よろず編集後記

よろず編集者を目指す井内千穂のブログです。

廃炉の先にあるもの 〜2020京都発ふくしま「学宿」その5

楢葉町の宿舎には太平洋が一望できる露天風呂があり、素晴らしい日の出を眺めると、震災後の福島の難しい課題や新型コロナウイルスの不安も一瞬忘れてしまう。

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終日福島で過ごす研修2日目は朝から盛りだくさんなプログラム。8時過ぎには宿舎内の研修室に集まり、一般社団法人AFW代表の吉川彰浩さんとの対話が始まった。

開口一番、吉川さんは詫びた。原発のことや震災のことを語る側の人間なのに遅刻してしまったと。ほんの5分ほどのことだったが、「約束ってそんなに簡単じゃない」と。時間を合わせてもらって、大切な話を聴いてもらえる機会なのに、約束を守れないのは大失敗・・・「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた吉川さん。中学生たちは呆気に取られている。後で聞いた時に「大人の人が自分たちにあんなに謝ってくれてびっくりした」と言った生徒がいた。

 「今日の私の話のメインは実はこの『約束』なんです。」

吉川さんは元・東京電力社員。8年ほど前に退職し、現在は「廃炉現場と社会をつなぐ」さまざまな取り組みを展開している。AFWというのはAppreciate FUKUSHIMA Workersの頭文字である。

a-f-w.org

 

「ここで働いていました」と、吉川さんは持参した2000分の1の精巧にアップデートされた福島第一原発ジオラマを見せた。

 「自分が東京電力を辞めようと思ったきっかけも実は・・・私はここで起きた事故を『約束を守れなかった』ことだと考えています。」

原発で働いていた時、日本はエネルギー的には難しい国だから原発を使うこともやむなしと考えていた。その一方で、「安全です!」と言っていたのに、こういった結果になってしまった。「安全です」「大丈夫です」「事故は起きません」と、いわゆる「安全神話」を唱えていたのに、結果として、あの時それを守ることができなかった。それが今もすごく残っているのに、今日、遅刻してしまった。

「遅刻と原発事故を較べていいのかって言われそうですけど、『こうしましょう』『こうします』という約束は果たしていかなきゃいけないんだということから出発しています。」

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 そして、吉川さんは原発事故について、話を始めた。

原子力発電所って、日本全国、海の目の前にあるんですけど、これの理由はわかりますか?」という吉川さんの問いかけに、3年生のK田君が「核燃料を海水を使って冷却するため?」と答えた。

「あー、なるほどね。ある意味、正解でもありますが、それってかなり、原子力発電所の中の話で言うと、緊急時の肝(キモ)の話をしてくださった。」

あの時、大きな地震が来て、発電中の原子力発電所は緊急停止を行った。制御棒がビュッと入って核分裂反応を止める。でも、ガスコンロみたいにカチッと消しても火は消えなくてくすぶる。で、その熱を取らなきゃいけない。海水を使って冷却する。

「実は、海が目の前にあるというのは別の話。ここで作られた水は蒸気に変えられ、蒸気をこちらのタービン建屋に送って、そこで発電機を回して電気を作る。で、仕事を終えた蒸気は海水が入った配管で冷やされて水になって、それが循環するわけですね。原子力に限らず、火力発電所もそう。蒸気を冷やすための冷媒として海水を使う。それで海が近いわけです。海が近いということは、津波の影響をとても受けやすい場所です。」

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 2011年の3月11日は、今日みたいに暖かくなくて、粉雪が舞う寒い日だった。

地震でこの地域の家はみんなグシャグシャになって、さらに大津波が来た。

「みんなから見てもらうと、原子炉建屋がある場所はずいぶん低いのが見て取れると思います。」

それでも海抜10メートルぐらいはある。実際に襲ってきた津波は15メートル、場所によっては20メートルぐらいあったという。冷却設備もダメになった。

「そのタイミングで沿岸部の町に起きていたこと、大津波が襲来して・・・写真とか見たことありますかね。あれは生で見ると、頭が処理しきれないんです。今まで見てきた町の光景がね、まるで戦争に遭ったかのように、家が崩れ、燃えながら家が流れて行く。おそらく人が乗っているであろうクルマが目の前を流れて行く。」

吉川さんは当時、第二原発で勤務。そこも津波に襲われた。頭の中が真っ白になって、翌朝、隣の富岡町に行ってみた。あの車、人が乗ってるんじゃないのかな?あれもしかしたら人じゃないのかな?・・走馬灯のように、3月11日の前の日の双葉郡の風景が・・・自分はここで働いたこともあるし、当時は浪江町に住んでいた。結婚もした。震災前から数千人が働く場所だった。あの人の家族大丈夫かな・・そんなことを考えていた。

 電気を作る。その電気は首都圏に送られていた。東京だけじゃない。何千万人という人の暮らしを支えて幸せを生んでいたはずだが、その瞬間、周りに悲しいことが起きたわけです。11日の夜ぐらいになると、町はどうだろう?あの人は生きているだろうか?そんな心配もしつつ、自分が扱っている原子炉の心配。ここが冷却できなくなるとどうなんだろう?

「勉強で教わるんですよ、会社で。たとえば、チェルノブイリとかアメリカのスリーマイルアイランドも事例として教科書に書いてあります。」

当時はここからどうなるかなんてよくわからない。よくわからないんだけど、もし爆発事故とか、放射能漏れっていうものが起きたら、多くの人が死んでしまう可能性があるんだろう、もしくは、自分たちが一番最初に命を落とすと。走馬灯になるような瞬間、そして、教科書の中にしか見たことがない姿というものがそこから一週間・・・

「あまり詳しくは話せませんので、あとは廃炉資料館で。私が言えることは、ああ、世界史的な出来事の瞬間になったんだな、ということです。」

現代において、ついこの間まで、3月11日まで、原発のことなんて、社会で誰も問題にしていなかった。地域の人も、発電所を目の前にして、一緒に仕事しながら当たり前に暮らしていた。親たちは子どもたちに地元の進学校に行って東京電力に入って欲しいと願った。地域にとって生活を保証してくれる存在だった。

「みなさん、高校に入って大学に行って、どんな人生を送りたいとか、どんな人間になりたいとか、ありますか?私もみなさんぐらいのとき、金持ちになりたいと思っていたんですよ。年収が1000万ぐらいの。そして、きれいな奥さんがいて、子どもがいて、それがなんか幸せのイメージで、だから当時、高校を出て東京電力に入ったんです。」

あの日を境に、何十万人という人の人生を狂わせるという状況が生まれた。

「私自身の話で言えば、入社した若い頃の自分がいて、なんとなく働いて、地元の人と仲良くできて、楽しいこといっぱいあったんだけど、危険なものを預かりながら、安全だと言い張って、結果、事故が起きて後悔する。間違いなく、自分の中では人生のターニングポイントになっています。」

「では、みなさんにとってはどうなんだろうか?」と吉川さんは問うた。

「学校の先生に連れてこられて、初めて福島に来た人も多いと思います。それはなんでなの?って言ったら、教育の現場で扱われるほどの出来事があり、いま、そのさなかにいる。あの事故が何を生んだのか?生んだものっていうのは大きな悲しみがたくさんあるんだけれども、それをこうね、ぐるっとプラスに転換できるような状態まで、この廃炉というものが存在価値を得ているということを見てもらえるといいかなと思います。」

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 「これ、なんだかわかりますか?」と吉川さんはジオラマ上のおびただしいタンクのミニチュアを指して、「水の廃棄物」の話をした。原子炉建屋で解け落ちた燃料(デブリ)を冷やすために水をかけ流している。このデブリというのは放射線を凄く出す汚れた物質だから、かけた水は人が触れない水になる。放射性物質を取り除くための設備があって、ある程度浄化が進んだ水をこのタンクに溜めている。これが「増え続ける汚染水の問題」。この増え続けるタンクをどうするのか?最終的には環境への放出ができるのか?環境への放出というのは、海に捨てたり、空に捨てたり。発電所の外に最終処分するということ。

「今、水の話をしましたが」、今後はここを解体して大量のがれきが置かれる。これも人が近づけないレベルの放射線量だし、解け落ちた燃料はもっと線量が高い。こういったものの後始末をしなきゃいけないのだが、片づけるのに何十年もかかる。福島第一原発だけじゃない。世界中、日本中の原発が同じような課題を抱えている。

「これ実は電力会社だけが頑張ってもできません。だって、ある程度片づけているんだけど、最終処分っていうと、みんなが暮らしている場所に影響を与えかねない。たとえば、海に捨てるということだったりね。海ちょっと困る。大気中だったら海どころじゃない。私たちの暮らしのほうにも、もしかしたら影響あるんじゃないか?だから、みんなで話し合わないと決められない。なのに対話ができない。対話ができないから解決ができない。放置した場合は、ずーっと先、みんながおじいちゃん、おばあちゃんになった時代にも、この問題は取り残されて、今の私みたいに、『君たちに関係ある話なんだよ』『君たちの未来につながっているんだよ』って同じことを繰り返す。それをみなさんはどう考えますか?」

事故を踏まえて、ここだけがきれいになれば廃炉が終わったとはもはや言えない時代。事故への落とし前というものを考えて、次の時代に、より良いものとして渡すための、この一歩が進められないことにこそ問題がある。デブリが取り出せない問題は、実は技術的な問題ではなくて、その、デブリを取り出すから何になるの?というところ。

ここでふと、吉川さんは野ケ山先生に尋ねた。

吉川:廃炉って何ですか?イメージで。

野ヶ山:廃炉・・・イメージは原子炉そのものをまっさらにする。元の状態に戻す。作った前の状態に戻すこと。

吉川:片付ける?

野ヶ山:そう、片づけて、元あった土地の、作る前の状態に戻すところまでが廃炉かなと思います。

吉川:それってやっぱり、汚れたものを、ちゃんと落とし前をつけるっていうことですよね。なんか、原状復帰させる意味が含まれているような。福島第一原発廃炉の定義は一つできていまして、解け落ちた燃料と解け落ちていない燃料を原子炉建屋から全数取り出すことに40年をくださいと言っている。実は、更地にするとか、どんな姿にするかは決まっていない。燃料の取り出しに30年から40年かかるんで、それは廃炉じゃない。言葉を間違ってしまったんですね。

3月11日ってそんなに軽くないだろう。何か世界史に残るような転換点にするのであれば、燃料を取り出して、「はい、もうこの事故は終了。廃炉は終了」という話じゃない。

「私個人は、廃炉って何ですか?という問いかけを今されたら、あの日生まれたことがきっかけとなって、遠い30年後、40年後の未来には、今かかえている課題が解決できるような意思決定をみんなが考えられるような世界観が溢れている、かつ、ここが安全にある程度片づけもされている。この周りは、原発事故をきっかけにたくさんの支援者の方々との縁も生まれたし、ふるさとを守ろうという力がふつふつと湧いている。それが途絶えることなく、町を形成していく。20年後、30年後の未来は、何か、ここに触れること、ここに近寄ることで、誰かの人生や誰かの地域を豊かにするものに溢れた場所に転換していったら、それは廃炉がなされたということになるのではないか。」と吉川さんは言った。

たとえるなら・・ヒロシマナガサキと言えば、戦争が浮かぶかもしれない。でも、本質的にはヒロシマナガサキというキーワードの次に出てくるのは、平和の象徴。かけがえのない平和というものを自分たちもちゃんと受け継いでいこうという。

「ぜひですね、今度『廃炉って何ですか?』って私が聞いた時に、夢を語っていただけると・・・まあ更地にするには、放射性廃棄物の最終処分っていうのがどこかこの場所じゃない所に、たとえば、みんなが住んでいる近くということもありうるし、ほかの場所で保管できるようになるのか・・・ぜひ、これぐらいで一旦締めます。知識ではなくて、いま自分が持っている考えでじゅうぶんですから、知恵に変えていくということを意識しながら、ぜひ廃炉資料館に行って頂きたいと思います。」

 

吉川さんの表情と言葉に圧倒されつつ聴き入っていた生徒たちとの質疑応答に移る。

 

K田君(中3):あのー、これは僕の廃炉に対する考え方っていうか、30年後、40年後を想像した時に、いったい何人の人がここを覚えているだろう?と思ったんですよ。放射性物質があって、瓦礫があって、それを整理しないといけない以上、ここが原発だったと思い出せる要素というのはほとんどなくなると思うんですよ。それこそ広島の原爆ドームみたいに公園があればわかるけれど、みんながここを訪れて何を感じるか?40年後、この場所が果たしてみんなに思い出せる場所になっているだろうか。ここに来ているみんなですら、40年後、考えているだろうか・・・どうやって忘れないようにしたらいいんでしょうか?

吉川:忘れます。先に言うと。これねー、ひどく強いインパクトを受けて、刻まれた記憶になっていかないとたぶん難しい。自分なんかは原発事故を経験しているからね、一生消えない。ただ、言いたいことはすごくわかる。歴史を継承できる場所としての残し方は考えていかなきゃいけないと思うんですね。さっき言った原爆ドームみたいな。まずはそういう、ちゃんとその歴史観があり、そこに何が生まれたんだと。被害じゃない。悲しみじゃない。悲しみだけを残すんじゃなくて、その悲しみから何が生まれたんだみたいなメッセージ性ですね。そういうものを含めて形として残す。これ、かなり難しいんです。たとえば、ここに「原発ドーム」みたいなものを作ってもダメなの。ここでの意味を残していく、考えて伝えられる力を持った人がいないと。おっしゃる通り、私もね、同じような危惧、感じてます。忘れちゃう。考え続けることで、それを防げるかもしれない。私がというよりも、みんなが。みんなが何かしらここの出来事・・ということで自分に取り込もうという気持ちがあれば。

K田:いちばん恐いのは、ニュースで「廃炉作業が終わりました」って流れて、それをピッとテレビを切る瞬間がありありと思い浮かんだんですよ。へーえ、廃炉作業終わったんだ、よかったじゃんって。何も解決していないじゃないですか。

吉川:してないね。

K田:それを思い描いた時に、廃炉って本当に何なんだろう?って思ったんですよ。片付けて、それで片付けが終わったらおしまいなんだったら、みんな忘れて当然じゃないかな。それがよかったってなるのか・・・

吉川:この場所はね、結構そういう議論も出ていまして、広野町早稲田大学が共同で、残し方みたいなことを研究しているんです。歴史的な遺物として、海外だとレガシーっていう考え方で、日本語で言うと遺産。日本は遺産っていう言葉をはき違えていて、遺物っていう意味でとらえている。残ったもの。そうじゃなくて、後世に残る財産として過去に起きた出来事を、形を、思いを遺して継承する、ということをやってる人たちがいる。そういうところに期待もしつつ、でも、誰かがやることじゃなくて、社会全体が。原爆ドームも同じことだと思いますね。あれ、広島の人たちだけが残したいって言ったんじゃないと思う。みんなで残さなきゃいけない。あの日の出来事を忘れちゃいけない。だから今も続いている。なんかさ、廃炉作業終わりました。へーえってみんながボタンを消しちゃう・・やりたくないね。答えになってないけど。

T君(中3):ターニングポイントになったということだったんですけど、ぼくはこれまで原子力のことに全く興味を持っていなかったし、3月11日のことは、ぼくのターニングポイントにもなっていないんですけど、あんまり関わっていないしインパクトも受けていないぼくたちが福島の現状を伝えても何の重みもないし・・・どうしたらいいのかというのがあるんですけど・・・

吉川:そりゃさ、経験した人と、今見に来ている人の間では、重みというよりも深さだったり、トリビア的な知識の量で言えば、大きな差があるけどね。私は、広島、長崎に行ったのは中学生の時だったんです。もう戦争が終わって何十年も経っていました。だからやっぱり喋れなかった、見たことを。ただ、行ったことだけは覚えているんです。で、それなりに喋るんだね。浅い知識でも。で、年齢が上がって結婚して、奥さんのおじいちゃんやおばあちゃんから昔話を聴いた時に、ふつふつとよみがえってくるんです。その時のただ広島に遊びに行っただけの、でもなんとなく、これ大切なことなんだろうなってなことを結構熱く語ってるんです。みなさんが見た、ありのままでいいんじゃない?とりあえずは行ってみようねと。別に誰かのターニングポイントにしたくて、福島のこと喋ってるつもりはないんです。今日が何かみなさんにとって、ほんの少し、「スイッチ入れてみようかな」ってなれば、それで私は満足ですし、何か目標を持って生きたほうが面白かったり。漫然と生きてると、大きなことが起きた時にすごく後悔する。「力になれない」とか「ぼくたちなんか」みたいなことを考えてしまった時って何かが止まってしまうと思うんです。まだ、未熟かもしれないけれど、何かしっかりと掴んでみたいと思ってくれたら、すくなくとも、Tさんの糧になる。その糧がいつか花開く瞬間がきっとあると思うから。そんなふうに福島の旅をとらえてもらえればいいんじゃないのかな。誰しも、福島を助けてあげたいとかいう気持ちが湧くんですよ、こういうところに来ると。だいじょうぶ。みんなでゆっくりと着実にやっていくことなんだから。かわいそうなものに出会ったとしたら、そのかわいそうなことにつながる原因に憤慨するんだ、人間なんていうのは。でも、その憤慨した衝動っていうのをいちばん大切にして、きっとそれは違う問題に向き合った時にも、僕もなにかしなくちゃという力になると思うんだよね。そういうことに生かしていける。また来ればいいし。そんなふうに思います。

女子生徒からも手が挙がる。残念ながら名前が把握できていない。 

Q:時代が進むにつれて、原発事故を体験した人がいなくなるじゃないですか。だから、原発事故、そういう問題に、自分たちの世代やその下の世代が考えて行くけど、体験してなくて怖さを知らんから、知識がないわけやし、そういうあまり怖さがわかっていない子どもに託すということを繰り返してしまう。そういうことについて、今、大人として、どうしていくべきだと思いますか?

吉川:今、原発とか、原発が持っているリスクみたいなものは、事象としてきちんと自分が語れる存在になっていかなければならない。それをより広く共有する。それも大切なんだけど、それは関心を引かないんだ。原発あぶないんだよ、聞いてよって言っても関心を引かないんです。でも、なぜ原発があるんだ?ということの裏側って考えると、実はエネルギーに頼らないと人間って生きられない生物なんだという、もっと広い、大きな概念が見えてくる。私もまだうまく言語化できていないんだけど、たぶんそれは人の暮らしを考えていくこと、人生を考えることになっていく。これなら会話ができそうな気がする。どんな未来に住みたい?どんな自分になりたい?どんな暮らしをしたい?とか。そこには当然、エネルギーの話も出てくる。そっち側をきちんと話し合える状況を作っていく。その上で、まだその時に原子力というものがあるのであれば、リスクも含めて、同じ経験値で恐怖感を持ってもらえないにしても、そういう出来事が過去、事実あった。過ちを二度と繰り返さないと願うことは人間の力じゃないですか。そこをしっかり信じて若い人とも喋っていく。原発が安全かどうかじゃないんだ、本質は。これからの未来のために、あなたの人生のために、一緒にどんなものが作れるか、それを話し合える環境を作って行くことが大人の責務だし、大人が正直に言わないといけないんだ。政治の話もしなきゃいけない。人と人がいがみ合ってうまく進まないこと、きれいごとばかりじゃなくて、うまく行かないんだ。同じ経験をした者同士でも喧嘩して前に進まないことがある。そういうのを包み隠さずみんなに喋っていって、でも、みんなの世代と一緒に作りたいんだ。私の考えている大人像というのは。さっきの廃炉の定義になるわけさ。そこをね、みんなと一緒に考えられるテーマを作れたら、なんとかなりそうです。オジサンとかオバサンとも喋ってほしいですね。「託す」という言葉じゃないね。一緒に背負っていく。必然的に先に死んじゃうから、みんなにとってどうあるべきか、というのを教えてもらえると、円滑にすすむんじゃないかな。

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Q:家族と一緒にこの問題について話してみたいと思ったことがあるのですが、あまり聞いてくれないというか、やっぱり距離的にも離れているし・・・あまり話していないから、親がどれぐらいの知識を持っているかもわからないんですね・・・どうやって伝えていったらいいのか・・

吉川:ここで起きた事象とか、今の姿とか、非常に知識を必要とします。私も足りないかもしれない。たぶん、それを共有しようとすると、まず無理だ。する必要もないのかな。何を共有したいのか?それがきっと手前のほうにあるような気がする。「福島第一原発のこと、考えなきゃいけないよね」って言われたら、私「ううん」っていつも言ってます。原発のことを考えるんじゃないんだよ。この原発で起きた問題とか課題から自分を省みて生まれたこの気持ちみたいなところを共有すればいいんだね。・・・「被災地に行ってみたんだよ、おかあさん。こういう現場を見たんだよ。私は行く前と行った後で、こんな変化があったんだよ」って。その変化を、心の、日常の変化の立場から、それをお父さんやお母さんに「私ね、こんな大切なものを掴んできたんだけど、どう思う?」って聞いたら絶対返事してくれるよ。逆に「デブリが取り出せないんだって。デブリってこうなってるんだって。お母さん、これ大切なことだから覚えましょうよ」なんて言ってもそれは無理。全く興味ない。意味がない。 

伝えるっていうのは、何を?何のために?誰に?どのようにして?っていうのを少し意識することでも変わると思う。これまで、知識がない人を「馬鹿」と見る世の中になっちゃっている。みんな進学校に行ったりするんだけど、決してそんな人間にならないでね。いろんな経験、感情で人は違うんだから。自分と同じ知識を持っていなくても、それは問題ではなくて、大事なのは、自分が大切にしているものであったり感情っていうものを、その相手の人も同じようなものを持っていないかもしれないけどそれを交わせる力を身に付ける、コミュニケーション。もしかすると、コミュニケーションや方法の問題だったりする。大切なもの、大切なことっていうのを・・・私も普段これ(=ジオラマ)を扱っているからね、同じような悩みをいっぱいもってる。これ共有してどうするんだ?ってね。やっと、5年ぐらいかかって、ここから生まれた教訓みたいなことを話し合えれば、必然的にここのことは誰かと共有できると。

K田:今までで思ったのは・・・さっきデブリがどうのこうのって言ってもわかってもらえないっていう話があったんですけど、自分がどれだけ勉強してきたかを相手に伝えて、どれだけ自分ががんばってきたかを言った上で、でもそんなのどうでもいいんだよって言ってしまえるぐらいでなきゃいけないんじゃないかと思いました。だから、ぼくの心の中にこれぐらいの模型があって、これぐらい知識があって、こういうものやってきたんだって見せて、その上で、そんなことなしでも考えられるんだよって伝えられるためには、まず、心の中に模型を持つっていうことが必要なんじゃないかなと。

吉川:うーん。なんかねー、すごくね、考え方は近い気がします。私も同じような気持ちでいるよ。まず自分がね、国とか東京電力と、知識として対抗できるぐらい、すごく勉強してるんだけど、それがあって然りね。結構、ふだん会う学生さんたちにはこれ見せないで終わっちゃうこともあるんです。「吉川さん、廃炉のこと、原発のこと、教えてください。」っていう学生たちに対して、うん、もっとその手前がある。いい?まずは挨拶だーとかさ。みんな今たのしい?とか。なんで勉強したいの?勉強嫌いにならないほうがいいよ。やりたいこといっぱいできるようになるから。道歩いているおじいちゃん・おばあちゃん大切にしてる?お父さん・お母さんと仲良く出来てる? せっかく同じ学校に行って人生交わってるんだからさ、この人たちと末永くこの先も行けるかな? 行けないことが自分の中にはあるなら・・・これ全部ね、ここで起きたことにもつながってるわけさ。そういう手前の大切さに、ちゃんとものが言えるようになるっていうことは経験値とか知識が必要だと思うんだね。いちばんダメなのはね、知識なんて誰でも学べるのに、その知識を並べ立てて、さあ専門家だ!ってやってるような人にはならないで。心に模型を置くってね、結構大変だから、私はもうこれしかできなくなってしまったから、逆に言うと。それが知識の深さだったりする。自分がやりたいことのために、やっぱり時間が限られているのだから、何の模型を置くのか、ここの中心になる、いちばん濃いものを何にするか?というのは、ホント慎重に、かつ、真剣に選んだ方がいい。

 

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時折、禅問答のような問いかけを交じえた吉川さんのお話に、生徒も大人も、とても考えさせらる。元々の問題意識の上に、話を聴いて触発され、湧き起こった疑問を生徒たちは素直に投げかけ、それらの問いによってさらに吉川さんの言葉が引き出されていく。真摯な対話に大人たちも引き込まれた。(続く)

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