の憧れ、情熱、憂い、夢、喜び、不安など様々な思いが切々と語られ、若き日のシューマン君に共感し応援せずにいられない。自分自身のほろ苦い青春もよみがえる。シューマンの恋は実りクララとの結婚は成就するも、その後の悲劇的な末路を思うとますます切なくなる。何がいけなかったのだろう?クララがいけなかったのか?結婚がいけなかったのか・・・一つ一つキラキラ瞬くような曲たちに込められたシューマンの魂を、田崎さんは時に力強く抱きしめ、時に信じられないほど微かなピアニシモの響きで包み込むのだった。

それにしても、ショパンシューマン、リストというロマン派きっての三大作曲家の愛に溢れた偉大な3曲を並べるとは、なんと大変なプログラムだろう。休憩を挟んだ後半、リストのソナタロ短調が圧巻だった。ショパン幻想ポロネーズの冒頭も荘厳だが、このリストのソナタの冒頭は、ただならぬ2音の問いかけと禁断の領域へ暗闇の階段をゆっくりと降りていくような一音一音の厳粛な響きに息が止まる。続いて打ち鳴らされるおどろおどろしいテーマが全曲に渡って繰り返され、発展し、やがて美しい歌へと驚きの変容を遂げてまた登場し、ソナタと言いながら1楽章も2楽章も3楽章もぶっちぎりの30分間が迸り駆け抜けていくのである。そして再び厳粛な階段をいちばん低い段まで降りきった時、天上からの救いの和音に静かに迎え入れられるように曲は終わる。昇天・・なのか。

ピアノという楽器の強みは、人間の手指がなしうる限りの動きが音の響きに直結することではないだろうか。管楽器の息や弦楽器の弦を擦る弓に自ずと備わる制約を抜きにして、優しく愛撫する指に直接触れられる鍵盤で紡ぎ出す得も言われぬやわらかい響き。逆に田崎さんの華奢な身体のどこにそんなパワーが秘められているのかと思う強烈な一撃が、全身全霊の集中をもって叩き出される。鍵盤に噛みつくような鋭い音の立ち上がりもピアノの特権だ。なんという音色の幅の広さ。もちろん、両手のすべての指を駆使した怒濤の連打も、めくるめく音階も。一人で旋律も裏旋律も伴奏音も弾きこなして作り上げるオーケストラのようなスケール感は、ほかのどんな楽器にも真似できない。

19世紀の初めに生まれ、愛と葛藤の人生を駆け抜けた3人の作曲家が言いたかったことが今、目の前で息づいている。そういう稀有な儀式のような音楽会に立ち会って心を震わせ、私はただただ拍手するばかりだった。。

10代で単身渡米し30年間ニューヨークを拠点に世界の第一線で活躍し続けたピアニスト田崎悦子。そして国境を越えた恋の数々。

「ピアノを弾くというのは、恋愛すること。作曲家が誰かを愛する思いが、こちらに伝わって感じられるから私は曲が描く彼女の身にもなれる。」

そう堂々と言える生き方を貫いてこられた田崎さんに、同じ女性として嫉妬する。

私はどういう生き方をしているだろう? 自分なりに精いっぱい人を愛し、命を大切に育んできたのではないのか? 別に責められているわけでもないのに、おのずと問い直してしまう。魂は何かを渇望しているのだ。

「愛と葛藤」の日々に鍛えられ磨かれた田崎さんは年輪を重ねてさらに美しく、万雷の拍手に応えて両手で投げキッスを贈る。ああ、カッコ良すぎる!

音楽会が好きではないという田崎さんの文章はこう締めくくられている。

「私の胸をいっぱいにしているものを手のひらですくいあげ、それを人の心に一滴でも落とせるような、そんな音楽を私はしようといつも心がけている。」

魂の渇きと限りない憧れに導かれて、私は田崎さんの音楽を聴きに来るのだ。

 

 

 

サントリーホール オープンハウス② ホールで遊ぼう!

プレビュー記事というのは罪なもので、自分がまだ見聞きしていないイベントについて、主催者側へのヒアリングやプレスリリース、場合によっては関係者へのインタビューを元にまとめるわけだが、「実際はどうなんだろう?」と心配になる。サントリーホールは知っていても、オープンハウスにはこれまで来たことがなかった。何度もやっているイベントでも、何か新たな試みもあろうし。「サントリーホールで遊ぼう!」と言うけれど、どれぐらい人が集まるものだろうか? 確かめに行かずにはいられない。

しかし、そんな心配は無用だった。

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4月1日。日曜日の昼過ぎ。葉桜ながらアークヒルズ周辺一帯では「さくらまつり」を開催中。マルシェやグルメ屋台で賑わうカラヤン広場で、今日は無料で一般公開というサントリーホールにも続々と人が入っていく。例年1万人を超える入場者だとか。2年ぶりだからもっと多いかもと広報の方が言っていた。大盛況だ。プレビューなど不要だったか・・と思いながらも、たまに外国人の家族連れを見かけるとちょっと嬉しくなる。あの記事を読んだかどうかはわからないが。

赤い絨毯が敷き詰められたエレガントなロビーにもホール内にも家族連れが多い。いつもは見られない光景だ。大ホールに入ろうとすると、ステージに上がりたい人々の行列ができていた。廊下に出ると、人気の「おんがくテーリング」に興じる子どもたちが、次のチェックポイントを目指して小走りに行く。

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正面ロビーから「おんがくテーリング」をスタート。
ホール内を探検するのはさぞ楽しいだろう。

 

2階に上がりステージ奥のP席側まで行くと、小さな男の子が座席横の階段をぴょんぴょん降りていく。息子たちが幼かった頃を思い出す。

 

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ガイドツアーに参加中の人々がパイプオルガンの説明を熱心に聞いていた。

 

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ステージの上では順番に指揮台に乗って指揮棒を持たせてもらってハイ、ポーズ。記念写真を撮ってもらえる。

 

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ブルーローズに入れるのは400人弱。この時間帯のコンサートはすでに満席だった。次の回には入ってみよう。

今日は横使いの座席がほぼ埋まっている。ステージの横の席しか空いていなかったので下手側の前の方の席に座ったら、これが絶妙のポジションだった。ステージに立つオペラ歌手たちの横顔が素敵だっただけでなく、視線を右に移すと、舞台の方を向いているお客さんたちの顔が見えるのだ。

ステージからバリトン村松恒矢さんが「彼女がいないんだ・・一緒に探してくれる?」と悲し気に頼むと、客席から「いいよ!」と即答する明るい声が。子どもの反応っていいなあ。そして、会場の子どもたちが(大人たちも)声を合わせて「ぱ・ぱ・げぇーなぁ~~!!」と叫ぶと、通路後方からソプラノの金子響さんが現れ、「パ・パ・パ」のデュエットが始まった。30分という短い時間に名曲が次々。サントリーホール・オペラ・アカデミーの5人が若々しい美声と芸達者ぶりを見せてくれた。楽しい日本語のトークが続いたかと思ったら、さっと表情を変えて『フィガロの結婚』のケルビーノは「恋とはどんなものかしら」を歌い、『ラ・ボエーム』のミミが「私の名はミミ」と名乗る。子どもたちの多くは、目の前でお兄さんやお姉さんが熱演する、ただごとならぬ歌声にポカンと口を開けて魂を抜かれたような顔だ。なんかよくわかんないけどスゲ〜 っていう感じだろうか。

オペラ名曲コンサートのフィナーレは、やっぱり『こうもり』の「シャンパンの歌」。5人のソロが次々に「乾杯!乾杯!」を溌剌と歌い上げるのを、私の少し右の席にいたシニアの女性の方が拍子に合わせてニコニコうなずきながら聴いておられる。その笑顔があまりにも楽しそうで、主催者でも出演者でもないのに嬉しくなってしまう。

大ホールに戻ってみるとちょうどパイプオルガンの演奏が始まっていた。2階の上手の座席からは奏者の山口綾規さんが生でもよく見える上に、舞台上手側の壁に映し出された巨大なモニター映像もすぐ横に見える。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をパイプオルガンで弾くのはかなり無理があるように思われたがなかなか面白い。4段の鍵盤を手指が疾走し、足も忙しく駆使した怒濤の演奏ぶりがモニターに映し出されて壮観だった。バッハの小フーガ ト短調BWV578が荘厳に響き渡る中、1階席を見下ろすとほぼ満席。赤ちゃんを抱いたお母さんたちもあちこちにいる。母の胸に抱かれた幼な子たちもホールいっぱいのオルガンの響きを感じていたに違いない。

再びブルーローズに移動してピアノ・トリオを堪能し、最後は大ホールに戻って横浜シンフォニエッタのオーケストラ・コンサートへ。参加型ブラームスハンガリー舞曲を手拍子足拍子で楽しんだ。こういう場面では打楽器奏者が場を盛り上げてさすが。指揮者の田中祐子さんのチャキチャキと場を仕切る采配ぶりもさすが。

ちょっと様子を見たら帰るつもりだったのが、大ホールとブルーローズを行ったり来たりしているうちに、気がついたら3時間経っていた。つまり、オープンハウスは存分に楽しめるイベントだった。よかった。

無料で、子連れもOKであれば、コンサートホールに老若男女、家族連れがこんなに詰めかけるとは。連れてこられた子どもたちも実に楽しそ うだった。コンサートホールって楽しい!また来たい!と思ったら、徐々にいろんな音楽を生で聴くようになるのではないだろうか。クラシック音楽のファンの高齢化が問題とされて久しいが、一生好きなものが好きなのは悪くない。そして、子どもたちも若者たちも、楽しめる機会があればきっと好きになると思う。クラシックでなくてもいいけれど、クラシックもいいね!と。心を震わせる音にきっと出会える。(終わり)

 

 

 

サントリーホール オープンハウス① 急な記事

サントリーホールに初めて入ったのは、プロの演奏会を聴きに行った時ではない。開館間もない1987年の1月、所属していた学生オケの70周年記念定期演奏会の時だった。5年に一度の東京公演である。「世界一美しい響き」を目指して設計された東京初のクラシック音楽コンサート専用ホールのステージに立って大太鼓を叩くとは、今考えても大それたことだった。ちなみに、日本初のクラシック専用ホールは大阪のザ・シンフォニーホールである。年に2回の定期演奏会の大阪公演はそこでやることが多かった。学生の分際でずいぶん贅沢な経験をさせてもらったものだ。

卒業後は自分が舞台で演奏することはなくなったが、素晴らしいコンサートを聴く機会には恵まれた。やっぱりコンサートホールっていいな・・と周りの人たちにも思ってもらえたら嬉しいという気持ちがどこかにあったところ、サントリーホールのオープンハウスについて紹介することになった。月に一度、無料で開催されているパイプオルガンのコンサートやガイドツアーもあるが、オープンハウスは年に一度。昨年は改修工事があったため2年ぶりとなるオープンハウスをぜひ盛り上げたい、もっと外国人にも来てもらいたいということだった。

しかし、ぎりぎりのタイミングだったため、担当エディターから「もう紙面は決まっている。ウェブだけでいいか?」と言われた。やはり、文化関係のページはニュース速報の紙面とは異なり、どちらかと言えば雑誌の感覚に近いのだ。仕方がないと思っていたら、直前に紙面の端がぽっかり空いたとかで、急きょ小さな帯のようなスペースにささやかな記事を載せてもらえた。諦めずにとりあえず送ってみるもんだな。何が起こるかわからないから。

www.japantimes.co.jp

今回は紙面とウェブ版がかなり違っているのが面白い。なにしろ、紙面はスペースの制約があるので、ダメ元で適当な長さで書いたテキストが半分ぐらいにカットされていた。しかも、編集の過程で、サントリーホールのパイプオルガンについて補足説明で送ったメールの文面が記事の本文に盛り込まれていて驚いた。

ホール建設に際して「オルガンのないコンサートホールというのは、家具のない家のようなものです」とカラヤンが当時のサントリー佐治敬三社長にアドバイスした言葉が、エディターはえらく気に入ったようだ。9年ほど前、元・カラヤンの秘書で今もサントリーホールのエグゼクティブ・プロデューサーである眞鍋圭子さんにインタビューした時に聞いたカラヤンの言葉だ。

www.japantimes.co.jp

その後、拝読したご著書『素顔のカラヤン』にも出てきた。

 

www.gentosha.co.jp


今回はわずかなスペースにそこまで盛り込もうとは思わず、ただ、エディターの参考のために送った説明のつもりだったのに、その部分が急に記事になったりするとはびっくり。そこは、外国人でクラシックにさほど詳しくない読者の場合、何を面白がるかという観点でのエディターなりの判断なのだろう。

返信では、「そういうインフォのほうが大事だよ。でも、カットした部分もウェブには入れるからね。写真も両方使おう」と言ってきた。そして、「ウェブ版の見出し、キュートでキャッチ―だろ?」と自画自賛している。なになに?

You too can grace the stage at Suntory Hall
(あなたもサントリーホールでステージを飾れる)

なるほどねー

ちなみに、紙面はごく普通の見出しだ。

Suntory Hall opens its doors to the public
サントリーホールが一般公開)

1コラム幅に小さいフォントで3段書きだから確かに調整しづらいし、第一、記事の本文に書いていないことを見出しにするわけにはいかない。

ということで、ウェブ版は本文中に「この日は特別に午後の1時~2時半まではステージに上がれる」という情報もしっかり含まれていたし、写真でもわかるようになっている。

紙媒体とウェブ版の適宜の使い分けは、イマドキの過渡的な対応の一部に過ぎないが、紙面スペースもかけられる時間もマンパワーも限られている中で、なんとかベターな形で読者にこのイベント情報を伝えようという気持ちをエディターと共有できたように感じられる今回のささやかなプレビューであった。

オープンハウスの当日、サントリーホールに行ってみると、はたして、ステージに上がりたいという人々の行列ができていた(続く)。

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桜舞い散る

早くも葉桜。

桜の季節があっけないのは毎年のことながら、今年はことのほか急ぎ足で終わってしまいそうだ。東京のソメイヨシノは、平年より9日早く、昨年より4日早い3月17日に開花して、3月24日には満開のニュースが流れていた。平年より10日早く、昨年より9日早い満開だそうだ。早く咲けば、早く散ってしまうのも仕方がないが・・まだ4月に入ったばかり。

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満開を過ぎてひと雨降れば一斉に散る花々。風が吹けば花吹雪。たいした雨風がなくても、ぽかぽか陽気の今日この頃、微かな気の流れに、そこから、あそこから、はらはら、はらはら、桜が舞う。

まさに百人一首にもある紀友則の有名な和歌のとおりだ。

 

ひさかたの 光のどけき 春の日に
    しづごころなく 花の散るらむ

 

葉桜の枝にまだしがみついている花々も明日は我が身。嵐の日に耐えて生き延びようとも、大した嵐に遭わずに済んでも、いずれ散ることは避けられない。それが今日なのか明日なのか、誰にもわからない。「その時」が来ると、しづごころなく、はらはら舞い散るのである。それぞれの花の運命(さだめ)なのか。

満開の桜の季節に友人が逝ってしまった。突然の訃報が届いた自分の無沙汰が悔やまれる。それほど長いお付き合いではなかったが、ささやかなボランティアでご一緒したのがご縁で、お互いの考えを率直に話せるのが心地よかった。「いろんな考え方があっていい。自分の目で見て考えることは大事」と言って、福島に出かける私に線量計を貸してくれた。震災直後に被災地に赴いた彼女はいろいろよく知っていて、無知な私は感心するばかりだった。自身の病いのことも明るく話してくれた。食生活を見直していると。気丈な人だった。

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最後に会ったのは昨年の夏の終わり。無事に線量計をお返しして、食生活の見直しに少しでも役立てばと思い、本を贈った。あの時はまだ元気そうに見えたのに・・便りがないのは良い便りだと思っていたのに。もう一度会いたかった。

今日も穏やかな春の日。道路脇にも歩道にも夥しい花びらが散り敷いている。 それも花の一生の現実だけれど、見事に咲いていたことを覚えていたい。短すぎる花の命を惜しみながら。

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