よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

喜劇はまた始まる

田崎悦子さんのピアノリサイタルシューベルトの遺作を聴いて、昔、ライタースクールの課題として書いた短編小説(笑)を思い出した。探してみたら、PCのフォルダーの奥の方から出てきた。懐かしくて思わず読み返す。恥ずかしい代物だが、せっかく発掘したので、(二度と書けない)当時の記録として、ここに貼っておこう。

 

*****

 

「喜劇はまた始まる」

 

天界には満月と流星群。地上では海の潮が引き、かの有名なモン・サン=ミシェルはノルマンディーの湾内で地続きになる。大勢の巡礼達が礼法通りに泥の上を這いつくばって聖地の修道院を目指すが、やがて来る満ち潮に幾多の哀れな命が飲み込まれることになっている。最後まで神の栄光を讃えながら。目を転じれば、太平洋のどこかの島の火山が噴火し、ポリネシアの伝説では今日がこの世の終わりと予言されていた。明日には、アフリカの喜望峰皆既日食に怖れ慄く人々が、太陽の神の怒りを鎮める儀式を行うことだろう。

「やれやれ、騒々しいことじゃな」

「まったく、こういう時は忙しくなってかなわん」

 天界の長老達は、あくびをしながら円卓を囲んだ。卓上には、薄っぺらな帳面が何冊も積み上げられ、その隙間に置かれたいくつもの酒瓶は、血のようにねっとりした葡萄酒や八百よろずの社から集められたお神酒で満たされている。

 天変地異が起これば、おびただしい亡者の群れが地上から返されてくる。その分、新しく生まれるべき人間達を地上へ送り込む作業に追われるのだ。長老達は本日の誕生委員会の当番である。思い思いの酒をついだ杯を手に、次から次へと帳面をパラパラめくっていた。少し読んでは、「まあまあだろう」とか「こういうこともあるな」とか「しょうがないな、こりゃ」などとつぶやきながら、末尾にサインして、「既決」と書いた箱に放り込んでいく。読んでいる帳面は、人生のシナリオの要約である。「既決」の箱に入れられたものは、誰かによって地上で実践されることとなっている。

天界の長老とは言っても、別に崇高な神ではない。ついこの間までは地上で試行錯誤する人間の一人だった。何度かこういう帳面に書かれたシナリオを演じ終わり、人間の生涯に対する一定の見識があると見なされると、誕生委員会のメンバーになれるのである。今は、他人の生涯を選ぶ偉そうな役割に任ぜられているのであるが、シナリオを読んでいると、かつて、自分が演じたものと比べてしまうので、つい、「いいなあ、こういうのやってみたかったなあ」とか、「ううむ、ここまでひどくはなかった」などと、長い鬚をしごきながらブツブツ言ってしまうのだった。ふと、長老の目に留ったシナリオがあった。

 「誰じゃ?これを書いたのは」

 そう、誕生委員会はシナリオの書き手と読み手、そして、地上に送り込むための事務方に分かれている。原則として、書き手が自らの作品を選ぶことは許されない。

 「え?どうかしたんですか?」

 比較的最近メンバーになった元十字軍の騎士が、鎖かたびらをガチャガチャいわせながら近寄ってきて覗き込んだ。

  • 18世紀の終わりに生まれ19世紀の始めに死ぬまで、生涯を音楽の都ウィーンで過ごす。
  • 小学校の校長をしている堅実な父の元、決して裕福とは言えない家庭に生まれたが、音楽の才能が抜きん出ていて、宮廷少年合唱団に入る。
  • 当時ウィーンでは、モーツァルトは既に亡く、宮廷楽長サリエリの弟子となる。もっとも活躍していたベートーヴェンに心酔し、ベートーヴェンのようになりたいと憧れる。
  • 丸顔で髪型は「キノコ」とあだ名され、寝るときにも眼鏡を外さない。
  • 身長160センチに満たず、西洋人としては信じられないほどの小柄。
  • 内気で不器用で、およそ女性にもてるタイプではなかった。
  • でも、単純、誠実、実直かつ温和でお人よしな性格により、多くの友達に恵まれ、自分の作った音楽を喜んでくれる友人たちのためにも作曲に励む。
  • 父は音楽家になることに猛反対で、しばらく無理やり息子に教員をやらせたが、作曲以外何もしたくないので、教員を辞めて家を飛び出してしまう。
  • 定職につかず、ふらふらして、収入もなく、友人たちのところに転々と居候して、食べさせてもらう。
  • 作曲だけは熱心で、なりふり構わず、寝る間も惜しんで五線紙に書き続ける。
  • 友人たちが内輪のハウス・コンサートを開いてくれるようになり、ウィーンの上流社会でもなかなかの評判となる。
  • けれど、ついぞメジャーになれず、世渡り下手のため、出版社からは楽譜を安く買いたたかれ、コンサートホールや劇場での大成功を収めることはなかった。
  • 生活力や経済観念の欠如により、ちょっとでも金が入ると、夜な夜なウィーンの街で飲み騒いですぐにスッカラカン
  • 20代で梅毒に感染して次第に体調が悪化。
  • 友人たちの勧めで生涯に一度だけ、自作リサイタルを開く。
  • チフスのため、31歳で兄の家で亡くなる。
  • 生涯に遺した作品は、リート、ピアノ曲室内楽曲のほか、交響曲、オペラ、ミサ曲など、約千曲に及ぶ。作品の多くは死後発見される。

 

「ほう、なかなか難儀な人生ですな。この梅毒っていうのは、仕方がないのでしょうか?」

騎士が尋ねると、痩せて青白いのに目鼻立ちだけは妙に整った死神が答える。

「はい。そういう部分は、最初から決まっていて、シナリオライターでさえ勝手に変えてはいけないことになっております。でないと、人口のバランスが狂いますからね」

「なるほど。それでは、変えられるところはどこですか?」

「そうですね。この人の場合、音楽の才能はあることになっているから、そこを補強することはできます」

死神が淡々と答えると、長老がホッとした声で口をはさんだ。

「それじゃ。補強という手があった。それぐらいしてやらんと、あまりにも哀れではないか」

「そうですかね? もっと悲惨な人生がいっぱいあると思いますが」

「まあ、それはそうじゃが……」

「ところで、今回の役者は誰なんです?」と死神が尋ねると、

「はい。そこらへんにスタンバイしているはずです。ほら、あそこにいる背のひょろ高い青年です」と騎士が答える。

「ああ、あれね。だいぶイメージが違うな。ま、身長とか顔とかは、これから調整しましょう。恵まれない容姿というのは、ポイントが稼げるんですよ。……そうか! あの彼は確かあなたの甥御さんでしたね。なるほど。でも、いくら長老だからって身内に手心を加えるのは感心しませんな。宇宙の秩序が乱れますよ」と死神。

「まあ、そう言うな。もちろん、基本的には従うつもりじゃ。宇宙の秩序とはまた大げさな。しかしだな、あれは、何回地上に送り込んでも、ろくでもない台本ばっかりやらされて、いい加減やる気をなくしているもんでね」と長老は弁解した。

「ふーむ、どれどれ。子ども時代に病死。奴隷として古墳で殉死。水呑み百姓として餓死。雑兵として討ち死に……確かに、どれも悲惨ですなあ。わかりました。ちょっと書き足しましょう」

すばやく検索した死神は、珍しく長老の言い分を聞いて、ライターを数人連れてきた。

ライターの一人である元聖母マリアが静かに言った。

「話は聞きました。彼の作曲家としての運命を最大限生かすように、少しつけ加えましょう。彼にもわたしを讃える調べを授けます。数ある『アヴェ・マリア』の中でも最も美しいバージョンにします。永遠のヒットメロディー間違いなしですわ」

 すると、隣にいた音楽の女神ミューズがむっとした顔で言った。

「あら、マリアさんたら失礼ね。メロディーなら、あたくしがとっくに授けてありますから。700曲も。しかも、歌詞を担当する詩人も近くに派遣しておきました。いっぺんに覚えきれないでしょうから、あたくしのCDにいつでもアクセスできるようにしてあります。彼は地上で楽譜に書き写せばよいのです」

「おお、さすがはミューズ殿。地上の音楽の振興に努めておられますなあ。ならばわしからもプレゼントしよう。『馬が疾走する音は必ず三連符』と。このインスピレーションによってヤツは必ずブレイクするじゃろう」

こう言ったのは、見るもおどろおどろしい姿の魔王であった。

「やれやれ、ありがたや。心強いことじゃ。まあ、友達にも恵まれるようだし、そう悲観することもないか」

長老は、甥のほうをちらりと見て言った。

「そろそろ、サインしてもらえませんかね。ただでさえ、今日は案件が多いんですから」と死神がイライラして催促する。

「わかった、わかった。まったく、死神に急きたてられて、人の人生を決めるというのも妙な話だな」

「当番だからしょうがないんですよ。わたしだって、こんな仕事早く終わりたいんです」

 そうこうするうちに、シナリオがすべて決定し、それぞれの人選が終わると、本日地上に送り込まれる予定のメンバーが名前を呼ばれて整列した。彼らは、事前にシナリオをざっと閲覧することを許されているが、ここを出発するときには、すべての記憶が消し去られる。一人ずつ入り口をくぐると、それぞれの行く先へと異次元トンネルに導かれ、やがて、ある母親の胎内に育まれつつある個体の肉体に宿る。トンネルの行く先、地上に出る時には、人はみな真新しい赤ん坊となって産声をあげるのである。

 長老の甥は、何度かの悲惨な人生の記憶を引きずって、消耗した生気のない様子だったが、今度のシナリオを読むと、微笑を浮かべて

「作曲家か。まあ、マシなほうだな。意味のありそうな人生だし」

と言って、長老の差し出したグラスをぐっと飲み干した。世界中の美酒の粋を集めたこの虹色のカクテルを一杯飲めば、どんなにつらい思い出も忘れて運命に敢然と立ち向かって行けるのである。

「たぶん、これが最後の修行じゃろう。おまえもそろそろ我々の仲間に入ってもいい頃じゃ」

「そうですか。大丈夫です。今なら何でもできそうな気がします。おじさん、行ってまいります!」

「よし!がんばってこい!」

 

甥は誕生委員会の円卓のあるだだっぴろい広間の西側にある青銅の扉をギイィっと開けると、大きく息を吸って中へ一歩を踏みいれた。彼の身体が通路に入るやいなや、死神が扉の取っ手をつかんで閉めた。ギイィッ、がちゃん。非情な響きのあとにはしばし沈黙。

「ああ無情」と長老が恨めしそうに死神のほうを見るが、死神は涼しい顔で言い放つ。

「天才的な芸術家の人生なんて上等じゃないですか」

十字軍の騎士は少し心残りの様子。

「いやあ、才能だけじゃなくて、普通の幸せももう少し書き足してあげたかったものです。せめていい奥さんと温かい家庭を持つとかね」

「甘いな」死神は吐き捨てるように言い、ほかの委員達も唱和する。

「恋は成就せず」

「父からは勘当」

「舞台も成功せず」

「いつも一文無し」

「そして梅毒で若死に」

誕生委員の面々は口々に嘆き、長老は「ああ、哀れなヤツよのう。それでも健気に行きよった」と涙ぐんだ。

「まったく、飲まんとやってられませんなあ」

彼らは各々のグラスを空けては、また葡萄酒やお神酒を酌み交わすのであった。

 

(意外と長いのでこの辺で。続きはまた明日)

 

当時読んで感銘を受けた子ども向けのシューベルトの伝記。ひのまどかさんの文章に引き込まれた。