よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

自ら問いを立てるきっかけとは ~福井南高校での学びその1

原子力が抱える難問を若い世代と共有する場にリアルで参加したのは久しぶりだ。しかも初めて福井県の高校を訪ねることができたのは有り難いご縁と言うほかない。

これまでに聞いた話を総合すると、昨年11月に鯖江の市民団体の方々が、東京の高校生 矢座孟之進君のドキュメンタリー映画「日本一大きなやかんの話」の上映会を開催した折に、福井南高校の生徒5人が参加し、映画にいたく触発されて原子力の問題について探求活動を始め、活動を進めるうちに、ほかの生徒たちも巻き込む形の学習企画になり、7月の今日、全校挙げて一日がかりの教科横断型授業へと発展したということだった。当初から企画に関わってきた関係者それぞれが感慨深げに語ってくれた。

思いがけず、私はそのような成果である企画に参加する機会に恵まれた格好だが、今回とくに印象深かったのは、実に多様な生徒たちそれぞれのありのままの姿を、これまでより一歩近い位置から垣間見たことだった。

f:id:chihoyorozu:20210723132800j:image

北陸本線 福井行きで北鯖江の次、各駅停車しか停まらない無人大土呂駅から用水路脇の道を5分ほど歩くと、田んぼの向こうに学校が現れた。猛暑の炎天下、広い田んぼを半周する道をさらに5分ほど歩くと汗が吹き出す。校門にたどり着いたのは正午頃だったか。

コロナ禍が続く中、PCR検査や日々の検温など最大限の感染対策を講じて参加する緊張感のまま、初めて訪ねる福井南高校で指示通りの通用口に向かうと、私に気づいた先生が会議室の扉を開けてくれた。メールでお名前を見た浅井先生だとわかった。

ここでもまず検温と手指消毒。ほとんどの関係者は既に到着しているようだ。ぎりぎりの列車でなく、1本早めてよかった。初対面の方々、また久々に会う方々に、とりもあえずご挨拶。矢座君が笑顔で声をかけてくれて少し緊張が解ける。福井の学校で再会するのは不思議な感じだ。

まもなく、本日の進行役の生徒3人が入ってきて打ち合わせが始まり、まだ自分の役割がよくわかっていない私も促されて着席する。各人の名前の由来を語る自己紹介を聞いて、彼女たちの名前に、なんと3人とも「ゆ」の音が入った名前であることを知った。「ゆめ」さん、「友里(ゆり)」さん、「夕乃(ゆの)」さん。「ゆ」の字トリオだ。「ゆ」のつく名前って何気にやわらかい雰囲気を醸し出していいなぁと思った。それにしても、「孟之進(たけのしん)」という矢座君の名前は何度聞いてもインパクトが大きい。

準備万端の様子だったが、私自身はよくわからないままに会場の中ホールに移動。既に「発展クラス」の生徒たち60名がグループごとに着席している。まごついている私に、「おわかりになりますか?」と声をかけて席を指示してくださったのは、たぶん校長先生だったようだ。

外部からの参加者の中で、「講師」の末席の位置づけで紹介されてうろたえる。あれ?今日は取材じゃない? 資料をよく見ると、原産新聞だけでなく、毎日新聞や地元紙数社が取材予定と書いてあった。そうか。

この日の1時間目には各クラスで、矢座君の映画「日本一大きなやかんの話」が上映されていた。全校生徒があの映画を見たわけだ。

そして午後一番、「ゆ」の字トリオによる「授業」が始まった。

まず、発電コストについて、最近の記事を紹介。

mainichi.jp

一方、こういう記事もある。

news.yahoo.co.jp

 

「ここまで聞いて、みなさんはどう思いましたか?難しくてよくわからないと感じた方が多いのではないでしょうか」と彼女たちは投げかけた。

確かに、試算根拠も計算結果も門外漢には判断がつかないので、どちらを信じればいいのか、大人だってよくわからない。

続いて、彼女たちがオンラインでインタビューした福島県立小高産業高校の3人の生徒の言葉を伝えてくれた。「福島県の高校生の総意ではないことにご注意ください」と念を押す慎重さに感心する。

Q:福島第一原子力発電所の事故の前後で変わったことはあるのか?

A:事故当時は幼く実感がわかなかったが、事故で原子力発電の存在を知った。今は学んできて、原子力発電はこういうものだということがわかってきて、質問に対する明確な答えはないが、このような経験が、原子力の原理を学ぶ原動力でもある。

Q:被害を受けた福島の高校生として原発が再稼働していることをどう思うか?

A:原発がなくなると困るから反対はできない。でも、原発の仕組みについて授業があったのは自分たちが小学生の時であまりわからなかった。だから理解できる歳である高校生が学べる環境が要る。事故が起こると今まで積み上げてきたものがなくなる。

Q:原子力発電所は無くすべきだと思うか?

A:原子力発電所を無くしても、生活水準は変わらないので、また違う発電で補わなければならないから、問題の解決にはならないと思う。

 

「私たちはどう考えますか?」というスライドをバックに、彼女たちはそれぞれ自分の感想を述べた。

「高校生が原発の仕組みを学べる環境が大切だという言葉を聞いて、私自身、この活動に関わることがなければ原発について知ろうと思うことはなかったと思うので、同じような高校生に知ってもらえるように努力したいと感じました」(3年:ゆめさん)

「私は、高校生を『理解できる歳』と言っていたことがとても印象に残っています。このような話題を学ぶと難しいと感じてしまいますが、理解できる私たちだからこそ、もっと考えていきたいと思いました」(2年:ゆりさん)

「福島でつくった電気を都市部に供給していたことについて聞いたとき、『田舎でやったほうが万が一何かあった時に安全だよね』と言った人もいて、福島第一原子力発電所の事故の時に大変な思いをして、人が多い都会だったらもっと被害が大きくなると思っているのかなと思うと、避難を経験した人だからこそ言える貴重な意見だと思いました」(1年:ゆのさん)

 

原発立地である福井県から廃炉現場となった福島県へ。オンラインを活かして実現したインタビューだ。初対面のオンラインでこれだけ真摯なやり取りができたのは、お互いの立場ひの共感が大きかったからだろうか。

 

そして、本日のテーマである「高レベル放射性廃棄物の最終処分場」の問題に話を進める。

「最終処分場が自分の家の近くに建つとしたら・・・?」

ここでNIMBY(not in my back yard=我が家の裏庭にはごめんだ)問題について説明する中で、NIMBYの例として、最終処分場だけでなく、原子力発電所、火力発電所、清掃工場、墓地、保育園など、さまざまな施設がスライドに列挙されていた。

驚いたのは、

「もちろん、私たちが通う福井南高校もNIMBYです」

という言葉だった。スライドにも書かれていた。ゆめさんは、「でも、通う学校がなくては困りますよね。NIMBYとは、自宅の近くにあったらイヤだと思うものです。そこで、福井南高校も、M(ゆの)さんがしているように、駅の掃除の際に挨拶を交わすなど、地域と交流し、開かれた学校であることで、近所の方にイヤだと思われなければ、NIMBYではありません」と続けた。

 

www.chunichi.co.jp

 

自分にとっての「迷惑施設」のことは、誰しも気にして反対もするだろうが、自分(たちの学校)が迷惑な存在であるという自己認識はなかなかできないのではなかろうか。そのように捉える、何か心の痛みのようなものが、私自身の思春期の記憶をよみがえらせて突き刺さる。ありのままの自分では受け入れられないのかという恐怖だ。そして、どうすれば「NIMBYな存在」でなくなることができるかに思いを致す姿勢に参った。

彼女たちは落ち着いて話している。原稿を作って何度も練習して読み上げて覚えて発表したのだろう。前回の発表の時はもっとガチガチだったと聞いたが、ここまで準備して臨む努力が清々しく、周りの人たちに伝えたいという思いが緊張に勝っていることが、ひと言ひと言から伝わってきた。

「ゆ」の字トリオの後、「日本一大きなやかんの話」の監督として、矢座君が「福島で見聞きしたこと、NIMBY問題について」と題して「授業」を行った。

彼独特の、自分の思考を高速で言語化しながら思考の試行錯誤を示しながら話を進める回転の速さや、帰国子女らしいネイティブの発音でProbably not in my back yardと言ったり、learn(論理的に学ぶ)とacquire(経験的に獲得する)の違いを説明したりするのを生徒たちはどう感じただろう。ほとんど呆気にとられて「何言ってんのかわかんない」と思いながら、しかし、大いに刺激を受けたに違いない。「これがあのドキュメンタリー映画をつくった高校生なんだな!すげーな!!」と。

矢座君が語ったところによると、そもそも自分が住んでいる都内に原子力発電所や最終処分場が建つかもしれないなどとは実感できず、字面ではわかっても、「自分ごと」として想像することができなかったという。

「福島の浜通りを何度か訪ね、富岡町で夜の森の桜並木が見られなくなったと知った時に、その喪失感を、自分が住んでいる国立市の桜並木に置き換えることで初めて感じ取れました」と彼は言った。

3年ほど前に同行した東京の高校生たちの福島研修旅行が懐かしく思い出される。これから2年生になるところだった矢座君は、「実はいま映画をつくってるんです」と言っていた。それが完成して国内外で上映されるようになり、見た人に影響を与え、こんな波及効果をもたらしているのだ。

続編「日本一大きい空気椅子の話」も、この翌日に東京で初公開された。

www.youtube.com

若者たちの可能性は大人の想像をはるかに超えている。(続く)